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きもの・しきたりと着こなし展
きもの・しきたりと着こなし展 “ きものを、美しく着こなすために 開 催 要 ” 項 財団法人美枝きもの資料館 理事長 1. 開催趣旨 上田裕子 日本の民族衣装であるきものには、きものを美しく着こなすための大切な約束事があります。 時候や場に応じた「装い」があります。日本の文化のひとつの伝統衣裳を、現代の方々は基より 後世の方々にも、正しく伝えていく事は大変大事な事であります。一度約束事を身につけてしま えば、あとはきものと帯と小物の組み合わせ次第で、幅広い着かたを楽しむことが出来ます。 今回は、資料館名誉館長で、染織家の木村孝先生の監修のもと、きものを美しく着こなすための 基本的な約束事にスポットをあて、約束事のもつ意味や、時候や場に応じて装いがかわっていく 事を、広く皆様方にご紹介したく、企画させていただきました。是非多くの方々のご来館を期待 申し上げますので、ご案内させて頂きます。 2. 会 場 財団法人 美枝きもの資料館 山梨県南巨摩郡身延町三澤 116 電話 0556(37)0003 3. 会 期 平成 23 年 3 月 10 日(木)から平成 23 年 12 月 18 日(日)まで ※9 月 11 日(日)~9 月 30 日(金)、休館となります。 4. 開館時間 午前 10 時から午後 4 時まで 5. ※毎週月曜日休館日 監 修 美枝きもの資料館名誉館長、染織家 木村 孝 主 催 財団法人 美枝きもの資料館 協 賛 株式会社 上田嘉一朗商店 【展示概要】 ①「ころもがえ」について きものには昔からの「ころもがえ(更衣) 」のしきたりがあります。時候や、着る人が住む風土に合わせて 好きなものを着てよい時代なのですが、ころもがえは、ひとつのけじめです。普段着は自由でも、すこし改ま ったときや、社交の場では、時と場に応じた装いをします。 a.6月「単衣」 ・・・単衣の生地は袷に使うのと同じですが、裏をつけない、やや夏めいた色、柄になります。 b.7月・8月「薄物」 ・・・絽や紗を染めたものや、紋紗、上布(麻) 、夏大島など透けるものを着ます。 c.9月「単衣」 ・・・6月と同じように単衣のきものになります。 d.10 月~5月「袷」 ・・・10 月1日から翌年 5 月まで袷仕立てを着るのが、一般的習慣になります。 このコーナーでは、年間を通じた「ころもがえ」の装いをご紹介いたします。 ②場に応じた「装い」について いま、きものを着る機会が多いのは、冠婚葬祭やお祝い事、またはお茶会でしょう。冠婚葬祭の、特に婚と葬 に着る、礼を尽くして五つ紋を付けたきものを「第一礼装」といいます。 「第一礼装」 祝儀の黒留袖や色留袖、不祝儀では五つ紋付きの喪服をさします。いずれも半衿・長襦袢は白、 留袖の小物(帯揚げ・帯締め)は白、喪服は黒の小物を用います。 「準礼装(略礼装) 」 いちばん応用の広い装いで、パーティ向きの華やかな装いは「盛装」になります。三つ紋や一つ紋の色無地、 一つ紋を付けた訪問着や付下げなど、パーティであれば季節に合わせて絵羽模様を、お茶会には茶人好みの 文様をつけたものを着るなど、準礼装は多種多様です。 「振袖(お嬢様の第一礼装) 」 華のある時期しか着ることができない振袖です。最近の振袖には、手描き友禅、型友禅、手描きと型の併用とい った種類があり、長い袖の晴着としての格は変わりませんが、模様のもつ格調というものがあります。 本格的な上品な古典模様、作家ものの紅型、モダンな洋服地のような色柄と、それぞれ格が違うことになります。 とくにお茶会の初釜などには、あまりモダンすぎるものは、場違いな感じになりやすいので注意が必要です。 このコーナーでは、華やかな「振袖」の装いにスポットをあて、ご紹介致します。 「喪服と準喪服」 留袖と振袖がおめでたい席の礼装であれば、その反対の不祝儀の礼装が喪服です。昔の人の心がけとして、 あわてて仕立てる事のないように、嫁入り道具のひとつとして用意したものでした。喪服の場合、一周忌の喪主 の他は黒ずくめの喪服を着ることはありません。かえって準喪服の方が、様々な機会で用いる事ができます。 準喪服の場合、紋は三つか一つ紋で、地紋のある生地の無地、色は濃い紫、納戸(緑がかった青) 、鉄納戸 (青みがかったグレー) 、落葉色、鈍色(にびいろ)などが準喪服の色です。