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アルバート ・ C ・バーンズと

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アルバート ・ C ・バーンズと
ア ル バ ー
ハlrレ
ト ・C・
ム
バ ー ン ズ と
・ル ネ サ ン ス
岸
本
寿
雄
(1)
バ ー ン ズ 財 団 は ギ ャ ラ リ ー の 老 朽 化 に 伴 う 改 装 の た め,AlbertC.Barnes
(1872-1951)1)の
遺 言 を破 り,2年
コ レ ク シ ョ ン農2)は
間 だ け の 一 般公 開 に踏 切 っ た。 バ ー ンズ ・
今 回 が 初 め て で 最 後 とい う前 宣 伝 も あ り,連
立 西 洋 美 術 館 は 長 蛇 の 列 で あ っ た 。 最 終 日 は 入 館 ま で7時
く,だ
が こ の バ ー ン ズ とHarlemRenaissanceと
日上 野 の 国
間 待 ち で あ っ た と聞
の 関 係 を知 る 人 は 少 な い 。
フ ィ ラ デ ル フ ィ ア 出 身 の バ ー ン ズ は1907年
突 如 億 万 長 者 と して 頭 角 を現 わ し,
翌 年,ア
ル バ ー ト ・C・
バ ー ン ズ ・カ ンパ ニ ー を設 立 し,1910年
頃 か ら美 術 評
論 家,美
術 収 集 家 と な っ た 。 こ れ に は ハ イ ス ク ー ル 時 代 の バ ー ンズ の 絵 画 趣 味
と そ の 仲 間 で あ っ たWilliamJamesGlackens(1870-1938)3)とJohnSloan
(1871-1951)4)が
深 く係 り,特
に グ ラ ッ ケ ンズ は バ ー ン ズ の 美 術 収 集 に大 き く
関 係 し た 。 ハ ー レ ム ・ル ネ サ ン ス(1917-1934)5)の1922年
に バ ー ン ズ はThe
BarnesFoundationinMerionを
フ ィ ラ デ ル フ ィ ア に設 立 し,フ
印 象 派,後
ガ,セ
期 印 象 派 の モ ネ;ド
ォ ー ヴ ィ ズ ム,キ
ザ ン ヌ 等,当
ュ ヴ ィズ ム の ピ カ ソ;マ
チ ス,モ
ラ ンス を中 心 に
時 まだ評 価 の一 定 しない フ
デ ィ リ ア ー 二,ス
等 を集 中 的 に 集 め た 。 更 に ア フ リ カ 芸 術 に も 目 を 向 け,ア
ーテ ィン
フ リカ彫 刻 コ レク シ
ョ ン を作 っ た 。
バ ー ン ズ に と っ て も う0人
aPayzsの
の 重 要 人 物 が い る 。 フ ラ ン ス の 画 商 でLesArts
編 集 者 で も あ っ たPaulGuillaume(1891-1934)で
37
あ る。 ギ ョー ム は
当 時 ま だ 少 か っ た ア フ リ カ 芸 術 に 既 に 目 を 向 け て い た し,ア
Africanismに
フ リ カ芸 術 の
強 い 関 心 を 寄 せ る 若 い 芸 術 家 の 多 くが ギ ョー ム の パ リ の 画 廊 に
集 ま っ て い た 。 ギ ョ ー ム は ま た 亡 命 ポ ー ラ ン ド貴 族 の 血 を 引 く,Guillaume
Appolleraire(1880-1918)6)や
既 に ア フ リ カ の 伝 説,民
話,歌
な ど を翻 訳 して
い た 作 家 で 詩 人 で もあ る ス イ ス 系 フ ラ ンス 人BlaiseCendras(1887-1961)7)と
も親 交 が 深 か っ た よ う で あ る 。 少 年 の 頃 モ ロ ッ コ で 暮 した ア ポ リ ネ ー ル は ピ カ
ソ,ド
ラ ン,ル
い た し,若
ソ ー,ジ
ャ コ ブ,サ
ル モ ン,ジ
ャ リ と共 に 前 衛 運 動 に参 加 し て
い 頃 か ら章 界 を 放 浪 し た 冒 険 家 で,後
に 外 人 部 隊 に も加 わ っ た サ ン
ドラ ス の 両 者 か ら ギ ョ ー ム は ア フ リ カ に 関 して 強 い 影 響 を受 け た 。 ギ ョー ム は
そ れ を バ,__.ンズ に伝 え た 。
(2)
黒 人 文 学 研 究 の 立 場 か ら,ギ
iltoVanVechten$)の
.Fiction9)の
著
ョ,___.ムと バ ー ン ズ の 役 割 に 関 し て はFyamDu者ChidilokonneとNegroVoicesinAmerican
著 者HughM.Glosterが
両 著 の 中 で 言 及 し て い る 。 ギ ョ ー ム と バ ー・
ン ズ は 深 い 親 交 と ア フ リ カ 芸 術 に 対 す る 共 通 の 認 識 に 立 脚 し,ギ
ン ス の 自 分 の 画 廊 と ア パ ー ト を 中 心 に,バ
フ リ カ か ら の コ レ ク シ ョ ン を 通 し て,ア
ー ン ズ は 自 分 の 筆 と ヨ ー ロ ッ パ,ア
フ リ カ芸 術 の 価 値 を 訴 え た 。 ギ ョ ー ム
は 自 分 の 編 集 す る 雑 誌desArtsaParis等
ン に 関 す る 記 事 を 書 き,バ
ョー ム は フ ラ
を 中心 と してバ ー ンズ の コ レ ク シ ョ
ー ン ズ はOppartunity誌
等 に お い て,ギ
ョー ム の フ
ラ ン ス 芸 術 に 対 す る 役 割 を 高 く評 価 し た 。
Iokonneの
研 究 か ら 概 説 す る と,ギ
ョ ー ム はOpportunity誌(1924,May)に
LesArtsaParisの"AfricanArtattheBarnesFoundation"と
を 許 可 し,バ
題 す る論 文 の 転 戴
ー ン ズ の ア フ リ カ芸 術 に 関 す る貢 献 と ア フ リ カ 芸 術 と 当 時 の フ ラ
ン ス 絵 画 運 動 と の 深 い 関 係 を 論 し て い る 。 バ ー ン ズ は 同 誌 で"Temple"と
て,次
の よ う に ギ ョ ー ム の 活 動 を評 価 して い る 。
...totheartworldasthemanwhorescuedtheobscureancientNegroart
38
題 し
fromitsmereethnologicalsignificanceandconverteditintoawellofunsuspectingspiritualrichnessfromwhichthewholemodernmovementinart
hasdrunkdeeply.10)
更 に バ ー ン ズ は,ギ
ョ ー ム の モ ン マ ル ト ル の ア パ ー ト に つ い て,"themecca
notonlyoftheimportantcreatorsinFrance,butinAmerica,Japan,England,
andeverycontinentalcountry・11)と,そ
の 重 要 性 を力 説 す る。 結 局 ア メ リ カ
で の ギ ョ ー ム こ そ バ ー ン ズ で あ り,両
者 は 単 な る 画 商 と 顧 客 の 枠 を 越 へ,親
と な り ハ ー レ ム ・ル ネ サ ン ス の 背 景 の 一 つ に 関 わ る"世
一 翼 を担 った
1923年
界 のNegroVogue"の
。
バ ー ン ズ はAlaineLocke(1886-1954)12)に
出 会 っ た 。 そ の 後Walter
Whitel3)(1893-1955),CharlesS.Johnsonl4)(18931956)に
の 結 果,バ
も会 っ て い る 。 そ
ー ン ズ の 論 文"TheTemple"がOpportunity誌(1924,May)に
さ れ た 。1925年
ア レ イ ン ・ ロ ッ ク がSurveyGraphicで
た 際,"ContributiontotheStudyofNegroArt"と
し て い る 。1925年ll月
The1>ewNegros5)を
ica"と
掲 載
ハ ー レ ム 特 別 号 を企 画 し
題 す る論 文 をバ ー ンズ は寄 稿
ロ ッ ク が,ハ
出 版 し た 時,バ
ー レ ム ・ル ネ サ ン ス の 理 論 誌 と 云 わ れ る
ー ン ズ は そ の 論 文 を"NegroArtandAmey-
改 題 し て 再 掲 載 す る と 共 に,そ
の 本 の 中 で,バ
ー ン ズ の ア フ リ カ ・コ レ
ク シ ョ ン の 一 部 の 複 写 掲 載 を 許 可 し て い る 。(2妙 碗 吻 吻 誌 は 前 出 の1924年
で,論
説 と し て"Dr.Barnes"を,1926年
andPresent・
密
を 掲 載 し て い る が,こ
の号
に は バ ー ン ズ の 論 文"NegroArt,Past
こ で は バ ニ ン ズ の ・NegroArtandAmerica"
を 問 題 と し て 取 り扱 う 。 バ ー ン ズ の 活 動 あ る い は 考 え 方 は ロ ッ ク を 中 心 と す る
人 々 を 悩 ま せ た ら し くIokonneは
次 の よ う に論 じて い る。
Theresponsetothisfaithinandpro血qtionofpでimitiveAfricanartonthe
partofAlbertBarnesandotherswho,likehim,haddiscoveredit,Was
overwhelming.Borderingonenthusiasm,itworriedBarneshimself,theeditorsofOpportunity,andscholarslikeAlainLocke,whofeareditwasbecom一
39
ingirrati・nal16).
