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日本呼吸器学会雑誌第38巻第10号

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日本呼吸器学会雑誌第38巻第10号
日呼吸会誌
●症
38(10),2000.
783
例
A 香港型インフルエンザウイルス肺炎を契機に
急性呼吸窮迫症候群を発症し死亡した 1 例
長沼
篤
水間 春夫
土井 一郎
小野 昭浩
月岡 玄吾
渡辺 有紀
塚越 秀男
高木
土橋 邦生
森
均
昌朋
要旨:急性呼吸窮迫症候群の原因としてウイルス感染が指摘されているが,実際の症例報告は稀である.我々
は,二次性細菌感染を伴わず,純型インフルエンザウイルス肺炎により,急性呼吸窮迫症候群に陥り死亡し
た一例を経験したので今回報告する.症例は 69 歳女性.生来健康であったが,咳嗽,発熱,呼吸困難を主
訴に入院.著明な低酸素血症を呈し,胸部 X 線像で全肺野にスリガラス陰影を認め,心機能に異常はなく
急性呼吸窮迫症候群と診断した.ステロイドパルス療法,ウリナスタチン・好中球エラスターゼ阻害薬投与,
一酸化窒素吸入,膜型人工肺等の治療を施行したが,第 20 病日に呼吸不全で死亡した.ペア血清にて A Hong
Kong 68(H3 N2)株に対する抗体価が,わずか 9 日間で 32 倍から 4,096 倍と著明に上昇しており,いわ
ゆる電撃性インフルエンザウイルス肺炎と考えられた.
キーワード:急性呼吸窮迫症候群,A 香港型インフルエンザウイルス株,電撃性インフルエンザウイルス肺炎
Acute respiratory distress syndrome,A Hong Kong 68(H3 N2)
,Fulminant influenza
pneumonia
緒
言
なった.このため 25 日近医へ緊急入院した.胸部 X 線
像(以下胸部 X-P)では両肺野にスリガラス状のび漫性
今日インフルエンザウイルス肺炎で臨床上特に問題と
浸潤影を認め,著明な低酸素血症を呈し,肝腎機能障害
なるのは,immunocompromised host や高齢者,幼少児
を合併していた(Table 1)
.直ちに酸素吸入,抗菌薬及
である.このようなハイリスクグループにおいては,イ
びステロイドによる治療を受け,一時的な低酸素血症の
ンフルエンザウイルス肺炎に細菌感染が合併した混合性
改善を認めたが,胸部 X-P 上の浸潤影及び呼吸困難感
肺炎がしばしば致命的と成り得る.一方,健康人にも認
の改善はなく,四肢の筋肉痛及び関節痛も出現した.こ
められる市中ウイルス性肺炎は,一過性の経過をとる例
のため 27 日精査治療目的で当科転院となった.
が殆どで,一般に予後は良い.しかしながら今回我々は,
入院時現症:身長 150 cm,体重 45 kg,体温 36.7℃,
生来健康で基礎疾患がなかったにもかかわらず,二次性
血 圧 142 88 mmHg,脈 拍 98 分 で 整,呼 吸 数 32 分.
細菌性肺炎を伴わない A 香港型インフルエンザウイル
意識清明.呼吸音は増強しており,左右両肺野全体に水
ス肺炎を急激に発症し,急性呼吸窮迫症候群(acute res-
泡性ラ音を聴取し,特に左下肺に強いラ音を聴取した.
piratory distress syndrome,ARDS)で死亡した症例を
また後に左右両肺野全体に捻髪性ラ音も加わった.心音
経験したので,若干の考察を加えて報告する.
に異常なし.四肢の筋肉痛及び関節痛を認めた.表在リ
症
例
ンパ節は触知せず,神経学的異常所見は認めなかった.
検査所見:軽度の貧血,白血球増多,血小板低下,血
患者:69 歳,女性.
沈亢進,CRP 上昇,LDH 高度上昇などを認めた(Table
主訴:咳嗽,呼吸困難,発熱.
2)
.
既往歴:特記事項無し.
臨床経過:入院時に激しい咳嗽,呼吸困難,頭痛,咽
生活歴:1 年前から 24 時間風呂を使用.
頭痛,背部痛,四肢の関節痛及び筋痛を認めた.胸部 X-
現病歴:平成 8 年 12 月 20 日から咳嗽が出現(第 1 病
P では全肺野に air bronchogram を伴う,び漫性スリガ
日)
.24 日夜 39℃ に発熱し,その後呼吸困難が著明と
ラス状陰影を認めた(Fig. 1)
.胸部 CT においても,両
〒371―8511 群馬県前橋市昭和町 3―39―22
群馬大学医学部附属病院第 1 内科
(受付日平成 12 年 1 月 18 日)
側全肺野に,び漫性スリガラス状の肺野濃度の上昇を認
め,病変は胸膜直下に及んでいた(Fig. 2)
.急性呼吸不
全の原因検索と並行し,酸素吸入,ステロイド,抗菌薬,
784
日呼吸会誌
38(10),2000.