また、一つ紋付き色無地のきもの で、吉凶両用に使いたいというのは、まだ若い人の場合にはそれでも良いですが、中年の方は、ゆとりとして 準喪服の色を選びたいものです。このコーナーでは特に「準喪服」の装いにスポットをあて、ご紹介いたします。 「訪問着と付下げ」 訪問着は礼装の次の着物で、紋が付いていなくても、準礼装や社交着としてお慶びなどの華やいだ席に着ること ができます。お正月の晴着に、新春のお抹茶会に、またはパーティやお招ばれなどにも訪問着を着ます。縫目 のところに模様がつづいているのを「絵羽模様」とよびますが、訪問着はその絵羽になっていて、胸、肩、袖 と裾のほうに模様のある華やかなきものです。 他方、付下げというのは、訪問着のように仮縫いしていないきものをさします。つまり、付下げは、訪問着と 同じように上前の衽(上身頃の打合せ側にある半幅の部分。 )の模様が絵羽のようにぴったり合いますが、実は 絵羽物のように袖や身頃などは切らずに、反物のままで模様を染めてあります。付下げは白生地のときから鋏を 入れず、模様が全部上を向くように方向を考え、下絵を描きます。最近、上前の模様だけでなく脇まで模様のつ づいている付下げがありますが、ふつう付下げの特徴は、脇の寸法が自由になるように、脇の模様がつづいてい ないものです。若い人のものは標準寸法でもよいのですが、中年のものは身幅にゆとりがいるからです。 訪問着でも付下げでも、手描き友禅の場合は、染に相当手間がかかりますが、付下げですと染め以外の、下絵羽、 仮絵羽などの工程の手間が省けますので、かなり経済的にできることになります。このことが、付下げが好まれ ているのです。社交着として着つけてしまいますと、訪問着でも付下げでも、それほど変わりはありません。 きものは模様装飾を主とする服装ですから、要はその模様や配色に品格があるかどうかです。訪問着でも軽い しゃれ着用のものもあり、付下げでも高級なものもあります。生地は一越縮緬や綸子、地紋を織りだした紋意 匠縮緬などだけでなく、近頃、絵羽模様に染めた紬の訪問着、または付下げ風御召があります。こういうきもの なら、雰囲気に合わせて帯も自由に選べます。かなり年齢の幅もありますから、趣味の集まりや、展覧会、音楽 会、発表会、観劇などに、社交用としても楽しめます。このコーナーでは、様々な訪問着と付下げの装いをご紹 介致します。 参照・参考・引用 文献 木村 孝著 きものしきたりと着こなし(淡交社)より 【1F・2F 展示作品資料】 赤朱子地雲に鶴の丸模様刺繍打掛 【昭和時代】 昭和の初め、戦争に突入する前の国力の充実した時代を思わせるような豪華な花 嫁衣装の打掛である。赤地に金の雲に華やかな色糸で刺繍された鶴の丸である が、鶴の姿も丸の中に閉じ込められたような型にはまったものでなく、二羽が互 いにもつれ合って、今にも飛び出しそうな生き生きとした中に、明治、大正を経 て到達した近代性が看取される。 【身丈 182.4cm 袖丈 119.7 ㎝ ゆき 66.8cm】 鼠地鼓の瀧模様振袖 【江戸時代】 江戸時代後期の武家の小袖、模様は古い能の「鼓の瀧」に取材したもの。山の桜 の様を見て来るようにという王の命で山へ分け入った家臣が、摂津の国鼓の瀧で 杣人の老人(山神)に会うという物語。小袖の模様には屢々用いられている。 【身丈 169.1cm 袖丈 101.5 ㎝ ゆき 63.1cm】 財団法人 美枝きもの資料館 紅縮緬地暈し上げ松竹檜扇模様振袖 【昭和時代】 紅地を裾から上へぼかし上げ、竹の間に図案化された松と檜扇が散らしてある。 松の模様の中に桜、菊、紅葉などと共に梅の花が表されており、模様としては松 竹梅に扇というめでたい意味を表したものであろう。まだこうした吉祥模様の型 にこだわって、これを自由に模様として使いこなすまでに至っていないところか ら、恐らく昭和も大正に近い初期のものではないであろうか。 【身丈 161.1cm 袖丈 108.3 ㎝ ゆき 61.9cm】 緑縮緬地水に竹四季の草花模様中振袖 【大正時代】 若竹色地を腰のあたりでぼかし染めにして、裾から両褄にかけて模様の入った大 きな竹の葉に水に四季の花を染め出す。江戸褄から始まって裾の模様の丈が段々 高くなって来ると、次第に式服としての域を脱して、派手な外出着となり、大正 の始め頃から訪問服―今日の訪問着―と呼ばれるようになる。この中振袖はこう した間に出来た訪問服で、明治の終わりから大正初期頃のものであろうか。 