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J・ ロックの経済思想

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J・ ロックの経済思想
108 社学研論集 V。l. 10 2007年9月
論 文
∫.
ロックの経済思想に関する消費論的考察
鈴 木 康 治*
意をもっている。 とりわけ,貨幣保有という諸
1. はじめに
個人の行為の条件設定に関するロックの考察
J. ロックは,その主要な諸著作を通して,つ
は,消費者概念の形成にとって,そのひとつの
ねに貨幣の保有および使用について言及してい
立論的基盤を提供してくれるものである。
る。例えば,利子論争や貨幣改鋳論争に関する
クの思想は,消費者という社会的役割の表裏と
諸論考では,貨幣の本質や社会的機能などの言
して付随する諸個人のふたつの行為類型であ
説が支配的であり,市場経済メカニズムと貨幣
る,貨幣使用者すなわち購買者としての側面
との関連性が論じられている。
また,『統治論』
と,貨幣保有者としての側面のうち,後者の概
の中では,人類の文明史的な観点から,貨幣制
念化に資するところが大きい。
度の発生理由や生成過程,さらには社会枠組み
らずもその貨幣論的な社会分析により,貨幣保
に及ぼしたその画期的な社会変動因としての側
有者としての消費者の側面をも明確に描き出し
面などへの論述が見られる。
そこからは,貨幣
ていたともいえる。
ロックは,はか
一般に,消費者といえば,
が人々の社会生活に与える影響に対して,ロッ
購買者として,もっぱらその貨幣使用との関連
クが一貫した関心をもち続けていたこと,およ
において注目され,概念化されることが多いの
び,貨幣関連的な社会事象の考察の重要性を認
であるが,そうした中にあって,ロックの貨幣
識していたことが窺える。
ロックにとって貨幣
ロッ
論的な行論は,貨幣保有という行為類型にまつ
とは,社会分析のためのひとつの鍵概念であっ
わる諸個人の消費行為の諸側面,さらにはその
た。平井は,「ロックの経済社会分析は,貨幣
社会構成上の作用に至るまで,消費と貨幣との
から出発して-日日また,結局は貨幣に帰って
関係についてのともすれば見落とされがちな諸
くる」(平井,1964:172)として,ロックの社
点を考える上で,きわめて独自的かつ示唆的な
会理論における貨幣的論理の貰通性を指摘して
消費者像を提供する,ひとつの消費論としての
いる。
再読が可能である。
社会における貨幣の重要性を認めるこうした
本稿の主題は,ロックの思想体系のうちに,
ロックの思想は,消費論の観点からの重要な含
消費論としての含意を見出すことである。
*早稲田大学大学院社会科学研究科 2005年博士後期課程退学(指導教員 東催隆進)
とり
J.
ロックの経済思想に関する消費論的考察 109
わけ,ロック思想における最大の消費論的合意
の活性化に占める貨幣の機能という視点に終始
が,この消費と貨幣との関係性を,とくにその
しており,そこには,経済的事象を諸個人の社
貨幣保有という焦点において定式化し,諸個人
会的行為の相互作用的帰結として捉える視点は
の社会的行為論として展開することに成功して
確立されていなかった。 諸個人の行為動機を前
いたことにあるということの論証を目的として
提に,そこから経済活動,とりわけ消費行為と
いる。この点において,本稿の試みとは,ロッ
の関係で貨幣を捉えていくという議論は17世紀
ク社会思想の消費論的な再読の可能性を探る作
末を待たなければならなかった。
業であるともいえる。 そして,貨幣をめぐるこ
紀末に消費行為を貨幣との関係で捉えた論者こ
うした消費論との接点が,ロック思想の検討か
そ,ロックその人であった(2)
ら確かにそこに見出せるとするならば,ロック
その後,消費と貨幣との関係性についての問
は,17-18世紀イギリス経済思想の消費論的系
題は,18世紀に入ってから,例えば,Gノヤーク
譜にあって,消費者概念の形成に大きく寄与す
リやJ・ヴァンダーリント,∫. ステユアートなどの
るものであったとの評価が可能となろう。
注目するところとなり,その中から,より精赦
市場を前提とした経済活動と貨幣との関係に
な議論が展開されていく。 とくに,ステユアー
対する考察は,17-18世紀の,いわゆる重商主
トは,諸個人の経済諸行為が,貨幣の稼得と使
義期とされる期間を通じて見出される。
社会全
そして,17世
用との繰り返しの中で運行していくことを示し,
体の経済的運行における貨幣の必要性や重要性
貨幣をめぐる諸個人の行為動機,あるいはその
に対する議論は,すでに,TマンやE.
帰結としての社会的メカニズムをその社会理論
ミセル
デンなどが活躍した17世紀前半までには,貿易
の中核に据えることで,社会事象に対する解釈
差額の順バランス論として形成され,経済政策
枠組みとして,ひとつの体系性を確立したとい
議論の共通枠組みとして盛んに論じられてい
ここにおいて,消費と貨幣との問題は,
える。
く。
重商主義期に顕著な,この貿易差額の順バ
消費者という社会的役割の概念化の下に,貨幣
ランスに対する議論は,L.
