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知識の発達心理学

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知識の発達心理学
知識の発達心理学
発達心理学事始め
落 合 正 行
ていけばいろいろな他の学問も学べるという事も大きな
理由であったように思う。このように、はじめから学問
は一つの領域だけで問題とするものではないという視点
ジェの偉大さは扱った問題にある。今日の認知発達研究
を導入できたのはよかったと思っている。さらに、ピア
のなかで問題とされていることを辿ると、ほとんどピア
ジェに行き当たる。何を問題とするかは大変重要なこと
で、その課題に特有の心の特徴を明らかにすると共に、
能の心理学﹂に出会ったことが大きなきっかけとなった
域に関心を持ち続けているのには理由がある。一つには、
しかし、きっかけは何であるにせよ、ある期間この領
その課題でより大きな心の特徴の何を明らかにするかを
事であろう。この本は、それまで読んだ知能の心理学と
発達心理学では起源に立ち返ること、それから現在の状
私は、心理学の領域の中でも知識の発達心理学に関心
は全く違った視点から書かれていた。そこで、ピアジェ
態へといかに変化してきたかをあとづけること、そして
含み持つ課題でないとなかなかいい研究は出来ない。ピ
の心理学に関心を持ち、彼の本を読んだ。ピアジェの心
その変化の説明を問題とする点にある。人の理解の在り
かおる。どうしてこのような領域に関心をもつように
理学の特徴は何といってもその広さと深さにある。彼の
方として必ずしもその人の個人史を問題とする必要はな
アジェの課題は、このような含意を持つ課題である。こ
心理学は、生物学︵ピアジェは生物学者として出発した︶を
く、現在の場だけでなされることももちろんある。しか
なったのかは、自分でもよくわからないところがある。
はじめ、社会学、論理学、数学、言語学、経済学、哲学、
のような訳で、私の心理学研究はピアジェから始まった。
文化人類学、物理学等多くの学問が関係している。当時
かである。現在のその人の背景にはその人が生きてきた
し、私達は歳をとるにしたがって変化していくことも確
一ついえることは、大学の一回生の時にピアジェの﹁知
私か彼の心理学に関心をもったのは、彼の心理学につい
一no−
かり方がわかったと納得しやすいということなのである。
また、自分のものごとの解かり方として、このような解
を知るうえで重要な情報を提供してくれると見られる。
へいくのかを明らかにすることは人間の心や知識の特徴
がって私達の心あるいは知識はどこからやってきてどこ
る。年齢が変化の原因ではないが、年齢の経過にした
うな背景で人を見るということにも意味があると見られ
歴史があることも事実であり、人を理解するにはこのよ
哲学者としての子ども、社会学者としての子ども、法学
きている。この様に考えると、経済学者としての子ども、
知識、生き物や植物に関する知識等の研究が行なわれて
いての知識の研究、数の概念や操作についての子どもの
の知識や理解、物理的世界の認識、言語獲得や言語につ
ども、生物学者としての子ども等、子どもの心に関して
の子ども、言語学者としての子ども、数学者としての子
ファーとして心理学者としての子ども、物理学者として
者としての子ども、歴史学者としての子ども、文学者と
しての子ども、文化人類学者としての子ども等も扱いう
などでは特に医学や生理学と関係しているし、遺伝や環
また他の学問領域でも胎児期や乳児期、青年期、老年期
学の領域でもあらゆる心理学の領域が関係しているし、
認知、思考、パーソナリティー、適応、社会等同じ心理
発達心理学は、実に様々な学問領域と関係している。
りださせることも確かであろう。そして、知識の発達心
の学問領域と共通点を持ち、その接点で新たな学問が作
なさないこともあると共に、逆にある心理学の領域は他
も随分違いがあって心理学としてくくっても余り意味を
いくことが必要となる。そもそも、同じ心理学の領域で
収まらないことになる。多くの学問との接点で研究して
る。こうなると、知識の発達心理学は心理学の枠内では
境の問題は生物学とも深く関係している。また、知識の
理学は始めからこのような性質をもっているのである。
知識の発達心理学の多様性