Iokonneは,そ
Art"で
の 不 満 が 発 見 で
あ る と 注 を付
aryfortheEyaの
き る の は,ロ
ッ ク の 論 文"ANoteonAfrican
し て い る が,TheHarlemRenaissance:AHistoricalDiction-
編 者BruceKellnerは,"IntruthLockewasdissatisfiedwith
Barnesunbalancedanalysisoftheinfluenceofhistory,cultureandpsychology
andofferedhisowninterpretationintheNewNegro,"TheLegacyoftheAncestralArts・,tosupplementandextendBarnes・sdisapPointingeffortl7).・
か な
り 具 体 的 に 指 摘
し て い る 。
に あ る と,
こ こ で は ケ ル ナ.___に
America"18)と"TheLegacyoftheAncestralArts"19)を
の 相 違 を 明 ら か に す る と 共 に,ロ
roSpirituals"21)で
従 い,"NegroArtand
比 較,検
ッ ク の
・NegroYouthSpeaks・20)と
討
しそ の 意 見
・TheNeg.
そ の 不 充 分 な 所 を補 い た い 。
(3}
バ ー ンズ の"NegroArtandAmerica"の
論 旨 を要 約 す る と次 の よ う に な る。
ア メ リ カで の 「
独 得 な黒 人芸 術 の発 展 は 自然 で あ り,ま た必 然 的 で あ った」 と
断 定 し,「 ア メ リ カ黒 人 の 芸 術 へ の 貢 献 は 黒 人大 衆 の心 か ら出 て い るの で そ の
人 々 を代 表 して い る。」 そ の偉 大 な 芸 術 は 「原 始 的天 性 か ら派 生 し,黒 人 の 個
人 的特 性 を具 体 化 し,長 い圧 迫 か らの 苦 悩,願
望,喜
び の反 映 」 で あ る と して
い る。 そ こで 重 要 な要 素 は,「 黒 人 が 今 日ま で維 持 して い る原 始 的 祖 先 か ら受
け継 い だ心 理 的 性 質」 で,そ
の顕 著 な特 色 は 「
豊 か で,自
由 な想 像 力 と本 当 に
偉 大 な個 人 の 表 現 力 」 で あ る と して い る。 特 に黒 人 は 「生 まれ なが ら に して 詩
人 で あ る。 … … 詩 は地 上 に引 き降 ろ され た 宗 教 で あ り,黒 人 の魂 の 本 質 で あ
る」 と絶 賛 す る。
「
精 神 的 天 性 」 とい う点 で は 「白 人 は黒 人 と競 争 す る こ と はで き ない 」 とい
うの は 「白人 は精神 と掛 け離 れ た世 界 の 実 利 的能 率 の 必 要 性 の ため,宗
らせ,芸
教 を細
術 の 生 命 を弱 らせ て きた」 か らだ とバ ー ンズ は主 張 す る。 黒 入 は 「自
然 と人 間 の調 和 の 理 想 を,よ
り近 くに維 持 して きた」 「唯 単 に 自己 表 現 す る だ
40
け で 幸 福 を も た ら し,そ
れ は即 座 に 現 わ れ,深
い 報 い の 伴 う もの で あ る 。」 と
誉 め ち ぎ る 。 特 に 黒 人 の ス ピチ ュ ア ル こ そ 「ア メ リ カ 唯 一 の 偉 大 な 音 楽 」i「 ア
メ リ カ が 自分 自 身 の もの と して 主 張 で き る 偉 大 な芸 術 の 唯 一 の 形 体 を作 り上 げ
た 祖 先 と同 じ歌 の 霊 を もつ 」 と ス ピ リチ ュ ア ル を 高 く評 価 す る 。
黒 人 芸 術 の復 興 は
「原 始 的 ア フ リ カ 彫 刻 と 同 じ く,美
を探 求 す る 者 と し て,
見 逃 す こ と の で き な い 私 達 の 時 代 の 出 来 事 の 一 つ 」 で,「
の 偉 大 な 芸 術 表 現 と比 較 して も耐 え う る 芸 術 」 で,古
ど の 民 族,ど
の文 明
代 と共 に 現 代 の 黒 人 芸 術
は
「民 衆 の 忠 実 な 表 現 」 で あ る とバ ー ン ズ は述 べ て い る 。 黒 人 の 芸 術 の 復 興,
即
ち ル ネ サ
Washington23)に
ン ス は1895年
のPaulLaurenceDunbar22)とBookerT.
始 ま る と し て,ワ
シ ン ト ン は 「新 しい 教 育 に よ っ て,黒
ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 維 持 で き る経 済 的 状 況 」 を 可 能 に して,こ
「自分 の 魂 を 解 放 し た 」 とそ の 功 績 を 評 価 し,ダ
人 が
れ に よ り黒 人 は
ンパ ー は 「黒 人 の 才 能 と生 活
状 況 が 新 しい 美 の 形 を 創 造 す る処 女 地 を提 供 し た 」 と訴 え る 。 こ の 両 者 の 先 駆
に よ り,教
育 は 進 み,詩
人 が 多 く排 出 し,そ
のため
「高 い 秩 序 の 知 性 と文 化 へ
の 目標 」 が 可 能 と な り 「顕 しい 成 巧 を修 め た 」 と分 析 し て い る 。
子 守 歌;ダ
ン ス,恋
の 歌,喜
び の 歌,嘆
きの歌 は
「民 族 の 魂 」 で あ り,特
に
ス ピ リチ ュ ア ル は 「純 粋 な 魂 」 で あ る 。 更 に ス ピ リ チ ュ ア ル は 黒 人 以 外 の 誰 の
も の で も な い と主 張 し,「 黒 人 の 学 者,夢
想 家,哲
人f予
言 者 は 自分 達 の メ ッ
セ ー ジ を 歌 で 歌 う … …Wheatley24),SojournerTruth25),Douglass26),Dunbar,
Washingtonは
そ の 基 礎 の 上 に 個 人 的,不
分 達 の 人 種 に忠 実 で,よ
滅 の礎 石 を敷 い て きた 。 そ の 上 に 自
り良 い 教 育 を 受 け て … … 今 日活 躍 して い るDuBois27),
Cotter28),Grimke29),Braithwaite30),Burleigh31),TheJohnsons32),McKay33),
Dett34),Locke,Hayes35)が
ら の 理 想 に基 づ き,よ
黒 人 の 魂 を 理 解 し,文
化,芸
術,市
民 権 に対 す る彼
り豊 か な 地 へ と導 い て い る 。」 と結 論 づ け,最
後 に よ り
豊 か な ア メ リ カ 文 化 を築 くた め に 白 人 と黒 人 が 手 を携 え る こ と を 強 調 して バ ー
ン ズ は そ の 論 文 を締 め く くる 。
41
(4)
バ ー ンズ の偉 大 な黒 人 「芸術 」 の 「
原 始 的天 性 か ら派 生 し」 あ るい は 「黒 人
が 今 日 まで 維持 して い る原 始 的 祖 先 か ら受 け継 い だ 心 理 的性 質 」 に対 して,ロ
ッ ク は 「芸 術 」 とい う全 体 を指 す 曖 昧 な言 葉 を避 け,「 音 楽,詩,さ
らに ダン
ス は ア メ リカ ・ニ グ ロの主 流 の 芸 術 で あ る」 と具 体 的 に指 摘 す る。装 飾 とデザ
イ ンで秀 い で た ア フ リ カ文 化 は,「 造 形 と工 芸 芸 術 が 主 流 」 と分 野 を明確 に し,
バ ー ンズ の 「受 け継 い だ 心 理 的性 質」 の ア メ リ カ文 化 に対 して 「ア フ リ カの文
化 と全 く異 る もの で あ る」 とロ ッ ク は反 論 を 開始 す る。 ア メ リカ ・ニ グ ロは,
ア フ リ カか ら素 晴 しい リズ ム の 才 能 を受 け継 い だ が 「祖 先 の 芸 術 とア メ リカ黒
人 との 直 接 的 関 係 の証 拠 は何 ん ら存 在 しな い。」 と ロ ッ クは細 か く分 析 しな が
ら断 定 す る。 バ ー ンズ の 「長 い 圧 迫 か らの苦 悩 … … 黒 人 が 今 日 まで 維 持 して い
る原 始 的祖 先 か ら… … 」 に は 「ア フ リ カ精神 の支 流 は,そ
化 要 素 の 中で 混 り合 い,奇
