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日本・ スコットランド文化交流史

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日本・ スコットランド文化交流史
日本 ・ス コ ッ トラ ン ド文 化 交 流 史
1
明 治 の ジ ャ ポ ニズ ム と 英 国 グ ラ ス ゴ ウ
日 本 ・ス コ ット ラ ン ド 文 化 交 流 史
はじめに
北
政
巳
ど のよ う に形 成 さ れ た ので あ ろ う か。 ま たど のよ う な 関 連 か ら 、 こ
の時 代 は出 現 し た の であ ろ う か に つ い て は未 だ 充 分 に研 究 さ れ て い
接 触 を開 始 ・拡 大 し た 日 本 に大 き な 関 心 を集 め た。 そ し て日 本 の伝
に 二世 紀 以 上 の鎖 国 政策 か ら脱 し 明 治 維 新 を 遂 行 し て 西 欧 世 界 と の
ラ ンド 人 技 師 達 であ り 、 ま た グ ラ スゴ ウ に は 日本 に はあ ま り 知 ら れ
は ヨー ロ ッパ社 会 に日 本 の伝 統 美 術 ・芸 術 を 紹 介 し た の は ス コ ット
私 は、 ス コ ット ラ ンド と 日 本 の技 術 交 流 史 を研 究 す る過 程 で、 実
(2 )
統 文 化 が 異 文 化 の ヨ ー ロ ッパ に大 き な 影 響 を 与 え 、 ジ ャポ ニズ ムと
て いな い ジ ャポ ニズ ム の画 家 達 が いた こと に気 づ い た。 そ こ で ス コ
な いと 言 え よ う o
し て受 け 入 れ ら れ ヨー ロ ッパ 社 会 に ア ー ル ・ヌ ーボ ー (
新 時代 ) と
ット ラ ソド 人技 師 達 が ヨ ー ロ ッパ のジ ャポ ニズ ム時 代 の幕 を 開 い た
一九 世 紀 後 半 の ヨ ー ロ ッパ文 化 ・芸 術 界 では 、 一八 六 〇 年 代 後 半
呼 ぼ れ る 時 代 を 現 出 し た こ と は 知 ら れ て いる 。 つま り北 斎 や 歌 麿 の
と の立 場 か ら 、 そ の歴 史 的 淵 源 か ら の論 証 を 試 み た い。
ス コ ット ラ ンド と日 本
ら れ た時 代 、 グ ラ スゴ ウ を中 心 と す る ク ラ イド 河 流 域 の西 部 ス コ ッ
イ ギ リ スが ヴ ィク ト リ ア期 の最 盛 期 を 迎 え ﹁世 界 の 工場 ﹂ と 讃 え
H
絵 画 を は じ め、 日 本 の絵 画 ・織 物 ・美 術 工 芸 ・建 築 が ゴ ッ ホ、 ル
イ ・ マジ ョ レ、 エミ ー ル ・ガ レ等 を は じ め多 く の ヨー ロ ッパ芸 術 家
に 影 響 を 与 え 、 ま た 多 く の美 術 ・芸 術 専 門 家 が ジ ャポ ニズ ムを 論
(
1)
じ た。
そ れ では 、 こ の ア ー ル ・ヌ ーボ ー時 代 を作 り 上 げ た 歴史 的 背 景 は
45
ト ラ ンド 地 域 は ﹁大 英 帝 国 の工 場 ﹂ と呼 ば れ 、 鉄 工 ・鉄 道 ・造 船 業
で栄 ・
兄た 。 ま た ス コ ッ ト ラ ン ド 人 は 早 く か ら 海 外 へ の 移 住 ・出 稼 ぎ
層 に は ス コ ット ラ ン ド の大 学 を 卒 業 後 に、 大 陸 文 化 の教 養 を 積 む
来 、 親 密 な関 係 が 存 続 し てき た。 事 実 、 ス コ ット ラ ンド 人 の有 識 者
ラ ソド と の歴 史 的 な 対 抗 関 係 か ら、 逆 に大 陸 の フ ラ ン スと は 中 世 以
に 積 極 的 で あ っ た が 、 一八 三 三 年 に 東 イ ソ ド 会 社 の経 営 独 占 が 廃 止
﹁グ ラ ンド ・ ツ ア ー﹂ (
ひQ鑓民 8霞 )が 伝 統 で あ った。 そ の ス コ ット
(3 )
さ れ る と イ ソド 以 東 の ア ジ ア、 特 に 中 国 ヘ ス コ ッ ト ラ ン ド 人 は 進 出
ラ ンド が 合 併 を 経 て イ ング ラ ンド の影 響 下 に産 業 革 命 を 開 始 し 、 そ
(4)
し た 。 そ こ に は ス コ ッ ト ラ ン ド 人 の 外 交 官 ・技 術 者 ・商 工 業 者 の ネ
し て 一九 世 紀 中 葉 ・後 半 に は イギ リ ス全 体 の重 工業 を 主 導 す る 立 場
導 いた 。
ッパ第 六 の都 市) と し て ﹁鉄 道 の都 ﹂、 ﹁⋮
機 械 の都 ﹂、 ﹁造 船 の都 ﹂ と
一八 六 〇 ・七 〇 年 代 、 グ ラ スゴ ウが イ ギ リ ス第 二 の都 市 (ヨー ロ
(9 )
ッ ト ワ ー ク が あ り 、 そ の ル ー ト か ら 日 本 へ の ス コ ッ ト ラ ン ド 人 の到
