...

町勢要覧(昭和59年)(PDF:10.8MB)

by user

on
Category: Documents
40

views

Report

Comments

Transcript

町勢要覧(昭和59年)(PDF:10.8MB)
うしまど
牛窓は とかく水鶏の
名 所 か な
松 尾 芭 蕉
'84牛 窓 町 勢 要 覧
も く じ
牛窓町民憲章
2
ごあ い さつ
4
牛 窓 の歴 史
6
牛 窓 の ひ とび と
8
芽 ぶ く牛 窓
11
支 え あ う牛 窓
14
健康づ くり
16
歴 史 と伝 説 の 町 、 牛 窓
18
美 しの 窓 、 牛 窓
24
牛 窓 につ ど うひ とび と
27
躍 動 す る牛 窓
32
牛窓町民 とともに
38
未 来 の 展望
44
牛
窓
町
町勢要覧・合併30周年記念
1
牛窓 町民憲章
光が舞う、風が歌う
緑 と太 陽 と瀬 戸 内 の 美 しい海 に 恵 まれ た町 、 牛
窓。
くら しの 営 み の 中 で 自然 を こ よ な く愛 し、 文 化
愛するふるさと、うしまどは
を培 っ て き た牛 窓 の 人 々。
私 た ち は 町 民 憲 章 を定 め 、 美 しい 風 土 と そ こ に
絢 燗 た る 歴 史 を刻 ん で き た先 人 達 の 英 知 に 感 謝
私たちの心に感動を
の 念 を捧 げ る と と もに 、 豊 か な 町 民 生 活 を 築 く
よ り ど こ ろ と い た し ます 。
よびさます。
一、自然を愛し、美しい生活環境をつくりまし
ょう。
一、培われた歴史と文化に感謝し、人間性の向
上に努めましょう。
一、健康で生きがいのあるくらしを築きましょ
う。
一、働くことに誇りと喜びをもち、のびゆく豊
かな町をつくりましょう。
一、お互いが助けあい、くらしよい町を築きま
しょう。
一、あたたかい心で人々を迎え、明るい町をつ
くりましょう。
2
3
私はふるさとに帰ってきた。
青い海とオリーブ、点在する島々・・・・・・
”うしまど”はエーゲ海にのぞむ私の母国
ほうふつ
ギリシャを髣髴とさせる。この町にいると
かぐわ
私は母のぬくもりと馨しい文化と歴史に
ひたることができる。
”うしまど”は私の心のふるさとだ。
ひとびとのくらしと自然が
1983年3月
本年は3ヵ町村が合併して満30年を迎える意味深い年で
調和する豊かな町づくりを
かつて「美しの窓」とたたえられた牛窓町は、瀬戸内の
温暖な気候の中で多様な地形が織りなす自然の美しさと、
人々のたゆまない営みの結晶としての歴史と文化を培って
きた町です。
ギリシャ政府観光局
駐日代表
Dimos A. Vratsuanos
(ディモス ヴラツアノス)
ありますが、これからの時代は転換の時代だといわれてお
牛窓町長
ります。私たちは21世紀に向かって「創造で築く新たな風土」
を町の将来像として、活力と文化とうるおいのある街づく
新 地 勇
りに努めていきたいと考えております。
また近年、社会経済情勢の変貌は著しく、行財政面にお
いても、急激な需要増加をきたし、多くの重要な課題が山
積されております。私たちはさらに町民との対話をはかり
調和のとれた町民生活の実現を目指し、牛窓町振興計画に
基づき積極的に取り組んでおります。
この町勢要覧は牛窓町の現状の姿を各分野にわたって集
録したものであり、牛窓町に対するご理解を一層深めてい
ただければ幸いです。どうか今後とも一層のお力添えをお
願いする次第でございます。
昭和59年10
4
5
牛窓の歴史
牛窓はいにしえびとが瀬戸内に開いた文明の町です
栄華 を しの ばせ る古 い街 並 み
「美 しの 窓 」と た た え られ る牛 窓 町 は 、古 く
縄 文 弥 生 の時 代 にす で に 人 々 が 居 住 し 、集 落
遣 唐 使 や 江 戸 幕 府 参 勤 交 代 、朝 鮮使 節 た ち が