使用者と貨幣保有者というふたつの行為類型が
マグナッソンが「ミ
グス王的謬論」(Magnusson,1994:16)と述べ
統合的に把握されることとなり,この意味で消
たような,金銀貨幣-富と考える,それこそ重
費者概念は一応の確立を見ることとなる。
商主義的な富観の典型として旧来的に論断され
した貨幣と消費とを結びつける議論の方向性は,
てきた短絡的な俗説などではなく,正しくは,
18世紀の消費論の中心的な論点であった,いわ
交易を押し進める必要要件としての流通貨幣の
ゆる著修論争とは違う消費論的展開を示すもの
確保としての政策的帰結であった点を考慮する
であり,ある意味ではそれを乗り越える面も有
とき,そこにはすでに,のちに消費と貨幣との
していた。いまこうしたステユアートなどの学
問係を考えるための問題性が伏在していたとも
説を貨幣的消費論と呼ぶとすれば,消費と貨幣
いえる(1)
とを結びつけて議論するロックの消費論を,こ
ただし,そうした17世紀の議論は,一国の交
易という,あくまで社会全体としての経済活動
こう
うした貨幣的消費論の展開への道筋を示す先駆
的な学説として捉え直すことも可能となろう。
110
ちに人間がその共有物からできるだけ多くの生
2. 欲望と貨幣保有
活の便宜を得られるようにとの意図において与
ロックは,人類の文明史における貨幣の社会
えたのであって,いつまでも手つかずのまま,
的機能を重要視する。
人間は,貨幣という考
たんなる共有物として保持するようにとの考
案物をもつことにより,その社会生活を変革
えからではない(Locke,[1690b]1698-1997:
し,他者との社会的関係性をも不可逆的に変え
180)cそれゆえに,「神は世界を共有物として
ていくこととなる経緯が,『統治論』第2篇は
人類に与えたのだが,それと同時に,世界を生
「所有権について」の章の中で詳述されている
活と便宜のために最もよく利用するための理性
(Locke,[1690b]1698-1997:175-191)<諸個
大地とそこにあるすべてのもの
をも与えた。
人が,貨幣の使用に同意することで,所有の格
は,人間の生存を維持し快適にするために,人
差が生まれ,土地の改良や技芸の進歩など,社
類に与えられた」(Locke,[1690b]1698-1997:
会の発展に寄与する諸要因もまたそこから生じ
ただし,神は,
175)のであるとロックはいう。
貨幣とは,素材としては「持っ
ることとなる。
この世界の事物を,「勤勉で理性的な人々の役
ていても傷んだり腐敗しない金属であって他の
に立たせるため」(Locke,[1690b]1698-1997:
人の権利を侵害することなく貯蔵しうる金や
だからこそ,ロックによれば,
180)に与えた。
銀」(Locke,[1690b]1698-1997:190)にすぎ
人々の労働というものが,共有物を私有化して
ないものが,諸個人の同意にのみ基づき一般的
利用するための,諸個人に備わった人間として
交換手段として通用している,ひとつの制度で
の生得の榛原といえるのである。
貨幣使用というこの制度運用に対する諸
ある。
このように,勤勉で理性的な諸個人のために
個人の間の同意が,人々の勤勉を促進すること
神が与えた世界という共有物ではあるが,諸個
で,結果としては社会のさらなる発展をもたら
人はどのような目的をもってそれを利用するの
すこととなる。
この意味において,貨幣は,諸
別言するならば,諸個人は,その
であろうか。
個人の潜在的な諸々の行為動機を勤勉というか
勤勉の源泉と理性の用途とをどこから引き出す
それはまた,ロック
たちで解放したのである。
これらの問いについて,人間は
のであろうか。
にとって,諸個人の欲望の解放と同義であっ
"落ちつかなぎ'という精神的な欠落感を認識
た。
することであらゆる行為動機が生じてくる,と
ロックによれば,人間が現世的な生を営む上
するのがロックの答えである。
ロックは,「人
で関わるすべての事物,すなわち現世としての
間の勤勉と行動の,たとえ唯一でないにせよ,
この世界に属する事物のすべては,人間を除く
主要な拍車は落ちつかなさである」(Locke,
その他の生命をも含むかたちで,神が人間にそ
[1690a]1965-1972:121(二))と述べる。こ
の管理を任せ,若干の基本的諸制約の下に,自
の落ちつかなさという欠落感の埋合わせのため
由にその利用を認められた自然資源である(3)
の手段として,諸個人は,神からの共有物を利
最初,たしかに神は,それらを人間たちの共有
しかし,それはあくまで,の
物として与えた。
そもそも,ロックが
用しようとするのである。
前提する人間像とは,その本性的な根源とし
J.
ロックの経済思想に関する消費論的考察 1ll
て,幸福をつねに追求し,それとは反対に,つ
ばれているとおりに欲望と呼ばれてよい。
ねに不幸を回避しようとする行動性向をもつも
とは,ある現にない善の欠けているための心の
のである。ロックは「かく考える」というタイ
落ちつかなさである」(Locke,[1690a]1965=
トルをもつ手稿において,それについて,「人
1972:159(二))と,それを明確に述べている。
間の本分とは,幸福を希求し,不幸を避けるこ
この精神的な欠落感である欲望をもった諸個
とである」(Locke,[1884]1972:306)と簡潔
人が,あらゆる善を求めて,勤勉にかつ理性
に書いている。また,『人間知性論』において
的に,神からの共有物を利用する主体である。
も,このように述べる(4)
しかも,その欲望には際限がない。
人間には幸福の欲望と不幸の嫌悪とが自然に具
欲望
なぜなら,
ロックによれば,諸個人がその落ちつかなさの
わっている。 これらはまさに生得の実践的原理で,
すべてを種々の善によって埋合わせ,欲望を充
(実践的原理では当然なように)絶えず止むことな
