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ドンパチ農園オーナーの セラシン親子と カフェ
【特別対談】トーク・アバウト・スペシャルティコーヒー セラシン 田口さんが、最初に パナマに来られた時に、車でい 始めてお会いしたのは4年ほど あいのように思われていますが、 セ ラシン カフェ・バッハの田口 さんとはだいぶ昔からのおつき たまたまゲイシャが1袋キャン さいということでした。 その時、 初はティピカ種を扱わせてくだ れ 以 来のおつき あいで す。 最 パナマのゲイシャを通して 〝心と心〟が結ばれる 前です。 実 際の年 数はそれほ ろいろな場 所に案 内しました。 ど経っていませんが、自 分の気 を購入していただいたのが最初 セルになったものがあって、それ 大 使 館のマルティス大 使に紹 介 田口 2007年のSCAJの 時に来日されて、パナマ共和国 あいさせていただいています。 うか、家族という感じでおつき いる感じです。一緒の仲 間 とい からおつきあいさせていただいて す。 そして、それ以 上に素 晴 を備えたコーヒーであることで り ます。 それは、優れた特 性 ャにこだ わるのには 理 由 が あ も、私がドンパチ農園のゲイシ 田口 ゲイシャは他のパナマの 農 園でも 栽 培 していま す。 で だと記憶しています。 たいへん熱心に視察されて、そ 持ちの中ではも う 何 十 年 も 前 されて初めてお会いしました。 らしいと 思ったのは、セラシン ドンパチ農園オーナーの セラシン親子と カフェ・バッハ田口 護が交わす 「パナマコーヒーの楽しみ」 「ゲイシャの楽しみ」 マに最初にゲイシャを持ち込んだ農園主として知られる。「 SCAJ2010 」 の開催に合わせて来日したフランシスコ・セラシン親子と、自家焙煎コー その後、2008年の1月に、 さん親子のゲイシャに対する深 い る。 ド ン パ チ 農 園 の オ ー ナ ー・ フ ラ ン シ ス コ・ セ ラ シ ン 氏 は、 パ ナ パナマの「ゲイシャ」がスペシャルティコーヒーの世界で注目を集めて ヒーの名店として知られるカフェ・バッハの店主・田口護氏が、パナマ・ ろいろ親 身になって案 内してく パナマの産 地を訪れた際に、い ゲイシャについて語り合った。(本文中、敬称略) は、セラシンさんのお父さんで ナマにゲイシャを持ち込んだの した。 その後、お 父 さんにも シャを根づかせました。 そのノ した。コスタリカから種 を 譲っ か入手することが難しかったの ウハウを他の農園におしげもな お 会いして親 交 を 深めてき ま ですが、2009年から扱わせ く提供し、それが今日のパナマ した。ドンパチのゲイシャはたい ていただいていま す。 2010 のゲイシャの隆盛につながってき しながら苦労してパナマにゲイ 年は、ドンパチ農園の収穫量の てもらい、試 行 錯 誤 を 繰 り 返 半分をバッハグループでいただく ようになりました。 ています。「パナマ ゲイシャの 父」と言われるのもそのためで へん希 少 価 値 が あ り、なかな れたのが息 子のセラシンさんで い思いでした。 じつは最 初にパ 写真左からフランシスコ・セラシン氏、田口護氏、 フランシスコ・セラシン 。 Jr. 082 れました。 な思いに、たいへん心 を 動かさ を根づかせたいというおおらか す。 そうしたパナマにゲイシャ に育ってほしいと願うものです。 と同じです。 親は子 供が元 気 セラシン コーヒーの木を育て るのは、 親 が 子 供 を 育てるの いでしょうか。 点ということができるのではな まさにパナマのゲイシャの出 発 があるからです。 その意味で、 あります。 およそ ヘクタール 1450~1500メートルに ま す。 ドンパチ農 園 は、 標 高 園 は、ボケテという 町にあ り ることができます。 ドンパチ農 ルー火 山の周 辺3地 域に分 け ボルカン、レナシミエントと、バ 隣 国コスタリカに近いボケテと 林です。コーヒーの産地は、西 燥しています。 風通しがよく、 ンベッド( 棚 干し) を 使って乾 います。 精製のためにアフリカ ますが、すべてを厳しく行って も、いろいろなプロセスがあ り 実をとっていきます。 豆の精製 ものだけを、人の手で1つずつ 収 穫の時は、完 璧に熟 成した ありますが、その中の0・5ヘク 行っています。 られます。