を形 成 して い た こ とが 、黒 島 貝 塚 や 黄 島 貝 塚
海路 上 洛 す る時 に は 、 宿 泊 地 と して寄 港 。
な どか ら うか が い知 る こ とが で き ます 。 ま た
神 功 皇 后 が 西 国 か ら帰 還 され る途 中 この 浦 に
そ の た め に当 時 す で に唐 琴 の瀬 戸 あ た りは 、
「
牛 窓 千 軒 」 と呼 ば れ る ほ どの賑 わ い をみせ
立 ち 寄 っ た とい う伝 説 をは じめ 数 多 くの 伝 説
て い た とい わ れ ます 。
が 語 り継 が れ て お り、万 葉 集 に も 「
牛 窓の浪
こ う した 古 い歴 史 と貴 重 な 文化 遺 産 を有 す
の しほ さ ゐ 島 と よみ 寄 さ え し君 に逢 は す か も
る 「歴 史 と伝 説 の町 」 牛 窓 は 、昭 和29年10月
あ らむ 」 と歌 わ れ る な ど、 由緒 あ る歴 史 が 牛
1日 、鹿 忍 町 、長 浜 村 と合 併 、 さ ら に翌30年
窓 の伝 統 を彩 って い ます 。
に は 旧大 宮 村 の 一 部 千 手 地 区 を編 入 し今 日 に
さ ら に牛 窓 は 内 海 航 路 の 要衝 と して歴 史 の
6
表 舞 台 に 長 くそ の 名 を と ど め て き ま した 。
至 っ て い るの です 。
7
牛窓のひ とび と
つどい、語らうひとびとの笑顔に豊かなくらしがはじけます
ジャズダンス教室
剣道教室
牛窓は年間平均気温16.6
℃と温暖な気候に恵まれ
ており、この町にくらす人々
の気質もまた穏やかです。
人々は生きがいのある豊かな
くらしを求めて、公民館活
動や各種のグループ活動に
積極的に参加し、自己啓発に努めています。
牛窓町では町民のみなさんの毎日を少しでも
実りあるものにとの願いから、学習の場や機
会をできるだけ多くつくり出し、また施設の
整備充実をはかっています。
油絵教室
8
書道教室
9
芽ぶ く牛窓
将来をたくして、小さな芽を大切に、大きく育てます
町民体育大会
健 康 で 明 る く、 しか も活 気 に あ ふ れ た毎 日
こ そ私 た ち牛 窓 町 民 の願 い で す 。 そ の た め町
内 に は福 祉 セ ン ター 、公 民 館 、 町 民 グ ラ ン ド、
テ ニ ス コー ト、 ク ラブ ハ ウ ス な どの ス ポ ー ツ 、
レ ク リエ ー シ ョ ン施 設 を整 備 。 あ る い は 四季
折 々 に サ イ ク リ ン グ大会 や 町 民 体 育 大 会 を催
生 きが いの あ る 、活 力 に満 ち た福 祉 社 会 を
して 、健 康 な心 身 を養 う と と も に その 活 動 を
通 じて連 帯 感 や 協 調 性 を高 め て い ます 。
築 くた め に は 、優 れ た資 質 を もっ た 人 材 を養
成 す る こ とが 何 よ り大 切 で す 。
牛 窓町 で は た くま しい か ら だ に豊 か な知 性
と情 操 、 道 徳 性 を そ な え 、 な お郷 土 に伝 え ら
ク ラブハ ウス
れ る この 恵 まれ た 自然 と文化 を愛 す る人 間性
を育 くみ 、 さ らに 国 際 的 視 野 に立 っ て 郷 土 の
将 来 を展 望 す る こ との で き る町民 の 育 成 をめ
ざ して い ます 。
サ イク リング大会
10
11
学校 教 育 は生 涯 教 育 の基 礎 とな りま す 。 そ
の ため 児 童 や 生 徒 それ ぞ れ の 発 育 段 階 に応 じ
た基 礎 知 識 や 技 能 を身 に つ け る の は もち ろ ん
の こ と 、道 徳 教 育 や 勤 労 体 験 、生 活 指 導 に も
情 熱 を傾 け 、知 ・徳 ・体 の 調 和 の とれ た 、 ゆ