起源や獲得をめぐっては経験論や生得論といった哲学上
の問題と関係するし、方法論においても現象学的立場や
エスノの立場などというように哲学や文化人類学などと
も関係する。また、最近子どもの知識の発達では、メタ
且1
私は、幼いころから多くの子どもがそうであるように
と考えられるが、そうだとすると虫を知覚できない植物
これほどまでしなくても受粉を虫に依存する植物も多い
いて雄蜂の頭に花粉をつける仕組みになっているという。
-
生き物に関心があった。発達心理学は生物学とも大いに
が虫を前提とした子孫創造のシステムを採用しているこ
-
という。それだけではなく、雌が出すフェロモンより少
し強いにおいを出すという。そうしてオス蜂を引き寄せ
関係する。私か発達心理学に関心かおるのは、このこと
とになる。あるいは、擬態という現象があるが、これも
知識の発達心理学の生物学的基礎
も大いに関係しているように思う。遺伝や環境の問題は
相手を前提にしていると考えられる。もちろん誰の目か
て交尾しようとオスが花につかまると花は蜂の重みで動
には、進化論が発達心理学に大きな影響を与えている。
発達心理学史上大きな論争点の一つであった。初期の頃
間の目には擬態に見えなくても他の虫や生き物からは擬
ら見たときの擬態かが問題になるので、人間の目から見
態に見えるとも考えうるので誰の目から見たのかが問題
最近でも、例えば言語獲得や認知能力、知識の起源等、
である。もちろん発達心理学が問題にするのは遺伝子や
知識の発達心理学の一つの問題は、遺伝と環境の問題
となるが。この擬態も、環境の側の問題を取り込んでい
て擬態であってもそうではないかも知れないし、逆に人
分子生物学のレベルではないが、これらの知見は大いに
る。このような例を生物が環境に適応する、あるいは適
知識や能力の種特有性を巡るいくつかの論争がある。
参考になる。生物学の行動上の現象としてもいくつか不
質を伝達しないということからすると、例えば種子の開
はもっともな話である。しかし、それは遺伝子が獲得形
化温度に関してとてつもないヴ″リェーションがあった
応したものだけが生き残る事を示していると解釈するの
温がこのような温度になることはない。しかし、火事の
ことになる。あるいは、突然変異のヴァリェーションが
の種子は数百度にならないと開かないという。通常、気
場合は別である。ということは、この植物は火事かおる
とてつもないほど大きいということを意味する。さらに、
思議な現象がある。例えば、オーストラリアのある植物
ある百合の花はある蜂の雌の姿とよく似た姿をしている
頻度で起こるという環境の特徴を前提にしている。また、
112
異には遺伝子と身体の素材や作りとの対応もある筈であ
ならない︵数百度にたえる種子を包む外皮︶ので、突然変
もしそうなら植物の身体をそれに応じてっくらなければ
開社会ではそのような傾向は見られないとしている。こ
人を対象にアニミズムについて調べている。そして、未
ミードもピアジェの研究を受けて未開社会の子どもや大
多く見られる。また、文化人類学者のマーガレットー
ジェの方法の検討に関する研究が多かった。しかし、こ
物や植物のみを生きているとする段階へ至るとした。こ
で動くのは生きていると考える段階、そして最終的に動
くものは生きていると考える段階、さらに限定して自分
役に立つものは生きているという段階を始めとして、動
ローソク等は照らすから生きている等仕事をしたり人の
いて聞いている。ここから、ピアジェは例えば太陽や
て生命の有無、生き物の例、生きていることの定義につ
いうのである。この変化はクーンのいう科学史上の理論
アリーは知識の個体発達において、大きな変化かおると
念の根本的な変化をきたす原因であると考えている。ケ
本的な考え方や捉え方の変化かおり、それが生き物の概
かの興味深い研究から、子どもの生物概念の発達には根
ではケアリーという研究者がこの問題の発達的ないくつ
方の問題にあるというのである。特にこの種の研究の中
ときに起こる現象で、既有の知識の問題とその適用の仕
持っている既有の知識で未知の対象を理解しようとする
-
るO
れには、いくつか課題や方法に関して問題がないわけで
はない。ところで、アニミズムを巡るその後の研究は初
自分の関心と相侯って、私は生物の知識について調べ
こ十年位前からアニミズムの発生のメカニズムに関する
生物概念の研究
たことがある。このテーマは現在も継続中である。もと
