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働く(PDF:1675KB)
第1部 チャレンジ事例
活躍している女性の事例を、「働く」
「キャリアアップ」「起業」「国際・
地域社会」「農林水産」「子育て・介護」
の6分野に分けて、ご紹介します。
イラスト
1
第 1 部 チャレンジ事例/働く
働く①
女性の感性で
夢のある季節のケーキを作る
西洋菓子「ラヴィエベル」 パティシエール
塚本 智子
(つかもと ともこ)
さん
焼津市
●ケーキが好きな女の子が、ケーキ職人になった
小学生の女の子の「将来なりたい職業」の第一位は、ここ10年以上にわたって「食べ物屋さ
ん」がトップ、なかでも「ケーキ屋さん」の人気は常に上位にランキングされています(第一生命
保険会社調べ)。このケーキやデザートを作る人がパティシエです。パティシエ(Patissier)とは
フランス語で男性の菓子製造人をいい、女性をパティシエール(Patissiere)といいます。
本来このパティシエは、器やパイ生地などに肉や魚をつめて焼く料理、パテ料理の調理人
のことを指していました。それがいつの頃からかフランスでは菓子全般の職人のことを言う
ようになり、日本では主に「スイーツ」と呼ばれる洋生菓子やデザートを作る職人の名称と
なりました。
子供の頃からケーキを食べることが大好きで、中学生になると静岡まで出掛けてケーキを
食べ歩き、その美しさに魅せられた塚本智子さんは、きれいでこんなに可愛いいケーキは
どんな風に作るのか興味をもっていました。
●迷うことなく、浜松調理菓子専門学校へ入学
焼津市で生まれ、家業が「お弁当屋さん」だったので、両親が手作りで毎日お弁当やお惣
菜などを作るのを見て育ちました。そして自然にお弁当づくりを手伝ううちに「自分の作った
ものを皆さんに食べてもらいたい」と思うようになりました。こんな思いを抱いた中学生は、
自然の成り行きで「調理師の資格が取れる高校」を選び、調理師という一つの目標を達成
しました。両親は家業を継いでくれると思っていたらしいのですが「スイーツを作りたい」とい
う幼い頃からの夢を実現したく、高校卒業後は迷うことなく「浜松調理菓子専門学校」に入
学しました。
卒業後は、現在勤めている西洋菓子ラヴィエベル(焼津市祢宣島)に入社、この店は素材の
安全性に気を配り、旬のフレッシュフルーツを使用したケーキを常時40種類も作っており、
常に旬を届けていきたいと心がけています。
●パティシエールは体力がいる仕事
スイーツの職人として入社しましたが、この仕事は商品の美しさに比べてとてもハードな仕事、
手間のかかる商品を手づくりするため、朝早くから遅くまでの長時間の立ち仕事のうえ、
2
第 1 部 チャレンジ事例/働く
一度に多量の生地を練り、大量の材料を運んだりするためにとても体力のいる仕事です。
「でもケーキづくりはとても楽しいし、毎日が勉強だから大丈夫です」と話す細身の塚本さん。
一般的な傾向として、職人自体の人数は年々減少しています。特に若手男性の数が減少し、
代わりに今では女性のほうが多く、専門学校の生徒では、男性は1~2割と以前と逆転してい
るとのこと。この頃では、オーナーからスタッフまで全員が女性という店も珍しくないそうです。
塚本さんも「この仕事は繊細な作業が多く、見た目の美しさなど女性独特の感性を活かせ
ると思うので、頑張れば女性でも成果を得られる仕事だと思う」と話しています。
●働きやすい「男女共同参画社会づくり宣言」したお店
勤務しているのは、平成20年8月に「男女共同参画社会づくり宣言」をしたお店です。従業
員にとって「仕事上での男女の差別はない・同一の仕事では男女で賃金の差はない」など、
とても仕事がやりやすい環境にあります。そして「より技術を磨きたい」と希望する従業員が
各種のコンクールにチャレンジするのを応援をしています。高校生の頃、お菓子の展示会
を見に行って「いつか自分のつくった作品を皆さんにみてもらいたい」と思ってこの道に入っ
た塚本さんは、早速コンクールに応募しました。
●「ジャパンケーキショー2007」で最高賞を受賞!
