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第70 困(4 月)例会報告

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第70 困(4 月)例会報告
」
,
「戦争膏径を 4 に刻む」舎報
平等ロをつくりだす
第 1侃号 2014 年 5 月
編集高原傭
立ーったままなので狙われて死ぬ。血が滝のように
噴き出す。
欧州でも軍馬はいたが、行きているものは帰国
している。
発行所 〒6~ら仰8 加古川市加古川町木村相村
敗戦で軍馬は兵器として押収された。泣きの涙
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で射器とともに中国側に引き渡した。だから兵は
第 70 困(4 月)例会報告
テーマ
「軍馬は婦らずj
第 70 回を迎える今回から、例会の名称を f フ
ォーラム『戦争と平和JJ とした。
証言者は、織田文雄さん(元中支駒雄軍 116 師団・
嵐兵団)兵士)。織田さんが終戦を迎えたのは長沙。
今年は「午歳J に因んで「軍馬j の話。
数十万頭の馬が中菌戦線へ
中国大陸では、兵器・弾薬キ物資の輸送にとっ
て馬は欠かせなかったという。背中にそれを背負
帰っても、馬は一頭も帰れなかった。
中国では戦闘に馬はつかわなかったので、殆ど
は食用にされたのではないかと織回さんlまいう。
織田さんたちは、軍馬がどれだけ活躍して、ひ
どい自にあったかに深い,思いを込めて、京都の護
国神社に「軍馬の碑j を建てたという。
馬はもの言わぬ協力者
織田さんの話の中で、北支那派遣軍にいた藤田
博さんも、馬なくして何も出来なかったという。
馬と軍との関係は深い。馬は人間に馴染み易く、
って移動する。およそ十数万頭の馬が日本国内か
人間の言葉を聞き分けることも出来る。喜怒哀楽
ら「軍馬」として挑発された。馬がトラック代わ
も顕し実に可愛い。そのほとんどが犠牲になった。
りだった。
馬はもの言わぬ協力者だった。
トラックが利用されるようになったの
はずいぶん後のことだった。
軍団は中国の山野を馬を連れて移動した。織田
さんの部隊には 130 頭いたという。
兵士は馬に劉曹を込めて一一
f馬の扱いを命じられた兵隊は大変でしたよ。
ば寅高廃。
〈笹奮を聞いて〉
馬はなぜ現地調達しなかったか
初めに、馬は現地調達ではなかったのかという
質問に絡んで話された。
0
闘に役立つ馬は日本の農家から挑発した。農
わがの子にように育て、愛情を持って扱い、血の
山村での戦闘は馬でないとダメ。トラックは役に
通ったつながりでしたねJ と織田さん。馬に赤ん
立たない。 0中国の馬は、馬車としては役立つ。
坊が生まれると、じぶんの彼女の名前をつけた兵
日本の馬と違って、短足小型のため戦闘には適し
隊もいたと方、
ていなし L 兵器軍馬としては使えない。 O 日本に
朝起きると先ず馬小屋の掃除をしてから食事
は軍馬を育てる農家があった。但馬地方では、馬
をする。戦闘中も食料などを馬に乗せているので、
を育てて暮らしを立てていた部落があったが、軍
兵隊は苦労していたという。休憩のときは、自分
から馬が調達されて食べていけなくなった農家
のことをさしおいき、馬の面倒を見る。餌や水を
もあった。 0戦争は残酷なもの。犠牲になった馬
与えてやる、背中をさすってケアーする。
のために村で「馬霊塔J を建てた。 0兵隊は一銭
何千という石段を登り、馬を上げて戦場までい
五厘で調達できるが、馬は沢山のお金がかかって
く。馬は水を嫌うので、馬の運搬で川を渡る時は
いると云われ、人間の命は軽視された。
苦労する。馬はものが言えないだけに云うこと聞
あの戦争はなんだったのか
かせるのが大変だ。
たしかに馬とともに移動し、病気になると、馬
話は馬のことから戦争のことに移った。
0 「無条件降伏J と聞いて、中支戦線では勝って
の病院もあったが、足を怪我したり、病気で役に
いたので、「無条件J はショックだった。
立たなくなると、担当の兵士は射殺しなければな
0何故もっと早く降伏してくれなかったのかと
らない。それが何よりも辛い。。兵と馬との別れ
の悲しみはなんとも言えないものだった。
いう思いもあったJ
O敗戦を知って、ヤレヤレという気持ちと残念と
軍属は帰らず
いう気持ちのこ通りがあった。
戦場は残酷を通り越していた。兵士は敵の攻撃
O若い兵隊たちは喜んだ者がいた。もう少し降伏
の時には伏せることが出来て命は助かるが、馬は
が遅れていたら、日本はえらいことになっていた
と思う。
また報復で日本の国土が戦火に包まれ、死の恐怖
O戦争をやった連中は、必ず終わらせる方策が必
におびえる日が来るかもしれません。あなたはそ
要なのに、それがなかったことがあの戦争の問題
の時、どうしますか?
最近、戦争の時代を生きてきた f保守j と云わ
だったのではなb 功、
0 日本は負けるべくして負けたと,思った。アメリ
る方々からも、安倍 f暴走j を「 1930 年代の戦争
カ進駐軍を見て、その物資の豊富さに驚いた。
前夜の状況J を思わせる、と危慎する声が出てき
0 日本軍は f現地調達j という略奪を戦術と考え
ています。
ていた。ヨーロッパではそれは作戦としてない。
お父さんお母さんたち、このまま手をこまねい
だから悪い事をしたという意識がなかったので
て、子や孫を戦場に送りますか?そんな時代を子
はなし油、戦国時代からかわらない。戦争感の違
孫にバトンタッチしますか?と問いかけたい気
し、カミ。
持ちです。
織田さんの言葉をよくかみしめたいものです。
0安倍はあの戦争を侵略ではないと肯定するが、
〈高原惰)
読弁だ。日本には略奪や虐殺など「三光千情長j に
ついても、侵略J かどうかという点についても善
悪を判断する基準がない。
r会報j と f例会」の呼び名変更について
0戦争が戦争を養うということがあり、近代にな
f戦争責任を心に刻むJ 会は、‘ 02 年 10 月に第
って国際法で捕虜の虐殺は否定されているにも
1 回例会をもって以来’ 14 年 4 月で 70 回を迎え
かかわらず日本はあえてそれをやった。
ました。戦争体験を学ぶ事をベースにして戦争と
最後に感想、としてこんな声があった。
平和について考えてきました。その際、侵略戦争
0 あの戦争では、みんなそれぞれに傷ついて帰っ
の「加害J 責任を抜きには出来ません。「戦争責
てきた。
任j を心に刻むと云うのは会の「原点j です。今
0軍馬の事は知らなかった。
後も、その「原点J である会の名称、はそのまま継
0戦争では、弱い者がひどい自に遭う。安倍のよ
承します。
うな考えに対して批判の世論が増えている。
しかし、戦争を知らない世代が増える中で、幅
(文責・高原)
広く f会j の活動を分かり易く知ってもらうため
〈感想〉
戦争は「非情J なもの
に、会報のネーミングを「平和をつくりだすj と
織田さんは、この会で、これまでも戦争につい
しました。「新約聖書J にある f平和をっくり出
て多くの体験を話してこられました。そのとき、
す人は幸いである J (「マタイによる福音書J 5-9))とし、
必ず言われるのは、 f戦場では殺すか殺されるか
うことばから取りました。また、例会の名称も「フ
だ。殺さなければ自分が殺される。だから戦争を
ォーラム・戦争と平和を考える j としました。例会
してはいけなしリと。
の回数は従来を引き継いでいきます。
この言葉は f戦争とは何かj を簡単明瞭に語っ
平和を祈りその実現への道を歩んでいきます。
ていると思います。どんな理屈を付けようとも、
戦争体験者、戦争を知る人たちカ可Pなくなる中、
織田さんの云われる通り、戦争とはそんな「非情j
