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弘人屋敷跡 - 高知県文化財団
平成 24 年度 第 4 回発掘調査報告会 「弘人屋敷跡」 公益財団法人高知県文化財団埋蔵文化財センター 調査員 宮里 修 高知 埋文 文蔵くんとまいちゃん 日時:平成 24 年 12 月 1 日㈯ 午後 1 時 30 分〜 3 時 00 分 場所:高知県立埋蔵文化財センター研修室 公益財団法人高知県文化財団埋蔵文化財センター 弘人屋敷跡の発掘調査 2012. 12. 1 於:高知県埋蔵文化財センター はじめに 弘人屋敷跡は高知県高知市帯屋町 2 丁目 124 番地・126 番地および追手筋 2 丁目 24 番地に所在する 遺跡である。遺跡地が、高知県が計画する新資料館整備事業の建設予定地に該当したことから、工事 の影響をうける部分について事前に発掘調査を実施する必要が生じた。これにより遺跡の内容を記 録保存して地域の歴史の復原に役立てることを目的とした調査が計画され、平成 23 年 11 月下旬よ り開始された。発掘調査は断続的に現在も継続中で、平成24年度内に現地調査を終了する予定となっ ている。 弘人屋敷跡は、高知城下のメインストリートである追手筋に面した区画のうちもっとも追手門に 近い区域にあり、予てより埋蔵文化財包蔵地として周知されてきた。遺跡の名称は、江戸時代の同区 域に土佐藩家老・深尾弘人蕃顕の屋敷地があったことに因んでいる。このため近世家老屋敷の存在 が調査の前提となったが、一方で高知城の調査においては 14 ∼ 15 世紀代の遺構・遺物や長宗我部時 代の城郭が発見されており、弘人屋敷跡の調査においても中世に遡る遺構・遺物の発見を視野に入 れる必要があった。 平成 23 年度の調査では整地遺構をはじめとする江戸時代の遺構とともに中世に遡る水路が発見 され、高知城下における土地利用が遅くとも中世に始まることが明らかとなった。平成 24 年度の調 査では中世の遺構が高密度で発見され、縦横に走る溝が整然と土地を区画する景観が浮かびあがっ た。この区画溝は軸方向が現在の街区(追手筋など)に沿っており、江戸時代から現在につづく高知市 中心部の土地区画の起源が中世にあることもまた明らかとなった。さらに特筆すべき成果に古代(平 の遺構・遺物の発見がある。高知市教育委員会が調査した高知城跡北曲輪地区(高知市文化財調査 安時代後期) 『史跡高知城跡』、 報告書第 35 集、2011 年 )においても同時期の遺 吉野川 構・遺物がすでに発見されて いるが、高知城下における土 地利用が古代にまで遡ること 国分川 が改めて確認された。 現 在 進 行 中 の 北 側 区 域( F 物部川 安芸川 仁淀川 区)の調査においては区画溝、 須 崎 湾 井戸、廃棄土坑など江戸時代 弘人屋敷跡 土佐湾 の遺構が多数発見され、生活 室戸岬 雑器等の遺物が出土している。 興津崎 篠山 今後は継続して江戸時代の遺 構の調査を行い、さらには下 奈半利川 松田川 中筋川 四万十川 宿毛湾 層にある中世・古代の遺構に ついても調査を進めていく。 沖ノ島 足摺岬 第 1 図 遺跡の位置 ! 73 72 54 53 51 49 50 52 9 12 63 58 59 48 11 56 55 60 74 67 57 69 66 61 62 47 46 64 71 70 68 65 2 10 4 5 8 7 3 42 6 14 41 15 13 1 43 16 44 45 40 39 17 24 38 27 25 18 36 26 37 35 19 77 75 76 20 28 21 22 23 29 32 30 31 № 遺跡名 1 高知城跡(大高坂城跡) 33 34 時代 中世∼近世 № 遺跡名 27 石立城跡 時代 中世 № 遺跡名 53 吉弘古墳 時代 古墳 2 中の谷遺跡 弥生 28 神田ムク入道遺跡 弥生∼中世 54 秦泉寺仁井田神社裏古墳 古墳 3 横内遺跡 弥生 29 シルタニ遺跡 弥生・中世 55 吉弘遺跡 古代 4 福井別城跡 中世 30 神田南遺跡 中世 56 日の岡古墳 古墳 5 福井古墳 古墳 31 ゲシカ端遺跡 