と な る。 そ の頃 ち ょう ど イ タ リ ア で ガ リ パ ルデ ィが 独 立 運 動 を 起 こ
(5 )
着 と 、 ま た 日 本 人 の 英 国 を は じ め 世 界 へ の渡 航 ル ー ト が 実 現 し た 。
す と 、 裕 福 な グ ラ スゴ ウ市 民 層 は支 援 活 動 を 展 開 し 、 革 命 を成 功 に
(
東 京 大 学 の前 身 ) の 初 代 校
(10 )
そ し て 幕 末 ・明 治 の 日 本 で 活 躍 し た 著 名 な ス コ ヅ ト ラ ン ド 人 達 、
(
日 じu.9 0<臼 )﹂、 ﹁工 部 大 学 校
﹁第 一号 の お 雇 い 外 国 人 ブ ラ ソ ト ン (
国●缶 ・一
W円口昌け
O昌)﹂、 ﹁長 崎 の 外 商
グ ラバ ー
∪︽臼 )﹂、 ﹁日 本 造 船 ・海 運 業 の 最 大 の 功 労 者 ブ ラ ウ
讃 え ら れ 、 世 界 の鉄 道 生 産 の五 割 、 造 船 生 産 の 四割 を 占 め る程 に栄
(
即
ソ (
︾●幻・︼
W﹃O妻づ)﹂ 等 が 登 場 し た 。 彼 ら を 通 し て 、 西 欧 社 会 か ら 観
え た時 代 に、 グ ラ ス ゴ ウ や ﹁
文 芸 の都 ﹂ の エデ ィ ンバ ラ は そ の富 を
長 ダ イ ァー
れ ば 異 質 な が ら 独 自 の文 化 と 発 展 を 遂 げ た 極 東 の 小 国 ・ ニ ッポ ン が 、
生 か す建 築 ブ ー ムを 迎 え た。 フ ラ ン ス ・イ タ リ ァ等 の ヨー ロ ッパ 大
(6 )
イ ギ リ ス ・ ヨー ロ ッパ諸 国 に伝 達 さ れ た。 ま た彼 ら の助 力 によ り 、
陸 か ら 多 く の建 築 家 ・美 術 工 芸 家 が 到 来 し活 躍 し た。 特 に近 代 家
グ ラ スゴ ウ大 学 と 日本
(11 )
明 治 維 新 後 に近 代 化 ・工業 化 を 急 ぐ 日 本 が ﹁東 洋 の イ ギ リ ス﹂ にな
旦ハ・調 度 品 の製 作 は 、 鉄 道 や造 船 業 ビ ジ ネ スと 関 連 し て興 隆 し た の
(7 )
る夢 を 実 現 さ せ る。 事 実 、 明 治 維 新 後 僅 か三 〇 年 に し て、 アジ ア の
であ る。
m
(12 )
強 国 と な り 日 清 戦 争 の勝 利 を 導 き 、 一九 〇 二年 に は日 英 同 盟 を 結 び
イ ギ リ ス のパ ー ト ナ ー と な り 、 さ ら に日 露 戦 争 の勝 利 を 導 く 事 にな
グ ラ ス ゴ ウ で の二 つの産 業 博 覧 会 の前 に、 日 本 と ス コ ット ラ ンド
る。 こ の歴 史 的 背 景 に、 ス コ ット ラ ンド と フラ ソ ス ・イ タ リ アと の
関 係 が 付 加 さ れ る 。 つま り 一七 〇 七 年 にイ ソグ ラ ンド に経 済 的 合 併
交 流 の前 史 が 存 在 し た 。 先 ず 最 初 に 一八 六 〇 年 代 の幕 末 時 代 以 来 、
(8 )
を強 いら れ ﹁連 合 王 国 ﹂ を 形 成 し た ス コ ット ラ ンド は、 元 来 イ ング
46
日本 ・ス コ ッ トラ ン ド文 化 交 流 史
カ レ ッジ を へて現 在 の ス ト ラ ス ク ラ イ ド 大 学 、 ωけ
蠢 夢 o一
旨 Φ d巳 く●
) に留
(19 )
グ ラ バ ー、 ブ ラ ン ト ン や ブ ラ ウ ン等 を 介 し て 、 ス コ ット ラ ン ド 造
学 した。
(13 )
船 ・海 運 業 者 の側 に 日本 への関 心 が 存 在 し た。 次 に 一八七 二年 の岩
ス コ ッ ト ラ ソド の芸 術 家 と 日 本
一九 世 紀 後 半 の グ ラ スゴ ウ は鉄 道 ・機 械 ・造 船 ・海 運 業 で栄 え 、
坪
イ ンパ ラ の ステ ィ ーブ ン ス ン社 派 遣 の燈 台 技 師 達 の来 日 が あ り 、 次
英 国 のヴ ィ ク ト リ ア盛 期 を 象 徴 す る豊 か な都 市 と な り、 同 時 に壮 麗
(14 )
倉 使 節 団 のイ ギ リ ス ・グ ラ ス ゴ ウ訪 問 を 通 じ て のダ イ ア ー を はじ め
と す るグ ラ スゴ ウ 大 学 中 心 に編 成 さ れ た 工 部 大 学 校 の教 師 団 や エデ
に逆 の流 れ と し て日 本 か ら の文 部 省 派 遣 の邦 人 留 学 生 や 工 部 大 学 校
な 最 新 建 築 と と も に美 術 工 芸 に お い ても ヨー ロ ッパを リ ー ド す る時
(15 )
の優 等 生 の グ ラ スゴ ウ大 学 留 学 派 遣 を通 じ て、 グ ラ ス ゴ ウ や エデ ィ
代 を迎 ・
兄た 。 ヨ ー ロ ッ パ 中 世 で は 北 ヨ ー ロ ッ パ で は ブ ル ー ジ ュ
(16 )
ソバ ラ社 会 に は、 か な り 日本 文 化 も 浸 透 し て い った 。 例 え ば 英 語 で
