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公僕意識の欠如は主権者の不在?
洗濯レポート:改革 改革の 改革のジレンマ -その2 その2- 公僕意識の 公僕意識の欠如は 欠如は主権者の 主権者の不在? 不在? 洗濯の 洗濯の会での活動中 での活動中、 活動中、中堅・ 中堅・若手の 若手の市職員と 市職員と話していると、 していると、私たちが「 たちが「私達市民の 私達市民の希 望は・・・」 ・・・」とか「 とか「市民に 市民に対して・・・ して・・・」 ・・・」というような表現 というような表現をしたとき 表現をしたとき、 をしたとき、「私 「私も市民で 市民で す」という反論 という反論が 反論が帰ってきて驚 ってきて驚かされることがよくある。 かされることがよくある。そういうときの彼等 そういうときの彼等は 彼等は、目の 前にいる市民 にいる市民のために 市民のために雇 のために雇われて市役所 われて市役所に 市役所に勤務している 勤務している、 している、一人の 一人の公僕であるという 公僕であるという意識 であるという意識は 意識は 持っていないということになる。 っていないということになる。社会の 社会の公民としての 公民としての対等意識 としての対等意識は 対等意識は結構だが 結構だが、 だが、勤務中は 勤務中は少 なくとも市民 なくとも市民の 市民の僕でなければならない でなければならない。 ければならない。 先月、 先月、中ノ島公会堂で 島公会堂で行われた、 われた、大阪市総務局主催の 大阪市総務局主催の自治体職員勉強会で 自治体職員勉強会で、北川元三 重県知事の 重県知事の「団体自治から 団体自治から住民自治 から住民自治へ 住民自治へ」なる基調講演 なる基調講演があった 基調講演があった。 があった。趣旨は 趣旨は、今まで国 まで国のほ うを向 うを向いて仕事 いて仕事をしていた 仕事をしていた市役所 をしていた市役所が 市役所が市民のほうを 市民のほうを向 のほうを向いて仕事 いて仕事をする 仕事をする時代 をする時代となった 時代となった。 となった。市民 もこれからは今 もこれからは今までのお任 までのお任せ意識を 意識を改め、責任を 責任を持って市政参加 って市政参加する 市政参加する必要 する必要があるが 必要があるが、 があるが、同 時に役所は 役所は役所で 役所で大変な 大変な意識改革が 意識改革が必要、 必要、というものであった。 というものであった。ひとつの具体例 ひとつの具体例として 具体例として、 として、 慣例的に 慣例的に指導課とか 指導課とか管理課 とか管理課という 管理課という部署名 という部署名を 部署名を、あたかも役所 あたかも役所が 役所が市民を 市民を指導したり 指導したり管理 したり管理した 管理した りするという感覚 りするという感覚で 感覚で使っているのは っているのは問題 いるのは問題だ 問題だ、と指摘されていた 指摘されていた。 されていた。確かに、 かに、従来の 従来の役所に 役所に は市民を 市民を睥睨するような 睥睨するような感覚 するような感覚が 感覚が隅々まで行 まで行き渡っていた。 っていた。今はかなりまばらになったよ うに思 うに思うが、 うが、大阪市職員のお 大阪市職員のお役所感覚 のお役所感覚には 役所感覚には驚 には驚かされることも多 かされることも多い。 昨春、 昨春、健康福祉局との 健康福祉局との会合 との会合の 会合の席上、 席上、局の改革マニフェスト 改革マニフェストに マニフェストに関して、 して、局長が 局長が作成した 作成した ので局長 ので局長しか 局長しか分 しか分らないと言 らないと言はれたことがあった。 はれたことがあった。では局長 では局長との 局長との会合 との会合を 会合を設定して 設定して欲 して欲しいと 要望すると 要望すると、 すると、小倉という 小倉という庶務課長代理 という庶務課長代理から 庶務課長代理から、 から、「そんなに 「そんなに飛 そんなに飛び越えて、 えて、局長には 局長には合 には合わせら れない。 