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Page 1 Page 2 特集のアメリカはどこへ行く 日・オバマの勝利演 もし丶
ファム ポリティク (政 治 的 女 14)2008■ :秋 り通 巻62り
フ ア ム・ ポ リ テ ィ ク
特集
12月
(3 6 9 12'125「 1)発 行 2000年
2511発 行
NO.62 00NTENTS
ア メ リ カ Iま ど こ へ 行 く
日 。オ バ マ の 勝 利 演 説 … … 訳
田 中喜美子
ドル が 崩 壊 す る 日 … … 青 木 秀 和
日米 関 係 の 未 来 … … 岸 田
裏悼
2008年
東玲治 さん
秀
8
準
12
14
書 評・ 日 本 が ア メ リ カ を 赦 す 日 … … 鈴 木 由 美 子
バオバ ブの国
2
5
… …田中喜美子
「 み ど り の 未 来 J発 足 … … 光 書
福 田喜 久 江
セネガル ……西村宏子
15
16
::11爆
6ナ 129日
第 1種 郵使 物 認 ‖
r
我 々ア メリ カ国民 が出 し た答
今夜、 この選挙 で我 々が成 し
あり、心から 一緒 に戦 ってく
知 れま せ ん。
です 。 彼 ら に受 け た恩 は計 り
彼 ら が こ こ に いな いのが残念
︲
囀 様 ① アメ リ 力 懲だ 難 ヘ
︲
︲
︲
もし、 アメリカではす べて
れた男、 スクラント ンの通り
キ ャン ペー ン ・マヽ
不︱ジ ャ
遂げた こと によ って、 アメリ
ラウ ェアに帰 る列車 に乗り合
え な のです 。
共和
我 々は決 し て赤 の州 ︵
が可能だと いう ことを、 アメ
党 ︶と青 の州 ︵
民主党 ︶ の寄
ー のデビ ッド ・プ ル フ、 テ ー
で共 に育 った人 々の声を、 デ
の夢が生き て いると いう こと
リカには今も こ の国 の創始者
わせた善男善女 の声を代弁 し
フ ・スト ラ テジ スト のデビ ッ
カは変わるのです。
を 、そ し て民主 主義 の力を 、
てくれた、合衆国副大統領ジ
それ は、実 に長 い間 、実 に
暮らしができ るのです。
私は、 マケイ ン上院議員と
力 のおかげ で私達はより良 い
この勇敢 で無私な指導者 の尽
達 ふたりを愛 し て います。私
今 ここに立 っては いな いでし
ょう。サーシ ャ、 マリ ア、君
いサポートがなければ、私は
な いでし ょう 。
に こ の勝 利 の立 役 者 で あ る
しか し、何 にもま し て、真
牲 に永遠 に感謝 します 。
陰 です 。 私 は君達 が払 った犠
ド ・アクセ ル ロ ッド、 そ し て
め にさら に長く過酷な戦 いを
挙戦を戦 い、愛す る祖国 のた
いを作 る のだと信じ、生まれ
多 く の人 々によ って、自 分達
ペイリ ン知事を、彼ら の成果
それは、 みな さ ん です 。
守 ってく れ て いる でし ょう 。
を育 ん でくれた家族と共 に見
もう いな いけれど、祖母は私
シ ント ンのホ ー ル で計 画 さ れ
す 。我 々のキ ャン ペー ンは ワ
金 も 推 薦 者 も な か った の で
私 は決 し て有 望 な候 補 では
私 のこの旅 のパートナーで
一六年来 の親友 であり家族
て初め て三時間も 四時間も並
疑 と 皮肉 と 恐怖 を 抱 く よう に
達と 一緒 にホ ワイト ハウスに
ョー ・バイ デンに感謝を捧げ
ッド ・ステー ツ 。オブ ・ア メ
未だ に疑 つて いる人があ るな
さき ほど、 マケイ ン上院議
せ集 め ではあ りま せ ん。
我 々は こ れま でも 現 在 も 、 員から丁寧 な電話を頂戴 しま
した。彼は、長く辛 いこの選
リ カ﹂ な のです 。 それ が我 々
続け てきま した。祖国 のため
そ し てこれ からも ﹁ユナイ テ
らば、今夜 ここに、そ の答え
があります。
それは学校 や教会など の投
ア メリカ人 が世 界 に向 か って
んだ人 々、彼らが出した答え
です。
しむ け ら れ て いた 人 々が、 歴
を祝福 します。そし て数 ヶ月
来 ること にな る新 し い子犬を
政治 史 上最高 のキ ャン ペー ン
チ ー ム、 こ の勝利 は君達 のお
票所 の前 に列を成した前代未
発 信 した ﹁
答 え﹂ な のです。
それは若者も高齢者も、富
史 の弧 に手 を ふれ、 そ れを 今
後、 こ の国 の約束を新た にす
手 に入れま したね。 そ し て、 あ りま せ ん でした。 最 初 は資
違う、自 分たち の声 がそ の違
める者も貧 しき者も、民主党
一度 より よ い未 来 の希 望 の方
るため に彼らと共 に仕事 が で
ます。
間 の多 く の人 々、今度 こそは
に我 々には想像も つかな いよ の核 であり私 の人生 の愛 であ
う な犠 牲 に耐え てき ま した。 り、次期大統領夫人 であ るミ
ッシ ェル ・オ バ マのゆるぎな
員も共和党員も 、白 人も黒人
向 に撓 わ せた答 え であ り ま し
人 々 のこと を 私 は決 し て忘 れ
も、 アジ ア系も ラテン系も先
た。
長 い道 のり でした。しかし、
が達成 す べき 物事 に ついて懐
住民系 の人 々も 、同性愛者も
き ることを楽 しみにし て いま
す。
障害者も、そし てそう でな い
人 々も 、とも に出 した答 え 、
0
オバマの勝利演説
B。
た のではなく、 デモイ ンの裏 大 の難題が待ち受 け て いるこ
庭 で、 コン コード の居 間 で、 とを我 々は知 って います。 二
ありません。今ま でのやり方
う神話を しりぞけ、家を離れ
彼等 の世代は無感情だと い
な蓄え の中から、五ド ル、
一
〇ド ル、 二〇ド ルと献金 し て
くれました。
寝 つけず に、どう や って住宅
子供達が眠り に ついた後も
ます。
な者達が いることを知 って い
のために命を賭 し て いる勇敢
我 々は、イ ラク の砂漠 で、 ア
フガ ニスタ ンの山中 で、我 々
題 に対し て、常 に皆 さんに正
き るわけ ではありません。し
かし、私は我 々が直面す る難
政府はす べての問題を解決 で
す る人も 大勢 いる でし ょう 。
すあら ゆる決断 や政策 に反対
うまく いかな いこともあ るで
し ょう。私が大統領とし て下
つまずく こと や、最初から
この金融危機が我 々に何か
始ま った ことが、 この秋 の夜
で終 わ る こと はあ りま せ ん。 を教え てくれたとしたら、そ
年間培 ってきた唯 一の方法で。
くと いう、 アメリカが 三二 一
ガひと つず つを積 み上げ て い
でブ ロックひと つず つ、 レン
り懸命 に働き、自分 のことだ
と責任 の精神を奮 い起 こしま
し ょう。仕事 に精を出し、よ
新たな愛国 の精神を、奉仕
現するため のチ ャンスでしか
それは我 々にと つて変革を実
いかも しれま せ ん。 しか し、
私は皆さん の声 に耳を傾け
私は今夜 ほど、我 がそれを ます。とりわけ意見が食 い違
々
った時 には。
に逆戻りし ては、それは成 し
つの戦争、危機 に瀕した地球、 達成 でき ると いう希望 に満ち
私は何 にもま して、皆さん
得な いのです。皆さんなし で
家族と離れ て、安 い給料 で睡
ロー ンを 正面しよう か、どう
労働者達が彼ら のささやか
チ ャールスト ンの玄関先 で始
て いた ことはありません。私
にこ の国 の再建 に参加し てほ
は成し得な いのです。
今世紀最悪 の金融危機 です。
は我 々が国民とし てそれを達
し いのです。た このできた手
ま った のです。
成し得 ると約束します。
眠を削 って働 いてくれた若者
達が いました。勇敢 にも厳し
や って医療費を払おうか、ど
こ の勝利 のみが、我 々が追 い れは、 メイ ンストリートが苦
求 めた変革 ではな いのです。 しんで いる時 にウ オールスト
今 夜 こ こ に立 って いても
い寒さや焼け つくような暑さ
直でありた いと思 っています。
ことを知 って います。皆さん
に戦 って下さ った のではな い
に勝 つために、また私 のため
これはあなた方 の勝利です。
私は、皆 さんが、単 に選挙
いう 人 々が 力 と な った の で
す。
百万人 のアメリカ国民、そう
は いな いと証明し てくれた何
登り坂 は険 し
い道 のり です 。
これからが長
があ るのです。
される べき 同盟
す る脅威 、修復
し い学校、直面
設される べき新
新たな雇用、建
ければならな い
し い 千 不ルギ
ー、作りだ さな
利用す べき新
年 の人 々が いま した。ボ ラン うかと頭を悩ま
ティ アに参 加 し組織を作 り 、 す 親 達 が い ま
す。
ホ ワイト ハウ スにもたらした
のは、 こ の州出身 の 一人 の男
立された共和党 の旗を最初 に
の団結と いう価値観 の下に設
う。自立と個人 の自由と国家
りす る誘惑をはね のけま し ょ
派心 や狭 い心 や未熟 さに後戻
長年、政治を害 し ていた党
民とし て盛衰を共 にす る ので
す。
一つの国
我 々は 一つの国家、
い出 し て下さ い。 こ の国 で、
う精神を。
け でなく互 いに助け合うと い
をも のとも せず、見知 らぬ家
う や って大学 の学費を貯 めよ
は これからなす べき課題 の大
二 一ヶ月前 の冬 のさなか に
を訪問し て回 ってくれた中高
き さを知 っておられる。今夜
一年 や 一期
く、
め の政府﹂ は、 二世紀以上を
経た今も この地球から滅び て
いう こと です。そ のことを思
性だ った ことを思 い出しまし
ょヽ
つ。
それら の価値観は、私達皆
に共通 し て います。 そし て、
0
リート の繁栄 はありえ な いと
お 祝 いム ー ド に浸 って いて
では達成 できな
﹁
人民 の人 民 によ る人民 のた
も、明 日になれば今ま での最
絵 。西 田淑子
た今宵も 、謙虚 さと、我 々が
民主党が偉大な勝利をかち得
ること のな い希望、と いう永
平等 な︶機会 、決 し て朽ち
︵
﹁
我 々は でき る﹂ と いう アメ
でき な いと 言 わ れ た 時 代 、
す べてのこと に思 いを馳せま
す。痛みと希望、苦闘と進歩、
び つき ま した。 そ し て今年 、 リームを取り返し、多く の中
身 の科学と想像力 によ って結
ベルリ ンの壁。世界は私達自
我 々にはでき るのです。
月 に到達した人、崩壊した
でも我 々はひと つであ ると い
主張を推進 し、 アメリカ ンド
き 、繁栄を取り戻し、平和 の
のた め に チ ャ ン ス の扉 を 開
人 々が仕事 に戻り、子供達
前進す ることを引き止め てい 遠なる理想 の力にあるのです。
た分裂を 正す決意 をも って、
それが、変わることが でき
リカ の信念をも って押し進め
こ の選 挙 で ク ー パ ー さ ん は
そ の価値観を共有 します。リ
た人 々。
投票機 の︶ スクリ ー ンにそ
︵
う根源的真実を再認識しまし
ょ つ。
ヽ
呼 吸 しな がら希 望を抱き 、
ると いう アメリカ の真 の特質
です。
ンカー ンが今よりはるか に分
なぜなら彼女は この国 での
皮肉 や懐疑心 や、 でき な いと
の指を触れ 一票を投じたのです。
一〇六年間、最良 の時も最悪
言 い張 る人達 に出会 った ら、
女 性 達 の声 は 沈 黙 さ せ ら
れ、彼女達 の希望は退けられ
の時も通して、 アメリカが い
た時代 に、クーパーさんは生
と ができ るまたは成し得 る べ
き て、女性が立ち上がり声を
上げ、選挙権を得 る のを見届
裂し て いた時代 の国民 に対し
我 々の団結は完全 になりま
て ﹁
我 々は敵 同士 ではなく 、 す。我 々が今ま でに成 し得た
ことが、 これから成 し得 るこ
友人だ⋮感情は張り つめ て い
ようとも 、愛情 の絆を断 って
はならな い﹂と言 ったよう に。 き こと の希望となるのです。
か に変わること が でき るかを
のです。
けました。
今 回 の選挙 には、初め ての
う不況 の時 に、 ニューディー
アメリカの皆 さん、私達は
私を支持 してくれなか った
こと、何世代も語り継 がれる
ル政策 や新たな雇用 や新たな
ここま で来ました。多く のこ
アメリカ国民 の精神を要約し
た、時を越え て変わること の
よう な物語がたくさんありま
した。しかし今夜、私 の心 に
共通 の目的意識 によ って、恐
とを見 てき ま した。 しか し、 皆 さ んと ア メリ カ合 衆 国 に神
方 の声を聴く、あなた方 の助
けが必要だ。私はあなた方 の
姿を、彼女は見 てきました。
我 々は でき るのです。
達自身 に問 いかけまし ょう。
あります。 ですから今夜、私
った アラバ マ州 モンゴメリーの
注 1 黒人解放 のき っかけとな
そう です、我 々には でき る
のです。
*
わが国 の港が爆撃 され、独
我 々の子供達が次 の世紀を
バスボイ コット運動事件 ︵
19
あり がとう !