と りの あ る人 間形 成 をめ ざ し ます 。
さ ら に体 力 の 向上 、健 康 、 安 全 の保 持 、増
進 お よび 地 域 社 会 との 交 流 を は か りなが ら、
心 豊 か な 、充 実 した学 校 教 育 を実 現 させ ま す 。
東小学校給食風景
中 学校 ・
吹 奏楽練 習
北 小学校 プール
西小学校校舎
交通安全指導
東幼稚園
12
13
支えあう牛窓
敬愛の心で、くらしを支えあう牛窓の
ひとびと
高 齢 化 社 会 へ 移 行 して い くな か で 、 お 年 寄
りに心 身 と もに健 全 で豊 か な老 後 をお く って
い た だ くた め に 、 保 健 医療 の 配 慮 と健 康 づ く
りの推 進 、老 人 ク ラブ 活 動 、教 養 趣 味 講 座 な
どの生 きが い対 策 は も と よ り、 ひ と り ぐ ら し 、
寝 た き りの老 人 な ど の方 へ の 在 宅 福 祉 の 充 実
に努 め て い ます 。
ゲ ー トボ ー ル
福祉 セン ター
ク リー ン作戦
「美 しの 窓 」牛 窓 にふ さ わ しい美 し く、清 潔
な町 づ く りに町 民 ぐ る み で取 り組 ん で い ます 。
ク リー ン作 戦 で は 、子 供 か らお年 寄 り まで
の 町 民 が 参 加 。各 地 区 の公 共 広 場 、 公 園 、道
路 な どの ゴ ミを拾 い、 汚 れ を落 と します 。
また 、 町 内各 地 の広 場 、 学 校 な ど を 中心 に 、
町 民 の 手 で 四 季 折 々 の 花 を咲 か せ る 、 花 い っ
老人 のつ どい
ぱ い運 動 の 輪 が 広 が っ て い ます 。
町 民 み ん なの 健 康 な生 活 を支 え る と と もに 、
こ う した運 動 は町 の 美 化 を促 進 す るだ け で
ホームヘルパー
な く、 町 民相 互 の連 帯 感 、郷 土 愛 を生 み 出 す
土 壌 に もな っ て い ます 。
お 年 寄 りや 児 童 、障 害 者 な ど 、社 会 的 に弱 い
町 民 ひ と りひ と りの 愛 と奉仕 の 心 、 お互 いが
立 場 に あ る人 々が 、 安 心 して く らせ る地 域 社
支 え あ う心 の ふ れ あ う町 づ く りに努 め て い ま
会 の実 現 こ そ 、町 行 政 の 原 点 で す 。
す。
花 いっぱ い運動
14
そ の た め に 、福 祉 施 策 の 実 施 と相 ま っ て 、
15
健康づ くり
明るく、健康なくらしの輪が広がっています
健 康 の維 持 、増 進 を は か るに は 、食 生 活 が
大 切 な 要 素 とな ります 。 幸 い牛 窓 町 は 、 す ば
ら しい 素 材 に恵 まれ た農 水 産 物 の 産 地 で す 。
こ の 豊 か な素 材 を利 用 して 、偏 食 を な く し、
バ ラ ンス の とれ た 食 生 活 をお くれ る よ う、栄
養 教 室 や 料 理 実 習 を実 施 。正 し い食 生 活 の 知
識 、健 康 料 理 の普 及 に努 め て い ます 。
料理教室
集団検診
成 人病検診
健 康 は幸 せ な 人 生 の基 盤 で あ り、 町 民 み ん
な の 願 い で す 。「自分 の健 康 は 自分 の 手 で」 と
い う自覚 を促 す と と もに 、 乳 幼 児 か ら お年 寄
りまで 、町 民 の だ れ もが適 切 な保 健 医 療 サ ー
ビ スが 受 け られ る よ う、福 祉 セ ン ター 、町 立
病 院 を拠 点 に 、 単 な る疾 病 の 予 防 に と ど ま ら
ず 、町 民 に密 着 した健 康 相 談 、健 康 教 育 、栄
養 教 室 の 開 催 、 コ ミュ ニ テ ィ、 ス ポ ー ツ の推