Table 1 Laboratory data on Dec. 25,1996
(before steroid therapy)
Blood gas analysis
(room air)
pO2
pCO2
HCO3
pH
Hematology
Hb
WBC
Seg
28.5 torr ↓
35.4 torr
21.5 torr
7.392
11.4 g/dl
9,500 /ml
87%
Stab
Eos
Baso
Mono
Lym
Plt
Biochemistry
GOT
GPT
LDH
1%
0%
0%
0%
12%
25.3 × 104/ml
82 IU/l ↑
19 IU/l
940 IU/l ↑
ChE
BUN
Cr
Na
K
Cl
ESR
CRP
141 IU/l
34 mg/dl ↑
1.8 mg/dl ↑
124 mEq/l
4.7 mEq/l
89 mEq/l
110 mm/hr ↑
16.1 mg/dl ↑
Table 2 Laboratory data on Dec. 27,1996
Blood gas analysis
(O2 mask 5 l/min)
pO2
58.5 torr ↓
pCO2
38.4 torr
HCO3−
21.5 torr
pH
7.392
Hematology
Hct
30.4%
Hb
10.6 g/dl ↓
RBC
339 × 104/ml
WBC
13,200/ml ↑
Seg
82%
Stab
15%
Eos
0%
Baso
0%
Mono
Lym
Plt
Biochemistry
TP
Alb
T-Bil
D-Bil
GOT
GPT
LDH
ALP
AMY
BUN
Cr
Fig. 1 Chest radiograph obtained on admission, showing ground-glass appearance in both lung fields and
consolidation with the air-bronchogram in the left
lung field.
0%
3%
10.2 × 104/ml ↓
5.8 g/dl ↓
2.8 g/dl ↓
1.2 mg/dl
0.6 mg/dl
57 IU/l ↑
14 IU/l
1,852 IU/l ↑
261 IU/l
114 IU/l
14 mg/dl
0.7 mg/dl
Na
127 mEq/l
K
4.0 mEq/l
Cl
94 mEq/l
ESR
40 mm/hr ↑
CRP
9.8 mg/dl ↑
Immunology
ANA
negative
LE test
negative
RF
< 19 IU/l
Inflammatory mediators
neutrophil elastase 333 μg/l ↑
IL-8
171 pg/ml ↑
IL-1β
< 8 pg/ml
Fig. 2 Chest CT scan obtained on admission, showing
diffuse ground-glass opacity and consolidation with
the air-bronchogram in both lung fields. A small
amount of pleural effusion was found bilaterally.
酸 素 分 圧 と 吸 入 気 酸 素 濃 度 比(PaO2 FiO2)は 185
抗真菌薬による治療を行い,更に ulinastatin(US)
,γ-
mmHg,肺動脈楔入圧は 8 mmHg であり acute lung in-
globulin 製剤による治療も加えた(Fig. 3)
.しかし呼吸
jury(ALI)の診断基準を満たした1).ALI の内,PaO2
不全は改善せず,31 日挿管され ICU に入室した.この
FiO2 が 200 mmHg 以下のものは ARDS と定義されるこ
時点で胸部 X-P 上,両側肺野に浸潤影を認め,動脈血
とから1),我々は本例を,何らかの感染を契機に発症し
A 香港型インフルエンザウイルス肺炎で死亡した 1 例
785
Fig. 3 Clinical course.
られなかったが,ペア血清(Table 3)で,A Hong Kong
Table 3 Serologic data
68(H 3 N 2)株に対する抗体価(HI 法)が,わずか 9
1996/12/27
1997/1/5
Influenza type A
(H1N1)
× 32
× 64
Influenza type A
(H3N2)
× 32
× 4,096 ↑
Legionella Ab
< 128
< 128
Mycoplasma Ab
< 40
< 40
Cytomegalovirus
IgG Ab
IgM Ab
× 704
< 41
× 704
< 41
<4
<4
ARDS の原因として感染症,外傷,薬物,その他種々
―
×8
の誘因が挙げられているが3),インフルエンザウイルス
Chlamydia psittaci Ab
Candida Ag
日間で前値の 32 倍から 128 倍上昇して 4092 倍となって
いることが判明した.このことから我々は本例を,A
香港型インフルエンザウイルス感染を契機に発症した
ARDS,いわゆる電撃性インフルエンザウイルス肺炎と
診断した2).
