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相場格言 1 ①人の行く 裏に道有り花の山
相場格言 1 相場格言の多くには、遠く米相場の時代から言い伝えられてきたものも含まれます。しかし、米ある いは株式に限らず、相場(マーケット)に対する心構えや投資家心理には共通点が多いことも事実です。 株式市場で好んで用いられるのはそのためです。ただし、それらをそのまま株式投資に応用しようと してもあてはまらないものも多く、米と株式の商品としての違いを前提とし、格言の意味を準用する 形で使っているものもあることにご注意ください。 株式投資は本来、客観的な情報に裏付けされた合理的な行為でなければなりません。にもかかわらず 多数の投資家が古い格言を口にするのは、投資行為に占める心理的要素が大きいためです。何かに拠 りどころを求める、その役目が格言に課されているといえそうです。 ですから、あくまで客観的な情 報分析をベースとして、投資判断の参考としてこれらの格言を活用することが望ましいといえます。 心理のヒダは複雑で、感情にはつねにウラがあるといわれます。格言のなかに正反対の表現が出てく るのは、いわばその投影といえます。逆もまた真なりで、どちらが正しく、どちらが誤りであるとは 速断できないことは、投資の実践のなかで実感できます。ケース・バイ・ケースの使い分けはみなさ ん自身の判断でお願いします。 ①人の行く 裏に道有り花の山 株式投資の格言といえば、何をおいてもまず出てくるのが、このことばです。投資家は、とかく群集 心理で動きがちですが、それでは大きな成功は得られません。むしろ他人とは反対のことをやったほ うが、うまくいく場合が多いと説いているのです。大勢に順応すれば、たしかに危険は少ないし、事 なかれ主義で何事によらず逆らわないのが世渡りの平均像とすれば、この格言、多分にアマノジャク 精神に満ちています。しかし、人生の成功者はだれもやらないことを黙々とやってきた人たちであり、 欧米では「リッチマンになりたければ”孤独”に耐えろ」と教えるのが通例です。人並みにやってい たのでは、人並みの結果しか得られないという訳です。株式相場は、上げばかりでもなければ、下げ ばかりが続くこともありません。どこかで転機を迎えます。その転機を、どうしたらつかめるか、四 囲の環境や材料から続み取るのは、むろん大切なことですが、大勢があまりにも一方へかたより過ぎ たときなどには、この格言を思い出すこと良いかもしれません。これと類似の格言に「友なき方へ行 くべし」「相場師は孤独を愛す」などがあり、ウォール街にも「人が売るときに買い、人が買うとき には売れ」「株というものは高いときには最上に、安いときには最低にみえるものだ」ということば があります。 ②買いたい弱気 売りたい強気 株式投資は、将来の予測に賭ける知的利殖法だという考え方があります。しかもそれは、だれの力を 借りるわけではなく、あくまでも自分ひとりの判断によるという大前提があります。人にとって、孤 独な判断や決断ほど苦手なものはありません。たとえ最初から聞く気はなくとも、他人に意見を求め ようとします。心の負担を減らし、自分の考えを正当化しようとするためだと考えられています。逆 にいえば、自分の判断に自信が持てなくて、希望的観測にすがりついている姿が浮き彫りされてきま す。そこで、この格言が生まれました。 たとえば「買いたい弱気」。上げ相場のさなか、本心では買いたいと思っていながら、少しは下がっ て安いところで買えそうな気がしてくる。それが昂じて、どうしても相場が下がってほしい、いや下 がるのだという希望的観測にとらわれて〃ニワカ弱気〃となり、ついには逆目の売りに手を出してし まう。「売りたい強気」はその反対である。つまり、自分の都合でたてた仮説が、いつか自分をがん じがらめに縛り上げるようなものです。この希望的観測を生むいわば元凶が「高値おほえ 安値おほ え」です。ひとたび経験した値段を忘れられず、いつまでも昔の夢に入りびたっていると、相場の転 換期についていけなくなります。ところが株式の世界ほど、昔話を語りたがる人の多いところはあり ません。 「あのときA株は何円で」というたぐいです。それが単なるお話から、現実の世界へ置き換え られる。 「こんな安値があったのだから、いまの株価では買えない」という結論をもたらし、大きな転 換期をつかみそこなうモトとなるのです。「株価はもとの古巣に帰る」というように、将来の予測に、 過去の足どりはたしかにひとつの手がかりとはなりますが、それがすべてではありません。 ウォール街の格言では「相場に過去はない」といい、前向きの姿勢が大切であることを説いています。 ③当たり屋につけ 売っても買っても連戦連勝という人が、ときに出現します。売買の周期が、相場のサイクルにぴった り符合する人、めったに出動しないがひとたび売買すれば必ず利益をおさめる人など、いわゆる“当 たり屋”と呼ばれる人びとがいます。