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日本学生の対に と周恩来観

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日本学生の対に と周恩来観
日本学生 の対 中観 と周恩来観(川 崎)145
日本 学生 の対 中観 と周恩来観
一 創 価 大 学 生 へ の意 識 調 査 を事例 と して
川 崎 高 志
1.は
じめ に
II.日
本 学 生 の対 中観 につ い て
III.対 中 観 形 成 の 要 因 に つ い て
IV.創
価 大 学 生 の周 恩来 観
V.お
わ りに
1.は
じ め に
本 稿 は、 今 春 中 国 天津 の 南 開 大 学 に て開 催 され る 「
第 三期 周 恩 来研 究 国 際
学 会 」 に お け る報 告 の た め に、研 究 ノー ト と して ま とめ た原 稿 で あ る。
そ の 内容 は、 まず最 近 の 日本 学 生 の対 中観 に つ い て、 日 中青 年 の相 互 意 識
の 比較 調 査 に基 づ き、 筆 者 の 勤務 す る創価 大 学 の学 生 に対 して 、1998年 か ら
2007年 まで の10年 間 にわ た って 継 続 調 査 を行 っ た結 果 を も とに検 討 を試 み る
もの で あ る。 今 回 は紙 面 の 関係 か ら調 査 を開 始 した1998年 、2002年 、2007年
の3回
を 中心 に分 析 して い く。
その 上 で 、創 価 大 学 と中 国 の 関係 性 をふ ま え、 筆 者 が 担 当 して きた 「
周恩
来 研 究 演 習 」 に お け る、 学 生 た ちの 周 恩 来 観 につ い て詳 述 す る。
146
II.日 本 学 生 の 対 中 観 に つ い て
は じ め に 本 学 の 学 生 に 対 す る 調 査 を 開 始 し た 当 時 を 振 り返 る と、 日本 は
「
平 成 」時 代 に な っ た80年 代 末 か ら次 々 と政 権 与 党 と内 閣 が 交 代 し、1998年
は
橋 本 龍 太 郎 を 首 相 とす る連 立 政 権 で あ っ た 。 一一
方 の 中 国 は、 江 沢 民 国家 主 席
の 下 、 前 年 に 郵 小 平 氏 が な くな り、 香 港 が 返 還 さ れ た 頃 で あ っ た 。
98年 の 日本 の 総 理 府(当
時)に
よ る世 論 調 査 で は、 中 国 に
「親 し み を 感 じ
る 」比 率 と、 「
親 しみ を感 じ な い 」比 率 が と も に48.4%と
拮 抗 して い た 。 しか
し20代 青 年 の 親 近 感 で は 「
親 しみ を 感 じ な い 」が53.7%で
、 「
親 しみ を感 じ る 」
44%を
大 き く引 き離 して い た の で あ る。
同 様 に 日 中 両 国 関 係 に っ い て も、 「
良 好 だ と思 う」 が45.2%、
わ な い 」 が45.7%と
「良 好 だ と思
逆 転 傾 向 が そ の 後 も続 い て い っ た 。
筆 者 は こ の よ うな 世 論 調 査 の 状 況 を ふ ま え て 、 勤 務 校 に お い て 講 義 を 担 当
す る学 生 に 対 して 、 総 理 府 調 査 お よ び そ の 他 の 調 査 項 目 を 参 考 に して 、 ア ン
ケ ー ト調 査 を お こな っ た 。 そ れ で は 調 査 結 果 を 順 に見 て い く こ とに す る。
まず ア ン ケ ー トの 第1設
設 問 に つ い て は、1998年
問
「あ な た は 中 国 に 親 しみ を 感 じ ま す か 」 とい う
の 調 査 で は、 「
親 しみ を 感 じ る 」 が29.7%、
か とい う と親 し み を 感 じ る 」 が46.7%、
二 つ を 合 わ せ る と77.0%が
感 じ て い る 。 これ は 、 同 年 の 総 理 府 世 論 調 査 の 、 全 体 の 数 値48.4%や
の 数 値44%と