一つだけ違 って い
す べ て の 人 々 に 言 いた い。 りません。
裁が世界を脅かした時、ひと
生き て見るなら、私 の娘達が
機もな い時代 でした。彼女 の
を消火ホースによる散水 で抑圧
注 2 白人警官が黒人 のデモ隊
注3 参政権を求める黒人が警
日事件﹂ ︵
1965年︶
ンガムの事件 ︵
1963年︶
しようとした アラバ マ州 バーミ
モンゴ メリー のバス 注← 、 の当 た り にす るだ ろう か ?
︵
バーミンガ ムのホース ︵
注と 、 我 々はど んな進歩を遂げ て い
セ ル マの橋 歴 こ 、 そ し て るだ ろうか?と。
きす るなら、ど んな変化を目
55年︶
のご加護を ︱
た のは、 アン ・ニク ソン ・ク
つの世代が雄 々しく立ち上が
我 々は、平和と安全を願う
ような人は、女性 であ ること
やる べき ことはまだたくさん
ーパーさんが百六歳だと いう
大統領 でもある のです。
知 って いたから です。
アメリカ国民 に言 いた い。あ
あ る のは、 アト ランタで投票
してくれたある女性のことです。
怖そ のも のを克服す る国民 の
そう です、我 々には でき る
なた方 の票 は得 られなか った
彼女は、今回 の選挙 で自分
な い信念 で答え よう ではあり
ませんか。
我 々はでき るのです。
議会 や王官、忘 れられた世
の声を届けるため投票 の列 に
我 々の物語は特異だが、行く
こと です。
砂嵐 の中 の絶望 や国土を覆
界 の片隅 でラジオを聞 いてい
並 んだ他 の多く の人 々と変わ
かも しれな いが、私はあなた
る人 々、今夜海外 で見 て いる
先は共通だ。 アメリカ の新し
いリーダーシ ップ の夜明けが
彼女は奴隷制からわずか 一
人 々を支えます。 アメリカ の
我々の時、我々の時代なのです。
え る好 機 な の です 。 そ れ は
これは、そ の呼びかけ に答
官から暴行を受けた ﹁
血 の日曜
師。彼女は いつもそ こに いま
した。
語 った アト ラ ンタ 出 身 の牧
人 々に ﹁
我 々は勝利す る﹂と
我 々はでき る のです。
り、民主主義が救われるのを、 幸運 にも アン ・ニク ソン ・ク
彼女は目撃しました。
ーパーさんと同じくら い長生
近づ いて いる。 この世界を破
等 火がまだ輝かしく燃え てい
と肌 の色 の二 つの理由から投
票権がありませんでした。
壊 し よ う と す る 者 た ち よ 。 世代あと に生まれました。通
り には車もなく、空 には飛行
る のかと いぶかる人 々よ、こ
そし て今夜私は、彼女 のこの
我 々は君達を打ち負かすと。
の国 の本当 の強 さは武力 や財
力 ではなく、民主主義、自由、 国 での百年を通し て見 てきた
④
ドルが崩壊する日
世 界 の経済が 、音 を立 て
﹁
事 故 米 ﹂ と 同 じ構 造
サブ プ ラ イ ム 問 題 は
わり に、
〓薔亘は必ず輸入し
関税をかけ ることを認 める代
対し て七 八〇%と いう高率 の
アクセ ス米と し て輸入された
米だ。 これは日本が輸入米 に
買 った三笠 フーズ は、食用
農水省 の言がそれを証明し て
いる。
いう認識が強か った﹂と いう
環とし て速 やか に処理す ると
﹁
事故米を経理手続き の 一
スク回避 のため に、債権 ︵
サ
いとわか って いた。だからリ
宅 ロー ン会社は農水省と同じ
く、 こ のロー ンはリ スクが高
故米と置き換え てみよう。住
サブプ ライ ム ロー ンを、事
青 木霧秘
サブプ ライ ム問題とは、
一
なければならな い、と WTO
能力 のな い人 に住宅 ロー ンを
九九三年︶ で約束させられた
よ に売り たか った。何 せ、 早 身軽 にな ろ とした ので
く
う
う
経理手続き の
仕 入 れ値 は 一聴あ たり 八円。 あ る。ま さに ﹁
口で いう と ﹁アメリカで返済
て崩 れ始 め ている。発端は
アメリカ のサブ プ ライム ロ
﹁
最低 限 の輸 入量﹂ を 保 つた
のウルグ アイ ・ラウ ンド ︵一
貸 し ては い
ー ン問 題 だ 。 ﹁
貸 し付け、案 の定返済が でき
め の米 で、 日本とし ては米と
ブプ ライ マーから借金を取り
立 てる権利︶を誰か に売 って、
なくな ったために起 こ った問
にはならな いと知 っては いた
が、な んとか食 べる米と同じ
けな い人﹂ に貸 し、返せな
題﹂と いう こと が でき る。し
一貫 と し て速 やか に処 理 す
それを普通 の米と同じ三七 〇
る﹂ のが目的 であ る。
いう 日本 の保護貿易 の聖域を
円 で売れば、大儲け できる。
そ の債権を買 った証券会社
かし、それがなぜ ﹁
世界的な
経済危機﹂に結び つく のかは、 守 るため、品質が悪く食 用 に
ただ、そ のまま売り つけた
い借金 を返せる借金 と混ぜ
てこまかし、それを ﹁
証券
でき な いとわ か って いても 、
も、三笠 フーズ 同様 ﹁これは
工会社 ・三笠 フーズ による事
今年九月 に発覚 した、米粉加
べら れ な い米 だ か ら 売 れ な
い。倉庫 にだ ぶ つくばかり で
政治的 に買わされたが、食
設 に売り つけた。値段 に見合
など延 べ約 二七 〇の業者 や施
米 に事故米を混ぜ、米菓業者
いたか ら こそ、 ﹁
事故 米 じ ゃ
通 常 のも のよ リ リ ス ク が 高
い﹂とわか って いた。知 って
そ こで参 考 にした いのが、 毎年輸入して いた。
なかなか理解しづら い。
のでは発覚 し てしまうかも し
化 ﹂ と 称 し て小 口 に 分 け
て、世 界中 に売 りさば いて
しま った ツケが 、海を渡 っ
故米 の流通過程だ。両者を比
食
あ る。だ か ら農水 省 は、 ﹁
て私 たち の身 にもふりかか
っている。
一〇〇年 に 一度 の大 恐慌
べてみると、驚く ほどよく似
な い﹂よう にみせかけようと、
﹁証券 化﹂ な るか いく りをあ
れな い。そ こで、通常 の食用
とも言われ ているが 、事態
て いることがわかる。
理は買 ったほうが考え ればよ
い。と にかく事故米 の在庫を
債務担保証券︶は、
CDO ︵
をあ いま いにす るため に、自
みだした のであ る。
げ、不正に高く売 った のであ
一。
フ
サブプ ライ ム ロー ンのリ スク
たく同じ構図がある。
サブプ ライ ム問題 にもま っ
う 価 値 のな いも のを 作 り 上
はも っと深刻だ 。私 たちが
続 け てきた経済 のシステム
事故米とは、カビ毒 や残留
用 にし ては いけません﹂と言
って売 ること にした。後 の処
そのも のが問われ ている。
減らす こと である。
農薬 で汚染され、食用 に適 さ
ベトナムなどから ミ ニマム ・
な い米を いう。多 くは中国や
0
動車 ロー ン、消 費者 ロー ンな
ど 、住 宅 と 異 な る種 類 の ロー
ンと組 み合 わ せ て 一つの証券
と し て いる。
い﹂。
借り て いる のに対し、証券会
金利が高 いのは、返済能力 社が機関投資家から調達し て
に関す るリ スクが高 いか ら、 いる債 権 購 入 のた め の資 金
は、
一年か半年 で返済す る短
と いう最初 の 一歩は忘 れ去ら
ト ・フアンドや年金基金など
た 。 証 券 会 社 は プ ライ ベー
み込 んだ 証 券 は 人 気 と な っ
この格付け に踊らされる形
で、サブプ ライ ム ロー ンを組
の欠如と いう ほかはな い。
す る会社 にあ るまじき倫理観
の﹁
証券化﹂ビジネ ス。これ だけが 一人歩き し始 める。あ
を ﹁
新 し いビジネ スモデル﹂ ろう ことか、カネをも ら つた
と持ち上げ、こぞ って推奨し 会社 には高 い評価を つけ て い
た経済学者や評論家たち の責 たと いう から、信用を商売と
も使われ、次 の証券 が売 れ て
で 一日だけ借りる コー ル市場
かけるため に、金融機関同士
る日に残高 があるよう にみせ
最終的 には、引き落とされ
など考え ては いな い。
に次ぐ転売。誰も ﹁
先 のこと﹂
になる。しかし、実際は転売
替え る必要があ ると いう こと
期 のも のだ。 三か月と いう超
の機関投資家、商業銀行から
入金 す るま で何と か つなぐ。
れ、 ﹁AA A﹂ と いう 格付 け
金を借り、 ロー ン証券を買 っ
るで火を つけたダイナ マイト
自転車操業 の極 みであ る。ま
まさに ﹁
混米﹂と同じ手 口
農水省は、三笠 フーズを何
ては小 口に分け、他 のロー ン
﹁
新ビジ ネ スモデ ル﹂ は
サ ラ金地獄 への道
返済す る間 に、
〓 一
〇回借り
イ マーが三 〇年間、滞りなく
短期 ロー ンもあ る。サブプ ラ
度も検査したが、検査日を事
証券と混ぜ ては売り、を繰り
を次から次 へ、隣り の人 に渡
ンを組 み込 んだ証券 は、転売
の事態 で滞 ったとき、庶民は
0
任は重 い。
平成 一九年 に不正転売 の情
返した。
前に通告するなどして事故米
が見 つからな いよう手助けを
した。
報提供を受け て立ち入りした
それを又貸しす る商売 のツー
と いう ﹁
そ の場し のぎ﹂ のリ
いわば 、人 のカネを集 め、 すよう に、サブプ ライ ム ロー
メを積 み替えた同社側 に礼を
ルと し て、 ﹁
証券 ﹂ と いう 紙
際も、検査 のために倉庫 の コ
述 べて いた ことなどが報道さ
スク回避を利用し て、か ろう
こう した ﹁一時 し のぎ﹂ が
じ て生き延びる。
切れを利用した、と いえ よう。
﹁
証券﹂ の中身 は、 ロー ン=
し か し 、 借 金 し て買 った
れ て いる。まさ になれ合 いの
サブプ ライ ム ロー ンで いえ
構図だ。
危険な ことは、世間 一般 でよ
く知られ て いること ではな い
ば、転売 の流れは スト ップし
てしまう。
まず銀行 の消費者 ロー ンに駆
だろう か。
安全か。格付け会社 はAAA
を つける。殺し文句 は ﹁
サブ
そ の上、 サ ブプ ライ マーは
け込む。そこ で貸 し てもらえ
ば 、 ﹁お墨 つき﹂ を 出 した の 借金 の返済あ ってこそ成り立
は格付けと貸付保証保険 であ
つのだから、大元 のサブプ ラ
る。 そ の証券 がもう か るか、 イ マーたちから の返済が滞れ
プ ライ ム ロー ンは金利が高 い
三 〇年 間 か け て返 す ロー ンを
住宅 ロー ンの支払 いが不測
から、債券とし て利回り がよ
事能 米流濾 とサ ブプライム・ショック
ドルが崩壊する日
利 の金貸しに頼ることも。
町金﹂と呼ばれる高
詰れば ﹁
なくな ると、サ ラ金 へ。切羽
いう言葉があ る。
一方は アメ
住宅 ロー ンは、車 の両輪﹂と
﹁アメリカ国債と アメリカ
リカ の国とし ての借金 、もう
金し て消費 しまく るアメリカ
一九三三年と いえば、 ニュ
を い い ﹁お客 さ ん﹂ にし て、 ーディール政策だ。彼 は世界
日本もど んど ん モノを売り つ 恐慌 の後、一
雇用創出を行うた
けた。
め に行われた借金 の裏づけを
だ んだ ん金利 は高 く なり 、
であ る。 いま問われ て いる の
は あ る 国 の通 貨 価 値 では な
い。 カネを作 るシステムそ の
も のな のだ。
﹁
私たちが作り出しました。
折しも アメリカでは ﹁
チエ
現在 の状況を単な る恐慌と
とらえ、今ま でのやり方 でし
現在、 日本 の自動車業界 の
のごうとす ると、と こと ん傷
売り上げが急激 に冷え込 んで
質した のであ る。
す ると エックルス理事 はこ
一方は、 アメリカ人 の個人 の
う答え る。
借金。 この二 つが世界 の経済
いる のは、 アメリカ人が自動
返済期間は短くなる。最終的
に マイ ホ ー ムを 担 保 にと ら
れ、借金だけが残 る自己破産
車 ロー ンを組 めなくな ったか
信用貨幣を発行す る権利をも
ンジ﹂を唱え るオバ マ氏が次
口を広げ てしまうだろう。
を牽引し ていると いう のだ。
住宅 ロー ンのほうは、サブ
ら であ る。支払 い能力う んぬ
の道 を歩 む のは必至 であ り 、
プ ライ ム ロー ンで破綻 に瀕 し
何とか このスパイ ラルに入ら
んは度外視 し て、借金 でも何
な いよう に皆努力して いる。
期大統領 に選出された。しか
でも いいから、と にかく車を
と に﹂。
政府
そし てパ ット マンが ﹁
て いる。 では、 アメリカ国債
はどうな っている のだ ろう ?