【身丈 163.4cm 袖丈 64.0 ㎝ ゆき 62.7cm】 薄黄縮緬地盛花模様中振袖 【昭和時代】 【東京田無市 遠藤はる代様寄贈】 昭和 12 年にデパートで購入されたものという。昭和 12 年といえば陸軍皇道派の 青年将校によって二・二六事件のクーデターが行われた翌年に当たり、この年 7 月には蘆溝橋事件を発端として日中戦争が始まっている。そしてやがて世を挙げ て戦争色に彩られて行く。昭和初期の華やかな服飾界最後のきものといってもい いであろう。色使いにはさすがに地味なところがみられるが、模様には昭和時代 の洗練された創作性が窺われる。 【身丈 152.0cm 袖丈 67.6 ㎝ ゆき 61.9cm】 黒絽縮緬地流水蛇籠に鷺模様留袖 【昭和時代】 【東京都豊島区 徳川正子様 寄贈】 典型的な裾模様の黒留袖である。流水に蛇籠、それに群れ飛ぶ鷺、題材としても 模様の構成としても伝統的な型に則ったものであるが、蛇籠の中に置かれた撫 子、石を表したかと思われる多色な丸文、さまざまな姿態の鷺の一つ一つの羽の 派手やかな色使いなどを見ると、そこには伝統を踏まえながら新しい時代の模様 への創意が感じられる。明治から大正を飛び越して、昭和時代の優れた作柄のも のと思われる。 【身丈 157.7cm 袖丈 53.2 ㎝ ゆき 63.8cm】 財団法人 美枝きもの資料館 黒地雲枝垂桜に蘆間舟模様かいどり 【大正時代】 おも 御所で用いられたもの。こうした刺繍入りのものは重きもの(格の高いもの)と 称したという。なおこの様な黒茶地のものは御所では「けんぼう」(憲法染)ま たは「吉岡染」といわれた。 【身丈 167.2cm 袖丈 43.7 ㎝ ゆき 60.4cm】 黒地吉祥模様唐織腰巻(復元模造) 原品は江戸時代後期 江戸時代後期、大名家で奥方や姫君が夏の礼装用に用いた腰巻。黒地に細かい吉 祥模様が一面に繡い出されている。腰巻というのは、下に帷子を着た上へ、掛下 帯という細かい帯を締めて、その上へ肌を脱いだような形で腰に纏って着たので この名がある。この腰巻は、原品に模して唐織で織りあげたものである。 【身丈 167.2 ㎝ 袖丈 47.1 ㎝ ゆき 64.2 ㎝】 よそ行き 【大正時代】 【着物 長野県諏訪郡原村 林 賢義氏 寄贈】 白地に織った手織紬を染めたものです。若いお嫁さんが秋の祭りなどで実家に帰 る時などの様子。帯は塩瀬と博多の腹合わせ。帯留はサンゴです。 【身丈 141.0cm 袖丈 59.0 ㎝ ゆき 61.5cm】 よそ行き 【大正時代】 【着物 長野県】 よそ行き着といっても、これは若い娘さんが村の集いなどに行く時の様子。手織 紬。帯は繻子と綸子の腹合わせ、前掛けは絹です。 【身丈 140.0cm 袖丈 43.0 ㎝ ゆき 61.0cm】 財団法人 美枝きもの資料館 ふだん着(山梨県) 【大正時代】 ふだん着といっても、これはお正月などに着た手織木綿の着物です。衿を汚さな いように衿カバーをしています。この衿カバーは市販されていたもので、多くの 色が揃っていました。これを変えることでおしゃれ心を満たしたものです。羽織 は当時流行の大正絣(ニコニコ絣)です。大正絣は、はじめに無地に織り上げた ものを絣柄を抜染して作り、抜染したあと写し染め加工して織り絣風な味を出し たものです。帯は壁織の名古屋帯。 【着物】身丈 133.5cm 【羽織】身丈 102.0 ㎝ 袖丈 56.0 ㎝ 袖丈 42.0 ㎝ ゆき 61.0cm ゆき 62.0 ㎝ 緑地花車唐子模様訪問着 京都久邇宮家御紋付の訪問着。 【身丈 159.0 ㎝ 袖丈 52.5 ㎝ ゆき 62.5 ㎝】 黒地松竹梅模様振袖 【昭和時代】 京都久邇宮家 5 つ御紋付の振袖。14 の菊の花弁の真ん中に梅の 5 つ紋付き。 裏は紅絹で、袖口、裾にふき綿あり。 【身丈 158.0 ㎝ 袖丈 97.0 ㎝ ゆき 63.5 ㎝】 黄色地単衣菖蒲模様訪問着 【昭和時代】 閑院宮様の御紋付き。絞りと刺繍。 【身丈 147.0 ㎝ 袖丈 49.0 ㎝ ゆき 62.5 ㎝】 閑院宮(かんいんのみや)は、四世襲親王家の一つで、江戸時代中期に東山天皇 の皇子、直仁親王が創設した宮家。閑院宮の宮号は平安時代の清和天皇の皇子で ある貞元親王が閑院を号したことに由来するといわれているが、明確ではない。 2 代直仁親王の王子祐宮が後桃園天皇の崩御に伴い践祚しているため、現在の皇 室は閑院宮系である。 財団法人 美枝きもの資料館