(
bU≡ ひqΦω) が 栄 え 、 油 絵 が 流 行 し ヴ ァ ン ・ ア イ ク (
<躄
(20 )
は漆 器 商 は ﹁日本 を 縁 と し てジ ャ パ ナ i (
冒 冨 口9 ﹂ と 呼 ぼ れ たが 、
が 登 場 し た。 つい で オ ラ ンダ から ライ ン河 流 域 の通 商 の繁 栄 を 背 景
ロ ッパ の イ タ リ ア の ベ ニス (
<①巳8 ) が 芸 術 的 に 再 び 栄 え る 時 代 を
(
Ooけ
三〇) 建 築 が 栄 え 、 つ い で 南 ヨ ー
ま た 一八 七 四年 に 日 本 で初 の西 欧 式 技 術 カ レ ッジ と な る 工 部 大 学
迎 え 、 同 時 期 に ヨ ー ロ ッ パ 文 化 を 主 導 す る ス ペ イ ン の マド リ ッド や
に 、 北 ヨー ロ ッパ に ゴ シ ック
身 警 )兄弟
一八 六 六年 の グ ラ スゴ ウ市 郵 便 録 に は 一〇 を超 え る同 職 業 表 記 が 見
(
17)
ら れ る。
校 の校 長 と し て赴 任 す るダ イ アー に は、 日 本 に西 欧 近 代 技 術 を 移 植
オ ラ ソダ の ア ム ス テ ルダ ム等 と の交 流 を 深 め た。
日 本 人 青 年 のグ ラ スゴ ウ 大 学 への留 学 の歴 史 に つ い て は、 グ ラ スゴ
大 学 校 に付 属 美 術 学 校 を 作 る計 画 に着 手 し た。 一八 七 〇 年 代 以 降 の
人 E ・F ・フ ェノ ロサ を 登 用 し た り 、 結 果 的 には 挫 折 す るが 、 工 部
芸 術 家 達 は 、 ヨー ロ ッパ諸 国 で の先 輩 画 家 を 研 究 し、 ま た
ーイズ﹂ (
Ω冨 ω
α
qo≦ od畠 ω) と 呼 ば れ た 。 彼 ら グ ラ ス ゴ ウ 出 身 の 若 き
新 し い美 術 感 覚 を も つ固 有 の芸 術 家 集 団 が 誕 生 し ﹁グ ラ スゴ ウ ・ボ
そ し て 一九 世 紀 の後 半 に は グ ラ スゴ ウ 通 商 の世 界 的繁 盛 の中 で、
(21 )
す る目 的 と 同 時 に西 欧 美 術 を 日本 に紹 介 す る意 図 も あ り、 イ タ リ ア
ウ 大 学 特 別 資 料 室 と スト ラ ス ク ラ イ ド 大 学 図 書 館 所 蔵 の ﹃
登 録証﹄
グ ラ ンド 芸 術 ク ラブ ﹂ (
ZΦ≦ 国口ひq冨pα ︾﹃けΩ qび) と 呼 ば れ る ロ ン ド
(18 )
(
鬥
P鋤け鬥
一
6二一
鋤叶一
〇昌) を 調 べ る と 、 第 一次 世 界 大 戦 ま で約 八 ○ 名 の邦 人
ン の画 家 協 会 と も 連 係 を と り、 彼 ら は郷 土 愛 か ら 風 景 画 に力 を 入 れ
(22 )
学 生 や 技 師 が グ ラ スゴ ウ大 学 や ア ンダ ー ソ ン ・カ レ ッジ (
後 年 にグ
た 。 そ の頃 伝 統 的 な 芸 術 の 都 と さ れ た パ リ や ミ ュ ソ ヘ ン で は 、 従 来
﹁新 イ ン
ラ スゴウ .ス コ ット ラ ンド西 部技 術 カ レ ッジ、 ま た グ ラ スゴウ 王立 技術
47
、
の人 物 画 や静 物 画 の是 非 を めぐ って の論 争 が 展 開 さ れ た。 グ ラ ス ゴ
術 ・美 術 と の 交 流 を 促 進 し た か ら で あ る 。
け る
そ こ で 次 に 一八 八 八 年 と 一九 〇 一年 の グ ラ ス ゴ ウ 国 際 博 覧 会 に お
ゴ ウと エデ ィ ンバ ラ両 都 市 間 の ラ イ バ ル意 識 を 背 景 と す る イ ニ シア
の立 場 か ら 、 当 時 の ス コ ッ ト ラ ン ド を 代 表 す る 建 築 家 マ ッ キ ン ト ッ
ウ で は さ ほ ど 画 法 や 様 式 を めぐ る論 争 はな か った が 、 従 来 のグ ラ ス
テ ィブ 争 いが 存 在 し たが 、 次 第 にグ ラ スゴ ウが 美 術 工 芸 の斬 新 性 を
シ ュ (
∩)
げ四﹃一
①ω 幻①昌づ一
Φ 罎 ⇔O閃一
昌けOωげ) と グ ラ ス ゴ ウ ・ボ ー イ ズ の 中 で
﹁日 本 ﹂ の立 場 と 評 価 と 、 ス コ ッ ト ラ ソ ド と 日 本 の 文 化 交 流 史
発 揮 し、 王 立 グ ラ スゴ ウ美 術 協 会 (
国o︽巴 Ω冨ω
ぴ
qo≦ ぎω
葺 ロ叶
Φ oh昏①
有 名 な 二 人 の画 家、 ホ ー ネ ル (
国α≦言
(
2
5)
と ヘン リ ー
霊昌Φ﹀﹁け
ω) が 中 心 と な り ま と ま ってゆ く 。 例 え ぽ グ ラ ス ゴ ウ の資 産
(
○①o同σqΦ 日●= Φ罎 図)、 ま た ス コ ッ ト ラ ソ ド か ら ア メ リ カ へ移 民 し た
の四 人 を取 り 上 げ て み た い。
﹀. 山。ヨ 9
