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地域住民セクターによる木頭ブランド商品開発による地域活性化
地域住民セクターによる木頭ブランド商品開発による地域活性化 横畠康吉・池本未希(NPO 法人 AUX) 、池本有里・山本耕司(四国大学) Keyword: ダムなし開発、地域住民セクター、地域ブランド 1【 はじめに】 に製材所が立地し、筏流送による木材の運搬が一般的に 木頭村は平成の合併により那賀町木頭地区となり村名が 行われていた。下流への流送は丹生谷入口の鷲敷までは 消えた。木頭地区は徳島県南部地域にあって、剣山の東南 一本流し、鷲敷で筏に組まれた下流の製材業者まで送ら 部に広がる剣山山系と一部海部山地に位置している。剣山 れた。流送の支配は製材業者の手にゆだねられ、木頭地 山地を源流として紀伊水道に流入する那賀川の上流域は、 区の林業経営者の支配とはならなかった。貨幣経済が山 日本有数の多雨地域で、年間降水量は 3,000 ミリを超える 村を支配するようになると、木頭地区は現金収入の無い ものである。木頭地区は温暖多雨気候条件下にあって、日 焼き畑耕作で雑穀栽培に依存した自給自足経済は喘ぎな 本でも有数の杉材生産を中核とする林業地域を形成してい がら消滅していく。生活維持のために山林を現金に換え る。ここは藩政期を通じ良質の杉材を産出した木頭林業地 なければならず、村民は山林を放棄することになる。結 域である。ダムなし開発の動きに至る調査対象とした那賀 果として流送権を持った製材業者は資本蓄積を果たし、 町木頭地区(旧木頭村)は那賀川の上流域に位置する。戦 上流地域の山林は収奪が図られ、少数の村外地主の手に 後、木頭地区は那賀川下流の製材業と木製建具製造業の全 集中することになる。 盛期に、地区内の林業経営は最も繁栄した。しかし、林業 2)昭和期後半の社会経済状況と地域振興 経営は外材の輸入とアルミサッシの普及により国内産木材 戦後の復興期になると産業用の水と電力の必要から河 の需要が低迷し始めると陰りが見え始めるようになった。 川総合開発が始まる。木頭地区でも 1955 年から 1967 年 国策の全国総合開発計画による電源開発事業でダム建設が にかけ那賀川総合開発事業が行われた。多目的の長安口 始められ、開発の効果は那賀川上流地域の地域住民の生活 ダム、川口ダム、小見野々ダムが相次いで完成し、阿南 の近代化に弾みをつけた。道路の改修、集落の集団移転な 市臨海部の産業開発用として工業用水と電力を供給する。 どは村の地域経済にとって新しい動きとして捉えられた。 この開発の期間は、木頭地区の住民の多くは第二次産 その後、木頭地区は過疎化と林業経営の不振による地域 業部門に雇用され域内経済も好景気であったものの、開 経済の低迷が続きその打開策として、上流部の道路拡幅な 発に伴う道路整備は木頭地区と都市部との時間距離を短 どを処方としたダム建設の動きが表面化した。全国総合開 縮することになり、交通の利便性の向上が人口の域外流 発計画、電源開発を受けたダム建設が那賀川の水質を汚濁 出につながり地域の過疎化を加速させていった。過疎化 させ環境に負荷をかけたことや、財の域内ストックとフロ の歯止と産業振興を図る目的で、1970 年に国は過疎法を ーの経済現象が起こらず社会的にも、経済的にも地域社会 制定し「交通・通信」 「産業振興」 「生活・厚生(医療を が停滞したことへの反省から、ダム建設による地域の開発 含む) 」 「教育文化」 「集落再編」を取り上げている。木頭 派とダム抜き開発派の域内対立が表面化した。首長選挙に 地区では集落再編事業が行われた。奥地にある集落を地 持ち込まれた、村を二分した選挙結果は、ダム抜き開発派 域の中心地機能を持つ木頭地区出原に移転させる事業で の首長が村の地域経営の舵を取ることになった。ダム抜き あった。 地域活性化の核となる第三セクターによる株式会社きとう 3)1990 年以降の社会経済状況と地域振興 むらが設立された。 1980 年代にはオイルショック後の地方振興策として、 阿南市を核に木頭地区を含む一市14町村で構成される徳 2【背景】 島県南部定住圏構想が策定された。地方都市の産業文化 1)明治中期から昭和前期の社会経済状況と木頭地区 の振興を豊かな自然と共生する田園都市構想の実現を目 木頭地区は明治になり藩政林から民間林に移行し、個 指した地域振興策が打ち出された。 人、村落共有林として存在するようになった。木頭林業 1990 年以降は中山間地域農山村のもつ潜在的能力を引 として活発な林業経営は、明治 20 年頃から始まるといわ き出し振興を図り人口の定着を進め集落の崩壊などを防 れている。