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アルバート ・ C ・バーンズと
ア ル バ ー ハlrレ ト ・C・ ム バ ー ン ズ と ・ル ネ サ ン ス 岸 本 寿 雄 (1) バ ー ン ズ 財 団 は ギ ャ ラ リ ー の 老 朽 化 に 伴 う 改 装 の た め,AlbertC.Barnes (1872-1951)1)の 遺 言 を破 り,2年 コ レ ク シ ョ ン農2)は 間 だ け の 一 般公 開 に踏 切 っ た。 バ ー ンズ ・ 今 回 が 初 め て で 最 後 とい う前 宣 伝 も あ り,連 立 西 洋 美 術 館 は 長 蛇 の 列 で あ っ た 。 最 終 日 は 入 館 ま で7時 く,だ が こ の バ ー ン ズ とHarlemRenaissanceと 日上 野 の 国 間 待 ち で あ っ た と聞 の 関 係 を知 る 人 は 少 な い 。 フ ィ ラ デ ル フ ィ ア 出 身 の バ ー ン ズ は1907年 突 如 億 万 長 者 と して 頭 角 を現 わ し, 翌 年,ア ル バ ー ト ・C・ バ ー ン ズ ・カ ンパ ニ ー を設 立 し,1910年 頃 か ら美 術 評 論 家,美 術 収 集 家 と な っ た 。 こ れ に は ハ イ ス ク ー ル 時 代 の バ ー ンズ の 絵 画 趣 味 と そ の 仲 間 で あ っ たWilliamJamesGlackens(1870-1938)3)とJohnSloan (1871-1951)4)が 深 く係 り,特 に グ ラ ッ ケ ンズ は バ ー ン ズ の 美 術 収 集 に大 き く 関 係 し た 。 ハ ー レ ム ・ル ネ サ ン ス(1917-1934)5)の1922年 に バ ー ン ズ はThe BarnesFoundationinMerionを フ ィ ラ デ ル フ ィ ア に設 立 し,フ 印 象 派,後 ガ,セ 期 印 象 派 の モ ネ;ド ォ ー ヴ ィ ズ ム,キ ザ ン ヌ 等,当 ュ ヴ ィズ ム の ピ カ ソ;マ チ ス,モ ラ ンス を中 心 に 時 まだ評 価 の一 定 しない フ デ ィ リ ア ー 二,ス 等 を集 中 的 に 集 め た 。 更 に ア フ リ カ 芸 術 に も 目 を 向 け,ア ーテ ィン フ リカ彫 刻 コ レク シ ョ ン を作 っ た 。 バ ー ン ズ に と っ て も う0人 aPayzsの の 重 要 人 物 が い る 。 フ ラ ン ス の 画 商 でLesArts 編 集 者 で も あ っ たPaulGuillaume(1891-1934)で 37 あ る。 ギ ョー ム は 当 時 ま だ 少 か っ た ア フ リ カ 芸 術 に 既 に 目 を 向 け て い た し,ア Africanismに フ リ カ芸 術 の 強 い 関 心 を 寄 せ る 若 い 芸 術 家 の 多 くが ギ ョー ム の パ リ の 画 廊 に 集 ま っ て い た 。 ギ ョ ー ム は ま た 亡 命 ポ ー ラ ン ド貴 族 の 血 を 引 く,Guillaume Appolleraire(1880-1918)6)や 既 に ア フ リ カ の 伝 説,民 話,歌 な ど を翻 訳 して い た 作 家 で 詩 人 で もあ る ス イ ス 系 フ ラ ンス 人BlaiseCendras(1887-1961)7)と も親 交 が 深 か っ た よ う で あ る 。 少 年 の 頃 モ ロ ッ コ で 暮 した ア ポ リ ネ ー ル は ピ カ ソ,ド ラ ン,ル い た し,若 ソ ー,ジ ャ コ ブ,サ ル モ ン,ジ ャ リ と共 に 前 衛 運 動 に参 加 し て い 頃 か ら章 界 を 放 浪 し た 冒 険 家 で,後 に 外 人 部 隊 に も加 わ っ た サ ン ドラ ス の 両 者 か ら ギ ョ ー ム は ア フ リ カ に 関 して 強 い 影 響 を受 け た 。 ギ ョー ム は そ れ を バ,__.ンズ に伝 え た 。 (2) 黒 人 文 学 研 究 の 立 場 か ら,ギ iltoVanVechten$)の .Fiction9)の 著 ョ,___.ムと バ ー ン ズ の 役 割 に 関 し て はFyamDu者ChidilokonneとNegroVoicesinAmerican 著 者HughM.Glosterが 両 著 の 中 で 言 及 し て い る 。 ギ ョ ー ム と バ ー・ ン ズ は 深 い 親 交 と ア フ リ カ 芸 術 に 対 す る 共 通 の 認 識 に 立 脚 し,ギ ン ス の 自 分 の 画 廊 と ア パ ー ト を 中 心 に,バ フ リ カ か ら の コ レ ク シ ョ ン を 通 し て,ア ー ン ズ は 自 分 の 筆 と ヨ ー ロ ッ パ,ア フ リ カ芸 術 の 価 値 を 訴 え た 。 ギ ョ ー ム は 自 分 の 編 集 す る 雑 誌desArtsaParis等 ン に 関 す る 記 事 を 書 き,バ ョー ム は フ ラ を 中心 と してバ ー ンズ の コ レ ク シ ョ ー ン ズ はOppartunity誌 等 に お い て,ギ ョー ム の フ ラ ン ス 芸 術 に 対 す る 役 割 を 高 く評 価 し た 。 Iokonneの 研 究 か ら 概 説 す る と,ギ ョ ー ム はOpportunity誌(1924,May)に LesArtsaParisの"AfricanArtattheBarnesFoundation"と を 許 可 し,バ 題 す る論 文 の 転 戴 ー ン ズ の ア フ リ カ芸 術 に 関 す る貢 献 と ア フ リ カ 芸 術 と 当 時 の フ ラ ン ス 絵 画 運 動 と の 深 い 関 係 を 論 し て い る 。 バ ー ン ズ は 同 誌 で"Temple"と て,次 の よ う に ギ ョ ー ム の 活 動 を評 価 して い る 。 ...totheartworldasthemanwhorescuedtheobscureancientNegroart 38 題 し fromitsmereethnologicalsignificanceandconverteditintoawellofunsuspectingspiritualrichnessfromwhichthewholemodernmovementinart hasdrunkdeeply.10) 更 に バ ー ン ズ は,ギ ョ ー ム の モ ン マ ル ト ル の ア パ ー ト に つ い て,"themecca notonlyoftheimportantcreatorsinFrance,butinAmerica,Japan,England, andeverycontinentalcountry・11)と,そ の 重 要 性 を力 説 す る。 結 局 ア メ リ カ で の ギ ョ ー ム こ そ バ ー ン ズ で あ り,両 者 は 単 な る 画 商 と 顧 客 の 枠 を 越 へ,親 と な り ハ ー レ ム ・ル ネ サ ン ス の 背 景 の 一 つ に 関 わ る"世 一 翼 を担 った 1923年 界 のNegroVogue"の 。 バ ー ン ズ はAlaineLocke(1886-1954)12)に 出 会 っ た 。 そ の 後Walter Whitel3)(1893-1955),CharlesS.Johnsonl4)(18931956)に の 結 果,バ も会 っ て い る 。 そ ー ン ズ の 論 文"TheTemple"がOpportunity誌(1924,May)に さ れ た 。1925年 ア レ イ ン ・ ロ ッ ク がSurveyGraphicで た 際,"ContributiontotheStudyofNegroArt"と し て い る 。1925年ll月 The1>ewNegros5)を ica"と 掲 載 ハ ー レ ム 特 別 号 を企 画 し 題 す る論 文 をバ ー ンズ は寄 稿 ロ ッ ク が,ハ 出 版 し た 時,バ ー レ ム ・ル ネ サ ン ス の 理 論 誌 と 云 わ れ る ー ン ズ は そ の 論 文 を"NegroArtandAmey- 改 題 し て 再 掲 載 す る と 共 に,そ の 本 の 中 で,バ ー ン ズ の ア フ リ カ ・コ レ ク シ ョ ン の 一 部 の 複 写 掲 載 を 許 可 し て い る 。(2妙 碗 吻 吻 誌 は 前 出 の1924年 で,論 説 と し て"Dr.Barnes"を,1926年 andPresent・ 密 を 掲 載 し て い る が,こ の号 に は バ ー ン ズ の 論 文"NegroArt,Past こ で は バ ニ ン ズ の ・NegroArtandAmerica" を 問 題 と し て 取 り扱 う 。 