家 が ヨー ロ ッパ流 行 の画 家 の絵 を 各 地 で購 入 し て持 ち帰 り 、 ロ ソド
ウ ィッスラー (
冨 8Φω﹀'鬢 窪ω二9
一八 八 八年 のグ ラ スゴ ウ国 際 博 覧会 と 日本
ド ソ の水 晶 宮 (
O煢 ω
琶 ℃巴蝉8 ) に お け る 博 覧 会 に は じ ま る。 こ の
イ ギ リ スに お け る大 規 模 な 国 際 的 な博 覧 会 は、 一八 五 一年 の ロン
V
ソ の芸 術 家 よ り も 遥 か以 前 に、 グ ラ スゴ ウ の美 術 ・芸 術 家 に、 そ れ
ら を 見 る機 会 を 提 供 し た。 ま た 一八 八 六 年 に エデ ィ ソバ ラ で 国 際 博
覧 会 が 開 か れ た が 、 そ こ に は オ ラ ソダ や フラ ソ ス の最 新 画 が 集 めら
れ 、 ス コッ ト ラ ンド の芸 術 ・美 術 家 にと って、 ヨー ロ ッパ の先 進 文
化 を 吸 収 す る機 会 と な った。 そ し てグ ラ スゴ ウ ・ボ ー イ ズ の主 導 で
博 覧 会 は イ ギ リ ス の ヴ ィ ク ト リ ア時 代 の繁 栄 と 発 展 を 象 徴 す る 展 示
(23 )
エデ ィ ンバ ラを は じ め ス コ ット ラ ンド 各 地 で の芸 術 ・美 術 ブ ー ムが
会 であ り 、 六 〇 〇 万 人 を超 え る入 場 者 を 集 め、 国 民 への教 育 的 役 割
(27 )
ア盛 期 のビ ジ ネ ス の繁 栄 に よ り 当 時 七 六 万 人 を 超 ・
兄、 ヨー ロ ッ パ で
八 一 一年 以 来 、 人 口 で は英 国 第 二 の都 市 と 呼 ば れ たが 、 ヴ ィク ト リ
ン博 覧 会 に次 ぐ 大 規 模 な 展 示 と し て企 画 さ れ た 。 グ ラ スゴ ウ は、 一
グ ラ スゴ ウ で の 一八 八 八 年 の国 際 博 覧 会 は 、 一八六 二年 の ロ ンド
も 大 き か った 。
(26 )
作 ら れ て い った。
興 味 深 い の は、 当 時 マ ソチ ェ スタ ー の画 家 達 が 所 謂 英 国 画 と呼 ぼ
れ る 風 景 絵 画 に熱 中 し、 エデ ィ ソバ ラ画 家 達 は フ ラ ソ スや オ ラ ソダ
画 法 の追 従 を追 求 し た の に対 し 、 グ ラ ス ゴ ウ画 家 達 は全 て に関 心 を
持 って自 由 な 問 題 意 識 で絵 画 に専 念 し た。 ま た美 術 ・工芸 の伝 播 の
機 会 と し て、 当 時 、 盛 ん に 開 催 さ れ た産 業 博 覧 会 の役 割 が 注 目 さ
も 六 番 目 の人 口 を も つ都 市 と な って いた 。 特 に 一八 七 八年 の経 済 不
義市場 での工業
簗
況 から 回 復 し 、 グ ラ スゴ ウ は世 界 の ハイ テ ク先 進 都 市 と し て鉄 道 .
・何 故なら新 し 機 械 の製造 と販売が、資 奎
デ ザ イ ソや 機 能 的 装 飾 の進 展 を 必 然 化 し、 さ ら に相 乗 的 にそ れが 芸
48
日本 ・ス コ ッ トラ ン ド文 化 交 流 史
リ ア女 王 が 出 席 し て開 所 式 が 開 か れ た グ ラ スゴ ウ市 議 会 建 築 や 、 一
学 で あ り 、 ま た 一八 八 三 年 に工 事 が 開 始 さ れ 一八 八 八 年 に ヴ ィ ク ト
のが 、 一八七 二年 に建 築 さ れ た壮 麗 な ゴ シ ック建 築 のグ ラ スゴ ウ 大
造 船 ・機 械 製 造 の重 工 業 ビ ジ ネ スで成 功 し た。 そ の興 隆 を象 徴 し た
メ リ カ や アジ ア諸 国 から の来 訪 者 が 博 覧 会 場 を 訪 れ 、 展 示 さ れ た 工
ゴ ウ 産 業 製 造 品 の世 界 輸 出 に 貢 献 し た 。 ヨ ー ロ ッ パ を は じ め 南 北 ア
即 売 は禁 止 さ れ たが 、 情 報 と し て価 格 表 が 展 示 さ れ 、 大 い にグ ラ ス
の 価 格 表 は 禁 止 さ れ た が 、 こ の 一八 八 八 年 の グ ラ ス ゴ ウ 博 覧 会 で は
で 出 品 さ れ た 。 さ ら に 一八 五 一年 の ロ ン ド ン 国 際 博 覧 会 で は 出 品 物
(28 )
八 九 〇 年 の当 時 の世 界 最 大 の フ ォー ス橋 建 設 であ った。
業 商 品 ・建 築 ・芸 術 作 品 等 を 注 文 し た 。 当 時 の 資 料 に よ る と 、 特 に
人 気 が 高 か っ た の は パ ラ フ ィ ン ・ヤ ン グ 電 燈 ・鉱 物 会 社
一八 八 八年 五 月 八 日 に ウ ェー ルズ皇 太 子 夫 妻 が 、 グ ラ スゴ ウ 大 学
横 の ケ ル ヴ ィ ン河 に臨 む ﹁
東 宮﹂ (
肆 ωけ
Φ﹁
昌 ℃巴鋤8) の中 心 パ ピ リ オ
因。琶 ひq.