このころに那賀川下流の羽ノ浦町、那賀川町 ぎ、集落機能を維持させるための日本版カップリング策 であった。一定の効果はあったものの、地域の疲弊は進 ることは避けなければならない。心は豊かに暮らすとい み集落維持の組織が脆弱になっていった。 う住民の気持ちが河川汚濁の原因となるダム建設反対運 2000 年代になると、農工、農工商連携による六次産業 動となって展開することになった。 化の推進を図り、地域振興に繋げようとする動きが始ま り、個別農家の起業精神を喚起することになる。 単位:人,% 表1 木頭地区人口推移,高齢化率 年 1990 1995 2000 2005 2010 2015 実数 831,598 832,427 827,852 809,950 785,873 758,427 徳島県 推移 100.0% 100.1% 99.5% 97.4% 94.5% 91.2% 高齢化率 27.8% 実数 2,096 2,001 1,843 1,758 1,662 1,603 木頭地区 推移 100.0% 95.5% 87.9% 83.9% 79.3% 76.5 高齢化率 24.5 32 38.7 42.8 46.2 50.1 地域/年 4)地域振興策と木頭地区 木頭地区では、山林は村外地主に収奪され林業で自立 できた経営体は無きに等しい状況にあった。多くの人は 木材流送労働者として就業している。 戦後は那賀川総合開発事業に対する労働力を供給し生 活を維持するか、就業機会を求めて都市部に移る以外に 選択の余地はなかった。域外人口移動は地域の過疎化を 引き起こし、高齢社会の引き金となった。 年 代 経済状況 人口動態 社会事象 人の空洞化 土地の空洞化 村の空洞化 1960 1970 高度経済成長期 ↓ 人口の急激な社会減少期 1980 1990 2000 2010 安定経済期 経済構造調整期 ↓ ↓ 人口の緩慢減少期 ↓ 過疎(挙家離村)時代 ↓ 人口の自然減少期 ↓ ↓ 核家族家とマイカー時代 社会減から自然減へ 集落の崩壊開始時代 ▲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・△ 始まり 進行中 ▲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・△ 始まり 進行中 ▲・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・△ 始まり 進行中 図1 那賀町木頭地区3つの空洞化模式図 少子高齢社会問題、住みよい社会問題の解決など、地 域振興のためには道路整備、生活文化環境整備などを進 めなければならず、その実現のためには公共投資事業の ダム建設事業を推進し、木頭地区の社会基盤整備を早急 表2 旧市町村別民力度(民力 2004年版) 県北 係数 県央 係数 徳島市 208 脇町 13 鳴門市 50 美馬町 6.1 石井町 19 半田町 3.4 神山町 5 貞光町 4.1 松茂町 12 一宇村 0.8 北島町 18 穴吹町 4.5 藍住町 25 木屋平村 0.8 板野町 9.5 上板町 9.3 県西 吉野町 6 池田町 35 土成町 5.8 三野町 3.5 市場町 8.2 三好町 4.1 鴨島町 18 井川町 3.1 川島町 5.5 三加茂町 6.8 山川町 7.5 山城町 3.3 美郷村 0.9 東祖谷山村 1.5 勝浦町 4.4 西祖谷山村 1.1 上勝町 1.5 佐那河内村 1.9 県南 係数 小松島市 30.4 阿南市 42.2 那賀川町 7.7 羽ノ浦町 8.8 由岐町 2.1 日和佐町 4 牟岐町 3.9 海南町 4.3 海部町 1.8 宍喰町 2.4 丹生谷 鷲敷町 相生町 上那賀町 木沢村 木頭村 2.4 2.2 1.5 0.6 1.2 に進め地域産業の振興、地域活性化に弾みをつけようと する施策が行われようとしていた。 3【調査方法と研究内容】 これまでの社会基盤整備にかかる公共投資事業は、投 調査方法は関係者からの聞き取りによる定性的方法を 資事業を実施することが目的化され、第二次産業の一部 採用した。定量的な分析については既存資料、聞き取り 事業所に利益をもたらすのみであった。本来的には地域 で得られた数量を検討資料として用いている。既存数値 内部から湧き上がる地域活性化に取り組もうとする住民 は可能な限り国勢調査結果報告、民力などのデータを使 運動に繋がるものでなければならない。地域振興は住民 用した。一部市町村合併により町村名が削除された旧自 と自治体が一体となった取り組みを進めようとする動き 治体(地区)数値は推計値で表している。 