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七字 英輔 『ルーマニア演劇に魅せられて』 シビウ国際演劇祭へのたび 発行所:せりか書房 サイズ:19.8 × 12.8 × 2.6 cm 定価:本体 2,800 円+税 ISBN:978-4-7967-0321-5 荒井 修子 脚本家 ルーマニア演劇というと、ぱっと何か ので、気負わずに読み進められる。 で、途中途中の農家などに立ち寄るた を思い出すのは難しいかもしれない。 さらに、ルーマニア演劇に興味があ め、ろくに暖房もきかないバス内で、 だが、ここ数年、ルーマニアの「シビ り、研究されたいと思っておられる方が 凍えながら向かったという。 ウ国際演劇祭」が日本でも急速に知ら 手に取れば、 またとない貴重な記録であ また、劇場へ到着して、準備にかかっ れるようになってきたそうだ。シビウ るだろう。シビウ演劇祭については、演 ても、現地の舞台機材などはきわめて は、ルーマニアの中で、吸血鬼伝説で 目や参加劇団の詳細に至るまで記述さ 古かったという。 有名なトランシルヴァニア地方の中央 れ、詳細かつ丁寧に、ルーマニア演劇 だが、こんな状況での公演ながら、こ に位置する古都。1994 年からここシ の軌跡がこの書籍には綴られている。 の演劇祭は「唖然とするほどの」良い ビウで演劇祭は始まった。 著者が初めてシビウに訪れたのは 作品揃いだったという。 『フェードラ』 アヴィニヨン、エディンバラ、アデ 1995 年 3月。 (エウリピデス、セネカ) 、 『禿の女歌手』 レードといった世界三大演劇祭とされ 前年に始まった「シビウ国際演劇祭」 (イヨネスコ)など、数々の上演作品の るものよりは、知名度的、規模的に届 に、 「劇団1980」とともに参加するた 素晴らしさが、著者をその後、長きにわ かないかもしれないが、現在、 「ヨー めだった。 たり、シビウ演劇祭への日本の劇団の ロッパ三大演劇祭」と言ってもいいほ しかし、この頃は、隣国の新ユーゴ 窓口を務める意欲を燃えさせたという。 どの規模になってきていると著者の七 スラヴィア(現セルビア)とボスニア・ 第 2 回目にして、こんな状況だった 字英輔氏は語っている。 ヘルツェゴビナの紛争が激化していた シビウ演劇祭が、今では、ヨーロッパ 著者は、演劇評論家で読売演劇大賞 時期で、演劇祭は「寛容の10 日間」と の三大演劇祭にも入るくらいの規模に の審査員も務められているが、国内演 言われ、演劇祭のテーマも、 「不寛容と 成長しているという点は、主催者の努 劇のみならず、日本と東欧の国際演劇 の戦い」といういささか物々しいもの 力、そして、各国の参加者たちの協力 祭の窓口役となり、ルーマニアの劇団 であった。また、ルーマニアには、社会 の賜物であろう。また、そこには、演劇 を日本に招聘するなど、幅広い活動を 主義時代の名残と革命直後の余燼が 祭の成果を見て、EU がシビウを欧州 行っておられる方だ。この本は、その あったという。 文化首都として、盛り上げることに 七字氏のルーマニア演劇紀行である。 しかも、現地についてみると、迎え なったことも大きい。 第 2 回目開催の折、この演劇祭に参加 のバスの中では、著者たちの飛行機の 有能な演劇人が、革命後の動乱の中、 し、その上質な上演作品群に魅せられ、 到着を数時間待たされていたスウェー 演劇で人の心を変え、都市を変え、国 通い詰め、現在に至るまでその演劇祭 デン王立アカデミーの生徒たちの引率 際関係を動かし、その一国のイメージ を日本の窓口役として支えてきた。 教師が、あまりに待たされた挙句に怒 までも変えていく。この記録を通して、 「ルーマニア演劇なんてわからない」 と、 りまくっていたという。そのうえ、舞台 ルーマニアという国が、どのように激 仰る方もいらっしゃるかもしれないが、 の道具を載せるトラックが来ていない 動の時代を歩んできたかが、浮き彫り 文中、国内演劇にも詳しい著者独自の など、段取り不足が否めない状態だっ にされている。やはり、演劇というもの 考察も加えられており、ルーマニア演 た。しかも、バスが走り出してシビウま は、社会を見つめ、人間を見つめ、人の 劇に関する知識がなくても、演劇紀行 で 4、5 時間で着くところを、運転手が 思いによって発展してきた芸術なの として楽しませる工夫がなされている 配送のアルバイトも兼務しているよう だ。だからこそ、国を変えるような大 40 Journal of Japan Association of Lighting Engineers & Designers きなことができるのだと、この著書は 著者のこれらの日本の劇団の公演紹 異文化を理解したと思えた感動もあっ 教えてくれる。 介、それと同じ年に見た海外劇団の公 たのだと思う。 (実際、理解できていた また、この書籍の中で目が留まった 演紹介も各章で細かくされており、読 かは怪しいが) のは、2008 年に故十八代目中村勘三郎 みごたえがある。 私は、この著書を読んで、是非、この 氏が、 「平成中村座」として、ここシビ また、文中で著者は、日本は現地事 シビウの演劇祭を観に行ってみたいと ウの演劇祭で歌舞伎の公演を行ったと 務局からもっと多くのカンパニーを招 思った。