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平成28年11月19日(土)~12月25日(日)

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平成28年11月19日(土)~12月25日(日)
平成28年11月19日(土)~12月25日(日)
か
ご
ました。駕籠は、人が乗る部分を棒(長
者など、一部の人は、馬や駕籠を使用し
柄)に吊し、長柄の前後から人が担ぐも
のです。
( 1883
)頃から鉄道を作ることが検討さ
れていました。佐賀県、熊本県、長崎県
年
も計画に加わり、明治 年( 1887
)
、九
州 鉄 道 株 式 会 社 が 発 足 し ま す。 九 州 鉄
道 は 線 路 を 順 次 作 っ て い き、 明 治
明には諸説がありますが、福岡県出身の
が開業しました。翌年
明治時代になると、人を乗せて人の力
で引く人力車が登場します。人力車の発
なが
) は、 福 岡 市
今 年、 平 成 年( 2016
博物館の常設展示室のおすすめのひとつ
の
え
で あ る、 ア ロ ー 号 が 完 成 し た 大 正 5 年
や
であるアロー号は、若きエンジニア矢野
( 1889
) 月に博多と千歳川(筑後川北
岸に設けられた仮駅)間が開通、博多駅
和泉要助らが横浜で外国人の使用する馬
こう いち
倖 一(
車をヒントに考えついたという説がよく
留米間が開通、さらに明治 年( 1891
)
4月には、門司―博多―高瀬間まで線路
工業学校や九州帝国大学などの福岡の設
倖一の熱意と、地元実業家の支援、福岡
ロー号が作られました。完成には、矢野
自 動 車 の 製 作 が 本 格 化 し、 福 岡 で は ア
は大きく変わります。大正時代には国産
新たな乗り物が登場し、人びとのくらし
路線を増やし続け、割高であった人力車
正・昭和時代に入ってからも路面電車は
所 前( 須 崎 ) 間 で 営 業 を 始 め ま す。 大
に着手、翌年に博多駅前―天神町―取引
進会の終了後には、博多電気軌道が工事
前間の福博電気軌道が開通しました。共
) 月、第 回九州沖縄 県連合
1910
共進会の開催にあわせて、西公園―大学
便利な移動手段としてすぐに全国に広が
月には博多―久
れ ま し た。 平 成 年( 2009
) に は、 日
本 機 械 学 会 の「 機 械 遺 産 」 に 登 録 さ れ
知られています。人力車は小回りのきく
は 延 び ま し た。 明 治 年( 1909
)には
現在のように門司から鹿児島まで線路が
い ずみようすけ
ま し た。 こ の 展 覧 会 は、 ア ロ ー 号 完 成
り、明治時代の一般的な乗り物として定
)によって製作さ
1975
年 を 記 念 し て、 当 時 の 福 岡 の 様 子
100
を紹介するものです。
開通しています。
江戸時代の終わりから明治時代にかけ
て、日本にはさまざまな西洋の技術が到
電気を動力とする電車も、明治時代の
終 わ り に 福 岡 に 登 場 し ま す。 明 治 年
備が不可欠でした。アロー号が走り出し
は徐々に減少していきました。
来 し ま し た。 自 動 車 も そ の ひ と つ で す。
た頃、市街地化がすすみ、水道、電気な
(
ども整備された福岡市は、交通手段の多
た。幕末に外国人の乗り物として伝わっ
馬車も明治時代のはじめから日本で使
用されます。福岡でも、中心部と市外と
た も の で す が、 明 治 年( 1885
)に外
国製自転車を手本とした国産化がはじま
年代に国産自転車の製造
島方面に運行しました。
が本格化しますが、当時はまだ高価なも
車の輸入は減少、国産自転車が大量に製
のでした。第一次世界大戦の勃発で自転
造されました。この頃から価格も低下し、
まえばる
18
機関車を走らせる鉄道は、日本での開
通 は 明 治 5 年( 1872
)の新橋―横浜間