研究が出てきだした。即ち、アニミズムは単に生き物で
期の頃はピアジェの追試研究が多がったり、またピア
もと、ピアジェが生物概念の発達をアニミズムという形
の最後の段階以前の生命のないものに生命や意識を認め
ないものが生きているという信念ではなく、子どもの
る子どもの心理的特徴を、ピアジェはアニミズムと呼ん
や概念におけるパラダイムの変化と同じものが知識の個
で扱っている。ピアジェは、子どもに多くの対象につい
だ。その後、アニミズムに関する研究は心理学のなかで
-
且3
る、子供をもうける、成長するなど生き物の特性を認め
-
体発生上でも起こるというのである。このような問題の
ていないのである。これに対して、幼児の場合には生き
-
定式化の仕方は私には面白く感じたので、この問題を
る。そこで、どのような知識が関係するかを調べてみる
物の特性を認めることが多いことが解かった。明らかに
事にした。一つの可能性は、生き物か否かの判断を幼児
表面的には同じ反応でも、大学生と幼児とでは捉え方が
が人間との類似性で判断したということである。そこで
扱ってみようと思うようになった。私はまず、実体を把
動く等生き物であればするであろうと考えられる機能や
︵呼吸︶、食べる、子孫をもうける、考える、見る、聞く、
これを調べるために、幼児の各対象について人間との類
握する必要から6歳前後の幼児と大学生を対象に太陽、
行動について聞いてみた。すると、6歳児でもかなりの
似性について調べ、それと生き物か否かの判断との関係
違うのである。幼児と大学生の対象についての知識の違
ことを知っていることが解かった。言われているほど、
をみたところ関係は見られず、幼児は人間と似ているか
石、雷、蟻、チューリップ、犬、人間、人形など様々な
アニミズム反応は見られないのである。しかし、同時に
いを明らかにする事が、これを解く鍵になると考えられ
太陽、雷等の無生物を生きているとする子どもは多いこ
どうかで生き物かどうかを判断している訳ではない事が
カテゴリに属する対象を用いて、成長する、息をする
とも解かった。この傾向は、大学生でも見られたのであ
解かった。もう一つの可能性は、生き物の定義に関する
ことが示された。特に、幼児は遊ぶ、食べる、歩く等人
る。即ち、同じ子どもでもすべての無生物に対してアニ
同時にピアジエのいうように動くから生きているという
間又は自分の特性を挙げることが多かったのである。そ
みると、大学生と幼児では随分違う定義がなされている
わけでもないのである。そこで、どうしてそうなのかを
こで定義に関する知識が問題となるので、定義に影響す
知識である。生き物とは何かという定義に関して調べて
知る手掛かりとして、子どもや大学生の太陽や雷につい
る知識として考えられる知識には、一つは対象の持つ身
ミズム反応をする訳ではないこと、対象によってアニミ
ての他の特性の知識を調べてみた。面白いことに、大学
体的な知識であると考えられる。そこでこの知識につい
ズムの見られ方が違うことが解かったのである。また、
生では太陽を生きているとしている場合でも呼吸、食べ
皿
する意味的知識の欠如にあると考えられる。そこで、次
いるので、可能性としては身体的特性の生きることに関
児はこのようにかなり正確に身体的知識について知って
心臓などがないことはよく知っている事が解かった。幼
て調べてみると、幼児でも石に手や口、鼻、手、足、脳、
児も持っていることが解かった。しかし、ある未知の特
に属するか否かについて調べるとかなり正確な知識を幼
れた。また、上位概念に関してある対象がある上位概念
位概念、特に事例に関する知識に違いのあることが示さ
とんどが哺乳類に関する事例であった。このように、下
物もその例に挙げることが多いのに対して、幼児ではほ
学生では多くのカテゴリに属する多様な事例を挙げ、植
-
に身体の部分とその機能に関する知識を調べてみたとこ
-
ろ、幼児は例えば口は話すという機能はよく知っている
性をあるカテゴリに属する対象が持っていると教えられ
に見てくると、生き物の判断には様々な知識が関係して
が、食べものを摂取して生命を維持するといった生きる
いる事が解かる。問題は、このような多様な知識がいつ
たときに、その対象の属性を他の対象が持っているか否
た生命に関係づける意味的知識と結びついていないため
どのようにして出来上がってくるかという点とそれぞれ
