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73 関連性理論における意図―言語学と読者論の接点を考える― 西田谷
関連性理論における意図―言語学と読者論の接点を考える― 西田谷 1 洋 はじめに 小著『語り寓意イデオロギー 』(翰林書房二〇〇〇・三)では、文学研究の物語伝達理 論として、シャノン&ウィーバー『コミュニケーションの数学的理論 』(明治図書出版一 九六九・五)の情報理論に端を発するコードモデルや、ジョン・サールらの言語行為論に ( 1 ) ( 2 ) 対し、関連性理論の推論モデルを提示した。そこでは字義と修辞を区別する見解に変えて レトリックと伝達が不可分の関係にあることを論じた。 関連性理論は、発話生成・理解を推論規則と関連性の原則によって支配されているとい う立場に立ち、発話生成・理解のプロセスは、具体的な伝達の相互行為にかかわる経験か ら独立して存在する規則ないしは原則に基づくトップダウン的な情報処理のプロセスとみ ( 3 ) なされる。要するに、情報が人にとって処理するに値するかどうかは、関連性という唯一 の尺度によって測定され、当該の情報が前提となる文脈と相まって生じる認知効果が大き ければ大きいほど、またその処理のためにかける労力が小さければ小さいほど、当該の情 報は関連性が大きいと言える。すなわち、情報の価値は結果としての認知効果とそれを得 るための労力の相関関係によってのみ評価される。 関連性理論の物語論への導入の意義は、テクストの多義性、すなわち相互に矛盾する弱 い推意の発生を詩的効果(1)として、作者から読者に至ることが想定される伝達過程(2)の 中で、理論的に説明する枠組みを提供した点にある。 (1)詩的効果は共通の知識というよりは共通の印象を生み出すのである。詩的効果を 有する発話は、認知上の相互性というよりむしろまさにこの意味での明らかに情緒 ( 4 ) 的な相互性を生み出すために用いることができるのである。 (2)詩人も最善の関連性の推定を引き起こしたとみなされ、聞き手(読み手)は処理 労力が文脈効果によって報われると期待することが許されるわけである。(略)そ の際の余分な労力は、広きに亘る大変弱い推意によって報われ、これこそ聞き手が ( 5 ) さぐることが求められていることなのである。 スタンリー・フィッシュの解釈共同体が解釈の依拠するパラダイムのみを説明し、ウォ ルフガング・イーザーの読書行為論が論理命題レベルでの主題/地平の交替という前景/ 背景転換図式を提示したのに対し、関連性理論は、命題確定のプロセスをより厳密に論理 化すると共に、非命題な情緒形成をもその理論的射程に捉えた優れた理論的達成と言える。 ただし、詩的効果を生む弱い推意は、関連性の原理(3)の第二原則である伝達の原則(3b) とは、一見、論理的に矛盾する。意図明示的伝達が、想定に最大の関連性を要請すれば、 詩的効果を生む矛盾する弱い推意の存在は理論的枠組みの外部に位置づけられてしまうだ ろう。 (3a)人間の認知は、関連性が最大になるようにできている。 (3b)すべての意図明示的伝達行為は、それ自身の最適の関連性の見込みを伝達する。 (RT2:318) 73 むろん、関連性理論は、生成文法を出自とする故に、計算論的な認知科学理論と親和性 をもち、工学・心理学・言語学・文学等の諸領域にまたがる計算論的物語理解・生成プロ グラムのモジュールや、文学テクストの分析の理論装置として、今後とも一定の有効性を ( 6 ) 発揮するだろう。だが、問題は、意図明示的伝達の達成を前提とする関連性理論が物語論 の操作概念としてどれだけ有効性を持ちうるかということだ。本稿は、関連性理論が提示 する意図明示的伝達としてのコミュニケーション観を、意図明示、関連性、効率、詩的効 果、二層性といった術語ないし潜在的枠組みに注目することで、物語テクストへの適用を もとに検証する。認知主体である話者が語り手を操作し受け手に向けて意味の概念化・カ テゴリー化によって把握(=構築)した出来事を伝達する形式である物語テクストに対応 する水準の理論装置として、認知言語学の物語伝達論への導入が構想されるのはこの段階 ( 7 ) だ 。その対象には、現代文学において伝達の困難性を描く村上春樹のテクストが選ばれる。 2 物語テクストにおける意図明示推論的伝達 コミュニケーションを規定する関連性理論の鍵概念に意図明示がある。関連性理論は、 伝達を相手に何かを知らせたいという情報的意図とそれを送り手・受け手双方にとって顕 在的にする伝達的意図に基づいて行う意図明示推論的伝達(4)として捉える。 (4a)意図明示推論的伝達:伝達者は刺激を作り出し、この刺激によって聴者に想定集 合Iを顕在化、もしくは、より顕在化する意図を持つことを自分と聴者相互に顕在 化するようにすること。(RT2:75-6) (4b)情報意図:聞き手に対し想定集合Iを顕在的もしくはより顕在的にすること。(R T2:69) (4c)伝達意図:伝達者がこの情報意図を持っていることを、聞き手と伝達者にとって 相互に顕在化すること。(RT2:72) 関連性理論の操作概念を物語テクストに適用する際の問題点として、第一に想起される のはテクストの意図明示性に関する処理だ。(4)の定義が排除するのは、例えば①黒雲を 見て雨降りを察知したり、無意識的に示す表情から心理状態を知る、といった自然的ない し情報意図・伝達意図のないような伝達、②スパイが機密情報を諜報機関に知らせたいが、 自分の安全を守るため、機密情報そのものではなく関係する情報のみを流すような、情報 ( 8 ) 意図を伏せたまま相手に何かを伝えるような情報操作による伝達意図のない伝達であり、 ( 9 ) 今井邦彦氏は「関連性理論が考察の対象とするのは 、「顕示的伝達」」だとして、文学テ クスト等の伝達をその射程外に排除する。