れない。役所には 役所には役所 には役所の 役所の仕事の 仕事の仕方がある 仕方がある」 がある」と高飛車に 高飛車に言はれたことを思 はれたことを思い出す。まず 市民あ 市民ありきではなく、 りきではなく、まず役所 まず役所ありきということらしい 役所ありきということらしい。 ありきということらしい。そしてそこに見 そしてそこに見えるのは、 えるのは、小 倉氏のように 倉氏のように内部 のように内部の 内部の序列を 序列を金科玉条として 金科玉条として市民対応 として市民対応する 市民対応する職員 する職員が 職員が大事にされる 大事にされる( にされる(出世す 出世す る)という市役所 という市役所の 市役所の体質である 体質である。 である。 もう一 もう一つ上げると、 げると、夏には、 には、危機管理室での 危機管理室での横崎 での横崎という 横崎という課長 という課長の 課長の、実に大阪市らしいと 大阪市らしいと いえるが、 いえるが、弱いただの市民 いただの市民と 市民と見ると暴力 ると暴力に 暴力に訴えて追 えて追い返そうとするという対応 そうとするという対応にも 対応にも出会 にも出会 った。 った。実際に 実際に暴力を 暴力を振るったのは若 るったのは若い係長であったが 係長であったが、 であったが、問い詰められて返答 められて返答に 返答に窮する悪 する悪 代官( 代官(横崎氏) 横崎氏)のために、 のために、ここが忠義 ここが忠義の 忠義の見せ所と飛び込む下端役人よろしく 下端役人よろしく私 よろしく私の胸を突 いて室 いて室から追 から追い出そうとした そうとした。 とした。横崎課長はそれを 横崎課長はそれを見 はそれを見て笑っているだけであった。 っているだけであった。事は些 細に見えるが問題 えるが問題の 問題の根は深く重大である 重大である。 である。こんな対応 こんな対応をする 対応をする市役所 をする市役所へ 市役所へ市民が 市民が安心して 安心して相 して相 1 談に行ったりするだろうか? ったりするだろうか? ちらりと見 ちらりと見せる脅 せる脅しや暴力 しや暴力は 暴力は市民を 市民を気安く 気安く近づけなく する最 する最も確実な 確実な方法である 方法である。 である。この件 この件は前にも HP でレポートし レポートし、市政改革本部にも 市政改革本部にもファ にもファ クスしてあるが クスしてあるが、 してあるが、いまだになしのつぶてで、 いまだになしのつぶてで、反省も 反省も謝罪もないことを 謝罪もないことを付記 もないことを付記しておきたい 付記しておきたい。 しておきたい。 北川氏は 北川氏は同じ基調講演で 基調講演で、市民と 市民と役所が 役所が大喧嘩するくらいで 大喧嘩するくらいで始 するくらいで始めて改革 めて改革といえるとい 改革といえるとい う趣旨のことを 趣旨のことを言 のことを言はれたが、 はれたが、まさにその通 まさにその通りであろう。 りであろう。改革とは 改革とは腐敗 とは腐敗や 腐敗や悪弊を 悪弊を根絶しよ 根絶しよ うということなのだから。 うということなのだから。それを今 それを今まで見過 まで見過ごしてきた 見過ごしてきた市民 ごしてきた市民も 市民も市民とは 市民とは言 とは言えるが、 えるが、腐敗 に浸った職員 った職員に 職員に反省の 反省の気配が 気配が無ければ、 ければ、市民の 市民の怒りも心頭 りも心頭に 心頭に発しようというもの。 しようというもの。夕張 市でもそうであったように、 でもそうであったように、改革は 改革は大喧嘩にならざるを 大喧嘩にならざるを得 にならざるを得ないことになる。 ないことになる。 こんなことをあげれば枚挙 こんなことをあげれば枚挙に 枚挙に暇がないし、 がないし、重要な 重要な問題は 問題は山積しているが 山積しているが、 しているが、大阪市役所 には、 には、いざとなればいつでもこのような市民睥睨的 いざとなればいつでもこのような市民睥睨的、 市民睥睨的、市民無視的態度を 市民無視的態度を見せるお役所体 せるお役所体 質が残っている。 