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1 第 28 回ジェンダーズの会 「いのちの女たちへ~とり乱しウーマン・リブ

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1 第 28 回ジェンダーズの会 「いのちの女たちへ~とり乱しウーマン・リブ
第 28 回ジェンダーズの会
「いのちの女たちへ~とり乱しウーマン・リブ論」第Ⅲ章 出会いへの模索
抄読
日時:2014 年 4 月 4 日(金)18:30~20:00
場所:ゼミ室 6
発表者:綾田さん
参加者:谷津先生、市川さん、恵藤さん、星野さん、白木さん、藤縄
●第Ⅲ章 出会いへの模索の要約。レジュメ参照。
●ディスカッション
・
「甘える」とは、頼るということではなく、バカでいろよという意味が含まれている。
・女は甘んじろという意味が含まれている。女が甘んじていた方が男にとっては都合が良
い。女は奴隷であるという体制をとらなければ、男は権威を保っていられない。女から甘
えられることで、男は社会的にも権威を保つことができる。
・男の沽券に振り回されている。
・男は、女の立場が自分より低い方が脅かされないから良いと思っているのではないか。
・男が上、女が下という構造は、無意識のうちにその方が良いと思ってしまっている。
・男は女の意見を否定し、女は謝るような状況が多い。女の方が下だと意識している。た
とえ女の意見が正しいとしても、男の意見を尊重した方が良いと言う人もいる。
・取り乱させない男も悲しいけど、女も取り乱さない構造を作り、一緒に運用している。
・
「甘えるのがうまいね」と言われることがあるが、その状況は何かお願いしたい時や、上
手く対処した時である。そういった対処方法はパターンが出来ており、社会に順応してい
くための予定調和的に身についてきたものなのかもしれない。
・女性から他の女性に対して「甘え上手」と言うことは少ない。
・女同士で要領が良いと捉えられることも、男女間であると「甘えてる」と捉えられるこ
とがある。それは、男同士では「礼儀正しい」等と言われる。同じ行動であっても、見方
や表現方法が異なってくる。
・上司は部下に従順であることを求めている。上司に対して、その場しのぎで愛嬌を振り
まくことが良いことなのか疑問である。しかし、世間ではその方が世渡り上手と捉えられ
る。周囲の人に合わせると自分の本質が見えにくくなる。
・愛嬌を振りまくことは、男性に女性の本質を見せないようにする方法であると思う。
・愛嬌は外交的なこととイコールではないように思われる。内交的な部分をあまり伝えら
れていない。外交的というのは、芯がしっかりしていて、他者とうまく付き合っていける
こと。海外だと外交的の方が良いと教育されてきたけれど、
‘自分は外交的であると思うか、
内交的であると思うか’尋ねたある調査では、自分は内交的であると答えた人が半数であ
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った。
・責任感があってかつ外交的な人がいる。責任感の強い人は愛嬌がなく、愛嬌のある人は
責任感がないという風に対極的に考えられがちであるが、そうなのであろうか。田中美津
さんは、予定調和は取り乱しとの対極にあり、あまり良い意味では描いていない。
・従順な人は取り乱したくない、予定調和の人である。
・予定調和的な人に対して自分が取り乱していくことは、本音を伝えていくことである。
それによって、上司や周囲の人の見方や態度等が変わるチャンスに繋がる。
・世渡り上手、愛嬌が良いのは男女ともに変わりない。同じ事柄なのに対象が男女かによ
って見方や表現方法が異なるのは、ジェンダーの問題として捉えることもできるけど、非
対称性があるのではないか。たまたま女だから、愛嬌がないことは「可愛げがない」と言
われてしまう。個人の問題だけではない。
・対人的な職業に女性が多いのは、社会から女性は従順でいるべきであること、あるいは
取り乱さないことを求められているからである。
・「好きになる」「愛する」ことの本質がよく分からない。気持ちが合うということをひっ
くるめて‘愛’と言っている。愛せない人は人間として能力がないと捉えられてしまう。
甘え下手ということは男性が勝手に言っているだけのこと。それを男性がしっかり認識せ
ずに平気で言っていることに残念に思う。
・男女関係なく投げたボールを返してくれる、正しいコミュニケートが出来る人と出会い
たいなと思う。取り乱さないことは閉塞感があり、自分を模索し、否定してしまう。自分
が取り乱さないと、取り乱さない男と出会えない。取り乱すことで自分が楽になっていく。
・世渡り上手的では本音で向き合ってくれる人には出会えない。
・自我の叫び、主体は男の側にあって、女は他者の側に追いやられてきた。他者は理解で
きないから、飼いならす、奴隷化の側に追いやられてしまった。女には自我がないという
時代もあって、男と同じ人間だとは見られていなかった。女だって同じ人間なんだと認め
られるようになったのは最近のこと。昔からの流れが残っていて、男が上、女は下の構造
が続いてしまっている。
・田中美津さんが述べている「
(取り乱しを理解するには)女同士なら繋がれる」という部
分が、なぜ男女では繋がれないのか疑問に思う。女同士なら裸同士でまずいられ、取り乱
すことが出来るが、その後でないと男と繋がることが出来ないというのは疑問が残る。
・女同士という底辺を理解することはわかるけど、男でも取り乱しを理解してくれる人も
いる。
・田中美津さんは男女をはっきり分けている。男女のグレーで繋がっている部分もあると
思うため違和感がある。
・男女で分けられている前提がある反面、ジェンダーとかフェミニズムという対立する分
野が薄れてきている。男女で分けられている事実をなくして個別性などと言ってしまうと、
男女が分けられている(平等でない)ことが忘れられてしまう。平等でない構造を変えた
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い時には‘男女’という言い方で示していかないと理解されない。
・筆者が「
(取り乱しを理解するには)女同士なら繋がれる」と言い切ってしまうと、そう
いった考え方を再生産してしまう。現状を訴え続けていかなければならない。
・本音は言葉にできるものでない、対立する感情を抱くことはどちらも自分自身であるけ
れど、どちらの感情も表現すると周囲の人から叩かれてしまう。
文献
田中美津(2010)
.いのちの女たちへ~とり乱しウーマン・リブ論.パンドラ.
●次回予定
5月からの図書―上野千鶴子(2010)
.女ぎらい
5月
第1章
プレゼンター新田先生
6月
第4章
プレゼンター廣瀬さん
3
ニッポンのミソジニー.紀伊国屋書店.
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