それな のに、経済 のプ ロで
し金 融 顧間 には 、サ マーズ 、
ルービ ン両氏も迎え入れ て い
プ ライ ム ロー ンの証券化 に関
﹁
それがわが国 の マネ ーシ
ステムです。 了不︱のシステ
行業 の兼業を禁上し て いた法
あ る銀行 や証券会社 が ﹁
最先
二 〇 〇 〇年 代 に 入 ってか 買 ってもらおう 、 ロー ンはそ の信 用以外 、 ︵
裏 づけ は︶何
端 の経済理論﹂などと言 って、 ら、アメリカ国債 の九 四%は、 ちらで ﹁
処理﹂し てくださ い、 もな いのですか?﹂と訊ねる
日本、中国、産油国など、他 と いう考え方は、まさ にサブ レ
﹂、
一庶民が無知 によ つて犯す の
国が買 って いる。ド ルの価値
わ った会社 の言 い分と同じ で
る。彼らは 一九九九年 のクリ
ント ン政権 下 で、証券業と銀
が高くなければ、国債 の価値
律を廃止、商業銀行 による投
巨大サブプ ライ マーが自己破
と 同 じ 過 ち を や ってし ま つ
た。それが、サブプ ライ ム問
ある。
資 や保 険 引 き 受 け を 可 能 に
外的 にはド ル高政策をとり続
け、国内 では景気をよく見 せ
産し てしま ったら、返済 し て
題 の本質 である。
ムで債務がゼ ロになれば、 マ
ア メ リカ と いう ﹁国﹂ が
るため、ITバブ ル、住宅 バ
いな い借金 =アメリカ国債は
どうな ってしまう のか?
債から作り出されたお金 で私
本国債な のであ る。政府 の負
そ の大部分が日銀 の買 った日
出す裏 づけと し て の資 産も 、
て いる。 日本銀行 が円を振り
世界中が このシステムで動 い
重大な転換点 に来 ている。
システムを みんな で作り直す
生存を考え ながら、世 の中 の
世界は 一〇〇年後 の人間 の
でき るのか、甚だ疑間 である。
が大 ナタを ふる っての改革 が
し、現在 の事態を招 いた張本
言した。
アメリカだけ ではな い。今、 人だ。 これ で火元 のアメリカ
ネ ーもゼ ロになります﹂と明
サブ プ ライ マーだ った !
ブルなどを作 ってい った。
しかし、結局ははじめに借
では、 ﹁アメリ カ﹂ と いう
借金 した てのサブプ ライ マ
金ありき の経済 である。 アメ
も 下がる ので、 アメリカは対
ーたちは、不動産 の価値が上
リカは自分 の国 の赤字を世界
三〇〇年 に 一度 の大恐慌
がると自分 の可処分所得が上
が った よ う に勘 違 いし て 、 中 に撒き散 らした。最終的 に
﹁
も っと 借金を積 み増す﹂ 消 は世界中 の資金を集め て赤字
人類 の未来が、私たち の行
央銀行制度が英国 で生まれ て
にお墨付きを与え ると いう中
ター︶
︵
なかのまり 。フリーランスライ
が必要だ。
たち は生き て いる。 そ れが、
のため には、 アメリカの国家
一九四 一年、アメリカ下院
アメリカ連
議会で、FRB ︵
費行動 に走 ったと いう。 これ
は、 アメリカ人全体 の傾向 で
と国民は借金 が でき る、返済
三 〇 〇年 。 ついに ﹁
紙 切 れ﹂
を埋 めなければならな い。そ
もあり、日本人 には理解 しが
能力 がた っぷりあ る、と見せ
かけなければならな い。
下院議員は質問した。
﹁
あなたは、
一九二三年 に
国債 二〇億ドルを購入する資
でま わ る信 用経済 の ﹁
信 用﹂
動 にかか つて いると いう自覚
た い部分だ。
つまり、 アメリカと いう 国
金 を ど こ か ら 得 た の です
が地球規模 で揺らぎ始 めた の
信用経済と いうも のな のだ。
しかし考え てみれば、 この
自体 がサブプ ライ マーな ので
か?﹂
法定通貨を定 め、国がそれ
アメリカ人 の ﹁
消費﹂を支え
ある。返済能力もな いのに借
邦準備制度理事会︶ のエック
ルス理事 に対し、パ ット マン
て いる のは 私 た ち な の であ
2
つ。
0
一
一
め 一
鮮 締
一
・
一一
・一
一
一
準
二
対 し て同じ ことを反復 せざ る
を得なくなる。
ま と
例えば父親 に虐待 され て育
った女 の子が いるとす る。し
う。そこで今度 こそは失敗 し
イ ンデ ィア ン虐 殺 を 正当 化
した アメリカ
かし彼女はそ の虐待 の事実を
イ ンディアンの虐殺を悪 い 入 って泥沼 に陥 って いるわけ
と 思 って いな いア メリ カは、 です。
せん。戦後 の占領もうまく い
って、今 日に いた るま で日本
そんな に悪 いとは思 って いま
イ ラクは泥沼状態。しかし日
︱︱ ベト ナ ム では失 敗 した 、
ア メ リカ の自 己 欺隔 を容 認
な いと確信 してイ ラクに攻 め
岸 田 人 間 と いう のは個 人
否認し て、私は父親 に愛 され
は アメリカ の忠実な友邦とし
日本 に原爆を投 下した ことも
そう しますとね、彼女は大
て存在 し続け て いるよう に見
本 ではうまく い った。なぜ で
すか。
なト ラウ マがあります。国家
人 にな ったとき、自分を全然
え る。 日本は アメリカによ つ
原因があるんです。
岸 田 そ れ は 日本 の歴史 に
す る分 裂 病 的 な 日本
アメリカ の場合はどう かと
愛 し て いな い残酷 で冷酷な男
て軍国主義 の独裁者 から解放
され、普遍的な理想 である自
も成立以来 いろんな好ましく
いうと、そもそも の建国がイ
ンディアンの虐殺から出発し
にひ っかかるんです。当然彼
ことを繰り返す。
よう な男 にひ っかか ると いう
れます が、懲りず にまた同じ
の成功 に気をよくし てベトナ
く にありながら、海を隔 てて
いう ことが いえなくもな い。
ロー マ帝国と並び称される
日本と いう国は、ち ょ っと
イ ンディアンは アメリカ の
アメリカも同じ で、神から
ムでも 同じ ことを やろうとし
て失敗した。しかし自分たち
大陸から離れ て いる。簡単 に
るわけ ですから。
て いることが この国 のト ラウ
女は裏切られ て惨め に捨 てら
先住民族 ですから、存在す る
託された理想 の使命を新大陸
の理想は普遍的な理想だから
と ころが アメリカは日本 で
ほど強大な中国中華文化 が近
特殊な条件 で出来上が ったと
権利は当然あ る。そ の土地を
で実現す るため に、自由と民
由と民主主義 の国 にな った の
だと。
無 理矢 理 奪 って彼 ら を 虐 殺
し、滅ぼした。そし てそれを
主主義 のために止むを得なか
す ると、個人も国家も同じよ
つた、とイ ンディアンの虐殺 失 敗す るはず はな いと 思う 。 侵 略 さ れ る ほど 近 く は な い
を正当 化 した。す るとま た 、 ど こか に間違 いがあ ってたま が、しかしそ の文化を取り入
好ましくな い事件を正当化
正当化したわけ です。
な いこと を し でか し て いま
す。
マです。
て幸 せに育 ったと自 己欺肺す
る。父親 の虐待 の事実を認め
てしまうと世界がひ っくり返
の場合も集 団も過去 に いろん
特集◎ア一メ一
カはどこ へ行く.