ω い覦ぽ
(
℃贄 鋤h
貯
ソを 訪 問 し、 金 鍵 でド アを開 け る式 典 が 行 わ れ た。 建 物 は グ ラ スゴ
Q。三9 霞 俸 0。署 霞 ○。●
)、 コ ー プ ラ ン ド ・ ラ イ ル 織 物 会 社
(
O。oΦ冨 邑
(
日訂 邑 ω
ウ の著 名 な 建 築 家 セ ラ ー ズ (
冒 日Φω ωΦ一
一
穹ω) の設 計 に よ るが 、 彼 は
俸 い覧⑦ ↓Φ×艶 Φ O。・
)、 ペ イ ズ リ ィ の ク ラ ー ク ス (
Ω 餌碁 ω) 社 の 織 物
会 社 の作 品 で あ った 。
卿 竃 ぎ臼 巴 09) や タ ル シ ス 硫 黄 ・銅 会 社
﹁東 洋 風 ﹂ の様 式 と き め ﹁博 覧 会 開 催 目 的 に適 合 さ せ る と 同 時 に、
(
29 )
自 然 調 和 を 考 え て 木 の感 覚 ﹂ を 取 り 入 れ て 実 行 し た と さ れ る 。 各 パ
多 く の 来 訪 者 の 注 目 を 集 め た の は 、 グ ラ ス ゴ ウ の誇 る 造 船 業 と 関
(
ω鋤蠢 8 コ 国o⊆巳 蔓 ) で 作 ら れ た 華 麗 な 鉄 製 品 、
ンが 賞 賛 を あ び た 。 ま た マ ク フ ァ ー レ ソ (
ノ
く蝉一
什
Φ﹁ 竃 鋤Oh
曽﹃一
鋤昌①) 社
博 士 発 明 の三 連 鎖 エン・
シ ソ や デ ニ ィ兄 弟 社 の 実 用 化 の 四 連 鎖 エ ン ジ
ビ リ オ ン は、 芸 術 、 産 業 、 農 業 、 科 学 と 分 け ら れ た が 、 四 つ の各 館
(
国傷芝9﹃
α 亳 巴8 昌)、 ラ ヴ ェリ
連 ビ ジ ネ ス で あ った 。 例 え ぽ ネ イ ピ ア 造 船 所 の カ ー ク (
﹀乙○ 困
く貯評)
(
∩ ●日・一
田Φ口﹁く)、 ウ ォ ル ト ソ
の装 飾 を ﹁グ ラ ス ゴ ウ ・ボ ー イ ズ ﹂ の ガ ス リ ィ (
一9bPΦω ○・
⊆ユP
﹃一
①)、
ヘソ リ ー
ィ (
一〇げ昌 冖、
pρ<Φ同︽) が 競 演 し 担 当 し た 。
の サ ラ セ ン鋳 造 所
ま た デ ニ ィ兄 弟 社 は ウ ォ ル タ ー ・ブ ロ ッ ク の 特 許 デ ザ イ ソ を 用 い て
こ の 国 際 博 覧 会 に は 多 く の 世 界 的 に 著 名 な グ ラ ス ゴ ウ の産 業 資 本
家 ・金 満 家 か ら の 協 力 が あ り 、 例 え ぽ セ ン ト ・ ロ レ ッ ク ス化 学 工 場
美 的 に も 最 高 の船 舶 備 品 を 制 作 し 、 美 麗 な 日 本 刺 繍 で 装 飾 し た 食 堂
(31 )
(
ωマ 0冨 ﹃一
①ω日Φ目 き け)、 蒸 気 機 関 製 造 の ニー ル ス ソ社
や女 性 特 別 室 の模 様 を 展 示 し有 名 と な った 。 ま た 一八 七 一年 創 立 の
の テ ナ ソト卿
(
Z①凶
一
ωoづ) の レ イ ド
ロ ンド ソ ・ダ イ ヤ モ ンド 研 磨 会 社 の作 品 も 衆 目 を 集 め た 。 ま た海 外
(30 )
﹁グ ラ ス ゴ ウ ・ボ ー イ ズ の 英 雄 ﹂ と 呼 ば れ た ウ ィ ッ ス ラ ー の 最 高 傑
か ら の出 展 で は、 勿 論 ア メリ カ、 フラ ン ス、 ド イ ッ、 イ タ リ アか ら
(
冒 目Φω 菊色自) か ら の 出 品 協 力 が あ っ た 。 ま た
﹃ト ー マ ス ・カ ー ラ イ ル の 肖 像 ﹄ 絵 も リ バ プ ー ル 市 か ら 賛 助 協 力
作
49
ス、 ボ ン ベ イ 等 の地 域 間 対 抗 意 識 か ら 無 用 な ト ラ ブ ルが 多 か っ た が 、
存 在 し て 好 評 で あ った が 、 む し ろ イ ソ ド 国 内 の カ ル カ ッ タ 、 マド ラ
の関 心 が 集 ま った。 イ ンド と グ ラ スゴ ウ問 にも 歴 史 的 に深 い関 係 が
が 集 ま り 、 金 銀 細 工 の装 飾 品 技 術 の実 演 や高 級 手 作 り織 物 に訪 問 者
東洋 を代表 したド ウ ルト ソ (
Uo巳け
o昌) の イ ン ド 館 に 多 く の 観 光 客
ド イ ッ の ビ ー ル、 オ ー ス ト ラ リ ア の ワ イ ン 酒 等 に 人 気 が 集 ま った が 、