が 最 初 で し た。 福 岡 県 で は、 明 治 年
20
を結ぶ乗合馬車が走りました。福岡市内
しての側面を持ちつつ発展をとげます。
ります。明治
8
の橋口町〔現 中央区〕を発着所として、
13
東は箱崎方面、西は姪浜、前原などの糸
3
アロー号の実物を中心に、乗り物の移
り変わりと、大正・昭和の福岡市の発展
を振り返ります。
乗りものとくらし
江戸時代の陸上移動・交通手段はもっ
ぱら徒歩でした。身分の高い者や裕福な
16
様化に対応し、郊外も含めた観光都市と
現在においても一般的な乗りものであ
る自転車は、大正時代後半に普及しまし
43
21
明治時代には、人力車、汽車、電車など、
24
3
42
~
1892
22
20
着しました。
12
28
( 1916
) か ら ち ょ う ど 100
年にあたり
ます。現存最古の走行可能な国産自動車
機械遺産” アロー号”(矢野特殊自動車 所有)
特別展示室 B
自転車は一般的な乗り物になりました。
頃から身近な機械に関心を抱く少年でし
アロー号誕生
年( 1892
)、福岡
矢野倖一は、明治
県遠賀郡芦屋町に生まれました。小さい
日本に自動車が伝わったのは、明治
年( 1898
) の こ と と さ れ て い ま す。 ガ
ソリンエンジンを搭載したフランス製自
ます。ここから、矢野の自動車製作がは
じまりました。
年( 1913
)の 月か
矢 野 は、 大 正
ら国産自動車の設計を開始、車の名前は
で も、 大 正 年( 1913
)に市内初のタ
クシー会社が開業しました。自動車の国
東京で国内初のタクシーが登場し、福岡
の輸入は増加します。明治時代末期には
るいは大型商店の配達用として、自動車
れました。上流階級の乗り物として、あ
盤」を発明、販売していました。矢野少
獲得のため機械式計算機である「自働算
ントを得た飛行機の製作を目指し、資金
出身の矢頭 良 一が鳥の羽ばたきからヒ
代後半の日本では、福岡県築上郡岩戸村
は飛行機への関心が高まります。明治時
での世界初飛行を実現して以降、世界で
た。 明 治 年( 1903
)にライト兄弟が
ガソリンエンジンを搭載したプロペラ機
当時の福岡市にはドイツ人捕虜収容所が
次 世 界 大 戦 に 日 本 が 参 戦 し て い た た め、
( 1915
) 月、アロー号はテスト走行を
行いましたが、動きませんでした。第一
グは外国製を使用しています。大正 年
り自作しました。ただし、タイヤやプラ
の施設を使用しました。部品は可能な限
帝国大学工科大学〔現 九州大学工学部〕
矢野は、村上の仲介で鉄工所を作業場
として借り、時には福岡工業学校や九州
自身の名字から「アロー号」としました。
内製作も明治末期には試みられていまし
年も当初は飛行機の製作を志し、県立福
ありました。矢野は収容所にいたドイツ・
し た。 村 上 は 人 力 車 を 用 い た 運 送 業 で
動車製作を
矢野の将来性を見抜き、自
むら かみ よし た ろう
す す め た の は、 実 業 家 の 村 上 義 太 郎 で
表彰されました。
)に下対馬
1883
和紙で車体を制作し、アロー号は完成し
に取り付けました。その後、アルミ板と
製のキャブレーターを購入してアロー号
ブレーター(気化器)に原因があること
ず りょう い ち
たが、エンジンなど製造の難しい部品は
岡 工 業 学 校〔 現 福 岡 工 業 高 校 〕 に 入 学
ベンツ社の技師にアロー号を見せ、キャ
の 旭 号 自 動 車、 快 進 社 の ダ ッ ト 号 な ど、
財 を な し、 明 治
や
海外で購入し、車体の製作と組み立てを
します。在学中、福岡日日新聞社が主催
複数の国産自動車が出品されました。国
小 路海岸に博多灯台
そろ
国内で行うにとどまるものでした。
す る 飛 行 機 大 会 に 飛 行 機 模 型 を 出 品 し、
産車の製造が模索された状況で、福岡で
中頃には今津湾に近
を 建 設、 明 治 時 代 の
ま し た。 大 正 年( 1916