足させた状態で安らいでいられることは,ほと
く私たちのいっさいの行動に作用し続け,影響し
んどないからである。 むしろ,「自然の欲求あ
続ける。 この原理はあらゆる人とあらゆる時代に
ゆるぎなく普遍的に観察されよう(Locke,[1690a]
るいは獲得された習性が積み重ねてしまった蓄
積からの,絶えまない落ちつきのなさの継起が
1965-1972:72(-))0
意志を順々に捕えて,こうした意思決定によっ
ここでロックのいう幸福とは,当該個人の
て始められた一つの行動を片づけるやいなや,
「精神を喜ばせ,満足させるものごと」(Locke,
別の落ちつかなさが即座に私たちを働かせる」
[1884]1972:306)の内にある。
(Locke,[1690a]1965-1972:177(二))こと
反対に,不幸
とは,精神を混乱させ,苛めるものごとの中に
のほうが,人間にとっては通常であるとロック
ある。したがって,諸個人が精神的な欠落感を
は見る。
埋合わせる目的で神からの共有物を利用する際
それゆえ,この欲望の無限性を前提とすれ
には,快苦をその取捨の基準として行為選択を
ば,もともとは人々の消費生活における,真に
行なうこととなる。 欠落感を埋合わせる手段と
その物質的費消性にのみ基づいていたモノの有
してこの世界のものごととの関わりを考えるな
用性という価値体系が変更され,「小さな黄色
らば,「事物はただ快苦との関連でだけ善また
の金属片」(Locke,[1690b]1698-1997:182)
は悪なのである」(Locke,[1690a]1965-1972:
が,諸物の中で大きな価値を有するという一般
118(二))とロックはいう。
こうした点には,
的合意が成立するというロックの立論は,人
ロック思想における功利主義的な側面が強く窺
類の文明史おいて,なかぼその必然的な帰結
tarn
として導出される論理性であったともいえよ
この精神的な欠落感である落ちつかなさであ
ロックが『統治論』の中で,「人間が自ら
う。
るが,ロックにとって,それは欲望の別称であ
の必要とするもの以上に持ちたいという欲望」
行為動機としての落ちつかなさが,ある
る。
(Locke,[1690b]1698-1997:182)として表現
行動への意志を決定すると論ずる文脈におい
した諸個人の行為動機である落ちつかなさ,そ
て,ロックは,「この落ちつかなさは,実際呼
れは,人間である以上(ロックが想定する人間
112
性という意味において),行為主体である諸個
いうことである。
したがって,金属貨幣それ自
人が不可避に抱え続けて生きていかなければな
体がその物質的費消性のために消費対象となる
それに対して,人々
らないものだからである。
それでも,貨幣は,市場交換の場
ことはない。
は共通の同意のもとに,貨幣保有というかたち
しか
において,その通用性ゆえに商品となる。
で,その欲望の無限性を制度的に担保したので
もそれは,「貨幣は決して人々の手中で遊んで
貨幣の考案,それに続く人々の貨幣保
ある。
いたり,販路に欠けていたりすることはない」
有・蓄積という出来事が,ロックの推論的な文
(Locke,1692-1978:68-69)という特殊な商品
明史の中で,重要な位置づけを与えられている
である(6)ロックは,「貨幣は万能であるがゆ
理由は,それが,ロックの想定する人間性に根
えに,誰もが際限なく喜んで貨幣を受け取り,
差した諸個人の社会的関係性からの論理的帰結
それゆえ貨幣の販路は
手元におこうとする。
を示す事象として重要なものであったからであ
常に十分であるか,あるいは十分以上である」
る(5)ロックにとって,貨幣保有という社会的
(Locke,1692-1978:69)と述べている。
行為は,諸個人がその欲望を解放した事象的な
証なのである。
市場における貨幣の高い通用性を支えている
ものは,制度的にみれば,それはもちろん貨幣
使用に対する諸個人間の共通の同意である。
し
3. 社会的役割としての消費者
かしながら,それを原理的に支えているもの
諸個人が精神的な欠落感である欲望を解放し
は,諸個人の消費の欲望であることはすでに述
たという意味は,その欠落感の埋合わせのため
それでは,諸個人が貨幣を消
べた通りである。
に用いる消費対象としての諸財-諸善にまつわ
費対象の代替物として一時的に保有しようとす
る物理的な費消性の問題を,貨幣保有というこ
ることは,どのような意味合いにおいて,消費
とで解消することで,欲望の無限的追求という
行為を代理しているのであろうか。
行為を社会的に有意味ならしめることを可能に
ロックにとっての貨幣保有者とは,その同意
先述の通り,金銀など
したということである。
過程においては暗黙的か認知的かの差こそあ
の貴金属は,もっぱらこの物理的な費消性に対
れ,いずれにしろ貨幣の使用に同意した諸個人
する優れた耐久性のゆえに,その内在的価値と
それは,間接的すなわち手段的
のことである。
は別に,人々の同意により,一般的価値の仮託
な代替物として,貨幣である金属により一般的
体として市場交換における高い通用性を付与さ
な善としての価値を認めることに対する同意で
ロックの言を引くならば,「貨
れたものである。
この合意のもとの人工的価値物である貨
ある。
幣が価値をもつのは,交換によってわれわれに
幣は,現在および将来における,実際的および
生活必需品ないし便宜品をもたらすことができ
空想的の善-の精神的欠落感を,一般性という
るからで,この点で貨幣は商品の本性を具備し
割引のもとに埋合わせてくれる。
この意味にお
ているが,貨幣が役立つのは,一般にその交換
いて,貨幣を保有することは,欲望充足のため
によってであり,その消費によって役立つこと
の現実的な消費行為に対しての,その想像的な
はほとんどない」(Locke,1692-1978:50)と
したがって,貨幣保有
代理行為となっている。
J.