の 各 種 輸 入 品 、 ベ ネ チ ア や ボ ヘ ミ ア か ら の ガ ラ ス製 品 、 オ ラ ン ダ や
と賞 賛 さ れ た 。
業 館 の三 大 建 築 は、 東 西 の建 築 様 式 と 新 時 代 の二 〇 世 紀 を象 徴 す る
ン ・ルネ ッサ ン ス風 の美 術 館 、 さ ら に オ リ エ ン タ ル (
東 洋 風) の産
建 築 の壮 麗 な グ ラ スゴ ウ大 学 と、 ミ ラ ー (
9 ζ ≡9
そ し て ギ ル モ ア丘 に聳 え 立 つ ス コ ット (
Ω.ω8 ε 設 計 の ゴ シ ック
学 者 を 記 念 し て ケ ルヴ ィ ン博 物 館 ・公 園 ・記 念 会 堂 と 命 名 さ れ た。
た 。 建 築 さ れ た 特 別 記 念 会 場 は、 グ ラ スゴ ウ大 学 が 生 ん だ 最 大 の科
創 立 四 五 〇 年 祭 に合 わ せ て開 催 さ れ 、 世 界 数 十 力国 か ら の出 展 を み
注 目 さ れ る の は、 こ の国 際 博 覧 会 に日 本 は イ ソド 館 の 二倍 の広 さ
設計 の スペイ
(33 )
歴 史 的 関 連 の強 さ は 一八 八 六 年 の ロ ン ド ン植 民 地 イ ン ド 展 覧 会
(
いO昌αO昌 OO一
〇旨一
①一卿 H
昌α一
鋤コ 国U
×げ一
び一
叶
一
〇昌) で イ ソ ド を 代 表 し た ム ハ ル
ス コ ット ラ ンド 諸 工 業 のガ イ ド ・ブ ックが 発 行 さ れ たが 、 編 集 者 は
入 れ 墨 の実 演 も 行 った。 ま た 同 博 覧 会 に協 賛 し た グ ラ スゴ ウ ・西 部
を も つ展 示 館 を 作 り 、 日本 伝 統 の衣 類 、 木 工 ・象 牙 彫 刻 、 金 属 細 工 、
(
竃 艮 冨 昏 )が グ ラ ス ゴ ウ博 覧 会 を 訪 問 、 多 く の物 品 を 購 入 し た
いぎ①) で 負
ジ
(
Ωき
絹 織 物 、 絨 緞 、 和 裁 、 小 間 物 、 家 具等 を 出 品 し た他 、 茶 道 、 華 道 、
(
﹀口OげO﹃ H㍉昌Φ) と ク ラ ン 航 海 社
が 、 そ の運 搬 費 用 が 、 グ ラ スゴ ウ 市 と 二 つ のグ ラ スゴ ウ の航 海 会 社 、
ア ン カ ー航 海 社
(32 )
担 さ れ た こ と にも 見 受 け ら れ る。
日本 帰 り の グ ラ ス ゴ ウ ・西 部 技 術 カ レ ッジ の理 事 と な った ダ イ ア ー
一九 〇 一年 のグ ラ ス ゴ ウ国 際 博 覧 会 は、 一八 五 一年 の英 国 水 晶 宮
気 ・工 作 機 械 、 電 灯 事 業 、 一般 機 械 、 精 糖 器 械 、 蒸気 機 関 車 、 鉄 橋
イ ラ ー 製 造 、 造 船 ・海 事 機 関 機 械 、 水 管 付 き ボ イ ラ ー ・器 械 、 電
であ った。 ダ イ ァ ー報 告 に は、 グ ラ スゴ ウ周 辺 の鉄 ・黄 銅 鋳 造 、 ボ
国 際 博 覧 会 の五 〇 周 年 記 念 を 名 目 に、 さ ら に グ ラ スゴ ウ で の 一八 八
梁 ・屋 根 、 鉄 道 諸 器 械 、 繊 維 機 械 、 裁 縫 ミ シ ン、 水 利 工 事 、 衛 生 ・
一九 〇 一年 のグ ラ スゴ ウ国 際 博 覧会 と 日本
八 年 博 覧 会 の成 果 を ふ ま え 、 グ ラ ス ゴ ウ技 術 の世 界 最 高 水 準 を 謳 歌
暖 房 器 械 等 のビ ジ ネ スに つ い て体 系 的 に分 類 さ れ 、 各 社 の規 模 ・製
W
す る か た ち で開 か れ ﹁グ ラ スゴ ウ ・ボ ー イ ズ ﹂ 達 のデ ザ イ ン ・美 術
造 能 力 ・販 売 市 場 と 会 社 史 が 詳 し く紹 介 さ れ た。
こ の博 覧 会 のも う ひ と つ の大 き な特 徴 は、 ス コ ット ラ ンド出 身 で
(34 )
能 力 を 最 大 に発 揮 す る機 会 と な った 。 こ の博 覧 会 は ﹁機 械 の都 ﹂ と
讃 え ら れ る に至 った グ ラ スゴ ウ にお い て、 し か も グ ラ スゴ ウ大 学 の
50
日本 ・ス コ ッ トラ ン ド文 化 交 流 史
げ ら れ る。
(37 )
ィ ス (
日 ω
●舘 .
