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2号 (H24.5.24) - 長野県教育情報ネットワーク

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2号 (H24.5.24) - 長野県教育情報ネットワーク
平成24年度 月刊
サ
( 生 徒・保 護 者 版 )
イ
校長通信2号
H24.5 .2 4 (5 月 号 )
上 田 東 高 校 ホ ー ム ペ ー ジ よ り ( H P を ぜ ひ ご 覧 く だ さ い 。)
長野県上田東高等学校
校長挨拶
第 27代 校 長 窪 田 善 雄
長野県上田東高校のホームページにアクセスしてい
初代校長三吉米熊
先生とともに
ただき、ありがとうございます。
本校は、明治25年(1892年)に創設され、本
年創立120周年を迎える、長野県で2番目に古い高
み よ し よねくま
が く り おのれ
校 で す 。初 代 校 長 三 吉 米 熊 先 生 の 教 え で あ る「 学 理 己
そな
これ
こう
生 徒 諸 君 、家
に具ふるも之を実地に行はざれば効なし(
」いくら学問
に届けてく
を 身 に つ け て も 実 践 し な け れ ば 意 味 は な い 。)の 精 神 を
ださいね
受 け 継 ぎ な が ら 、こ れ ま で に 25,000 余 の 有 為 な 人 材 を
世に送り出してきました。
みよししんぞう
余計な話かもしれませんが、三吉米熊先生の父は長州藩士三吉慎蔵といい、坂本龍馬と
一時行動をともにし、龍馬が襲撃された「寺田屋事件」では槍をふるって龍馬の命を救っ
かけいとしお
て い ま す 。数 年 前 の 大 河 ド ラ マ『 龍 馬 伝 』で は 、筧 利 夫 さ ん が 演 じ ま し た 。
(まさに余計な
話 で し た 。)
さて、上田東高校の学校目標は「自由な精神と責任・規律を重んじる態度を養う」こと
です。欲望のままに行動することは、一見自由に見えますが、実は欲望から自由になって
い ま せ ん 。本 当 の 自 由 と は 、自 ら の あ り 方 に つ い て 自 分 が 自 分 に 命 令 す る こ と で あ り 、
「自
由 な 精 神 」ま さ に「 責 任・規 律 を 重 ん じ る 態 度 」な の で す 。
(以上哲学者カントの受け売り
で す 。)
上田東高校の生徒たちは、そんな自由の精神を育みながら、明るく活気に満ちた学校生
活を送っています。
先輩の皆様方が積み重ねてきた伝統の上に立ち、地域の皆さまからの信頼が得られるよ
う、生徒・職員一丸となって活力ある学校づくりを推進してまいります。
今後とも、本校へのご理解、ご支援をお願い申しあげます。
校長コラム
「義務教育を受けましたか?」
教員採用試験のときの面接で、
「 あ な た は 、義 務 教 育 を 受 け ま し た か ? 」と 聞 か れ た 。日
と ま ど
本国民である以上、義務教育を受けないわけがない。私は非常に戸惑った。質問の意図が
し か た
よ く わ か ら ぬ ま ま 、し か し 、仕 方 な い の で「 は い 、受 け ま し た 。」と 答 え た 。す る と 面 接 官
は、
「 お か し い な 、君 は 、義 務 教 育 は 受 け て い な い は ず な ん だ が ・・・・・・」と 言 い な が ら 、書
類の綴りをさかんにひっくり返している。
両者ほぼ同時に、このちぐはぐな状況の原因を理解した。面接官の質問は、義務教育の
採用試験を受けたか、ということだったのだ。不機嫌そうな面接官の様子もあり、空気が
凍りつくような感じがした。よっぽどのバカに思われたんじゃないだろうかと思って、面
接 官 の 顔 を 見 た 瞬 間 、「 ハ ハ ハ ハ ハ 、 こ り ゃ 質 問 が 悪 い よ な 。」 と 彼 は 爆 笑 し た 。 凍 り つ い
た空気が一瞬にして消滅、その後、面接は極めて順調に進行した。
フ ラ ン ス の 哲 学 者 ベ ル ク ソ ン ( 1859― 1941) に 『 笑 い 』 と い う 著 作 が あ る 。 こ れ に よ
れ ば 、生 き 生 き と し た 活 動 が 何 ら か の 理 由 で 硬 直 し 、機 能 不 全 に 陥 っ た と き(「 生 け る も の
に貼りつけられた機械的なもの」に直面したとき)に必然的に生じる社会的動作が笑いで
あ り 、こ れ に よ り「 機 械 的 な も の 」は 剥 ぎ 取 ら れ 、
「 生 け る も の 」は 再 び 生 き 生 き し た 生 命
を取り戻すのだそうだ。つまり、笑いとは生き生きとした生命力を守るための防衛機能と
いうことである。私の体験は、その典型的な例かもしれない。
ところで、
「 授 業 」と い う「 生 け る も の 」に 時 々「 機 械 的 な も の 」が 貼 り つ く こ と が あ る 。
生徒の生き生きとした生命力が失せ、集中力の欠
けた散漫な雰囲気が教室を覆う。そこで教師は、
とっておきのジョーク。教室はどっと笑いに包ま
れ て 「 授 業 」 は 再 び 命 を 取 り 戻 す 。・ ・ ・ ・「 昔 こ
ん な こ と 、あ っ た よ な ぁ 」、と か つ て 自 分 が 教 壇 に
立っていたころを思い出した。
最近、授業をやってみたいと思うことがよくあ
る。冨沢教頭も同じことを言っていた。やっぱり
教員は授業をやってこそだなぁ、と思うこの頃。
L H R な ど に 余 裕 が 出 た と き 、「 校 長 授 業 」「 教 頭
授業」などというのもいいかもしれない。
(要望があれば、承ります。まずは、教頭さんか
らか?)
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