「戦争を語り継ぐj 事は重要です。「改憲J 、 f集
な現実だと思います。
団自衛権j が叫ばれ、 f戦争放棄J をうたった九
戦争を知らない世代が増え、そんな世代の政治
条をなくし、「戦争できる国j にしようとする策
家たちの中には、 f防衛j だの「自衛権J だのと
動が顕著になってきています。
戦争を肯定する風潮があります。その連中に、 f君
そこで、「再び戦争の惨禍j が起ることのない
はそこにいますかj と云いたい。つまりその戦場
ように、戦争体験を「追体験j し、貴重な「戦争
にいて、殺すか殺されるかという場面にいること
の記憶j を語り継いでゆく「語り継ぎ部J であり
ができますか?そう無責任に口に出来るはずは
たいと思っています。
次代を担う世代がこの会に参加してもらえる
ありません。
改憲で九条をなくし、「集団自衛権j の名の下
事を願っています。
(高峰崎)
で、米国とともに f戦争のできる国J になれば、
否が応でも、殺し殺される戦場に駆り出されます。
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『戦争責任を心に刻む』会例会の歩み
第 35 回(08 ・ 6)「調駐車えの苦闘を越主てJ (途藤袈)
(14 ・ 4)
この会は「戦争貸任を心に契jむ」と L 、う立場で、戦争と平和について考
第 36 同(08 ・ 8)「アメリカと岡本を考えるJ (伊東久悠〉
え掌ぶ会です。「政府側7為によって再ぴ戦争の惨繍がおこることのなし、
第 37 田(08•10)パネルヂイスカッショ Y 「脅年が考える戦争と乎和」
やうにj するため、 f負の遺産J を受け継ぎ語り伝えようと考えています。
第 38 回(08 ・ 12)「筏争はまだ終わっていない」(綱本守〉
第 39 回(09 ・ 2)「山豊島省で日本草は何をしたか」(藤田博)
例会では、戦争体験者の証言を聴き、平和問題についての発題を受け、
戦争を知らない世代と共に平和について籍り考え合ってきました。例会
第 40 四(09 ・ 4)「戦争
その時子供たちはJ 情報忠輔k d島村佐久)
70 回にあたり、第 1 回から第 70 回までの例会の歩みを綴り返ってみまし
第 41 回(09 ・ 6)「20 世紀の〈負の遺産〉を旅してJ (根津茂〉
た。証言・発想頂いた方々に感謝申し上げますe 今後もひきつづき充実し
第 42 問(09 ・ 8)「中学生が濁母神論文を読むまで」(本田芳孝〉
た例会を目指したいと思います。
第 43 爾 (09 ・ 10)「寧殺を捨てた図ーコスタザカを考える」(井山和重)
第 44 回(09 ・ 12)「〈主宰兵士〉の日常」(織田文律)
証言者・発贈者を募っています。『自薦j r.他鵜j を期待しております。
第 45 四(10 ・ 2)「五十年目の戦場と五十年前の牧場」 (j草木蓉子〉
【例会の記録]
第 1 習(02 ・ 10)読書会『中国人強制連行』(岩波訴審)
第 46 四(10 ・ 4)「戦場その真相 lまJ (捧田博〉
第 2 回(02 ・ 12)「神戸空襲・ソ連抑留J (羽根田幸四郎)
第 47 問(10 ・ 6)「一分遣いで筏留孤児にー満州脱出記j (高崎裕士)
第 3 関(03 ・ 2)ピヂィオ鑑賞陪1 世紀への遺言」
,48 四(10 ・ 8)「緯国のヒロシマ」(本田芳孝)
第 4 回(03 ・ 4)「私の体験から戦争を語る J (lll本義和)
第 49 回(10 ・ 10)「戦場から友好の花園へJ (銭田文律)
第 5 図(03 ・ 6)「私が草霞少年だった頃」(淘逸朗)
第 50 回(10 ・ 12)「戦争協カ者だったマスコミ」(友ええさ)
第 6 回(03 ・ 8)「8 ・ 15 とは」(李え際、本村緋一郎、内場末次郎)
第 51 回(11 ・ 2)「大返事件育牟」(犬伏室宏)
第 7 問(03 ・ 10)「犠民地の中の日本人j (今井和釜、岩井 ii~)
第 52 関(11 ・ 4)「空襲の犠牲を語り継ぐ」(杉』~1H9
第 8 四(03 ・ 12)「12 ・ 8 をどう迎えたか」(新聞智照、内場米次郎)
第 53 四(11 ・ 6)「鴻州から日本へ」(森用敏兵)
第 9 四(04 ・ 2)「教育勅語の下で」(内藤喜美子、大野亮三)
第 54e耳(11 ・ 8)「北海道はどのようにつくられたかJ (美野和夫)
第 10 回(04 ・ 4)「ジャーナリス’ムと喰争責任」(友成危吉)
第 55 四(11 ・ 10)「歴史教科書は古代をどう著している」(よ野枯一良)
第 11 爾(04 ・ 6)「戦争責伝と宗教j (水司会一)
第 56 回(11 ・ 12)「十二月九日とは何か」(生嶋乗薫)
第 12 回(04 ・ 8)「8/15in 中国・朝鮮J (小林利和)
第 57 回(12 ・ 2)「原発と原爆」(伊永久主主)
第 13 四(04 ・ 10)「靖国参拝を問う一戦没者の慰霊とは」(今井和受〉
第 58 回(12 ・ 4)「中国は日本軍をどう』もでいたかJ (織田文律〉
第 14 四(04 ・ 12)座談合「戦争体験の記憶ーそれぞれにとっての戦争」
第 59 四 (12 ・ 6)「田本軍とは何だったのか」(藤田博)
第 15 回(05 ・ 2)「私の受けた教育・教育粉語と記え節」(杉島寿美子)
第 60 四 (12 ・ B) r絶滅の戦争遺跡を歩〈」(本冒芳孝〉
第 16 回(05 ・ 4)「学徒動員の中で」(田中敏夫)
第 61 爾(12 ・ 10)「弘緯論成主治の急増」(高原傍)
第 17 問(05 ・ 6)「成争体験を伝止る」(生嶋乗薫)
第 62 四(12 ・ 12)「日の丸君が代・現渇からの報令」〈稲決定)
第四回(05 ・ 8)「攻争そして in 満州」($宇宙令制
,63 同(13 ・ 2)「近躍も4ええからえた領ム問題j (よ野裕一良〉
第 19 司(05 ・ 10)「教科書l こえる戦争責任」(よ野祐一船
第 64 回(13 ・ 4))「宇函 lま脅威かーその素旗」(前田清)
第 20 回(05 ・ 12)「戦場
第 65 回) (13 ・ 6)「〈従寧慰安婦〉の声を穂< J (~検事k江)
ミの乳実」〈由民田え遺書〉
第 21 問(06 ・ 2)座談会「乎和
第 66 田(13 ・ 8) (fl虫鳥』は日本の領土だと思いますか) J (本百芳孝)
それぞれの思いJ
(
1
) (i銭田文総)
第辺関「侃・ 4」「子供は戦.争をどう受け止めたJ 織田え雄、坂本.
.
和)
第 67 回 (13 ・ 10)「戦争体験者として語る J
第 23 回(関・ 6)「〈筏争責任を心 l~i·J む〉とは何かJ (原谷船
第邸周 (13 ・ 12)「戦争体験者として語る」(2) (藤田博)
第 24 回(侃・ s) r.tt. 司を生きる J (李明淑)
.69 四(14 ・ 2)「持
第 25 回(06 ・ 10)「中国寧の梼虜となって」(宮本政怠〉
第 70 回(14 ・ 4)「〈寧.I,)は婦らず」(織田え裁〉
〈ヨシコ〉をめぐって」(たかとう昆子)
(i主) i正宮*・発長草者のお名前の敬称l主格させて項きます
第 26 四(06 ・ 12)「今マスコミを問う」(続本守)
。歩みを振り返るにあたり、危絡に入られた証言者・発趣者のご尊名を記
第 27 四(07 ・ 2)「中国人から見た目本今昔」(51褐零)
し、/£ 1:告の気持ちを絡げるとともにご冥識をお析句申しょげます.
第 28 四 (07 ・ 4)「戦争体験から戦争責任を揺る」(慈宙博)
(14 ・ 4U))羽根田幸四郎、坂本A.和、内感喜美子、大聖子亮三
第泊四(07 ・ 6)「中国戎留孤児は語る」(宮島満子)
友成.えさ、新荷電fJ!il.