2002年
0貫
親 しみ を
、20代
比 べ る と、 際 だ っ て 高 い 数 値 で あ る 。
反 対 に 「ど ち らか とい う と親 しみ を 感 じ な い 」 は13.0%、
い 」は0%で
「ど ち ら
「
親 しみ を 感 じな
、 総 理 府 の 調 査 結 果 を 大 き く下 回 っ て い る。 こ の よ う な傾 向 は 、
調 査 の 前 者 計80.1%、
後 者 計16.3%や
、2007年
調 査 の92.8%、7.2%と
して み られ る特 徴 で あ る 。
次 の 第2設
い て 、1998年
問
「
現 在 の 日 中 関 係 に つ い て 良 好 と思 うか 、 思 わ な い か 」 に っ
で は
「良 好 だ と思 う」20.6%、
「良 好 だ と思 わ な い 」20.7%と
、
日本学生 の対 中観 と周恩来観(川 崎)147
総 理 府 の世 論 調 査 の結 果 と数 値 は異 な るが 、 両 者 の比 率 は比 率 が ほぼ 同 レベ
ル で あ った 。
と こ ろが2002年 の調 査 で は 前 者 が33.6%、
した が、2007年 に は 前 者 が14.3%、
後 者 が12.1%と
後 者 が42.8%と
状況認 識が好 転
大 き く悪 化 して い る。 こ
れ らの 変化 の主 な要 因 と して は、 小 泉 政権 下 で の靖 国参 拝 報 道 な ど、 日中関
係 の時 事 問題 とそ れ に関 す る報 道 が 、 両 国 の 関係 の 良不 良 にた いす る認 識 に
影 響 を与 え て い る と考 え られ る。
こ こか ら推 測 で き る こ とは、 創 価 大 学 生 は 中 国 に対 して は とて も親 近 感 を
もち なが ら、両 国 関係 の現 状 にっ い て は、 世 論 と同 じよ うに冷 静 、 また は客
観 的 に み て い る とい え る。
第3設
問 は、 過 去 に 中 国上 海 の復 旦大 学 で 行 わ れ た 調 査 の質 問 を参 考 に し
て、 「
今 後 の 日中 関係 につ い て よい方 向 に 向か うか 、悪 い 方 向 へ 向か うか 」を
質 問 した もの で あ る。 これ に よれ ば 、創 価 大 学 の学 生 は 中 国 の学 生 と同様 、
「よい方 向 に 向 か う」 と答 え た者 が98年70 .6%、02年69.3%、07年50%と
過半
数 を 占 めて お り、 将 来 の両 国 関係 につ いて は一・
貫 して前 向 きな期 待 感 を有 し
て い る と考 え られ る。
第4設
問 につ い て は、 中 国 で の ア ン ケー ト調 査 の項 目を参 考 に、 日中 関 係
の 障 害 につ い て8項
目、 「日本 の歴 史 認 識 」「
国 民 意 識 の違 い」「
靖 国神 社 参 拝
問題 」 「日米 安 保 」 「
国家 体 制 の違 い 」 「
イ デ オ ロ ギー の違 い」 「
文化 の 違 い」
の 中か ら=複数 回答 で選 ん で も らった 。
そ れ ぞ れ の年 の 上 位3項
目は、98年 が 「
歴史認識 」「
国民意識」「
靖 国 参 拝 」、
02年 が 「
歴史認識」 「
靖国参拝」 「
国 民 意 識 」 とな っ て お り、07年 が 「
靖国参
拝 」 と 「国民 意 識 」 が 同率 、 次 い で
「
歴 史 認 識 」 とな っ て い る。
148
III.対
中観形 成 の要 因 につ い て
で は なぜ この よ うな調 査 結 果 が み られ た の か 、 学生 の コメ ン トか らみ て い
き た い。
本 年 の調 査 で は、 「
あ な た の 中 国観 を形 成 す る上 で 、 影 響 受 けた メ デ ィ ア、
人 物 にっ い て」 とい う質 問 を設 けて 記 載 式 で 答 え て貰 った と ころ、 明 記 さ れ
た回答 に よる と 「
新 聞 ・テ レ ビ」 な どの マ ス ・メ デ ィ ア を あ げた の が22.8%に
対 し、 「