塚 本 さんは、国 内 最 大 の 洋 菓 子 コ ンクール
「ジャパンケーキショー2007」のマジパン仕上
げ、デコレーション部門で最高賞の連合会会長
賞を射止めました。「思ってもいなかったことな
ので、とてもびっくりしました。専門学校の先生
や生徒、そして他のお店のスタッフの方々から
注目されるようになり、恥ずかしかったけど本当
に嬉しい」と話してくれました。オーナーシェフの
村松さんによると、「彼女は5年前からずっと挑
戦をしてきました。仕事はまじめで、がんばり屋、
ちょっとおっちょこちょい」だそうです。
▲「ジャパンケーキショー2007」で最高賞を受賞
●夢は自分のお店を持つこと、そして結婚も、子供も
「パティシエールとして、まだまだお菓子づくりの基礎をしっかり身につけたいし、もっと体力
をつけたい。結婚をして子供もほしい。産休をとって仕事と子育て、家事をやることは大変
だと思うけど、パートナーと協力してこれからも続けていきたい」と語る塚本さん。いまでもケ
ーキの食べ歩きが趣味、雑貨屋さんを見てまわるのも好き、かわいい小物、素敵な色使い
などは、ケーキづくりのアイデアにも役立つといいます。
子供からお年寄りまで、皆さんが楽しい気持ちになり、自分が納得ゆくスイーツの並ぶ自分
の店をもつことが夢。夢に今日も向かって懸命にケーキを作る塚本さんです。
(H21.1 取材)
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第 1 部 チャレンジ事例/働く
働く②
「はたらく母子家庭応援企業」表彰!
全国10社の一つに選ばれる
株式会社東海軒 構内事業部営業課長兼店舗課長(前総務課長)
杉村 参郎
(すぎむら さぶろう)
さん
静岡市
駅弁ひとすじ120年、東海軒の「元祖鯛めし弁当」
は110年続くヒット商品です。この(株)東海軒が、
母子家庭の母の就労を積極的に支援し、採用した
ことで、厚生労働省から平成19年度「はたらく母子
家庭応援企業」表彰を受けました。県から調査依頼
があり調べたところ、女性従業員111人中17人
(15.3%)が母子家庭の母であり、女性正社員に限
れば25%もの高率になっていました。平均勤続年
数は6年9ヶ月。皆さん長く働き続けています。
▲はたらく母子家庭応援企業として厚生労
▲働省・雇用均等児童家庭局長賞を受賞
●初めての採用がいい方向に
初めて母子家庭の母を雇用したきっかけは、母子家庭自立支援センターからの採用依頼
でした。この時採用した3人の勤勉な働きぶりをみて、当時総務課長だった杉村参郎さんは
母子家庭の母を積極的に雇用するメリットを知ったといいます。責任感旺盛で勤勉なうえ生
活を担っている意識が強く、少々の事にはめげない強さと明るさをもった女性たちでした。
その後は、積極的に母子家庭の母を採用し、就業を支援しています。もちろん、初めて採
用した3人は今も東海軒で働き続けています。
●もう一つの理解 ― 母子家庭の苦労は身近に見ていた
杉村さんが、母子家庭の母を積極的に採用した裏には、もう一つ、隠れた理由がありまし
た。杉村さんがまだ20歳の時に、姉の夫が早世し、姉は小学校3年と6年の子ども二人を
抱えて母子家庭となりました。それ以来ずっと身近で一家の生活を見てきたので、母子家
庭の困難さや苦労は身に沁みてわかっています。
これからもできる限りのサポートを推進していく方針と杉村さんは断言します。
●弁当一筋100余年 コンスタントに売り上げたい
惣菜を一つ一つ詰めていく弁当作りの工程は、どんなに機械化が進んでも、手でする作業
がはずせません。こまめに手を動かしてくれる従業員がどうしても必要です。
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第 1 部 チャレンジ事例/働く