妙 に新 しい形 体 で花 咲 い た」 と く精 神 の支 流 〉 と
は認 め る もの の 〈奇 妙 に新 しい 形 体 〉 と,か
ンズ の受 け継 い だ 「豊 か で,自
関 して,ロ
ー ル され
由で,豊
れ 自体 全 く異 っ た文
な り見 解 にズ レが 目立 つ 。 バ ー
由 な想 像 力 と,本 当 に偉 大 な個 人 の 表 現 力 」 に
ック は飽 く迄 冷 巌 に 「ア フ リカ芸 術 表 現 の 特徴 は正 確 で,コ
,訓 練 され,抽 象 化 され,型
か で,感
ン トロ
に は ま っ て い る」 と し,ア メ リカ は 「自
情 的 で,感 傷 的 で,人
間 的 で あ る」 とア フ リ カ とア メ リカ芸
術 の相 違 点 を明 確 に し,「 ア フ リ カ精 神 の 誤 っ た解 訳 に よ っ て の み,こ
れ らの
両 者 間 の感 情 の類 似 性 が 主 張 で き る。」 と一 刀 両 断 の 下 にバ ー ンズ の考 え方 を
否 定 す る。 バ ー ンズ は黒 人 は 「生 まれ なが らに して 詩 人 」,「詩 は… … 宗 教 … …
黒 人 の 魂 の 本 質」,「精 神 的 天 性 」,「 自然 と人 間 の 調 和 の 理 想 」 「唯単 に 自己表
現 だ け で幸 福 」,「民 衆 の忠 実 な表 現 」 との表 現 か ら も推 測 で きる よ うに,分 析
や 理 論 を超 越 した,か
な り自己 陶 酔 的 な賛 辞 に陥 って い る。 これ に対 して,そ
れが 正 論 か 否 か の論 議 を待 つ ま で も な く,ロ
ロ ック は,ア
フ リ カ芸 術 は 「今 や造 形 表 現 の注 目 に値 す る見 本 で,そ
の真 実 の 作 品概 念,デ
る。」 と して,ヨ
ッ クは 正確 に論 を進 め る。
の芸 術
ザ イ ン の美 事 な効 果 を持 つ 素 朴 性 は世 界 的 に認 め られ
ー ロ ッパ の絵 画 が 「ギ リ シ ャ古 典 の 模 倣 に よ る病 労 」 と 「印
42
象 派 と ポ ス ト印 象 派 に よ る 色 彩 技 術 的 可 能 性 」,の 追 求 の 結 果 の 反 動 と し て,
ア フ リ カ芸 術 が ヨ ー ロ ッパ に 受 け 入 れ られ,そ
へ,更
れ が 芸 術 運 動 に大 き な 影 響 を与
に ア ポ リ ネ ー ル や サ ン ドラ ス に よ る 詩 へ の 導 入,ア
美 的 関 心,ギ
ョー ム の フ ラ ンス 絵 画 で の 役 割 等,綿
フ リ カ的 音 楽 へ の 唯
密 に 検 討 して い る 。 ア メ リ
カ は ヨ ー ロ ッパ 芸 術 が ア フ リ カ か ら 受 け た 大 き な 影 響 と は 異 な り,「 現 在 の ニ
グ ロ ・ア ー チ ス トが,祖
父 達 の 芸 術 か ら得 て い る もの は … … 文 化 的 イ ン ス ピ レ
ー シ ョ ンや 技 術 的 革 新 で は な く
,伝
ル の 教 え,そ
統 的 背 景 の 教 え,様
式,技
術 的 コ ン トロ ー
して そ れ が 技 術 的 精 致 へ の 限 界 に押 し上 げ ら れ る こ と」 と ロ ッ ク
は考 え る。
黒 人 の ル ネ サ ン ス に 関 して,バ
美 を探 求 す る 者 と して,見
「ど の 民 族,ど
ー ン ズ は,「 原 始 的 ア フ リ カ彫 刻 と 同 じ く,
逃 す こ との で き な い 私 達 の 時 代 の 出 来 事 の 一 つ 」 で
の 文 明 の 偉 大 な芸 術 表 現 と比 較 し て も耐 え う る 芸 術 」,「 民 衆 の
忠 実 な 表 現 」 と 述 べ て い る 。 そ れ に 対 して ロ ッ ク は ア メ リ カ に お い て は,「 注
目 に値 す る 芸 術 家 は い た が,ニ
グ ロ 芸 術 派 の 発 展 は 無 か っ た 」 と して,そ
駆 者 にHenryO.Tanner36)の
名 を 挙 げ,そ
れ に 続 く 絵 画 の 分 野 にW.E.
Scott37),E.A.Harleston38),W.Baxton39),W.Farrow40),彫
WarrickFuller41),とMayHowardJackson42),以
実 験 的 人 種 表 現 と 模 倣 と,非
の先
刻 に お い てMeta
上 の人達 は
「能 力 は あ る が,
独 創 的 抽 象 表 現 と の 間 で 揺 れ 動 い て い る 。」 と指
摘 す る 。 だ が 現 在 若 い グ ル ー プ に 「人 種 派 の 方 向 へ の 動 き」 が あ る と し て
ArchibaldM。tley43),Ott。Farrell44),AlbertSmith45),」ohnUrquhart46),
SamuelBlount47)やCharlesKeene48)とAaronDouglas49)の
名 を 挙 げ,「 孤 立
し た 才 能 か ら… 一 つ の 芸 術 運 動 の 見 込 み の あ る 始 ま り」 が あ る こ と を認 め る と
同 時 に,「 芸 術 に お け る 黒 人 的 テ ー マ や 主 題 の 力 強 い 芸 術 的 表 現 は,ス
タ イ プ を突 破 し て,新
しい 様 式,独
得 で 新 鮮 な 技 法,そ
テ レオ
して 何 ん ら か の 特 徴 的
表 現 に 向 か わ ね ば な ら な い 。」 とい う方 向 性 を 示 し,「 ア フ リ カ 芸 術 の 題 材 の 研
究 と例 証 が 大 切 な の は … … 人 種 的 芸 術 へ の 発 展 の た め で あ る」 と ア メ リ カ 黒 人
に 必 要 な 目標 を 暗 示 す る 。
バ ー ンズ は ル ネ サ ンス が1895年
か ら始 ま り,そ
43
の 先 駆 者 は ダ ンパ ー と ワ シ ン
トン に あ る と し て,「 現 在 活 躍 して い るDuBois,Cotter,Locke,Hayes,そ
多 くの 黒 人 達 が 黒 人 の 魂 を 知 り,自
分 達 の 理 想 に基 づ き,よ
い て い る 。」 と考 え て い る 。 多 分 こ の"1895年"と
の他
り豊 か な 地 へ と導
い う の は ワ シ ン ト ンの あ の
有 名 な ア トラ ン タ博 覧 会 で の 演 説 と タ ン バ ー の 方 言 詩MajorsandMinorsが
自
費 出 版 さ れ た こ と を 指 す の で あ ろ う 。 だ が ロ ッ ク は"NegroYouthSpeaks"の
冒 頭 で,「 若 い 世 代 は 才 能 を も っ て 出 現 した 。 彼 ら は ニ グ ロ ・ル ネ サ ン ス の 最
初 の 果 実 で あ る 。」 と して 先 駆 者 と し て,小
説 で は チ ェ ス ナ ッ ト50)と
イ ス,劇
の 分 野 で は 再 度 デ ュ ボ イ ス と ア ン ジ ェ リ ー ナ ・グ リム ケ,詩
パ ー,ジ
ェ イ ム ス ・ウ ェ ル ダ ン ・ジ ョ ン ス ン,チ
ン ス ン51),コ
ー53)
,ジ
ッ タ ー,ジ
エ イ ム ソ ン52),そ
ウ ェ イ ト と デ ュ ボ イ ス,絵
ッ ク55),メ
ン ・ス ペ ン サ
論 と純 文 学 で は,ブ
画 で は タ ー ナ ー と ス コ ッ ト,彫
イ ・ジ ャ ク ソ ン,演
劇 で は ギ ル ピ ン56)と
刻.は
ッ ト,グ
ッ ト60),ホ
野 で,ト
星,マ
ラ ン ド ・ス テ ィ ル59),と
ワ イ ト,マ
ケ イ,劇
ウ ー マ ー-62),ウ
ケ イ,ト
ロ ブ ス ン57),音
ュ ー一ズ65),カ
説 に お い て,フ
ィ ッ シ ャ ー64),若
レ ン66)を
楽 で はバ
楽 にお い て デ イ
作 に お い て リチ ャ ー ド ソ ン61),短
オ ル ロ ン ド63),フ
ウ ー マ ー,ビ
ヘ イ ズ,小
レイ ス
ミ ー タ ・ワ リ
ー レ イ と分 野 別 に名 前 を 列 挙 して い る 。 新 しい 世 代 と して,音
トン,デ
では ダ ン
ャ ー ル ズ ・バ ー トラ ム ・ジ ョ
の 他 グ リ ム ケ,ア
ョー ジ ア ・ダ グ ラ ス ・ジ ョ ン ス ン54),評
デ ュ ボ
オー セ
編 小 説 の分
い黒 人 詩 人 の新
挙 げ て い る 。 ロ ッ ク とバ