創 立 者 」の ス ピー チ や著 作 か ら影 響 を受 けた ものが51.9%と
えて い る。 さ らに お よそ3割
半 数 を超
の学 生 が 、 「
周 恩来 総 理 と夫 人 の郵 穎 超 女 史 」を
あ げて い るの で あ る。
朝 日新 聞 の 意 識 調 査 に よれ ば 、 日本 人 は中 国 に 関す る情 報 の約8割
ビの ニ ュー ス な どか ら入 手 し、 新 聞 や雑 誌 か らが 約4割
をテ レ
とな っ て お り、 これ
らか ら もた らされ る情 報 に よっ て、 対 中観 を形 成 して い る とお もわ れ る。
これ に対 して創 価 大 学 生 は、 上 述 した創 立者 池 田大 作 氏 と周 恩 来 総 理 との
会 見 と、周 総 理 亡 き後 の郵 穎 超 夫 人 や 四世 代 の 指 導者 ら との交 流 の歴 史 につ
い て、 多 くの学 生 が 直接 創 立 者 の ス ピー チ や 、 著 作 か ら学 んで お り、 そ れ に
よっ て 自然 と親 しみ と理 解 を抱 くよ う にな っ て い る こ とは、 調 査 結 果 か ら も
明 らか とな った 。
さ らに、 学 生 に向 けた 創 立 者 の ス ピー チ で周 恩来 総 理 、郵 穎 超 女 史 に言 及
す るの は枚 挙 にい とまが な い。
創 価 学 会 の機 関誌 「
聖 教 新 聞 」は500万 部 以 上 の読 者 数 を持 つ が 、1968年 か
ら2003年 まで の35年 間 で 、 池 田氏 が 周 総 理 に つ い て 語 った 講 演 ・ス ピー チ の
記 事 数 は157件 、 中国 の要 人 な どの会 見 や 対 談 の 席 上 で 周 総 理 につ い て 言 及
され た記 事 は133件 に も上 っ て い る。
そ して これ まで聖 教 新 聞 に取 り上 げ られ た 中 国 の人 物 の 中で 、 最 も多 い 回
数 は周 恩来 総 理 の約700回 と断 然 トッ プで 、 二 番 目が郵 穎 超 女 史 の162回 、 以
日本学生 の対 中観 と周 恩来観(川 崎)149
下 魯 迅 、 孫 文 とな っ て い る。(注
興津正信 「
第3回
日中学 生 フ ォ ー ラ ム」報
告 に よ る分 析 デ ー タ)
1998年 に は南 開大 学 の候 前 学 長 が 自 ら池 田大 作 氏 に名 誉 教 授 の称 号 を授 与
され 、 池 田氏 の謝 辞 で 周 恩来 総 理 との歴 史 的 会 見 や、 周 総 理 の 生 涯 につ い て
詳 細 に語 り、 そ の 内容 は聖教 新 聞 紙 上 で 全 文 紹 介 され た 。1999年 に は南 開 大
学 周 恩 来 研 究 セ ン ター 王 永祥 主 任 ら訪 問 団 の質 問 に答 え るか た ちで 、 イ ン タ
ビ ュー記 事 が 聖 教紙 上 で5回
に わ た り連 載 され た 。 この 内容 は そ の後 中 国 と
日本 で 出版 され た 『周 恩 来 と池 田大 作 』 に転 載 され 、 両 国 の読 者 に広 く紹 介
され た 。
さ らに創価 女 子 短 期 大 学 に お け る特 別 文化 講 座 で は、 女 性 リー ダー の あ る
べ き心構 え として、 郵 穎 超 女 史 が 日中 戦 争 の さ なか に 中 国 の女 子 学生 に語 っ
た、 「
皆 さん こそ 『
夜 明 けの鐘 』で あ ります 。 皆 さん こそ 『黎 明 の旭 日』で あ
ります 」 との言 葉 を紹 介 す る と と もに。 さ らに女 史 が若 き女性 に対 して 示 し
た 、6項
目の リー ダ ー の あ り方 を紹 介 した 。 す な わ ち 「
革 命 の 理 想 を守 り抜
け」 「
勇 敢 で あれ 」 「
責任 と真 剣 を忘 れ な い」 「
忍 耐 と持 続 の人 で あ れ」 「
誠実
と謙 虚 の人 で あ れ 」「た ゆ まぬ研 鐙 を続 け よ」との指 針 を、 女 子 学 生 に贈 っ た
ので あ る。
IV.創
価 大 学 生 の周 恩 来 観