一
目 Φω) 社 が 、 鉄 橋 梁 ・屋 根 は ア ロ ル (
﹀旨 。一
)社が挙
(
切鋤目同 俸 ωけ
﹃鋤口α) 社 、 マ ク ニ
や グ レ ン フ ィ ルド ・ ケ ネ デ ィ (
O一
Φ象 Φ缸 帥 円。目 Φ身 ) 社 が 、 衛 生 ・
﹁故 郷
新 天地 ア メ リ カ でビ ジ ネ ス に成 功 し た 企 業 家 、 蒸 気 機 関 車 の 二i ル
(
Ooヨ Φσq凶
Φ) 等 が
照 明 ・暖 房 器 械 は バ ァ ・ ス ト ラ ウ ド
(
∪⊆巳 o℃)、 鉄 製 造 業 の カ ー ネ ギ ー
スン (
ZΦ=ω○コ)、 裁 縫 器 械 の シ ン ガ ー (
ωぎひQ霞 )、 ゴ ム タ イ ヤ の ダ ン
ロ ップ
(35 )
に 錦 を 飾 る ﹂ か た ち で 出 品 七 て い た 点 で あ った 。
興 味 深 い のは 、 同 年 九 月 一日 に国 際 産 業 博 覧 会 に合 わ せ てグ ラ ス
ゴ ウ 大 学 で ケ ルヴ ィ ン卿 を中 心 に英 国 科 学 促 進 会 議 (
しd﹃三珍
膨 大 な 資 料 か ら 当 時 の 日 本 と の ビ ジ ネ ス関 係 に 限 定 し て 調 べ る と 、
先 ず 蒸 気 機 関 車 や 鉄 製 品 輸 出 は マ ク フ ァー レ ン (
鬢葺 奠
。凶
蝉叶δ昌 9 零 。日。け
ヨひ
q ω皀Φ昌8) が 開 催 さ れ 、 日 本 を 代 表 し て参 加 し
﹀ωω9
一
き Φ) 社 や ヒ ュー ス ト ン (
一●俸 ∩}
●剛
宀〇二ω什
O昌) 社 が 顕 著 で 、 特 に 前 者
た帝 国 大 学 化 学 教 授 の桜 井 錠 二 と 同 数 学 教 授 の菊 池 大 麓 が 名 誉 学 位
言碧 貯雫
は 幕 末 時 代 か ら 多 く の鉄 製 の 鋳 造 製 品 を 長 崎 ・神 戸 ・横 浜 に輸 出 し
ィ ン卿 を 核 と す る ス コ ット ラ ソド 人 科 学 者 と の交 流 の反 映 であ った
を 受 け た こと であ る 。 これ は幕 末 以 来 の日 本 人 青 年 学 究 者 と ケ ルヴ
ま た グ ラ ス ゴ ウ 周 辺 で の 日 本 と の取 引 き 諸 企 業 を 調 べ る と 、 造
と言、
兄よ う 。 ま た交 流 史 の エピ ソ ード と し て、 一九 〇 一年 の四 月 と
て いた 。
船 ・海 運 業 に 関 連 す る ボ イ ラ ー や 諸 器 具 は ネ イ ピ ア (
Z卷 一
臼)造 船
一〇 月 に は 、 グ ラ スゴ ウ 大 学 入 学 試 験 監 督 と し て、 ち ょう ど ロ ンド
(
38 )
bdΦ口三 Φ)、 ハ ス テ ィ (
旨・ = 霧 9 )、 シ ャ ン ク ス
所 の他 、 ベ ニー (
9
ン へ留 学 中 の帝 国 大 学 英 文 学 教 授 で あ った夏 目金 之 助 が 招 か れ ﹁日
(
36 )
(
↓・ ωゴ⇔昌犀ω) 社 等 が 、 電 気 機 械 製 品 は ケ ル ヴ ィ ン ・ ホ ワ イ ト
く﹃ゴ淳Φ) 社 、 ミ ー シ ャ ン
(
竃 Φ9 き ) 社 、 メ イ ヴ ァ
(
内①一
く一
昌 塵
本 人 受 験 者 に 日 本 語 試 験 を担 当 し た ﹂ 記 録 が 大 学 評 議 会 記 録 に残 さ
(
39)
れ て い る。
蒸 気 機 関 ビ ジ ネ ス に 関 連 し て マー ド ッ ク ・ エイ ト キ ン (
]
≦霞 αoo評 俸
と し て来 日 し 、 一八 六 九 (
明 治 二)年 に燈 台 局 に 入 り 、 日本 各 地 の
また幕末期 にP&0 (
℃2 貯ω
巳胃 俸 9 δ算 乞鋤く一
ひ
q巴 8 )社 の船 長
(
]
≦鋤くo﹃) 社 、 ク ー ル ス ソ (
O。巳ω。づ) 社 等 が 、 一般 機 械 工 業 製 品 は
≧ 鱒 Φ⇒) 社 、 ニ ー ル ス ン (
ZΦ出ωo昌) 社 と ダ ッブ ス (
U呂 ω) 社 が 合 併
特 に ﹁明 治 丸 ﹂ のグ ラ スゴ ウ か ら 日 本 への曳 航 から 三菱 蒸 気 船 会 社
燈 台 を建 設 し た ス コ ット ラ ンド 人 技 師 ブ ラ ン ト ン のた め の船 舶 手 配 、
の創 立 、 さ ら に共 同 汽 船 と の合 併 に よ る 日本 郵 船 の創 立 、 さ ら に 一
し た ノ ー ス .ブ リ テ ィ ッ シ ュ (
ワ∩
O﹁
げ
げ 田W
﹃一
什一
ωげ) 蒸 気 機 関 車 社 が 、 精
八八九 (
明治 二 二) 年 に イ ギ リ ス に戻 り グ ラ スゴ ウ で 日 本 名 誉 領 事
(
勺.俸 ぐく.ζ OO三Φ) が 、 鋳 造 パ イ プ と 水 利
⋮
機 械 器 旦ハは エ デ ィ ン グ ト ン (
↓書 団α一
昌ひqけ
O口) 社 、 レ イ ド ロ ウ (
即
糖 器 械 製 造 は マ コ ー ニー
(
竃 鋤9 巴拿。澪 印 ω爲①ロ
ひq) 社
い巴亀①芝) 社 、 マ ク フ ァ レ ン ・ ス ト ラ ソ グ
51
(40 )
と な った A ・R ・ブ ラ ウ ソ の活 躍 も 大 き か った。 つま り ブ ラ ウ ソ は