ー ン ズ の 先 駆 者 とル ネ サ ン ス の 若 い 世 代 に は 多 少 の ズ レ が 認 め ら れ る が
,内
容
の 捕 え 方 に 大 き な 相 違 が 見 ら れ る 。 ロ ッ ク は 古 い 世 代 の 黒 人 作 家 は,「 注 意 深
い 道 徳 主 義 と 防 護 さ れ た 理 想 化 の 中 で 自分 達 を表 現 して きた,即
ニ ズ ム の 障 害 が 気 に掛 っ て い た 。 とい う の は,偏
ち ピ ュー リ タ
見 と い う圧 迫 が 心 に重 くの し
か か っ て い た 。」 と指 摘 す る 。 そ の た め に,「 芸 術 は社 会 的 闘 争 を す べ きで あ り,
社 会 の不 正 を補 正 す べ きで あ る と感 じ,"模
範 た れ"」 で あ った と考 え,そ
若 き黒 人 は 「年 令 が 若 い とい う理 由 か らで は な く,新
して
しい審 美 意 識 と新 しい 人
生 哲 学 」 を持 っ て い る。 更 に 「精 神 的 胎 動 と人種 的 発 酵 」 を有 し 「黒 人芸 術 の
道 を現 代 芸 術 思 想 や雰 囲 気 や 形 式 」 へ と導 い て い る と認 識 して い る。 この 点 に
お い て バ ー ンズ の認 識 とか な りの ズ レが あ る 。
44
ス ピ リチ ュ ア ル に 焦 点 を 当 て よ う。 「黒 人 が 惨 め な,押
身 分 だ っ た 頃,歌
え つ け られ た 奴 隷 の
と な っ て 突 然 口 に飛 び だ した の が ア メ リ カ 唯0の
ス ピ リ チ ュ ア ル で あ っ た 。」 「こ の 粗 野 な 歌 は 人 間 の 魂,苦
な 人 間 の 魂 の 自 然 で ナ イ ー ブ で,正
偉 大 な 音 楽,
悩 と願 望 と祈 る よ う
式 に教 育 を受 け て は い な い が 自 発 的 歌 で あ
る 。」,「 子 守 歌 ・ダ ン ス … … そ の 民 族 の 誤 ち の な い 精 神 を 表 わ し て い る … … そ
れ ぞ れ の 記 録 は,ユ
ニ ー ク な黒 人 形 式 に よ り,力
強 く表 現 さ れ た 感 情 に 満 ち て
い る 。 … … こ の ス ピ リ チ ュ ア ル と して 知 ら れ て い る 古 い 歌 は … … 純 粋 な 魂 で あ
る 。」 とバ ー ン ズ は ス ピ リ チ ュ ア ル を 絶 賛 す る 。 確 か に ス ピ リチ ュ ア ル は
「ア
メ リ カ 唯 一 の 偉 大 な 音 楽 」 の 一 つ で あ り,「 純 粋 な 魂 」 の 歌 で あ ろ う。 そ の 証
明 の た め の 説 得 あ る理 論 が 必 要 で あ る が,バ
ー ンズ は そ れ よ りは 感 情,感
動が
優 先 して い る 。
ロ ッ ク は"TheNegroSpirituals"に
の フ オ ー ク ・ソ ン グ 」 と規 定 し,そ
お い て,「 ス ピ リ チ ュ ア ル は,ア
の 分 野.は
既 に 名 著 と言 わ れ るDuBoisの
Soulsof、BlackFolkやKrehbie1のAfro-AmericanFolkSongs67)に
お い て,悲
み の 歌 の 本 質 や 音 楽 的 分 析 が あ る こ と を断 り,そ
し
の 起 源 か ら そ の 当 時 まで を歴
史 的 に論 述 し て い る 。 た が ス ピ リチ ュ ア ル に 関 して は
は 少 な い 」 こ と,ま
メ リカ
「そ の 充 分 な 評 価 と理 解
た 過 去 に は 黒 人 す らス ピ リ チ ュ ア ル を 軽 蔑 して,そ
の価 値
を 認 め な か っ た こ と,「 多 くの 歌 手 や 音 楽 家 が 芸 術 的 感 情 的 効 果 を 邪 魔 し な い
よ う に す る 反 面 ピ ン トは ず れ に も 方 言 と 口 語 調 に傷 を つ け る結 果 を招 い て い
る 」 事 実 を指 摘 す る 。 更 に ス ピ リ チ ュ ア ル の 歌 詩,楽
性 質,ス
な 言 葉,子
さ と,情
符 を 用 い て,フ
ォー ク的
ピ リ チ ュ ア ル の タ イ プ分 類 をす る 。 第 一 に 歌 詩 に 関 して は ブ ロ ー ク ン
供 の よ う な イ メ ー ジ,百
姓 的 素 朴 さ を認 め,そ
緒 的 経 験 の 悲 劇 的 深 み 」 が あ り,そ
spiritualsarespiritual"と
れが
分 析 す る 。 第 二 に,こ
特 徴 は メ ロ デ ィ ー とハ ー モ ニ ー に あ る と し,両
四 部 合 唱 形 式,オ
ラ トリ オ 形 式68)に
の 中 に 「捌 青的 烈 し
「宗 教 的 高 揚 」 と な る"The
れ を音 楽 的 に 取 り上 げ,そ
者 の"fusion"こ
の
そ 特 徴 で あ り,
そ の 生 命 が あ る と結 論 す る 。
ロ ッ ク は ス ピ リチ ュ ア ル の 現 況 に 解 れ,「 そ の 音 楽 の 歴 史 に お い て 非 常 に難
か しい ポ イ ン トに 差 し掛 る 。 差 し当 りス ピ リ チ ュ ア ル は,フ
45
ォー ク 形 式 と ア ー
ト形 式 の 過 渡 的段 階 の狭 間 にあ る。 カ ー ル ・バ ン ・ベ ク テ ン69)が 最 近 の 論 文
で 明 らか に指 摘 して い る よ う に,コ
ンサ ー ト利 用 と人 気 の 高揚 は,洗 練 され,
凝 り過 ぎた もの に 向 う危 険 な傾 向 に あ る。」 と警 告 を発 す る 。 バ ー ンズ を意 識
して で あ ろ うか,「 今 な ほ,ス
る評 価 は,一
ピ リチ ュ ア ル評 価 にお い て は,こ
の 時代 の主 た
方 の側 で は セ ンチ メ ン タル な恩 ぎせ が ま しい好 奇 心 に変 質 し,も
う一 方 の側 で は,熱 狂 的 な 自己宣 伝 癖 に な る こ とで あ る 。 両 人 種 は黒 人奴 隷 の
心 に出 会 うた め に態 と ら し く腰 を低 く く し,こ の ム ー ドが 心 を う っ と りさせ て
い る 間 に,そ
こ の天 才 の 芸 術 性 を割 引 して売 り払 っ て し まっ た。」 と巌 し く批
判 す る。
これ らの事 を総 合 す る とバ ー ンズ の 感 情 的論 調 と ロ ックの 論 理 性 は 云 う まで
もな く,ア
フ リ カ精 神 とア フ リ カ芸 術 の把 え方,ア
サ ンス の考 え方,ス
メ リカ にお け る歴 史,ル
ネ
ピ リチ ュ ア ルの把 握 に於 い て 二 者 の ズ レが 鮮 明 とな る。
(5)
バ ー ン ズ は1926年
に も オ ポ チ ュ ニ テ ィ 誌 に"NegroArt
と題 す る 論 文 を 寄 稿
Douglasと
画 家,詩
更 に 彼 の 財 団 は ル ネ サ ン ス 期 の 画 家 の 第 一 人 者Aaron
人,小
説 家 で ル ネ サ ン ス 後 はHoward大
イ ン を も教 え たGwendolynBennett70)に
ベ ク テ ン 的 役 割 ,も
弟72)の
家,音
楽 家,画
う 一 組 の,黒
ま ざ ま な 勉 強 会 」71)を 開 い た が,ル
ネサ
家 等 か ら信 頼 さ れ た 白 人 の カ ー ル ・バ ン ・
人 の 文 化,生
活 を 陰 で 支 え たSpingarn兄
役 割 も担 う こ とが 出 来 な か っ た 。
第 一 の 原 因 は バ ー ン ズ の 性 格,方
"T
学 で 水 彩 画 とデ ザ
奨 学 金 を 出 し た り,「 自 分 の 工 場 で 働
く黒 人 や 白 人 の 労 働 者 を対 象 に,さ
ン ス の 黒 人 詩 人,作
,PastandPresent"
erribleTemperedBarnes"と
を異 に し,そ
法 に よ る も の で あ ろ う。 バ ー ン ズ は
呼 ば れ て い た し,当
時 の 美 術 評 論 家 と も意 見
の 結 果 バ ー ン ズ 財 団 の 絵 画 の 公 開 を禁 止 した こ と か ら も,バ
ズ の 徹 底 した 方 法,考
ー ン
え 方 が 想 像 で き よ う。 第 二 に ロ ッ ク と の 論 文 比 較 か ら も