) 月
の こ と で し た。 ア ロ ー 号 は 貸 自
を知ります。そこで、上海に渡り、英国
はアロー号の製作が始まっていました。
代的港湾設備をつく
( 1914
)に大正天皇の即位を祝して開催
された東京大正博覧会には、宮田製作所
乗りものはくらしを便利にするものと
して人びとに受け入れられました。同時
ることを主張するな
かい しん しゃ
に、技術の進歩やその最先端を示す「格
ど、 運 送・ 海 運 方 面
に 招 か れ、 ダ ン プ ボ デ ィ の 製 作
あさひ
好いいもの」として受容されます。自動
にユニークな視野を
で 成 果 を あ げ ま し た。 大 正
ま
車が珍しかった大正時代の福岡では、写
持 っ た 人 物 で し た。
しも つ
真館に自動車のセットが組まれ、自動車
矢野は村上のすすめ
年(
に乗っているかのような写真を撮影する
しょう じ
ことが流行しました。また、同時期の児
で、 フ ラ ン ス 製 一 人
ばん
大正時代に入ると、自動車の国産化に
向けた動きが活発になります。大正 年
動車が、売り込みのため日本に持ち込ま
2
乗り自動車の二人乗
りへの改造に着手し
動 車 と し て、 し ば ら く の 間 使 用
されました。
ア ロ ー 号 完 成 後、 矢 野 は 福 岡
に進出した梁瀬商会〔現 ヤナセ〕
年
( 1922
)には独立して「矢野オー
ト工場」〔現 矢野特殊自動車〕を
設 立 し ま す。 特 殊 車 両 の 製 作 を
本 業 と し て か ら も、 矢 野 は 小 型
)
1872
関 連年表
明治5年(
9月 新橋―横浜間に鉄道開通
明治 年( 1888
)
9月 九州鉄道株式会社設立
明治 年( 1889
)
21
博多―千歳川間開業
明治 年( 1890
)
4月 市制施行 福岡市成立
月 九州鉄道 博多駅開業
22
12
9月 九州鉄道 博多―久留米間開通
明治 年( 1891
)
23
4月 九州鉄道 門司―博多―高瀬間開通
明治 年( 1896
)
24
3月 九州電灯株式会社設立
明治 年( 1904
)
29
1月 博多湾鉄道 西戸崎―須恵間開通
月 博多瓦斯株式会社設立
37
8
童向けの双六には、人力車から始まり飛
16
明治 年( 1907
)
7月 九州鉄道国有化
12
25
行船で終わる乗りものの進歩が示されて
います。
明治 年( 1909
)
3月 博多駅2代目駅舎完成
8月 路面電車、福博電気軌道設立
月 九州鉄道 門司―鹿児島間全線開通
明治 年(
)
1910
(大学前ー黒門橋間、
3月 福博電気軌道開業
呉服町ー博多停車場前間)
回九州沖縄8県連合共進会開催
第
明治 年( 1911
)
1月 九州帝国大学工科大学開設
路面電車、博多電気軌道設立
13
5
40
42
11
8
4
8
11
43
44
36
31
3
2
型
自動車製作への情熱を持ち続けていまし
福岡市に水道を敷くこと
し、各家庭に届けました。
市営の井戸から水を購入
りは東公園に設けられた
職 業 が あ り ま し た。 水 売
ま で、 水 売 り と 呼 ば れ る
と し て 名 所・ 都 市 観 光 が
なるとともに、レジャー
大 正・ 昭 和 の 日 本 で
は、長距離移動が簡単に
たのです。
れた市郊外の観光地だっ
バス路線によって開拓さ
せんでした。油山観光は、
通機関はバスしかありま
馬力
型8気
筒の水冷エンジンを製作しています。
8気筒の空冷エンジン、
た。大正時代の終わりには、8馬力
福岡の発展と観光
は、 明 治
年
さ れ て い ま し た。 計 画 が
年代から計画
動きだしたのは明治
流行しました。昭和時代
)
、
アロー号が完成した大正 年( 1916
福岡では大正天皇が臨席する陸軍の特別
) か ら で、 大 正
1909
に 入 っ た 福 岡 で は、 昭 和
年( 1930
)に名島水
上 飛 行 場 が、 昭 和 年
年代にバス事業者
1920
が 増 加 し、 そ の 後 整 理・