今は、演劇祭としては成熟期 いう記述だ。 聘したいと希望をもちかけられても、 に達しているであろうが、今回、この 日本からの観劇ツアーの客も含め 助成システムの関係で複数の参加が極 書籍に触れたことで、この歴史を知り、 て会場は大盛況であったという。著者 めて難しいことを語っている。 ここまでの決して平坦ではなかった道 が初めて、シビウを訪れたときから、 世界に文化を発信することの難しさ のりの物語を知り、ますます興味がわ 演劇専攻の若者たちに「歌舞伎につい は、その事業に関わる人すべてが感じ いた。 て教えて欲しい」 、と度々質問されて ることと思うが、シビウ演劇祭に長く関 とはいえ、なかなか、 「観劇にルーマ いたそうだ。やはり、海外でも歌舞伎へ わってきた著者の言葉は、とても重い。 ニアへ!」ということは難しいので、 の関心は高い。しかし、いざ公演とな 日本は、おそらく文化事業への助成 とにかく、国内に来ている海外公演を ると、シビウでは、6月の公演時期、気 という面では、欧米のそれに後れをとっ 観たいと率直に思った。 候の関係で、夜 9 時を過ぎないと暗く ているといえるかもしれない。そのうえ、 この著書は、作品に対する分析も鋭 ならないという制約があった。工場を かつてのような好景気でもない中で、 く、広い分野に及んで記述されている 舞台に使用したことで、舞台を「暗転」 文化を守り、海外へ広げていくことは、 が、それだけでなく、 「この舞台を観て させるためには、夜10 時から公演を始 本当に難しいことだと思う。しかし、こ みたい」という気持にさせてくれる。 めることを余儀なくされるなど、さま の著者は、その必要性と、そこで育ま それは、著者の思い入れがあるから ざまなカセが存在する。しかし、著者の れる、文化を通しての国と国の絆とい こそであり、馴染みのない舞台演目の こういった記述の中にも、シビウの演 うものを、強く認識させてくれる。 解説もあったが、わかりやすく理解で 劇祭に参加する舞台人の心意気という シビウの公演では、日本でも広く公 き、興味がもてた。また、ルーマニアの ものを感じずにはいられなかった。平 演が行われている演目も、海外の劇団 みならず、世界の演劇界で著名な演出 成中村座と言えば、日本での公演もな によって沢山、上演されている。ハム 家、シルヴィウ・プルカレーテについ かなかチケットが取れないほどの人気 レットなどのシェイクスピア劇、ベケット、 ての論説も、この著書の見どころの一 公演。わざわざ海外へ、しかもルーマ イヨネスコ、ブレヒトなどの古典劇とい つだろう。火を使い、水を使い、いささ ニアのシビウという遠くの国へ行かず われる、どこの国でも馴染みとなってい かグロテスクなアプローチをするシル とも十分興行は成功するはず。しかし、 る演目もある。言葉が通じなくても、表 ヴィウ・プルカレーテの演出手法につ そういった人々が、不便さがあっても、 現という面で、人は感情を共有できる。 いても、舞台の場面の説明とともに書 海外へと進出していくことで、日本の 演劇はそれを実現させてくれる。 かれており、舞台に携わる方々には特 文化は、広く海外に伝わり、認められ 私も、学生の頃、英語もさほどわか に面白く読めるはずだ。そもそも、こ ていく。すでに、故人となられたが、故 らないまま、海外で舞台の公演を観た の著書は、シルヴィウ・プルカレーテ 中村勘三郎氏は、そういった広い目で、 ことがあった。日本で観たことのある 演出の舞台『ルル』が、ルーマニアの国 日本の、世界の演劇文化というものを ミュージカルなどはともかく、ストレート 立ラドゥ・スタンカ劇場によって、日 捉えていらしたのだと痛感する。もち プレイは、事前になんとなく概要を頭に 本の東京芸術劇場で上演されることに ろん、平成中村座の 2008 年公演以外 入れていっても、やはり細かいやり取り なったことを機に、著者が友人知人に にも、毎回、日本はこのシビウ演劇祭 は、何を言っているのかわからない。 勧められ、1 冊の書籍としてまとめた に参加している。狂言の公演、三島由 しかし、観ていくと不思議なことに、 ものだという。日本の劇団が公演に行 紀夫作品、横浜ボートシアター、柄本明 俳優がどんな思いを表現しようとして くだけではなく、ルーマニア、そして さんの一人芝居、MODE、黒テント、新 いるのか、理解できる瞬間があった。 多くの国々の演劇が日本公演を行うこ 宿梁山泊、山の手事情社、青年団をは まだ若かった私は、そういう言葉の壁 とで、今後、国内演劇はますます活気 じめとする、国内でも著名な演目や劇 を越えた表現に接して、鳥肌の立つ思 づくだろう。ルーマニアの演劇事情を 団が、各年のテーマに合せた題材で、 いだった。それは、俳優の表現に鳥肌 知ることで、国内の演劇にもさらなる このシビウで公演を行っているのだ。 が立ったというだけではなく、自分が 興味が増す、お勧めの 1 冊だ。 Journal of Japan Association of Lighting Engineers & Designers 41