推 論 で き る よ う に 論 理 性 に 欠 け,「 単 な る 黒 人 芸 術 礼 賛 」 に 終 始 し て い る 。 ロ
ッ ク の グ ル ー プ は バ ー ン ズ の よ う な 知 名 度 の 高 い 入 の 非 理 性 的 礼 賛 に よ り,ハ
46
一 レ ム ・ル ネ サ ン ス が 単 な る"Vogue"に
な る こ と を 非 常 に警 戒 し た た め で は
な か ろ うか 。
バ ー ンズ の 多 大 な 努 力 に も か か わ らず,結
誌
局,バ
ー レル ・ル ネ サ ンス の 理 論
「ザ ・ニ ュ ー ・ニ グ ロ 」 に そ の 名 を 連 ね た もの の,そ
の 推 進 力 に な り得 な か
っ た 。 だ が バ ー ンズ の 努 力 が 全 く無 駄 で あ っ た と い う意 味 で は な い 。 バ ー ン ズ
は 膨 大 な ア フ リ カ ・コ レ ク シ ョ ン と共 に モ ネ,ド
ギ ャ ン,ピ
カ ソ,マ
チ ス,モ
デ ィ リ ア ー 二,ル
ガ,セ
ソ ー,ス
点 に 及 ぶ 美 術 品 を 後 世 の 世 界 の 人 々 に残 し た こ と,ハ
直 接 の 貢 献 は 少 な か っ た も の の,ル
Vogue"の
ザ ン ヌ,ゴ
ッ ホ,ゴ
ー
ー テ ィ ン等 を 含 む2000
ー レ ム ・ル ネ サ ン ス へ の
ネ サ ン ス の 背 景 の 要 因 の 一 つ"Negro
強 力 な 推 進 者 の 一 人 で あ っ た こ と は,異
論 が 少 な か ろ う。
Note
l)AlbertC.Barnes(1872-1951),フ
ィ ラ デ ル フ ィ ア,ケ
ン シ ル バ ニ ア 大 学 で 医 学,ベ
膏
「ア ル ジ ロ ル 」 と
ル リ ン 大 学 に て 化 学,生
ア ル バ ー ト ・C・
1910年
コ レクシ ョン開始
1912年
グ ラ ッ ケ ン ズ を ヨ ー ロ ッ パ に 派 遺,絵
の
理 学 を 研 究 。1907年
「オ ヴ ォ フ ェ リ ン 」 の 薬 品 で 成 功,大
1908年
《サ ン ト=ヴ
ン ジ ン トン生 ま れ 。 ペ
バ ー ンズ
ィ ク ト ワ ー ル 山 》,バ
銀 軟
金持 とな る
・カ ン パ ニ ー 設 立
ン ・ゴ ッ ホ の
画20点
購 入。 そ の 中 にセ ザ ンヌ
《郵 便 配 達 夫 ル ー ラ ン 》,ピ
カ ソ
《煙 草 を も つ 女 》 が 含 ま れ て い た 。
学 生 時 代 ウ ィ リ ア ム ・ジ ェ ー ム ス(1842-1910>の
に デ ュ ー イ 夫 妻 と 親 交 を 深 め る 。1920年
ス の 画 商 兼 編 集 者)と
1922年
授 業 を 通 し て 影 響 を 受 け,後
代 に 入 り,ポ
ー ル ・ギ ョ ー ム(フ
ラ ン
親 交 を深 め る 。
バ ー ン ズ 財 団 を 設 立,ル
ノ ワ ー ル180点,セ
マ テ ィ ス,ピ
ヵ ソ 等 々 約2000点
絵 画 を 収 め,ア
る。 現 在 は 金
・土 曜 日 に 申 し 込 み 制 で100名
ザ ン ヌ70点,そ
の 他 ゴ ッ ホ,
フ リ カ 彫 刻 の コ レク シ ョ ン も あ
限 り入 場 可 。
参考 文 献
GreatFrenchPaintingsfromtheBaynesFoundationed,AkiraTakahashi,The
YomiuriShinbun,X994,Tokyo,『
2)(バ
新 潮 世 界 美 術 辞 典 』1960年,新
ー ン ズ ・ コ レ ク シ ョ ン 展)1994年1月22日
国 立 西 洋 美 術 館,マ
ガ ン2点rバ
ネ1点,ル
ン ・ ゴ ッ ホ2点,ス
ノ ワ ー ル16点,モ
ー ラ2点,ト
47
潮 社 。
∼4月3日
ま で 。 東 京 上 野,
ネ2点,セ
ザ ン ヌ20点,ゴ
ワ ー ル ー ズ=ロ
ー ト1/ッ
ク2点,
ー一
ル ソ ー3点,ピ
カ ソ7点,ブ
モ デ ィ リ ア ー 二4点,マ
ラ ッ ク1点,ラ=フ
テ ィ ス14点,計80計
3)WilliamJamesGlackens(1870-1939)ア
フ ィ ラ デ ル フ ィ ア 出 身,ペ
の 後,NewYorkHerald紙
レ ネ ー1点,ス
ー テ ィ ン2点,
を展 示 。
メ リ カ の 画 家,ジ
・エ イ ト の 一 員 。
ン シ ル バ ニ ア 美 術 ア カ デ ミ ー に 学 ぶ 。1905一 パ リ,そ
の 描 絵 を描 き なが ら絵 画 制 作 を し た 。 代 表 作
ン に て 》1905年,シ
カ ゴ 美 術 研 究 所,《 林 檎 を も つ 裸 像 》19ユ0年,ニ
ク ・ブ ル ッ ク リ ン 美 術 館(前
出
4)JohnSloan(187-195)ペ
ュ ー ヨー
「新 潮 世 界 美 術 辞 典 」)
ン シ ル バ ニ ア 州 出 身,ジ
ladelphialnquirer紙
《ム ー カ
・エ イ トの 一 員 。Phi-
な どの イ ラ ス ト レ ー タ と し て 働 き な が ら ペ ン シ ル バ ニ ア 美
術 ア カ デ ミ ー に 学 ぶ 。X904年
い タ ッチ で 描 く。 代 表 作
にNewYorkに
移 り,ニ
ュ ー ヨ ー ク の 情 景 を烈 し
「ヘ イ マ ー ケ ッ ト」(1907:ブ
ル ッ ク リ ン 美 術 館)(同
上>
5)ハ
ー レ ム ・ル ネ サ ン ス の 呼 称 と 期 間 に 関 し て は 拙 論
創 価 大 学英 文 学 会
『英 語 英 文 学 研 究 第29号 』199i,12,pp.74-80
6)GuillaumeAppollenaire(1880-1918),詩
Kodrowitzky)。
れ る 。1916年
「HarlemRenaissance(1>」
人(洗
礼 名WilhelmApPollinarisde
亡 命 ポ ー ラ ン ド貴 族 の 娘 を 母 と す る 私 生 児 と し て ロ ー マ に 生 ま
に フ ラ ン ス に 帰 化,父
に つ い て は モ ナ コ の 司 教,ロ
ー マ法 王庁 の
高 僧 と の 様 々 な 憶 測 が あ る が 、 一 応 シ チ リ ア 王 国 退 役 将 校 フ ラ ン チ ェ ス コ ・フ
ル ジ0・
ダス ベ ル モ ニ と い う こ と に な っ て い る 。
モ ナ コ で 中 学 を 終 え る と,1899年
コ ブ,サ
1908コ
ル モ ン,ジ
ン ト集
母 と パ リ へ 。 ピ カ ソ,ド
ャ リ 等 の 画 家,詩
ラ ン,ル
ソ ー,ジ
ャ
人 と前 衛 運 動 に 参 加 。
「腐 っ て も魔 術 師 」(ド ラ ン の 木 版 画 入 り)
1909「 サ ド侯 爵 作 品 集 」(編 集)
1910「 異 端 教 祖 株 式 会 社 」
1913「
ア ル コー ル 」 詩 集
1918「
カ リ グラム」
第 一 次 大 戦,外
人 と して ニ ー ム の 砲 兵 隊 に 入 隊
養 中 に ス ペ イ ン 風 邪 に か か り,夫
頭 部 負 傷1918年11月
療
折 。(『 フ ラ ン ス 文 学 辞 典 』 新 庄 嘉 常,根
津 憲 三 編,S.47年)
7)BlaiseCendrars(1887-1961)詩
人 ・小 説 家(本
名FredericSauser)ラ
・シ
ョ ー ド ・フ ォ ン生 ま れ 。 世 界 各 地 に 放 浪 生 活 を 送 っ た 思 想 と 行 動 の 冒 険 家,立
体 派 の 前 衛 運 動 に 参 加 し,不
定 形 詩 に 対 す る 新 し い 領 域 を 追 究,第
一 次大 戦 で
片 手 を失 う。
1912「 ニ ュ ー ヨ ー ク の 復 活 祭 」,「 パ ナ マ ま た は7人
ン ・ヤ ッ ク の 告 白 」(小 説),「
48
の 叔 父 の 冒 険 」,「 金 」 「ダ
危 険 生 活 」 エ ッ セ ー(『 フ ラ ン ス 文 学 辞 典 』
前 出)
8)FromDuBoistoVanVechten,ChidiIo彦
α磁:TheEarlyNewNegroLiterature,
1903-1926.GreenwoodPress,Connecticut,1981,pp.4-6
9)NegroVoicesinAmericanFiction.HughM.Gloster,Russell&Russell,New
York,1965,pp.104-106.