バ ー ン ズ の 活 動 あ る い は 考 え 方 は ロ ッ ク を 中 心 と す る 人 々 を 悩 ま せ た ら し くIokonneは 次 の よ う に論 じて い る。 Theresponsetothisfaithinandpro血qtionofpでimitiveAfricanartonthe partofAlbertBarnesandotherswho,likehim,haddiscoveredit,Was overwhelming.Borderingonenthusiasm,itworriedBarneshimself,theeditorsofOpportunity,andscholarslikeAlainLocke,whofeareditwasbecom一 39 ingirrati・nal16). Iokonneは,そ Art"で の 不 満 が 発 見 で あ る と 注 を付 aryfortheEyaの き る の は,ロ ッ ク の 論 文"ANoteonAfrican し て い る が,TheHarlemRenaissance:AHistoricalDiction- 編 者BruceKellnerは,"IntruthLockewasdissatisfiedwith Barnesunbalancedanalysisoftheinfluenceofhistory,cultureandpsychology andofferedhisowninterpretationintheNewNegro,"TheLegacyoftheAncestralArts・,tosupplementandextendBarnes・sdisapPointingeffortl7).・ か な り 具 体 的 に 指 摘 し て い る 。 に あ る と, こ こ で は ケ ル ナ.___に America"18)と"TheLegacyoftheAncestralArts"19)を の 相 違 を 明 ら か に す る と 共 に,ロ roSpirituals"21)で 従 い,"NegroArtand 比 較,検 ッ ク の ・NegroYouthSpeaks・20)と 討 しそ の 意 見 ・TheNeg. そ の 不 充 分 な 所 を補 い た い 。 (3} バ ー ンズ の"NegroArtandAmerica"の 論 旨 を要 約 す る と次 の よ う に な る。 ア メ リ カで の 「 独 得 な黒 人芸 術 の発 展 は 自然 で あ り,ま た必 然 的 で あ った」 と 断 定 し,「 ア メ リ カ黒 人 の 芸 術 へ の 貢 献 は 黒 人大 衆 の心 か ら出 て い るの で そ の 人 々 を代 表 して い る。」 そ の偉 大 な 芸 術 は 「原 始 的天 性 か ら派 生 し,黒 人 の 個 人 的特 性 を具 体 化 し,長 い圧 迫 か らの 苦 悩,願 望,喜 び の反 映 」 で あ る と して い る。 そ こで 重 要 な要 素 は,「 黒 人 が 今 日ま で維 持 して い る原 始 的 祖 先 か ら受 け継 い だ心 理 的 性 質」 で,そ の顕 著 な特 色 は 「 豊 か で,自 由 な想 像 力 と本 当 に 偉 大 な個 人 の 表 現 力 」 で あ る と して い る。 特 に黒 人 は 「生 まれ なが ら に して 詩 人 で あ る。 … … 詩 は地 上 に引 き降 ろ され た 宗 教 で あ り,黒 人 の魂 の 本 質 で あ る」 と絶 賛 す る。 「 精 神 的 天 性 」 とい う点 で は 「白 人 は黒 人 と競 争 す る こ と はで き ない 」 とい うの は 「白人 は精神 と掛 け離 れ た世 界 の 実 利 的能 率 の 必 要 性 の ため,宗 らせ,芸 教 を細 術 の 生 命 を弱 らせ て きた」 か らだ とバ ー ンズ は主 張 す る。 黒 入 は 「自 然 と人 間 の調 和 の 理 想 を,よ り近 くに維 持 して きた」 「唯 単 に 自己 表 現 す る だ 40 け で 幸 福 を も た ら し,そ れ は即 座 に 現 わ れ,深 い 報 い の 伴 う もの で あ る 。」 と 誉 め ち ぎ る 。 特 に 黒 人 の ス ピチ ュ ア ル こ そ 「ア メ リ カ 唯 一 の 偉 大 な 音 楽 」i「 ア メ リ カ が 自分 自 身 の もの と して 主 張 で き る 偉 大 な芸 術 の 唯 一 の 形 体 を作 り上 げ た 祖 先 と同 じ歌 の 霊 を もつ 」 と ス ピ リチ ュ ア ル を 高 く評 価 す る 。 黒 人 芸 術 の復 興 は 「原 始 的 ア フ リ カ 彫 刻 と 同 じ く,美 を探 求 す る 者 と し て, 見 逃 す こ と の で き な い 私 達 の 時 代 の 出 来 事 の 一 つ 」 で,「 の 偉 大 な 芸 術 表 現 と比 較 して も耐 え う る 芸 術 」 で,古 ど の 民 族,ど の文 明 代 と共 に 現 代 の 黒 人 芸 術 は 「民 衆 の 忠 実 な 表 現 」 で あ る とバ ー ン ズ は述 べ て い る 。 黒 人 の 芸 術 の 復 興, 即 ち ル ネ サ Washington23)に ン ス は1895年 のPaulLaurenceDunbar22)とBookerT. 始 ま る と し て,ワ シ ン ト ン は 「新 しい 教 育 に よ っ て,黒 ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 維 持 で き る経 済 的 状 況 」 を 可 能 に して,こ 「自分 の 魂 を 解 放 し た 」 とそ の 功 績 を 評 価 し,ダ 人 が れ に よ り黒 人 は ンパ ー は 「黒 人 の 才 能 と生 活 状 況 が 新 しい 美 の 形 を 創 造 す る処 女 地 を提 供 し た 」 と訴 え る 。 こ の 両 者 の 先 駆 に よ り,教 育 は 進 み,詩 人 が 多 く排 出 し,そ のため 「高 い 秩 序 の 知 性 と文 化 へ の 目標 」 が 可 能 と な り 「顕 しい 成 巧 を修 め た 」 と分 析 し て い る 。 子 守 歌;ダ ン ス,恋 の 歌,喜 び の 歌,嘆 きの歌 は 「民 族 の 魂 」 で あ り,特 に ス ピ リチ ュ ア ル は 「純 粋 な 魂 」 で あ る 。 更 に ス ピ リ チ ュ ア ル は 黒 人 以 外 の 誰 の も の で も な い と主 張 し,「 黒 人 の 学 者,夢 想 家,哲 人f予 言 者 は 自分 達 の メ ッ セ ー ジ を 歌 で 歌 う … …Wheatley24),SojournerTruth25),Douglass26),Dunbar, Washingtonは そ の 基 礎 の 上 に 個 人 的,不 分 達 の 人 種 に忠 実 で,よ 滅 の礎 石 を敷 い て きた 。 そ の 上 に 自 り良 い 教 育 を 受 け て … … 今 日活 躍 して い るDuBois27), Cotter28),Grimke29),Braithwaite30),Burleigh31),TheJohnsons32),McKay33), Dett34),Locke,Hayes35)が ら の 理 想 に基 づ き,よ 黒 人 の 魂 を 理 解 し,文 化,芸 術,市 民 権 に対 す る彼 り豊 か な 地 へ と導 い て い る 。」 と結 論 づ け,最 後 に よ り 豊 か な ア メ リ カ 文 化 を築 くた め に 白 人 と黒 人 が 手 を携 え る こ と を 強 調 して バ ー ン ズ は そ の 論 文 を締 め く くる 。 41 (4) バ ー ンズ の偉 大 な黒 人 「芸術 」 の 「 原 始 的天 性 か ら派 生 し」 あ るい は 「黒 人 が 今 日 まで 維持 して い る原 始 的 祖 先 か ら受 け継 い だ 心 理 的性 質 」 に対 して,ロ ッ ク は 「芸 術 」 とい う全 体 を指 す 曖 昧 な言 葉 を避 け,「 音 楽,詩,さ らに ダン ス は ア メ リカ ・ニ グ ロの主 流 の 芸 術 で あ る」 と具 体 的 に指 摘 す る。装 飾 とデザ イ ンで秀 い で た ア フ リ カ文 化 は,「 造 形 と工 芸 芸 術 が 主 流 」 と分 野 を明確 に し, バ ー ンズ の 「受 け継 い だ 心 理 的性 質」 の ア メ リ カ文 化 に対 して 「ア フ リ カの文 化 と全 く異 る もの で あ る」 とロ ッ ク は反 論 を 開始 す る。 ア メ リカ ・ニ グ ロは, ア フ リ カか ら素 晴 しい リズ ム の 才 能 を受 け継 い だ が 「祖 先 の 芸 術 とア メ リカ黒 人 との 直 接 的 関 係 の証 拠 は何 ん ら存 在 しな い。」 と ロ ッ クは細 か く分 析 しな が ら断 定 す る。 