で は、 以 上 の よ うな 中国 に対 す る関 心 と感 情 を持 った創 価 大 学 生 は、 周 恩
来 総 理 の人 格 と思想 につ いて どの よ うな見 解 を も って い る のか 。 筆 者 が担 当
する 「
周 恩来 研 究演 習 」 の報 告 集 を も とに見 て い くこ とにす る。
この演 習 の履 修 者 は学 部 、 学 年 にか か わ らず 、 自 由 に登録 で き各 年 度 前 期
に わ た っ て 、周 恩来 総 理 の生 涯 に つ い て、 講義 、 発 表 、 討 論 の形 式 で学 ん で
い く。 そ して学 期 末 に総 括 の 報 告 文 を作 成 す る。
150
以 下 に学 生 達 の 所 感 を 「
青 少 年 時代 」、 「
革命家 ・
政 治 指 導 者 として 」 「
晩年
の戦 い と中 日国交 正 常 化 の 実 現 」 の3点
1.「
に分 け て み て い くこ とにす る。
周 総 理 の青 少 年 時代 に学 ぶ 」
周 恩 来 の生 い立 ち と貧 しい子 供 時代 の 苦 労 につ いて は、 日本 の学 生 は一
一
様
に驚 き と感 動 を覚 え て い る。100年 以 上 前 の 時 代 背景 や 当 時 の 中 国 につ い て
の理 解 は難 しいが 、 周 少 年 の生 まれ 育 った大 家族 主 義 と複 雑 な親 子 、 養 子 関
係 は 日本 人 に とって 、 もっ とも理 解 しが た い 点 で あ る。 しか し、 そ の点 以外
で はや は り大 変 厳 しい経 済 状 況 、 また幼 く して父 母 を相 次 いで 失 っ た子 供 時
代 の苦 労 、 そ の後 の 貧 窮 の 中で の勉 学 生 活 に共 感 と感動 を覚 えて い る。
なか で も南 開 中学 に進 学 して か らの勉 学 や 友 情 につ い て、 その後 の 総 理 の
人 生 の骨 格 を形 成 した重 要 な 青 年 期 で あ っ た、 との見 解 が 多 く見 られ る。
そ して そ の後 の 日本 ・欧 州 へ の留 学 経験 や 、 学 生 運 動 の 中 で 革命 家 と して
の人 生 を生 き る覚 悟 を決 め て い く経 緯 は、 日本 の青 年 学 生 に とって も自 らの
生 き方 を考 え る啓 発 とな って い る。
以 下 が 学 生 の率 直 な意 見 、 感想 で あ る。
「
周 総 理 の人 間 的 な 暖 か さ と強 さ は、 幼 少 の 頃 の母 や 家 族 の 存在 と、 生 活
の 苦 しさ を知 っ て い るか ら こそ、 その 姿 を感 じ るので は な い だ ろ うか 。 また
学 生 時代 を通 して、 学 ぶ こ と と思 索 す る こ とを常 に して い た周 総 理 。 軍 国 主
義 か らは何 も生 まれ な い こ と と、 それ に代 わ る新 しい人 間 の可 能 性 を見 い だ
した その 心 は、 そ の後 の周 総 理 の行 動 に表 れ て い る。 人 民 の た め に、 人 民 の
幸 福 の た め に と動 か れ た 周 総 理 は、 中 国 だ けで な く日本 の国 民 の こ と、 世 界
の 人 々 の こ とを考 え て い た。」(4年
・女子)
「
南 開 学 校 まで の 周 恩 来 総 理 の歴 史 を見 て み る と、 人 格 形 成 期 に誰 か ら、
どこで、 どの よ うな状況 下 で 、 何 を学 び、 何 を 目的 と して 、 何 を考 え、 何 を
思 索 す るのか とい う こ とが 、 その 後 の人 生 観 や 生 き方 を大 き く左 右 す る こ と
日本 学 生 の対 中観 と周 恩来 観(川
崎)151
につ な が るの だ と改 め て感 じた。 この周 総 理 の 人格 形 成 期 が あ っ て こそ、 そ
の後 の 活 躍 につ なが っ た ので あ ろ う。」(3年
・女 子)
「
周 総 理 が他 の 人 と根 本 的 に違 っ た こ と、 そ れ は 「
何 の た め に学 ぶ の か 」と