進 な ど 、地 域 ぐ る みの 健 康 増 進 を積 極 的 に す
す め て い ます 。
老人検診
健康体操教室
16
乳幼児健診
17
歴 史 と伝 説 の 町、牛 窓
いにしえのロマンが、町のすみずみにいまも息づいています
牛 窓 に は絢 燗 た る歴 史 に彩 られ た 、貴 重 な
文 化 財 が 数 多 く残 され て い ます 。1347年 に創
建 され 、 かつ て朝 鮮 使 節 の 公 式 の宿 所 とな っ
た経 王 山 本 蓮 寺 、牛 窓 神 社 な ど の建 造 物 、 阿
弥 陀 如 来 立 像 、絵 馬 「お か げ 参 りの 図」、また
前 島 の 大 阪 城 築 城 の 残 石 群 、点 在 す る古 墳 … 。
そ して 、明 治 時 代 の 旧牛 窓 警 察 署 を改修 した
緑 の村 観 光 セ ン ター な ど 、 か けが え の な い文
化 遺 産 は 、 さ ら に次 代 に 手 渡 す た め に 、大 切
に保 存 管 理 さ れ て い ま す 。
観 光セ ンター
牛 窓神社
本蓮 寺
千 手 山大門
18
大 阪城 築城 の残 石群
東寿院 の木造 阿 弥陀如 来立像
19
本蓮 寺本 堂
牛 窓 に は 文 化 財 と して 国指 定 の もの が11件 、
こ う した祖 先 か ら受 け継 い だ 尊 い生 活 文 化
県 指 定 の もの が10件 、 町 指 定 の もの が15件 あ
遺 産 は 町 民 共 有 の 財 産 と して大 切 に保 護 して
り ます 。 そ れ らの 中 に は、 神 功 皇 后 が 三 韓 か
ゆ き た い もの で す 。
らの帰 り牛 窓 へ 立 ち 寄 っ た と き伝 え た と い わ
れ る唐 子 踊 りを は じめ 、 太 刀 踊 り、 粟 利 郷 太
刀 踊 りな ど子 供 が 主 役 の 郷 土 芸 能 が伝 え られ
て い ます 。
粟利郷太刀踊り
太刀踊 り
唐子踊 り
20
牛 窓 だん じり
寒 風陶 芸の里
21
紺碧の海に緑と太陽がとけこみます
牛 窓 の 港 は 今 か らお よ そ290年 前 、1694年 に
波 止 場 が 築 か れ た頃 か ら、 東 西 の 沿 岸 航 路 の
主 要 港 と して 発 達 して き ま した。 往 時 に は 材
木 や 備 前 焼 、塩 、 魚 、 鉄 、 綿 な ど を運 搬 す る
500∼900石 船 が 、 こ の港 を賑 や か に往 来 した
と い い ます 。
ま た朝 鮮 使 節 一 行 や 参 勤 交 代 の 大 名 な どが
船 で 往 来 す る時 の 寄 港 地 と して 、 重 要 な 役 目
を担 っ て い ま した。
大正7年
観光 セ ンター前 乗 り合 いバ ス
牛窓の鹿忍塩
牛 窓 地 方 は 気 候 的 、 地 形 的 に塩 の 生 産 に適
して い る こ とか ら、 近 世 に な る と入 浜 式 塩 田
が 開 発 さ れ 、牛 窓 の 塩 田 で とれ る「鹿 忍 塩 」は
"潔 白 美 味 也"と して
、播 州 赤 穂 の 塩 と と も に、
全 国 的 に そ の 名 を知 られ て い ま した。
昭 和27年 に は製 塩 事 業 の 近 代 化 を は か る た
め に流 下 式塩 田 法(枝
条 架 を併 用)を 採 用 。
現 在 は さ らに イ オ ン交 換 樹 脂 膜 製 塩 法 に移 行
して 塩 田 は廃 止 さ れ て い ます 。
昭和初期 帆船
昭 和30年 関町 港
大 正10年 関 町港早 朝風 景
昭和35年 頃流下 式塩 田
22
現 在 牛 窓の 夕暮れ
23
美 しの 窓 、牛 窓
海と緑と太陽のメッカ、日本のエーゲ海
黒島諸 島
牛 窓 町 の 自然 美