この場合、物語テクストには様々な情報意図を (10) 持つものの、伝達意図がないか曖昧な形で具体化されていると見なされる。これは、 「僕」 (11) を焦点化子として十四、五年前の二十歳前後を回想する形式をもつ「螢」(『中央公論』 一九八三・一)も例外ではない。なぜなら、「僕」の同居人の吃音の挿話(5a)「ぼ、ぼ、 僕の場合はち、地図が好きだからち、ち、地図の勉強してるわけだよね。そのためにわざ わざ東京の大学に入ったんだし、そのぶん親に無理を言って金をだしてもらっているしさ。 でも君はそうじゃないしさ …… 」、「僕」自身の表現の困難(5b)「僕はそれについて 何か 74 を言おうとしたが、どんな風に言えばいいのかわからなかったのでやめた。」、 「彼女」の 伝達を意図していないかのような言葉のやりとり(5c)「時々彼女は後を振り向いて僕に話 しかけた。うまく答えられることもあれば、どう答えていいのか困るようなこともあった。 何を言っているのかまるで聞きとれないということもあった。しかし彼女にはそれは別に (12) どうでもいいように見えた 。」などの「ネガティヴな言語観」、すなわち言葉で理解し合 うことの難しさが主題化された物語として「螢」は提示されている。(5a)は意図と発話の 即応関係がうまく成立しないことを、(5b)は心的な被伝達内容の言語化ができず断念して しまうことを、(5c)は会話の相互行為がもはや意志の疎通を目的とせず、ただ言葉の提示 だけがなされているかのように見える事象を示している。この言語運用の機能不全ないし 支離滅裂は、関連性理論のコミュニケーション観が前提とする情報処理の論理的機構を瓦 解させてしまう。物語世界内レベルでの「彼女」と「僕」との間の会話(6)を検討してみ よう。 (6)彼女:a本当にうまくしゃべれないのよ。何かをしゃべろうとしても、いつも見 当ちがいな言葉しか浮かんでこないの。見当ちがいだったり、まるで逆だったり ね。それで、それを訂正しようとすると、もっと余計に混乱して見当ちがいにな っちゃうの。そうすると最初に自分が何を言おうとしていたのかわからなくなっ ちゃうの。まるで、自分の体がふたつにわかれていてね。追いかけっこしてるみ たいな、そんな感じなの。まん中にすごく太い柱が建っていてね、そこのまわり をぐるぐるまわりながら追いかけっこしてるのよ。それでちゃんとした言葉って、 いつももう一人の私の方が抱えていて、私は絶対に追いつけないの。bそういう のって、わかる? 僕:c誰も多かれ少なかれそういう感じってあるもんだよ。みんな自分を正確に表 現できなくて、それでイライラするんだ。 彼女:dそれとはまた違うの。 (6a)では、発話が発話主体の意図とは異なった内容で表現されてしまう事象が示されて いる。意図とはズレた、場合によっては反対の内容の発話を遂行してしまい、発話の訂正 すらも失敗し、その結果 、発話主体自身が当初の意図を喪失してしまうという帰結に至る。 そして、(6b)の問いかけは、解読的意味(6b)に、指示表現の対象確定である指示付与(6e)、 二つ以上の意味を持つ語の多義性除去である一義化(6f)、文法的・論理的要素の補充補完 (6g)、関連性付与(6h)等の処理をすることで、明示的に想定された表意(6i)が導かれる。 (6e)そういうの=自分の気持ちを伝えようとしても、適切な言葉を選択できないこと (6f)そういうの=表現の難しさ ←①若さ故の気持ちと言葉のズレ ②精神の病による表現選択の不能 (6g)主語=あなた 困難な人物=私 (6h)発話(6b)はそれまでの発話の文脈に関連している内容についての問いかけである 75 (6i)あなたは、私が自分の気持ちを伝えようとしても適切な言葉を選べないことが理 解できる? (6c)は、「僕」が表意(6i)を復元することで得た推意(6j)をもとに「彼女」に答えてい る。推意は、記憶からの検索やそれによる想定スキーマを発展させて補う推意的前提と、 そこからの論理計算によって導かれた推意的結論のうち、後者を指す。(6c)は、(6f)②を 捉えきれないために誤解であり、(6d)を発話した「彼女」は「僕がそういうと彼女は少し がっかりしたみたいだった」と語られるように自分を理解しない「僕」に落胆する。 (6j)推意的前提1:若者には自分の気持ちをうまく表現できないことがある。 推意的前提2:彼女は若い 推意的結論:彼女がうまく話せないのは若いためだ。 (6a)∼(6d)で提示される、意図と発話の乖離、意志疎通の失敗という事象は、意図とそ の実現としての発話といった関連性理論の意図明示推論的伝達というフレームが、物語世 界内では無効を象徴的に宣告されている。むろん、それは描かれた物語内容の解釈におい て導かれる出来事であり、伝達の不可能性という事象が伝えられるという意味では、必ず しも伝達が瓦解しているわけではない。 (13) 一方、非意図明示推論的伝達を関連性理論の枠組みで具体的に捉えたのは田中圭子氏だ。 田中氏の場合、非意図明示推論的伝達とは、情報意図も伝達意図も存在していながら、伝 達意図を公然化する上の意味での「意図明示」が欠落した事例を想定しているようだ。だ が、田中氏の目論見とは異なり、広告画面の言語外の刺激をきっかけとした推論は、それ らが「広告のメッセージ」の解釈と連動するかぎり、意図明示性を帯びてしまう。広告を 出す行為自体が極めて明瞭な意図明示的行為となる。この点で、事情は、偶然的な要素の 関与する日常会話や様々なレベルで相互に矛盾する弱い意味の集合体である物語テクスト とは異なっている。 そこで、「意図明示的」「 ・ 意図明示」という概念自体を検討しなければならない。 (8)a誰に何かを示すことは意図明示の例である(RT2:59) b最も最適な意図明示的刺激でも、意図明示的として扱われなければ全く関連性を もたない(RT2:188) c伝達者が受け手に対して顕在化しようと意図した想定集合Iは、受け手がその意 図明示的刺激を処理することを価値あるものにするだけの関連性がある(RT2:192) (8c)が示しているのは 、「意図」とは、送り手ではなく、受け手が言説に接したときに 把握する概念であり、(8b)は受け手によって関連性が解釈されることで「意図明示」が作 成される。その故に、送り手が明確な意図を持たずとも(8a)のように提示されることで「意 図明示的」となる。すなわち、「意図明示」とは送り手の意図とは異なり、受け手が制作 する操作概念だ。(5)∼(6)は、伝達の不可能性が登場人物によって語られつつも、物語行 為レベルでは伝達は達成されている。そもそも、(5)∼(6)は、話者―読者の軸線上で、伝 76 達の難しさと共に「僕」や「彼女」のイメージをを象徴する挿話として提示されている。 この故に、物語テクストにおいても、読者はそれを読むことによって、テクストに構造化 された認知主体としての話者の意図明示的刺激を作り出し、送り手側の認知主体ないし参 照点と、受け手側の認知主体との間に、意図明示推論的伝達を構築する。すなわち、物語 テクストにおいても、意図明示推論的伝達は成立する。原理的には、メタフィクション等 の反伝達が描かれる様式のテクストでも、それは変わることはない。 3 意図の先行と詩的効果 ただし、問題は、この意図の処理にある。 かつてのコードモデルでは、伝達意図の顕在化を相互知識の共有によって処理したが、 信号等の限られた事例を別とすればコードモデルが想定するような厳密な相互知識共有は 実際には存在しない。また、グライスの会話の公理では、話し手の意図を推測するために 聞き手は無限のメタ表象を作らねばならず、その推意計算で使用される推論は行為の背後 (14) にその行為の結果から行為者の意図を推測する〈信念―欲求の心理学〉と呼ばれる推論で あり、発話解釈は送り手の意図を想定し未だ実現されていない効果を推測する推論であり、 二つの推論は異なるとする。関連性理論の枠組みでは、前者は意図を推測する心の理論機 構に、後者は言語理解能力である言語モジュールに対応し、関連性の原理の第一原則は心 (15) の理論機構の原則に、第二原則は発話理解モジュールに対応する。とすれば、大まかには 心の理論機構は物理的行為の水準であり、発話理解モジュールは言語的伝達の水準に対応 しよう。むろん、日常会話で信念・欲求の水準に踏み込む高次表意/高次推意レベルの推 論がなされないわけではなく 、こうしたモジュールの区分には留保が必要だろう。ただし、 (9a)「降りましょうよ」という発話の場合、(9b)「一緒に降りたい」程度の表意構築で発 話理解がなされ、(9c)「彼女は僕とデートしたいと意図して、彼女は僕と一緒に降りたい と発言している。」といった信念・欲求レベルの意図を組み込んで理解することが常に要 請されているわけではないし、そうした信念・欲求の構築が逆に誤読を生んでしまう。 それに対し、関連性理論は、相互認知環境の顕在化という代案を提示する。人の表象能 力は、出来事を捉える表象と自己の内部からの刺激を捉える二次表象からなり、後者より 高次の表象はメタ表象と呼ばれる。スペルベルは、聞き手は情報意図と伝達意図の両方を (16) 理解するレベル(9g)で、聞き手のこのメタ表象処理は終了すると想定する。 (9)d彼女は「降りましょうよ」と言った。 e彼女は〈一緒に降りたい〉と信じている f彼女は〈自分が〈一緒に降りたい〉と信じていること〉を意図している。 g彼女は〈自分が〈一緒に降りたい〉と信じていること〉を意図している〉と信 じること〉を意図している。 日常のコミュニケーションでは情報意図と伝達意図の双方が存在するということは、潜 在的に、送り手側は情報意図の存在を受け手に知らせるような行為が行われ 、受け手側は、 その情報意図を特定することによって情報を受け取るという構造を有することになる。 「意 図明示」とは、受け手が情報意図を送り手から送られたと見出す行為にあたる。この構図 77 は潜在的には意図が送り手から示されるという事象を前提としている。これは、主体を実 体化し、達成された直接対面型の伝達のみを検討することから来る帰結と言える。 意図が予め必ず存在するという前提は、日常会話の相互行為の中で情報的意図/伝達的 意図が事後的に生成される事例によって否定される。そもそも意図明示による「最大の関 連性」の獲得という発想は、情報処理に合致しても、コミュニケーションには適応しない。 送り手側から言えば、意図明示推論的伝達を遂行するとは、言い換えれば送り手は受け手 とコミュニケーションする意図をもち、送り手は受け手が送り手の意図を認知できるよう に積極的に支援するということだ。だが、日常会話はそのようには進行しない。第一に、 送り手は受け手にとって最大の関連性のある情報を持っているとは限らない。第二に、送 り手が最大の関連性のある情報を持っていても法的・倫理的にそれを提示できない理由の (17) ある場合がある 。聞き手の処理労力の少ない発話を送り手が発する技能がない場合もある。 結局、関連性理論の推論モデルは、産出語用論として捉え返すならば、実際には日常言語 運用的な推論プロセスとも異なっている。 ともあれ、関連性理論を物語論に導入すれば、意図明示推論的伝達というフレームが適 用され、送り手の意図とその先行が想定される。意図は物語理解モデルでは高次表意とし て読者の心に内在し、物語産出モデルでは物語の原因としての話者の中に内在するものと される。ただし、この両者の意図は、厳密に一致せず、一定の解釈的な幅をもちつつ、類 似しているとされる。脱構築の根拠となり、詩的効果を生み出す弱い推意群はこのために 認知主体によって生成される。「螢」の後半部に登場する「同居人」がくれた蛍が、例え ば『日本国語大辞典[第二版]』(小学館)に記された語義(10)と異なり、先行研究では 多様な解釈(11)がなされるのはそのためだ。 (10)①ホタル科に属する甲虫の総称。体長六∼一八ミリメートル。体は長舟形で柔ら かい。夜光ることでよく知られているが、発光する種はわずかである 。(略)②埋 火などの小さく消え残った火。ほたるび。③江戸時代、京都の祇園あたりで通行人 イ の袖を引いた下級遊女。また、その茶屋。ほたる茶屋。④盗人仲間の隠語。○火ま ロ ハ たは火縄をいう。○火縄で錠を焼き切ることをいう。○星影をいう。 (18) (11)a蛍=「僕」 (19) b蛍=「彼女」 (20) c蛍=青春の淡い一瞬 (21) d蛍=「夜」的世界、霊魂の化身、はかない恋心、理想的コミュニケーション (22) e蛍=他者を投影するメディア 関連性理論の枠組みは、物語解釈を、第一に言語能力による可能な複数個の想定を形成 する段階、第二に運用能力によって想定を評価・選択して話者の意図した解釈を同定=構 築する段階からなる、二層構造として捉える。この二層構造は、いわゆる言語的意味/非 言語的意味、解読的意味/語用論的意味、関連性理論でいう論理的記載事項/百科事典的 記載事項(12)、表示的意味/手続き的意味の区分にも対応する。こうした意味へのアプロ (23) ーチの二層性は、関連性理論に限らず、もともと概念意味論や論理学的な意味論によって 構成素分析/成分分析を行うアプローチの共通の特徴だ。 78 (12)a百科事典的記載事項は、一般的には人や時によって変化する。 (略)対照的に、 論理的記載事項は規模が小さく、有限で、人や時によって変化することが比較的少 ない。(RT2:105) b想定の内容というものは、それが含む概念の論理的記載事項によって決定され る一方、その想定が処理される文脈は、少なくとも文脈的には、その想定が含む概 念の百科事典的記載事項によって決定される(RT2:106) スペルベルとウィルソンは、文脈を拡張する方法として、①対象発話の範囲拡大、②文 (24) 脈・想定への百科事典的記載事項の追加、③環境情報の追加等を挙げる。要するに、二層 的アプローチは、多義性や意味の変異を均一意味表示の概念的解釈として捉えている。関 連性理論の枠組みでは、(11)で例示したような「螢」の「蛍」と「僕」や「彼女」、理想 的コミュニケーション等を象徴連結する解釈操作は 、〈螢〉の挿話をそれ自体で解釈する のではなく、〈彼女〉の挿話、〈僕〉の挿話といった物語内言説の範囲拡大、〈コミュニケ ーション研究〉の文脈、〈日本文化〉の文脈、その他といった百科辞典的知識の追加によ って、挿話外の情報を関連づけることで、解釈する。そして施された情報処理の起源を明 示された意図として送り手に送付することになる。 任意の事例として(11b)を見てみよう。(13)には、「彼女」の挿話と「蛍」の挿話を要 約記述する際に使われるであろう任意の項目をリストアップした。(14)は、各挿話の描写 的・記述的な表示と言える。 (13)a「彼女」の挿話:「友人」の元恋人、「僕」と二年つきあう、話がかみあわな い、六月にセックスする、「僕」が連絡を待つ、七月に手紙をくれて去る b「蛍」の挿話:八月に「同居人」がくれた、屋上で一夜を過ごす、弱々しい光、 「僕」が待つ、飛び去る、 (12b)は「蛍」の記述的表示(13b)を「彼女」の記述的表示(13a)と関連づけ、(13b)で(1 3a)の全てないし一部を表示するという解釈的表示だ。読者は 、「蛍」の挿話を「彼女」 の挿話の解釈的表現として受け取る。この結果、例えば、(14a)と(15a)、(14b)と(15b)の 間に解釈的対応関係が生じ、(16)のような意味確定度の低い弱い推意が生まれ、話者との 間に同情・悲しみ・痛み等の情緒的相互性を得る。 (14)a彼女は背中を向けて眠っていた。あるいは彼女ずっと起きていたのかもしれな い。でもどちらにしても僕にとっては同じことだった。一年前と同じ沈黙がすっぽ りと彼女を覆っていた。 b土曜日の夜になると僕は相変わらずロビーの椅子に座って時間を過した。電話 のかかってくるあてはなかったが、それ以外にいったい何をすればいいのか僕には わからなかった。 (15)a蛍はまるで息絶えてしまったみたいに、そのままぴくりとも動かなかった。 b僕は何度もそんな闇の中にそっと手を伸ばしてみた。指は何も触れなかった。 79 その小さな光は、いつも僕の指のほんの少し先にあった。 (16)aその後、「僕」は「彼女」とはうまくいかなかったのだろう bその後、「僕」は「彼女」とはコミュニケーションをとれなかったのだろう c「僕」は「彼女」への親近感を「蛍」に投影している 関連性理論で詩的効果に否定的な論者が生じる理由は、意図明示から生まれる推意が推 意と認知環境変化とを区別できず、解読的意味/語用論的意味、論理的意味/百科辞典的 意味の境界がゆらぎ、理論的安定性が確保できないためだ。だが、そもそもなぜ字義的意 味と語用論的意味は区別されねばならないのか。認知言語学のプロトタイプ理論では、両 者は典型事例と非典型事例の曖昧な段階性によってカテゴリーへの帰属差が生じ内部構造 が非均質化していくため、多義性の膨張が発生すると捉える。この点で、関連性理論が基 づく二層モデルへの検討が必要となる。 むろん、二層モデルはプロトタイプ・モデルを、①プロトタイプ理論がある原則に基づ いて語彙項目の可能な意味範囲に制約を加えられないこと、②プロトタイプの説明が羅列 的に記述されること、③プロトタイプが前提とする意味は言語的意味には属さないあらゆ る種類の概念情報を含むため豊かすぎる等の点で否定する。関連性理論も④「単語のプロ (25) トタイプ的意味規定が、単語を集めて複合語・句・節を作る場合に非妥当な予測をする」 という点で批判する。二層モデルは、最大限の一般性と経済性をもつ言語的・意味論的表 示を追求する以上、プロトタイプ理論批判の要はカテゴリーの内部構造記述の簡略化と文 脈的制約を要請することになる。 