い う点 で あ っ た 。総 理 に は 「中国 の た め に、 人 民 の た め に」 とい う国 を思 う
気 持 ち が彼 を動 か して い た よ うに思 う。周 総 理 は学 生 の 時 に将 来 に続 く大 き
な基 盤 を作 って い っ た の だ と思 う。」(2年
・男 子)
「
周 恩 来 総 理 を知 る こ とで 、 民 衆 が 立 ち上 が る こ との 大 切 さ、 人 間 が もっ
と も人 間 ら しい 生 き方 を す る た め の 闘 争 の 歴 史 や 、 そ の行 動 の 正 しさ・ 正
義 、0人
の人 間 に お け る可 能 性 を見 い だ す こ とが で きた 。 そ して 、何 よ り周
総 理 の人 柄 に心 か ら感 動 、感 激 し、 尊 敬 の 念 を抱 い た。」(2年
・女子)
「
今 回 周 総 理 の生 涯 を改 め て学 ん で み て 、 正 義 な らざ る もの との 闘争 に は・
自 ら体 を張 って 、徹 底 して戦 わ れ て い た事 実 を学 ん だ。 周 総 理 は『生 命 不 息 、
戦 闘 不 止 』 の生 涯 で あ っ た 。 な くな る まで0貫
して貫 かれ て い る姿勢 で あ っ
た と感 じて い る。 その原 点 こそ 日本 や 欧 州 へ の留 学 で 、 多様 な価 値 観 を吸 収
して 、 自身 の思想 を構 築 した こ と。 そ して 中 国 のた め に民 衆 と ともに闘 っ た
とい う青 年 時代 が あ っ たか ら に違 い な い。」(4年
・男 子)
「
私 は周 総 理 に関 す る この授 業 を通 して、 今 の 日本 の 若 者 達 こそ、 総 理 の
生 き方 にっ い て真 剣 に学 んで い か な け れ ぼ な らな い と強 く思 った 。 … 総 理 の
革 命 にか けた あっ い情 熱 と、 ど こ まで も人 民 に奉仕 して い く利 他 主 義 な考 え
を、 私 た ち は今 こそ見 習 っ て い くべ きで あ る」(1年
・男子)
「
周 総 理 の青 少 年 期 を通 じて 次 の 五 点 を学 ん だ 。0、
勉 学 に対 す る熱 意 と
負 けな い心 。 二 、 環 境 に左 右 され な い強 さ と感 謝 の 心。 三 、 正 義 感 と勇 気 。
四 、 夢 を持 ち続 けた こ と。 これ か らの 日中友 好 の 責任 を果 た しゆ くの は我 々
青 年 で あ る。 日本 と中 国 の青 年 の一 人 一 人 が 池 田会 長 、 周 総 理 の よ う に行 動
して 行 きた い。 また 「
世 界 の勃 興 の た め に」 との信 念 を とも に掲 げ、地 球 上
に住 むす べ て の人 が幸 福 に過 ごす こ とが 可 能 な社 会 を一 緒 に作 り上 げて い き
152
た い 。」(2年
2.「
・女 子)
革 命 家 ・政 治 指 導 者 として 学 ぶ 」
20代 半 ばか ら自 らの 生涯 を革 命 と人 民 の た め に捧 げ た周 恩来 総 理 の貫 徹 し
た 生 涯 は、 本 学 の創 立 者 池 田 大 作 氏 もス ピ ー チ な どで 詳 し く紹 介 され て い
る.創 価 大 生 達 も革 命 家 、 政 治 家 、 外 交 家 な どの側 面 か らだ けで な く、 「
人
民 の総 理 」 と して 、 中 国 の み な らず 世 界 中 の人 々 の幸 福 と友 誼 の た め に尽 く
した 生 き方 に、 強 い感 動 を寄 せ て い る。
以 下 ・周 総 理 の指 導 者 と して の学 ぶ べ き点 につ いて の 意 見 を紹 介 した い。
「『
私 に とっ て 愛 す る人 民 と は
、 中 国 の 人 民 だ け で な く、世 界 中 の 人 民 で
す 』 と語 っ た 周 総 理 の 外 交 姿 勢 に は、 中 国 が これ か ら先 どん な 強 大 な 国 に
な って も、 決 して 外 国 に危 害 を加 え る よ うな 国 に は な らな い 、 とい う本 質 が