サ一
日 本 人 に と って の
﹁アメリカ の価 値﹂が揺
るぎ だ し て いる 。 戦 後
ほぼ 六 〇 年 、 こ れ は 初
め てのこと である。
ブ ツ シ ュ大 統 領 が
﹁イ ラ ク を 第 二 の 日 本
に ﹂ と 語 った よ う に 、
占 領 国 ・被 占 領 国 と し
て の米 o日 の 関 係 は 史
上 ま れ に見 る不 思議 な
﹁
友好的﹂ な も の であ っ
た 。 し か し そ の背 後 に
何が ひそん でいたのか。
日 米 関 係 の精 神 分 析
に気 を 吐 い て い る 岸 田
秀氏 に聴 こう。
うな ことを強迫的 に繰り返す
れられな いほど遠 く はな い。
ど こか他 の民族なり国なり に
たま失敗した に過ぎな いと思
よう になるんです。
0
日米関係の未来
た国は他 にち ょ っとな いんで
す。イギリ スも ヨー ロッパか
そう いう特殊な条件を満たし
なんだと いう のを押し通すわ
だと。 日本は 日本 で独自 の国
感と いうか分裂的自己を抱え
たけども、それ に伴 って劣等
は 一応 開国 した んだけども 、 くとき には外 国を理想化 し て
ら 進 ん で の こと では な か っ
た。そ の葛藤 の中 で明治政府
て強制された のであ って、自
が爆発した のが真珠湾攻撃 で
す。
そ のため に日本 の歴史を み
も文化的 にもうまく いかなく
独自 の政権を作 ると政治的 に
来文化が出発点 にありますか
ら、国内 に閉じこも って日本
ね、やはり 日本と いう のは外
います。非常 に外国 に迎合的
し て いると いう言 い方を し て
自己﹂と ﹁
内的自己﹂ に分裂
外的
るんで、ぼくはそれを ﹁
日本は開国と鎖国 に揺れ て い
めは ﹁
文明開化﹂だと い って
心情がず っと続 いて いる。初
いたくなか ったわけ で、そ の
たと。本当 はあ んまり付き合
いや いやながら開国させられ
ア メ リカ は変 わ れ る か
係があ ると いう こと です。
致 し て、今 の友好的な 日米関
る面とがたまたま外面的 に合
されたと い つて いる ん です 。 と アメリカが自己を正当化す
岸 田 そう で 2 ﹂と ですね。 それを ぼくは アメリカに強姦
︱︱ アメリカは 2001年 9
だから日本 が外的自 己的 に動
け です。
てしま った と いう こと です
か。
ると、鎖国と開国を繰り返し
な って、反対勢力が起 こ って
で卑屈 で外国 の いいなり にな
ヨー ロッパ、 アメリカの文化
でもそこにも無理があ って
ているわけ です。
き てまた外国 に国を開く。す
外 的自 己﹂。もう 一
る のが ﹁
ら離れ て いるけれど、英仏海
仏教 が入 ってきた飛鳥時代
るとそれに対す る反発がき て
たかと いうと、事実 がそ の正
そんな神話がなぜ必要だ っ
り てきた神様が作 った神 の国
だと。
の神話 です。日本は天から降
事実を否定 した のが天孫降臨
屈辱的 であ ると。そ こでそ の
歩 でき るわけ です。しかしそ
それを取り入れた方がより進
た外 国文化 が近く にあ って、
自分より逢か に発達した優れ
隔 てた絶妙 な 距離 にあ った。
じ ゃな いかと 思 います けど 、
け でのんびりし て いられたん
日本が ハワイみた いなと ころ
にあ ったら自分 の文化 の中だ
己﹂ です。
最後 の開国は ペリーによ つ
を取り入れ て、西洋化 ・近代
月 11日以来、国際社会 での
を晴らし てやろうと いう思 い
矢理開国させられたと いう恨
みがあ って、 いつかそ の恨 み
力 も な か な か 使 いよう が な
のは軍事力だけ で、そ の軍事
立ち位置が随分変わ ったよう
に思 います。 いま や世界 一な
化し て いきますけれど、無 理
外国 の意 のまま になる。それ
は開国 の時代 です。大化 の改
また鎖国 にな ってと。鎖国と
峡 は泳 いで渡れる距離 ですか
つ。
た
新 の頃 に中国 の制度を取り入
れ、中国 の真似を し て律令国
開国をず つと繰り返し て いる
んですね。
反対だ ったから ですね。そう
要はな いのだと いう ﹁
内的自
方が日本は独自 の神 の国 であ
って外国なんかと交際す る必
は日本を中国化す ること で建
家を作 るわけ ですけど、日本
結局ぼくが いう 日本 の分裂
な る境界線 は壬申 の乱 ︵
六七
れは自分 の独自性を失う こと
と いう のは そ こな ん です よ。
国されたわけ です、中国 の制
度を コピ ーしてね。
二年︶あたりかな。天孫降臨
でもあ るわけ で、日本と いう
しかしそれ ではあまり にも
の神話は古事記 のなかに出 て
国はそ の微妙な地理的条件 の
︱︱文化的 には高水 準 にな っ
ゆえ にそう いう葛藤状態 にお
しかし日本 は大陸からは海を
きます が、天武天皇 が古事記
かれた。
ゃな いけど彼が言 い出したん
と か 日本 書 紀 の言 い出 し っ
ぺ、在世中 に完成 したわけじ
ですね。中国とは関係な いん
0
と いう 反省は全然な い。そう
いと ころがあ るんじ ゃな いか
リ ストが 100パーセ ント悪
い、あ いつらを撃滅す ること
リカに対す る恨 み の爆発 です
ね。しかし アメリカは、 テロ
9 ollは アラブ人 のアメ
妄想 です。
事的 にも文化的 にも世界 一だ
と。しかし い ってみれば誇大
に舞 い上が って いま した。軍
ったとき には アメリカは最高
岸 田 第 二次 世 界大 戦 に勝
い。今 アメリカが置かれ て い
る状況をどう思われますか。
裁 判 はイ ンチキだ つたと か、
義 の戦争 であ ったとか、東京
︱︱ 日本 では太平洋戦争 は正
右 傾 化 の危 険 と改憲 論 争
いと分からな いと思 います。
アメリカがどうす るかを見な
て いる。しかし腹 の中 では白
人差別はよくな いこと にな っ
的 に止める。建前とし ては黒
ですね。悪 いとな ったら徹底
法 、現代 のタバ コ排撃も そう
代 末 か ら 3 3年 ま で の禁 酒
で動くんですね。 1910年
成り立 った国 ですから、理念
アメリカと いう のは理念 で
や っばり内的自己 の代表者 で
笑︶。
すね ︵
的自己的な考え の人と両方 い
つも いるわけ で、 田母神氏は
は内的自己的な考え の人と外
己が抑え られ ている。 日本 に
マ政権 が動き 出 したとき に、 れる外的自己が主流 で内的自
人至上主義も相当残 って いる
でし ょう。だから実際 にオバ
内的自己 にも 一分 の理はあ
ど、戦後 はそれがひ っくり返
って、東京裁判史観 に代表 さ
民と して弾圧され て いたけれ
己 で、外的自 己的な人は非国
皇 国史観 に代表される内的自
岸 田 対 米 戦争 中 の主 流 は
な発言し て詰 め腹を切らされ
権力側 の人間が極端 に愛 国的
︱︱改憲論争 に ついてはどう
要 です。
は正し いと認め合う ことが必
が、自 分 の立場も半分 しか正
しくな い、相手 の立場も半分
判 史 観 の支 持 者 のそ れ ぞ れ
皇室史観 の支持者と、東京裁
めな いと ね。 言 ってみれば 、
は正し いんだと いう ことを認
的自己も 、両方とも部分的 に
だと思 います。外的自己も内
いう ことを認めることが必要
幕長︶発言が正にそう ですが。 くな い。部分的 には正し いと
ると いう ケー スが後を絶ちま
前空
せん。最近 では田母神 ︵
お考え ですか。かた や日本国
言を全面的 に否定す る のも よ
正し いとなると、戦争中と同
じ です。ただ、ああ い った発
ります よ。しかしあれが全部
な いと諦めることが でき る の
て滅び るなら自分 の決断 の結
中立を選び平和憲法を押 し通
し、それ で中国 に攻 め込まれ
必要があると思 います。
いなくなる時がくるま で待 つ
は米軍基地が日本からなくな
って、 アメリカ兵が日本から
必ずしも反対 ではな い。改憲
ただ ぼくは、改憲自体 には
すよ。
傭兵 にな って使われるだけ で
メリカに都合 のいい改憲 にな
って、自衛隊は アメリカ軍 の
のとき に憲法を改正すれば ア
ね。今度 黒 人 の
れたも のだから改憲す べきだ
憲法 は アメリカに押 し つけら
にと アメリカ の安全 のために
争をしかけることがな いよう
が アメリカに反抗 し て将来戦
果 ですから、それはし ょう が
でね、戦争放棄を謳 い非武装
そ の状態 で国民的合意 の上
いう反省 が少し でもあ れば ア
大統 領 が出 てき
と い 安倍晋三みた いな主張
う
があり、
一方 には憲法九条を
新聞 に書きましたが、私は現
岸 田 安 倍 政権 の時 に朝 日
て処女を奪われた女性が、強
しようとす る のは、強姦 され
︱︱ 日本国憲法を後生大事 に
⑩
が世界 のため であ ると思 って
いる。 アメリカにも少 しは悪
メ リ カも 変 わ る ん です け ど
なら、平和憲法も いいですよ。
しかし今 の平和憲法は、日本
たり し て白 人至
作られたも のですから、国民
的なプ ライドに反す るわけ で
ね、 いつかは改憲しなき ゃい
らし い平和憲法だから世界 に
広めようと いう平和論者 の主
けな いでし ょう。ただ今 は改
時 点 で の改 憲 には反対 です 。
姦 され てよか ったと いう よう
なも のだと書 いて いら っし ゃ
憲するべき ではな い。
今 日本は事実上は アメリカ の
属国な のだから、 こんな状態
論も いつも平行線 のまま です
が。
張 があり、憲法改正を巡る議
持 つ日本国憲法 は世界 一素晴
は通ら なく な っ
上主義 ば かり で
てき て いる こと
が分 か ってき た
と いう こと はあ
るかも しれま せ
ん。
一昔 前 な ら黒人
が大統領 な ん て
考え ら れな か っ
た わ け です か
り。
た
幻想に生きる
親子白たち
日米関係の未来
し ても 日本国憲法 には、九条
いますが、押し つけられたと
それしか治療 の方法はな いん
笑 ︶。 しかし
岸 田 まあね ︵
から無理 ですね。
のを放棄す ると いう こと です
然な関係だと いう ことをまず
岸 田 現 在 の 日米 関 係 は 、 岸 田 そう です 。 な かな か
一旦そう い
日本が対米従属し て いる不自 難し いんです よ、
べき ことは何 でし ょう。
う メ ンタリ ティが でき ると 、
に卑屈 にな って いくと いう面
ることを恐れるからまた過剰
わけ です。しかしそ っち が出
て腹が立 ってと いう面があ る
なと ころがあ る。
るから護憲 で いこう よと いう
そ の他結構な条項が並 んで い
︱︱ アメリカ の強迫神経症を
と喧嘩す る必要はな いんです
よ。だけど アメリカ ヘの従属
要 です。そ のため にアメリカ
ら に打ち出すと いう こと が必
やはり作られ て い っているん
要だと思 います。
ませんから。教育 は非常 に重
一概 に押さ
発言が出た って、
も両方とも半分は正し いんだ
と。だからああ いう右翼的な
覚 して、内的自己も外的自 己
分裂し て いると いう ことを自
もあ るわけ で、だから自分が
治す ことは難しく ても、 日本
だと思 いますよ、反復す るこ
人間と いう のはそうは変われ
それが できたかと いう ことは
には ア メ リ カを ﹁強 迫 神 経
え つけ てしまわな いで、半分
認める。まず これをおお っぴ
非常 に重要 でね、 やはりそ こ
症 ﹂、 日本 は ﹁精 神 分 裂 病 ﹂ を でき るかぎり減らし て いく
と によ って劣等感 が新た に醸
ですけどね。
に 一つ日本 の屈辱があ る訳 で
べきだと思 いますね、軍事的
成され て いる。 いろんな状況
のは駄目なんですか。
すよ。
だとする岸 田先生 の視点 があ
にも経済的 にも。
︱︱日米関係を今後どう構築
日米 関係 の未 来
らすわけだから、それは非常
に不安定 でし ょうね。
て いるわけ です。そ のため に
係だとか い ってそれを隠蔽 し
カ に屈 従 し 従 属 し て いる の
に、対等 な関係だとか同盟関
岸 田 日本 は事 実 上 ア メリ
アメリカだ って、 日本を いつ
リカに対し て必要以上 に卑屈
にな って います。戦争中は内
ですから。今は反省をす るこ
いかと いう 反省が出 てく る訳