が表面化することになった。ダム建設にかかる反対運動 研究内容は公共投資事業のダム建設推進派と反対派の は、これまでの水資源事業の実施で那賀川の濁り問題が 二極対立の動きの中で、ダム建設反対派の代表者の一人 解決せず、さらに濁りを増幅させる事業が進められよう がダムなどの大型公共事業にたよらない経済振興を図る としていることへの不満が引き起こしたものである。 自治体を実現させ、自然環境の保全保護と経済開発の調 衰退する経済地域では人口が著しく減少し民力度も低 和を図りながら持続可能な経済発展を目指した社会を創 い係数値を示すことになる。山間地域にとっては、ある る内容をマニフェストに掲げて村長選を戦った。選挙結 程度までの人口減少は受け入れなくてはならないもので 果はダム建設反対派候補が首長に選ばれた。これでダム あるが、地域の人口、土地、集落の空洞化は現実として 建設は頓挫することとなったのであるが、公的資金に頼 受け入れるが、住民の心の空洞化まで引き起こそうとす ることなく自力で雇用機会を創出し、地域経済に貢献す る起業が求められた。地域企業の起業とその地域経済へ の対応を明らかにすることとする。 藤田村長 3 期目の選挙で落選したことに伴い、 株式の 8 このような徳島県の安全安心農産物栽培指針により生 産された柚子は国内の自然食品市場の流通で高い評価を 得ている。一方で食品展示会など「株式会社きとうむら」 割を地域住民が保有する地域住民セクター体制となる。 の柚子製品である「木頭柚子しぼり」 「木頭柚子醤油」 「蕎 株式会社きとうむらは大型の公共事業によらない地域経 麦屋仕込み・重宝づゆ」 「木頭柚子ドレッシング」 「木頭 済活性化実現に向けて設立、同年 10 月から運営された。 柚子ドリンク」 「柚子ジンジャー」その他「柚子マーマネ 設立当初は旧木頭村の第三セクターであった。共同企業 ード」などは好評を博し、近年欧米への輸出実績も、フ の倒産で 2002 年に地域住民に株の 80%を譲渡し、地域 ランス、ドイツ、アメリカでも柚子製品購入顧客を持つ 住民と自治体とが株を持ち合う地域住民セクターで運営 など、個人通販にも対応している。ホテル、レストラン、 される企業となった。 料亭などのシェフ・料理人、菓子職人などにも使用され 株式会社きとうむらは設立当初は、旧木頭村と徳島市 始めるなど世界的ブランドとして認められるようになっ 内の豆腐メーカーとの共同出資による第三セクター「木 た。その切欠となったのは「株式会社きとうむら」が良 頭ヘルシック」として操業を始めた。製造品は「おから 質素材使用による食品製造、製造工程全般に至るすべて ケーキ」を主力とする経営を行う企業であったが、共同 に環境に負荷の少ない生産活動を行い地域経済と融合す 出資企業の倒産を経て社名を「株式会社きとうむら」と る企業活動を展開している結果であることが評価された 変更して再出発を図った。経営者は再起に当たり株主募 ことによる。 集を全国に呼びかけ 383 名の株主を集めることで企業活 2)大豆製品 動を再出発させた。株の 80%を村民が取得する地域住民 大豆製品は設立当初から自社工場で製造している「お セクター体制といえる方式が経営上の特色を持つ企業と からくきぃー」 「おからケーキ」などを生産している。大 なった。 阪府学校給食に認定された「おからケーキ」は山の菓子 株式会社きとうむらの主な事業は、木頭柚子の加工品、 深山からの「湧水」 、国産大豆のおからを利用した加工食 品と卸売・販売事業である。 この事業活動が木頭地区の地域経済への寄与等につい て見たものである。 4【調査結果】 工房の開発製品として売れ筋商品となっている。 饅頭やショコラなどでは柚子マンジェ・木頭ショコラ などの菓子類も地元スーパーで販売されている。 3)ミネラルウォーター 自社開発されたミネラルウォーターは、新素材紙パッ クに充填された飲料水である。ミネラルウオーターは飲 株式会社きとうむらの経営は、1996 年の設立・操業の み口が良いうえに、5 年間という長期保存のきく非常用備 後、共同経営企業の倒産、事業の再出発など経営的に厳 蓄水としての利用に最適である。非常時には、紙パック しい時期を経て、2002 年以降は黒字経営に転じた。2012 を切り開くと皿、まな板、うちわとして利用できなどの 年度は 1 億 1 千万円の売上企業となり、木頭地区経済の 利点があると宣伝されている。自然災害による非常事態 中枢を担うまでになった。 