...

現代インドネシア社会から考える家族研究

by user

on
Category: Documents
13

views

Report

Comments

Transcript

現代インドネシア社会から考える家族研究
現代インドネシア社会から考える家族研究
文・写真
小池 誠
共同研究 ● 人類学における家族研究の新たなる可能性(2010-2013)
の中心である「マラプの家」をもたない氏族も多く
なっている。
柔軟なスンバの家族と閉鎖的な日本の
「核家族」
スンバでは氏族と「家」とは別個に、一つの家屋
で生活し、家計を共通にする世帯が存在する。前
者の経済的な役割が減少した結果、相対的に世
帯が村人の生活上に占める割合が大きくなってい
る。それではスンバの世帯はどういう構成になっ
ているのだろうか。日本と同様にインドネシアで
も世帯は「一つの釜で食べる」単位と表現される。
東スンバ県ハハル郡における世帯(50 世帯)
の平均
構成員は 6.5 人である。核家族型世帯が 38%あり、
核家族に夫婦の親以外の親族が加わっている世帯
が 22%あり、合計すると 60%の世帯が子ども夫
婦が親から独立する核家族を志向している。父系
世帯の中心となる炉で、米を炊こうとしている女性(東スンバ県)。
氏族が存在するスンバ社会においても、広い意味
での核家族が半数以上を占めている。さらに興味
この共同研究の目的と取り上げる様々なテーマについては
深いのは世帯構成の柔軟性である。親子関係にもとづく家族
すでに 132 号で報告しているので、今回は 2010 年以来、筆
構成員に加えて、親族が同居しているケースが多い。上記の
者がインドネシアと台湾の調査で出会った多様な家族の姿を
調査結果によると、36%の世帯に同居親族がいる。世帯主の
この共同研究の問題意識と結びつけて紹介したい。
兄弟の子など父系親族だけでなく、妻の姉妹の子どもが同居
している世帯もある。このように世帯構成に焦点を当てると、
スンバ島の
「家」
と家族
ジャワ島と同様にスンバでも、父方だけでなく母方の親族を
1985 年から調査しているスンバ社会について、もともと筆
含んでいることがわかる。
者は家族というよりはむしろ親族と婚姻に焦点を当てて研究
同居している親族には未成年者が多い。典型的なのは世帯
を進めてきた。スンバにはカビフという父系氏族が存在する。
主夫婦が孫を育てているケースである。これは相続権を伴う
カビフは成員間の結婚が禁止される外婚単位であり、スンバ人
養子ではなく、一時的に育てているだけである。子どものや
にとって社会的アイデンティティの拠り所といえる。また祖
り取りは親族間の紐帯を強める役割をもっている。
先に対する祭祀の中心となる「マラプの家」は、単なる建築物
このような世帯の柔軟性を現代スンバ社会の文脈において
というよりも「家」という集団を顕現させる場でもあった。ス
考えると、教育水準の向上と関係している。町に住む親族ま
ンバ調査と平行して 1998 年よりインドネシア・ジャワ島の農
たは知人に子どもを預けて高校に通わせるのはスンバでよく
村社会で家族の調査を始めた。中部ジャワ(ジャワ人)でも西
聞く話である。近隣に高校のない村人にとって、町に住む人
ジャワ(スンダ人)でも、父系親族集団は存在しないで、親族
の助けがなかったら、子どもを高校に進学させるのは困難で
関係は父方や母方に限定されずに双方的(bilateral)にたどら
ある。
この場合、
親が子どもの下宿代を払う訳ではなく、
預かっ
れる。ジャワ島の家族の研究で得た知見
た方がその子の面倒をみるのが一般的で
を参考にしながら、それまであまり重視
ある。その子ども自身が家事を手伝うし、
していなかった家族に焦点を当てて、ス
また親も収穫の出来に応じて農作物など
ンバ研究の見直しを進めようと考えた。
を子の預け先に届けることになる。
まず問題になるのは経済的な観点から
子どものやり取りよりも実数は少ない
みた父系氏族と「家」の役割である。ある
が、スンバ農村で目立つのは高齢者を引
氏族の成員だけが利用できる未耕地があ
き取って世話している家族の例である。
るわけではなく、氏族が一体となって
実子や孫など面倒をみる近親者がなく、
農業など経済活動を行うこともない。婚
一人でもはや生活できなくなった高齢者
姻や葬儀などの儀礼を除けば氏族はほと
を、誰かが引き取って一緒に暮らしてい
んど意味をもたない単位である。キリス
ト教に改宗するスンバ人も増え、祭祀上
08
民博通信No.135
サウジアラビア帰りの女性と彼女の収入で改築し
た家屋(西ジャワ州、カラワン県)。
る。柔軟性の高い世帯構成にもとづく支
え合いの慣行があるため、
福祉制度がまっ
たく整備されてないスンバ社会でも、高
齢者がそれなりに天寿を全うできる。
現代日本において、夫婦と子どもから