ロックの経済思想に関する消費論的考察 113
者とは,別言すれば,とりわけ将来時点での空
国家とは,人々がただ自分の社会的利益を確保
想的な善である消費対象への配慮から生じた,
し,護持し,促進するためだけに造った社会であ
時間軸上の漠然とした欠落感を,現在時点での
る,と考えられます。 /社会的利益とは,生命,
自由,健嵐身体の安全,さらに貨幣や土地や住
宅や家具などのような外的事物の所有のことです
(Locke,[1689]1963=1980:353-354)。
一般的な善の保有により一時的に埋合わせてい
る消費代替的行為の主体として捉え直すことが
それはまた,衝動的な欲望に対して
できよう。
理性的な対処を可能とする契機ともなるのであ
社会の成員としての諸個人は,その所有の安
るが,この点は次章にて論じる。
全を保障される代わりに,自然権の私的行使を
ロックによれば,「私有財産の不平等とい
一部放棄し,社会の法を遵守することを約束し
う物の分け方は,社会の枠の外で,契約なし
たとされる。
に,ただ金銀に価値をおき,暗黙の内に貨幣
契約によって成員となった社会の中で,諸個
の使用に同意することによって可能になった」
人は,その生命と所有物の安全を確保すること
貨
(Locke,[1690b]1698-1997:190)という。
で,平和裡に市場交換に参加することが可能と
幣使用への同意は,社会,すなわちロックが展
貨幣保有者としての諸個人は,ここにお
なる。
開する契約論的な成立要件を前提とするよう
いて,貨幣という一般的善を有する欲望者とし
な社会という意味においての社会の形成に時
て,また,市場においては,貨幣以外の諸財す
間(論理)的に先行する。
ロックが述べる社会
なわち特定的善の購買(貨幣との交換)を考え
の成立過程にあっては,人々の所有権に関する
る消費者として表れてくる(7)ロックは,社会
思念が,それを保障するための制度としての社
の中で貨幣を保有し,それを市場交換等におい
会を形成するための前提要件となるからである
て活用し,いずれは消費対象としての特定的善
(Caffentzis,1989:89,116-117:Caffentzis,2003:
216-217)。人々が各自の所有権へより大きな配
を獲得しようとする行為類型をもった人々につ
いて,それを,「自分の財産を貨幣で所持し,
慮を示し,社会の形成を志向していくことにな
貨幣をその価値通りに(それ以上は不可能とし
るのは,貨幣保有により可能となった継続的な
ても)利用する権利をもっている多くの罪のな
所有物の蓄積を保証する手段の必要性が高まっ
諸個人は,契約によってのみ,ある社会の成
い人々」(Locke,1692-1978:13)として記述
本稿ではこの一旬を,貨幣保有者と
している。
して市民社会に生活する人々が市場経済の交換
員となることができるとロックはいう(Locke,
過程の文脈にあって,消費者としての社会的役
[1690b]1698-1997:241)。
割を担うものであることを,ロックが示唆した
てきたからにはかならない。
それは,コモンウェ
ルス(国家)という名の市民社会である。
貨幣
部分として再読してみたい。
というのも,消費
使用に同意した諸個人が,今度はそれらの所有
者という概念について,ロックにはそれをひと
物を守るために社会を形成し始めるというわけ
つの社会的役割として捉えていた様子のあるこ
ロックはこう述べる。
である。
とが,つぎのような言から窺えるからである。
114
トレードを行うために土地保有者,労働者,伸
る(9)。
そして,その同じ過程は,貨幣の保有が
介業者の手元に必要な貨幣についてある評量を
欲望充足のための消費行為に対する代替的行為
(それがどの程度十分なものかはわからないが)行
いながら,なぜ以前に言及したことのある消費者
について何も語らなかったのか,---労働者か
であったことを鑑みるとき,貨幣という一般的
購買力をもった消費者という新しい社会的役割
伸介業者か土地保有者かのいずれでもない消費者 が形成される過程の論証ともなっていることが
は少ないので,彼らは計算に際しては,ほとんど
市民社会の成員となった諸個
分かるであろう。
考慮に値しない(Locke,1692-1978:43)。
人は,その過程で確立した貨幣にまつわる契約
ここで明らかなように,ロックにとっての消
や制度のおかげで,市場交換型の消費行為を日
費者概念とは,労働者や仲介業者や土地保有者
常的な行為類型として支障なく遂行することが
として言及された,雇用労働者や商人や貴族な
可能となったのである。
どすべての社会階層にまたがる概念である0
そ
れは,富裕層から貧困層に至るまで,市民社会
4. 消費者の自由と貨幣保有
の成員であって購買力を有するすべての諸個人
貨幣およびその暗黙的必須要件としての市
の行為類型を,消費というひとつの社会的役割
場,この2つの制度的支えによって,市民社会
において一般化したものである(8)。
以上のことから,ロックが想定するコモン
の成員は,その消費者的役割において自由を享
ウェルスという契約社会の成員である諸個人
は,諸個人の有する力能およびその力能を行使
は,そのすべてが必然的に消費者であるとの論
できる環境とが共に保証されていることに由来
より正確にいえ
理的帰結を導くことができる。
具体的には,それらは貨幣保有に基づく
する。
ば,諸個人は消費者という社会的役割を市民社
購買力および市場交換という取引環境のことで
会の制度的要請として不可避に担う必要がある
SI*
諸個人は,まず社会形成の
ということである。
人々は,欲望充足への盲目性に対する歯止め
契約以前の段階において,貨幣の使用およびそ
を,貨幣保有と市場交換という2つの制度を確
の暗黙的必須要件としての市場交換という,2
ロックによれば,
立することにより獲得する0
それを踏まえ
つの制度運用に同意している。
「自由の最初のたいせつな使い道は,盲目的軽
て,これらの制度運行ならびにその制度的帰
率を防ぐことだ」(Locke,[1690a]1965-1972:
結(つまりは所有の不平等)について,その安
214(二))という。それゆえ,ロックにとって
全性と確実性を保証するための新たな制度的枠
の自由は,理性との相補関係がその必要要件
組みを構築するために,契約社会であるコモン
ロックは『人間知性論』の中
となっている。
こうしてみると,ロッ
ウェルス形成に向かう。
で,「およそ自由がなければ,知性はなんの役
クの社会形成論においては,諸個人の同意や契
にも立たないだろうし,知性がなければ,自由
約からなる一連の諸制度に基づく市民社会の成
は(かりにもしあることができたとしても)な
立過程は,すべて貨幣に関係している。
そこで
にも意味表示しないだろう」(Locke,[1690a]
は,貨幣が社会の凝集力をもたらす紐帯であ
また『統
1965-1972:213(二))と書いている。
受することができる。
この消費者としての自由
J.