を経験した東北地方の被災地では、ミネラルウォーター 1) 柚子製品 同社の主力製品原料である柚子栽培は、2011 年にとく しま安安農産物認定(GAP)を受け、次いで 2012 年に JAS が生協ルートによって供給され、高い評価を受けている。 熊本地震などで2リトル紙パック入りの飲料水は重要 なライフラインとなっている。 認定(生産行程管理者認定)を受け農家で生産される。 柚子は柚子栽培農家と契約栽培を結び、無農薬・化学 4)地域通貨 肥料・動物性肥料を使用せず徳島県の安安認証などをク 地域通貨という経済活動を「きとうむら」では企画・ リアーした栽培管理と品質管理基準によって生産されて 運営している。地域通貨はボランティア活動での労働や いる。契約栽培農家は無農薬、有機肥料、柚子皮発酵さ 手助けなどの無償の労働提供に対して、やり取りできる せた完熟堆肥以外は使用しない高循環自然農法で柚子を ものとして利用されているものである。ボランティア活 生産している。他の原料についても良質の素材を使用す 動による労働代償が生み出した価値が地域内だけで通用 るなどエコロジーとサステイナブルにこだわった生産を する金銭の代用として流通するものである。 行っている。 地域内限定と性格は通貨を地域内のみの循環とし、地 域経済に貢献させている。きとうむらの地域通貨「ゆー 雇用力を持つ事業所である。さらに雇用面、地域経済面 ず」は 2002 年の発行から 9 年を迎えており、年間平均流 でリーディング企業となるためには、設立当初の地域創 通総額は 300 万円相当の額となっている。 生資金からの借入金 2 億 8 千万円の負債の処理が不可欠 きとうむらの地域通貨「ゆーず」性格は、きとうむら である。この厳しい経営圧迫の足かせが取り除かれる必 が柚子栽培農家から柚子を購入する際、柚子の購入金額 要がある。そのような中にあって、町村合併後の那賀町 の一部として「ゆーず」を発行している。地域通貨循環 に対し借入金の健全な処理を提案している。提案の受け の中に地域通貨を供給し、回収することで、発行と流通 入れが実現すると、近年の収益黒字の累積は「株式会社 させている点が他地域の地域通貨と異なる点である。 きとうむら」の健全収支となり、新たな経営方針を打ち ボランティア活動の対価としてや、地域通貨購入希望 出し地域活性化の拠点企業へと成長する。ダム抜き開発 者にも発行される。どの場合も「ゆーず」の保証はきと が実現し、木頭地区の経済発展に大きく貢献することに おむらが全責任を持って地域通貨循環の枠の中に地域通 なる。貢献の範囲は地域産業の新たな創出、人材の育成 貨「ゆーず」を安定させ地域経済への貢献が継続的に達 による新たな指導者を輩出させることにつながる。 成されるようきとうむら内の「ゆーず」事務局が運営に 当たっている。 一方、豊かな自然のある木頭地区に暮らしながら木頭 地区の物産や観光資源を PR し、顧客開拓できるテレワー ク事業が近い将来に実現する可能性が大きい。 農作業のでき ない高齢者や 使用しない農 地所有者 ICT を活用し大都市圏や海外に販路開拓し、ダイレクト 農産物 ☛ ☚ 農産物 労働力 ☚ ☛ 有機肥料 多様な価値観 を持った生産 者 る業務をテレワークで実施する提案がブレインワークか NPO里業ランド木頭 ら示されているところである。 (株)きとうむら内「ゆーず」事 務局 労働力 ☛ 「ゆーず」協力店 プロモーションを実施し、観光客誘致に向けた提案をす このことは、 「株式会社きとうむら」との連会を視野 ☚ に入れた取り組みが必要なる。 資本参加 旅行者 消費者 滞在費 ☚ ☛ 農産加工品 図2 「ゆーず」の運用システム 6【引用・参考文献】 1. 「地域通貨「ゆーず」 (US)」pp.1-4. ㈱きとうむら 2. 「BRAIN WORKS」活動結果冊子 2015.pp.1-6. 二種類の「ゆーず」があり、 「ゆーずツアー」に参加す る際に現金と交換して発行されるものと「きとうむら」 へ農産物や労働力を提供して発行される「ゆーず」であ る。どちらも使用に当たっては記名が必要である。記名 後 6 か月間有効となる。 「ゆーず」は 100「ゆーず」と 500「ゆーず」があり 100 円、 500 円と同じように商品やサービスと交換できる。 「ゆ ーず」取り扱い協力店は「きとうむら」の直営店「よい しょきとうむら」を始め、木頭地区に 25 店舗が参加して いる。 「ゆーず」発行の中心は、柚子生産農家への出荷に係 る代金として現金と総額の 20%が地域通貨「ゆーず」で 支払われており、地域通貨「ゆーず」は地域経済の循環 に大きく貢献している。 5【今後の展開】 「株式会社きとうむら」は 22 名の雇用を生む企業であ る。木頭地区にあって那賀町役場木頭支所と肩を並べる