バ ー ンズ の 「長 い 圧 迫 か らの苦 悩 … … 黒 人 が 今 日 まで 維 持 して い る原 始 的祖 先 か ら… … 」 に は 「ア フ リ カ精神 の支 流 は,そ 化 要 素 の 中で 混 り合 い,奇 妙 に新 しい形 体 で花 咲 い た」 と く精 神 の支 流 〉 と は認 め る もの の 〈奇 妙 に新 しい 形 体 〉 と,か ンズ の受 け継 い だ 「豊 か で,自 関 して,ロ ー ル され 由で,豊 れ 自体 全 く異 っ た文 な り見 解 にズ レが 目立 つ 。 バ ー 由 な想 像 力 と,本 当 に偉 大 な個 人 の 表 現 力 」 に ック は飽 く迄 冷 巌 に 「ア フ リカ芸 術 表 現 の 特徴 は正 確 で,コ ,訓 練 され,抽 象 化 され,型 か で,感 ン トロ に は ま っ て い る」 と し,ア メ リカ は 「自 情 的 で,感 傷 的 で,人 間 的 で あ る」 とア フ リ カ とア メ リカ芸 術 の相 違 点 を明 確 に し,「 ア フ リ カ精 神 の 誤 っ た解 訳 に よ っ て の み,こ れ らの 両 者 間 の感 情 の類 似 性 が 主 張 で き る。」 と一 刀 両 断 の 下 にバ ー ンズ の考 え方 を 否 定 す る。 バ ー ンズ は黒 人 は 「生 まれ なが らに して 詩 人 」,「詩 は… … 宗 教 … … 黒 人 の 魂 の 本 質」,「精 神 的 天 性 」,「 自然 と人 間 の 調 和 の 理 想 」 「唯単 に 自己表 現 だ け で幸 福 」,「民 衆 の忠 実 な表 現 」 との表 現 か ら も推 測 で きる よ うに,分 析 や 理 論 を超 越 した,か な り自己 陶 酔 的 な賛 辞 に陥 って い る。 これ に対 して,そ れが 正 論 か 否 か の論 議 を待 つ ま で も な く,ロ ロ ック は,ア フ リ カ芸 術 は 「今 や造 形 表 現 の注 目 に値 す る見 本 で,そ の真 実 の 作 品概 念,デ る。」 と して,ヨ ッ クは 正確 に論 を進 め る。 の芸 術 ザ イ ン の美 事 な効 果 を持 つ 素 朴 性 は世 界 的 に認 め られ ー ロ ッパ の絵 画 が 「ギ リ シ ャ古 典 の 模 倣 に よ る病 労 」 と 「印 42 象 派 と ポ ス ト印 象 派 に よ る 色 彩 技 術 的 可 能 性 」,の 追 求 の 結 果 の 反 動 と し て, ア フ リ カ芸 術 が ヨ ー ロ ッパ に 受 け 入 れ られ,そ へ,更 れ が 芸 術 運 動 に大 き な 影 響 を与 に ア ポ リ ネ ー ル や サ ン ドラ ス に よ る 詩 へ の 導 入,ア 美 的 関 心,ギ ョー ム の フ ラ ンス 絵 画 で の 役 割 等,綿 フ リ カ的 音 楽 へ の 唯 密 に 検 討 して い る 。 ア メ リ カ は ヨ ー ロ ッパ 芸 術 が ア フ リ カ か ら 受 け た 大 き な 影 響 と は 異 な り,「 現 在 の ニ グ ロ ・ア ー チ ス トが,祖 父 達 の 芸 術 か ら得 て い る もの は … … 文 化 的 イ ン ス ピ レ ー シ ョ ンや 技 術 的 革 新 で は な く ,伝 ル の 教 え,そ 統 的 背 景 の 教 え,様 式,技 術 的 コ ン トロ ー して そ れ が 技 術 的 精 致 へ の 限 界 に押 し上 げ ら れ る こ と」 と ロ ッ ク は考 え る。 黒 人 の ル ネ サ ン ス に 関 して,バ 美 を探 求 す る 者 と して,見 「ど の 民 族,ど ー ン ズ は,「 原 始 的 ア フ リ カ彫 刻 と 同 じ く, 逃 す こ との で き な い 私 達 の 時 代 の 出 来 事 の 一 つ 」 で の 文 明 の 偉 大 な芸 術 表 現 と比 較 し て も耐 え う る 芸 術 」,「 民 衆 の 忠 実 な 表 現 」 と 述 べ て い る 。 そ れ に 対 して ロ ッ ク は ア メ リ カ に お い て は,「 注 目 に値 す る 芸 術 家 は い た が,ニ グ ロ 芸 術 派 の 発 展 は 無 か っ た 」 と して,そ 駆 者 にHenryO.Tanner36)の 名 を 挙 げ,そ れ に 続 く 絵 画 の 分 野 にW.E. Scott37),E.A.Harleston38),W.Baxton39),W.Farrow40),彫 WarrickFuller41),とMayHowardJackson42),以 実 験 的 人 種 表 現 と 模 倣 と,非 の先 刻 に お い てMeta 上 の人達 は 「能 力 は あ る が, 独 創 的 抽 象 表 現 と の 間 で 揺 れ 動 い て い る 。」 と指 摘 す る 。 だ が 現 在 若 い グ ル ー プ に 「人 種 派 の 方 向 へ の 動 き」 が あ る と し て ArchibaldM。tley43),Ott。Farrell44),AlbertSmith45),」ohnUrquhart46), SamuelBlount47)やCharlesKeene48)とAaronDouglas49)の 名 を 挙 げ,「 孤 立 し た 才 能 か ら… 一 つ の 芸 術 運 動 の 見 込 み の あ る 始 ま り」 が あ る こ と を認 め る と 同 時 に,「 芸 術 に お け る 黒 人 的 テ ー マ や 主 題 の 力 強 い 芸 術 的 表 現 は,ス タ イ プ を突 破 し て,新 しい 様 式,独 得 で 新 鮮 な 技 法,そ テ レオ して 何 ん ら か の 特 徴 的 表 現 に 向 か わ ね ば な ら な い 。」 とい う方 向 性 を 示 し,「 ア フ リ カ 芸 術 の 題 材 の 研 究 と例 証 が 大 切 な の は … … 人 種 的 芸 術 へ の 発 展 の た め で あ る」 と ア メ リ カ 黒 人 に 必 要 な 目標 を 暗 示 す る 。 バ ー ンズ は ル ネ サ ンス が1895年 か ら始 ま り,そ 43 の 先 駆 者 は ダ ンパ ー と ワ シ ン トン に あ る と し て,「 現 在 活 躍 して い るDuBois,Cotter,Locke,Hayes,そ 多 くの 黒 人 達 が 黒 人 の 魂 を 知 り,自 分 達 の 理 想 に基 づ き,よ い て い る 。」 と考 え て い る 。 多 分 こ の"1895年"と の他 り豊 か な 地 へ と導 い う の は ワ シ ン ト ンの あ の 有 名 な ア トラ ン タ博 覧 会 で の 演 説 と タ ン バ ー の 方 言 詩MajorsandMinorsが 自 費 出 版 さ れ た こ と を 指 す の で あ ろ う 。 だ が ロ ッ ク は"NegroYouthSpeaks"の 冒 頭 で,「 若 い 世 代 は 才 能 を も っ て 出 現 した 。 彼 ら は ニ グ ロ ・ル ネ サ ン ス の 最 初 の 果 実 で あ る 。」 と して 先 駆 者 と し て,小 説 で は チ ェ ス ナ ッ ト50)と イ ス,劇 の 分 野 で は 再 度 デ ュ ボ イ ス と ア ン ジ ェ リ ー ナ ・グ リム ケ,詩 パ ー,ジ ェ イ ム ス ・ウ ェ ル ダ ン ・ジ ョ ン ス ン,チ ン ス ン51),コ ー53) ,ジ ッ タ ー,ジ エ イ ム ソ ン52),そ ウ ェ イ ト と デ ュ ボ イ ス,絵 ッ ク55),メ ン ・ス ペ ン サ 論 と純 文 学 で は,ブ 画 で は タ ー ナ ー と ス コ ッ ト,彫 イ ・ジ ャ ク ソ ン,演 劇 で は ギ ル ピ ン56)と 刻.は ッ ト,グ ッ ト60),ホ 野 で,ト 星,マ ラ ン ド ・ス テ ィ ル59),と ワ イ ト,マ ケ イ,劇 ウ ー マ ー-62),ウ ケ イ,ト ロ ブ ス ン57),音 ュ ー一ズ65),カ 説 に お い て,フ ィ ッ シ ャ ー64),若 レ ン66)を 楽 で はバ 楽 にお い て デ イ 作 に お い て リチ ャ ー ド ソ ン61),短 オ ル ロ ン ド63),フ ウ ー マ ー,ビ ヘ イ ズ,小 レイ ス ミ ー タ ・ワ リ ー レ イ と分 野 別 に名 前 を 列 挙 して い る 。 新 しい 世 代 と して,音 トン,デ では ダ ン ャ ー ル ズ ・バ ー トラ ム ・ジ ョ の 他 グ リ ム ケ,ア ョー ジ ア ・ダ グ ラ ス ・ジ ョ ン ス ン54),評 デ ュ ボ オー セ 編 小 説 の分 い黒 人 詩 人 の新 挙 げ て い る 。 ロ ッ ク とバ ー ン ズ の 先 駆 者 とル ネ サ ン ス の 若 い 世 代 に は 多 少 の ズ レ が 認 め ら れ る が ,内 容 の 捕 え 方 に 大 き な 相 違 が 見 ら れ る 。 