ロックの経済思想に関する消費論的考察 115
治論』においては,「理性の導きを持たないう
ことは,私たちの本性の過誤でなくて,完成
ちに,人間に無拘束の自由を許すということ
なのである」(Locke,[1690a]1965-1972:180
は,その本性の特権である自由を認めることで
(二))と述べる。
はなく,むしろ人間を野獣の中に突き放し,野
欲望の停止と思考の統制こそ,自由へとつなが
獣と同じように惨めな人間以下の状態に見捨て
る確実な途を用意するものであった。
ることである」(Locke,[1690b]1698-1997:
欲望の停止は,諸個人が貨幣を獲得すること
198-199)とも述べている。
で,代替的に精神的な欠落感を埋合わせること
ロックのいう理性の導きとは,当該個人が自
から可能になる。 貨幣は欲望そのものを,つま
身の欲望を停止し,思考を統制することができ
りは欲望の対象を直接に代替して充足するわけ
るということである。 人間はそうすることで欲
ではない。しかし,人々のこうした欲望とは,
望の衝動性や盲目性を克服する。
多分に,将来時点での漠然とした空想的な欠落
「およそ明断
こうしたロックにとっては,
で絶対確実な真知をえることができない場合,
感や,あるいは流行などに関する文化規定性と
その欠如を補うため,神が人間に与えたもう
しての差異化の繰り返しである社会的な欠落感
てある機能は,判断である」(Locke,[1690a]
に起因するということもあり,特定的な善を充
1965-1972:236(四))と考えるロックにあっ
たす対象物がいつでも念頭にあるとは限らな
て,理性の働きによるものごとの判断とは,な
このような不特定的な欠落感に対して,貨
い。
によりも自由の確保にとって重要な要件とな
思考を統制し,行為の選択に対して理知的
る。
な判断を下すこと,こうした一連の理性の連用
幣は一般的価値物としてその埋合わせを可能に
が,自由に備わる本来的な目的性を成就するこ
とは幸福の追求である。 しかし,それにおとら
とにつながる。 その自由の日的性とは,ロッ
ず不幸の回避もまた本分のうちである。
クによれば,「私たちが自分の選ぶ善を手に入
的な善の不在状態が継続することは,その個人
れられるということ」(Locke,[1690a]1965
にとっての不幸であるに違いない。
1972:181(二))である。
は,暫定的ではあるが,そうした不幸を媛和す
したがって,ロックのいう思考の統制として
ることになる。 この点では,貨幣とは,財の購
の理性の働きとは,欲望の停止と同義である。
買という積極的な幸福追求時にあって善となる
欲望の停止こそ,人間が,有限ではあるが,十
だけではなく,不幸の回避という消極的な意味
分に知性的な存在者となり得るかどうかの試金
合いにおいても善として機能しているといえ
石である。それはまた,行為の自由に関しての
る。
試金石でもある(Magri,2000‥57-58,68)。
i%*
先述のように,ロックにとって,人間の本分
ロッ
不特定
貨幣の保有
貨幣は人々の同意からくる一般的価値物とし
クは,「私たちは,あれこれの欲望の遂行を停
て,市場においてつねに購買力として機能する
止する力能をもっている。 私にはこれがいっさ
ため,その保有者に,より一般的な善をもたら
いの自由の原泉と思われる。
---公正な検討
の最終結果に従って欲望し,意志し,行動する
し,任意の将来時点において,必ず特定の善と
の交換が保証されているということから欲望の
116
一時的な停止を可能にする。
貨幣のこうした怪
こうした財の価格づけは,個々人の限定的
る。
質が,諸個人の消費行為にその思考や判断の段
知識の範囲内では決して推測することができな
階において,合理性という性質が入り込む余地
かった事物の財としての真価について,それ
を確保する。
を,市場という集合的評価制皮を利用する過程
ロックにとっての自由の概念とは,諸個人が
で,真価の近似としてはより信頼性の高い価格
意思のおもむくままに,ある行為を行なうこと
という数量的知識を社会にもたらす。
ができる力能についてのことである(10)すな
すべての諸個人が同様に自由に消費を繰り返
わち,「人間が自分自身の心の選択ないし指図
すことで,その結果,市場ではつねに価格の変
に従って,考えたり考えなかったり,動かした
動が起きる。
それは,消費者が互いに自主的な
り動かさなかったりする力能をもつかぎり,そ
判断で行為決定を調整し合うことによる当然の
のかぎり人間は自由である」(Locke,[1690a]
帰結である。
ロックはそうした市場での価格決
こ
1965-1972:134(二))ということである。
の自由の文脈に照らして考えてみると,貨幣保
定は自然に任せておくのがよいという。
有のもたらす一般的な購買力は,諸個人の市場
ようにまかさるべきであり,しかもそれらはこの
な
における自由を保証していることが分かる。
ように絶えず変化するものであるので,人間の予
ぜなら,貨幣が一般的な購買力であることか
見能力では絶えず変化する比率と効用-これが
ら,それは市場の諸財との交換可能性を拡大し
常に諸物品の価値を規制するであろうが-に対
する法規や限界を設定することは不可能である
て,欲望充足のための蓋然性を高めるからであ
(Locke,1692-1978:50)c
諸物品は自分で自分の思うままの価格を見出す
貨幣はあらゆる事物の等価物として,いつ
る。
それはま
でも市場での販路を欠くことはない。
ロックにとって,諸財の価格が変動するの
さに,ロックが"貨幣は万能である''と聖書の
は,もちろん需給の両面においてその要因があ
この貨幣の高い通
言葉を引用する通りである。
るからであるが,需要面においてはもぅばら消
用性が消費行為をより自由なものとする。
しかも,その変化
費者の自由に起因している。
貨幣という自由の力能を保有した諸個人は,
は予測したり,人為的に制限したりすることが
たんに自由なだけではなく,より理性的に消費
困難であるという。
ロック自身がいうよう
を行なうことができる。
価格変動の予測不能性をロックが指摘する理
に,貨幣とは購買力という一般的価値の保証物
由のひとつには,諸個人の消費がつねにその必
であると同時に,価値を見積るための計算用具
要性から合理的に生じているものではないとい
としても有用であるからである(Locke,1692
う認識がロックの中に強くあったであろうこと
-1978:31)c貨幣は事物の財としての価値につ
ロックは,「ある財貨の販路は,
が挙げられる。
いて,それを価格という数量的尺度に置き換え
ることで,消費を決定する際の合理的な判断材
財価値の数量化はま
料を消費者に提供する。
た,消費者による諸財間の価値比較も容易にす
その必要性ないし有益性に依存しているが,便
利さとか,気まぐれや流行に左右される世論に
よって決まることもある」(Locke,1692-1978:
45)として,消費決定因の不合理的な側面を流
J.