第 30 四(07 ・ 8)「開.争で死ぬという ζ と』を読む」(伊永久総)
第 31 回(07 ・ 10)「今〈退局〉からく楽しい乎和教育〉へ」本田芳孝)
第 32 回(07 ・ 12)「戦後世代の責任とはJ (溝田彰)
司 33 窃(08 ・ 2)「従軍慰安婦〈ナヌムの家〉を訪ねて」(国貿由美子)
第 34 四(08 ・ 4)「中国最後の激戦地に岡本人名学校開設j (織田えま事)
-4--
(唱え称略〉
近代化・グローパノレ化の中のアジア
第3 6回
「戦争とたたかう」( 20 13 ・岩波現代文庫)を読む
(その 2)
美野和夫
日中戦争を収束する政治戦略をもてなかった日本は、いかにも杜撰な対米英蘭開戦(おくればせなが
らアメリカには開戦が通告されたが、英・蘭両国には宣戦さえ行わなかった)のあと、広大な地域を占
領する‘「大勝手lj J に酔っていたが久田の属する野戦重砲第 1 2 連隊がフィリピンへ送られる頃には全く
戦況が一変していた。ミッドウェー海戦以後もソロモン諸島をめぐる死闘では日米の戦力はまだ括抗し
ていたが、このあとアメリカの戦時生産力が本格稼働にはいると海空軍の戦力に隔絶した格差がうまれ、
ソロモン戦での戦力消耗を補充できなかった日本軍はニューギニア・中部太平洋で後退をかさね、‘ 44
年 8 月にはグアム・サイパンが失陥して米空軍の日本本土襲来は時間の問題となり、 I 絶対国防圏」の奥
深くへの米軍の進攻を予測せねばならない事態に追い込まれていた。
その先陣をきってマッカーサーが「帰還」をはたしたのが、フィリピン中部のレイテ島 (1 0 月 2 0
日)であり、日本軍が捷一号作戦を発動して「レイテ決戦」を呼号し、海陸ともになけなしの戦力をつ
ぎ込み、始めての「特攻」まで決行した反撃は成功しなかった。ルソン島の防備は弱体化し、久田の部
隊がルソン島に到着した 1 0 月以降防衛体制の変換があたふたと行われていた。結局山下奉文大将のひ
きいる第 1 4 軍は米軍上陸にあたって、水際撃滅・マニラ防衛を放棄し、航空軍、海軍をふくめて約 2
8 万の兵力をルソン北部山地・クラーク西方山地、マニラ東方山地に分割配置し、「自活自戦、永久抗戦
の態勢J をとることを決定し、「決戦」から、本土防衛のための時間稼ぎの持久戦に性格が変えられた。
つまり補給も増援もなくとも降伏せず死ぬまで戦うことを命じられたわけである
(結局マニラには一部
の部隊が残存して激しい戦闘となり、市街の破壊と住民多数の犠牲をうんだ)
そのような決定がされても、末端の一共卒には知るすべもなく、
1 0 月 1 日にリンガエン湾のサンフ
エルナンド港に着いた久田たちは米軍の空襲のあとも生々しい街と、港にたむろする異様な日本兵の一
群を目撃している。海没した輸送船から救助された兵たちで、 f 帽子もかぶらず、わら草履のようなもの
を履き、ある者は裸是、・・・誰もなにも話さない。無表情で、ただ、座っているのです。 j 久田達の第二大
隊は旭兵団(第 24 師団)に属することになり、海岸からすこし内陸に入ったポソロピオという人口千
人ばかりの田舎町に駐屯し、同地の小学校を中心に宿舎や施設をもうけた。久田はそこで便所やドラム
缶風呂を設営したり、警察署長のデソンとしづ人物の協力をえて、食糧や日用品の購入などの経理の仕
事にはげみ、しばらくは「牧歌的な」日々がつづいた。
日本占領下のフィリピンでは早くから数系統の抗日ゲリラが活動し、日本軍の発行した軍票の信用は
がた落ちで、あったが、久田はフィリピンでは商品化されていない稲わらの買い取りなどを現地人との話
し合いでおこなったり、正月用の餅を、現地女性をたのんでついたりと、すべての調達を買い取りでお
こない、強制徴発や掠奪をけっして行わないという姿勢で人々の信頼を得ていたようである。クリスマ
スイブには町の有力者たちがパーティを開いて、久田らを招待してくれた。ところがその後、彼らは日
本人の眼を避けるようにそそくさと町から姿を消す。おそらくは、地下組織をつうじて米軍の上陸を事
前に知っていたのではないかと久田は推測している。' 4 5 年 1 月 5 日、米軍艦船はリンガエン湾を埋め
つくし、翌 6 日から猛烈な爆撃と艦砲射撃が日本軍陣地を襲い、
9 日には米第 6 軍主力 1 9 万名の上陸
が始まった。
ポソロピオにも最初の空襲があった。
4 機のグラマン戦闘機と、
4 機のアヴ、エンジャー雷撃機による
銃爆撃で、経理部が物資を集積していた小学校は被害をうけなかったが、はじめての敵襲にほとんど非
-
,
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武装の経理部はパニック状態となった。そのとき、部下たちは窓から脱出したのだが、久田は将校が窓
から逃げだす途中で撃たれてはみっともないととっさに考えて別行動をとった。あとになって久田は、
「俺は軍人になっていたではないかJ と気づいて傍然とする。彼はこれをノレソン島における私の痛恨事
の第一のものと記している。久田はこのあと、小学校に集積したままになっていた糧稼をとりあえず移
動させ、各中隊に連絡して受領させ、始末をおえて大隊が陣地をかまえていた東方山地へ移動するのだ
が、この過程で大隊本部からはなんの指示も援助もえられなかった。おまけに腐敗して放棄した味噌や
漬物樽のことを申告すると、大隊長はすでに戦闘がおよんでいるポソロピオから運んで来いと命じ、久
回以下ほとんど非武装の一隊をさしむける始末であった。手持ちの糧株を配分し、戦闘地域にはいって
これ以降久田たち大隊経理部には本来の仕事はなくなり、部隊の敗走に追従するだけとなった。
久田はこのころマラリアにかかり、定期的な発熱に苦しめられている。戦闘では日本軍は 1 9 日に大
隊規模の斬り込み攻撃をおこなうなど、もはや正面から米軍とわたりあう戦力はなくなっていた。大隊
は 2 2 日には山中の陣地を引き払い、重過ぎて搬送不能な 1 5 センチ棺弾砲を破壊して北方にむかい、
パギオ(山下の司令部があった)に通じるべンゲット道第 3 キャンプをめざして後退した。米軍主力は
南方のマニラ解放をめざしており、ルソン北部の複郭陣地へ後退する尚武集団を追及した米軍は全力を
あげていたとは思えないが、昼はほとんど移動できず、夜に行軍して、パギオをへてナギリアン道沿い
のイリサンというところの陣地にはいった。ここからはリンガエン湾の米軍艦船が夜間も埠々とあかり
を灯しながら陸地にむかつて艦砲射撃をくわえているところが見えた。日本軍機による反撃はまったく
あとをたっていた。この頃には最後に分配した連隊の糧株もそこをついており、近くの芋畑から芋を掘
りおこして飢えをしのいだ。ここでまた上官から、兵団からの糧株の受領のため前線へ出ろと命じられ、
幸運にも敵に遭遇することはなかったが受け取った糧株はほんのわずかで、これ以降糧株や被服などの
補給はいっさいなく、経理本来の仕事はまったくなくなった。パギオをめざす米軍の進撃がイリサンに
迫ると大隊長は部下を集めて「死守J 命令をくだすが、 4 月 2 3 日には尚武集団自体がパギオ放棄を決
め、イリサン付近で肉薄戦を覚悟していた久田たちも山中をポントック道 2 1 キロ地点さして、さらに
内陸山地にわけいっている。
このころ日本で刊行された「比島決戦場J という時局むけの本では、フィリピンを日本の「不沈空母
集団」ととらえ、ルソン島における日米の野戦軍主力の「大相魁J がカギだといっており、「ノレソン島こ
そ、我が野戦軍の真面白を遺憾なく発揮し、その山川草木を米鬼の血潮によって染めなすべき大出血戦
場である」と t煽っている。しかしその[真面目 j とは「皇軍独自の肉薄斬込み戦法 J であり、現地の将
兵に無限の犠牲を強し、るものでしかなかった。
北部/レソンは 2 千メートル級の山岳がつらなり、住民は巨大な階段式水田を構築して農耕をいとなん
でいる厳しい自然条件の地である。そこへ補給を絶たれ、わずかな携行糧株も食い尽くした十数万の日
本兵が敗走してきたらどうなるか。飢餓と疫病の蔓延する地獄であった。敗走の途次、久田は他の部隊
の兵士からいくつかの印象的なエピソードを聴き取っている。破壊されたトリニダッド橋の近くでは一
人の兵士が、砲撃されたトラックから食糧を取り出そうとしており、彼は命令ではなく「自分は食糧が
ほしし、からやっているのですc 砲撃の間隔を調べて知っているから、敵中に斬り込みにいくより安全で
す。」久田はこの兵士について「この兵隊は軍隊からドロップアウトして、一人で生きる決心をしたので
しょう c 私は彼がそこまで居直れたのが、むしろうらやましかったですね。 J
と語っている。
またある衛生伍長からは、パギオの野戦病院で、は撤退にあたって歩けるものを徒歩で脱出させたあと、
ーもー
「歩けない兵隊は静脈注射をして殺害し、それでも間に合わなかったので、病院に火をつけて、病院も
ろとも焼き殺したので、す。」と告白されている。脱出できた傷病兵たちには、行き倒れ死体として久田は
多く対面することになる。「水を飲もうとした格好のまま死んでいる兵隊、毛布をかぶったまま死んでい
る兵隊0 .・共通していることは靴をはいていないことです。傷病兵の靴はあまり破損していないので、
ここを通過する兵隊がはいていったのです。・・途中に見た死体の中に、一人として将校の行き倒れはあ
りませんでした。」
敗走する日本軍兵士の主食はたまたま発見できた「現地人の籾米J をついて 1 0 日に一度でも食べら
れるのがせいぜい、芋を入れた粥に野草をまぜたものがいい方だった。それにバッタや沢蟹を小粒の唐
辛子とまぜて味付けにした。蛙、
トカゲ、へビ・・何でも食べた。「へピを見つけるとみんな誕を垂らし
て、目をギラギラさせて、パーツとつかんで食べてしまう。 J ついには「銀色の大きなカナブンみたいなJ
ガメ虫というのをパリパリ食べた。と回想している。久田自身は完治しないマラリヤに加えてアメーパ
赤痢にかかり、 1 0 分おきに強烈な便意をもよおし体力を消耗していった。久田の当番兵で、あった高柳
一等兵もこのような状況で死んでいったυ 戦後、第 1 4 軍の参謀で、あった栗原賀久の書いた「運命の山
下兵団」で、兵士たちが飢えているときパギオの司令部では「「アルコールも酔いがまわり、食卓もデザ
ート・コースに入って、やはり缶詰の果物がでたころ・. J
といった記述を読んで「体がカーッと熱く
なる」怒りをおぼえたと回想している。水島は高木俊朗の「/レソン戦記」から、旭兵団の吉原中尉がバ
ギオよりさらに山奥のパンパンで「地下倉庫に山積みになっているスコッチ・ウイスキーを見つけた。」
話を紹介している。もとよりこれらの賛沢品は飢えた兵士たちの背に担われて運ばれたものであり、彼
らが命がけで運んだ食糧で、 f で、っぷりと肥った J 山下を後に捕虜収容所で見かけることになる。
久田は 6 月の末ごろ、師団経理部への転属を命じられ、最高峰プログ山東方斜面にあったタケヤクと
いうところに出頭した。さすがに司令部では数か月ぶりに塩汁を飲ましてもらったり食糧事情は、すこ
しはましであった。ここでの仕事は思いつきのように命令された味噌づくりであったりしたが、まとも
な任務もないままに、日本の降伏と現地軍の休戦協定( 9 月 3 日)にいたり、なんとか命をつなぐこと
ができたのである。
レイテを含むフィリピン方面での戦没者総数は 49 万 8 千 6 百名で、
1 5 年間の中国戦線での戦没者
50 万 2 千 4 百名にせまる。久田は「私の部隊は 1 738 名いたが、生存者は 3 3 1 名にすぎなし、0
•
•
この 3 3 1 名のうちの一人に入ることができたのは全くの幸運だとしかいいようがなし、0 .・・これは戦
争とは言えない。なぜ早くやめなかったのか、これがずっと私がこだわってきたことです。 J と語る。
多くの戦史の中には、「この戦没者は全員が『米軍の本土強襲上陸阻止』という方面軍の最終目的のた
め犠牲となった。結果として・・米軍主力を最後まで拘束したことはその目的を達成したものと考える
べきであり・. J などとしているものがあるが、久田は多くの兵士が f停戦j による解放をこいねがい
ながら、飢えと病いによって死んでいった実情をつぶさに体験したものの責務として、このような上か
ら目線の総括、「英霊」化には断固として同意しないであろう ω 「終戦」の放送をキャッチしながら、「奉
勅命令」がなければ降伏できないとしづ形式に固執して、 8.