という意味とはあまり結び付けて考えていない事が示さ
に、喩え生命を維持するのに必要な身体器官を持ってい
の知識がどのように生き物か否かの判断に際して関係づ
かの判断という投影という方法で調べると必ずしも幼児
ても、それが生命維持と結び付けられていないために生
けられるようになるかということであり、それぞれの知
は正確な知識を持っていないことが示された。このよう
き物かいなかの判断に用いられないことが解かった。こ
れた。このように、幼児は身体に関する知識については
のような意味的知識の欠如が大学生と幼児の大きな違い
識の生き物判断に対する意味的知識の理解の問題である。
良く知っているが、それが生命維持に必要であるといっ
である。さらに、これだけではなく生き物か否かを判断
に形成されるかに関する重要な事実を提供することとな
これを明らかにすることは、知識のネットワークがいか
ると私は考えている。私の現在の課題の一つはこのよう
する知識として上位概念、下位概念に関する知識が考え
かで生きているかいなかの判断がつくことになる。生き
なことである。
られる。例えば、その対象がどのカテゴリに属している
物に関する下位概念としての事例を挙げてもらうと、大
115
もこのような一見知識と見られるようなものが遺伝的に
規定されている可能性もあることになる。
では赤ちゃんの外側に様々な言語的資源が存在する。し
-
認識の生物学的基礎
かし、その資源は必ずしも整えられた形で赤ちゃんに与
る考えもある。その典型が言語の発達である。言語発達
最近の発達心理学ではこのような考えを認めようとす
蛛の頭のなかに自分が作る巣の知識があるのであろうか
えられるわけではない。ところが、赤ちゃんはわずか数
ところで、蜘蛛などは巧妙に巣を張る。この場合、蜘
? 通常、このような行動は本能的な行動と説明される。
年のうちに日常会話には不自由しないほどの言語を身に
であるわけではない。このいわば、言語の生成性を説明
遺伝子のなかに組み込まれたものということである。ど
できないと言語獲得の理論にはなりえない。チョムス
付ける。人間の言語の特徴は、すでに聞いたのとそっく
キーはそれまでの言語獲得の説明であった刺激と反応と
のような形で遺伝子のなかに組み込まれているかが問題
う制約を持つようになっているとそれ以外の行動をさせ
従って、特定の環境に応じてあることしかさせないとい
の連合という学習の考え方に対して刺激と反応の違い、
であるが、巣を張る場所の特定や巣の大きさなどは遺伝
ないので確実にある行動をさせ、結果として巣を構築す
言い換えると人力情報︵言語資料一大人の初話︶と出力
りそのままの文章をいつも話しているわけではないし、
るという行動を成立させることとなっているのではない
︵文法構造の抽出︶とのあいだのずれに注目し、この入出
的に決められていては困るで弗ろう。環境の特性で決ま
かと考えられる。恐らく全部が決まっているというより
理解できる文章も過去にそっくり同じ文章を聞いたもの
もある行動を始発するとその行動が次の行動を制約する
力の間に介在する人間の脳に言語を獲得する装置が組み
るところを許すシステムでないと現実に適応はできない。
とみられる。このことが一連の複雑な行動を成り立たせ
込まれていると考えた。この装置は種に特有のもの
説明にならない。この装置がなにかというのも重要なこ
︵specie specific︶ であるという。もちろんこれだけでは
ているのではないかと考えられる。様々な虫や動物の行
動のなかにこのようなかなり複雑と見られる行動が遺伝
的に規定されていると見られる。もしそうなら、人間に
-
且6
もちろん刺激に出会う頻度も一つの手掛かりになるであ
沢山の情報を処理できないことが情報を制限することと
とだし、さらに日常生活で赤ちゃんがどれくらい言語刺
なり、これに加えて制約が働くと限られた情報を処理す
ろうが、それは必ずしもあてにはならない。また、赤
うな装置がいつどのような条件で立ち上げられるかとい
ることが確実に起こることを保証する事となる。ところ
ちゃんの情報処理能力が制限されているということが情
うことである。ところで、言語を発するまでの約一年間
で、人間にとって意味のある刺激とそうでない刺激を早
激にさらされているか、どのような言語刺激にさらされ、
に言語獲得の基礎を獲得するということが指摘されてき
報処理に有利に働くということが指摘されている。余り