ロックの経済思想に関する消費論的考察 117
行や気まぐれの中に見ており,さらには世論と
的な評価であり,あくまでそれは財の真実的評
いう無言の強制力の影響にまで関説する(ll)
価の近似に止まらざるを得ない。
この点で,ロックのいう自由とは,確かに理
価格とは,諸事物の財としての有用性の絶対確
性との相補性に支えられて獲得される諸個人の
実な真価を表わすものではなく,ロックが『人
力能ではあるけれども,ロックはその理性につ
間知性論』で述べるところのひとつの蓋然知で
いて,想像力の前での危うさを指摘することも
仮に理性の働きが停止すれば,そこ
忘れない。
に行為の自由はなくなる。 そこでは,「想像力
は常に不安定で,思考の錯乱へ導く。
そして,
この意味で,
あるといえよう。 しかし,行為選択の判断材料
として,そうした蓋然的な知識で十分であるな
らば,もうそれ以上の真理性に関する確証を求
める必要はないとロックはいう。
人間の知識と
理性のない意志は,あらゆる無法の目標に向か
は,程度の差こそあれ,その確度という点にお
うことになる」(Locke,[1690b]1698-1997:
いては大部分は蓋然的なものだからである。
64)」事態をまでロックは想定する。
のことは価格という集合的な知識についても当
ロックはまた,著修的消費についてもその動
てはまるであろう。 ロックはこのように述べ
機の特殊性を指摘する。
る。
ロックによれば,「国
こ
民のぜいたくな流行を生み出すのは,効用では
なく虚栄心なので,競争は,誰もが最も便利
私たちの機能に合った仕方と割合いで,また,
私たちに示されるかぎりの根拠にもとづいて,す
な,あるいは有用な物を手に入れるかという点
べての事物を心に砲き,蓋然性だけがえられるよ
で行われるのではなく,誰が最良のもの,すな
うなところで高圧的もしくは過度に論証を要求せ
わち最も高価な物を手に入れるかという点で行
ず,絶対確実性を求めないとき,そのとき私たち
われる」(Locke,1692-1978:90)ということ
は知性を正しく使うのだろう。 そして,私たちの
気にかけることはすべてこうした蓋然性で律して
になる。しかも,ロックは,こうした著修的な
じゅうぶんなのである(Locke,[1690a]1965=
流行は,たいていの場合に富の誇示という消費
1972:37-))0
の顕示性を伴うものであることを付言している
(Locke,1692-1978:91)c消費がもはやその顕
価格とは,確かに蓋然的な知識のひとつであ
示性を競う段になると,財はそれが高価である
ただし,それは市場という集合的な価値評
る。
という理由だけで,むしろその販路を増加させ
価制度から導かれた知識として,消費者がめい
ることともなるとロックはいう。
財の有用性で
めいの個人知に基づいて推測したものよりは確
はなく,この高価さが諸個人の競争心と虚栄心
度が高くより信頼性がある判断基準を提供して
とをかき立てるのである。
くれるであろう。 価格とは,"集合的''な蓋然
市場における諸財の価格は,このような諸個
的知識なのである。
人の様々な思惑が入り混じる中から構成されて
価格決定について,それを外面的な社会事象
くる。
それらは,ときに合理的であり,ときに
面に限って説明する場合,ロックは,「貨幣に
模倣的である,さらには盲目的な場合もあろ
よって購買しうる任意の物品に対する貨幣の価
う。
財の価格とは,ある時点での市場での集合
値の尺度は,その物品の量とその販路とに比し
118
てわれわれが所有する現金の量によって定ま
とりわけそれは,貨幣保有者としての諸個
る。
あるいは同じことになるが,ある商品の価
る。
人の消費者的役割に分析の焦点を当てるかたち
格は購買者数と販売者数の比率によって騰落す
で,消費者概念の形成に寄与するものとなって
る」(Locke,1692-1978:45)と,貨幣数量説
ロックの消費論とは,ロックが想定する
いる。
的な立場から需給に基づく市場の価格調整作
人間性を与件とした諸個人を行為主体モデルに
しかしなが
用について言及するのみである。
おき,その自然的な行為動機から出発して,そ
ら,この価格調整作用のかげに,情報として雑
れを起因とする社会的行為の連関が,やがては
多な決定因のすべてを価格という統一的な尺度
社会的次元での貨幣や市場あるいはコモンウェ
によって集約化して表わすことができる市場と
ルスといった種々の諸制度の生成にまで展開し
いう制度的機能の働きがあることを,ロックの
ていくというロック社会理論の独自な論理性の
社会理論は人間知性の性質に照らして浮彫りに
中に見出せるものであり,同時に,その論理性
他方で,それはまた,一般的価値物
している。
ロック
の不可欠な一部を構成するものである。
として任意の時点での交換可能性を保証してく
の社会理論は,一消費論の見地から捉えた場合
れる購買力としての自由の力能が貨幣を保有す
に,社会の中で貨幣保有者としての諸個人が消
る者に伴うことも,行為の合理性との関係から
費者役割の取得を通じて行為の自由を実現する
こうしたロック社会理論の検討
見出している。
可能性を見据える論理として再評価することが
からは,それが,市民社会の成員がその消費者
また,貨幣を通して,自由や合理性と
できる。
としての自由を保証されるのは貨幣にまつわる
いう要素を消費行為のうちに見出すことを可能
種々の制度的利点のゆえであることを,社会的
にするロックの消費論は,ロック以降の18世紀
行為論として整合的に説明するものであること
における消費論の展開,とりわけ奪移論争とい
が分かる。
うかたちで諸学説が競合していく消費論的系
5. 結び