15 以後にも 1 万 2 千人もの将兵の命を
犠牲にする資格のあったものなどどこにもいないのだ、から。
この項つづく
ーワー
i 頭を下げて、首をう宗五百岬を心 lこ刻むか(27)
生嶋綿一
‘もし’が許されるとしたら、これが日本の運命を分ける大きなチャンスだった。本心か
ら、中国を対等の相手国と認め、その主権を尊重し、平和的に問題解決を図ろうと決心し
ている政治家であれば、このチャンスを逃がさぬよう、全力を傾倒するときであったろう。
その為には、首都南京に向かつてもうすでに進撃を開始してしまっている以上、それを包
囲するところまでは時間的にやむを得ぬとしても、攻略してしまってはだめだ。ここは、
あらゆる手段を使って、政治の優位を取り戻し、奉勅命令によってでも、攻撃を中止させ、
会談を始めなければならない。
早くから近衛の昭和研究会に参加し、この時もその会の主催者を勤めていた近衛のプレ
ーンの後藤隆之助は、上海で、松本から、そう言われ、
“飛んで帰国し、近衛と会い、是
非この機会を逃しちゃいかんと、ふんばってこの際やらねばダメだと僕が言ったら、近衛
は、こうして頭を下げて首をうなだれて、いっこう……。何かのときにはこう頭を持ち上
げる人だが、こうやっておって。反対じゃないんですよ。反対じゃないが、今の自分では
無力で、どうすることもできないという。
「なんだ」と思ったんだ、僕は。なるほど意気
地のない男だなと思って、僕は腹をたてたんだよ。パカ野郎とまではいわないけれど、な
んだと思って、本当に怒っちゃったんだ。で、あきれて、僕はもうこういう人間と話したっ
てダメだと思って、……”と回想している。
(松本重治「近衛時代 J
徹底して近衛を弁護する牛場友彦でさえこう言う。
)
“だから僕は近衛さんの一番の欠点
というか、やってもらいたかったことは、いよいよ組閣して、日華事変が起こったろ。そ
うしてそれからしばらくの経験で、なにいったって拡大する一方だろう。いくらやめろと
いったってどんどんいくんだから。その時期のある時期に、天皇陛下にほんとうに会って、
親しい仲なんだから、打ち明けて、これじゃ日本の政府はやっていけないから、ひとつ陛
下が直栽されて、陸軍大臣と参謀総長、それから総理大臣を集めて、政府と統帥府とが一
体になって事を進めなければ、とても政治はやっていけませんよ、ということを進言すべ
きだったと思うんだな。それをできるのは近衛さんだけしかなかったと思う”。
それが 1 1 月の 2 7 か 8 日。
12
(同上)
1 2 月 1 日、参謀本部は南京攻略すべしと命令を発する。
日、南京制圧。大虐殺を引き起こす。
軍の暴走を止めるどころではなかった。
1 2 月 1 4 日開かれた大本営政府連絡会議では、
先に提示し、相手側も受け入れていた和平条件の再検討をおこなわれた。華北と内蒙古に
自治政権の樹立、華中にも日本軍の保証駐留、華北華中に特殊権益の設定、戦費賠償要求
など、勝者が敗者におしつける苛酷な条件が通った。原案を支持したのは、米内海相と古
賀軍令部次長の二人だけだった。
(「太平洋戦争史 3 J 歴史学研究会編)
1 月 1 6 日、回答期限が切れた、と和平交渉を一方的に打ち切り、
一一きー
「帝国政府は爾後国
民政府を相手とせず、…… J との近衛声明を発表した。近衛は後に、これは自分の失敗だっ
たと悔やんでいるが、その本当の過ちには気づいている様子はない。
これで、日本は、中国侵略という重荷を背負い、アメリカを主とする連合軍との太平洋
戦争に向かつて追い詰められていく。原爆が落とされ、ソ連軍が満洲へなだれ込んでくる
まで、天皇も軍も、この重荷を手放そうとしなかったのである。
それが成功するか失敗するかは問わず、近衛首相と天皇は、その地位にある者としての
責任を果たすべきだった o conspiracy of silence (黙認の共謀)の罪は免れまい、と
僕は思う。軍にだけ責任を負わせるのは卑怯であろう。
(以下次号)
とのキおすすめ!
柳宗悦の『朝鮮へのおもい J を見直す
『和r
寧悦--- r複合の鍵』の思想』
中見真週著
(岩波新書)
柳宗悦( 1889~ 1961)といえば、民芸運動の創始者で知られている。柳は民芸に民族
文化の個性を見いだし、浜田庄司らと民芸運動を起こした。バーナード・リーチとも
交流をもち、「白樺j に参加した。
著者は「柳といえば民芸J というイメージから柳宗悦を解放しようとする。そして、
柳を「複合の美 j の平和を求めた思想家として描き出す。「複合の美j とは、人や地域
や民族がそれぞれ持っている資質を発揮し合う事で世界全体が豊かになるとい思想で
ある。文化の多様性を重んじるという視点、 f周辺 J 文化へのまなざしから、柳は朝鮮
へ思いを馳せる。
本書は、八つの章からなる。序章の柳宗悦に目を向ける意義にはじまり、その生涯、
柳の思想の中での民芸の位置、朝鮮への思い、柳独自の平和思想、「周辺 j 文化へのま
なざし、柳の宗教観、終章は柳の思想から継承するもの、となっている。
その中でも、第 3 章の「朝鮮への思いj は注目したい。
日本帝国主義が、朝鮮侵略、「日韓併合j し、倉lj氏改名司日本語強制などの「皇民化
政策J などを進めていったあの時代に、朝鮮に尊敬の目を向けた柳の姿勢は注目に値
する。朝鮮植民地支配批判、独立運動への関心、朝鮮美術の尊重、光化門「破壊J 反
対、朝鮮人との友好交流など、柳の朝鮮に対するあつい思いを評価したい。
未だに根深い「朝鮮人差別J 、慰安婦問題はじめ朝鮮(韓国)との歴史認識での車L蝶
がある中、柳の思想と行動を今一度見直すためにも一読に値する一書であろう。
(高原惰)
<
時事寸感
税・ T
67 >
ろでないことがすぐわかるだろう(一例: 80000000
pP への疑問
× 3600000 × 0.01=2.88 兆円。 8 千万円込よだから、
2.88 兆円以上、
伊東久雄
ただし約 360 万
巨額の税逃れ~タックスヘイブン
BS 世界のドキュメンタリー「 EU
人として)。と
租税回避
1 兆ユーロとの闘しリ( 3. 31 )を観て驚いた。グ、ロ
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の税逃れが各国の財政危機に影響、まさにグ、ロー
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その額 1 兆ユーロー 140 兆円とか、その税逃れ
ように申告所
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ーパル企業が税逃れにタックスヘイブンを利用、
ころが、左図の
おl
10・
申告納様者の所得説負担率{平成 22 年度}
所得額が 1 億円を超えると所得雄負担率は急訟に下 g
t町グヲ 7 には表れていないが.糊回避と酬の実態灯時
慮すると.負担率の低下は実質的にもっと著しいものに在ると考
えられる出典・平成忽年 10 月 21 日政府側調査会専門家委
員会提出資料
バル企業が利益のために手段を選ばぬ実態、日本
比べ高額所得への税率、資産家の相続税は大幅に
ではどうなのか。
引き下げられ、さらに今まで、国民が払ってきた 230
国税庁は 2013 年 6 月、カリプ海のケイマン諸島
兆円余りの消費税はそれとほぼ同額の法人税減税
(オリンパス損失隠しの舞台)や南太平洋のクック
分 (1989 年から 5 団法人税率切り下げ 42%→2011 年
諸島など国や地域に財産をもっ日本人のリストを
25. 時へ)に消えた。
大量に入手したと発表した。発表にいたった理由
を、
OECD (経済開発協力機構)はすでに 1996 年
「積極的に公表することで国際的な税逃れに
に法人税減税の有害な競争、タックスヘイブンは
断固として対抗する姿勢を見せるためだj として
「公正さの侵害、納税者の信頼低下、労働・財産・
いる。また、財務省も驚くような数字を発表した。
消費に対する税負担が重くなる」と警告した。こ
日本から英領ケイマン諸島に流入した資金が 2011
の間のアメリカ大統領選で富裕層増税が争点にな
年には 15 兆 3603 億円に達したとし寸。米 CNN は
り、オパマ大統領は「富裕層は適度な増税なら押
2012 年、 f世界の資産家が租税回避地(タックスへ
イブン)に隠した金融資産の総額は 2010 年末の時
点、で推定 21 兆~32 兆ドル(約 1650 兆~2500 兆円)
に達し、米国と日本の国内総生産(GDP)を合わせ
た規模以上になるとみられる j
し潰されることはない。それでも彼らは裕福だJ
と富裕層増税の必要性を強調、再選された。 2012
年欧米資産家、有名企業経営者らは各国主要紙に
「われわれに課税せよ j と訴える一文を寄稿した。