ている。その基礎は、母子の相互作用である。言語を発
くから区別するというのは重要なことである。自動車の
ておかないといけないことが多い。また問題は、このよ
する前の時期に言語的なコミュニケーションの基礎を形
音や特定の音が頻度高く聞こえる環境もあるが赤ちゃん
赤ちゃんはそのどこに注目しているかなどまだまだ調べ
成するというのである。赤ちゃんの授乳時にお母さんと
はむしろ人間に関する刺激に注目することが大切である。
事実、赤ちゃんが早くから顔、人の発話、生き物の動き、
のやり取りがあるということが確かめられている。
人の顔の模倣、表情の模倣等に注目することが知られて
された情報処理能力を持っている赤ちゃんが非常に早く
余りよい方法とは思えない。特に、大人と比べると制限
とになるが、それらの刺激を同じ重みで処理することは
ての知識を持ち合わせていない。様々な刺激に出会うこ
ところで、赤ちゃんは生まれてきて出会う世界につい
教える仕組みになっていても不思議ではない。また、私
が、知識を持たない赤ちゃんにとってそれを別の方法で
があれば、それが何か大事な情報かを教えることとなる
のを人間を通して学びやすくしていることになる。知識
いるのは、人間に関することや人間と関係することやも
ないときに人の様々な特徴に注目しておくようになって
赤ちゃんの研究の意味するもの
様々なことを獲得していくことを考えると、なにか情報
達はある行動をするとその行動からつぎの行動が決まっ
いる。これは大変大事で、赤ちゃんは何か重要か解から
に重みをつけておくことができると処理がうまくいく。
一且7一
飽きるという馴化︵gZE呂I︶が起こるようになって
さらに、赤ちゃんにも同じものを何回か見るとすぐに
達心理学の大きな問題である。
ると考えられる。このあたりの問題は、今日の知識の発
赤ちゃんのものを知る活動を大いに助ける働きをしてい
てくるという制約もあり、このようなものが知識のない
との接触を保証することとなっている。赤ちゃんはお母
いと生きていくことができず、その結果としてお母さん
んには大事である。運動能力のなさが人の世話にならな
は余り備わってはいない。このバランスの悪さが赤ちゃ
ような認知的な能力ははやくから機能するが、運動能力
境の影響をはやくから受けうるともいえる。ただ、この
界を知ることが出来ることを意味する。言い換えると環
-
いる。この働きは同じものや持続的に到来する刺激に注
さんに見捨てられると困るので、体の割に頭が大きく、
作りとなっている。
意をあて続けずに今ある刺激に注意をあてられるように
をあてることが出来なくなるからである。この馴化は、
このように赤ちゃんの研究が盛んになってきて様々な
手足も短く、丸々としていること等によって可愛らしさ
研究方法として大変便利で多くの実験に使われてい。る。
赤ちゃんの有能さが指摘されてきているが、やはり赤
するという、適応にとって重要な役割をはたしている。
その結果、赤ちゃんの様々な有能さが見いだされること
ちゃんは幼児や児童、あるいは大人と違う。これを明ら
をお母さんが感じるような体形を備えている。このよう
となった。赤ちゃんの有能さとして、生まれた直後から
かにするには年齢を追って変化を見ていかなければなら
なぜなら、私達は一時的に処理できる情報量に限りがあ
目が見えること、胎児期から音が聞こえること、触った
ない。これまでの研究では、青年期までの研究が大多数
にして、お母さんとの接触を通じて様々なやり取りを行
だけで見ていない刺激を見て解かるというように触覚と
であったが、発達は青年期だけに留まらない。成人期、
るが、まして赤ちゃんはもっと制限されているときに同
視覚、聴覚と視覚など感覚間の協応があること、はやく
ない、これが言語を初めとする後の発達の基礎的な土台
から顔の模倣や表情の模倣が出来る事等を挙げることが
での文字どおり人間の生涯を扱うのが発達心理学である。
老人期などの研究が大切である。赤ちゃんから老人期ま
じものに注意をあて続けると今到来している刺激に注意
出来るが、これははやくから赤ちゃんが自分の周りの世
118
-
広い年齢範囲での変化をあとづけていくことが人間の一
生の変化を示すものである。そして、その時に初めて発
達心理学的研究といえるのである。
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