また、弁当の売れ行きは季節や天候に左右さ
れやすく、運動会シーズンの土日など一万食も
の弁当が売れる日もあれば、天候によっては
製造した弁当が大量に売れ残る日もあります。
従業員の側からすれば、徹夜で勤務する日も
あれば、午後には仕事が途切れる日もあって
不規則な勤務体系となってしまいます。このよ
うな状況を改善し会社を発展させていくために
は、行楽シーズン以外の需要を伸ばしてコンス
▲お弁当作りの基本は「安全」…ラインでの仕事風景
タントに営業実績を上げていかなければなりま
せん。その一つの方法として、食材をスーパーへ卸したり、さばの味噌煮などを業務用の真
空パックにしたりして販路拡大を図っています。また、直営レストランや喫茶店を営業して雇
用の安定を図っています。
●人を育ててこそ会社も発展する
会社のこのような姿勢は従業員へも伝わり、モチベーションを高める雇用のあり方を考える
ようになりました。少人数で効率よく仕事をこなすには、一人の従業員が少なくても2つ以上
の業務をこなす多能化教育が必須となってきます。たとえば、おにぎり、盛り付け、サンドイッ
チなど、いくつかのラインで仕事がこなせ、そのうえ配達も担当できるといった人材の育成で
す。そのためには、各工程での経験が不可欠ですし、長く勤務してもらえなければ人材を養
成することはできません。よい職場環境ができて、一人ひとりの労働の質が高まり、効率が
上がれば、賃金上昇にもつながります。
●女性ならではの感性を活かして
弁当屋は女性が活躍できる職種であり、これからは、重要なポジションにどんどん女性を登
用すべきだと杉村さんは進言します。実際、鷲巣容子常務を中心に、商品(弁当)開発プロ
ジェクトを立ち上げ、新商品の開発が進んでいるそうです。また、現在は、職場リーダー、サ
ブリーダー、ラインリーダーなどに女性がいますが、今後は、製造・管理・販売・営業などの
各部署でも女性にリーダーシップを発揮してもらい、管理職へ登用したいと熱く語ってくれま
した。
●味の重要文化財となる日まで
昔は早朝に出かける釣り客などのために東海軒は24時間営業でした。しかし、今はたくさ
んのコンビニが24時間営業している時代です。時代とともに環境が変わり、弁当屋の役割
も変わっていきます。「今後も、女性ならではの感性を新商品の開発に活かし、お客様に信
頼される東海軒であり続けます」と、杉村さんの、女性の能力を活かしたお弁当づくりへの
チャレンジは、これからも続きます。(H19.9取材)
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第 1 部 チャレンジ事例/働く
働く③
水上の挑戦者
プロ2年目に賭ける競艇選手
競艇選手
山下 友貴
(やました ゆうき)
さん
浜松市
●プロへの布石 ― 器械体操に打ち込んだ日々
「やはりプロの世界は厳しい。成績も思うようにいかず、落ち込むことも多い。自分は成長し
ているのだろうかと悩む日々。でも、ここは自分で入りたいと思った世界、楽しいです‼」とキ
ッパリ言い切るのは、平成19年11月に競艇選手としてデビューした山下友貴さん22歳。
小さい時から体操選手を目指し、中高一貫校の浜松開成館に学び、ずっと器械体操に打ち
込んできた。将来は大学に進み教師を目指していた。高3ではインターハイに出場、国体の
メンバーにも選ばれ入賞も果たした。しかし、これ以上体操を続けても伸びないのではない
かと感じ、高校を卒業すると看護専門学校に進んだ。しかし、自分の中に封印したはずの
スポーツへの熱い思いは消すことができないでいた。
●スポーツを仕事にできたら素晴らしい
そんな山下さんに転機が訪れたのは、知人の競艇デビューの応援に出掛けた浜名湖。競
艇を見るのは初めてだった。「スピードと迫力に興奮し、かっこいいと思った。」