と報じている
2008 年のリーマンショックが如実に示している
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とおり、素人に全く不明な金融工学等を使って実
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.html) 。
経済を凌駕するマネーが利ザ、ヤを求めての投機が
富裕層・企業優遇の税制
もたらした世界的金融危機が私たちの生活をたび
スイスの金融大手クレディ・スイス発表の 2012
たび脅かし、ガソリン・食物等の生活用品も投機
年の世界の富裕層数ランキングによると、純資産
の価格操作に翻弄されている。世界は国境を超え
100 万ドノレ(約 8 千万円)以上を持つ富裕層数ラン
るマネーの暴走を何とか規制しようと動き始めた。
キングで 1100 万人余りのアメリカの次に 2 位日本
は 358 万 1 千人で昨年より約 8 万 3 千人増え、 2017
年には 540 万人に拡大すると予測している(2010 年
40 億円以上の総資産では日本が第 4 位 3400 人の統
計もある)。もしこの巨額の資産へ富裕税が 1%課
せられたとして計算すれば消費税による増収どこ
4 月からの消費税増税を報じるメディアはたと
えば真面目な納税者にツケを回す租税回避、世界
の流れになってきた富裕層への増税、暴走する投
機の規制を追求せず、 4 月前の買い込みその反動
等の内向きの目の前の動きのみを追うのだろうか。
一一Iゎー
100健
T PP への疑問、なぜ知らせない?
に知らされていない。鈴木宣弘氏の著書で紹介さ
2013 年 fアメリカは日本の消費税を許さなしリ
れた一例:スイスである少女が→固 80 円の卵を買
(文春新書)を出した経済作家岩本沙弓氏による
って「これを買うことで農家の皆さんの生活が支
と、 140 か国余りで実施されている消費税・付加価
えられる、そのおかげで私たちの生活が成り立つ
値税を先進国で唯一採用していないのは米国で、
輸出企業へ還付金(リベート)のある消費税は自
のだから当たり前でしょ J といとも簡単に答えた
エピソードは日本との違いを示している。
“今だけ、カネだけ、自分だけ”でよいのか?
由貿易からおかしいと不利益を被る米国は報復措
置をとってきた。それが、日本では 1994 年からの
対日年次改革要望書であり、その延長上に T p p
交渉がある er週刊金曜日 J 1
4
.3
.21)。
国籍を捨てた大企業(たとえば韓国サムソンは外
資半分以上の大企業韓国本社)が形成するバーチ
ヤル国家「リッチスタン」(米国出版の書名)で、
大企業トップは「なぜ自分たちが必死で稼いだ金
オパマ大統領が来日、 T pP 交渉の行方が報じら
を何の努力もしない貧困層に振り向けなければい
れるが、それが私たちの暮らしにどう影響するの
けないのか? J という。企業株主の 8 割が外資の
か、理解できる人がどれくらいいるだろうか。そ
韓国では大卒の半分は就職できず労働者の 7 割は
の情報がどれだけ伝えられているだろうか。
非正規、月収 7800 円にすぎない(経済評論家三橋
まず、自民党の 256 人議員がT pP 断固反対の去
年までの選挙公約を反故にした事実は無視された。
貴明氏プログ)。この低賃金労働から搾取した利潤
の多くは外国に逃げる。
そして、世論調査で約 8 割の米国民が T pP 反対
日本の家計調査で貯蓄ゼロ世帯は全体の 2 割、 1
だ。米国丸儲けの悲惨な結果をもたらした韓米 F
割の 4000 万円以上の高額貯蓄世帯が全貯蓄の 4 割
TA を国民に知らせるなと政府は符口令を敷いた。
を占め、年収 200 万円未満は約 1000 万人という格
計算上、 T pP の利益が出てこなかった某省は「圏
差拡大の中、たとえば過労死水準の週 60 時間以上
内政策の失敗から国民の目をそらすには国際的視
労働は年 250 日以上働く人の 1/4、 1995~2011 年
野の中にパラ色の未来があると言い続けるしかな
飢瓦者 1129 人(年平均 66 入、 5~6 日に一人)、 2012
い、それが T pP だJ といった。
年「不正受給J パッシングに乗っての生活保護基
また、「日本の農業は過保護j との通説→世界の
準切り下げ etc. 一一これらのデータはいくら努
農業が過保護(農業予算/農業生産=日本 3 割以
力しでも抜けられない貧困を示し、上記の f リッ
下・米 6 割・英 8 割など)の実態、 f農業の対GD
チスタンJ 住民の税逃れの言葉は、富の再分配・
P 比率は 1. 2%J →農業の多面的機能く国土保全機
公共財の共有・共生に無頓着な自己責任論=むき
能・生物多樹生機能・景観保全機能>を忘れてい
出しのエゴイズムを語っているのではないか。
る。そしてオーストラリア=日本の国土に当ては
『“人は今だけ、カネだけ、自分だけ”がよけれ
めれば人口 110 万人、アメリカ=同じく 1200 万人
ばよいのか。弱肉強食の担金でよいのか』、メディ
としづ著しい差を無視。米国は自国の乳製品・穀
アが「 1%の富裕層J にすり寄る視点を変えるの
物の輸出補助金を野放しにして不当に安くしてい
かが関われていると考える。
るのに日本などに関税全廃を主張する卑劣なダプ
参考文献:「タックス・へ
ルスタンダードなど~推進論への疑問・批判はメ
イプン~逃げていく税金j
ディアは載せない。さらにグローバル企業から主
滋賀棲/岩波新書、「食の戦
sD 条項、日本の誇り
争米国の畏に落ちる日
うる国民皆保険の崩壊のリスクなどほとんど国民
本j 鈴木宣ν文春新書等
権侵害される恐れの多い I
キ
キ
II
一
(
1
4
.4
.25 記)
ザグ’
日
語
老
師( 3)精読編 2 ・日本概況編一一中国の大地から(66)
猪股晃
さて、私のオリジナル精読教材には、単語や文法事項に続き、読解問題が附いている。
読解のポイントになりそうな箇所や文脈理解が難しい部分に、預習用として設聞を附じた
のである。作文教育にも有効なので、特に日本語文によく見られる譲歩構文(「なるほど A
だ、しかし実は B だj など)に留意させた。宮椅市定大先生の『大唐帝国』(中公文庫など)
の冒頭は、この読解練習に打ってつけである。
単語や文法を説明した後は、テキストを音読させる。そして、文脈に従いながらテキス
トを読み、読解のポイントでは学生に適宜発問し、また口頭で要約させたりする。つまり、
こうした点では、国語の教師をしているのである。
ところが、社会科の教師である面も大きい。教材に日本論を取り上げることが多かった
ことから、当然プリントにはその背景を注釈として附けねばならなかったし、授業中にも
説明する必要があったからだ。
だがそれ以外に、私は授業中、学生の言葉を借りれば f鞄題j を意図的によく行ったか
らである。中国の大学では聞に休憩を挟み、 45~ 50 分二コマの講義である。そこでそれぞ
れの冒頭で、必ず脱線することにしていた。本紙に寄稿しておられる諸氏は皆、教員経験
者であると聞いており、また読者にも現元教員が多かろう。各位は授業中普段、雑談した
り、ダレ場を設けているのではなかろうか。ところが留学中に気付いたのだが、中国には
そうした習慣が無いのである。休み時間に教員が学生と談笑することはあっても、授業中
に本題から外れることはまずない。学生に依れば、教師は一定の進度やノルマをこなさな
ければならないからだそうだ。北京師範大学留学時、民族史の教員が講義中、愛新覚羅の
末商で同校中文科の著名な書家啓功の物真似をし、教室が湧いたという記憶があるだけだ。
だから逆に、私の飽題が学生に非常に受けたのである。
鞄題でまずしばしば行ったのが、日本語の言葉遊びである。早口言葉、回文、寿限無や
尻取りなどである。特に動詞原型や形容詞原型でする尻取りは勉強になる。サ変動詞を言
ってしまうと「る j で始まる動調は殆ど無いので、後に続かなくなってしまう。また形容
詞の場合、、「いj で始まる語をどこまで知っているかだ。日本語ジョークも好評だった。
中華料理屋に入って、北京ダックを注文するがない。次いで頼んだフカヒレまでもない。 f鴨
なく穫もなし」 2 ・ 26 事件で高橋是清邸に侵入した兵士、高橋が裸で寝ているのを見て浴衣
を差しだし、「高橋、これ着よ j
しかしそれ以上に、中国人が知らない、或いは誤解している日本像を多々取り上げた。
人大の卒業生に、「先生の胞題は目から鱗で、本当に勉強になりました。でも先生はハッと
思いついたように胞題しますが、実は随分時間とお金をかけて準備していますねJ と言わ
れた時には、嬉しかったと同時に、良く見ているなとも感じた。正にその通りである。