考
案
肺炎による ARDS の詳細な臨床報告は極めて少ない.
今日,インフルエンザウイルス肺炎で臨床上問題となる
た ARDS と診断した.治療においては,レジオネラ感
のは,compromised host や高齢者及び幼少児である.
染症も考慮に入れ,erythromycin(EM)を含む抗菌薬
このようなハイリスクグループにおいては,インフルエ
を併用した.また好中球エラスターゼ阻害薬(ONO-5046
ンザウイルス肺炎に細菌感染が合併した混合性肺炎がし
・Na)
,ステロイドパルス療法,一酸化窒素吸入等によ
ばしば致命的となる.高齢者療養施設でインフルエンザ
る治療を行ったが十分な効果は得られなかった.膜型人
から死に至ったケースが多く報告されているが,これら
工肺(ECMO)の導入により低酸素血症は改善したが,
は殆ど二次性細菌性肺炎による4).本例では前医での喀
長期にわたる低酸素状態により脳死となった.このため
痰塗抹検査で菌体を認めず,当科に転院後も,数回にわ
家族の同意のもとに ECMO を停止したところ,平成 9
たる喀痰塗抹検査で菌体を認めず,二次性細菌感染を示
年 1 月 8 日永眠された(第 20 病日)
.入院中,喀痰・血
唆する所見は認めなかった.本例のように急激な悪化を
液・咽頭・尿培養でレジオネラ菌を含めた各種起因菌検
示すインフルエンザは,1957 年のアジアかぜ(A アジ
索を施行したが起因菌は同定されなかった.喀痰は漿液
ア型 H2 N2)の流行時に死亡例が幾つか報告されてお
性で,喀痰グラム染色も行ったが,好中球の細菌貪食像
り,電撃性インフルエンザウイルス肺炎と呼ばれてい
は認めず,細菌性肺炎とは診断できなかった.剖検は得
る2)5).しかしながら,その後詳細な報告例は殆どない.
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日呼吸会誌
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1997 年 5 月に香港市内において,肺炎で死亡した 3 歳
結
の男児から強毒型の H5 N1 型トリインフルエンザウイ
ルスが分離された.最終的に計 18 名の感染が確認され,
語
明らかな基礎疾患のない A 香港型インフルエンザウ
6 名の犠牲者が出た事例であった.この事例では,トリ
イルス肺炎において,急激に ARDS を発症し,死に至っ
インフルエンザウイルスが原因と判明し,ヒトからヒト
た症例を経験した.
への感染が起きなかった点で本例とは異なるが,電撃的
謝辞:レジオネラの PCR 法による検査,血清抗体価測定
な臨床経過と肝機能異常を認めた点など本例との類似点
をしていただいた東邦大学医学部大森病院微生物学山口惠三
6)
が多い .インフルエンザウイルスの感染はヘマグルチ
教授及び舘田先生ら教室員の方々,インフルエンザに関して
ニン(hemagglutinin ; HA,赤血球凝集素)が細胞表面
多大な御教示を賜った久留米大学加地正郎名誉教授に深く感
のシアル酸に結合することから始まるが,HA は宿主の
謝の意を表します.
蛋白質分解酵素によって開裂される必要がある.従って
文
HA の開裂部位のアミノ酸配列と,その配列を認識する
蛋白質分解酵素の生体内分布が病原性を決定する.トリ
献
1)Bernard GR, Artigas A, Brigham KL, et al : The
強毒ウイルス HA の開裂部位には塩基性アミノ酸が連
American-European
続しており,多くの臓器の細胞内に存在する蛋白質分解
ARDS. Definitions, mechanisms, relevant outcomes,
酵素により開裂され,ウイルスは全身感染を起こすこと
and clinical trial coor-dination. Am J Respir Crit
がわかって来ているが,ヒト型ではこのような HA は
Care Med 1994 ; 149 : 818―824.
見つかっていない.最近ヒト由来のウイルスで唯一全身
感染を起こす A WSN 33 株(WSN)を用いた実験で,
HA に関係なく強毒ウイルスが出現する可能性が示唆さ
れており,インフルエンザの重症化メカニズム解明への
Consensus
Conference
on
2)加地正郎編集:インフルエンザとかぜ症候群,南山
堂,東京,1997 ; 73―86.
3)Roland H Ingram Jr : Adult respiratory distress syndrome. Hrrison’
s pri-nciples of internal medicine,
thirteenth edition. 1240―1241.
