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異文化理解とイスラーム思想についての考察

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異文化理解とイスラーム思想についての考察
イスラーム史 A 期末レポート
異文化理解とイスラーム思想についての考察
現代教養学部国際社会学科
国際関係専攻
3 年 5 組 23 番
林 鈴菜
キリスト教、仏教とならんで世界三大宗教として多くの信者を抱えるイスラーム教であ
るが、私たち日本人はどれほど詳しく、どれほど正確にイスラーム文化について知ってい
るだろう。メディアなどの報道によって歪曲され、深い理解をしていない人たちにとって、
イスラームは実に誤解を生みやすい宗教であるように感じる。9.11 アメリカ同時多発テロ
や頻発する内戦などからイスラームは危険な宗教であるというレッテルを貼られてしまう
ことも多い。しかし一方では多くの敬虔な信者を抱え、多大な影響力を持っていることも
事実である。表面上の文化ではなく、イスラーム文化の本質とは一体何なのか、イスラー
ムの教えは本当に危険なものなのか、本稿では、事実に基づいてイスラーム文化の根底に
ある思想について考察し、宗教による文化の違いから起こる誤解の原因を解明するととも
に、本来のイスラームの思想を明らかにすることを目的とする。また日本とイスラームの
違いに着目しながら、イスラーム文化について再定義していきたいと思う。
まず第一に、イスラームに特徴的なのが宗教信仰対象の捉え方である。無宗教といわ
れる日本人であるが、多くの日本人の思想は主に仏教や神道を基盤に形成され、偶像崇拝
を認め、自然には神が宿っていると考えられている。さらには偶像や神のみでなく、存在
するすべてのものには神が宿っているというような八百万の神を信じるが、イスラームは
神の信仰という点においてこれとまったく対極をなしている。ここで重要なのがイスラー
ム教において絶対とされる神“アッラー”の存在である。イスラームにおいてアッラーこ
そが崇拝すべき対象であって、偶像崇拝は許されない。このアッラーの存在が、イスラー
ムを理解する際の手がかりになっているのではないかと考えられる。キリスト教では、神
は父、人間はその子である、というように捉えられるが、イスラームでは神は主人で人間
は奴隷であると考えられている。人間の日常生活に必要な創造物はすべてアッラーによっ
て創造、管理されていて、人間はそれら無しでは日々の生活を営むことが出来ない。それ
ゆえ、アッラーは絶対的な権力を持ち、人間を支配し、人間はその人自身の意思や欲望を
放棄し、アッラーに帰依するということになる。このような神と人間の関係性はキリスト
教や仏教とは大きく異なり、これがイスラーム教を特徴づける要因となっていると考えら
れる。前述の概念を理解すれば、人間が生活している世界をつかさどっているのはアッラ
ーであるから、ムスリムにとってその根本であるアッラーを絶対的なものとして崇め、信
仰するのはごく自然なことであるといえる。
第二にイスラーム独特の文化として挙げられるのは、イスラーム教徒ムスリムの生活で
ある。イスラームの根源である六信五行はイスラームを特徴づける文化のひとつであるが、
これはなにもイスラーム教が戒律の厳しい宗教であるということを意味しているわけでな
い。このような宗教がどのレベルまで人々の生活に関与するのかという問題は、その宗教
および教徒の宗教観によるものであると考える。その点でイスラーム教は、単なる思想的
な信仰宗教ではなく、イスラームの教えが人々の生活を包括しており、生きていくために
必要な指針として捉えられているのであろう。ここで、宗教を日常生活においてさほど重
要視せず、信仰するときにしか特に意識しない日本人と、宗教を生活の一部として日常に
溶け込ませているムスリムとの違いが浮き彫りになっている。宗教を信仰としてのみなら
す、生き方として捉えている点が日本人との大きな違いであり、各々の文化を異なるかた
ちで形成している要因である。
第三に注目すべきなのは、イスラームにおいて非常に重要なコーランの存在である。最
後の預言者ムハンマドの死後、神の啓示を記したとされる書物コーランはムスリムの拠り
所であると言えよう。この聖典コーランこそがイスラームを形成する根源である。しかし
この絶対的存在であるコーランは一つであるが、コーランの解釈の仕方は様々である。コ
ーランの解釈がイスラーム信仰には不可欠であるが、その解釈が一定でないということは、
これと同時にイスラーム教を根源とするイスラーム文化も多様化していくということにな
る。これは究極的にいえば、イスラームはコーランの自己展開であると言える。また、仏
教においても釈迦の言行を記した伝承は多くあるように、イスラームにおいてもコーラン
を中核に、それらの解釈やムハンマドの言行動を記録したハディースという書物がある。
ハディースはいわば、コーランの二次的、間接的に展開したものであるが、ハディースも
コーランと並んで、人々に多大なる影響を与えた。イスラームが世界三大宗教に数えられ
るまで広まったのは、ハディースがその地域や状況に合わせて少しずつ変化していったた
めと考えられる。しかし、裏を返せばここでコーランの解釈の多様性が同じイスラーム教
の中での相違、対立を生むという結果にも繋がったといえる。ハディースの柔軟性や高い
適応力がイスラーム文化形成に役立ったと同時に、本物のハディースに紛れて発生した偽
物のハディースの流布は、教徒をイスラーム教本来の教えから逸脱させてしまうというよ
うな危険な側面も孕んでいたのではないか。イスラーム教はメッカ巡礼の様子からも伺え
るように信者の共同体としての結束が強いが、その分このような差異が生む弊害も大きい
と考えられる。このような地域間での違いが、他宗教の人々から見た時のイスラーム文化
を複雑怪奇に映し出している要因になっているのかもしれない。
先に述べてきた通り、異なる環境、文化のなかで生きてきた日本人にとっては、一見理
解の難しい異文化として捉えられがちなイスラーム文化であるが、形成の過程を辿ると、
イスラームの教えに基づいたとても合理的で論理的な、明快な文化であることがわかる。
さまざまな要素を含んだ複雑なイスラーム文化ではあるけれども、これほどまでに多様化
しているイスラーム文化を一つのまとまりとして統一しているのが、宗教であるイスラー
ム教であり、さらにそのイスラーム教の根底にあり、すべてを統括しているのが聖典コー
ランであると言えよう。イスラーム文化の構成要素である宗教をはじめ道徳や政治、法律、
芸術などもすべて元をただせば聖典コーランによるものであり、この解釈こそがイスラー
ム文化を決定付けている。イスラーム文化は一般に日本人に馴染みが少なく、ゆえに未知
の文化として捉えられがちであるが、その理由は日本とイスラームの宗教観の違いであり、
相互の宗教の捉え方を理解することができれば、思想の根底にあるのはどの国でも時代で
も変わらない人々の神への信仰心なのである。
参考文献
井筒俊彦『イスラーム文化
-その根底にあるもの-』岩波書店
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