構成される「核家族」
(近代家族)を聖域化
して、その外部に対して閉鎖性を示す傾
向が顕著になっている。都市部ではたと
え実の親であれ、老親を引き取って自宅
で面倒みることは重大な覚悟を伴う決断
となっている。もともと日本では慣行と
して養子・里子が盛んであったが、今日
ではその実数が激減している。たとえ一
時的であれ、
「家族」以外の人間と一つの
住居で暮らすのに抵抗感を示す人が多く
なっている。一昔前は地方出身者がよく
親族の家に住み込んで大学に通っていた
が、近年は珍しくなっている。このよう
な日本の家族の対極にあるのがスンバの
家族である。ちなみに、世帯構成の開放
性と柔軟性は以前から東南アジア研究者
が指摘していることである。マレーシア
農村の家族を調査した坪内と前田は、
「家
「マラプの家」とその前にある墓石(東スンバ県)。
族圏」という概念を使って、多様な親族
が自由に加わることが可能な世帯編成原理を説明した(坪内・
。
前田 1977)
に至るケースも少なくない。インドネシアでは男性が家族の
「背骨」となって家族を支えるべきだという理念がしばしば語
られるが、裕福ではない階層の家族では、それは建て前に過
移住労働が生むグローバルな家族
ぎず、もともと何らかの小商いを営む女性の家計に対する貢
2011 年 1 月に台湾の高雄で、インドネシアから働きに来て
献は大きかった。このように女性が大きな役割を果たす母中
いる女性労働者の予備的な調査を行った。インタビューした
心的な家族のあり方が、海外へ多くの女性が労働者として出
既婚女性の話から浮かび上がってくるのは、海外で働きなが
て行くことの背景にある。2009 年に約 63 万人のインドネシ
らギリギリで妻・母としての役割をこなしている女性の姿で
ア人労働者が海外に出たが、その 84%を女性が占めている。
ある。たとえば、東ジャワの農村出身の女性(35 歳)は 17 歳
の時に新婚早々でサウジアラビアへ働きに出た。2 年間の契
先行研究を現代の家族研究に生かす
約が終了するとインドネシアに帰国し、約 2 年間という短い
ここで取り上げた世帯間の子のやり取りや母中心的な家族
期間で妊娠・出産・育児という妻に求められる役割を済ませ、
の問題は、以前から人類学・社会学の家族研究で取り上げら
1 歳未満の子を残して、また働きに出た。このパターンを二度
れてきたテーマであり、とくに目新しいものではない。ここ
繰り返して 2 人の子どもをもった。通算 6 年間サウジアラビア
で筆者が言いたいことは、インドネシアでは地域ごとの独自
で働いた後、アラブ首長国連合で 2 年間働き、2010 年からは
性を保ちつつ、このような家族の特質が今日まで継続してい
病人の世話という名目で台湾で働いている。彼女が海外で得
て、それが教育水準の向上や女性移住労働者の増加といった
た収入は、当初は水田の購入と家の改築のために使われたが、
現代的な問題と深く結びついているということである。家族
今では 2 人の子どもの教育資金というように、家族のライフ
に関する研究の蓄積にさかのぼって考えることは、現代世界
サイクルに合わせ、その目的は変わっている。海外にいる間、
で生起する多様な問題に取り組む上でも重要である。このこ
彼女の母親が 2 人の子の世話をしている。スンバの事例で説
とを今後の共同研究の議論のなかでさらに深く議論していき
明したのと同じような祖父母による孫の世話がここでもみら
たい。
れる。さらに夫も 2 年前からマレーシアに働きに行っていて、
親子が 3 カ国に別れて暮らしている。たとえバラバラになっ
ていても
「家族の絆は一つにまとまっている」
と彼女は語った。
ジャワ島の一部ではもともと夫=父の存在が希薄で母子関
【参考文献】
ギアツ,
H. 1980『ジャワの家族』戸谷修・大鐘武訳 みすず書房。
坪内良博・前田成文 1977『核家族再考』弘文堂。
係を中心に生活が営まれている「母中心的な」
(matrifocal)家
族が報告されている。女性親族間の結びつきが強いのが特徴
。今日、海外からの送金で家
の一つである(ギアツ 1980:55)
計を支える妻=母が増加していることは、従来とは違う意味
で新たな母中心的な家族が生まれていることを示している。
海外で娘がお金を稼ぎ、彼女の母がその子ども、つまり孫の
面倒をみることになる。また長期にわたる別居の結果、離婚
こいけまこと
先端人類学研究部特別客員教員
(教授)
・桃山学院大学国際教養学部教授。専
門は社会人類学で、とくに家族と親族の研究に関心をもつ。インドネシアの
スンバ島と西ジャワ州カラワンで調査。著書に『インドネシア――島々に織
りこまれた歴史と文化』
(三修社1998年)
、
『東インドネシアの家社会――ス
ンバの親族と儀礼』
(晃洋書房2005年)
など。
No.135民博通信
09
Fly UP