こうした努力を日々 均一で高 品 質のコーヒー豆が得 じように、自分のコーヒーの木 タールでゲイシャを 栽 培してい 1963年にパナマに ゲイシャを持ち込む! 親が子 供に手 をかけるのと同 セ ラシン パナマにゲイシャの 苗木を持ち込んだのは、いまか を育てています。 あると考えていましたが、決し ㎏ だけ を、そして別の そんな気持ちがあって、始めは んと売らなかったら失礼になる。 田口 そんなセラシンさんの思 いがこもったコーヒーを、き ち もあります。 土地柄や風土に もコーヒーの風 味があって個 性 田口 ドンパチのゲイシャはボ ディがしっかり していて、しか バッハで焙煎前と後に行っている 例えば、 出荷する前には、 カフェ ・ しいという要望をだしています。 とです。 ある程 度の適 応 力は て自信があったわけではありま 1袋 ます。 ら 年以上前の1963年のこ せん。コーヒーの苗床を作って、 田口 精 製から選 別 まで、カ フェ・バッハからも、こうしてほ 1本 ずつ植 えて、 木 を 育てて 30 コーヒー豆が穫れるようになる て、自 分の農 園で試してみる。 る。いろいろな苗 木 を 持ってき あえば、木そのものがダメにな の繰 り 返しでした。 病 虫 害に いくといったような地道な作業 年は 袋譲ってもらうことにな てくれないかということで、今 たいへんよく、ぜひもっと分 け 売 り ました。 お客 様の評 判は 袋 を 確 保 してバッハグループで ルートでも う1袋と、やっと2 高 が1450メートル以 上で、 ドンパチ農 園はあ り ま す。 標 作 りだすのに理 想 的な場 所に にゲイシャ特 有の繊 細 な 味 を てくると言われま すが、まさ よってコーヒーの味が大きく違っ また人件費等のコストもかかり 質なコーヒーには手がかかるし、 を行っています。このように良 人の女工さんを使ってその作業 しいと。 ドンパチ農園では、 よ う なハンドピックを 行って 欲 うな雲霧林の地形にあります。 海の湿 気 を 含んだ風が吹 くよ の人 た ちには、 生 産 地の人 た ま す。コーヒーを 飲 む 消 費 国 ちのそ うした地 道な仕 事 をよ 年 間 安 定 してゲイシャを 提 供 く理解していただき、支援して っていま す。 これによって、1 することが可能になりました。 セラシン 地 形の良さも あ り ま す が、 少 しで も よいものを ヒーを通してお互いに助け合い、 産国と消費国の人たちが、コー よりよい世 界が広がっていくこ いただけ たらと 思いま す。 生 ま す。 例 えば、土の中に適 切 とができればこれほど素晴らし 生産するために、多岐にわたっ たものが収穫できるには、5年 く らいかかり ました。 そ うし て現 在のドンパチ農 園のゲイシ ャを育ててきました。 な肥料をいれたり、葉っぱに肥 いことはないと思います。 標高1450m以上の 雲霧林の地形で栽培 料 を かけ るな ど、 赤 ちゃんを 田口 アメリカではドンパチ農 園のゲイシャを 「オリジナルゲ 育てるように手をかけています。 イシャ」 として販売しています。 セ ラシン パナマは 北 米 と 南 米を結ぶ中米(中央アメリカ) て細 かな 仕 事 を 大 切にしてい には3年くらい、さらに安定し 25 にあって、全土の %以上が森 083 60 12 オリジナルとつけているのは、こ 取材・文 相和晴 40 れまでお話 をしたような経 緯 50 ドンパチ農園のオーナー フラン シスコ・セラシン親子。父のフラ ンシスコ・セラシン氏は、40 年以 上前に始めてパナマにゲイシャを 持ち込んだ草分けで「パナマ ゲ イシャの父」と言われている。農 園はパナマのボケテにある。標高 1450 ~ 1500 メートル、30 ヘク タールの中の 0.5 ヘクタールでゲ イシャを栽培している。 http://www.donpachi-estate.com/ カフェ・バッハ店主 田口 護(たぐち・まもる) 1968年にカフェ・バッハを開店。 1978 年以来、数度にわたって欧米 コーヒー消費国を視察。コーヒー生 産国の調査、取材は 40 カ国に及ぶ。 そのうち数カ国では、コーヒー農園 を指導する。現在、日本スペシャル ティコーヒー協会副会長兼トレーニ ング委員会委員長としてスペシャル ティコーヒーの普及に努めている。 http://www.bach-kaffee.co.jp/