ロ ッ ク は 古 い 世 代 の 黒 人 作 家 は,「 注 意 深 い 道 徳 主 義 と 防 護 さ れ た 理 想 化 の 中 で 自分 達 を表 現 して きた,即 ニ ズ ム の 障 害 が 気 に掛 っ て い た 。 とい う の は,偏 ち ピ ュー リ タ 見 と い う圧 迫 が 心 に重 くの し か か っ て い た 。」 と指 摘 す る 。 そ の た め に,「 芸 術 は社 会 的 闘 争 を す べ きで あ り, 社 会 の不 正 を補 正 す べ きで あ る と感 じ,"模 範 た れ"」 で あ った と考 え,そ 若 き黒 人 は 「年 令 が 若 い とい う理 由 か らで は な く,新 して しい審 美 意 識 と新 しい 人 生 哲 学 」 を持 っ て い る。 更 に 「精 神 的 胎 動 と人種 的 発 酵 」 を有 し 「黒 人芸 術 の 道 を現 代 芸 術 思 想 や雰 囲 気 や 形 式 」 へ と導 い て い る と認 識 して い る。 この 点 に お い て バ ー ンズ の認 識 とか な りの ズ レが あ る 。 44 ス ピ リチ ュ ア ル に 焦 点 を 当 て よ う。 「黒 人 が 惨 め な,押 身 分 だ っ た 頃,歌 え つ け られ た 奴 隷 の と な っ て 突 然 口 に飛 び だ した の が ア メ リ カ 唯0の ス ピ リ チ ュ ア ル で あ っ た 。」 「こ の 粗 野 な 歌 は 人 間 の 魂,苦 な 人 間 の 魂 の 自 然 で ナ イ ー ブ で,正 偉 大 な 音 楽, 悩 と願 望 と祈 る よ う 式 に教 育 を受 け て は い な い が 自 発 的 歌 で あ る 。」,「 子 守 歌 ・ダ ン ス … … そ の 民 族 の 誤 ち の な い 精 神 を 表 わ し て い る … … そ れ ぞ れ の 記 録 は,ユ ニ ー ク な黒 人 形 式 に よ り,力 強 く表 現 さ れ た 感 情 に 満 ち て い る 。 … … こ の ス ピ リ チ ュ ア ル と して 知 ら れ て い る 古 い 歌 は … … 純 粋 な 魂 で あ る 。」 とバ ー ン ズ は ス ピ リ チ ュ ア ル を 絶 賛 す る 。 確 か に ス ピ リチ ュ ア ル は 「ア メ リ カ 唯 一 の 偉 大 な 音 楽 」 の 一 つ で あ り,「 純 粋 な 魂 」 の 歌 で あ ろ う。 そ の 証 明 の た め の 説 得 あ る理 論 が 必 要 で あ る が,バ ー ンズ は そ れ よ りは 感 情,感 動が 優 先 して い る 。 ロ ッ ク は"TheNegroSpirituals"に の フ オ ー ク ・ソ ン グ 」 と規 定 し,そ お い て,「 ス ピ リ チ ュ ア ル は,ア の 分 野.は 既 に 名 著 と言 わ れ るDuBoisの Soulsof、BlackFolkやKrehbie1のAfro-AmericanFolkSongs67)に お い て,悲 み の 歌 の 本 質 や 音 楽 的 分 析 が あ る こ と を断 り,そ し の 起 源 か ら そ の 当 時 まで を歴 史 的 に論 述 し て い る 。 た が ス ピ リチ ュ ア ル に 関 して は は 少 な い 」 こ と,ま メ リカ 「そ の 充 分 な 評 価 と理 解 た 過 去 に は 黒 人 す らス ピ リ チ ュ ア ル を 軽 蔑 して,そ の価 値 を 認 め な か っ た こ と,「 多 くの 歌 手 や 音 楽 家 が 芸 術 的 感 情 的 効 果 を 邪 魔 し な い よ う に す る 反 面 ピ ン トは ず れ に も 方 言 と 口 語 調 に傷 を つ け る結 果 を招 い て い る 」 事 実 を指 摘 す る 。 更 に ス ピ リ チ ュ ア ル の 歌 詩,楽 性 質,ス な 言 葉,子 さ と,情 符 を 用 い て,フ ォー ク的 ピ リ チ ュ ア ル の タ イ プ分 類 をす る 。 第 一 に 歌 詩 に 関 して は ブ ロ ー ク ン 供 の よ う な イ メ ー ジ,百 姓 的 素 朴 さ を認 め,そ 緒 的 経 験 の 悲 劇 的 深 み 」 が あ り,そ spiritualsarespiritual"と れが 分 析 す る 。 第 二 に,こ 特 徴 は メ ロ デ ィ ー とハ ー モ ニ ー に あ る と し,両 四 部 合 唱 形 式,オ ラ トリ オ 形 式68)に の 中 に 「捌 青的 烈 し 「宗 教 的 高 揚 」 と な る"The れ を音 楽 的 に 取 り上 げ,そ 者 の"fusion"こ の そ 特 徴 で あ り, そ の 生 命 が あ る と結 論 す る 。 ロ ッ ク は ス ピ リチ ュ ア ル の 現 況 に 解 れ,「 そ の 音 楽 の 歴 史 に お い て 非 常 に難 か しい ポ イ ン トに 差 し掛 る 。 差 し当 りス ピ リ チ ュ ア ル は,フ 45 ォー ク 形 式 と ア ー ト形 式 の 過 渡 的段 階 の狭 間 にあ る。 カ ー ル ・バ ン ・ベ ク テ ン69)が 最 近 の 論 文 で 明 らか に指 摘 して い る よ う に,コ ンサ ー ト利 用 と人 気 の 高揚 は,洗 練 され, 凝 り過 ぎた もの に 向 う危 険 な傾 向 に あ る。」 と警 告 を発 す る 。 バ ー ンズ を意 識 して で あ ろ うか,「 今 な ほ,ス る評 価 は,一 ピ リチ ュ ア ル評 価 にお い て は,こ の 時代 の主 た 方 の側 で は セ ンチ メ ン タル な恩 ぎせ が ま しい好 奇 心 に変 質 し,も う一 方 の側 で は,熱 狂 的 な 自己宣 伝 癖 に な る こ とで あ る 。 両 人 種 は黒 人奴 隷 の 心 に出 会 うた め に態 と ら し く腰 を低 く く し,こ の ム ー ドが 心 を う っ と りさせ て い る 間 に,そ こ の天 才 の 芸 術 性 を割 引 して売 り払 っ て し まっ た。」 と巌 し く批 判 す る。 これ らの事 を総 合 す る とバ ー ンズ の 感 情 的論 調 と ロ ックの 論 理 性 は 云 う まで もな く,ア フ リ カ精 神 とア フ リ カ芸 術 の把 え方,ア サ ンス の考 え方,ス メ リカ にお け る歴 史,ル ネ ピ リチ ュ ア ルの把 握 に於 い て 二 者 の ズ レが 鮮 明 とな る。 (5) バ ー ン ズ は1926年 に も オ ポ チ ュ ニ テ ィ 誌 に"NegroArt と題 す る 論 文 を 寄 稿 Douglasと 画 家,詩 更 に 彼 の 財 団 は ル ネ サ ン ス 期 の 画 家 の 第 一 人 者Aaron 人,小 説 家 で ル ネ サ ン ス 後 はHoward大 イ ン を も教 え たGwendolynBennett70)に ベ ク テ ン 的 役 割 ,も 弟72)の 家,音 楽 家,画 う 一 組 の,黒 ま ざ ま な 勉 強 会 」71)を 開 い た が,ル ネサ 家 等 か ら信 頼 さ れ た 白 人 の カ ー ル ・バ ン ・ 人 の 文 化,生 活 を 陰 で 支 え たSpingarn兄 役 割 も担 う こ とが 出 来 な か っ た 。 第 一 の 原 因 は バ ー ン ズ の 性 格,方 "T 学 で 水 彩 画 とデ ザ 奨 学 金 を 出 し た り,「 自 分 の 工 場 で 働 く黒 人 や 白 人 の 労 働 者 を対 象 に,さ ン ス の 黒 人 詩 人,作 ,PastandPresent" erribleTemperedBarnes"と を異 に し,そ 法 に よ る も の で あ ろ う。 バ ー ン ズ は 呼 ば れ て い た し,当 時 の 美 術 評 論 家 と も意 見 の 結 果 バ ー ン ズ 財 団 の 絵 画 の 公 開 を禁 止 した こ と か ら も,バ ズ の 徹 底 した 方 法,考 ー ン え 方 が 想 像 で き よ う。 第 二 に ロ ッ ク と の 論 文 比 較 か ら も 推 論 で き る よ う に 論 理 性 に 欠 け,「 単 な る 黒 人 芸 術 礼 賛 」 に 終 始 し て い る 。 ロ ッ ク の グ ル ー プ は バ ー ン ズ の よ う な 知 名 度 の 高 い 入 の 非 理 性 的 礼 賛 に よ り,ハ 46 一 レ ム ・ル ネ サ ン ス が 単 な る"Vogue"に な る こ と を 非 常 に警 戒 し た た め で は な か ろ うか 。 バ ー ンズ の 多 大 な 努 力 に も か か わ らず,結 誌 局,バ ー レル ・ル ネ サ ンス の 理 論 「ザ ・ニ ュ ー ・ニ グ ロ 」 に そ の 名 を 連 ね た もの の,そ の 推 進 力 に な り得 な か っ た 。 