弥生 57 松葉谷遺跡 古代∼中世 6 高知学園裏遺跡 中世 32 高神遺跡 古墳・古代 58 秦泉寺廃寺跡 古代 7 かろーと口遺跡 中世 33 神田遺跡 弥生∼中世 59 秦泉寺別城跡 中世 8 鹿持雅澄邸跡 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 福井遺跡 嘉式保宇城跡 万々城跡 初月遺跡 福井西城跡 福井中城跡 福井元尾城跡 井口城跡 杓田遺跡 加治屋敷跡 鴨部城跡 柳田遺跡 鷺泊橋付近遺跡 船岡山遺跡 船岡山古墳 能茶山窯跡 神田旧城跡 鴨部遺跡 近世 縄文∼中世 中世 中世 弥生 中世 中世 中世 中世 弥生 古代∼中世 中世 縄文∼古墳 弥生・中世 弥生 古墳 近世 中世 縄文∼近世 34 高座古墳 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 古墳 久寿崎ノ丸遺跡 小石木山古墳 小石木町遺跡 潮江城跡 南御屋敷跡 中島町遺跡 尾戸遺跡 尾戸窯跡 弘人屋敷跡 帯屋町遺跡 国沢城跡 安楽寺山城跡 東久万池田遺跡 西秦泉寺遺跡 宇津野 2 号古墳 宇津野 1 号古墳 宇津野遺跡 秦泉寺新屋敷古墳 弥生∼中世 古墳 弥生 中世 近世 古墳 弥生 近世 近世 古墳 中世 中世 古代∼中世 古代 古墳 古墳 縄文 古墳 第 2 図 周辺の遺跡 " 60 秦小学校校庭古墳 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 愛宕神社裏古墳 愛宕不動堂前古墳 北秦泉寺遺跡 淋谷古墳 秦泉寺城跡 土居の前古墳 前里城跡 薊野城跡 薊野遺跡 一宮別城跡 一宮 2 号古墳 土佐神社西遺跡 土佐神社 一宮城跡 吸江庵跡 五台山法華経塔 竹林寺 古墳 古墳 古墳 弥生 古墳 中世 古墳 中世 中世 古代 中世 古墳 古代∼中世 古代∼中世 中世 中世∼近世 中世 古代 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 A A B B C C D D E E F区 F F G G H H I I J J E区 K K L L M M N N O O D区 P P A 区 Q Q R R C区 S S T T U U B区 V V W W 0 X 0 (1:500) 10m X 50 m (1/1500) 1 2 3 第 3 図 調査区の位置 4 5 6 7 8 Ⅰ 歴史的背景 近世家老屋敷の変遷と画期 1. [寛永五年ヨリ万治二年間ノ図] 「野〃村大学」 1628 1659 2. [寛文九年 分図] 「野〃村長左衛門」 1669 3. [元禄二、三年間之図] 「野〃村作□□」 1689 90 4. [元禄自十年至十二年間之図] 「生駒木ユ」 1697∼1699 5. [高知御家中等麁図 享和元年] 「山内左衛門」 1801 6. [高知郭中図 幕末] 「本姓酒井深尾出羽重昌女婿」 1860頃 7. [旅行必携 新撰高知市街地図 明治 26 年] 「郡役所」 1893 8. [出土石碑 昭和二年十二月] 「陸軍用地」 1927 ◎ 大火 元禄十一年 享保十二年 1698 1727 ◎ 大地震 宝永四年 1707 中世の歴史的背景 大高坂氏(松王丸) 南北朝の争乱(『佐伯文書』) 『長宗我部地検帳』天正十六年 古代の歴史的背景 9 10 11 12 第 4 図 調査区の区分 1588 高坂郷 「土佐郡五郷 土佐 高坂 鴨部 朝倉 神戸」 (『和名類聚鈔』) # 13 14 15 16 Ⅱ 調査内容 1. 基本層序 Ⅰ層:近現代層。薄い山土層や焼土層が広がる。砕石、コンクリート基礎を含む。 Ⅱ層:近代層。 近世盛土層:調査区の北半にひろがる。 Ⅲ層:中世∼古代層。Ⅲ a ∼Ⅲ e に細分。下部ほど砂質。中世の遺構はⅢ b 層を掘り込み構築された。 古代の遺構はⅢ b 層の下部でⅢ c 層を掘り込んで構築された。 以下、砂層から礫層へ遷移。 Ⅰ Ⅱ 近世盛土 Ⅲa ⅢF ⅢF Ⅲa Ⅲb Ⅲc Ⅲb Ⅲd Ⅲc SD13 Ⅲd Ⅲe Ⅲe E区東壁北寄り Ⅰ Ⅱ Ⅱ ⅢF Ⅲb Ⅲc SD2 SK123 Ⅲd E区東壁南寄り $ 2. 