糸口として期待される7).治療は二次性細菌性肺炎を想
4)山腰雅宏,鈴木幹三,山本俊信,他:特別養護老人
定して抗菌薬を使用し,ARDS に対してはステロイド
ホームで流行した高齢者インフルエンザ A(H 3 N
パルス療法やウリナスタチン,好中球エラスターゼ阻害
2)の検討.感染症学雑誌 1996 ; 70 : 449―455.
薬(治験中)が使用されている.だがこれらの治療は本
5)Oseasohn R, Adelson L, Kaji M : Clinico-pathological
例においては殆ど効果がなかった.ステロイド大量投与
study of thirty-three fatal cases of Asian influenza.
は免疫抑制による感染症増悪を招く可能性もある.
N Engl J Med 1959 ; 260 : 509―518.
ARDS に対するステロイドパルス療法の是非について
6)Subbarao K, Klimov A, Katz J, et al : Char-acter-
は 1987 年 Bernard らが否定的な見解を示している .
ization of an avian influenza A(H5 N1)virus iso-
しかし臨床現場ではステロイドが使用されることは多
lated from a child with a fatal respiratory illness. Sci-
8)
く,その有効性については更に検討が必要と思われる.
抗ウイルス薬としては,M 2 ウイルス蛋白質のイオンチ
ャンネル機能をブロックするアマンタジンが,最近本邦
でも認可された9)∼11).しかし A 型インフルエンザのみ
に有効で,B 型には無効であり,中枢神経,消化器に対
する副作用や,耐性ウイルスの問題がある.一方,最近
ノイラミニダーゼ阻害薬であるザナミビルが開発され,
A・B 型双方に有効で副作用が少なく,今後期待される
ence 1998 ; 279 : 393―396.
7)五藤秀男,河岡義裕:強毒インフルエンザウイルス
の分子解剖.細胞工学 2000 ; 19 : 39―44.
8)Bernard GR, Luce JM, Sprung CL, et al : High-dose
corticosteroids in patients with the adult respiratory distress syndrome. N Engl J Med 1987 ; 317 ;
1565―1570.
9)北本 治:インフルエンザの化学療法.日本医事新
報 1970 ; 2396 : 14―20.
薬剤である12)13).アマンタジンとザナミビルにはインフ
10)Hay AJ, Wolstenholme AJ, Skehel JJ, et al : The mo-
ルエンザの予防効果も認められているが,ハイリスクグ
lecular basis of the specific anti-influenza action of
ループに対しては積極的にインフルエンザワクチンを接
amantadine. EMBO J 1985 ; 4 : 3021―3024.
種する事が,現時点では重篤化を防ぐために最も重要で
11)Pinto JH, Holsinger LJ, Lamb RA : Influenza virus M
ある.本例は 69 歳とやや高齢であったが,今回の知見
2 protein has ion channel activity. Cell 1992 ; 69 :
より,合併症のない健常人であっても,重篤化を考慮に
入れた注意深い観察が必要と思われた.
517―528.
12)von Itzstein M, Wu WY, Kok GB, et al : Rational design of potent sialidase-based inhibitors of influenza
virus replication. Nature 1993 ; 363 : 418―423.
A 香港型インフルエンザウイルス肺炎で死亡した 1 例
13)Monto AS, Robinson DP, Herlocher ML, et al : Zana-
787
healthy adults : a randomized controlled trial. JA-
mivir in the preventation of influenza among
MA 1999 ; 282 : 31―35.
Abstract
A Case of Acute Respiratory Distress Syndrome Induced by
Fulminant Influenza A(H3 N2)Pneumonia
Atsushi Naganuma, Haruo Mizuma, Ichirou Doi, Akihiro Ono, Gengo Tsukioka,
Yuki Watanabe, Hideo Tsukagoshi, Hitoshi Takagi,
Kunio Dobashi and Masatomo Mori
First Department of Internal Medicine, Gunma University Faculty of Medicine
We report a rare case of acute respiratory distress syndrome(ARDS)induced by Influenza A(H3 N2)without secondary microbiological infection. A 69-year-old woman was admitted to our hospital because of cough and
severe dyspnea. We diagnosed ARDS, because of the severe respiratory failure resistant to high-dose oxygen, the
diffuse bilateral infiltrates without cardiomegaly on chest radiography, and the normal pulmonary artery wedge
pressure. This patient was treated with high doses of methylprednisolone, antibiotics, globulins, urinastatin, neutrophilic elastase inhibitor, nitric oxide inhalation, and extracorporeal membrane oxygenation, but died on the thirteenth hospital day. Our final diagnosis was ARDS induced by fulminant influenza(A Hong Kong 68(H3 N2)
)
virus pneumonia, because the antibody titers of H3 N2 influenza of paired sera showed a 128-fold increase.
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