むろん、単なるマグレ当たりの場合もあるでしょうが、日常生 活のなかでも、うまくいくときはふしぎに次の手もうまくいくという経験をお持ちの方が多いはずで す。そういう場合が、株式投資にもあり得るわけです。そこで第三者が、あれこれ思い迷うよりはい っそ“当たり屋”と同じ売買をしたほうがよいと考え、これに便乗する。これが「当たり屋につけ」 または「当たり屋にチョウチン」の意味です。当たり屋がいつまでも当たり屋である限り、この方法 は手間ヒマかけずに利をつかむ便利なものといえます。しかし世の中と同様、相場はそんなに単純な ものではないし、甘いものでもありません。“当たり屋”は、いつか“曲がり屋”(思惑のはずれた 投資家)になる日を迎え事になります。 「人の行く裏に道あり花の山」を本流とすれば、この考えは邪 道といえるかも知れない。 一方、これと正反対の格言に「曲がり屋に向かえ」があります。当たり 屋はともかく、曲がり屋というのは徹底してツイていないというか、やることなすことがハズレて、 全ての判断が逆に行く人の事です。しかも曲がり屋は、失敗すればするほど意地になって無茶な商い をする人が多く、いわば悪循環です。そこで、曲がり屋が買えば売り、売れば買うという具合いに反 対売買をすれば利が得られるという理屈になります。実戦面でも、当たり屋につくよりも曲がり屋に 向かうほうが成功率は高いとされています。 ④備えあれば 迷いなし 株式投資で最も大切なことは、売買に際しての確固たる自信と決断です。 少しでも迷いがあってはい けません。基盤が軟弱であれば、ちょっとしたことにも動揺しやすくなります。水鳥の羽音におどろ き、枯れすすきを幽霊とまちがえてギョツとする前に、ゆるぎない心の備えをかためておく事が大事 だと言う事です。同時に、まさかの時にも動じない資力をたくわえておく必要も説いています。あと で詳しく触れますが、ギリギリの資金で株式投資をしていると、つねに損をしてはいけないとせっぱ つまった気持でいるために、わずかのことでも動揺し迷い出します。迷ったら最後、適切な処置はで きなくなるのが通例です。迷いの最たるものに指し値(値段を指定する注文)の取り消しがあります。 相場の動きにつれて自分の判断に対する自信が揺らぎだし、つい取り消してチャンスを失うというケ ースが多くあります。そこで「指し値を取り消すな」という格言が生まれました。最初から綿密な調 査と冷静な判断があれば、簡単に指し値を取り消すこともありませんが、一時的な思いつきなどで仕 かけたものは“根なし草”のようなもので、ちょっとした風で流されてしまうわけです。むろん、指 し値が的確かどうかは別の問題ではありますが。一方、かなり相場に練達した人がやる方法に両建て (信用取り引きで売りと買いを同時にやること)があります。つまり、信念がぐらつきだして、売り なのか買いなのか迷いが生じ、たとえば買い建て玉があるときにそれをそのままにしておいて新しく 売り建てする。上げ下げをうまくつかんで、二つながらに利益をあげよう―と思うのは虫がよすぎま す。だいたいが両建てになるケースは、高値で買い建てし安値で売り建てするのが多く、結局、両方 とも損勘定になってしまう事もしばしばあるようです。そこで「両建て両損」という戒めのことばが 出てきたのです。この確信をもっていさえすれば、あわてなくともすむという教えはウォール街にい くと「ドタバタは避けよ」という表現で使われています。 ⑤行き過ぎもまた相場なり 物事には、動があればその反動があります。株式相場でも、人気が過熱ぎみで上に行き過ぎたときに は、そのあとの下げもきつい。いわば、妥当とみられた水準を上向った分だけ、下げのときも予想を さらに下回ることになります。いってみれば“相場の勢い”である。したがって、どの指標をみても、 どう試算しても、これ以上株価が高くなるはずはないといってみたところで、現実に株価はこの予想 を上回ってしまう。ちょうど、スピードを出して走ってきた自動車が、急ブレーキをかけてもすぐに は止まれないようなものです。勢いがついているものは、結局、行きつくところまで行かなければお さまりがつきません。それも相場のうちであることと知っておくべきだというのが、この「行き過ぎ もまた相場」という言葉になります。同時に、行き過ぎがあれば、その分だけは反動を覚悟しなけれ ばならないことも教えています。 その意味から「山高ければ谷深し」という格言が同種のものとしてみられるわけです。つまり、高 い相場があればそのあとにくる下げはそれだけ大きいと言う事です。さらに「株価はもとの古巣に帰 る」「株価の里帰り」も同義の格言とみていいでしょう。どんどん値上がりしていった株価も、いつ か下げはじめ、結局もとの出発点まで戻ってくるという“株価の習性”を言い現わした言葉ですが、 ある程度長期間にわたってみなければ当てはまりません。その反対に、ある高値から反落した株価が、 いつかまたその水準に戻ってくる意味も合わせもっています。