"う し ま ど"は 青 い空
、碧 い海 、 緑 の 丘 や 島
に 囲 まれ た 自然 美 の 宝 庫 。 その す ば ら しい 自
然 の 美 し さは 四 季 折 々 、 あ る い は刻 一 刻 と微
妙 に変 化 し、 古 来 か ら豊 か な文 化 と人 間 生 活
を育 くん で き ま した。
干 リ ン ヤ 、 ミァ イ リニ 而
国際姉妹都市縁組
昭和57年7月6日
、 日本 と ギ リシ ャ両 国 間
で初 め て の 国際 姉妹 都 市 縁 組 が 牛 窓 町 と ミテ
ィ リニ 市 との 間 で 成 立 し、 そ の 調 印 式 が 、"エ
ー ゲ海 に浮 か ぶ 楽 園"と い わ れ る レス ボ ス 島
本 土 の 一 部 と島 し ょ部 は、 瀬 戸 内 海 国 立 公
の ミテ ィ リニ 市 タ ウ ン ホ ー ル で 行 わ れ ま した。
園 に も指 定 さ れ て お り、 エ メ ラル ドグ リー ン
古 い歴 史 と文 化 、 港 町 と して の 共 通 性 、 オ
に輝 く穏 や か な海 と豊 か な緑 が織 りな す 様 は 、
人 々 に安 ら ぎの 心 を与 え て くれ ます 。
リー ブ栽 培 や 海 な どの 類 似 点 が 多 く、 以 来 、
"日 本 の エ ー ゲ 海 う し ま ど"の キ ャ ッチ フ レー
ズ とな っ た の で す 。
オ リー ブ 園
24
25
牛窓 につ ど うひ とび と
素晴らしい自然美の中で、見知らぬひとびとが出会います
牛窓海 水浴 場
ウィンドサーフィン大会
牛 窓 の 自然 美 は 多 くの 人 々 の心 を と ら えて
離 しませ ん。 特 に紺 碧 の 海 は若 者 や 家 族 の レ
西脇 ピーチ
ジ ャー 基 地 。 西 脇 ビ ー チ 、 牛 窓 海 水 浴 場 をは
大 正時代 の牛窓 海水 浴場
じめ 瀬 戸 内海 沖 に も、 ウ イン ドサ ー フ ィン、
ヨ ッ トな どマ リ ンス ポ ー ツ を 楽 しむ 人 々 が 、
京 阪 神 、 山 陰 、 山 陽 の 各 地 か ら集 い、 友 情 の
輪 を広 げ ます 。
ヨ ッ トレ ー ス
26
27
牛 窓 の 美 し さ は海 だ け に と ど ま り ませ ん 。
牛 窓 周 辺 に は サ イ ク リ ン グ ロー ドや キ ャ ンプ
場 、 テ ニ ス コー トも設 け られ て い ます 。 時 に
は 阿 弥 陀 山 の 山 頂 か らハ ン グ ラ イ ダ ー が 大 空
に 舞 い 上 が り、 雄 大 な シュ プ ー ル を描 き ます 。
恵 まれ た 自然 環 境 を 、 い つ まで も大 切 な観
光 資 源 と して壊 す こ とな く守 り続 け て ゆ き た
い もの で す 。
ハ ング ライダー 大会
テニ スコー ト
キ ャ ンプ場
港 まつ り
北 海 道 の 幌 加 内 町 とは 昭 和58年 の 母 子 里 地
区 電 話 一 般 化 開通 の 記 念 通 話 以 来 、 さ ま ざ ま
な 交 流 が 続 け られ て い ます が 、 そ の 一 環 と し
て 、 母 子 里 中 学校 と牛 窓 中学 校 間 で も交 流 が
行 わ れ て い ます 。
中学 校の 交流
28
29
ヨ ッ トハ 一 バ ー 予 想 イ ラ ス ト
ペ ン シ ョ ン村
国 民 宿 舎
牛 窓 に は我 国 最 初 の 海 浜 ペ ン シ ョ ン村 を は
じめ 国 民 宿 舎 、 民 宿 な ど宿 泊 施 設 も豊 富 で す 。
自然 の 美 し さ、 山 海 の珍 味 、素 朴 な 人情 が 、
旅 人 の 心 に 安 らか な ひ と と き を織 りな して く
れ ます 。
前島 の民宿
30
潮干 狩 り
31
躍動する牛窓
確かな基盤づくりと豊かな発展をめざす産業最前線