例えば中国では、ヒトラー、ムソリーニそして東条英機が三大 f戦争狂人J とされてい
る。しかし東条は、彼らに比肩するほど f偉いj だろうか。日本のファシズムは天皇制の
下の軍部に依るものなので、自政党を立て、国会で多数を占めファシズム政権を「努力し
て」築き上げた二人に、東条は及ばないのではないか。こんな話をすると、学生は非常に
ーパー
興味津々だ。
東史郎を御存知か。南京事件の際二等兵として従軍し、戦後はその前非を悔い、当時の
日記を出版し、それが中訳もされている、中国の「国際友人J である。その日記に名指し
された上官が名誉棄損で東を訴え、九十年代末東が敗訴した。これが当時中国では、「日本
政府が南京事件を否定したJ と報道された。実は裁判では南京事件自体については判断さ
れておらず、名誉棄損のみについて争われている。さらに重要なことは、これは司法府の
判断であって、行政府の問題ではないのである。中国では、共産党の下に司法、警察及び
検察が置かれているので、学生は三権「鼎立j は頭では知っていても、実感がないのであ
る。だから行政と司法が混同されてしまう。こうした話を飽題に意図的に放り込んだので
ある。方法としても内容としても、彼らには斬新だったのであろう。人大の時には、猪股
の「胞題j という授業を設けてほしいという要望が学生から大学に出たそうである。
さて、こうして集めたネタの内、数分の鞄題からーコマ分(45~50 分)に発展させらそ
うなテーマは、日本概況(日本事情、日本文化)の授業に回した。一学期十数回の日本概
況の授業で、地理、歴史、政治経済、文化などの概説をしても面白くないし、そもそも物
理的に不可能だ。しかも、ロクなテキストがない。天津の名門南関大学が出している『日
本概況』なるテキストの歴史部分は、山川の『詳説日本史 B』の完全なるパクリである。
日本概況の授業ではさらにーコマ分は学生二人に発表させた。テーマは f 日本の西と東j
であり、料理、温泉、風習、年中行事、方言等々で日本の東と西(南北でも)でどのよう
な違いがあるかを調べさせた。彼らはややもすると「私は日本文化を了解していますj と
口にするが、日本は彼らが考えるほど単一、均一ではないことを実感させたかったのだ。
また中国では、講義、発表、プレゼンテーションの際、パワー・ポイントやレジュメ等
に文章をピッシリ書き込み、それを音読するという方法が一般的である。だから学生に発
表させると、ネットからコピベしたものを意味がわからないまま単に読み上げるだけにな
ってしまう。北理時代、当時の麻生太郎首相について発表させたところ、ウイキィベディ
アからそのままパクってきて、「べらんめえ調でオタクに人気だj などと言いやがった学生
がいた。しかし彼は「べらんめぇ調j も fオタク J も知らなかったのである。中国でも最
近は「宅j を形容詞的に用いるが、日本語と異なり f家にゴロゴロして外に出かけないj
の意である。
だから発表では、 P円‘やレジュメ等は図、グラフ、表、画像を主とし、長文の文章は禁
止し、 15 字程度の名詞句、箇条書きや矢印による因果関係の説明などにするよう要求した。
そして、メモは見ても良いが、文章を準備してきでそれを読むことは禁止した。頭の中で
おおよその発表内容は理解させておきたかったし、また日本語による即時対応力を育成す
るためでもある。
こうした発表方法に関する要求を満たし、また一定の内容を担保するために、学生一人
一人私の前でリハーサルを行わせたのである。合格者から頗に授業で発表させ、不合格者
には何度もやり直させた。この方法は、感謝してくれる学生と、大不満の者とに分かれた
ようである。学生も大変だったろうが、私も実に護れた。
そしてこれ以上に疲れたのが作文教育だが、それはまた次回に(2014 年 2 月、東京にて)
ーは一
〈憲法九条を学ぷのは
続・高校日本史教科書(‘13 年度新概)
第五回
に見る職争と戦争責任の記述位1)
今でしょッ!〉
「戦争の放棄j と問われる升交カ
第九条第一項で「一国権の発動たる戦争と、武力
太平洋戦争のE刺画について
政府は「教育改革J の中で、教育委員会の権限を強め、
による蹄酪又は武力併予使は、国際紛争を解決する手段と
教科書採択にまで介入している。「実教出版社量的の高校
しては永久にこれを放棄するj とありま士これに対し、
日本史教科書採用を妨害、育繭初動中学ヰ士会科教科書採
中国脅威論や北朝鮮の動向を理由に、「自衛j のための実
択の強要、などがその現れである。それJま「歴史認識j に
力行使同激さ払自衛関立合憲という見解があります。
いま、「尖閣問題j で日中が一触即発という危雄前境対兄
関わる問題に絡んでいる。
そのJつに、アジア太平洋戦争の位置づけがある。因に
があります。武力衝突を直舵するのは「武力に寄る厨掛J
「育耕卦抵j では、この戦争の呼称を f大東亜戦争J とし
ではなく、あくまで「外交努力j でなければなりません。
た。その目的は西洋ι植民地支配からアジアを解放し「大
そのためには日中双方の冷静な靭蹄訪2求められますユその
東亜共栄圏j の建設をめざすと述べ、「アメリカ i士一季初王
可制全は十分にあります二
国を経済的に出直し、封じ込めを強化しましたJ と叙述し、
双方とも壊蹴切撃を受けます。これも粘り強い六カ国協
rABCD宣車掛詞j lこる寸もてし、る。
『詳説日本史
また、北帯鵬め厨瀦前官動についても、武力反撃をすれば、
議という道以外にはありません。
B』(山川出船は、こう記述する。
「ヨーロッパでドイツが圧倒的に優勢となり、イギリスだ
日本歌府は、世界の各地域の紛争についても、「集団自
けが抵抗を続けている状態になると、日本で
衛権i とし、う米軍指揮下の軍新子動に参加するのではなく、
は陸軍を中心に、ドイツと結びつきを強め、対アメリカ・
「外交努力」のために指導力を発揮すべきです。そうしな
イギリスとの戦争を覚悟のうえで欧米の植民地である南
いで米軍にi断定する事は、その相手国からの攻撃の的にな
方に進出し、『大東亜共栄風l の建設をはかり、石油・ゴ
り、聞こはテロ攻撃を受ける危挨に巻き込まれま七
ム・ボーキサイトなどの資源を求めようとする主張が創車
f攻めて来られたらどうするJ とし、う非現鱒句で無意味
に高まった。議会キ敬界上層部に反対の空気はあったが、
な f架空の議論j で軍備拡張をする事は、いたずらに他国
流れを変えるだけの力はなく、南方進出はかえって欧米の
を痢撤オるだけで何の利益もありません。
対日経済封鎖を強める結果をまねいた。 j
今世界では、 A毘AN に見られるように、地域ブ’ロックで
都轍委が敵視する『高校日本史B』には、日米開戦につ
紛争の平柚鳴献を進める動きがあります。軍事力の誇示
いて、「9 月 6 日¢柳前会帯主日米交槻織とともに 10
暢嚇ま、国際世論で批判され、世界の樹Lから孤立しつ
月下旬までに対米英戦争の準備を完了することとし、対米
つあります。世界では第九条が評価されていますユ
そういう意味で、日本国憲法、特に第九条は先駆拘なも
英戦争の開戦を実節句に決定し…J とある。
米英開戦ありきの姿勢が対日封鎖を招いた。この点で、
「東京書籍J 「清水害琉j f三省堂j 版も同様の記述である。
のです。 f第九条を世界遺産にj という本が出版され、最
近でl本九条が「ノ--,,..:;,ノレ韓日賞J にノミネートされてい
アジア太平祥希悼の開始は、アジアの解放をめざす日本
ます三この潮流こそ 21 世記にふさわしいといえるでしょ
への経済封鎖が原因ではない。経済封鎖は日本の「侵略J
う。今時、膨大な軍事予算を組んで軍拡し、それを誇示し
への対折措置であったというべきであろう。すでに日本は
て威嚇する事は、現実離れで、時尚皆もも甚だしいと云わ
ドイツと結びつきを強化し、「南方進出j を決め、対米英
ねばなりません。
開戦を賞揺していたのである。日米交鞠土、時慣鯨ぎのた
「武力による腕蔀J や「武力の行使J がどんな結果をも
めのポーズに過ぎず、その不成功は初めから計算していた
たらしたカ斗土、あのアジア太平洋戦争の歴史自協調紛泊朝
明ら州こ日本はアジア諸地域(-...Q)jJ搬・侵略を意図して
しています。筋立でlま、ベトナム戦争から中東戦争、イラ
動いていたのた教科書は検定を意識して、「侵略J とい
ク戦争に至る戦争が何をもたらしたかが語っています。
う語句の使用を避けている。ただ、「実教版j では、太平
「政府の行為によって再ひ戦争の惨禍がおこることのな
洋戦争についての膨ト「註j で、「ー現在、日本の侵略が
いようにする事を決意j した我が国は、原発や兵器ではな
アジア・太平洋地域に及んだことを正濯に示す士め、アジ
く、「第九条j を世界に輸出することこそが国関句責務で
ア・太平洋戦争という呼称も使われているJ と記している。