だが、プロトタイプ理論は、意味は、共有され慣習化された、ある程度理想化された文 化的信念や慣習的型に埋め込まれた背景的情報によって決定づけられ、百科辞典的な範囲 をもつ知識を基盤とするプロトタイプ的表象にもとづくと捉える。すべての言語形式は、 認知主体が行う、百科事典的知識の活性化によって特徴付けられるという立場に立つ。こ の立場からすれば、意味構築における参照情報の膨大さは、知識が喚起するネットワーク の特定フレーム、部位の前景化によって処理されると想定することで解決する。さらに、 語・句・節合成において目標領域の意味が根源領域の典型的意味の合成にならないことは 必然であり、そもそもカテゴリーの拡張を予測しても実際の言語の動態からすれば非生産 的であり、むしろ動機づけによる慣習化の経緯と機構をこそ解析する必要がある。 4 二層モデルからネットワーク・モデルへ さて、記号論理学から関連性理論、計算論物語論に至る二層モデルは、第一に言語的意 味と非言語的意味の間の区別、第二に意味の抽象的スキーマによる表示を特徴とする。前 者は、言語や物語の自律性・モジュール性を主張するが、認知言語学の達成はそれに否定 (26) 的であり、物語論領域も変わることはないことは既に論じた。本節では、後者について整 理する。 二層モデルは、意味を述語文法項に分解する意味表示を前提としている。この表示は、 概念レベルでのみ実際の値が決定される意味素を含む。 (17a)を簡略化した(17b)をもとに検討する。 80 (17)a瓶の中には蛍が一匹と草の葉と水が少し入っていた b瓶には蛍が入っている。 c λyλx[LOC[x,PLACE[y]]] (18)a瓶にはひびが入っている b瓶には花が挿してある (17b)及び(18)はいずれも助詞「には」の意味作用の違いを示している。(17b)は参与関 係の中でより際だつ対象・トラジェクター (tr)「蛍」が、参与関係の中でその基点とし て機能するランドマーク(lm)である物体の空間内部に位置している 。(18a)ではtr「ひび 」 はlmを構成する物質中に位置し、(18b)ではtr「花」はlmの中に部分的に収納される。 一方、二層モデルは、lmの占める空間にtrが位置するという論理式(17c)で、これらの 三つのtrの占める空間特性の差異を無視して一括する。これらの諸相は、変項x(tr)とy (lm)の具体的対象の概念的知識と対象間関係の概念的知識を参照した、意味素LOCとP LACEの概念的解釈によって説明される。(19a)は「蛍」と「ひび」の概念的知識の差 がtrの位置に関する知識の差を生むと説明できる。だが、(18b)は、(17c)によれば、trは lmの中に包含されていなければならないが、 「 花」は完全には「瓶」に包含されないため、 二層モデルでは説明できない。 二層モデル側の打開策としては、第一に、概念の属性ではなく、概念の使用者とその文 脈によって意味が補完されるとする語用論的許容性を利用する方法がある。だが、語用論 的許容性は、理論装置としてはプロトタイプ理論に接近し、二層モデルの意味論的前提で ある叙述の均質的前提(19)「もしPがxであるならば、xはPに関して均質であると仮定 する」と矛盾する。(19)によれば、(17b)は全ての蛍が完全に瓶の中にある場合もしくは 瓶が蛍で満ちている場合に真となる。均質性が満たされない場合 、「ほとんど 」「 ・ 少し」 等の数量詞・量化表現が必要となるが、(18b)は花が全て瓶にあるわけではない。この点 でヴンダーリッヒは、保持・支持から生じる特別な概念が概念焦点化の方略によって、意 (27) 味形式には存在せずに、解釈過程においてもたらされ、字義性が満たされるとする。この 概念焦点化は、対象間関係でプロファイルされた関係に直接参与する領域である認知言語 学の活性領域と類似した概念だ。結局、二層モデルは、プロトタイプ理論を否定するが、 焦点化効果の多様性と偏在は二層モデルを無効化してしまう。 意味が貯蔵される抽象レベルと表現を生成・受容し意味に実際にアクセスする具体レベ ルの問題からすれば、認知主体は、具体的な意味と、具体的な意味に共通する抽象的な意 味の双方を持つと考えるべきだろう。 物語テクストでいうならば、物語の意味構造図式に、認知主体が持つ物語の知識のモデ ル化として、心的実在性がある限り、物語の意味を具体的解釈と結びつける状況証拠を無 視することはできない。二層モデルに基づく物語論の欠点は、文彩・修辞が生む様々な意 味の安定した心的表示を認めないことによる。それに対し、認知言語学に基づく認知物語 論は、物語解釈におけるプロトタイプ効果、普遍性、類似性、拡張、意味変化等の具体的 な意味の動態を説明する理論的基盤を与えてくれる。第一に、プロトタイプ効果は、例え ば「蛍」を青春の物語、恋愛の物語、伝達の物語として解釈するような、物語表現のある 種の解釈は特別な地位を持ち、他よりも容易にアクセスする事例を考えるヒントになる。 81 第二に、普遍性は、話型論が抽象レベルで話型構造、例えば男二人・女一人の三角形を設 定し、それに認知主体がアクセスすることで物語が具体化されるという立場をとることに 対し、物語テクストは抽象レベルよりはむしろ具体的レベルの意味との関係で動機づけら れていることを考察する契機となる。その一方で 、第三に 、類似性は、 「蛍 」=「僕」 、 「蛍」 =「彼女」といった物語テクストの異なる解釈間の持つ類似性を説明することが可能とな る。これは異なる解釈が放射状カテゴリー内で構造化されている事態をふまえれば自明の 帰結だろう。第四に、比喩的拡張の過程は、物語テクストの普遍的意味ではなく、表現に 即した具体的な意味に対して典型的に適用される。第五に、意味変化は、、物語の異なる 解釈を、頻度や中心性に基づいて記憶していられるということを前提とし異なる解釈間の 相対的な頻度と顕著性の推移を扱う。