競艇の魅力に引き込まれ、しばしば一人で競艇場に通った。そして、「スポーツを仕事にで
きたらどんなに素晴らしいことか」と思う様になった。「競艇選手になりたい」と親に相談した
が猛反対された。一旦は諦めようとしたが諦め切れず、まず、視力矯正手術を受け、受験
に備えた。そして、両親には内緒で1次試験に挑み、合格。次いで、福岡県柳川の「やまと
競艇学校」での2次試験に進んだ。ボートの操縦、走り込みの体力テスト、動体視力の検査
などで、半分がふるい落とされ、面接や身体検査で合格が決まる。受験年齢に制限があり、
山下さんに残されたチャンスは二回。そんなプレッシャーも撥ね退け、見事1回で合格。晴
れて競艇学校に入学することになった。「諦めず頑張れば道は開ける。諦めたら終わりだ」
と山下さんはその時実感した。
●競艇学校を卒業、晴れてプロデビューへ
競艇学校の朝は早い。6時起床から消灯まで分刻みのスケジュール。朝8時から12時、午
後1時から4時までの厳しい実践、夕食後7時までは自習時間、消灯までの短い時間に入
浴や洗濯、部屋の掃除とすべて自分でこなす。「今までの生活とのギャップが大き過ぎて慣
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第 1 部 チャレンジ事例/働く
れるまで大変でした。」
40人いた同期は卒業時には28人に減っていた。9人の同期の女子選手は全員卒業し全
国に散っていったが、今も心強い仲間であり、良きライバルでもある。
●結婚しても子供ができても競艇選手は続けたい
「競艇は努力した分結果が出て、男子選手と同じ舞台で勝負ができる」と語る山下さんは、
今はまだB2級。月に一節しか仕事がなく、地元浜名湖で練習の日々。仕事がある時は、
開催の前日に競艇場に入り、外部との接触は断たれ、携帯電話も預ける。「一番難しいの
はエンジンとプロペラの調整。レースの組み立てを考えても実際には思う様にいかない。い
つも反省ばかりです」と笑う。山下さんが師匠と仰ぎ目標とする坪井康晴選手は、いつもレ
ースを検証し、プロペラの事も教えてくれる。「そんな良き先輩達に支えられている」と、いつ
も感謝の気持ちを忘れない。競艇は「水上の格闘技」といわれ常に危険と隣り合わせ。両
親は山下さんの無事を祈って帰りを待っているという。
「今までで一番嬉しかったのは、今年1月初めて一着をとった時。祝福の儀式で海に落ちた
が、嬉しさで寒さなんか感じなかった」と喜びを噛みしめる。「来年の目標は、B1級になるこ
と。思った通りボートを操縦し元気よく走りたい。将来はお客を呼べる選手になりたい。」と
目を輝かせる。「自分の努力次第で経済的に自立できるのもこの仕事の魅力。結婚し子供
ができても続けていきたい。でも、本当に結婚できるのかな?今は想像もできない」と、はに
かむ笑顔は、勝負師の顔ではなく普通の20代の女の子の顔に戻っていた。(H20.11 取材)
▲同期女子選手は心強い仲間
▲本番レースで疾走中
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第 1 部 チャレンジ事例/働く
働く④
ハンディキャップと共生しながら、伝統織物技術の技能者に
地域の障害者支援にも積極的に参加
手織り佐賀錦技能者
湯浅 美奈子
(ゆあさ みなこ)
さん
沼津市
湯浅美奈子さんは、生後1ヶ月でダウン症候群と診断された。しかし、「普通の環境で普通
に育てよう」と考える両親の深い愛情と理解に支えられ、ハンディキャップと共生しながら、
日本の伝統織物技術である手織り佐賀錦織りの技術を修得。作品展を開催するほか、ア
ートフェスティバルなどにも積極的に出展し、佐賀錦の織り手として活躍している。そのか
たわら、フルートやボウリングにも挑戦している。いったんやると決めたら絶対にやり通す