まり にも卑屈過ぎ る のではな
だからとりあえず事実を正
って外的自己だけが正し いと
思 いこん で いる傾向 が強 い。 しく認識すれば、 これではあ
的自己 一本槍 で悲惨な目 にあ
つたから、正反対 の極端 に走
とさえ否認され て いるでし ょ
。
ノ
ヽ
つ
つし か な いん じ ゃな いか な
あ。
んでね。
一人 一人 の自覚 に待
と、そう いう ふう に流れ込む
がそ っち の方 に回転し始 める
を持 ってやる べき ですね。
一挙
この状態を乾坤 一椰、
う いう状態から脱 し て行かな
を得な い状態な んだと いう こ
れは仕方がな い、 これは止む
繁栄 にと つて必要ならば、そ
がある。 日本は アメリカ の属
は卑屈 になり過ぎ て いる。そ
今は アメリカに対し て日本
は正し いと いう ことを認める
ことが必要 です。
岸 田 ど う いう いき さ つで
それを屈辱 でなか ったんだ
りますね。そ の日本は アメリ
し て いく べきな のか。理想か
症 状 が出 てると 思 います よ。 ま でも奴隷 のような子分 にし
ておき た いわけ でもな いでし
日本国民 のいろんなと ころに
ょう。 アメリカと の友好 関係
︱︱卑 屈過ぎ たと いう ことを
岸 田 日本 に ついては内 的
︱︱安保条約 の破棄が現実 に
はすぐ には無理とし ても、最
のを止めようとす ると妙 にこ
人は好き です が、卑屈 になる
︱︱私は個人的 には アメリカ
す る ことだ
いアメリカ人がし ゃく に障 っ
を落と してお いて謝罪も しな
るま いとす ると、今度は原爆
岸 田 そう です 。卑 屈 にな
は注 意 す る必 要 があ りま す
ね。
をす べきな のか。
ぼく の印象 では日本は アメ
ら いえば アメリカはイ ンディ
例 え ば 非 常 に自 殺 が多 いと
か、 日本国民 であ ること に価
を維持 し つつ日本 の主張も通
自覚す ることは大事だけれど
に打開しようとすると真珠湾
カに対し てどう いう働きかけ
神経症を治 し、 日本は精神分
値と誇りを感じられな いと い
して いく ことは可能だと思 い
ますね。も っと実質的 にでき
も、同時 に内的自 己 の肥大 に
アメリカに対す る劣等感は
と いう ふう に自 己 欺 購 し た
ら、自 己欺購 の上 に立 って暮
裂病を治すと いう こと になり
ますが⋮。
うと ころがあ るんじ ゃな いか
な。 ですから や っばり 日米安
ることは沢山あるはず です。
終的 には国家安全保障を自前
わも てにな ってしまう みた い
世田
化しないことですね。 ︵
谷区経堂 ・岸 田秀氏自宅 に
て︶
奇襲 と いう 愚行 になります 。
ただ、今 の状態 が日本 にと っ
て普通 の正し い状態だと正当
き ゃいけな いんだと いう前提
とを認識し て、出来 る限りそ
であ ること が日本 の安全とか
国 にな って いる、しかし属国
の点はは っきり自覚す る必要
自己も外的自己も 日本 に不可
保を廃棄 し て独立しな いと い
けな いと思 います。
アン虐殺 の事実を認め て強迫
欠な 一部なんだと いう ことを
認め てですね、内的自己と外
︱︱ しかし アメリカがイ ンデ
でまかなう方向 へと踏 み出す
分 裂 ﹂ を自 党
必 要 な のは ﹁
イアン虐殺 の事実を認めると
べきだとすれば、日本が今す
的自己を統 一す ることが必要
です。
いう ことは建国 の理念そ のも
0
警察 は捜査 に協力し てくれ
の名日で謝礼を支払う。
フリージ ャー ナリ スト ・
東玲治 さんが さ る 一〇 月 二
一日、急逝された。
そ の協力金を支払 った こと
にし て、実在 しな い架空 の人
た民間人 に対し、 ﹁
協力金﹂
享 年 五九歳 。彼 の活動 に
頼 る人 々が数多 く存在 す る
現実 のなか で、文字 通 り の 物 の領収書を提出、支給され
た公金を猫 ババす る。 この犯
痛恨事 と いう他はな い。
産経新 聞 の記者 と し て 一 罪行為 が、愛媛県警察 には平
九 七 一年 か ら 一七 年 間 働 然としてまかり通 って いた。
し かも ヒ ラ の警 官 た ち に
彼 の応援 のためにボ ランテイ
三十 日、NHKテレビ でもし
ア の弁 護 団 も 組 織 さ れ た 。
っかり報道され ている。
十 八年前 に同じ高校 で学んだ
同期生だ。それ以外 に二人 に
は、何 の接点もな い。T←
会 って十分ほど で、僕は仙
東はそれ でも気を ゆるめな
仙波 の高裁 での勝利は、九月
波 が、僕と同じ人種 、同じよ
う に考え て いる人間だと いう
は来年 の二月末。
﹁
退職 の日がくるま で絶対
か った。仙波敏郎 の定年退職
な るま いが、僕 は最後 の 一人
に何事もな いよう、僕たちは
事 がわか った。仙波も そう 思
ったはずだ。そんな こと には
にな っても仙波 の味方 にな っ
な い﹂と彼は言 い続けた。
仙波を守り続けなければなら
て や ら ね ば な ら な い。 T じ
一銭 にもならな いこと のため
にリ スクをかえり みな い男た
はなか つた。彼 は仙波を孤立
東玲治 は筆を ふる っただけ で
来ようとは⋮。
しかしそ の日が これほど早く
数え る言葉を 国にし て いた。
追 いつめ、自滅させることを
す べての組織は、内部告発
き、 フリー にな ってからは
警 のなか であらゆる迫害 にさ
らされること になる。
告発 の 一時間後、彼は拳銃
を没収され、わざ わざ新 設さ
れた、仕事 のな いポ スト に配
置転換 された。彼 に話しかけ
させな いために、毎 日、
一日
仙波敏郎は、涙 で瞼が黒く
も 、 この詐欺行為 の片棒を担
者 に対し て常 に同じような措
目的として いた。
政経ジ ャー ナル﹂ を
月刊 ﹁
ぐ役 目が回 ってく る。偽領収
東玲治には何冊かの著書が
ある。とくに二〇〇 一年と同
0
る人間は、話 の内容を逐 一上
司 に報告す ることを義務づけ
も欠かさず彼を昼食 に誘 い出
した。
なるほど泣き続けた。そ の悲
ちを、決し て孤立 させ てはな
そ の東 が、自宅 の台所 で倒
らな いと思う﹂
れた。彼が発見された のは死
後 二日経 ってから であ る。
仙 波 敏 郎 を 支 え る た め に、
以前から心臓 に持病を持 つ
彼 は、しば しば自分 の寿命を
られ る。徹 底 した ﹁
孤立化﹂
昼食をとらな い東は、食堂
嘆は、人々が正視できないほ
の目論見は、仙波を神経的 に
で仙波 の話を聞きながら、 コ
松 山 で 二〇0五 年 ま で発 行
雨 の日も雪 の日も、焼け つ
くよう に暑 い夏 の日も、東玲
二は 仙 波 を 昼 食 に誘 い続 け
た。
そ こにはふ つう のジ ャーナリ
五年に出版された ﹁
記者物語﹂
﹁
続 ・記者物語﹂︵
創風社出版︶
は息も つまる面白さである。
仙波は愛媛県警 の不当処分
ストがほと んど絶対 に語るこ
高 裁 双方 とも完 全 勝訴 す る。 と のな い政財界 の現実が、歯
に対し て裁判 で闘 い、地裁 ・
*
*
ど だ った 。
戦うためには、仲間同士 の支
しかし警察と いう組織 のな
か で、仙波敏郎 に ﹁
仲間﹂ は
いなか った。
そ の彼を支えた のが、東玲
治 である。彼は書 いて いる。
﹁
僕と仙波とは、今から三
て飲む。
ーヒー 一杯を長 い時間をかけ
えがなければならな い。
置をと る。 この圧力 に対し て
し 、政 ・官 ・財 の腐 敗 の現 書 の筆跡が いつも同じ であ っ
実 に メ ス を 入 れ 続 け た 氏 てまず いと いう こと で、サイ
は、 ﹁フ ァム 。ポリ テ ィク﹂ ンを命 じられる のであ る。そ
*
告発す るま では。
部長 ・仙波敏郎が この現実を
にも これま で 二回執 筆 され し てこの役 目 に反旗を翻そう
たが 、それらはふた つとも、 とす る警官 は、誰 一人 いなか
った⋮ 二〇〇四年 一月、巡査
愛媛 県警 の犯 罪行為 ﹁
裏金
づ くり﹂ に立 ち向 か った警
察官 ・仙波敏郎 さん に つい
ての記事 であ った。
この日から、仙波敏郎は県
東玲治さん
東玲治さん
哀悼
かし周囲 の人 々も気づ いて い
そ の東 の心 のなかには、し
みようと思う。毎朝 、小さく
あ る畑 で、花と野菜を育 てて
とりあえずは、少しばかり
な いデリケートな感性が潜 ん
*
自治体 の長、とく に県知事
で いた。
成熟が現れ ている。
値す る存在 であ った。そ のた
の権力と いうも のは、さなが
を捨 て、も っばら ふるさと松
東玲治は、まさ にそ の名 に
新 聞記者﹂
め に こそ、彼 は ﹁
ら封建時代 の主君 のごとき趣
があ る。そう した状況 のなか
で、権力を監視し、批判す る
に衣着せず描かれて いる。
新聞記者と いうも のは、ど
こ へでも入り込 み、ど んな こ
と いう 者 にな ろう と し た の
だ。
ことをジ ャーナリ スト の使命
山 で仕 事 を す る道 を 選 んだ
庭 にト マト の苗 を 植 え よ
け ていた。
し ま った ト マト を 畑 で摘 ん
で、食 べてみた いと思 いつづ
と でも見聞す る。彼ら のなか
には、政官財 の背後 に潜む現
﹁
記者物語﹂ のなか で、東
と心得 る東玲治は、知事 たち
いや記者とし ての出世 の道
実を ﹁
知 って いる﹂敏腕な記
れ の政官財 の癒着 の実態を暴
玲治は、ほと んど犯罪すれす
しかし記者たちが自分 の目
者ももち ろん いる。
企業 の後 ろ盾を捨 ててフリー
﹁
僕 が仕事 を やめた こと 、 そ
た直後 に、仙波敏郎 が彼 の前
に現れた のだ った。
う、今年 こそ﹂
そし て東が この文章を書 い
にな った彼 の心 には、正義 の
彼 、さら にサ ンケイと いう大
興味深 いのは、彼 が見 つめ
ため に骨身を惜しま ぬ勇猛心
し て仙波を支え る会 の運営を
から目を放さなか った。
権力を掌中 に人 々を支配し
つづけた三人 の知事 の最初 の
ととも に、自然 に包まれ て穏
いて いる。
書く ことはほと んどな い。恐
ようとす る政治家、それ に追
ひとり、生え抜き の政党人 で
に映 った真実をあり のまま に
ろし いからだ。権力を持 つ人
随す る官僚、彼ら にすりよ つ
やか に暮らした いと いう渇仰
引き受けた こと に周囲は驚 い
た。
間の ﹁
あり のまま﹂を描く勇
がひそんで いた ことは疑 いな
あ る白 石春樹知事 と彼と の間
に、相手 に対す る微妙なあた
を吸おう とす る人 々︱︱東玲
たかさ に満ちた関係が存在 し
て税金を食 い物 にし、甘 い汁
こう して私たち普通 の人間
治 が、それら の人 々からどれ
気がな いからである。
の耳目からは、権力者たちが
束 の最初 の ﹁
記者物語﹂は、
なれ の果 てである官僚たち に
あ る いはおも ねり つつ自分 に
尾を ふる人 々や、学校秀才 の
に自 分 の生 き 方 を 守 ってき
た。仕事 の上 でも そう であ っ
*
東 玲治 が こう 書 いた のは 二
二 〇〇八年 十 月 、彼 が世を
〇〇五年 の四月。
︵
たなかきみこ ・本誌編集長︶
0
しかし、他人 の目にはどう
ほど忌 み嫌われたかは想像 に
間 のなか でふる って いる力 の
映 ろうとも、僕 の中 では自然
な流れだ つた。僕はかたくな
難くな い。
かけだし の新聞記者と し ての
ニモ マケズ﹂ の 一節を ひ いて
い。
て いた こと であ る。東 の筆 は
﹁
続 記者 物 語﹂ の最後 に
生き 生き と 、あ る いは恐 れ、
近く、彼は宮沢賢治 の ﹁アメ
ス コミに、政治的 ・経済的な
*
ほとんどは隠され てしま って
いる。新聞 やテレビなど の マ
背後 にあ って現実を動かし て
た﹂
飽き飽き し、 この硬骨 の記者
書 いて いる。
﹁
なぜ、 この 一節 に共感す
彼 の活躍 や失敗、頼りが いの
くはな い。今ま でこだわ って
いる力 に ついての真実 が伝え
きた生き方を、 この先も全う
﹁これま では、時間が尾を
ゆ っくりと流れる時間を取り
一
戻した いとも思う よう にもな
った。
ト マト が た わ わ に 実 って い
た。
た。僕 は自 分 の生活を変え 、 去 った とき 、彼 の畑 にはプ チ
引くような速さ で飛び去 って
いくよう に思え てならなか っ