生 み ま し た。 福 岡 県 で は
ス( 乗 合 自 動 車 ) 事 業 を
シ ー 事 業 だ け で な く、 バ
大 正・ 昭 和 時 代 の 自 動
車 の 開 発・ 普 及 は、 タ ク
んで持ち運べる観光地図
た。 福 岡 で も、 折 り た た
り、 空 路・ 海 路 の 長 距 離
一次工事が完了してお
た、博多港修築計画も第
次 い で 作 ら れ ま し た。 ま
通水を開始します。
が 完 成 し、 市 内 全 域 へ の
年( 1923
)に室見川上流
まがり ぶ ち
の曲淵ダムと平尾浄水場
(
大演習が開催されています。福岡には4
個師団(約5万人)が滞在するとともに、
演習の観覧客も多く訪れました。
す
大正・昭和時代は、福岡の都市基盤が
整備された時期でした。福岡市のガスの
が
は明治時代、もっぱらガス灯に用いまし
統 合 が す す み ま し た。 こ
が発行されます。そこで
( 1936
)に福岡第一飛行
場(雁ノ巣飛行場)が相
たが、ストーブやコンロなどガス器具の
れ に と も な い、 鉄 道 や 路
は、福岡市内外の観光名
供 給 は、 明 治 年( 1897
)に博多瓦斯
株式会社によって開始されました。ガス
多様化とともに需要が高まります。博多
面電車が通らない郊
所を網羅し、船舶や電車、
年( 1920
)
、
( 1913
) に 西 部 合 同 瓦 斯 会 社〔 現 西 部
ガス〕となります。大正時代には電力の
需 要 も 増 え ま し た。 大 正
糟屋郡多々良村の名
島〔現 東区名島〕に
ります。
えています。
と が 往 来 す る 様 子 を、 ダ
あぶら や ま
成した「油山遊覧図」
は、 福 岡 市 の 市 街 地
(野島 義敬)
一が改造した仏製自動車」、
(左頁)上段「油山
〔写真〕
(右頁)写真「矢野倖
山の観光名所を紹介した鳥瞰図で
遊覧図」、下段「観光の福岡市」
の南西に位置する油
イナミックな構図でとら
福岡市観光協会が
昭和 年代前半に作
移動手段が充実しまし
年
瓦斯株式会社は、鹿児島、熊本、下関の
外まで観光地として
自 動 車 が 行 き 交 い、 人 び
他各都市のガス会社と合併し、大正
紹介されるようにな
大型の火力発電所
設されました。
(名島発電所)が建
平 野 部 が 多 く、 大
きな河川の少ない福
岡 市 周 辺 は、 水 の 確
保が難しい土地で
す。 当 時、 油 山 の 登 山 口 に 至 る 交
月 博多電気軌道開業
大正2年( 1913
)
3月 中島自動車商会(市内初のタクシー)
開業
大正3年( 1914
)
4月 路面電車循環線(博多駅前―天神町―
大学通―博多駅前)全面開通
大正5年( 1916
)年
8月 アロー号完成
月 陸軍特別大演習
大正9年( 1920
)年
4月 名島発電所発電開始
大正 年( 1923
)
3月 曲淵ダム・平尾浄水場完成
大正 年( 1924
)
4月 九州鉄道 九鉄福岡―久留米間開業
5月 博多湾鉄道汽船、新博多―和白間開通
九州筑肥線)
JR
(現 西日本鉄道貝塚線)
大正 年〔昭和元〕( 1925
)
月 北九州鉄道、東唐津―博多間開通
(のち国有化、現在の
昭和5年( 1930
)
3月 名島水上飛行場完成
昭和 年( 1936
)
3月 博多築港記念大博覧会開催(~5月)
6月 雁ノ巣飛行場(福岡第一飛行場)開場
昭和 年( 1939
)
7月 九州鉄道、福岡―大牟田間が全線開通
西日本鉄道大牟田線)
●年表は「福岡市関係年表」
(『福岡市制施行120 (現
《福岡近代絵巻展実行
周年記念 福岡近代絵巻』
平成 年》収録)をもとに作成しました。
委員会、
21
す。 博 多 部 で は、 明
治中頃から大正時代
10
11
12
V
V
2
13
15
12
5
9
10
11
5
42
12
20
10
11
14
30
【主な展示資料】
一 乗りものとくらし
・駕籠 江戸時代・使用
・人力車
明治時代・使用