譜とは違う方向性での議論を導くものである。
ロックの議論は,奪修的消費に対する道徳論的
以上,ロックの思想について,その貨幣論的
な批判の論拠を,一面において崩す論理となり
な言説を中心に検討してきた。
ロックによる貨
得ており,その意味で,それは著移批判の論点
幣保有に関する行論の中から,社会理論として
を乗り越えるひとつの道筋を示すものであると
の消費論的含意を析出することがその目的で
もいえる。
というのも,消費を合理性に裏打ち
本稿としては,ここまでの考察におい
あった。
された自由な行為として把握するロックの議論
て,ロック思想に伏在するその消費論としての
は奪修とは,気まぐれや怠惰,放蕩など,人間
特徴,すなわちその含意が明瞭になったと考え
性の堕落による非合理的な動機に基づく悪徳的
る。
行為であるとの道徳論的な批判の論点への反駁
ロック思想が含む消費論的特徴とは,消費と
ロックの消費論
となり得るものだからである。
貨幣との関係性ということについて,それをひ
とは,貨幣を結節点として,消費と合理性とを
とつの社会理論として定式化している点であ
連結することで,道徳論的な色彩の濃い著修論
∫.
ロックの経済思想に関する消費論的考察 119
争の議論枠組みに捕らわれることのない消費論
り下川が述べる通り,「貨幣の無限の蓄積ではな
の方向性,すなわち貨幣的消費論の展開を用意
く,一国の経済の生産性や自然状態における経済
するものであったといえる。
この意味におい
的繁栄に危害を及ぼさないかぎりでの」(下川,
て,ロックの消費論は,18世紀における消費論
2000:147)蓄積の擁護論であるとする方がより適
切な解釈であろう。 ロックの貨幣観が,いわゆる
のもうひとつの流れを導くものであり,バーク
金属主義に傾いていることはたしかである。
し,それについても,M.
しか
ボウリが「ロックとバー
リやステユアートへとつながる貨幣的消費論の
ボン間における価値論の同質性は明白で,・--・
先触れとして捉え直すことが可能となる。
ロックが交換価値の相対的性質を見逃していたと
したがって,このような消費論としての貢献の
するバーボンの主張は正当化できない」(Bowley,
ゆえに,ロックには,消費論の学説的系譜にお
1973:79)と述べるように,Bノーボンと対比した,
いて,その重要な論者のひとりとしての位置づ
その金属主義のゆえに重商主義期の典型的富観と
の結びつきを一面的に強調する仕方で,ミダス王
けが与えられるに足る十分な資格があると思わ
的謬論のひとつと片づけてしまうことは早計とい
れる。
える。
(2)K. ボーンは,ロックの社会科学方法論の独自性
〔投稿受理日2007.5.26/掲載決定日2007. 6.12〕
について,「ロックは,-国全体を富裕にするもの
はなにか,とのマクロ経済的な問いに対して,ミ
m
(1)ロックの富観についても,それがたんなる貴金
属製品や貨幣の蓄積を意味するものではないこと
クロ経済的な分析手法を用いて答えた」(Vaughn,
1980:50)ことを指摘している。 ロックの思想体系
が,諸個人の行為動機の解明から,人々の社会的
は,つぎのロックの言葉から明らかである。
すな
わち,「富は,金銀をより多量に所持することに
行為に基づく諸作用を社会構成のメカニズムとし
存するのではなく,世界の自余の国々,あるいは
由の一端は,こうした機能主義的な視点をロック
隣邦諸国に比してより多量に所持することに存す
る。 そうすることによってわれわれは,隣接する
がもち得ていたことに帰せるであろう。 また,J. タ
て定式化するという理論分析的視点をもち得た理
諸王国や諸国家が手にしうる以上に,豊富な生活
ロウリは,ロックが医学者であったがゆえに,諸
個人の精神的な側面に注目することを可能にした
便宜品を獲得することができる」(Locke,1692
点を指摘している(Crowley,2001:151)cこの点は,
1978:16)cそれゆえ,「金銀は,ロック氏によれば,
社会理論における方法論的個人主義の確立と医学
一国民の動産としての富のうち,もっとも堅牢か
との関連性が示唆されるものとして興味深い。 な
お,D. ヴイツカーズは,ロックの経済理論が基本
つ確実な部分であり,またこの理由から,この種
の金属を増加させることこそは,その国民の経済
政策の大目的たるべきものなのである」(Smith,
スミスの重
[1776]1789-1978:79(II))とのA.
商主義批判は,少なくともロックの富観について
は全面的に当てはまるものではない。
そもそも,
的には静学的かつ定義的な性格のものであること
を認めつつも,その貨幣論や利子論などは,経済
事象というものを不断的変化の過程として把握し
たロックの認識を下敷きに構成されたものであり,
動学的要素を肱胎するものであることを指摘して
P. H. ケリーが指摘するように,「トレードはそれゆ
え富を生み出すのに必要であり,貨幣はトレード
いる(Vickers,1959:52-54,60)c
をいとなむのに必要である」(Locke,1692-1978:
18)として,貨幣は交易を促進し国家を富裕にす
ソンによれば,つぎの3制限の範囲内ということ
になる。 すなわち,十分制限・腐敗制限・自己
る平和的な方策のために必要であることを,ロッ
労働制限の3つである(Macpherson,1962-1980:
ク自身が明確に述べている(Kelly,1991:69)cそ
229-230)c
(4)J.W. ヨルトンは,『人間知性論』の随所に幸福に
のため,ロックは,貨幣の不必要な退蔵について
は批判的である。 こうしたロックの主張は,やは
(3)ここでの若干の諸制約とは,C.