だ が バ ー ンズ の 努 力 が 全 く無 駄 で あ っ た と い う意 味 で は な い 。 バ ー ン ズ は 膨 大 な ア フ リ カ ・コ レ ク シ ョ ン と共 に モ ネ,ド ギ ャ ン,ピ カ ソ,マ チ ス,モ デ ィ リ ア ー 二,ル ガ,セ ソ ー,ス 点 に 及 ぶ 美 術 品 を 後 世 の 世 界 の 人 々 に残 し た こ と,ハ 直 接 の 貢 献 は 少 な か っ た も の の,ル Vogue"の ザ ン ヌ,ゴ ッ ホ,ゴ ー ー テ ィ ン等 を 含 む2000 ー レ ム ・ル ネ サ ン ス へ の ネ サ ン ス の 背 景 の 要 因 の 一 つ"Negro 強 力 な 推 進 者 の 一 人 で あ っ た こ と は,異 論 が 少 な か ろ う。 Note l)AlbertC.Barnes(1872-1951),フ ィ ラ デ ル フ ィ ア,ケ ン シ ル バ ニ ア 大 学 で 医 学,ベ 膏 「ア ル ジ ロ ル 」 と ル リ ン 大 学 に て 化 学,生 ア ル バ ー ト ・C・ 1910年 コ レクシ ョン開始 1912年 グ ラ ッ ケ ン ズ を ヨ ー ロ ッ パ に 派 遺,絵 の 理 学 を 研 究 。1907年 「オ ヴ ォ フ ェ リ ン 」 の 薬 品 で 成 功,大 1908年 《サ ン ト=ヴ ン ジ ン トン生 ま れ 。 ペ バ ー ンズ ィ ク ト ワ ー ル 山 》,バ 銀 軟 金持 とな る ・カ ン パ ニ ー 設 立 ン ・ゴ ッ ホ の 画20点 購 入。 そ の 中 にセ ザ ンヌ 《郵 便 配 達 夫 ル ー ラ ン 》,ピ カ ソ 《煙 草 を も つ 女 》 が 含 ま れ て い た 。 学 生 時 代 ウ ィ リ ア ム ・ジ ェ ー ム ス(1842-1910>の に デ ュ ー イ 夫 妻 と 親 交 を 深 め る 。1920年 ス の 画 商 兼 編 集 者)と 1922年 授 業 を 通 し て 影 響 を 受 け,後 代 に 入 り,ポ ー ル ・ギ ョ ー ム(フ ラ ン 親 交 を深 め る 。 バ ー ン ズ 財 団 を 設 立,ル ノ ワ ー ル180点,セ マ テ ィ ス,ピ ヵ ソ 等 々 約2000点 絵 画 を 収 め,ア る。 現 在 は 金 ・土 曜 日 に 申 し 込 み 制 で100名 ザ ン ヌ70点,そ の 他 ゴ ッ ホ, フ リ カ 彫 刻 の コ レク シ ョ ン も あ 限 り入 場 可 。 参考 文 献 GreatFrenchPaintingsfromtheBaynesFoundationed,AkiraTakahashi,The YomiuriShinbun,X994,Tokyo,『 2)(バ 新 潮 世 界 美 術 辞 典 』1960年,新 ー ン ズ ・ コ レ ク シ ョ ン 展)1994年1月22日 国 立 西 洋 美 術 館,マ ガ ン2点rバ ネ1点,ル ン ・ ゴ ッ ホ2点,ス ノ ワ ー ル16点,モ ー ラ2点,ト 47 潮 社 。 ∼4月3日 ま で 。 東 京 上 野, ネ2点,セ ザ ン ヌ20点,ゴ ワ ー ル ー ズ=ロ ー ト1/ッ ク2点, ー一 ル ソ ー3点,ピ カ ソ7点,ブ モ デ ィ リ ア ー 二4点,マ ラ ッ ク1点,ラ=フ テ ィ ス14点,計80計 3)WilliamJamesGlackens(1870-1939)ア フ ィ ラ デ ル フ ィ ア 出 身,ペ の 後,NewYorkHerald紙 レ ネ ー1点,ス ー テ ィ ン2点, を展 示 。 メ リ カ の 画 家,ジ ・エ イ ト の 一 員 。 ン シ ル バ ニ ア 美 術 ア カ デ ミ ー に 学 ぶ 。1905一 パ リ,そ の 描 絵 を描 き なが ら絵 画 制 作 を し た 。 代 表 作 ン に て 》1905年,シ カ ゴ 美 術 研 究 所,《 林 檎 を も つ 裸 像 》19ユ0年,ニ ク ・ブ ル ッ ク リ ン 美 術 館(前 出 4)JohnSloan(187-195)ペ ュ ー ヨー 「新 潮 世 界 美 術 辞 典 」) ン シ ル バ ニ ア 州 出 身,ジ ladelphialnquirer紙 《ム ー カ ・エ イ トの 一 員 。Phi- な どの イ ラ ス ト レ ー タ と し て 働 き な が ら ペ ン シ ル バ ニ ア 美 術 ア カ デ ミ ー に 学 ぶ 。X904年 い タ ッチ で 描 く。 代 表 作 にNewYorkに 移 り,ニ ュ ー ヨ ー ク の 情 景 を烈 し 「ヘ イ マ ー ケ ッ ト」(1907:ブ ル ッ ク リ ン 美 術 館)(同 上> 5)ハ ー レ ム ・ル ネ サ ン ス の 呼 称 と 期 間 に 関 し て は 拙 論 創 価 大 学英 文 学 会 『英 語 英 文 学 研 究 第29号 』199i,12,pp.74-80 6)GuillaumeAppollenaire(1880-1918),詩 Kodrowitzky)。 れ る 。1916年 「HarlemRenaissance(1>」 人(洗 礼 名WilhelmApPollinarisde 亡 命 ポ ー ラ ン ド貴 族 の 娘 を 母 と す る 私 生 児 と し て ロ ー マ に 生 ま に フ ラ ン ス に 帰 化,父 に つ い て は モ ナ コ の 司 教,ロ ー マ法 王庁 の 高 僧 と の 様 々 な 憶 測 が あ る が 、 一 応 シ チ リ ア 王 国 退 役 将 校 フ ラ ン チ ェ ス コ ・フ ル ジ0・ ダス ベ ル モ ニ と い う こ と に な っ て い る 。 モ ナ コ で 中 学 を 終 え る と,1899年 コ ブ,サ 1908コ ル モ ン,ジ ン ト集 母 と パ リ へ 。 ピ カ ソ,ド ャ リ 等 の 画 家,詩 ラ ン,ル ソ ー,ジ ャ 人 と前 衛 運 動 に 参 加 。 「腐 っ て も魔 術 師 」(ド ラ ン の 木 版 画 入 り) 1909「 サ ド侯 爵 作 品 集 」(編 集) 1910「 異 端 教 祖 株 式 会 社 」 1913「 ア ル コー ル 」 詩 集 1918「 カ リ グラム」 第 一 次 大 戦,外 人 と して ニ ー ム の 砲 兵 隊 に 入 隊 養 中 に ス ペ イ ン 風 邪 に か か り,夫 頭 部 負 傷1918年11月 療 折 。(『 フ ラ ン ス 文 学 辞 典 』 新 庄 嘉 常,根 津 憲 三 編,S.47年) 7)BlaiseCendrars(1887-1961)詩 人 ・小 説 家(本 名FredericSauser)ラ ・シ ョ ー ド ・フ ォ ン生 ま れ 。 世 界 各 地 に 放 浪 生 活 を 送 っ た 思 想 と 行 動 の 冒 険 家,立 体 派 の 前 衛 運 動 に 参 加 し,不 定 形 詩 に 対 す る 新 し い 領 域 を 追 究,第 一 次大 戦 で 片 手 を失 う。 1912「 ニ ュ ー ヨ ー ク の 復 活 祭 」,「 パ ナ マ ま た は7人 ン ・ヤ ッ ク の 告 白 」(小 説),「 48 の 叔 父 の 冒 険 」,「 金 」 「ダ 危 険 生 活 」 エ ッ セ ー(『 フ ラ ン ス 文 学 辞 典 』 前 出) 8)FromDuBoistoVanVechten,ChidiIo彦 α磁:TheEarlyNewNegroLiterature, 1903-1926.GreenwoodPress,Connecticut,1981,pp.4-6 9)NegroVoicesinAmericanFiction.HughM.Gloster,Russell&Russell,New York,1965,pp.104-106. 10)Ibid,Iokonne,p.4. 11).lbid. 12)AlainLocke.(1886-1954)黒 人 比 評 家,教 BetaKappa,1吻8η αCumRaude(1907-10)黒 ル リ 大 学 リ ン 大 学,パ Harvardに に て 研 究 。1912-1916年Howard大 て 博 士 の 学 位 を 受 進 者 と し て 多 才 な 活 動 ン ス の 役 割 し て ベ 学 助 教 授,1916年 く 。1918-1953Howard大 学 の 哲 学 教 授 編 集 く の 若 い 黒 人 芸 術 家 ネ サ 学,1907年Phi 人 最 初 のRhodesScholarと 1925SurveyGraphic,TheNewNegroを 多 育 者 。Howard大 を サ ポ ー トす る と共 に ハ ー レ ム を す る 。 そ の 他 数 々 の 活 動 多 ・ル ネ サ ン ス の 理 論 的 推 し 。 ロ ッ ク の ハ ー レ ム に つ い て は 拙 論"HarlemRenaissance(2)",前 出 ・ル 『英 語 英 文 学 』 第30号,PP.86-92、 13)WalterWhite(1893-1955)ア 卒,1918年 ト ラ ン タ に 生 ∼1931年,ジ ェ ー ム ス のassistantsecretaryと 動 の 調 査 の 他,著 し て 働 ま れ る 。