10)Ibid,Iokonne,p.4.
11).lbid.
12)AlainLocke.(1886-1954)黒
人 比 評 家,教
BetaKappa,1吻8η
αCumRaude(1907-10)黒
ル
リ 大 学
リ ン 大 学,パ
Harvardに
に て 研 究 。1912-1916年Howard大
て 博 士 の 学 位 を 受
進 者 と し て 多 才 な 活 動
ン ス の 役 割
し て ベ
学 助 教 授,1916年
く 。1918-1953Howard大
学 の 哲 学 教 授
編 集
く の 若 い 黒 人 芸 術 家
ネ サ
学,1907年Phi
人 最 初 のRhodesScholarと
1925SurveyGraphic,TheNewNegroを
多
育 者 。Howard大
を サ ポ ー
トす る と共 に ハ ー レ ム
を す る 。 そ の 他 数 々 の 活 動 多
・ル ネ サ ン ス の 理 論 的 推
し 。 ロ ッ ク の ハ ー レ ム
に つ い て は 拙 論"HarlemRenaissance(2)",前
出
・ル
『英 語 英 文 学 』
第30号,PP.86-92、
13)WalterWhite(1893-1955)ア
卒,1918年
ト ラ ン タ に 生
∼1931年,ジ
ェ ー ム ス
のassistantsecretaryと
動 の 調 査
の 他,著
し て 働
ま れ る 。1916年
・ウ ェ ル ダ ン ・ジ
く 。N.A,A,C.P.の41の
を し た こ と で 有 名 。 小 説
ョ ン ス
ト ラ ン タ 大 学
ン の 下N.A.A,C.P.
リ ン チ と8つ
の 人 種 暴
・FireintheFlint(1924),Flight(1926).そ
書RopeandFaggot(192g)AKissingWind(1945)etc.
14)CharlesS.Johnson(1893-1956)VirginiaのBristol生
versityofChicagoか
りLitt.D.社
ま れ 。1928年theUni・
らLittD.とPh,D.の
会 学 者
は ヨ ー マ
ESCOの
ア
ン 的 役 割
メ ン バ ー 等
と し てFisk大
学 位
を 受
学 の 学 長 を 務 め る 。 ハ ー
と し て 活 躍
レ ン
NewYork,Antheum版
・ル ネ サ
学
よ
ン ス で
メ ン バ ー,UN-
し た 。
・ ロ ッ ク 編 。1924年11月
を 使 用 。7'heNewNegroに
出)参
レ ム
を 果 た す 。 そ の 他WhiteH。useConferenceの
15)TheNewNegro:ア
ance(2)」(前
く 。1948年Columbia大
照 。
16)Op.cit.,Iokonne,p.fi.
17)TheHarlem1∼enaissance:AHistoricalDictionary/bγtheEyaed.BruceKellner,
GreenwoodPress,Connecticut,1984,pp.24-25.
18}Op.cit.,AlainLockepp.19-25.
19)Ibid.,pp.254-267.
20}Ibid.,pp.47-53.
49
出 版,拙
つ い て 拙 論
論 で は,1975年
「HarlemRenaiss-
の
21)、bid.,ppユ99-213.
22)PaulLaurenceDunbar(1872--1906)
ア メ リ カ で 最 初 に 国 民 的 に 評 価 さ れ た 黒 人 詩 人 。 詩 集IVIajorsandMinars1895.
LyYicsofaLawlyLife1896etc.ダ
ン パ ー の 小 説 に つ い て は 拙 論"PaulLaurence
Dunbar:HisSpiritualLocus"創
価 大 学,『
一 般 教 育 部 論 集 』 第8巻,1984年
pp.11-29.
23)BookerT.Washington(1856-1915}
バ ー ジ ニ ア で 奴 隷 の 子 と し て 生 ま れ る 。1881年TuskegeeInstituteを
地 位 向 上 の た め,産
設立 。 黒 人
業 社 会 で 勤 勉 に 努 力 す る こ と に よ り,経
済 的 富 に よ り地 位
向 上 を計 る 。 白 人 と の 協 調 す る穏 健 主 義 に よ り国 民 的 支 持 を得 て リ ー ダ ー と な
っ た 。 そ の 思 想 は1895年
24)PhillisWheatley(1753一
の ア ト ラ ン タ 演 説 に よ り有 名 。
ユ794)
詩 人 。 セ ネ ガ ル に 生 ま れ,ア
メ リ カ に連 れ て こ られ る 。 ホ イ ッ トリ ー は 親 切 な
主 人 の 下 で 教 育 を 受 け た 。1770年APoembyPhillis:ANegroGirlontheDeath
ofReverendGeorgeWhitefieldJ.794年,LibertyandPeace.ア
メ リ カ黒 人 文 学 の歴
史 的 役 割 を 果 た し重 要 な 人 。
25)SojournerTruth(1797-..)本
説 教 師,奴
名IsabellaBaumfree,
隷 解 放 の た め に 戦 う 。 ニ ュ ー ヨ ー ク 生 ま れ,神
"thetruth"を
人 々 に伝 え る た め
の を 助 け た り,黒
,SojournerTruthと
か ら授 か っ た と し て
改 名 。 黒 人 が 北 部 に逃 げ る
人 の よ りよ い教 育 の 機 会 を求 め て そ れ を説 い て旅 を した。
1875年Narrative。
26}FredericA..Douglass{1817-1895)
Maryland生
れ,21才
の 時 逃 亡 奴 隷 と し て ニ ュ0ベ
読 み 書 き を 習 う 。1841年
験 を 語 る 。1845年
ッ ド フ ォ ー ドに 行 く 。 そ こ で
か ら 色 々 な 奴 隷 反 対 の 集 会 に 参 加 し,奴
自 叙 伝NarrativeoftheLifeandT伽
隷 と しての体
召so∫F惚4痂o々Dα4gJα
出 版 。 後 に 黒 人 最 初 の 新 聞TheNorthStar(後
にDouglass'Paper)を
∬ を
発 刊 。 奴 隷
解 放 の た め に 戦 う 。 奴 隷 解 放 後 は 自 由 と教 育 の た め 生 命 を 捧 げ る 。
27)WilliamEdwardBurghardtDuBois{1869-」.963)
マ サ チ ュ ー セ ッ ッ に 生 ま れ る 。 教 育 者,著
学 者,詩
人,指
述 家,作
家,歴
会 学 者,哲
導 者 と多 彩 な 才 能 を持 つ 黒 い 巨 人 と呼 ば れ て い る 。 詳 し くは拙
論"TheEveoftheHarlemRenaissance:W.E.B.DuBois(ユX2)",創
学 会
史 家,社
『英 語 英 文 学 』 第18号,19号
価 大 学 英文
。
28}JosephSeamonCotter(186-1949}
教 育 者,詩
花
人,作
家 。Cotterは8才
・ タ バ コ 畑 の 労 働 者,レ
の 時,入
ン ガ 作 り,酒
50
学 を 拒 否 さ れ る 。 く ず 拾 い,綿
作 り,連
畜 御 者,賞
金 嫁 ぎ の ボ ク サ ー,
白 人 の 教 育 者W.T.Peytonの
Crisisに
掲 載
お か げ で 夜 学 に 通
さ れ,1927年
に は,Opportunity誌
う 。 最 初 の 詩 が1918年
のThe
で"TragedyofPete"で
賞
を 受
書
く。
く 。NegroTales(1912),Life'sDawnandDusk(1913)CollectedPoems(1938)
Etc.