﹁
残 さ れた時 間 はそ んな に多
る のか、僕 にもよくわからな
い。僕 に農民 の血が流れ て い
に親近感を示す老権力者 の姿
るためな のか、それとも私情
す るだけだ。仙波もそう思 っ
ら れ る こと は ほと んど な い、 あ る上司 の下でこそ可能だ っ
た取材、逆 にせ っかく書 いた
にかまけ て道義心を持たな い
ているはずだ﹂
を写しだして いる。
と考え て間違 いはな い。
から の指令 でオクラ入り にさ
人間を多く見すぎたせ いな の
をす る 一方 で部 下には威張り
ちらす上司と の対決など、ド
ルポを臆病 風 に吹かれた本社
せられた悔しさ、上役 にごま
闇 のなか の真実をえぐりだ
ラ マティ ックな数 々の場面が
には彼 の人間とし ての 一層 の
か﹂
しかし東玲治 の ﹁
記者物語﹂
には、そ の ﹁
真実﹂ が語られ
すため には、記者と し てのオ
しかしこの 一冊に、若 さ故
描かれて いる。
の名 に値す る。
な い。そ の正義感 の持ち主 こ の正義感 の激発があ るとすれ
続 記者物語﹂
そが、真 の ﹁ンャーナリスト﹂ ば、 二冊目 の ﹁
強烈な正義感がなければなら
能だけ でなく、人間と し ての
*
て いる。
仙波敏郎 さん
り のテーブ ル﹂と、無所属市
重ね てきました。
会を利用し ての研究会を積 み
発足当時は地方分権 の幕開
民派 の自治体議員を中心 に活
動 し てき た ﹁
虹と緑 のいoo人
議 論 な ど を 展 開 し てき ま し
た。
市民 の集団とし て活発な政策
リ スト運動﹂ が合流したも の け の時代 でした。そ のなか で
です。そし てNGO 。NPO、 注 目 を 集 め る市 民 派 議 員 と
市民と自治体議員が、それぞ
れ の持 ち味 を 出 し力 を 合 わ
せ、高 めあう 、新 し い政治 ス
☆ ★ ☆
設立総会では、組織 の骨格
が決められましたが、最も時
間 がかか った のが名 称 の決
定 です。メールやフアツクス
で ﹁
予備投票﹂を行 い、 ﹁み
メイクザ ルールキャンペーン
︵
気候変動 に ついて法整備を
求 める︶、自治体 の公契約条
例]●統 一地方選 にむけ て新
人候補 の発掘をすすめる⋮こ
となどを決め、 ニュースレタ
ーの発行や、HPでの情報発
信 に つと め る ことと しま し
た。
セ ンタ ーも 設 け 、 研 究 会 の
どり日本﹂﹁
虹と緑﹂ ﹁
みどり
の未来﹂を最終候補として選
び、参加者 の投票で ﹁
みどり
積 み重ねを行 って いく ことも
そ れ から 一〇年 、 グ ロー バ
の未来﹂に決定されました。
共同代表には稲村和美 ︵
兵
兵庫
庫県議︶、井奥まさき ︵
タイ ル ヘの挑戦 です。
とと なりま した。 そ し てグ ロ
県高 砂市議 ︶ さ んを 選出 し
方議員を中心とした政策情報
か れま した。 ﹁エコでピ ー ス
し い ﹁みどり﹂ の団体 = ﹁
み
どり の未来﹂ の設立総会 が開
発揮してきました。
田龍平さん当選 に大きな力を
年 の参議院東京選挙区 では川
は た しま し た 。 さ ら に 〇七
特権廃上 に向け 一定 の役割を
ンペー ン﹂ に取り組 み、議員
与、世界 のみどり の人 々と の
まり︶ の開催と、国政 への関
ジ ア太平洋地域 の緑 の党 の集
アジ ア太平洋 グリー ンズ ︵
ア
参院選協力、 〇五年京都 での
〇四年 の ﹁みどり の会議﹂
て提言を行う ●環境と格差 に
を 開催す る●政治争点 に対 し
地域 で活動し て いる人やNG
る ことを考え 、具体 的 には●
先を見通した戦略的活動をす
ち のグ ランド デザイ ン、ビジ
ョン、政策を提起す る●五年
当面 の活動と し ては ●私た
のために。
くりま せんか。私たち の未来
のため に、子どもたち の未来
新 し いも う 一つの選 択 肢
﹁みどり の政治﹂ を 一緒 に つ
さまざまな議論と試行錯誤
を へて ﹁みどり の未来﹂ は ス
な みどり の未来 へ﹂ へ向 か っ
﹁
虹と緑﹂ は九 八年 に立ち 交流と、活動 の幅を ひろげ て
上げられました。虹 =多様性、 きました。そし て今年 五月 に
はブ ラジ ル ・サ ンパウ ロで開
ついて取り組む [
中心とし て
二〇〇四年 の参議院選挙 に挑
虹と緑﹂ のよう に地
また ﹁
ーバルな視点をもち、国政も
ました。事務局は東京、関西、 決めました。
ル化 と新 自 由 主 義 の展 開 で地
視 野 に入 れ な が ら 地 域 で活
☆ ★ ☆
戦 し た ﹁み ど り の会 議 ﹂ を
動す ること の必要性 が自覚さ
﹁みどり のテーブ ル﹂ は、 域は新たな課題に直面するこ
引き継ぎ 〇五年 に発足しまし
た。 〇七年 の統 一地方選 に合
れてもきました。
て小さ いけれど確かな 一歩が
緑 =平和と環境 の重視、そし
かれた第 二回緑 の党世界大会
岡 山 で にな う こと と な り ま
す。
わ せ て ﹁議 員 特 権 反 対 キ ャ
踏み出されました。
﹁みどり の未来﹂ は、無限
て自治体議員 五〇〇人を 目指
HPもご覧くださ い。
︵元 虹 と 緑 ・地 方 自
コ”
一
ΦO●r”﹃・
﹂も、
﹁ミヨ■〓“﹁
光吉 準
治政策情報 センター長︶
岡山市 野 田Y Υ
﹁ooあコ 一
か つらぎ野田ビ ル2﹁
︻ド
弓 口 r o∞い︲いヽヽ︲﹁﹁いい ﹁ > X
O∞い︲いヽヽ︲一﹁いヽ
⑭
タートしました。
の経済成長を前提とした経済
界大 会 ︶ に、 ﹁テーブ ル﹂ と
一一月 二二日神戸市 で、新
社 会 シ ス テ ム に未 来 は な い
すと いう政治 ・社会運動 でし
た。同時 に ﹁
地域から政治を
りました。
Oと連携 し て政策 フオーラム
と考え 、持続可能なもう ひと
協同 で日本から の派遣団を送
的な政策提言を行う こと ので
流 で、 よ り 積 極 的 に自 ら を
グ ロー バ ル ・グリ ー ンズ 世
︵
つの未 来 を作り 出す た め に、 変え る﹂ ことを めざ し、積極
日本 にも みどり の政党を作り
き る議員集団を目指し てきま
した。そ のために ﹁
地方自治
﹁
可視化﹂ す る道を 選択 した
そし て ﹁テーブ ル﹂と の合
出そうと いう志をも った人 々
政策 情報 セ ンタ ー﹂を 設け 、
のです。
で作られる新し い団体 です。
全国持ち回り の研究会 や、国
それは日本 に緑 の党を つく
りた いと活動し てき た ﹁みど
光吉準さん
力 により戦後 アジ ア ・アフリ
大東亜戦争を戦 った日本 の
ア各 地 の民族 に事実上独立を
な い。 日本 軍は占領 した アジ
認めず、英米蘭仏と同じよう
に、資源を搾取し人民を労役
カ諸国が白人国家 の支配から
解放された。多く のアジ ア諸
に使 った。要す るに、現実 に
前の ﹁
何かあれば戦争 に訴え
り、安保反対運動 や ベトナム
く ソ連 や中 国 を 持 ち 上 げ た
ろな団体が、 アメリカではな
し てきた。そ の 一方 で いろ い
戦後 の日本政府 は、親米 一
狭窄と いう点、柔軟さに欠け、
外的自 己﹂を代表
かたくな であ る点 では、敗戦 筋 であり ﹁
リカ原住民を殺し て国を奪 っ
を抱え て いる。 この国は アメ
の中 に ﹁
強迫神経症﹂ の病理
立 った アメリカもまた、自 ら
り返す。
﹁
正義﹂ の名 の下 に略奪 を く
により 、対外 政策 にお いて、
ンディアン ・コンプ レ ック ス
先住民虐殺 の正当化 の上 に
る﹂ 軍国主義とま ったく同じ
である。
法九条を守 れと いう たぐ いの
何をしたかと いう ことだけが
この本が面白 いのは、著者
会 に集ま る人 々に、思想的 に
国は大東亜戦争を戦 った 日本
濡れ衣 であ る、と自衛隊 の田
のこの知性が、平和主義者 や
﹁
内 的自 己﹂ の発散 であ ると
している。
私を含め多く の人 々は、憲
当時 ︶
母神 俊雄航 空幕 僚長 ︵
も人間的 にもさほど魅力を感
外的自己と内的自 己 の両方
護憲論者 にも向けられ て いる
徹 な目 で見抜 く力を与え る。
個人も国家も、自 己欺睛か
日本が︶唯 一の被爆 国
︱︱ ︵
与え るかと いう 理由を鋭く指
摘して いる。
読 み手 が、 アメリカ ヘの卑 屈
ら脱却 し、現実を見据え て有
だと主張す る のは、自分たち
岸 田氏は、 ペリー の黒船 に
軍事的 にアメリカに依存 じ
な盲従 にも、誇大妄想的な憎
組 み込む必要があ ると岸 田氏
が被害者だと言 って いるだけ
で、論理的 にそれは平和主義
屈した 日本は、 アメリカをは
じめとす る外国を崇拝し、欧
て いるほうが日本 に有利だと
悪 にも 陥 らず に読む な らば 、
派﹂ がなぜ、そう した印象を
論文 より七年前 の二〇〇 一年
の根拠 にはならな い。自分自
米 のよう にな ろうとす る卑 屈
考え るなら、ごまかさず に屈
である。
立したが、それが日本 の戦争
メリカを赦す 日﹄は、田母神
日本 が ア
られる岸 田秀氏 の ﹃
に出版された本 であ るが、そ
身 の根拠と論理 で平和主義を
構築 しなければならな い。憲
外的自己﹂と、外 国を憎
な ﹁
辱感を引き受け、親分子分関
効な道を進む人格 へ脱皮 しな
こにはす でに田母神氏 のよう
法は国民 のため にあり国民が
悪し軽蔑し排除しようとす る
係 の中 で子分なり に主張す べ
は主張する。
な主張 への説得力あ る反論が
内的自己﹂と
誇大妄想的な ﹁
目的だ ったとは言え な い。日
属と いう 現在 の状態 を改 め、
国益を守 る最善 の手段とは何
かを考え るべき であ った。
︵
すずき ゆみ こ 。フリ ー ラ ン
この本は、自 ら の思想を冷
精神分析者から の渾身 のメ
ッセージ である。
ければならな い。
展開されて いる。
いつでも変え ることが でき る
に分裂 した、精神分裂病者 の
玉条 のごとく守 ろうとす る の
は、音 の国体護持とど こが違
本 軍が全体とし てどう いう戦
を主張してきた。
反米を唱え るなら、対米従
︱︱ アジ アの諸民族は戦後独
も のな のに、平和憲法を金科
よう なも のであ る、と いう説
スライター︶
﹃
も のぐさ精神分析﹄ で知
を認識し て、統 一した人格 に
反戦運動を展開したりした の
は、気分的な反米運動 による
た過去 の病理を抱え て いるか
らだ。 こう し てアメリカはイ
鈴木由美子
じな いと いう 思 いを抱 いて い
護憲
る。岸 田氏 の文章 は、 ﹁
問題 であ る。
+税 )
(本 体価格581円
点 にある。
を高く評価 して いる、 日本が
文春文庫
が 論 文 に書 いて問 題 にな っ
た。
侵略国家 であ ったと いう のは
日本がアメリカを赦す日
き ことを主張す る べき であ ろ
一
言つ。
ヽ
つ、と一
何が何 で
う のか。敗戦後 の ﹁
も平和﹂ の平和主義は、視野
略を立 て、現実 にどう いう戦
争を したかを見なければなら
●
・
岸田 秀
ネガル
西村 宏子
とセネ ガ ルの首都ダカー ルを
グジ ュペリは、カサブ ランカ
ルの国花 であり、作者サ ンテ
種 であ る。 バオバブはセネガ
は アダ ンソニア ・ディギター
タ、セネガ ルに自生し て いる
バブには 7種あ ると云われ て
いるが、本 の挿絵 のバオ バブ
本人 には馴染 みがあ る。 バオ
さま の ﹁バオバブ﹂ の方が日
﹁セネ ガ ル﹂ より 、星 の王 子
は あ ま り 知 ら れ て いな い。
称されるセネ ガ ルだが日本 で
﹁
西 アフリカ のパリ﹂とも
を南 下し て いる。国 の真 ん中
砂漠 の縁はゆ っくリ セネガ ル
の南側 の周縁国を指す。 この
辺 ﹂ を意 味 し、 サ ハラ砂 漠
この言葉は アラビ ア語 の ﹁
岸
帯 で ﹁サ ヘル﹂ と呼 ば れ る。
ミリ∼600ミリ の半乾燥地
の北半分は年 間降雨量 100
も つ多 民族国家 であ る。国土
東京都と同じくら いの人 口を
メリカ合衆国がす っぱり入 っ
てしまう大き さだ。 このアフ
国 ・ヨー ロッパ 。ロシア ・ア
ア ルゼ ンチ ン ・イ ンド ・中
た太鼓だ。山羊 の皮が張られ
よう にな った砂時計 の形を し
の本を育 てて いる。 日本 のイ
ベントなど でもよく見かける
ンベ﹂ の素材となるディンブ
て何を し て いるかと いう と 、
ジエ