明 確 に現 れ て い た 。 … 利益 が 先 行 す る社 会 や 時代 だ か ら こそ、 周 総 理 の生 き
方 、 行 動 、 そ して外 交 の智 略 か ら学 ぶ べ き要 素 は多 い の で は な いだ ろ うか 。」
(3年
・女子)
「
周総理 の
、 『日本 の人 民 も戦 争 の犠 牲 者 で あ る』 とい う言 葉 に本 当 に感 動
を 受 け ま した 。 この 言 葉 を発 す る に は、相 当 な 勇 気 を必 要 と した と思 い ま
す 。 絶 対 に 中 国 国 内 か らの反 対 の声 が 出 て くるの を覚 悟 した 発 言 で あ り、 実
際 に反 対 の 声 は大 変 な もの で あ った と聞 いて い ます。 …周 総 理 の この 言 葉 、
行 動 に よ っ て 戦 後 日本 は どれ だ け 助 け られ た の か を考 え な け れ ば い け ませ
ん。 …私 は周 総 理 の 人 生 を勉 強 しこの よ うな事 実 を初 め て 知 りま した 。 今 ま
で この よ うな事 実 を知 らなか った 自分 を恥 ず か し く思 い ま した 。 日本 人 とし
て 人 間 と して周 恩 来 総 理 の ご恩 に感 謝 しな けれ ば な らな い、 と心 か ら実 感 し
て い ます 。」(1年
・男 子)
「日本 人 は どれ だ け の人 が
、 周 総 理 の 存 在 を、 周 総 理 の 慈 愛 に充 ち満 ち た
壮 絶 な生 き様 を知 っ て い るだ ろ うか 。 周 総 理 の外 交 の背 後 にあ った もの は 、
日本学生 の対中観 と周恩来観(川 崎)153
「
国 家 の た め 、 中 国 人 民 の た め」だ けで あ った はず が な い。 周 総 理 は ど こまで
も"人 民"の
味 方 で あ っ た。 そ こに は"国 境"も"世
代"も
関係 なか った 。
… 周 恩 来 総 理 の外 交 に溢 れ た 、 人 民 の総 理 の精 神 を受 け継 ぐべ き は、 私 た ち
青 年 で あ る。 この 決 意 を、 日中 の友 人 と とも に行 動 に移 して い き た い。」(4
年 ・女 子)
3.「
晩 年 の 戦 い と中 日 国 交 正 常 化 の 実 現 」
周 総 理 の 晩年 の 文 化 大 革 命 の 困難 と苦闘 、 さ らにガ ンに 冒 され なが らの激
闘 、 そ の 中で の外 交 政 策 の転 換 と 日本 、米 国 な ど との国 交 正 常 化 の取 り組 み
につ いて は、 この授 業 の 中 で詳 し く知 る学 生 が 多 か っ た 。 だ が 、1974年12月
の周 恩 来 総 理 と池 田大 作 氏 との 一 期 一 会 の 出 会 い に つ い て は、 皆 が す で に
知 っ て い る歴 史 で あ る。 この 出会 い を実 現 させ る まで の 両 氏 の 闘 い につ い
て 、 詳細 に知 れ ば知 るほ ど彼 らの 感 謝 の 思 い と後 継 の決 意 は増 して い る よ う
に思 う。
「
私 の尊 敬 して い る創 価 大 学 の創 立 者 で あ る池 田 大 作 先 生 が 、 周 総 理 と出
会 わ れ て い ます 。 池 田先 生 に とっ て か けが えの ない 大切 な人 で あ られ る周 恩
来 総 理 とは どん な人 で あ るの か、 それ が今 回 わ か りま した。 周 総 理 と池 田先
生 は同 じ よ うな思 想 を持 って い る部 分 が あ る とも思 い ま した。 偉 大 な後 世 を
残 され た周 恩来 総 理 を私 も尊 敬 して い ます 。 そ して周 総 理 の 人 生 を さ らに学
び、 私 の人 生 の糧 に して い きた いで す 。周 総 理 夫人 の郵 穎 超 女 史 につ い て も
学 んで い き ます 」(3年
・女 子)
「
今 こ う して 中 国 の学 生 の 方 々 と交 流 で き るの もす べ て は 日中 国 交 回 復 の
お か げで す 。 周 恩 来 総 理 、池 田大 作 会 長 な くして この正 常 化 実 現 は語 れ ませ