29)AngelinaWeldGrimke(1880-1958}
詩 人,劇
作 家,小
Schoolを
説 家,混
血 の 奴 隷
卒 業,DunbarHighSchoolの
と し て 生
教 師
ま れ る 。1902年BostonNormal
と な る 。1916年,劇Rachelを
30)WilliamStanleyBraithwaite(1878-1962}
批 評 家,詩
人,教
師 。DuBoisとLockeの
roinAmericanLiterature"を
書
集 。1934-1945Atlanta大
友
と し てTheNewNegroに"TheNeg-
く 。1913-1923AnthologyofMagazineVerseを
学 のcreativeliteratureの
編
教 授 。
31)HarryThackerBurleigh{1866-1949)
歌 手,作
曲 家,ペ
ン シ ル バ ニ ア 生
ま れ 。 音 楽 の 正 式 の 教 育 は 受 け な か っ た が,
1892年TheNationalC。nservatoryofMusicinN.Y.の
ュ ー
ヨ ー ク のSt,George'sEpiscopalChurchの
れ る 。1900年
90曲
奨 学 金
∼1924年
バ
リ ト ン の
を 受
く 。1894年
ソ ロ リ ス
トに 指 名
ま で,theChoirofTempleEmanu-ElinN.Y.に
以 上 のballadsandartsongを
作
曲,ソ
リ チ ュ ア ル を 編 曲,1917年SpingarnMedalを
ニ
さ
加 わ る 。
ロ と ピ ア ノ 曲 の た め に 約50曲
の ス ピ
受 賞 。1929年OldSongsHymnalを
出 版 。
32)JamesWeldonJohnson(1871-1938)とR。samondJohnson(1873-1954)の
弟 。 兄Jamesは
詩
(1905-08),ニ
カ
人,著
ラ
述 家,市
グ
ア
大
民 運 動
兄
リ ー ダ ー,大
使 。 ベ
ネ ズ エ
使(1909-1912),SecretaryoftheNAACP
(1920-1930).TheAutobiographyofan-Ex-ColouredMan(1912.1927小
FiftyyearsandOther、Poemsx.917詩
弟R。samond作
兄Jamesと
"Th
曲 家,歌
説)
集,etc.
手 。TheBaokofAmericanNegroSpirituals編
共 に:)JamesWeldonJohnsonの
小 説
集(1925,
並 び に,経
歴 に つ い て は 拙 論
eEve。ftheHarlemRenaissance:JamesWeldonJohnson(1×2)",創
文 学 会
ラ 大 使
価 大 学 英
『英 語 英 文 学 』 第21号,第22号,1987年,1988年
。
33)ClaudeMcKay(1891-194H)
詩 人,小
説 家 。 ジ ャ マ イ カ 生 ま れ 。1912年,ア
メ リ カ へ 。 ル ネ サ ン ス の 重 要 な
作 家 詩 人 の 一 人 。
HarlemShadow(1922,詩
詩 集),HrnnetoHarlem(1928,小
集),SpringinNewHampshireandOtherPoems(1920,
説),BananaBottrnn(1923,小
説)etc.
34)NathanielDett(1882-一].943}
作 曲 家,指
揮 者 。1908年OberlinConservatoryofMusic卒
51
。 そ の 後
コ ロ ン ビ ア
大 学,ペ
ン シ ル バ ニ ア 大 学,シ
コ ゴ のAmericanConservatoryofMusicで
LaneCollegeで
教 鞭(1908-1911)HamtonInstituteで
(1913-1931)有
名 なHamptonInstituteChoirを
学 ぶ 。
音 楽 の デ ィ レ ク タ ー
作 る 。ReligiousFolksongsofthe
Negro(1927),TheDettCollectionofNegroSpirituals(1936}etc.
35}RolandHayes(1887-1976}
歌 手 。 ジ ョ ー ジ ア 生 ま れ,12才
の 時 父 死 亡,そ
ブ イ ス ク 大 学 に 入 学 。FiskJubileeSingersに
の た め 昼 間 働 き,夜
Boston'sSymphonyHa11で
学 に通 う。
加 わ る 。1917年,黒
人 で 初 め て
リ サ イ タ ル 。1923年NewYorkのT。wnHallで
ソ
ロ ・ リ サ イ タ ル 丁 注 目 を 受 く。
36}HenryQssawaTanner{1859-1937}
画 家 。 ペ ン シ ル バ ニ ア 生 ま れ 。PennsylvaniaAcademyofFineArtsのThomas
Eakinsの
下 で 学 ぶ 。1891年,パ
licLibraryで
展 覧 会,1922年,ワ
リ か ら ア メ リ カ に 帰 国 。1921年NewYorkPubシ ン ト ン で 展 覧 会,ハ
ー レ ム ・ル ネ サ ン ス の
若 い 黒 人 画 家 に 強 い 影 響 を与 え る 。
37)WilliamEdouardScott(1884-1964)
画 家,特
に 肖 像 画 家 。ChicagoArtInstituteに
学 ぶ 。1904年
Tannerの
下 で 学 ぶ 。1927年HarmonFoundationGoldMedalを
一1908年,パ
リで
受 賞。
38)EdwinA.Harleston(1882-1931}
画 家 。 南 キ ャ ロ ラ イ ナ 生 ま れ 。 有 名 な 作 品TheOldServant(1928)。
39)不
明 。
40}WilliamMcKnightFarrow(1885-?)
Artist。ChicagoArtInstituteで
学 ぶ 。1923年Dunbarの
肖 像 画 を 描 く 。1926年
エ ジ プ ト ・ コ レ ク シ ョ ン の 管 理 者 と な る 。HarmonFoundationに
し ば 展 示 さ れ る 。PathephonographsとKimballpianosの
、
て 作 品 が しば
ポ ス タ ー ・デ ザ イ ン で
有 名 とな る。
41)MetaVauxWarrickFuller(1877-1958)
彫 刻 家 。 彼 女 は フ ィ ラ デ ル フ ィ ア 生 ま れ 。PennsylvaniaMuseumofFineArts
で 学 び,1899年
パ リ へ 。 ロ ダ ン の 下 で 二 年 間 学 ぶ 。1907年150人
彫 刻 をJamesTercentennialExpositionよ
の 作 品 焼 失 。 そ の 後,子
品(ニ
ュ ー ヨ0ク)の
り 依 頼 を 受 く 。1910年
育 に 専 心 。X913年DuBoisよ
依 頼 を 受 け 活 動 再 会 。30年
の黒 人 の人物 の
火 事 に よ り全 て
り 奴 隷 解 放50周
代,40年
代 にBostonで
年 記 念 作
有 名 と
な る。
42)MayHowardJackson{1887-1931)
彫 刻 家 。 フ ィ ラ デ ル フ ィ ア 生 ま れ 。PennsylvaniaAcademyofFineArtsで
WashingtonD.C.にartstudioを
開 く と 共 にHoward大
52
学 ぶ 。
学 に て 彫 刻 を教 え る 。
1913年,N,Y.EmancipationExpositionに
出 品 。CorcoranGalleryに
1928年HarmonFoundationBronzeAwardを
て1915。
受 賞 。
43)ArchibaldMotleyJr.
(1891-?)artist.1923年,1928年"MendingSocks""OldSnuffTaker"に
monFoundationGoldMedalを
てHar-
受 賞 。MotleyはNewYorkで
ワ ン
を し た 最 初 の 黒 人 。1929年Guggenheimscholarshipを
44)不
受
・マ ン
・シ ョ ー
く 。
明 。
45)AlbertSmith(1896-1940)
画 家 。 ニ ュ ー ヨ ー ク 生 ま れ 。1917年
奨 学 金
を 受
く 。1919年
∼20年
ま で,NationalAcademyofDesignの
に のHenryO,TannerGoldMedalとChalonerPrizeを
賞 。1929年HarmonF。undationBronzeMedalを
46)不
明 。
47)不
明 。
48)不
明 。
受
受
く。
49)AaronDouglas(1898-1979)
DouglasはHarlemRenaissanceのartistの
れ る 。WinoldReissの
第 一 人 者 で あ る 。 キ ャ ン ザ ス に 生
下 に 絵 画
を 学 ぶ 。1927年
ParisでDespiau,Waroquer,OthonFriegeの
に てM.A.degreeを
受
。ResenwaldFellowshipを
下 で 学 ぶ 。1938年,コ
ま
受 け,
ロ ン ビ ア 大
く 。HarmonExbihits,1928,1935,CollegeArt1935etc.
50}CharlesWaddellChesnutt(1581-932)
作 家,弁
護 士,オ
ハ イ オ 生 ま れ 。 詳 細 は 拙 論"CharlesWaddelChesnutt=ARa・
cialOptimist(ユ),(2),(3)",創
価 大 学
『一 般 教 育 部 論 集 』No.9,『
英 語 英 文 学 』
No.16,17.
51)不
明 。
52)不
明 。
53}AnneSpencerO882-1976}
詩 人 。1925年TheNewNegr・
か ら1943年
に 初 め て 詩 が 掲 載 さ れ る 。AnneSpencerは1900年
ま でDunbarHighSchoolの
ラ イ ブ ラ リ ア ン 。
54}GeorgiaDouglasJohnson(1886-1966}
詩 人,劇
れ40年
作 家,教
間 黒 人 の 作 家 が 集
toryofMusicで
(1922,詩
師 。 彼 女 のWashingonD.C.の
う 場 で あ っ た 。 ア
学 ぶ 。TheHeartofaWrnnan(1918,詩
集)etc.