B. マクファー
ついての言及が見られることを指摘し,「ロックは
120
幸福の概念のとりこになっているといえなくもな
用いて市場過程の見方を示したとも考えられる」
また,P. ロ
い」(Yolton,2004:82)と述べている。
(Coleman,2001:31-32)と述べ,この用語法の裏
マネルは,ロックが「かく考える」の文中で,健 にロックの社会観における医学的アナロジーの応
この販路という用語法は,ロッ
康・評判・知識・善行・彼岸での至福期待という
用を推理している。
クの医学研究が,彼によるその他の分野の研究に
5つの幸福構成要因を列挙していることについて,
少なからぬ影響を与えていたことを示すひとつの
それらの選択にはロックにおける医者としての精
なお,17-18位紀の人体と政治体
神性の反映が看取できるとしている(Romanell, 根拠となろう。
との間の医学的アナロジーの言説において,とり
1984:41-43)c
ケアリのよれば,ロックは,人間の自然史 わけ貨幣にまつわる間貴に対する適用が頻繁で
(5)D.
ということ-の興味から人類学的な研究に強い関あった思想史的理由については,Caffentzis(2003)
心をもってそうした知識を収集していたという に詳しい。
(Carey,2006:14-97)cそれは,医者であったロッ (7)ロックによれば,通常の財の消費は,その用途
それらは,
クが,医学者の目をもって人間の病症の変化を観から次の3通りに分けることができる。
貨幣以外
察・記録していたとすれば,そうした視点を広く消費(費消)・輸出・退蔵の3つである。
の財は,こうした諸目的のた捌こ購買され,市場
人間の文化や生活環境にまで向けていった自然な
ロックは,貨幣の出現
なお,
の流通過程から退出していくことになる。
結果であったともいえる。
を境に,そこに文明史上の大きな転換点を見出しロックは「これら三つの方法はすべて,結局はあ
ているが,ロックのこうした貨幣重視の歴史観のらゆる商品-・-・の消費に帰着するから,当然消
背景にも,そうした人類学的な知識が当然に反映費と呼ばれてよい」(Locke,1692-1978:67)とし
『人間知性論』における ており,すなわちこれがロックによる消費の定義
されていると考えられる。
経験主義的な彼の認識論体系もまた,独自の人間であるとみなしてよい。
(8)こうした貨幣保有者の区分について,その生産
モデル構築の前提として大きく関与しているであ
ろう0ロックの人間モデルの前提とは,いわばよ 面,すなわち職業区分に基づく経済認識に含まれ
り自然的な人間である。
すなわち,ロックは,知
るロック経済思想の意義およびその限定性につい
性的にも身体的にも有限な存在者としての人類学
ては,生趨(1991)を参照(生越,1991:112-119)。
的な人間像というものを社会理論構築の際の前提
(9)平井は,「貨幣がロック経済思想の体系の論理的
にして,そうした有限な存在である諸個人の社会中心をなすカテゴリーであって,このカテゴリー
そこには,たしか
的行為論の定式化を行なった。
をてことして思想体系が動いている」(平井,1964:
に社会契約の概念に顕著なように,社会理論構築112)と述べ,ロックの社会形成の論理に占める貨
段階における非経験的な人間性,およびその社会幣の社会的紐帯機能,すなわちその秩序形成力に
的相互作用への準拠という,多分に思弁的かつ主関して,それが有する論理上の第一義的な性格を
また,田中は,ロックの社会
知主義的な方法論的残浮を残しつつも,旧来の自いち早く指摘した。
理論における自然法思想的な秩序枠組みの強い影
然法的な方法論的枠組みを越える新しい社会科学
響力を検討しながらも,なおかつ,その論理のう
方法論の展開をロックの中に読み取ることができ
ちに経験論的な社会理論化への方向性を認めるこ
る。
(6)ここで,ロックによる"販路"という用語は,「販
とで,そうした従来の秩序観を越える,近代社会
路は,販売可能な商品量がトレードの通路およびの市場交換を軸とする諸個人間の結びつきを可能
過程の外に移され,人々のための交易から引き離とするような新しい社会的関係性の抽出にロック
され,もはや交換範囲内になくなること」(Locke,
が到達していた点を看取している(田中,[1968]
なお,この販路
1692-1978:65-66)の意である。
2005:156,157;田中,1979:61-62)。
という用語は,元来,体液説に関係する医学用語 do)ロックにおける自由と力能の概念的相関につ
として,人体における体液の流出入のことを表わいては,太田[1953]1985に詳しい。その中
O.
すものであったという(Coleman,2001:31)W.
で,太田は,「自由が力であるのは,自由のうち
コールマンは,「ロックがヒポクラテスの体液説を
に,することとしないこととが同時に可能性とし
J.
て含まれているからである。
ロックの経済思想に関する消費論的考察 121
自由の観念の中には
LockeJohn,[1689]1963,JohnLocke:ALetterConcerning
することが可能的に含まれているし,することは
Toleration-LatinandEnglishTexts,revisedandedited
能動の力なしには考えられぬから,自由はたんな
withvariantsandintroductionbyMarioMontuori,
MartinusNijhoff. (-1980,生松敬三訳「寛容につ
る可能性ではなく,力と考えられたのである」太
田([1953]1985:75-76)と述べている。
(ll)ロックは世論について,諸個人がその行動を準
拠させる3つの法のひとつ,世評の法としてその
行為統制力を認めている。 すなわち,「およそ人が
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