第六に、物語の生成・受容におけるジャンル・慣習 形成は、既存のテクスト・慣習との類似性によって水平的に関連づけられると共に、慣習 性が強化されることで垂直的にスキーマが抽出され、既存のテクストの共通性を捉え、新 たなテクストの展開・把握が可能になる。物語の意味は、類似関係によって水平的に、ま たスキーマとの関係によって垂直的に結合されるネットワークを構成する。 物語伝達のネットワーク・モデル(20b)を図式化する。物語状況では、語りと事象・対 象と主体が相互に連関するネットワークを構成する。話者と語りの間には様態関係が、話 者と事象の間には行為・態度関係が、語りと事象との間には表象関係が構築される。 (20)a スキーマ (換喩) (提喩) (提喩) 具体化/抽象化 周辺――プロトタイプ 拡張 (矢印の向きが逆の場合) 拡張 (隠喩) b 作者 (20a) 話者→ 読者 (20a) (20a) 物語表現 ←内包された読者 (20a) 物語世界 物語テクスト 現実世界 物語伝達でネットワーク・モデルを採用することの意義は、認知言語学のネットワーク (28) (29) ・モデル(20a)と容易に接続できるとともに、物語テクストの多義性が自明の問題ではな いことを示唆する点にある。物語テクストに認知主体がアクセスするとき、具体的表現に 焦点化すればテクストは多義的となり、逆にスキーマに焦点化されるとき物語は一義的で さえある。しかし、これはいずれも正しくない。物語テクストの意味は、抽象化と拡張の ノード ア ー ク ダイナミックな相互作用として捉えられる。物語を動的に維持するために、項や関係がゆ るやかなネットワークを築くが、明示的な知識の集合としての明示的スキーマではなく、 82 実際にはネットワーク間で物語状況に応じてある部分が焦点化されてカテゴリー化される 潜在的なスキーマとなる。 一例として 、「螢」における「蛍」のネットワーク(21)を図式化する。(21)は、(10)∼ (11)の意味・象徴をネットワーク・スキーマとして整理した。 (21) 昆虫 隣接:換喩 ↓ 具体化:提喩/属性値 蛍 拡張:隠喩 ↓ 発光種 星 火 信号 光 | 夜 ↓ 灯火 火縄 | | 茶屋―遊女 埋火 鍵を焼く 伝達 結果 過程 淡い はかない 青春 恋心 人生 ↓ 成功 失敗 ↓ 理想的伝達 障害 死 ↓ ↓ 動作主 「同居人」 動作主 「僕」 動作主 「彼女」 霊魂 動作主 「友人」 むろん、この図式は、火と光、星と光、埋火と淡い、その他の膨大な隣接・拡張・具体 化・抽象化関係からなる全てのネットワークを表示してはいない。さらにテクスト外の現 実世界の文脈を背景とした一般的な知識の体系の多くもほとんど省略している。図式の提 (3 0) 示の便宜上、本来、提示されるべき複合ネットワークの全貌を簡略化したためだ 。しかし、 この「蛍」のネットワークは、図式化されると静的に安定しているかに見えるが、実際に は認知主体の属する外部世界の変化や社会的・文化的な文脈の変化によって変容してい る。しかし、物語テクストの物語状況と認知主体のフレームとの相互作用によって、テク ストのある部分が焦点化されて、「蛍」を別の何かとして把握/提示/受容する認知プロ セスの一面を示唆しうる。「蛍」が多様な象徴として読まれるのは、このネットワークの ある部分が焦点化されるからだ。 物語コミュニケーションにおける物語表現・修辞・語彙は、言語共同体の中で慣用化さ れたものから、その場で初めて拡張される創造的なものに至るまで、多くの表現がある。 その故に物語表現の適切性は様々な段階性を持つと共に、その評価も慣用化されているが 故に否定的に捉えられる場合も共感を得る場合も両方ある。こうした物語把握のプロセス で使用されるのは、一般的なカテゴリー化の能力だ。カテゴリー化は、(21a)に示すよう に、スキーマに基づく具体化、プロトタイプに基づく拡張、具体例に基づく抽象化、隣接 性による周辺化等が考えられる。物語テクストを、認知主体による動機づけられた多様な 83 レベルでの段階性をもつ物語事象として捉えるならば、その物語コミュニケーションを支 える規則・慣習なるものは、この物語事象のうちの安定している事実の一部を規定してい るに過ぎない。認知言語学にもとづく物語論は 、物語運用から起動するスキーマ(の一部) として慣習・規則を捉えていく。規則・慣習は予め存在するのではなく、物語運用によっ て規則が限定的に作り出され、状況によっては規則自体が変容する。物語テクストの創造 性とは、こうした規則の解体・変容のダイナミズムをテクストとして具体化する点にある (31) と言えよう。 5 おわりに 本稿では、物語伝達の理論として関連性理論に代えて認知言語学のネットワーク・モデ ルを提示した。 関連性理論は 、物語解釈を、第一に言語能力による可能な複数個の想定を形成する段階、 第二に運用能力によって想定を評価・選択して話者の意図した解釈を同定=構築する段階 からなる、二層構造として捉える。読者は物語テクストを読むことで、テクストに構造化 された認知主体としての話者の意図明示的刺激を作り出し、送り手側の認知主体ないし参 照点と、受け手側の認知主体との間に、意図明示推論的伝達を構築する。この二層構造は、 言語的意味/非言語的意味、解読的意味/語用論的意味の区分に対応する。だが、現実に は、認知言語学が示唆するプロトタイプ効果によって、二層モデルの前提に反して、言語 的意味と非言語的意味、表示的意味と手続き的意味との区別は成立しない。 物語テクストのコミュニケーションでは、ネットワーク・モデルの動態が開示される。 物語テクストの意味は、抽象化と拡張のダイナミックな相互作用の中で作成される。すな わち、物語テクストと認知主体のフレームとの相互作用によって、物語状況に応じてテク ストのネットワーク間のある部分が焦点化されて、テクストの意味を把握/提示/受容す ることになる。