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二の2

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二の2
天路の奈落 大西巨人
二の2
鮫島主税の借家は、郭南線の夏鳥停留所近傍︵夏鳥町一丁目︶に位
置していて、一階四室と二階一室︵共稼ぎの若夫婦に昨春より間貸し
中の六畳︶と他に台所、廊下︵縁側︶、厠、風呂場などとである。
一九三七年夏から、西海道新聞社編集部員武藤保史︵当年三十歳︶
およびその家族 ︵妻と女児二人と︶ が、この家を借りて住んだので
あって、おなじころから、鮫島︵当年二十四歳︶は、二階六畳に下宿
したのであった。鮫島が、一九四四年十二月中旬、二度日の召集を解
除せられて帰還したとき、武藤は、半年前の一九四四年六月上旬、予
こう ろ だい
備役陸軍軍曹として南鏡の香露台歩兵聯隊へ召集せられ、二月前の同
年十月中旬、東南アジア戦線へ向かう途中、輸送船が撃沈せられたた
やましろ
みずかね
め、戦歿していた。武藤未亡人は、同年末、南鏡の山城郡水鐘町へ﹁疎
開﹂的に引っ越して行った。とりあえず引き継いで、鮫島︵当時独身︶
は、この家全体の借り主になったのである。
一階四室は、玄関の間二畳、座敷兼主税の書斎八畳、茶の間兼主税
と笙子との寝間六畳、 納戸兼笙子の仕事間兼夏実の寝間六畳であっ
て、ただし一家各人の寝所は、臨機に取り替えられたり変更せられた
りした。このところ約二週間、主税は、座敷兼書斎八畳に寝て︵昼間
もたいてい臥床して︶いた。
く た び
今夜十時ごろに草臥れた︵微熱の︶躰で帰宅した主税は、隣家から
貰い物の米丘市名産﹁目白饅頭﹂を茶請けに茶を飲みながら、しばら
とこ
く笙子︵人民党員︶と﹁慷慨談﹂を取り交わしてのち、八畳の間の床
に入った。すでに早く、夏実は、納戸の六畳で就眠していて、笙子は、
茶の間の六畳でまだ寝ずに何事かをしていた。
床の中の鮫島は、電気スタンドの光で﹁岩波文庫﹂のイマヌエル・
カント著/上野直昭訳﹃美と崇高との感情性に関する観察﹄第一章お
よび第二章を読んだ。なかんずく﹁崇高の感情は、心の力を強く緊張
させるから、早く疲れる。羊飼いの詩は、ミルトンの﹃失楽園﹄より
1
も、ド・ラ・ブリュイエールは、ヤングよりも、︵読者にとって︶長
く一気に続けて読むことができるであろう。ヤングが、あまり一本調
子に崇高な調子で続けているのは、道義的詩人としての彼の一欠陥で
ある、とさえ私には思われる。なぜならば、その印象の強さは、より
柔和な場所と交互対照によってのみ新たにされる物であるからであ
る。美においては、これに伴って技巧上の苦労が洩れて見えるより疲
らせる物はない。おもしろがらせんとする努力は、痛ましく、わずら
わしさを感じさせる。﹂という所見などが、鮫島の心に入った。この
“
﹁ヤング﹂は The
Complaint, or Night Thoughts on Life, Death,
︵﹃生と死と永劫とに関する愚痴あるいは夜の想念﹄︶の
and Immortality
作者エドワード ・ヤングであろう、と鮫島は思った。
”
とら
すがた
しやうじやう
それから鮫島は、消燈し、両眼をつむって、寝入ろうとした。今日
も よう
の、特に今夜の、拡大会議の模様が、彼の思念を支配し、鮫島は、な
ゆかした
こおろぎ
かなか寝つかれなかった。庭先か床下かで鳴く蟋蟀の声が、彼に聞こ
よ
ぼくすい
こほろぎ
えた。彼は、若い第五高等学校生彼自身の﹁捉へがたき物の像を牀 上
と
の闇に尋むれど虫の声のみ﹂という旧作をゆくりなくも思い出した。
ゆうぐれ
それにつれて鮫島は、前田夕暮の﹁こほろぎよ無智の女のかなしみ
きりぎりす
われ
に添うてねやどに夜もすがらなけ﹂、若山牧水の﹁ 蟠 や寝ものがた
さ ち お
み
さと
りの折り折りに涙もまじるふるさとの家﹂、伊藤左千夫の﹁水づく里
と
ただ
ただふさ
人の音もせずさ夜ふけて唯こほろぎの鳴きさぶるかも﹂、藤原忠房の
くも﹂などを順繰りに思い出したが、ほとんど慰まなかった。彼は、
ひとみ
また両眼を開き、彼自身の旧作のごとく﹁牀上の闇﹂に眸を凝らしつ
づけた。⋮⋮
2
﹁蟋 蟀いたくななきそ秋の夜の長き思ひは我ぞまされる﹂、後鳥羽上
よもぎふ
さい
皇の﹁秋ふけぬ鳴けや霜夜のきりぎりすやや影さむし蓬生の月﹂、西
ぎよう
よ さむ
行法師の﹁きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか声の遠ざかりゆ
ゆはらのおおきみ
ゆふづく よ
く﹂、湯原 王 の﹁夕月夜心もしぬに白露のおくこの庭にこほろぎ鳴
天路の奈落 大西巨人
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