1916年 ・ウ ェ ル ダ ン ・ジ く 。N.A,A,C.P.の41の を し た こ と で 有 名 。 小 説 ョ ン ス ト ラ ン タ 大 学 ン の 下N.A.A,C.P. リ ン チ と8つ の 人 種 暴 ・FireintheFlint(1924),Flight(1926).そ 書RopeandFaggot(192g)AKissingWind(1945)etc. 14)CharlesS.Johnson(1893-1956)VirginiaのBristol生 versityofChicagoか りLitt.D.社 ま れ 。1928年theUni・ らLittD.とPh,D.の 会 学 者 は ヨ ー マ ESCOの ア ン 的 役 割 メ ン バ ー 等 と し てFisk大 学 位 を 受 学 の 学 長 を 務 め る 。 ハ ー と し て 活 躍 レ ン NewYork,Antheum版 ・ル ネ サ 学 よ ン ス で メ ン バ ー,UN- し た 。 ・ ロ ッ ク 編 。1924年11月 を 使 用 。7'heNewNegroに 出)参 レ ム を 果 た す 。 そ の 他WhiteH。useConferenceの 15)TheNewNegro:ア ance(2)」(前 く 。1948年Columbia大 照 。 16)Op.cit.,Iokonne,p.fi. 17)TheHarlem1∼enaissance:AHistoricalDictionary/bγtheEyaed.BruceKellner, GreenwoodPress,Connecticut,1984,pp.24-25. 18}Op.cit.,AlainLockepp.19-25. 19)Ibid.,pp.254-267. 20}Ibid.,pp.47-53. 49 出 版,拙 つ い て 拙 論 論 で は,1975年 「HarlemRenaiss- の 21)、bid.,ppユ99-213. 22)PaulLaurenceDunbar(1872--1906) ア メ リ カ で 最 初 に 国 民 的 に 評 価 さ れ た 黒 人 詩 人 。 詩 集IVIajorsandMinars1895. LyYicsofaLawlyLife1896etc.ダ ン パ ー の 小 説 に つ い て は 拙 論"PaulLaurence Dunbar:HisSpiritualLocus"創 価 大 学,『 一 般 教 育 部 論 集 』 第8巻,1984年 pp.11-29. 23)BookerT.Washington(1856-1915} バ ー ジ ニ ア で 奴 隷 の 子 と し て 生 ま れ る 。1881年TuskegeeInstituteを 地 位 向 上 の た め,産 設立 。 黒 人 業 社 会 で 勤 勉 に 努 力 す る こ と に よ り,経 済 的 富 に よ り地 位 向 上 を計 る 。 白 人 と の 協 調 す る穏 健 主 義 に よ り国 民 的 支 持 を得 て リ ー ダ ー と な っ た 。 そ の 思 想 は1895年 24)PhillisWheatley(1753一 の ア ト ラ ン タ 演 説 に よ り有 名 。 ユ794) 詩 人 。 セ ネ ガ ル に 生 ま れ,ア メ リ カ に連 れ て こ られ る 。 ホ イ ッ トリ ー は 親 切 な 主 人 の 下 で 教 育 を 受 け た 。1770年APoembyPhillis:ANegroGirlontheDeath ofReverendGeorgeWhitefieldJ.794年,LibertyandPeace.ア メ リ カ黒 人 文 学 の歴 史 的 役 割 を 果 た し重 要 な 人 。 25)SojournerTruth(1797-..)本 説 教 師,奴 名IsabellaBaumfree, 隷 解 放 の た め に 戦 う 。 ニ ュ ー ヨ ー ク 生 ま れ,神 "thetruth"を 人 々 に伝 え る た め の を 助 け た り,黒 ,SojournerTruthと か ら授 か っ た と し て 改 名 。 黒 人 が 北 部 に逃 げ る 人 の よ りよ い教 育 の 機 会 を求 め て そ れ を説 い て旅 を した。 1875年Narrative。 26}FredericA..Douglass{1817-1895) Maryland生 れ,21才 の 時 逃 亡 奴 隷 と し て ニ ュ0ベ 読 み 書 き を 習 う 。1841年 験 を 語 る 。1845年 ッ ド フ ォ ー ドに 行 く 。 そ こ で か ら 色 々 な 奴 隷 反 対 の 集 会 に 参 加 し,奴 自 叙 伝NarrativeoftheLifeandT伽 隷 と しての体 召so∫F惚4痂o々Dα4gJα 出 版 。 後 に 黒 人 最 初 の 新 聞TheNorthStar(後 にDouglass'Paper)を ∬ を 発 刊 。 奴 隷 解 放 の た め に 戦 う 。 奴 隷 解 放 後 は 自 由 と教 育 の た め 生 命 を 捧 げ る 。 27)WilliamEdwardBurghardtDuBois{1869-」.963) マ サ チ ュ ー セ ッ ッ に 生 ま れ る 。 教 育 者,著 学 者,詩 人,指 述 家,作 家,歴 会 学 者,哲 導 者 と多 彩 な 才 能 を持 つ 黒 い 巨 人 と呼 ば れ て い る 。 詳 し くは拙 論"TheEveoftheHarlemRenaissance:W.E.B.DuBois(ユX2)",創 学 会 史 家,社 『英 語 英 文 学 』 第18号,19号 価 大 学 英文 。 28}JosephSeamonCotter(186-1949} 教 育 者,詩 花 人,作 家 。Cotterは8才 ・ タ バ コ 畑 の 労 働 者,レ の 時,入 ン ガ 作 り,酒 50 学 を 拒 否 さ れ る 。 く ず 拾 い,綿 作 り,連 畜 御 者,賞 金 嫁 ぎ の ボ ク サ ー, 白 人 の 教 育 者W.T.Peytonの Crisisに 掲 載 お か げ で 夜 学 に 通 さ れ,1927年 に は,Opportunity誌 う 。 最 初 の 詩 が1918年 のThe で"TragedyofPete"で 賞 を 受 書 く。 く 。NegroTales(1912),Life'sDawnandDusk(1913)CollectedPoems(1938) Etc. 29)AngelinaWeldGrimke(1880-1958} 詩 人,劇 作 家,小 Schoolを 説 家,混 血 の 奴 隷 卒 業,DunbarHighSchoolの と し て 生 教 師 ま れ る 。1902年BostonNormal と な る 。1916年,劇Rachelを 30)WilliamStanleyBraithwaite(1878-1962} 批 評 家,詩 人,教 師 。DuBoisとLockeの roinAmericanLiterature"を 書 集 。1934-1945Atlanta大 友 と し てTheNewNegroに"TheNeg- く 。1913-1923AnthologyofMagazineVerseを 学 のcreativeliteratureの 編 教 授 。 31)HarryThackerBurleigh{1866-1949) 歌 手,作 曲 家,ペ ン シ ル バ ニ ア 生 ま れ 。 音 楽 の 正 式 の 教 育 は 受 け な か っ た が, 1892年TheNationalC。nservatoryofMusicinN.Y.の ュ ー ヨ ー ク のSt,George'sEpiscopalChurchの れ る 。1900年 90曲 奨 学 金 ∼1924年 バ リ ト ン の を 受 く 。1894年 ソ ロ リ ス トに 指 名 ま で,theChoirofTempleEmanu-ElinN.Y.に 以 上 のballadsandartsongを 作 曲,ソ リ チ ュ ア ル を 編 曲,1917年SpingarnMedalを ニ さ 加 わ る 。 ロ と ピ ア ノ 曲 の た め に 約50曲 の ス ピ 受 賞 。1929年OldSongsHymnalを 出 版 。 32)JamesWeldonJohnson(1871-1938)とR。samondJohnson(1873-1954)の 弟 。 兄Jamesは 詩 (1905-08),ニ カ 人,著 ラ 述 家,市 グ ア 大 民 運 動 兄 リ ー ダ ー,大 使 。 ベ ネ ズ エ 使(1909-1912),SecretaryoftheNAACP (1920-1930).TheAutobiographyofan-Ex-ColouredMan(1912.1927小 FiftyyearsandOther、Poemsx.917詩 弟R。