ん し、 歴 史 に永 遠 に止 め らる もの で す 。信 念 を信 じ、 固 い決 意 の 中で 最後 ま
で 生 き抜 い た周 恩 来 先 生 を これ か ら も学 び抜 い て 、近 い将 来 必 ず 中国 に行 こ
う と思 っ て い ます 。」(3年
・女 子)
154
「
私 の通 っ て い る創 価 大 学 に 中 国 か ら学 び に来 て い る留 学 生 や 中 国 語 の先
生 に聞 くと、 『周 恩 来 総 理 』と答 え る人 が 多 くい ま した 。 自分 の国 を愛 し、 歴
史 を知 っ て い るか ら こそ答 え られ る こ とだ と感 じ、 また尊 敬 す る人 物 とは 、
目標 や あ こが れ が に て い る よ う に感 じ て い ます 。私 に とっ て 尊 敬 す る人 物
は、 創 価 大 学 創 立 者 池 田大 作 先 生 で あ ります 。 お 二 人 の 問 に は歴 史 的 な 出来
事 が あ り、 私 た ち は この事実 を よ く学 び、 真 実 を世 界 中 に発 信 し、行 動 と し
て 継承 しな くて は い けな い と思 って い ます 。」(4年
「
何 の た め に学 び
・女 子)
、 何 の た め に大 学 を 出 る の か?今0度
自分 に問 い直 し
たい・周総理 が一生 涯、 『
人 民 の た め、 民 衆 の た め』 に行 動 され て きた よ う
に・ 私 も 自分 の可 能 性 、 また他 者 の可 能 性 を信 じ抜 き、r民 衆 の幸 福 の た め』
に行 動 で き る 自分 に成 長 す る決 意 で あ る。 周 総 理 の思 い を受 け継 ぐ南 開大 学
の学 生 とは、 た とえ住 む場 所 は違 って も、 直 接 お会 い はで きな くて も心 はつ
なが っ て い る、 と信 じて い る。」(4年
・女 子)
「
現 在 、 各 国 で 多 くの 問 題 が メ デ ィ ア を賑 わ して い る。 そ の 多 くは 指 導 者
や リー ダ ー で あ る人 々 の惨 め な姿 で あ り、 思 想 な き時 代 の象 徴 で もあ る。 現
在 にお い て も し周 総 理 が 今 の世 界 を見 られ た とき、 何 と叫ぶ の で あ ろ うか 。
お そ ら くこの 現 状 を 変 え て い こ う と正 義 の 声 を上 げ られ る こ とは間 違 い な
い。 …周 総 理 が 歩 ん で きた 人 生 を一 人 の歴 史 的 な 人物 を学 ん だ だ けで 良 し と
して い い はず が な い 。 あた らな誓 い を立 て、 自分 自身 が で き る社 会 変 革 、 世
界 平 和 へ の力 を、 周 総 理 の ご と く必 死 に学 び 力 をつ けて い きた い。」(4年
・
男 子)
「『日中 友 好 の 発展 は周 恩 来 総 理 の尽 力 に よ って こそで あ る』 これ は私 が人
民 を愛 し、 また愛 され た周 恩 来 総 理 につ い て学 び 、 その 結 果 た ど り着 い た結
論 で あ る。 … 中 日友 好 へ と尽 力 した周 恩 来 総 理 の 志 は池 田 氏 へ と託 され 、 そ
して 現代 を生 き る私 た ち を通 じ、後 世 へ と継 承 され て い くこ とで あ ろ う。 私
は この 『
精 神 を継 承 して い く』 こ とこそ が、 周 恩来 総 理 を学 び 、創 立 者 の大
日本学生 の対 中観 と周恩来観(川 崎)155
学 で 実 践 で き る こ とに大 きな意 義 を感 じ る。 日中両 国 に架 け られ た 「
金 の橋 」
を永 遠 た る もの に して い くた め、 自分 にで き る こ とを常 に考 え、 行 動 して い
きた い と思 い、 さ らな る周 恩 来 研 究 を決意 す る もので あ る」(3年
V.お
わ りに 一
・男 子)
日中青 年 の さ らな る交流 と相 互 理 解 の た め に 一
