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認知症サミット日本後継イベント関連資料
認知症サミット日本後継イベント関連資料(若年性認知症テニス教室と認知症カフェの成 立過程) 「宇治のカフェへ ようこそ!」 カフェ一日店長 森 俊夫 本日の配付資料 1.パワーポイント資料(第一部のミニ講演用) 2.認知症サミット日本後継イベント関連資料 (若年性認知症テニス教室と認知症カフェの成立過程)・・・この資料 3.認知症サミット日本後継イベント関連資料(京都の軌跡) □ 若年性認知症テニス教室の誕生(2012 年 10 月) きっかけは、一人の若年性アルツハイマー病の男性だった。彼は京都大学で公害の一つ である「カドミウム慢性中毒」の研究助手の仕事をしていた。そして定年退職した翌年の 61 歳の時にアルツハイマー病を発病した。スポーツが趣味だった彼は、ホノルルマラソン を4回走破した経歴を持ち、退職後は草野球のチームに所属し野球を楽しむ生活を続けて いた。しかし、発病後に車の運転を辞めたために、球場に通うことが難しくなった。彼も 彼の妻も生き甲斐となっているスポーツを続けることを強く希望したが、高齢者のサポー トを中心とする介護保険サービスには、彼の望むメニューは見つからなかった。 彼と彼の妻と相談を続けた結果、「なければ創ればよい」との結論に至った。彼が通院し ている京都府立洛南病院の精神保健福祉相談員はテニスの経験があり、病院にはテニスコ ートがあった。彼、彼の妻、精神保健福祉相談員の 3 人で週一回のテニス教室がスタート した。2012 年 10 月のことである。 □ 潜在的な需要とテニス教室への結集 テニス教室の特徴は、三つある。一つは当事者のアイデアによって生まれた当事者を中 心とした場であること、二つ目は家族で参加できること、三つ目は認知症の有無にかかわ らず一緒にスポーツを楽しめること。こうした場は、従来の介護保険サービスには存在し ていなかったが、潜在的な需要は大きかった。これまでのサービスにはなじめず行き場を 見つけることのできなかった人たちが続々と集まってきた。 最初に登場したのが、若い頃からテニスを続けてきた女性。記憶障害が進行してこれま で所属してきたサークルを続けることが難しくなった。何とか好きなテニスを続けさせて やりたいと思っていた夫がこのテニス教室を探し当てた。彼女はテニス教室きっての技術 を持ち、夫はテニスコートの初期基盤整備の役割も引き受け、夫婦でテニス教室を支えて いる。続いて登場したのが地球科学(earth science)の教授。定年退職の直前に発病、夫 婦ともに認知症にどう向き合っていくべきか、その答えを探していた。 「鉱化作用とは金銀 銅など金属鉱物が地層や岩石の中に凝集する働きだ。それらを探す人が山師であった。現 代の山師も山(フィールド)を歩き,地球の歴史の中に,そのドラマを追う」、大学時代に そう学生に語りかけた彼は、いま認知症との付き合い方に新しい答えを見つけ出そうとし ている。同時期に元科学者で、ギターの演奏や絵画などに多彩な才能を持つ男性も加わっ た。認知症を発病してからギターも絵画もやめてしまい、閉じこもりの生活が続くことを 心配した妻がテニス教室を見つけ出した。そしてテニス教室きってのスポーツマン、1964 年の東京オリンピックの聖火ランナーであり、男子バレーボールの元全日本選手が登場す る。猫田、横田、大古とともに男子バレーボールの全盛時代を築いた一人である。こうし て続々と人が参加してくると、精神保健福祉相談員一人では、十分なサポートができなく なった。専属のテニスコーチと近隣の大学から学生の応援(アルバイト契約)を得て、現 在のテニス教室の姿ができあがった。 最近加わった二組のメンバーもすぐにグループに溶け込んでいる。一組は、2 年前に認知 症を発病し、この春に大学の事務長の職を退いた男性夫婦。不思議な御縁があり、彼は小 澤勲の最後の職場となった大学で同じ時期を過ごした同僚である。そしてもう一組は、昨 年若年性認知症の診断を受けた女性とその夫。診断を受けて途方に暮れたが、いまはテニ ス教室に通う時間が一番楽しく、毎回こころまちにしている。 □ そして認知症カフェの試行と当事者チームによる会議の開催 2012 年 12 月 2 日に、試行的に認知症カフェが開催された。その中心を担ったのが若年 性認知症テニス教室に集うメンバーだった。その一ヶ月後、2013 年 1 月 5 日に、当事者チ ームを中心にした認知症カフェ準備会が開催され、 「試行的カフェの感想」 「今後への希望・ 期待・注文」 「認知症カフェの構想」が話し合われた。この準備会によって、カフェのイメ ージができあがった。 □ 当事者チームと描いた認知症カフェのイメージ 休日の昼下がり、家族と、あるいは一人で、ワンコインを片手にぶらりとカフェにでか けてみる。宇治で準備が進んでいる初期認知症の人を対象にしたカフェのことである。時 間は休日の 14 時から 16 時の 2 時間。全体は三部で構成されていて、ミニ講演、ミニコン サート、そしてカフェタイムが続く。 よくコーディネートされた空間。そこに認知症当事者、家族、医療介護の専門職、地域 住民が普段着で集まってきて休日のくつろぎのひとときを楽しむ。「対等な生活者」として 場に参加しているので、誰が当事者で誰が専門職なのかわからない雰囲気が特徴である。 ミニ講演は医師と当事者が担当し、コンサートは現役で活躍している音楽家を招く。カフ ェタイムは自由に歓談するひとときであるが、認知症当事者と地域住民が初対面であって も、くつろいで過ごせるよう工夫されている。 これまで初期の認知症の人たちが利用できるサービスはなかった。当事者だけではなく 家族もまたサービスから、そして社会から疎外されてきたと言ってもよいかもしれない。 認知症になっても住み慣れた地域で今まで通り暮らし続けるための拠点として、6 つの地域 包括支援センターごとにカフェが開設された。地域住民にとっては、このカフェが自分や 家族の最初の相談窓口にもなる。カフェ終了後に専門職チームが個別相談にのり、アウト リーチ機能(自宅に出向くこと)も持つので、医療機関の受診を拒む人にも対応可能であ る。認知症の初期段階で集中的に支援を行うことで、認知症になっても社会の中で暮らし 続けることをサポートしていく。 認知症になったけど、宇治に住んでいてよかった、そういう宇治市を創ることはそんな に難しいことではない。