のが美奈子さんの流儀。それやこれやで、けっこう多忙。美奈子さんの毎日は羨ましいほ
どで充実している。
●毎日、少しずつ織っていくのが、とても楽しい ― 佐賀錦織りとの出会い
「中学を卒業して直ぐ親元を離れて芸術工芸高
等専修学校に入学しました。初めから織ること
が気に入り、大好きになりました。」
佐賀錦は、肥前佐賀に伝わる伝統の織物で、
金、銀、漆を貼った特製の和紙を細く裁断したも
のを経糸とし、絹の撚糸を染色したものを緯糸
として丹念に織り上げられる。非常に根気のい
る手仕事で、精緻な技術を要するため、一日に
わずかしか織ることが出来ないが、絢爛豪華で
▲図柄帳で図柄を選ぶ美奈子さん
気品のある美しさが特徴。
「もう20年間あまりずっと織り続けていますが、イヤになるとか、もうやめようとか思ったこと
は一度もありません。年季が入ってくると、腕も上がり、だんだん自信がついてきました。私
の一生続けていける仕事を手に入れたという感じで、毎日織り機にむかうのが、とても楽し
いです。」
●真似はしない、自分で柄を考えることも。完成するのは1年先、2年先
「佐賀錦の柄の種類は、難しいのや、やさしいのや、いろいろ数え切れないほどありますが、
私は体が小さいので、帯や屏風のような大作は無理で、バッグ、ブローチ、草履などになる
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第 1 部 チャレンジ事例/働く
布を織っています。織りながら、いろいろ工夫するのが大好き。織るのにとても時間がかか
るので、注文してくださった人の手に渡るのは、1年先、2年先です。私が織った佐賀錦を使
ったバッグなどの作品を、似合った人に持っていただくのは、とても嬉しいです。」
●美奈子との歩みは、とても楽しみで夢のある歩み
どんな問いにも笑顔いっぱいで、ゆっくりと答え
る美奈子さん。傍らで見守る母親の優子さんに
もお聞きしました。
「私は、ダウン症の子を持ったために、社会から
は気の毒な人という見方をされてきたかもしれま
せん。でも、美奈子がいるお陰で、毎年伊豆高原
アートフェスティバルに参加でき、多くのやさしく心
の大きな一流の芸術家の方たちともお知り合いに
なれたし、美奈子の作品を見に来てくださる多くの
▲お母さん(湯浅優子さん)と一緒に
方々との出会いが生まれています。美奈子の存
在が、私自身の世界を広げてくれたと感謝しています。美奈子の作品についても、“障害者
の作品”ですというカッコつきのなにかではなく、作品そのものの持つ力で勝負したいと考え
てきました。個展を開催したり、伊豆高原アートフェスティバルに出展したりしているのも、そ
ういう思いからです。佐賀錦織りそのものが大変高価ですので、美奈子の作品も高いもの
だと、10万円以上もします。でも、その価値を理解してくださる人からの注文が絶えません。
東京からわざわざ見にきて注文をしてくださり、愛情を持って使い続けてくださる方たちもい
ます。これからは湯浅美奈子の名前を入れてブランド化することも考えています。」
●夢は、名人になって独り立ちすること
「時々、東京などで開かれる佐賀錦作品の展示会も見てまわって勉強します。毎年開いて
いる伊豆高原アートフェスティバルでの個展の時は張りきります。大勢の人が来てくれて、
私の作品について話しているのを聞くのも、とても楽しいです。もっともっと腕を上げて、時
間がかかっても、名人になって独り立ちできるようがんばりたい。名人になったら、今度は
教える人になりたい。今もボランティアで少し教えていますが、教えた人が織り方を覚えて、
自分で織ることができるようになるのを見るのが楽しいです。」(H19.9取材)
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第 1 部 チャレンジ事例/働く
再 就 職
しました!