西 アフリカ の伝統太鼓 ﹁
む セネ ガ ルにわざ わざ 出向 い
日出る大和 の国から、日沈
ガ ル、日本 の約半分 の面積 で、 ジ ェンベ
リカ大陸 の日 の沈む国がセネ
て いる。そ の大鼓 の胴体 に使
然有力 である。
ロフ語 のスヌ ガル ﹁
私たち
語源とす る説もあるが、 ウオ
の小船﹂説がセネガ ルでは断
結 ぶ郵便飛行船 の操縦士だ っ
た。ま た、 ﹁パリ ・ダ カ﹂ は
料理 に使われる。私たち の食
語 でタ マリ ンド の本を意味す
る。 この本 の実は酸味があり
ダカー ルは、現地 のウオ ロフ
ェラレオネ人 の ﹁アフリカを
ガ ンビ ア
の名前 にちな んだ ﹁
国﹂が細長く形成されている。 見た いならブ ラ ックア フリカ
になり、緑が多 くなる。 この
ガ ンビ ア川 の流域 に、 この川
年間降雨量 800ミリ の地帯
よく知られ て いるが、 こ のダ にガ ンビ ア川 が沿 々と 流 れ、 われる木 の再生を セネ ガ ルと
カがセネガ ルの首都を指す こ ま るで境界線 でもあ るか のよ ガ ンビ ア国 境 の村 で し て い
と は意 外 と知 ら れ て いな い。 う にそ の辺り か ら南半 分 は、 Z
一。
卓 に並 ぶタ コやか つおがセネ
そし て我が ﹁セネガ ル﹂も や
に行け。ガ ンビ アはすごく安
た時だ。たまたま話を した シ
数か月 ロンド ンに滞在 し て い
事 の発端 は、 199 5年 、
ガ ル沖 で獲られることもあま
約 260人 のセネガ ル人が日
川にちなんで いる。河 口付近
洋 にそそぐ国際河川セネ ガ ル
いた。安 ホ テルに置 いてあ っ
らなか ったガ ンビ アな る国 に
り知られ て いな い。 セネガ ル はり 、水 源を ギ ニアにもち 、 いぞ﹂
は日本人 にと ってあまり馴染
マリ、 モーリタ ニアを流れセ
この 一言が決め手 で、 3日
みのある国 ではな いが、現在、 ネ ガ ルの古都サ ンルイ で大西 後 には、それま で名前すら知
本国内 に住んでいる。
さ て、 このセネガ ル、広大
の三角洲 には世界遺産 にも登 た パンフレ ツト で、 このガ ン
録 されたサ ンルイ島 があ る。 ビ ア、遠 い音 にテレビ で見た
こ の ﹁セヽ
不ガ ル﹂、 ベルベル アレ ックス ・ヘイリー の ﹁ル
な アフリカ大陸 の最西端 に位
置す る。どれぐら い広大かと
語 の ﹁サ ナージ ャ ︵
川と が
ー ツ﹂ ク ンタ 。キ ンテの故郷
いうと、 ニュージーランド ・
〇
バオノヽプの国 セネガル
統的太鼓たたきだ った事をき
の父親もまた、 マリ出身 の伝
ぎ に来 て いたバ ンバラ族 のジ
ェンベたたき の音だ った。そ
の深 い音は セネ ガ ルから出稼
ジ ェンベの音と出会 った。そ
であ る事 を知 った。 こ こで、
月独立、 8月 に、 セネ ガ ルは
ルは マリ連邦を形成し翌年 6
植民地 であ った マリと セネガ
現在 の国境線 の下敷き が でき
る。 1959年 、 フランスの
一時的 にイギリ スの植民地と
兵が ライ フルを持ち抜け荷 に
なかなかおし ゃれな セネ ガ ル
所あり、緑 のベレーを被 った
由 に往来し て いる。国境付近
にはチ ェックポイ ントが数か
を図り、1783年 の条約 で、 境はあ るが両国民と モノは自
な るが、 フランスも巻き返し
目を光らせ て いる。西 アフリ
商人はよく仕入れ に いく。国
価 の安 いガ ンビ アにセネガ ル
は近 い。村 での集会 は、ウオ
の現 地 スタ ッフを 連 れ て行
く。プ ル語とプ ルフーター語
く時は、 バンバラ族とプ ル族
で マリから のバ ンバラ族も住
む。 1年 に1回 モ ニターに行
し てきたプ ルフーター族 の村
︱ラはギ ニアビサオから移住
言葉 に打ち破り現在、安定 し
を ﹁SO PY﹂ ︵
変革 ︶を 合
も ウオ ロフ族だ。独立以来長
民主 党 ︶
イ 。ワ ッド大統領 ︵
て いる。
ンビ ア地域 での共通話 にな っ
期政権を保持し て いた社会党
大方、 ウオ ロフ語 で進められ
る。説得しなければ いけな い
やはリ ウオ ロフ族 の マーム ・
性 の土地所有を認めた。また、
ロフ族 は 一人も いな いのに、 た政治基盤を築 いて いる。 2
001年 に憲法を改正し、女
時 や本音が知りた い時は現地
易 の積 みだし港とし て重要性
は大航海 の中継地点と奴隷貿
諸王国 にと つて、西 アフリカ
化 に乗り出した ヨー ロ ッパの
世紀、 アメリカ大陸 の植民地
そ こには国境が横たわる。 1
人 々も 同 じ な の に、 な ぜ か
、
し
こつレ
C︵
い
00︻
〇●︻
o∽﹁︻
”
●〇
”
∽
ΦOψ の ﹁フ ラ ン ス語 ﹂ よ り
,
∽〓 oc8 の略 で、現在は ユー ウオ ロ フ語 が流 通 し て い
ロを基軸通貨とした固定 レー る。 私 た ち N G O の名 前
トだ。
DANKA DANKA
一方、ガ ンビ アなどが
盟を結 んで いる。CFAはも
ランを共通通貨と し、関税同
済同盟 に属し て いてCFA フ
は フランス語系 西 アフリカ経
年後 に解消 される。 セネガ ル
でき るが主権争 いの結果、 7
﹁セネ ガ ンビ ア国家連合﹂ が
セネ ガ ル軍が依頼を受け鎮圧
した。 これをき っかけ に再び
人 々 の暮 ら し には公 用 語
オ ロ フ族 の王 国 も あ り 、
単位 だ 。 1 3世 紀 には ウ
オ ロ フ族 の伝 統 的 な 通 貨
人 国 の4 2 %を 占 め る ウ
わ れ て いる 。 デ レ ム は 、
フラ ン の他 に デ レ ムも 使
セヽ
不ガ ル では こ のの﹁>
業権を買 い取り覇権争 いが始
2期 目 を 務 め る アブ ド ラ
き 、どう し ても会 いたくなり
共和国とし て分離す る。 19
65年 にはガ ンビ アも イギリ カ の仏語圏と英語圏を統合す
スから独立した。1981年、 る共通通貨を つく る動き があ
るが、それが実現す ると ﹁セ
マジ ョル ・ボイ エを登用し初
を増す。 フランスは セネガ ル
はウオ ロフ語 の ﹁nd a
しかし、そ の直後、タイ タ
スタ ッフが直接、自分たち の
川流域 に、イギリ スはポ ルト
nk nd a nk﹂ ︵ゆ
グ ルー プ の言葉と比 べて比較
ネガ ンビ ア﹂構想 が再び浮上
妃 の結婚式参列 で大統領不在
ま る。ダカールの沖あ いには
属す る英語系経済同盟は、共
ニック号を上回る史上最大 の
の女性首相が実現した。
の時、ガ ンビ アではクーデタ するかもしれな い。
ーが勃発した。しかし、急遠、
奴隷 の積 み出し港とし て有名
通通貨 ﹁ECO﹂ の案をうち
ら借 用し て いる。 ディ ン
的簡単なウオ ロフ語はセネガ
言葉 で話す。他 の エス ニック
チ ャールズ皇太子とダイ アナ
ガ ンビ ア川を船 で渡 ってセネ
ガ ルに行 った。 日本人 の私 に
は 今 でも ビ ザ が 必 要 であ る
が、両国民はビザなし で行き
来 でき る。
セ ネガ ンビ ア
なゴ レ島 が浮かび今 では観光
だし ては いるが、実現し て い
な い。ガ ンビ アは従来 のダ ラ
ウオ ロフ
スポ ット にな って いる。 1 7
ブ の本を再生し て いる国
ディンブ の木も そこに住む
58年 、 イ ギ リ スが フラ ン ス
シを通貨単位とし て関税を安
境 の村 シ ンチ ャンク ンダ
ガ ルからガ ンビ ア川流域 の商
の主要拠点を制覇し、地域 一
くし これに対抗 し て いる。物
っくり ゆ っくり の意 ︶ か
帯は ﹁
セネガンビア﹂として
0
のだ った。共同作業場は村 一
しかな いと いう分かり易 いも
持ち になるには政治家 にな る
機を聞 いた ことがあ るが、金
が いた。そ の車 の後 ろを村人
り出し腕を振 って いるラミ ン
り村を凱旋し、体を大きく乗
いな いピ カピ カ の車 がゆ っく
スの民主党から回された に違
不ガ ル では 、 人 口 の9
セヽ
イ スラム教
という集会を持 つよヽ
つにな った。
番 のイ ンテリ、 ラミンの陣頭
0%以上がイ スラム教を信奉
し て いる。 ムーリ ッド ・バイ
指揮 で建 てられたが、そ の後、 たちが ﹁ラミ ン、 ラミン﹂と
連 呼 し な が ら 練 り 歩 いて い
り、 ア ファマド ・バンバを信
政治活動 にのめり こみNGO
活動はお金 にならな いと見切 る。そ のなか には民主党 のラ
った のか関心を失 って いる。 イ バル、社会党派 の村人も い
奉す るムーリ ッド教団は政治
フ アル ・テイジ ャン ・ハーデ
ィル ・ライ エンの各宗派があ
るではな いか。党派を超え て
同作業場を建 てた経歴をうま
村 のヒー ロー にな って いた。 な信者 であ るが、大統領就任
とは いえ、イドリサ ・セ ック 後、急違、 ムーリ ッド に宗派
私も 政治活動 に利用されな い
イドリサ ・セ ック の人気 は絶
く活かしクルイサ村 にサ ツカ
が失脚し、 ラミンの政治家 に
替え したと いう噂もあ るくら
いだ。 セネガ ル人はそ の導師
経済的 にセネ ガ ルで大きな影
ジ ョラ号沈
被害者をだした ﹁
ー場を建設す る仕事を持ち込
な る夢 は茨 の道 になる。困 っ
クルイサ村 は団結し、監獄帰
没﹂事件が起き る。
大 であ る。 2004年訪問時
には、独立記念 日式典が初 め
み工事責任者 に納ま った。母
り のラミンはそ の日 ︵
だけ?︶ 響力を持 つ。現大統領も熱心
事件発生後、 セネガ ル軍が
てティ エスで執り行われると
たち の顔写真を胸 にぶら下げ
て いた。 ラミンは小学校 の先
番 の豪邸を建 てて いた。監獄
に会 いに行 った。
ラミンによると、セ ックが
首相を罷免されたあと地元 テ
ィエスではセ ックを擁穫する
政治集会が頻発、ラミンも演
説している壇上からそのまま
監獄に連行されたと いう。
出所してきた時は大騒ぎだ
った。 フて ヽ
てヽ
ヽン 一
ヽン﹂と
いう声が聞こえるので何事か
と思 い通りを覗くと、テイエ
0
よ 少し距離を置 いて いた。
う
私 の1年 の不在 の間に、共
救援 に駆け つけた のはな んと
親 の家 に同居し、自分 の家を
12時間後と いう 不手際 の責
いう こと で街中が湧きかえ っ
任をとり この内 閣は短命 に終
工事 はま るで進 んでなく、 ハ
て いるか、家 のど こか に必ず
わ った。 ワ ッド大統領が次 に
ラ ハラし て いたが、突然、記
の見学 が てら、さ つそく、 1
た時 の神だ のみ?か、イ スラ
首相 に指名 した のがセネガ ル
念式典は取り やめ になり結局
ダカールで行われた。
日1回許され ている面会時間
ム教 ムーリ ッド教団 の導師を
民主党 NO ・2 ティ エス州
次 の年、セ ックは建設プ ロ
て いた。 開催 日前 、しか し、 持 つために コツコツお金を貯
の知事 でやはリ ウオ ロフ族 の
イドリサ 。セ ックだ。 この時
ジ ェクト汚職 の疑 いで投 獄、
写真 などを飾 って いる ので、
期、私も 6年 ぶり にセネ ガ ル
昨年 の大統領選 でワ ッドと戦
しばしば村 に呼 ん でジ ャング
に出かけ国境 の村 での植林活
ったが落選した。
ク ル イサ村
外国人 にも土地所有を認め て
いる。 2003年 にはそ の土
生 でセネガ ル民主党 に入り政
め て いると言 っていた のがあ
っと いうま に、クルイサ村 一
動を決めた。そし て、 ティ エ
いう小さな村を み つけそこを
ス市 の外 れに、 クルイサ村と
活動 の拠点 に決め、農地と宅
地 に村人と 一緒 に共同作業場
治活動をし て いた。 いつか動
地を購入した。 セネ ガ ルでは
セ ックが監獄 に入 って いた
ころ、私たち の元現地 スタ ッ
フ、 ラミンもまた監獄 に入 っ
を建 てた。地元 ティ エスでの
クルイサ村
シンチャンクンダーラ
バオパブの国 セネガル
は人 々の暮らし の潤滑油 にな
って いる。ジ ャング の後は飲
クルイサ村 で見 る限り宗教
ら説教 や歌 ・踊り の集会 ジ ャ
ている のだ。村 の広場 にテン
トが張られ、夜 の10時頃か
ン ・ババカー ルの到来を告げ
夜 になるとチ ューライ ︵
お香︶ の声 にはあ る。ドレ ッド ヘア
を焚き じめた服 に着替え ジ ャ ー の若 いバイ ファル僧たちが