農業
当 町 の 農 業 は 露 地 野 菜 を 中心 に産 地 形 成 が
な され て お り、 年 二 作 の有 効 な土 地 利 用 と多
品 目の 組 合 せ に よ っ て 、一 戸 平 均 の農 家 所 得
で は 県 下 一 を誇 っ て い ます 。 昭 和63年 に は県
営 畑 地 帯 総 合 土 地 改 良 事 業 等 によって 、新 しく
畑 かん施 設380ha、 区画 整 理80ha、 農道26.9km
が整 備 され 、 又 地 域 農政 総 合 推 進 事 業 や 、 農
村 地 域 定 住 促 進 対 策 事 業 等 を併 せ て実 施 し、
農 地 の 汎 用 化 を図 り、生 産 性 の高 い 農 業 へ 向
け て さ らに大 き く前 進 す る よ う幅 広 い対 策 を
押 しす す め て お り ます 。
キ ャベツ畑
産 業 は いつ の 時代 に も、 町 民 ひ と りひ と り
が 安 定 した 、 豊 か な 生 活 を築 く確 か な基 盤 と
な らな くて は な りませ ん 。
農業 、漁 業 、 商 業 、観 光 、工 業 の近 代 化 を
は か り、資 源 の確 保 と増 殖 、生 産 基 盤 の 強 化
に努 め なが ら、 町 民 の 知 恵 を 出 しあ っ て産 業
の振 興 をす す め 、21世 紀 に向 っ て い き い き と
した活 力 に あ ふ れ た町 づ く りに取 り組 ん で ゆ
き ます 。
整備 され た圃場
32
カ
観光農 園管理 セ ンター
33
ボチ
ャ畑
前 島 フ ェ リー
牛 窓 町 東 南 部 海 上 に は大 小8つ
漁業
の 島が あ り
海 岸 線 は屈 曲 が 多 い 。
ま た 、海 底 の 起 伏 も激 し く潮 流 が 複 雑 で 、
沿 岸 一 帯 に 生 息 す る魚類 は極 め て多 い 。 主 な
漁 場 は播 磨 灘 西 部 と牛 窓 諸 島一 帯 で 、漁 業振
興 上 恵 まれ た地 域 で す 。
漁船 に よ る操 業 は 底 び き網 、 一 本 釣 、 延縄
な どが 今 も活 発 に行 わ れ 、特 に沿 岸 部 は 小 型
定 置 綱 が 点 在 し、 カ キや ノ リの 養 殖 も年 々活
況 を呈 して お り、 中 で も ノ リは県 下 で も有 数
の 産 地 と して知 られ る よ うに な り ま した 。
酪 農 も野 菜 と と もに牛 窓 の 農 業 の ひ と つ の 柱 と な っ て い ます 。
さ ら に 、毎 年 エ ビや ク ロ ダ イ等 の稚 魚 を積
極 的 に放 流 し、「
獲 る漁 業 か ら培 る漁 業 へ 」を
ス ロ ー ガ ン に将 来 性 の あ る漁 業 へ の転 換 をは
か っ て い ます 。
朝市 場
34
35
電極製造工事全景
化 粧 品 工 場 シ ョー ル ー ム
電極製造工場内部
工 場 立 地 の 条 件 に 恵 まれ な い牛
窓 町 で す が 、町 内 に は 中 小 規 模 の
工業
工 場 もい くつ か あ り、地 域 産 業 の
中核 と して 、経 済 的 な面 の み な ら
ず 町 民 多 くの 雇 用 の場 と して 、住
民 生 活 に密 着 し、地 域 の振 興 、発
展 に大 き く寄 与 して い ます 。
船 舶工場
ノ ー ト工 場
36
37
牛窓町民 とともに
日々たゆまぬ努力で町民のくらしを支えます
栽培 漁業 セ ンター
消 防 出初 式
圃場整備
牛 窓 町 は 、町 民 の み な さん の 信 頼 に応 え る
た め に安 全 で快 適 な く ら し、 健 康 で豊 か な く
ら しを支 え る か ず か ず の サ ー ビ ス を提 供 して
い ます 。