あり、歴史的使命ではないで、しょうか。
(高原傍)
(高原傍〉
←ー,4 ーー
'
~· キ
『教育改革J という名の政治介入
偏狭なナショナリズムの育成
一ー「戦争ができる国J の人づくり一一
虐殺やさまざまな犯罪を経験した兵士たちは、
かつて、中国や朝鮮はじめアジアの国々で、
r改革J の津波
何故あのような事が出来たのかについてこう
行財政改革で増税、改憲で 9 条をなくし、集
証言する。「中国人や朝鮮人は殺してもいいj
団自衛権で武力行使容認、秘密保護法で情報統
「生かしておいては皇軍のためにならない J
制ーと次々に「国のかたちJ を変えてゆく安倍
f 国の為に死ぬ事は名誉だJ 「あの戦争は正し
政権{愛国心を強調した f教育基本法J 改定に
い戦争だと,思っていたj と。そう教育されてき
つづいて、教育委員会の「改革J に着手。その
たのである。「軍国主義教育J の f成果j だ。
ねらいは何か。
教育なくしてあんな「鬼J のような心は育たな
「教育の中立性J を侵害
かったのだ。
戦後新しく「教育基本法j が制定され、教育
「従軍慰安婦はなかったJ 「南京虐殺はなかっ
は権力の不当な支配を受けることなく、 f 中立J
たJ 「いつ迄も謝り続けるのは自虐的だJ f あの
でなければならないと、教育委員の公選制など
戦争は自存自衛の正義の戦いだったJ などなど
教育行政の地方分権化がはかられた。ところが、
一。こういう考え方を植え付けていけばどうい
その後政府は教育委員会を任命制に切り替え
う人聞が育っか。
た(' 56)。しかし、教育委員会は首長から独立
国家の『期待される人間像J は
し、教育行政の方針を決めている。
1960 年代に「中教審j 答申が発表された。
ところが、この度の「改革J では、首長が教
そこで強調されたのは、「国を愛する心j であ
育行政の基本的方針となる「大綱」を策定し、
った。人間づくりの基本は、 1% のエリートと、
教育委員長のポストをなくし、直接任命した教
99% の従順な国民であった。そのために競争主
育長が教育委員会を代表するという仕組みに
義・能力主義の教育が導入された。
なる。首長の権限が強化され、教育委員会は形
その延長線上に、「教育基本法J の改定があ
骸化される。 f大綱j は、学校の設置、統廃合、
る。そこには、正義や真理・平和を愛するとい
教育内容など何でも盛り込むことが可能。教育
う視点はなく、従順さと国の為に尽くす f愛国
への政治介入が限りなく拡大され、教育の独立
心J がうたわれている。
性が破壊されることになる。
教科書検定で教育肉容を統制
なぜ教委「改革J なのか?
沖縄県竹富町での文部科学省の教科書採用
一つは、安倍内閣が進める「教育再生J 。こ
への干渉、東京都での教育委員会による教科書
れは f ゆとり教育J は学力低下を招くという口
パッシング(実教出版の教科書採用妨害)など、
実で、競争に勝ち抜く「学力 j づくり、 f エリ
露骨な政治介入が目立ってきた。
ートづくり j である。反省したはずの学力偏重
極め付けは、大阪や東京などで起っている国
と競争主義に何の検証もなく逆戻りする無責
旗揚揚、君が代斉唱時の起立強制、君が代を歌
任な方針である。
っているかどうかの口元チェックという異常
もう一つは、「君が代J 「日の丸j を強制し、
国の為に「血を流せる j 愛国心の育成である。
そのためには教育内容に政治介入が容易でな
な現象。
教育を国策に従属が終着駅
結局、行き着くところは、「戦争できる国J
の「戦争する人間 J 、つまり教え子を戦場に送
ければならない。
この「改革j の背景には、改憲、集団自衛権
る教師と黙って戦場に赴く少年づくりである。
行使による『戦争できる国J にふさわしい人間
教育を国策に沿って「改革」し、総仕上げと
づくり政策がある。
して改憲、自衛権行使というプログラムが用意
領土問題に見られるような教科書内容への
政府見解の記述押し付け、沖縄や東京で見られ
されている。いま、そこまで読み取る事が必要
なのではないか。
る政府の意向に沿う教科書採用の強要などの
動向はその現れといえる。
ー-
j5-
(高原
惰)
ミニ講座第・今こそ知ろう
特集・新聞、 W 報道を信じられるか?
(第 1 回)
「マスコミ何か変J とおもいませんか。
f思いやり予算J ってご存知ですか?
消費税増税、社会保障抑制、憲法改定、集団自衛
権、基地移設、原発再稼働~TP P…の報道では、殆
「思いやりの精神があってもいいじゃないかJ
金丸信元防衛庁長官の鶴の一声で誕生した予集
どが政府の一方的「垂れ流し報道J 。
国民ハの(思いやり〉ではなし、 1978 年、米政府
本当はどうなのかよくわからない。どんな問題が
の「米軍駐留経費J 負担増要求に応えたもの。これ
あるのかという検証はなハジャーナリストは安倍
は日米地位協定に違反するため、 f思いやり J とし、う
色に染まるメディアに警鐘を鳴らす。
表現をしたという。
マスコミ関係者は危慢する。
当初は 62 億円だ、ったが、増額に次ぐ増額で、 30
TV 局出身のジャーナリスト塙恭久氏は「ジャー
年経った 2008 年度には 34 倍の 2083 億円 iこ。その後、
ナリズムの基本は多様な選択肢の提示です。消費税
2014 年度には 1843 億円。これは同盟国中ダントツ。
もそもそも増税が必要なのかとし、う意見も示すべき
「至れり尽くせり J の大盤振る舞い
です。ところがメディアは政権寄りの情報ばかり垂
「思し、やり予算J で日本国民の税金がどう使われ
れ流してし、る J と指撤する。
ている均、その内容の一部を見ると一一一。
日本 TV 「NNN ドギュメント J の制作を担当し
とえば、施設・区域内の家族住宅、福利費、手当・
たジャーナリスト水島宏明氏は、大手メディアの記
基本給などの給与費、電気・ガス・水道など光熱費
者は中央官僚と親しく、飲みにいき、価値観も近い
等々。これは使し救魁
ため「国はこうする方針ですJ と政権の PR でまと
提供施設の整備費はすべて日本の負担。住宅一戸
めがちだという。また「本来、ジャーナリズムは国
あたりの平均面格は 4830 万円(土地代別)。例えば、
民に代わって権力をチェックする。そのための事実
司令官用の住宅は、浴室 3、寝室 4、 32 畳敷リビン
を掘り起こして伝える…という使命があるはずで
グルーム、 18 畳敷のダイニングという豪華さ。将校
すJ と今のメディアのあり方を批~Jする。
用の場合は、 3 寝室、 24 畳敷リビングという高級住
アメトムチでマスコミを「アベ色J に
宅L 住宅費はタダ。軍人子弟の化めの小中学校 1 学
元経済産業省官も長・元内閣審議官の古賀茂明氏は
級 20→5 人、ソフトボール場、’フットポル場、パ
こう語る。「マスコミの最大の役割は事実をしっかり
スケット・テニス・各コート 2 面、プロ野球場並の
伝えることと権力を監視すること?れとしづ。し
少辺部球場。
かし今のマスコミは「政権がいろんなところでの情
米兵のための Lヤリエーション施設は、 5 階建。
トレーニング室、エアロピクス ·JI、ームセンター・
パーまで完備J 。その施設の従業員給与など米兵の給
与以外は「労務費負担J として「思し、やり予算j で。
その他、税金も消費税もなく、有1附董路料金は日
報操作に加えて、アメトムチをうまく使いながらマ
スコミをコントロールしているJ と指摘する。
政府は、報道内容にクレームを付け圧力を加える
とともに、大口スポンサー(広告主)として、「消費
税は佐会側章のためJ とアッピールするため、 1 2
本政府が肩代わり。また、グアム移転費など米軍施
億 6000 万円の広告費を使っている。
設の移転費用は日本の負担とし、う超「思いやり J。
安倍流「飲まし餅コし」の抱き込み作戦
そればかりか、大手メディア幹部は首相と都内の
では、国民には一一「がまんJ の押し’コけ
国民の住宅事情ヰ教育条件と比べると雲泥の差た
料亭・レストラン・ホテルやめレブ倶楽部で、数到
政府の「骨太」「行財政改革j 比国債発行と赤字
に渡り会食三味。主なものは次の通り。読売(務E
肉強え f改革J という名でさまざまな負担増とサービ
会長)、毎日(朝比耕土長)、朝日(材批長)、産経
ス自l臓た消費税増税、年金引き下げ。年金支給年
(清原会長、熊坂社長)、日経(喜多社長)、共同通
令延長、医療費窓口負担増、健康備検料・介護偏食
信(福山担長)、 TV 朝日(割可担長)、日本 TV (大
料に引き上げ、介護サービスの自械病除匂ド数
久保社長)、フジ TV (日枝会長)。
欧米では、メディア幹部と政権トップとのこのよ
の常l誠一。
うな接触はあり得ないという。マスコミ報道に「輔
これでも米軍への「思いやり j が必要?