ングにでかける。
通りを駆け抜け て いく。 スリ
れ物 に水 を満 た し て、毎 朝 、 さなければならな いし、村人
か?﹂ スリ ンは、 ﹁
平 た い入
手く いく にはどう したらよ い
た。 ﹁
村 のプ ロジ ェクトが上
績は大き い。私も相談し てみ
る のを差 し止めた スリ ンの功
村 にもう 一人未婚 の母が増え
結婚を承諾させた。 ク ルイサ
羊 や牛肉︶料理を出
ヤ ップ ︵
で
魚 の煮込 み汁 かけごは ん︶
︵
は格好 が つかな い。 やはり 、
食 べ て いる チ ェブ 。ジ エン
費用や滞在費など大 した金額
だ。 スリ ンともなれば、普段
スリ ンをダカールから呼 ぶ
ど の宗派か見当 が つく。 ライ
いな いクルイサ村 の夜は静か
み物 や簡単なお菓子が供 され
ングが夜通し行われる。 スリ
し ていた時は、電線 の届 いて
ルイサ村 にも各宗派 の信者が
いる。 ティ エスの町中 に滞在
エンを除き 戸数約 一〇〇のク
で退屈 で、皆すぐ寝 てしまう
たりす るが、開催場所を持ち
を上 にし て両手を スリ ンに差
し出す。そ の手 のひら にスリ
おかな いと何を言われるかわ
からな い。費用から考え てジ
ヤング開催はあまり効果がな
って いき 一連 の所作は完了す
る。そ の後、 スリ ンの教えを
そ のまま自分 の額 の辺り に持
所得 750ド ル、成人 の識字
さ
に詢げr
ー ルに再会す る機会は当分な
サ ムで独身 のスリ ン ・ババカ
か った よう だ。来年 の1月 、
再び セネ ガ ルに行くが、 ハン
で見た こともな い漆黒 の肌を
守り、共同作業場 の2階 のバ
率 39%、平均寿命 62才 の
ンは ペ ッペ ッと小さ い唾を飛
ば し て祝福す る。そ の両手を
たち にも気前 のよさを示し て
小鳥 にあげなさ い。そうした
ら成功す るでし ょう﹂と教え
のかと思 っていたが、なん の
な ん の、村 の夜は テレビを見
て過ごす町中より活発な社会
ラミンは ア ツラー のご加護を
を置き ゆ ったりと横座りをし
ながら、村人 の訪 間を ひとり
てくれた。 この後、手 のひら
ンは3日ほど村 に滞在す る。
回り制 にし て いる ので大きな
次 の日の朝 は、大きな マン
負担 にはな っていな い。さ て、
ゴー の本 の下 に、ク ツシ ョン
夜九時過ぎあたりから 村
頼 みに大 がかりなジ ャングを
ひとり受け祝福を与え る。
政治家 への夢を実現させた い
のど こからか 歌声 が聞 こえ
村 で開くよう にな った。
生活があ った。
始 める。ジ ャング ︵
ウオ ロフ
スリ ン ・バ バ カ ー ル
スリ ンと いう ので老齢 の威
語 で学 ぶと いう意味︶が始ま
った のだ。太鼓 の音と 一緒 の
突然、夜 の空気 にピ シピ シ
ッとひび割 れが入 って いくよ
して いた。話が聞 こえな い距
ガン
ル コニーにはト マト缶 ︵
厳 のあ る 男 を 想 像 し て いた
が、若く て ハンサ ム、 これま
こか の家 に信者 が集まリイ ス
うな何かを呼ばわ る男たち の
離 のと ころに順番まち の行列
わ って いく のだ ろうか。私と
時もあ る。毎 日 のよう に、ど
ラム教を学び、唱和し時間を
声 が村を駆け巡 る。座禅を組
。
が
だ。 ビ アから の抜け荷︶ の水入れ
で
き
た
い
て
い
女
た
ち
る
が置かれるよう にな った。宿
セネガ ル。 これからはどう変
0
れば、国民平均総 共有す る。昼日中、ボ ロ布を
ん で いる時 、 ﹁
喝 !﹂ と肩を
受講者 マレ ムが いた。 ﹁
何を
場 で行われ て いる染色訓練 の
ころだ。そ のなか に共同作業
く現れ て いず、羅針盤 が壊れ
水を飲 みに集ま るよう にな っ
たが、御利益 のほう はまだよ
った色とりどり の小鳥たちが
鼓 の素 材 と な る木 の再 生 な ど
海外協 力 NG O。 2 0 02年
DA N KA DA N KAは
直 スタ ッフ、ヽ
ンェイクが毎朝、 セネ ガ ルの つきあ いはしばら
水を取り換え る。赤 や青と い く続く。 ︵
にしむらひろ こ
,
秘
相談した の?﹂と聞くと ﹁
た船 のよう に私たち のプ ロジ
ェクトは試行錯誤を繰り返し
を行う 。
”コ^”0”●府”
0
一
”
9●9﹂
もヽ
やミヨてく︸∽
ヽ●”o∽
,
よリ セネ ガ ル で職業 訓練 や太
密﹂と言 って逃げ て行 ってし
て いる。主催者 ラミンにと つ
ま った。
次 の日、 スリ ン ・バ バカ ー
てもあまり、ご利益 がなか っ
講師 ホ セ ヌを 数 回 にわ た って
呼 び寄 せ 、 ついに マレ ムと の
た のだ ろうか。最近ジ ャング
が開かれることはなくな った。
ルは木 工訓練 プ ロジ ェクト の
カー ルの人生相談と い ったと
いて、さしづめ スリ ン ・ババ
クルイサ村 の未婚 の母たちも
やら炊事を して いた女 たちが
まと って水汲みやら薪ひ ろ い
叩かれた時 のような迫力 がそ
ア フ アマ ド・ ノヾンバ
す べ て の も の こ と が 煮 詰 ま って き た と いう 印 象 を 受 け る 。 も ち ろ ん 、 そ の最 大 の 原 因
女 の政 治 日 誌
︱ 一〇 月から 一二月ま で︱
▼社 保庁 は九 月 、厚 生年金 標
は ﹁不 況 ﹂ に あ る 。 景 気 の い いと き は 何 が あ って も ダ メだ った 。 政 治 が ど ん な に い い加
減 で も 、 ﹁何 と か 豊 か に 暮 ら せ る ﹂ 現 実 が あ る 限 り 、 人 々 は 動 き だ そ う と し な い の で あ
準報 酬 月額改ざ ん の疑 いあ る
記 録 は 六 万九 ■件 と し た が 、
そ の構 造 が 崩 れ た 。 そ し て こ の 不 況 が 、 日 本 人 が つ い に政 治 に 目 を 向 け る 現 実 に つな
.人 が重 傷 を負 う 。 出 頭
亡、
し た ド千 人 は ﹁
飼 い人 のあ だ
討ち﹂と 語 る.
▼米 証券 大手 リ ー マン ・ブ ラ
ザ ーズ の破 綻 後 、陛 界 同時株
安 、急 激 な円高 ド ル安 な ど金
融 不安 が ^気 に広 が った 一日
本 の景気も 失 速 し、十 月 には
大 和 生命 ﹂ と 不
中 堅 生保 の ︲
動産 投 信 の ﹁ニ ュー シ テ ィ ・
レジ デ ンス﹂ が経営 破 綻 . H
経 平均 株価 も バブ ル後 最安 値
を 更新 .
一二月 には派遣 労 働
者 の契 約 打 ち 切り 、内 定 取り
、
i
l
消 し、
︱社 員 のリ スト ラ等
一
雁用情 勢 が .段 と悪 化 ¨米 経
済 を牽 引 し てき た米 自 動 車 大
手 1社 の存 続 も危 ぶま れ て い
る
▼麻 生 内 閣 が 迷 た し て いる .
中山 国交 相 は 問題発 言 で辞任
し た が 、首 相自 らも 失 言 を 繰
り 返 し た ぃ 7姓挙 内 閣﹂ と し
て出 発 、 ﹁
解 散 よ り 景気 ﹂ と
総 選 挙 を見 送 った のに、 そ の
政策 が定 ま らな い﹁定 額 給付
金 を めぐ り 、全 所帯 支 給 か 、
所 得 制 限を 設け るか で議 論 が
1転 ︰転 、年 度内 で の実 施を
円 の退職金 は支 払 われた .
▼元厚 生事 務次 官 と そ の家 族
麻 生﹂も 動き 始 め て いる.
ると は 思え な い.第 二次 補 正
。
予
っ
来
年
見
算
案
も
に
た
支
送
反
持率 は .
〇%台 に急 落 し ﹁
目指 す が これ で景気 が 回復 す
が相次 いで襲 わ れ 、 1人 が死
定年 退 職扱 いのた め 、 六千 万
侵略 国家 だ ったと いう のは濡
れ衣 と いう論文 を 発人 ]浜
︲
田防 衛 相 は 田 母 神 氏 を 更 秩一
.
氏 は 辞 任 に追 い込 ま れ た が 、
した加 L食 品 が 国内 にも 流 通
︲︱
︱収 に追
し 、 メー カーは白 ︱
︱
︲
わ れた ﹂
▼=け神 空幕 長 が ﹁
わ が国 が
ミ ンの混 入し た牛 乳を 原料 と
健 康 被害 は中 国全 L に¨ メラ
物 質 メラ ミ ンが検 出 され 、 こ
の粉 ミ ルクを飲 んだ 乳幼 児 の
▼中 国製 の粉 ミ ルクか ﹄有害
安 心 し て生 めな い国 にな って
しま って いる
t 日本 は■ ども を
ー であ った ,
いお産 を受 け持 つ医 療 セ ンタ
︱
︱で死亡 . 拒 否 した病
後 脳出︱
︱
院 のほと んど は 、 リ スク の高
され 、 た ら いま わ し に 出産
▼妊娠 九 カ月 の女 性 が都内 複
数 の病 院 か ら´
受け 入 れを拒 否
いい加減 さは絶望的だ !
そ の後 七 圧万件 と発 表 .こ の
る。
が る な らば 、 こ れ は ﹁よ い こ と ﹂ で は な い のだ ろ う か 。
日本 の ﹁
戦 後 ﹂ は 、ド イ ツな ど と こ と な り 、社 会 的 に も 、精 神 的 に も 終 わ って いな い。
こ の 国 が 全 体 と し て ア メ リ カ 一辺 倒 の流 れ の中 に いる か ら であ る 。 そ の意 味 で 日 本 は 相
変 わ ら ず の ﹁敗 戦 国 ﹂ な のだ 。 私 た ち は自 分 自 身 の頭 で考 え 、 過 去 の敗 戦 の意 味 を 突 き
詰 め よ う と し て こ な か った 。
田 母 神 前 空 幕 長 の論 文 が 引 き 起 し た 一連 の騒 動 も 、 そ の 一つの 現 れ と し て み る と 興 味
彼 の主 張 は 、 満 州 事 変 こ の か た の 日本 の戦 争 は ﹁
侵 略 ﹂ で は な く 、 す べ て 日本 を 戦 争
深 い。
に ひ き ず り 込 む た め の敵 側 の謀 略 で あ り 、 し か も 日 本 の ﹁
植 民地 支 配﹂ は被 支 配 国 に と
って もプ ラ ス で あ った と いう ﹁夕 力 派 ﹂ の主 張 を な ぞ る も の で あ った. そ し てそ の 彼 の
論 文 は 、 ﹁タ カ 派 ﹂ 以 外 の諭 壇 で は ほ と ん ど 無 視 に 近 い扱 いを 受 け て い る 。 中 道 派 や 左
派 の雑 誌 は 、 こ く お座 な り の 反 論 を ち ら ほ ら の せ た だ け で 、 や る気 を ま った く 見 せ て い
な い 。拉 致 事 件 な ど に つ い て は 、 何 度 も う ん ざ り す る ほど 繰 り 返 し 同 じ映 像 を 流 し て い
た N H K に い た って は 、彼 が 召 喚 さ ね た と き の 国会 中 継 さ え し よ う と し な か った 。
田 母 神 事 件 に は 、官 公 吏 に は 自 分 の意 見 を 発 表 す る権 利 は な い の か と いう こ と を 含 め 、
考 え な け れば な ら な い要 点 が た く さ ん あ る 。 そ も そ も 田 母 神 氏 と 意 見 を 同 じ く す る 政 治
家 の数 は︱︱ い や 政 治 家 だ け で な く 、
一般 の 国 民 の数 は 、 決 し て少 な く な い。 彼 ら が ど
う し て そ う いう 歴 史 認 識 を 持 つよ う に な った の か と いう こ と は 、 無 視 し ては な ら な い大
き な テ ー マ で は な いか 。
日 本 人 は ど う し て 、 こう し た ﹁
事 件 ﹂ を き っか け に 、 戦 後 日本 の精 神 状 況 に つ い て徹
底 し た 議 論 を 闘 わ せ よ う と し な い のだ ろ う か 。 そ れ こ そ が 日 本 と いう 国 が 、本 当 の意 味
で ﹁自 立 ﹂ す る た め に 必 要 だ と 思 う の であ る 。
一つだ け は っき り し て いる こ と 。 そ ね は 、 田 母神 氏 を 辞 職 に追 い込 ん だ 、 い つに な く
敏 速 な 政 府 の行 動 の背 後 に は 、 確 実 に ア メ リ カ に対 す る気 兼 ね が 存 在 し て いる と いう こ
と であ る 。
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