55)MetaWarrickFuller(前
出)の
こ と 。
56)CharlesGilpin(1898-1934)
53
家 は"HalfwayHouse"と
ト ラ ン タ 大 学 卒 。OberlinConserva集)Ai11'ofVerse
呼 ば
Actor。
リ ッ チ モ
ン ド 生 ま れ 。1890年,ボ
ー
EugeneO'NeillのTheEmperorJanesの
caln1919年
ド ヴ ィ ル の グ ル0プ
演 技 で 有 名
と 旅 を 始 め る 。
と な る 。 そ の 他
茄
励
佛L惚
に 出 演 。
57}PaulRobeson(1898--1976)
ニ ュ ー ジ ャ ー ジ 生 ま れ 。Actor
,singer.Voodoo.(1922年)に
G・d'sChillunGotWings,1922年EmperorJanes.1926年
初 出 演 。1923年All
一28年ConcertT。urs.etc,
58}CariRossiniDiton(1886-1962)
ピ ア ニ ス
ト,作
曲 家,教
育 者 。1909年,ペ
だ 後,Concertpianist,accompanistと
ン シ ル ベ ニ ア 大 学 卒 。
し て 仕 事
を 始 め る 。1911年
ドイ ッ で 学 ん
一
一一1918年Pain
College(Georgia),WileyCollege(Texas),TalladegaCollege(Alabama)でmusic
directorと
し て 活 躍 。 そ の 後,フ
作 曲Fo"γ
鞭
伽
ィ ラ デ ル フ ィ ア の 自 分 の ス タ デ ィ オ で 教
α∫s(1914),TheHymnofNebraska(オ
ラ
え る 。
ト リ オ,1921)
59}WilliamGrantStill(1895-1978}
ミ シ シ
ッ ピ ー 州 生
ま れ,ア
メ カ 黒 人 の 作 曲 家
と し て 最
も 多 作 な 者 の 一 人 。the
OberlinConservatoryofMusic(Ohio)とTheNewEnglandConservatoryof
Musicで
学 ぶ 。 多
数 の 賞
を 受 賞 。GuggenheimScholarship,RosenwaldFellow-
shipetc.
Songs:"BreathofaRose"."Leveeland"etc.
Opera:TroubledIsland,RunningWild,etc.
60}JessieRedmonFauset.{1882-1961}
作 家,編
集 者 。 ニ ュ ー ジ ャ ー ジ 生
ま れ 。AfricanMethodistEpiscopalの
娘 。1905年CornellでPhiBetaKoppaを
Schoolで
ラ テ ン 語
集 。1920年
と フ ラ ン ス 語
一21年,児
.」、説ThereisCon
得 て 卒 業 。1906年
を 教 え る 。1919年
牧 師 の
一1919年Dunbar且igh
一1926年,丁
加CriSiSの
文 学 編
童 雑 誌 の 編 集 。
.ノusian(1925),PlumBun(1925),
ChinaberryTreeX1931}etc.
61)WillisRichardson{1889-1977)
劇 作 家 。 北 キ ャ ロ ラ イ ナ 州 生 ま れ 。HarlemRenaissanceの
Richardsonは
ブ ロ ー
Woman'sSalomeが
ド ウ ェ イ で 上 演
ブ ロ ー
重 要 な 劇 作 家 の 一 人 。
さ れ た 黒 人 最 初 の 劇 作 家,1923年Chip
ド ウ ェ イ で 上 演 。
1924Mortgaged,1925Co〃zμ
伽`36etc.
1966年BrokenBanjoでThe(.・,rzsisの
ドラ マ の 部 で 一 位 入 賞 。
62}JeanToomerX1894-1967}
ハ ー レ ム
・ル ネ サ
ン ス で 最
も期 待
さ れ た 作 家 で あ っ た が,途
と を 拒 否 。
54
中 で 黒 人 で あ る こ
Cane,1923.
63)EricWalrond{1898-1966)
BritishGuiana生
ま れ 。1918年Harlemへ
。 コ ロ ン ビ ア とN.Y.の
ッ ヂ で 学 ぶ 。1923年TheNewWarldのAssociateEditorと
1926,短
編 小 説 集
丁γo飲D6α
シ テ ィ
・ カ レ
な る 。
翫
64)RudolphFisher(1895-1934)
ワ シ ン
ト ンD.c生
ま れ 。Brown大
ン ビ ア 大 学 に てbiologyを
グ ル ー プ を 導 い た が 若
学,HowardMedicalSchoo1を
研 究 。 ハ ー レ ム
く し て こ の 世
・ル ネ サ
卒 業 。
ン ス 期,若
い 作 家,詩
コ ロ
人 の
を 去 る 。
小 説TheWallsofJericho(1928)TheConjureManDiesX932
そ の 他 短 編 小 説 有 。
65}LangstonHughes(1902--1967}
詩 人,小
説 家,劇
作 家 等,多
才 で あ っ た 。
ミ ズ
リ ー 生 ま れ 。 ハ ー レ ム の 桂 冠 詩
人 と 呼 ば れ た 。
詩 集TheWearyBlues(1926),FineClothestotheJew(1927)etc.
刀 、説NotWithoutLaughter(1930)
劇FivePlays(1963)
賞 多
し,1947年AmericanAcademyofArtsandLettersGrantに
HughesとVanVechtenの
関 係
選 ば れ た 。
に つ い て は 拙 書CaylVanVechten:TheManand
HisRoleintheHarlemRenaissance,193,Seibido.
66)CounteeCullen(1903-1946)
詩 人,小
説 家,ニ
Opportunity誌
一 入
ュ ー ヨ ー ク 生 ま れ 。NewYork大
のAssistantEditorに
学 卒,Harverd大
学 卒 。
な る 。 ハ ー レ ム ・ル ネ サ ン ス の 中 心 人 物 の
。
小 説OneWaytoHeaven(1932)
詩 集Color(ユ925),CopperSun(1927),TheBalledofthe.B"㎜
HarmonGoldAward等
α γ3(1927)etc.
を受 賞 。
67)H.E.Krehbril.
1914Afro-AmericanFo漉s伽ga
こ の 中 に はBurleighの
68)Oratorio聖
を い う が,ヘ
曲 が 多 く含 ま れ て い る 。
謳 曲 。 独 唱,合
唱,管
弦 楽 を用 い た 大 規 模 な宗 教 的 劇 音 楽 の 形 式
ン デ ル 以 後 世 俗 的 オ ラ ト リ オ も 出 現,詳
し くは
「現 代 世 界 百 科 事
典 」 講 談 社No.1,p.414.
69)CarlVanVechten(1880-1964)
音 楽 評 論 家,作
家,写
真 家 。HarlemRenaissance期
55
間 多 く の 若 い 作 家 と交 わ り
援 助 す る 。 詳 し く は 拙 書(前
70)GwendolynBennett画
出)CaylVanVechten.
家,詩
人,作
チ ャ ー ズ ・ カ レ ッ ヂ でfineartsを
家,テ
キ サ ス 生 ま れ。 コ ロ ン ビア の テ ィ
学 ぶ 。 そ の 後BrooklynのPrattInstituteで
学
ぶ 。 詩 や 短 編 小 説 をAmericanMercury,()ppoytunity,The(漉s誌,TheMessenger,
Fireに
投 稿 。 後 に4ppartunityのassistantedior。1937年
一40年Howard大
学 に て
水 彩 画 と デ ザ イ ン を教 え る 。
71)GreatFrenchPaintingsfromtheBarnesFoundation,高
橋 明 也 編,1994年,読
売
新 聞 社p.24
72)弟ArthurA,Spingarn,兄JoelEliasSpingarn,弟(1878-1971),兄
(1875-1939),オ
Arthurは
ー ス ト ラ リ ア 系 ユ ダ ヤ 人 と し て ニ ュ ー ヨ ー ク に 生 ま れ る。
コ ロ ン ビ ア 大 学 卒 で,弁
兄 シ テ ィ ・ カ レ ッ ヂ,ハ
護 士,1911年
ー バ ー ド 大 学,1889年ph.D取
よ りN.A.A.C.P.の
得 。 コロ ン ビア大 学 教
授 。 弟 の ア ー サ ー 共 に 人 種 平 等 運 動 に 深 く 係 る 。1914年SpinganMedalを
詳 し く は 拙 論 「HarlemRenaissance(3)」
創 価 大 学 英 文 学 会
pp.45-47.
※Noteに
お け る そ の 他 の 参 考 文 献TheHarlemRenaissance(Kellner編),TheNegr・
Almanac(HanyA.Ploskied,TheBellwethercompany1971)CarlVanVechten(拙
書),HarlemRenaissance:ArtofBlackAmerica(TheStudioMuseuminHarlem,
1987).TwoClnturiesofBlackAmericanArt(AlfredA.Knopf,1976).
56
副 会 長,
設 立 。
『英 語 英 文 学 』1993,
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