samond作 兄Jamesと "Th 曲 家,歌 説) 集,etc. 手 。TheBaokofAmericanNegroSpirituals編 共 に:)JamesWeldonJohnsonの 小 説 集(1925, 並 び に,経 歴 に つ い て は 拙 論 eEve。ftheHarlemRenaissance:JamesWeldonJohnson(1×2)",創 文 学 会 ラ 大 使 価 大 学 英 『英 語 英 文 学 』 第21号,第22号,1987年,1988年 。 33)ClaudeMcKay(1891-194H) 詩 人,小 説 家 。 ジ ャ マ イ カ 生 ま れ 。1912年,ア メ リ カ へ 。 ル ネ サ ン ス の 重 要 な 作 家 詩 人 の 一 人 。 HarlemShadow(1922,詩 詩 集),HrnnetoHarlem(1928,小 集),SpringinNewHampshireandOtherPoems(1920, 説),BananaBottrnn(1923,小 説)etc. 34)NathanielDett(1882-一].943} 作 曲 家,指 揮 者 。1908年OberlinConservatoryofMusic卒 51 。 そ の 後 コ ロ ン ビ ア 大 学,ペ ン シ ル バ ニ ア 大 学,シ コ ゴ のAmericanConservatoryofMusicで LaneCollegeで 教 鞭(1908-1911)HamtonInstituteで (1913-1931)有 名 なHamptonInstituteChoirを 学 ぶ 。 音 楽 の デ ィ レ ク タ ー 作 る 。ReligiousFolksongsofthe Negro(1927),TheDettCollectionofNegroSpirituals(1936}etc. 35}RolandHayes(1887-1976} 歌 手 。 ジ ョ ー ジ ア 生 ま れ,12才 の 時 父 死 亡,そ ブ イ ス ク 大 学 に 入 学 。FiskJubileeSingersに の た め 昼 間 働 き,夜 Boston'sSymphonyHa11で 学 に通 う。 加 わ る 。1917年,黒 人 で 初 め て リ サ イ タ ル 。1923年NewYorkのT。wnHallで ソ ロ ・ リ サ イ タ ル 丁 注 目 を 受 く。 36}HenryQssawaTanner{1859-1937} 画 家 。 ペ ン シ ル バ ニ ア 生 ま れ 。PennsylvaniaAcademyofFineArtsのThomas Eakinsの 下 で 学 ぶ 。1891年,パ licLibraryで 展 覧 会,1922年,ワ リ か ら ア メ リ カ に 帰 国 。1921年NewYorkPubシ ン ト ン で 展 覧 会,ハ ー レ ム ・ル ネ サ ン ス の 若 い 黒 人 画 家 に 強 い 影 響 を与 え る 。 37)WilliamEdouardScott(1884-1964) 画 家,特 に 肖 像 画 家 。ChicagoArtInstituteに 学 ぶ 。1904年 Tannerの 下 で 学 ぶ 。1927年HarmonFoundationGoldMedalを 一1908年,パ リで 受 賞。 38)EdwinA.Harleston(1882-1931} 画 家 。 南 キ ャ ロ ラ イ ナ 生 ま れ 。 有 名 な 作 品TheOldServant(1928)。 39)不 明 。 40}WilliamMcKnightFarrow(1885-?) Artist。ChicagoArtInstituteで 学 ぶ 。1923年Dunbarの 肖 像 画 を 描 く 。1926年 エ ジ プ ト ・ コ レ ク シ ョ ン の 管 理 者 と な る 。HarmonFoundationに し ば 展 示 さ れ る 。PathephonographsとKimballpianosの 、 て 作 品 が しば ポ ス タ ー ・デ ザ イ ン で 有 名 とな る。 41)MetaVauxWarrickFuller(1877-1958) 彫 刻 家 。 彼 女 は フ ィ ラ デ ル フ ィ ア 生 ま れ 。PennsylvaniaMuseumofFineArts で 学 び,1899年 パ リ へ 。 ロ ダ ン の 下 で 二 年 間 学 ぶ 。1907年150人 彫 刻 をJamesTercentennialExpositionよ の 作 品 焼 失 。 そ の 後,子 品(ニ ュ ー ヨ0ク)の り 依 頼 を 受 く 。1910年 育 に 専 心 。X913年DuBoisよ 依 頼 を 受 け 活 動 再 会 。30年 の黒 人 の人物 の 火 事 に よ り全 て り 奴 隷 解 放50周 代,40年 代 にBostonで 年 記 念 作 有 名 と な る。 42)MayHowardJackson{1887-1931) 彫 刻 家 。 フ ィ ラ デ ル フ ィ ア 生 ま れ 。PennsylvaniaAcademyofFineArtsで WashingtonD.C.にartstudioを 開 く と 共 にHoward大 52 学 ぶ 。 学 に て 彫 刻 を教 え る 。 1913年,N,Y.EmancipationExpositionに 出 品 。CorcoranGalleryに 1928年HarmonFoundationBronzeAwardを て1915。 受 賞 。 43)ArchibaldMotleyJr. (1891-?)artist.1923年,1928年"MendingSocks""OldSnuffTaker"に monFoundationGoldMedalを てHar- 受 賞 。MotleyはNewYorkで ワ ン を し た 最 初 の 黒 人 。1929年Guggenheimscholarshipを 44)不 受 ・マ ン ・シ ョ ー く 。 明 。 45)AlbertSmith(1896-1940) 画 家 。 ニ ュ ー ヨ ー ク 生 ま れ 。1917年 奨 学 金 を 受 く 。1919年 ∼20年 ま で,NationalAcademyofDesignの に のHenryO,TannerGoldMedalとChalonerPrizeを 賞 。1929年HarmonF。undationBronzeMedalを 46)不 明 。 47)不 明 。 48)不 明 。 受 受 く。 49)AaronDouglas(1898-1979) DouglasはHarlemRenaissanceのartistの れ る 。WinoldReissの 第 一 人 者 で あ る 。 キ ャ ン ザ ス に 生 下 に 絵 画 を 学 ぶ 。1927年 ParisでDespiau,Waroquer,OthonFriegeの に てM.A.degreeを 受 。ResenwaldFellowshipを 下 で 学 ぶ 。1938年,コ ま 受 け, ロ ン ビ ア 大 く 。HarmonExbihits,1928,1935,CollegeArt1935etc. 50}CharlesWaddellChesnutt(1581-932) 作 家,弁 護 士,オ ハ イ オ 生 ま れ 。 詳 細 は 拙 論"CharlesWaddelChesnutt=ARa・ cialOptimist(ユ),(2),(3)",創 価 大 学 『一 般 教 育 部 論 集 』No.9,『 英 語 英 文 学 』 No.16,17. 51)不 明 。 52)不 明 。 53}AnneSpencerO882-1976} 詩 人 。1925年TheNewNegr・ か ら1943年 に 初 め て 詩 が 掲 載 さ れ る 。AnneSpencerは1900年 ま でDunbarHighSchoolの ラ イ ブ ラ リ ア ン 。 54}GeorgiaDouglasJohnson(1886-1966} 詩 人,劇 れ40年 作 家,教 間 黒 人 の 作 家 が 集 toryofMusicで (1922,詩 師 。 彼 女 のWashingonD.C.の う 場 で あ っ た 。 ア 学 ぶ 。TheHeartofaWrnnan(1918,詩 集)etc. 55)MetaWarrickFuller(前 出)の こ と 。 56)CharlesGilpin(1898-1934) 53 家 は"HalfwayHouse"と ト ラ ン タ 大 学 卒 。OberlinConserva集)Ai11'ofVerse 呼 ば Actor。 リ ッ チ モ ン ド 生 ま れ 。1890年,ボ ー EugeneO'NeillのTheEmperorJanesの caln1919年 ド ヴ ィ ル の グ ル0プ 演 技 で 有 名 と 旅 を 始 め る 。 と な る 。 そ の 他 茄 励 佛L惚 に 出 演 。 57}PaulRobeson(1898--1976) ニ ュ ー ジ ャ ー ジ 生 ま れ 。