道 路 網 の 整 備 、災 害 の 防止 対 策 、 医療 体 制
の確 立 、 心 身 障 害 者 福 祉 、生 活 環 境 の整 備 な
ど 、 そ の サ ー ビ ス は 町 民 の くら しの 多 岐 にわ
た っ て お り、 そ こ で は 、行 政 と町 民 が 手 を た
防災訓練
ず さ え 、助 け合 い 、潤 い の あ る町 づ く りが 推
清掃施設
火 災 をは じめ とす る災 害 か ら 、町 民 の生 命 と財 産 を守 る た め
進 さ れ て い ます 。
総 合 的 な 防 災 体 制 の確 立 に励 む 消 防 団 員 。
38
39
町役場組織図
(昭和59年9月
議 決 機 関
(議員定数18名)
議
長
副
議
現在)
総 務 委 員
厚 生 委 員
長
会
会
建 設 経 済 委 員 会
議
総
執 行 機 関
総
務
課
務
部
税
務
課
民
住
民
課
生
部
長
助
役
健
課
建
町
保
建
設
課
設
部
農
林
課
会
事
企
画
開
発
室
牛 窓 町 に は医 療 施 設 と して 町立 病 院 、 一 般
局
庶
務
係
財
務
係
評
価
係
賦
課
徴
収
係
戸
籍
住
民
係
福
祉
係
環
境
係
保
健
係
国
保
係
工
務
係
管
理
係
農
林
水
産
係
農
業
土
木
係
農
業
共
済
係
企
町立 牛窓病 院
務
画
係
土
地
対
策
係
商
工
観
光
係
緑の村観光センター
診 療 所3ヵ 所 、歯 科 診 療 所2ヵ 所 が あ り、 病
出
気 の 早 期 発 見 、早 期 治 療 に努 め て い ま す 。
納
室
町 立 病 院 は 昭 和20年 に開 設 され 、現 在 は 内
科 、外 科 、産 婦 人 科 、 眼科 と82の 病 床 を有 し、
地 域 の 基 幹 病 院 と して 町 民 に愛 され 、信 頼 さ
教 育 委 員 会
教
れ る公 的 病 院 をめ ざ して 、 日夜 、業 務 に専 念
育
出
納
総
務
係
係
教
育
課
学
校
教
育
係
公
民
館
社
会
教
育
係
図
書
館
長
して い ます 。
学校給食センター
選 挙 管 理 委 員 会
事 務 局 ( 兼 務 )
監
査
委
員
会
事 務 局 ( 兼 務 )
農
業
委
員
会
事 務 局 ( 兼 務 )
町
立
病
院
院
長
内
科
外
科
産
婦
人
眼
事
40
41
科
科
務
局
位
町議会
委員会
町 政 の意 思 決 定 機 関 と して の 町議 会 は 、 現
在18名 の議 員 で 構 成 され 、年4回
委
の定例会 と
員
会
構成 人員
必 要 に応 じて 開 催 さ れ る臨 時 会 を通 して 、 条
総
務
委
員
会
6名
例 制 定 や 予 算 の 決 定 、決 算 の認 定 な ど を行 い 、
厚
生
委
員
会
6
町 民 の要 望 に応 え て い ます 。
建 設 経 済 委 員 会
6
議
員
5
邑久牛窓清掃施設組合議会議員
3
邑 久 消 防組 合 議 会 議 員
3
邑久牛窓水道企業団議会議員
5
ま た町 議 会 に は総 務 、 厚 生 、建 設 経 済 の3
常任 委 員 会 と、 特 に重 要 な 問 題 につ い て は 必
要 に応 じて特 別 委 員 会 を設 置 し、議 案 や 請 願
を審 査 す る な か で 、牛 窓 が か か え る幾 多 の難
問 の 解 決 に あ た っ て い ます 。
議
会
運
営
委
長
山 本 史 郎
議会風景
42
43
置
44
45
町
章
この町章は、牛窓町の「ウシ」を丸型に図案
化して町民の和合協力性を強調、同時に左右
に伸びた翼が町の飛躍発展を象徴している。
牛窓町勢要覧
昭 和59年10月
発行
発 行/岡 山県 邑久郡 牛窓 町
制 作/株 式会 社 ぎようせい
4 6
Fly UP