これは、物語テクスト生成/受容の規則・慣習を、一般的なカテゴリー化 能力によるスキーマとして捉え、言語運用の状況に応じて変容していくものとして、その メカニズムの動態を初めて説明する理論的根拠を与えてくれる。 物語表現と意味の関係には認知の一般原理と人の概念構造とが反映されている。全体論 的視点では、物語は人の一般的な認知体系の一部とされる。それゆえ、物語構造は認知と 同じく主観的でありつつ、論理的・客観的な存在であって、それ以上でも、それ以下でも ない。物語の細部の様式を文化現象と捉えたとき、文化現象があらゆる言語・共同体を通 して同一であるとは想定できない。このため、物語と認知の間に環境を組み込んだネット (32) ワーク・システムを想定することでそのダイナミズムを捉える必要性が生じてくる。 (1) 発語内行為が厳密には分類不能・不要とする関連性理論側の言語行為論批判は、 ダニエル・ヴァンダーベーケン『意味と発話行為』(ひつじ書房一九九七・一二) ・同『発話行為理論の原理 』(松柏社一九九五・五)らの言葉と世界の合致のベク トルという新たな言語行為観をふまえるとき、再考が要請される。 (2) 例えば、利沢行夫『戦略としての隠喩』(中教出版一九八五・一一)は、小説表 現生成に果たす隠喩の重要性を指摘しつつも、字義表現から①論理的矛盾、②イメ ージの異質性、③同一概念構造からの離脱等の〈ずれ〉によって隠喩が生成される 84 とする逸脱としての隠喩観に立つ。 (3) 山梨正明「語用論のダイナミズム 」『 ( 語用論研究』二〇〇〇・一二)は、関連 性理論の特徴を 、「(i)発話文と文脈にかかわる情報は、話し手(ないしは聞き手) のモデル内の記号的表象を媒介として処理される、(ⅱ)発話の理解は、発話文と文 脈を規定する命題表象に一連の推論規則を適用することによって規定される、(ⅲ) 発話者の意図やプランは、あらかじめ発話者のメンタルモデルのなかに存在し、聞 き手は、それを発話文と文脈にかかわる情報を手がかりに推定可能である、(ⅳ)発 話の解釈は、情報処理の効率性と文脈効果にかかわる関連性の規則ないいま原別に よって支配されている、(ⅴ)意図、プラン、知識表象等は、対人関係、状況等の社 会的な要因や文化的な要因から独立して、個人のメンタルモデルのなかに実体とし て存在している」と整理する。 (4) スペルベル&ウィルソン『関連性理論〔第二版〕』(研究社一九九九・三)二七 三∼四頁。なお、本稿での『関連性理論〔第二版〕』の引用は、以後(RT2:頁数)で 記す。また、Adrian Pilkington. Poetic Effects; A Relevance Theory Perspect ive, John Benjamins Public Company, 2000は、情緒の相互性をもたらす詩的効果 によって、感情の伝達から審美的経験の多様性がもたらされることを論じる。反復 やエコーが作り出す詩的効果に言及・考察したものとして塩田英子「W.B.Yeats,"T he Man and the Echo"に見る反復の機能」『 ( 英語英文学論叢』二〇〇〇・六 )・同 「Relevance Theory versus Levinson's GCI Theory 」『 ( 英語英文学論叢』二〇〇 二・三)等がある。また、関連性理論とは異なるが、感情喚起・伝達の計算論的な 認知モデルとして戸梶亜紀彦「『感情』喚起のメカニズムについて 」『 ( 認知科学』 二〇〇一・一二 )・往住彰文「認知的感情の構造と文学テクスト理解 」(同)など がある。 (5) ダイアン・ブレイクモア『ひとは発話をどう理解するか』(ひつじ書房一九九四 ・二)二四四∼五頁。 (6) スペルベル&ウィルソンが作者―読者間の伝達を、Yus Ramos, F. "Relevance T heory and Media Discource : A verval-visual model of communication". Poeti cs, 25. Elsevier Science. 1998. が登場人物間の伝達を分析し、小著『語り寓意 イデオロギー』は登場人物間及び、語り手―聴き手間の伝達を論じている。解釈物 語論として関連性理論を導入するならば、元木高男「Lady Chatterley's Loverに おける発話行為 」『 ( 神戸英米論叢』二〇〇一・八)の含意された作者の分析が一 つの方向性となろう。 (7) 中村三春「短編小説 」『 ( 村上春樹がわかる』朝日新聞社二〇〇一・一二)六五 頁参照。 (8) 清塚邦彦「非意図明示的なコミュニケーション ?」(FINE-ChibaForumレジュメ 二〇〇〇・六・二)参照。 (9) 『語用論への招待』(大修館書店二〇〇一・二)二二頁。 (10) 吉村あき子『否定極性現象』(英宝社一九九九・二)は、想定の集合である認知 環境を構造化されたデータベースとみなし、(23)のように定義し、現実と虚構双方 の想定を共に扱うことを可能にした。これは、根元的虚構論の依拠する可能世界論 85 と関連性理論を連結する方略となる。 (23)認知環境は 、〈ψ、c〉という形式のペアを情報の一単位として持つ、構造 化されたデータベースである。ここで、ψは論理形式、cはψの確信度を表す。 データベースは樹形構造をとる。この構造のデータベース時点にはすべて、サブ データベースが繰り返し埋め込まれており、終点はすべて〈論理形式、確信度〉 ペアである。樹形構造のアークは任意にラベル付けされる 。(一九九頁) 吉村氏によれば、この認知環境データベースの樹形構造は、情報の局所効果をモ デル化するために用いられる。あるデータベースが別のデータベースに従属すると いう発想は情報を分離し別の所に保存されている想定と衝突するのを避け、推論に 用いられる情報はカレント・データベースが支配するサブ・データベースからは引 き出せないと規定することでモデル化できるとされる。 (11) なお、初出・初版間に異同があるが、本稿では『螢・納屋を焼く・その他の短編 』 (新潮文庫一九八七・九)の本文を使用する。 (12) 米村みゆき「螢」『 ( 村上春樹作品研究事典』鼎書房二〇〇一・六)二〇一頁。 (13) Tanaka, Keiko. Advertising Language; A Pragmatic Approach to Advertiseme nts in Britain and Japan, Routledge, 1999.なお、田中「広告を読み解く」『 ( 言 語』一九九五・四)参照。 (14) 意図は信念・欲求の複合体であり、心的状態の言及は行為者の合理性に基づく目 的論的な発想のため因果論的な法則性は確保されていない。高梨克也「発話理解の 推論モデルにとって発話行為論とは何か」 ( 『語用論研究 』一九九九・一二)は、 「合 理性の仮定とは信念体系の全体論的性格を考慮することであるため、ある行為者の 信念体系の全体から意図の形成に潜在的に関与しうる部分を予め限定することはで きないという、いわゆる「フレーム問題」に陥らざるを得ない(略)。よって、行 為産出に際して、当該の行為を特定の意図を原因として説明する方向性には原理的 な問題がある」と指摘する。なお、高梨論文は、関連性理論では遂行節をもつ高次 表意焦点がどのような要因によって決定されるかが明示されていないとするが、こ れは遂行仮説に後退することになりはしないか。 (15) 松井智子「関連性理論の広がりと認知語用論の新展開」『 ( 言語』二〇〇一・二) 参照。なお、モジュールの領域特定性と文脈参照の問題に対し、ダン・スペルベル 『表象は感染する』(新曜社二〇〇一・一〇)はモジュールのネットワークによっ て中央系に依拠しない情報統合が可能だとする。 (16) Dan Sperber. ed. Metarepresentations, Oxford University Press, 2000. (17) 西山祐司「語用論の基礎概念」『 ( 談話と文脈』岩波書店一九九九・三)三七∼ 八頁参照。計算論の側からは、松本斉子・安保達朗・内田信也・往住彰文「社会的 信念支持機構に基づく発話意味推定構造 」『 ( 日本認知科学会第19回大会予稿集』 二〇〇二・六)は、関連性理論が関連性の曖昧さとコンテクスト充足の問題を解決 しなければならないことを主張する。 (18) 原田敬三「村上春樹『蛍』の分析」『 ( 国語表現研究』一九九八・三)参照。 86 ( 19) 林正『村上春樹論』 (専修大学出版局二〇〇二・三 )参照。実際には、林論は『ノ ルウェイの森』での「蛍」と「直子」との対応についての指摘だが、「螢」に置換 しても矛盾は生じない。 (20) 松本健一「言葉の定型に潜む「国家 」」『 ( 村上春樹スタディーズ03』若草書房一 九九九・八)参照。 (21) 天野広也「村上春樹「螢」論」『 ( 成蹊国文』一九九八・三)参照。 (22) 今井清人「『 ノルウェイの森』」『 ( 村上春樹スタディーズ03』)。今井論も『ノル ウェイの森』での「蛍」の指摘だが、「螢」に適用しても矛盾は生じない。 (23) Ray Jackendoff. JACKENDORF; SEMANTICS & COGNITION, The MIT Press, 1983. 概念意味論を文学研究に導入したものとして、小田淳一「情報生物学による民話研 究について」『 ( 認知科学』二〇〇一・一二)の話型論がある。このアプローチは、 ヴァルタ−・ファルク『文学の構成素分析』(松籟社一九九五・二)等のテクスト 構成素分析にも導入可能だろう。 (24) 『関連性理論[第二版]』一六九∼七一頁参照。 (25) 『語用論への招待』一九八頁。 (26) 拙稿「根元的虚構論と関連性理論 」『 ( 金沢大学語学・文学研究』29金沢大学教 育学部国語国文学会二〇〇一・九)参照。 (27) Wunderlich, D. On German um; Semantic and conceptual aspects, Linguistic s 31, 1993, pp.125.なお、本書の引用や(19)の用例を含め、本節はジョン・テイ ラー『認知言語学のための14章』(紀伊國屋書店一九九六・一一)に多くを負って いる。 (28) 籾山洋介「多義語の複数の意味を統括するモデルと比喩」『 ( 認知言語学論考』 ひつじ書房二〇〇一・九)五四頁参照。 (29) 文学テクストの多義性を無限の解釈項の星座的ネットワークで捉えるアプローチ に、中村三春「〈 星座的〉認知文芸学・序説」(日本認知科学大会レジュメ二〇〇 二・六・一四)がある。 (30) また、ネットワークのノードの活性度は、厳密には、均質ではなく、典型から周 辺への段階性をもっている。こうした(22)で図式化されなかった「蛍」の認知的ネ ットワークの動態については統計・調査を含め、他日を期したい (31) ツヴェタン・トドロフ『批評の批評 』(法政大学出版局一九九一・一〇)は、フ ォルマリズムの異化は知覚レベルと技巧レベルとを混同していたと指摘するが、認 知言語学的な立場からすれば異化はカテゴリー化能力に係わる点で、その双方を必 要としていたと言わねばならない。 (32) 経験的基盤を介して相互認知環境が生成し、意味づけと相互理解の反復によって 相互認知環境が再編されるとすれば、相互認知環境が意味づけと相互理解を支える 基盤となるのであり、相互認知環境と相互理解は相互反映的となる。物語文法・話 型等の物語能力は参照点・焦点の置き方によって多様に変化する流動的集合性と考 えられる。解釈の枠組みや概念図式が流通する過程で、多様な解釈共同体がその図 式・枠組みを柔軟に、または硬直的に拡張化・具体化して利用すると考えられる。 87