Actor ,singer.Voodoo.(1922年)に G・d'sChillunGotWings,1922年EmperorJanes.1926年 初 出 演 。1923年All 一28年ConcertT。urs.etc, 58}CariRossiniDiton(1886-1962) ピ ア ニ ス ト,作 曲 家,教 育 者 。1909年,ペ だ 後,Concertpianist,accompanistと ン シ ル ベ ニ ア 大 学 卒 。 し て 仕 事 を 始 め る 。1911年 ドイ ッ で 学 ん 一 一一1918年Pain College(Georgia),WileyCollege(Texas),TalladegaCollege(Alabama)でmusic directorと し て 活 躍 。 そ の 後,フ 作 曲Fo"γ 鞭 伽 ィ ラ デ ル フ ィ ア の 自 分 の ス タ デ ィ オ で 教 α∫s(1914),TheHymnofNebraska(オ ラ え る 。 ト リ オ,1921) 59}WilliamGrantStill(1895-1978} ミ シ シ ッ ピ ー 州 生 ま れ,ア メ カ 黒 人 の 作 曲 家 と し て 最 も 多 作 な 者 の 一 人 。the OberlinConservatoryofMusic(Ohio)とTheNewEnglandConservatoryof Musicで 学 ぶ 。 多 数 の 賞 を 受 賞 。GuggenheimScholarship,RosenwaldFellow- shipetc. Songs:"BreathofaRose"."Leveeland"etc. Opera:TroubledIsland,RunningWild,etc. 60}JessieRedmonFauset.{1882-1961} 作 家,編 集 者 。 ニ ュ ー ジ ャ ー ジ 生 ま れ 。AfricanMethodistEpiscopalの 娘 。1905年CornellでPhiBetaKoppaを Schoolで ラ テ ン 語 集 。1920年 と フ ラ ン ス 語 一21年,児 .」、説ThereisCon 得 て 卒 業 。1906年 を 教 え る 。1919年 牧 師 の 一1919年Dunbar且igh 一1926年,丁 加CriSiSの 文 学 編 童 雑 誌 の 編 集 。 .ノusian(1925),PlumBun(1925), ChinaberryTreeX1931}etc. 61)WillisRichardson{1889-1977) 劇 作 家 。 北 キ ャ ロ ラ イ ナ 州 生 ま れ 。HarlemRenaissanceの Richardsonは ブ ロ ー Woman'sSalomeが ド ウ ェ イ で 上 演 ブ ロ ー 重 要 な 劇 作 家 の 一 人 。 さ れ た 黒 人 最 初 の 劇 作 家,1923年Chip ド ウ ェ イ で 上 演 。 1924Mortgaged,1925Co〃zμ 伽`36etc. 1966年BrokenBanjoでThe(.・,rzsisの ドラ マ の 部 で 一 位 入 賞 。 62}JeanToomerX1894-1967} ハ ー レ ム ・ル ネ サ ン ス で 最 も期 待 さ れ た 作 家 で あ っ た が,途 と を 拒 否 。 54 中 で 黒 人 で あ る こ Cane,1923. 63)EricWalrond{1898-1966) BritishGuiana生 ま れ 。1918年Harlemへ 。 コ ロ ン ビ ア とN.Y.の ッ ヂ で 学 ぶ 。1923年TheNewWarldのAssociateEditorと 1926,短 編 小 説 集 丁γo飲D6α シ テ ィ ・ カ レ な る 。 翫 64)RudolphFisher(1895-1934) ワ シ ン ト ンD.c生 ま れ 。Brown大 ン ビ ア 大 学 に てbiologyを グ ル ー プ を 導 い た が 若 学,HowardMedicalSchoo1を 研 究 。 ハ ー レ ム く し て こ の 世 ・ル ネ サ 卒 業 。 ン ス 期,若 い 作 家,詩 コ ロ 人 の を 去 る 。 小 説TheWallsofJericho(1928)TheConjureManDiesX932 そ の 他 短 編 小 説 有 。 65}LangstonHughes(1902--1967} 詩 人,小 説 家,劇 作 家 等,多 才 で あ っ た 。 ミ ズ リ ー 生 ま れ 。 ハ ー レ ム の 桂 冠 詩 人 と 呼 ば れ た 。 詩 集TheWearyBlues(1926),FineClothestotheJew(1927)etc. 刀 、説NotWithoutLaughter(1930) 劇FivePlays(1963) 賞 多 し,1947年AmericanAcademyofArtsandLettersGrantに HughesとVanVechtenの 関 係 選 ば れ た 。 に つ い て は 拙 書CaylVanVechten:TheManand HisRoleintheHarlemRenaissance,193,Seibido. 66)CounteeCullen(1903-1946) 詩 人,小 説 家,ニ Opportunity誌 一 入 ュ ー ヨ ー ク 生 ま れ 。NewYork大 のAssistantEditorに 学 卒,Harverd大 学 卒 。 な る 。 ハ ー レ ム ・ル ネ サ ン ス の 中 心 人 物 の 。 小 説OneWaytoHeaven(1932) 詩 集Color(ユ925),CopperSun(1927),TheBalledofthe.B"㎜ HarmonGoldAward等 α γ3(1927)etc. を受 賞 。 67)H.E.Krehbril. 1914Afro-AmericanFo漉s伽ga こ の 中 に はBurleighの 68)Oratorio聖 を い う が,ヘ 曲 が 多 く含 ま れ て い る 。 謳 曲 。 独 唱,合 唱,管 弦 楽 を用 い た 大 規 模 な宗 教 的 劇 音 楽 の 形 式 ン デ ル 以 後 世 俗 的 オ ラ ト リ オ も 出 現,詳 し くは 「現 代 世 界 百 科 事 典 」 講 談 社No.1,p.414. 69)CarlVanVechten(1880-1964) 音 楽 評 論 家,作 家,写 真 家 。HarlemRenaissance期 55 間 多 く の 若 い 作 家 と交 わ り 援 助 す る 。 詳 し く は 拙 書(前 70)GwendolynBennett画 出)CaylVanVechten. 家,詩 人,作 チ ャ ー ズ ・ カ レ ッ ヂ でfineartsを 家,テ キ サ ス 生 ま れ。 コ ロ ン ビア の テ ィ 学 ぶ 。 そ の 後BrooklynのPrattInstituteで 学 ぶ 。 詩 や 短 編 小 説 をAmericanMercury,()ppoytunity,The(漉s誌,TheMessenger, Fireに 投 稿 。 後 に4ppartunityのassistantedior。1937年 一40年Howard大 学 に て 水 彩 画 と デ ザ イ ン を教 え る 。 71)GreatFrenchPaintingsfromtheBarnesFoundation,高 橋 明 也 編,1994年,読 売 新 聞 社p.24 72)弟ArthurA,Spingarn,兄JoelEliasSpingarn,弟(1878-1971),兄 (1875-1939),オ Arthurは ー ス ト ラ リ ア 系 ユ ダ ヤ 人 と し て ニ ュ ー ヨ ー ク に 生 ま れ る。 コ ロ ン ビ ア 大 学 卒 で,弁 兄 シ テ ィ ・ カ レ ッ ヂ,ハ 護 士,1911年 ー バ ー ド 大 学,1889年ph.D取 よ りN.A.A.C.P.の 得 。 コロ ン ビア大 学 教 授 。 弟 の ア ー サ ー 共 に 人 種 平 等 運 動 に 深 く 係 る 。1914年SpinganMedalを 詳 し く は 拙 論 「HarlemRenaissance(3)」 創 価 大 学 英 文 学 会 pp.45-47. ※Noteに お け る そ の 他 の 参 考 文 献TheHarlemRenaissance(Kellner編),TheNegr・ Almanac(HanyA.Ploskied,TheBellwethercompany1971)CarlVanVechten(拙 書),HarlemRenaissance:ArtofBlackAmerica(TheStudioMuseuminHarlem, 1987).TwoClnturiesofBlackAmericanArt(AlfredA.Knopf,1976). 56 副 会 長, 設 立 。 『英 語 英 文 学 』1993,