~私の体験談~
(財)21世紀職業財団静岡事務所の「再就職希望登録者支援事業」に
参加し、実際に再就職された方の声をご紹介します。
●
●
再チャレンジサポートプログラムを受けて
今年度になって、一番下の子が入園。私以外全員がお昼を外で食べてくるようになり、
午前中の時間がまるまる自分のものとなりましたが、「午前中だけ働くなんてムリだし
…」「PTAなんかの用事もあるし」「まだ子どもも小さいし」などと自分で自分に言い訳
をして、ボランティア的なことをいろいろして過ごしていました。
そんな時、再チャレンジサポートプログラムを知り、自分の都合のよい時間に通うだ
けというので、早速申し込みました。20年後の自分を考えたり、性格診断をしたりす
ることで、自分の中の“仕事に対する気持ち”を改めて見つめ直すことができました。
今すぐ仕事を始めることに消極的だった私の気持ちを、コンサルタントの方はまるご
と受け止めてくれたので、自然に「今の私にも、やるべきことがある」という気持ちにな
りました。プログラムを受ける前は、午前中だけの保育の仕事なんてあるわけがない
と諦めていました。しかし、紹介してもらった福祉人材センターへ登録にいくと、いろい
ろな条件の仕事があるということがわかりました。早速面接が決まった時は、なかな
か踏み出せなかった一歩が踏み出せた気分で、とてもうれしかったです。平行して職
場体験もさせていただき、保育の現場で働いている方々の生の声が聞けました。通
勤して働いてみることで、私の中に、仕事を始めるにあたっての心構えのようなもの
ができてきました。
このプログラムを始めて、コンサルタントの方をはじめ、人材センターの方、職場体験
でお世話になった方、と、たくさんの方にいつの間にか応援してもらっていたのです。
このプログラムは、私の再就職応援団。「はやく働けるといいわね」と、たくさんの方か
ら応援の言葉をいただいて、とても心強く感じました。あきらめずに臨んだところ、パ
ートで勤務することになりました。
応援団の皆さん、心からありがとう。
静岡市 F・Cさん
●
保育(パート)
●
10
第 1 部 チャレンジ事例/働く
●
●
やりたい仕事で再就職
出産を機に店舗設計の会社を退職し、10年間は専業主婦として過ごしました。在宅
の仕事を希望のため、まずパソコンを習う決心をし、電源の入れ方から学びました。
夜のコースに通ったため、偶然にも前の会社の人と出会い、その方を通じ在宅の仕
事を紹介していただきました。いろいろな所での人との出会いは本当に大切だと実感
しています。
再就職にあたっては、図書館で本を借りて履歴書作成の方法を勉強し、パソコンで作
成したり、Re・Beワークセミナーに参加したり、常にアンテナを高くすることを心がけ
ました。現在は、大手住宅メーカーでリフォームアドバイザーとして働いています。希
望していた職種に就くことができ、将来は2級建築士の資格取得を目指しています。
Re・Beワークセミナーの参加や情報誌「Re・Be」は心の支えとなりました。10年のブ
ランクがあっても再就職できますよ!
磐田市 T・Eさん
リフォームアドバイザー
●
●
●
●
仕事に対するプラス思考と周囲の理解と協力が元気の源!
感謝の気持ちを忘れずに!
二人目の子どもが満1歳になって仕事を再開して1年。振り返ってみると、自分の力
だけでやってこれたことはひとつも無い様に思います。子どもが体調を崩した時は、
義父母が面倒をみてくれ、急な保育園のお迎えには夫が早退してくれたり。
子ども達も、「僕は、ばあばといるから大丈夫。お仕事がんばって!」と言ってくれ、涙
しながら出社したこともありました。職場の上司や同僚も「働くお母さん」の私の事情
をよく理解してくれます。この1年で仕事に対する気持ちも変化しました。当初は、「小
銭が稼げればいいや、どうせパートだし」と思っていましたが、仕事を自分なりに精一
杯やってゆくと、はねかえってくるものも、沢山ありました。上司から期待されるのも悪
くないし、仕事を達成したときの超気持ち良い感覚もたまりません。せっかく1日会社
で過ごすのなら、「どうせ」と思うより、「やってやろう!」と思って取り組んだ方が、い
ずれ実を結ぶことも実感しています。夢は起業することですが、周囲の人たちの暖か
い援助の手があるからこそ成り立っていることへの感謝の気持ちを大事にしていきた
いです。
静岡市 K・Hさん
●
一般事務(パート)
●
11
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