大正時代・撮影 撮影者不明
・写真「客待ちの人力 車 」
・博多明治風俗図 辻待ちぐるま 昭和三〇年代製作 祝部至善
・福岡唐津間馬車発着時間并賃金表 明治二三年一一月一日 筑西馬車会社
・九州鉄道線略図 明治一九年一〇月 林田尭春
・九州鉄道汽車乗客貨物便覧 明治二三年一二月二二日 匹田幸賀・編
・ポスター「福博電気 軌 道 株 式 会 社 」
明治四三年 東京印刷株式会社・印刷
・写真「大正時代の必 需 品 ・ 自 転 車 」
大正時代・撮影 撮影者不明
・引札(自転車に乗る 女 学 生 )
明治三六年八月 牛島猪兵衛糸店
・自転車
昭和時代 秀巧舎
・ポスター「サン号自 転 車 」
昭和時代前期 サン号自転車工場
・東京大正博覧会記念写真 大正三年 徳山貫一・発行
・東京大正博覧会之真図 大正三年 橋本弥五郎・画作印行
・アロー号切手 一九七五年 ハンガリー・発行
・写真パネル(矢野倖一所蔵写真) 大正時代~昭和時代
・創立 周年記念 ヤノ・ストーリー 平成六年五月一二日 矢野特殊自動車
周年記念 ヤノ・スピリット 平成二七年三月 矢野特殊自動車
・創立
三 福岡の発展と観光
・絵葉書「大正五年陸軍特別大演習記念」大正五年 発行者不明
・写真「九州劇場」 大正時代・撮影 撮影者不明
・写真「東中洲世界館」 大正二年六月・撮影 撮影者不明
・博多明治風俗図 水売り 昭和三〇年代 祝部至善
・写真「水道開通前の博多の水売車」 大正時代・撮影 撮影者不明
・絵葉書「福岡市上水道」曲淵水源地全景 昭和時代 発行者不明
・絵葉書「福岡市上水道」平尾山浄水構場全景 昭和時代 発行者不明
・絵葉書「福岡市水道工事風景」 昭和時代 発行者不明
・福岡市上水之栞 大正一二年八月二五日 福岡市
・写真「西部合同瓦斯株式会社博多営業所」 大正二年・撮影 撮影者不明
・写真「東中洲を走る大型バス」 昭和一〇年代・撮影 撮影者不明
・博多湾沿岸鉄道沿線鳥瞰図 昭和時代初期 吉田初三郎・画
・博多湾鉄道沿線名勝案内 大正九年六月五日 博多湾鉄道汽船
・絵葉書「九州電灯鉄道株式会社」名島発電所全景 昭和時代 発行者不明
・油山遊覧図 昭和時代 福岡市観光協会
・ポスター「日本航空輸送株式会社」 昭和一〇年代 日本航空輸送株式会社
・写真「自動車に乗っ た 3 人 娘 」
大正時代・撮影 撮影者不明
・ノリモノスゴロク 大正一 年
1 一月一日 東京社・発行
・ダット自動車製造株式会社カタログ 昭和時代前期 豊国自動車株式会社
・福岡市と其の近郊遊覧地案内
昭和七年頃
福岡市観光協会
・観光の福岡市 昭和一〇年頃 前田虹映・画
・紀元2600年九州観光図絵 昭和一五年 日本観光連盟九州支部
・写真「博多で市販さ れ た 最 初 の 小 型 自 動 車 」
大正時代・撮影 撮影者不明
・福岡博多遊覧自動車案内記 昭和時代 福岡市・発行
60 40
二 アロー号誕生
・アロー号 大正五年 矢野倖一・製作
・機械遺産登録証
平成二一年 日本機械学会
・表彰状(矢野倖一殿 )
二〇一一年一二月五日 日本自動車殿堂
・空中飛行機研究家八頭良一氏 明治四〇年 多加羅生・筆
・賞状(飛行機模型 甲賞)
明治四五年四月三〇日 福岡日日新聞社
・博多灯台反射鏡(復 元 )
明治時代 櫛田神社/原蔵
8エンジン(40 5
・写真「フランス製自 動 車 の 改 造 」
明治四五年・撮影 撮影者不明
・絵葉書「福岡工業学 校 校 舎 」
明治四三年
福岡県協賛会・発行
・絵葉書「九州帝国大 学 工 科 大 学 本 館 」 大 正 時 代 ~ 昭 和 時 代
発行者不明
)
大正一三年・製造 矢野倖一・製作
・
cc cc
・ 8エンジン(62 0 )
大正一四年・製造 矢野倖一・製作
・図面(小型自動車機 関 部 分 品 )
大正一三年八月 矢野オート工場
・図面(小型自動車八 汽 筒 シ リ ン ダ ー )
大正一三年八月 矢野オート工場
V V
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