私 が周 恩 来研 究 に取 り組 み きっか け にな った の が 、1988年 中 国 留学 中 に 南
開 大 学 で 開 催 され た 第1回
周 恩来研 究 国際 シ ンポジ ウムに大学 院生 の オ ブ
ザ ー バ ー一として 参 加 させ て い た だ き、 帰 国後 日本 にお け る周 恩来 研 究 状 況 を
ま とめ て 、貴 大 学 に提 出 した こ とに始 ま る。
10年 後 の1998年 に貴 大 学 と創 価 大 学 との学 術 交流 協 定 が 結 ばれ 、 周 恩 来 研
究 セ ン ター との共 同研 究 が ス ター トした 。 その成 果 は 『周 恩 来 と池 田大 作 』
『日本 留 学 時期 の周 恩 来 』と して結 実 し、 中 国 語 版 、 日本 語 版 が相 次 い で 出版
され 、 両 国 の青 年 読 者 に広 く読 まれ た。 そ の後 も 『
周 恩 来 池 田大 作 と中 日友
好 』 の編 集 ・翻 訳 出版 な どの共 同研 究 の成 果 を中 日両 国 で 発 刊 で き、 中 日友
好 に い さ さか で も資 す る こ とが で きた の は、 個 人 的 に も両 校 の研 究 交 流 に
とっ て も感 謝 の 思 い に耐 え な い。
近 年 さ らに うれ しい こ とは、 私 た ちの学 術 ・研 究 交流 の成 果 を紹 介 した両
校 の 学 生 ・院 生 達 が 自 ら進 ん で 、学 生 レベ ル で の研 究 ・交 流 に取 り組 ん で い
る こ とで あ る。
南 開 大 学 の周 恩 来 池 田大 作研 究 会 と創価 大 学 の 中 国研 究 会 は一 昨年 以 来 、
相 互 訪 問 を通 じて 「日中学 生 フ ォ ー ラム」 を 開催 し、 そ の成 果 を 日中両 国 で
発 表 して い る。 そ して そ の模 様 は聖 教 新 聞 な どを通 じて 、 多 くの 日本 人 読 者
に も紹 介 され い て い る。
また 貴 大 学 の研 究 会 に は中 国人 学 生 だ けで な く、 多 くの 日本 人 留学 生 や、
その ほか 東 南 ア ジ ア各 国 か らの 留 学 生 な ど、 す で に国 際 的 団体 とな っ て い る
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と伺 っ て い る。 実 は、 私 の演 習 や 授 業 に も中 国 か らの 留学 生 が 多 く参加 し、
また 日中 の学 生 交 流 の た め に翻 訳 や通 訳 の 労 を執 って 頂 い て い る。
さ い ごに 中国 天 津 か らの留 学 生 が私 の周 恩 来研 究 演 習 に参 加 した感 想 を紹
介 して、 今 後 の 両 国 の研 究 ・交 流 の願 い の言 葉 と した い。
「
私 は 中 国 か ら来 た 留 学 生 と して
、 この授 業 を と りま した 。 日本 人 の 立 場
か ら見 て 周 総 理 は どん な人 か とい う こ とを見 た い、 と思 っ た か らで す 。 皆 と
一 緒 に毎 回 の 授 業 で プ レゼ ンテ ー シ ョン を して 周 総 理 の一 生 の事 績 を非 常 に
高 く評 価 す る様 子 に、 す ご く感 動 しま した 。 この 先 、 私 た ち は い っ まで も過
去 の こ とを悔 や ん で い な いで 、 未 来 を作 り上 げて い か な けれ ば な らな い。 周
恩 来 総 理 と池 田大 作 先 生 は友 誼 の 道 を創 っ た。 私 た ち は この 道 に沿 って 、 両
国 の 新 しい未 来 を創 ろ う。0衣
帯 水 の海 に も、 とき と して風 波 の 日々 は あ ろ
う。 だ か ら こそ私 た ち は宰 相 一周 恩来 が 架 けた 友 誼 の
揺 るが ぬ もの に踏 み固 め て い きた い 、 と思 う」(3年
「
金 の橋 」 を、 万 代 に
・留 学 生 男子)
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