遺構と遺物 A ∼ E 区で発見した遺構には、SK(土坑)149 基、SD(溝)11 条、SX(不詳遺構)7 基、井戸 1 基、ピッ ト 425 基などがある。調査区の地形は概して北側が高く南側が低いが、南ほど少ない遺構分布の疎密 はこの地形の違いに関連している。発見された遺構には近代、近世、中世、古代の各時期がある。 〈近代〉 KG1:D 区Ⅲ層上面で確認。覆土に焼土を多量に含む長方形の土坑。統制陶器や「一億一心」銘のあ る陶製キセルなどが出土。戦災処理遺構と考えられる。 〈近世〉 SX1・2:C区のコンクリート基礎下部で発見した整地遺構。別個に調査を進めたが両者は一連の遺構。 東西に長い 30m 規模の不整鉤形土坑。50cm ほど掘り下げた底に木の枝を敷き詰めた後、粘土と木 の枝を互層に充填。粗朶と呼ばれる土木技術を応用した整地遺構とみられる。遺構からは 17 世紀 代の陶磁器、焼塩壺や漆器などが出土した。 SX3:調査区南側の東部に位置する長大な整地遺構。規模はおよそ 27 × 10 m。90cm ほど掘り下げ た底面に薄く剥いだ木の皮やシダ類を厚く敷いた後、一度に埋め戻している。当初の掘方には U 字状にめぐる土手状の高まりがあり、また埋没後の覆土上に 2 条の杭列がのびるなど、その性格に は不明な点が多い。遺構からは能茶山焼や印判手などの陶磁器をはじめとする多種多様、多量の 遺物が出土した。幕末∼近代に構築された遺構とみられる。 SK28:D 区の中央付近に位置する長方形の土坑。炭化物を多量に含む覆土中からまとまった数のか わらけや陶器が出土した。17 世紀代の遺構とみられる。 〈中世〉 SR1・2・3:C・D 区境界付近で東西に長くのびる水路。東西で個別に調査した SR1・2 は一続きの水 路であり、D 区の西側コンクリート基礎内で確認した SR3 はこの延長部分である。調査区内で確 認できた全長はおよそ 30 mで西から東に向かって水が流れたと考えられる。調査区の中央東寄り で 90 度折れ南方向に向きを変えるが、その延長は僅かしか確認できなかった。西側の僅かに屈曲 する箇所と東側の曲折する箇所は他より底が深く、またそれぞれの箇所では木杭を心材とし小枝 を敷いた上に粘土を固めた土手が築かれた。滞水を意図した工夫とみられる。遺構遺物には 13 ∼ 14 世紀代の青磁や擂鉢、瓦器碗などがあるが、土手の内部からおよそ 15 世紀代の青磁片が出土し ており、遺構の構築時期を考える手がかりとなる。 SD2:E 区の中央付近を東西に貫く溝。掘方は上方が開く台形で、幅約 160cm 、深さ約 80cm 。調査 区内では約 35 mまでを確認したが、調査区外の東西両方向にさらに延長するとみられる。遺構か らは青磁や土器を中心とした遺物が出土しており、およそ 15 世紀代に埋没したとみられる。 SX4:E 区の東南部に位置する長大な楕円形の土坑。規模はおよそ 7 × 4 m。底面はボウル状にくぼ み壁は緩やかに立ちあがる。遺構からは 15 世紀代の土器などが出土した。 〈古代〉 SD12:E 区を斜め方向に貫く溝。掘方は概ね上方に開く台形。調査区内で 30m までを確認した。両 端は遺構の重複等で確認できないが、さらに延長するとみられる。平安後期の土器が出土。 SD13(SK71):個別に調査した遺構を一続きの溝と判断した。SD12 と約 4m の間をおいて同方向に 延びる。遺構からは椀など平安後期の土器が出土した。 % SD12 SD13 SD2 SD12 0m SX4 SK28 SX3 SR3 SR2 SX2 SR1 SX1 第 5 図 遺構配置図 & 2m 写真 1 E 区全景 写真 2 D 区全景 写真 3 C 区全景 ' 写真 4 KG1 写真 5 SX2 断面 写真 6 SX1・2 写真 7 SX3 写真 8 SX3 断面 写真 9 SK28 写真 10 SR1・2 写真 11 SR1 断面 ( 写真 12 SR2 断面 写真 13 SR3 写真 14 SD2 写真 15 SX4 写真 16 SX4 遺物出土状況 写真 17 SD12 写真 18 SD13(SK71) 写真 19 SD13 )