(高原惰)
されない力J がわれわれに求められる。
-16
一
(高原惰)
/
.
2014 年 4 月 1 日
被
告告主
原
判決
暮らしを守る市民有志
代表
内閣総理大臣安倍
普
高
原
{膚
文
1 、
被告らは、消費税 8 パーセントアップを撤回せよ
2 、
被告人安倍晋三は内閣総理大臣辞し、内閣総辞職せよ
3 、
医療福祉の給付削減と負担増を骨子とした予算を撤回せよ
判決理由
一、被告人安倍晋三を首班とする内閣は、国民の多数が反対している消費税を強行した。そも
そも安倍政権は、 4 割の得票率で 8 割近くの議席を占めるといういびつな選挙制度の下で成立し
たものであり、真に国民多数の信任を受けたとはいえない。従って、消費税増税の強行は菌民
の頼いを踏みにじるものであり、民主主義に反する。
二、加えて、被告人総理大臣安倍晋三は、消費税の目的を「福祉の充実のため j と称している
が、現実は、健康保険や介護保険で見られるように、保険料の負担は増え、その適用条件のハ
ードルを引き上げ、給付内容は著しく切り下げられている。其の他、年金引き下げ、生活保護
はじめとした福祉面でもさまざまな抑制が行われている。これは正に「詐欺j 的行為というべ
きであり、悪質で断じて許せないものである。
三、被告ら政府は、アベノミクスと称し、日本経済を活性化させ不況を解消するものと宣伝し
ているが、実際は、物価が上昇し、家計の冷え込み、購買力が減退するのは、火を見るより明
らかである。国内需要が増えてこそ経済が活性化するというのが市場経済の原理である。そん
なイロハをわきまえない被告人たちの政策は、国民生活を脅かし、強いては日本経済の停滞を
促す「愚策」といわざるをえない。その点で被告人は、消費税増税は即時撤回すべきである。
四、被告人らは、増税分を福祉に回すどころか、法人税減税や其の他目的外にその多くを流用
していることは、予算案を見ても一目瞭然である。これは公約破りの国民に対する背信行為と
いわねばならない。
五、被告人らは、口を開けば「財政赤字J 解消というが、赤字の原因は福祉予算の膨張ではな
い事は、これまでの政府予算を見てきて明瞭である。そのほとんどは、不急不要の大手ゼネコ
ンむきの大型「公共事業j へのパラマキ、安保上の義務にない「思いやり予算 J という名の米
軍基地維持費、政党助成金などムダな支出にあることは明白である。その点検なしに安易に増
当要ろうとする被告人らの姿勢は国民を愚弄するものであり、情状酌量の余地はない。
六、最後に加えるならば、被告人の、不安のままの原発再稼働、日本の市場をアメリカに売り
渡す T p P 参加、危険なオスプレイ飛行や米軍基地移設、「戦争できる国j に向けた改憲や集団
的自衛権行使、国民の自耳口を塞ぐ秘密保護法などに見られる「亡国 J 「売国 J r暗黒J に向か
つての暴走を黙過できない。その点でも被告人は辞職が相当である。
※上記の文を首相宛にファックスしました。
ー i 守一
《連灘渇溺f'.) 5 月 3 日は憲煽己念日、 5 日はこども
【編集後配1
の日と由緒ある休日がつづく。ゴールデンウィーク
・1侃号をお届けします。今号も寄稿頂いた生島、伊東、
とあって観光キャンベーン。海外を含めて観光地は
猪股、美野の各氏に感謝申し上げます。この号から、会は
賑わう。それは「平和j の証かVだが、浮かれてば
f戦争責任を,Uこ爽比.rJ としながらも、会報を「平和をつ
かりはいられなIt \安倍内閣は着々と「野党j を抱
くりだすJ と改称しまし丸
き込んで改憲の動きを強めている。与野党 8 党が合
・伊陰は初回を迎えました殆どの侠陰の司会をして頂い
流して「集団自衛権行使J のため「解釈改憲J 容認
た井山氏、例会で証言・発題して頂いた方々に感謝申し上
八舵を切ろうとしているV これには、改憲論者守安
げます。おカ斗ずさまで多くの事を掌ぶ事が出来ました。
保・自衛隊を認める「保守j 層からも、立憲主義・
・止まる事のない安倍暴走が臼本の破滅に向かっています。
民主主義に反する「禁じ手J だと批事L なりふり構
それに「止めを痢Iすj のは「今J
わぬ破廉恥な「壊憲J だV踏匂政府は「自衛J のた
ているとはいえ予断をゆるしません。安倍内閣を生み出し、
めの「安保J を認め、海外での「武器使用J は不可
未だに命脈を保たせているのも国民だと b 、う事も尉もて
としていた。 PKO 活動でも「戦騎地域j を避け「後
はなりません。
!国民との矛盾は深まっ
方支援J ...米国のアーミテージ氏は「汗もながせJ
怠
・NHKはじめメディアの駒伊ゆ迎鍵鯨向も黙過で
と締局。そこで、日本の防衛と無関係でも、米国の
きません。視聴者である私たちも厳しい目で監視しなけれ
戦争に参加すべしと f集団自衛権j が浮上V改憲の
ばならないでしょう。昔の「大本営発表J メディアにさせ
ハードルが高いと見た安倍首相は、内閣の責任で強
ないよう、今、私たちは「賢さJ と「壇されない力j を求
引にも「集団自衛輔副を「合憲j と解釈し、 f武力に
められているのではないでしょうカも
よる駒蘇j 、 f武力の行使J を禁じた「九条j の立場
・次号 107 号は 7 月。 6 月は伊陰でお会いしましょう。(高)
をかなぐり捨て f戦争できる国j へと暴走V 日本国
民の意思と係わりなく戦争に巻き込まれ、気がつく
「戦争費笹を叫に剥むJ 舎
と f徴兵器ljJ で、子キ犠たちを戦場に送る日も一一。
フォーラム『戦争と平和を考えるJ
レジャーキ嚇護だけでなく、 3 日と 5 日はそんな事
を考えて見る日でもありたい。
第 71 困(6 月)例会のご案肉
(た)
テーマ
「皇国J にすてられた「皇軍J
ー一日本軍溜曜吉・『錨限活留まj たち一一
r11aを活かせj
証言
f胃腸をO'~
藤田博さん況調瞭遣闘技耳目掴軍兵卦
皇国日本に見捨てられ,f:.. r皇軍j があった!
運動を広めるため
中国で敗戦を迎えた藤田さんの所属する葡脇立、保身の
シンボルダーνズをつくってみませんか
ために上官が軍閥間錫山とウラ取引して、割事撃を閣の配下
に編入して、共産軍と聯つされた。帰国後、現地撫散した
という理由で軍人恩給の対象から外された。日本軍人とし
ての樹立が絹オ氏。
政府相手に酬を起こした瑚繍した。「蟻の兵隊j と
よばれた日本軍の秘話を事実と資料に基合、て紹介する。
赤紙一枚で戦場に招集された「皇軍J の兵士たちはどう
なったか?
あの戦争とはなんだったか、日本歌府の責任を問いかけ
る貴重な証言L
l オM
ー
ノベルティ思作
圃・・・力量テ.:j""-:AJスチ·'fl-ヵー;.-
(oマ9 >今~1~ .: 主主主,-- ,i.-·
塘努
神戸市立婦人会館( 5 Fゆり)
E の178)お1-a削
会費 ¥筑淘
ビーチザシダル etc.~. 店長アイテム・崩・粗晶;イベ〉附ズ
~気担iζ芯糧畿くだ盃ぃ。
2014 年 6 月 14 日 (土) Pml ;却~
OR 神戸駅、高速神戸北市営地下鉄大釦1.t南、漉II 榊世濁
Eストパシド・コースヲ』二マヮ元防ド・ヱコパツグ J ミ=字多ヤ汐
ど個人,fJ)方か§企農の方まで帽広く対応さ曾ていただし元ております.
日時
主宰
.
.
-1 吉一
協力
市紳骨怪't·~'こ剥むJ 舎
日中友好協会兵庫腕車合会
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