っている。何よりも市民 よりも市民が 市民が恐れるのは、 れるのは、このような幹部 このような幹部や 幹部や中堅職員の 中堅職員の態度が 態度が若手 職員に 職員に及ぼす影響 ぼす影響である 影響である。 である。若手職員には 若手職員には、 には、新鮮な 新鮮な公僕意識を 公僕意識を持っている者 っている者も多いはずで ある。 ある。それが蝕 それが蝕まれてゆく。 まれてゆく。そしてこの改革 そしてこの改革が 改革が頓挫することで 頓挫することで、 することで、夕張市と 夕張市と同じ目に遭う のは彼等若手職員 のは彼等若手職員である 彼等若手職員である。 である。 北川氏の 北川氏の示唆されたことは 示唆されたことは、 されたことは、これからの市政改革 これからの市政改革は 市政改革は、役所の 役所の意識改革一つをとってみ 意識改革一つをとってみ ても、 ても、主権者としての 主権者としての市民 としての市民の 市民の参加が 参加が必要で 必要で、今までのようなお任 までのようなお任せ意識では 意識では出来 では出来ないと 出来ないと いうことである。 いうことである。情報が 情報が共有された 共有された暁 された暁には、 には、市民も 市民も結果に 結果に責任を 責任を負はねばならない。 はねばならない。当 然とは思 とは思うが、 うが、これも現状 これも現状の 現状の大阪市民にとっては 大阪市民にとっては大 にとっては大きな課題 きな課題である 課題である。 である。考えてみれば、 えてみれば、公 僕意識も 僕意識も主権者がいて 主権者がいて初 がいて初めて生 めて生まれるものであろう。 まれるものであろう。主権者不在 主権者不在のまま 不在のまま、 のまま、市職員に 市職員に公僕 意識を 意識を持てといっても出来 てといっても出来なくて 出来なくて当 なくて当たり前 たり前かもしれない。 かもしれない。大阪市では 大阪市では、 では、長らく主権者不 らく主権者不 在のまま、 のまま、独りよがりの公僕 りよがりの公僕( 公僕(市議も 市議も同罪です 同罪です) です)がのさばってしまったのである。 がのさばってしまったのである。 今までの市職員 までの市職員の 市職員の公僕意識の 公僕意識の欠如・ 欠如・歪みは、 みは、主権者である 主権者である市民 である市民の 市民の不在の 不在の結果と 結果と考えな くてはならない。 くてはならない。これを正 これを正すには、 すには、主権者としての 主権者としての市民 としての市民が 市民が姿を現さなくてはならない。 さなくてはならない。 大阪市民の 大阪市民の皆さん、 さん、おかしいことはそのままにせず市役所 おかしいことはそのままにせず市役所へ 市役所へ行っておかしいと言 っておかしいと言いまし ょう、 ょう、不都合なことは 不都合なことは市役所 なことは市役所へいって 市役所へいって不都合 へいって不都合だと 不都合だと言 だと言いましょう、 いましょう、情報が 情報が隠蔽されている 隠蔽されている と思ったら、 ったら、市役所へ 市役所へ行って出 って出させましょう。 させましょう。今の市議が 市議が高禄だけ 高禄だけ食 だけ食んで見合 んで見合う 見合う仕事を 仕事を していないと思 していないと思ったら、 ったら、自分が 自分が立候補しましょう 立候補しましょう。 しましょう。夕張市長選には 夕張市長選には 6 人の市民が 市民が名乗り 名乗り 出ているようです。 ているようです。いつまでも大阪市 いつまでも大阪市の 大阪市の腐敗と 腐敗と公僕意識の 公僕意識の欠如を 欠如を嘆いていないで、 いていないで、市民 の参加でそれを 参加でそれを正 でそれを正しましょう。 しましょう。洗濯市民の 洗濯市民の会はいつでも、 はいつでも、主権者であろうとする 主権者であろうとする市民 であろうとする市民と 市民と ともに活動 ともに活動しようと 活動しようと待 しようと待っています。 っています。公僕を 公僕を育てるのは、 てるのは、一人ひとりの 一人ひとりの市民 ひとりの市民の 市民の主権者意識 なのですから。 なのですから。 TK 2