日本 の造 船 ・海 運 業 が 草 創 の時 代 に は グ ラ スゴ ウ で の船 舶 買 い付 け 、
出 身 のイ ー スト (
﹀・国曽ωけ
) が 挙 げ ら れ るが 、 彼 は 日 本
日 本 と の芸 術 交 流 の先 駆 者 に は 、 グ ラ ス ゴ ウ 美 術 学 校 (
臼 鋤超 。≦
︾辞 o。9 。9
(44 )
を 訪 問 し て帰 国 後 、 美 し い京 都 の風 景 を絵 画 シリ ー ズ で紹 介 、 多 く
の ス コ ット ラ ンド 人 に大 き な 影 響 を 与 え た 。 そ こ で 明 治 のジ ャポ ニ
成 長 期 に は グ ラ ス ゴ ウ海 事 技 師 の日本 への招 聘 や 邦 人 技 師 のグ ラ ス
ゴ ウ 造 船 所 で の実 習 斡 旋 を 行 った。 さ ら に わが 国 の造 船 業 が 自 立 化
ズ ムと 関 係 の深 い四 人 の ス コ ット ラ ソド 人 画 家 ・芸 術 家 を 取 り 上げ
ー
マ ッキ ント ッ シ ュ (
0ゴ蝉﹃一
①ω幻①口昌一
Φ 冨 鋤O評一
昌けOωげ)
て み た い。
の時 代 を迎 え ると 、 グ ラ ス ゴ ウ に戻 り 、 そ こ か ら 最 新 海 事 諸 器 械 の
日 本 への販売 を 手 が け た の であ る 。
こ のよ う な 人 的 交 流 を 通 じ て、 多 く の日本 政 府 ・海 軍 ・造 船 海 運
(41 )
マ ッ キ ソ ト ッ シ ュは 、 日 本 で も 最 も 著 名 で 愛 好 さ れ る イ ギ リ ス 人
業 関 係 者 が グ ラ スゴ ウ を 訪 問 し た。 こ のよ う な 歴 史 的 状 況 か ら、 一
九 〇 二年 の日 英 同 盟 締 結 への動 き が 始 ま り 、 幕 末 以 来 の日 本 の指 導
建 築 ・美 術 家 で あ ろ う 。 一八 六 八 年 六 月 に ペ イ ズ リ ー (
℃鋤巨 Φ︽) 出
=⊆け-
身 の警 官 と エ ア (
﹀旨 ) 出 身 の 母 と の 問 に 四 番 目 の 子 供 と し て 生 ま
者 の願 望 であ った ﹁東 洋 のイ ギ リ ス﹂ 誕 生 の歴 史 的 背 景 が 形 成 さ れ
(42 )
た の であ る。
れ た 。 彼 は 一六 歳 の 時 に グ ラ ス ゴ ウ の 建 築 家 ハ ッ チ ソ ソ (
9
。三ω。コ) の 徒 弟 奉 公 に 入 り 、 ま た 自 立 を 決 意 し て 父 姓 の マ ッ キ ン ト
ッシ ュ (
冒 O一
昌けOωげ) か ら 苗 字 の綴 り を 変 え た 。 ま た 彼 の祖 父 は 繊 維
日 本 と ス コ ット ラ ソド の 文 化 交 流
.
明 治 期 の日 本 に お け る西 洋 美 術 と 日 本 美 術 の交 流 に大 き な 役 割 を
染 色 業 か ら出 発 し 、 船 舶 用 の防 水 布 や 防 水 雨 合 羽 の発 明 で有 名 な マ
冊
果 た し た人 物 に、 一八 七 八 (
明 治 二 )年 来 日 のイ タ リ ア系 ア メ リ
ッキ ソ ト ッシ ュ (
○.竃 O一
昌け
Oωゲ) で あ っ た 。 マ ッ キ ン ト ッ シ ュ は 、 徒
(
ζ 霞 ひq費 Φ什竃 鋤巳 。8 匡 ) と 出 会 い結 婚 し た 。 当 時
弟 奉 公 のか た わ ら グ ラ ス ゴ ウ美 術 学 校 に学 び 、 妻 と な る マー ガ レ ッ
(45 )
カ 人 フ ェノ ロサ (
閏・]
円・H
勹
Φ昌○コOω鋤) が 挙 げ ら れ るが 、 彼 は ダ イ ア ー
が 工 部 大 学 校 に付 属 美 術 館 の設 置 を 決 め た 時 に、 採 用 さ れ た。 そ の
ト ・ マ ク ド ナ ルド
ヨ ー ロ ッ パ で 流 行 し つ つあ った ア ー ル ・ ヌ ー ボ ー の芸 術 文 化 が 、 ⋮
機
背 景 に は、 前 掲 の 一八 六〇 年 代 の イ タ リ アと グ ラ ス ゴ ウ市 の密 接 な
関 係 が 窺 わ れ る 。 ま た ア メ リ カ のボ ス ト ソ美 術 館 に多 大 な貢 献 を し
械 の都 と し て 富 裕 化 し た グ ラ ス ゴ ウ に 定 着 す る 。 新 し く 建 築 さ れ る
街 並 み や 華 麗 な 建 造 物 か ら 家 具 ・調 度 品 に 至 る ま で ヨ ー ロ ッ パ か ら
た ガ ード ナ ー (
O・O鋤﹃α昌Φ同)も グ ラ ス ゴ ウ出 身 で新 天 地 で鉄 鋼 業 で
(43 )
成 功 し た ス コ ット ラ ソド 人 移 民 であ った。
52
日本 ・ス コ ッ トラ ン ド文 化 交 流 史
術 ・機 能 的 に洗 練 さ れ た製 品 完 成 に向 か う こと に な る 。 そ の時 に、
流 入 す る。 ま た そ れ が 鋳 造 さ れ る諸 機 械 ・器 具 に も 反 映 さ れ、 芸
屋 の天 蓋 に も 表 現 さ れ た 。
様 式 、 さ ら に格 子 縞 模 様 を 入 れ た他 、 美 術 館 ・図 書 館 や ア ト リ エ部
式 を 取 り 入 れ た 。 先 ず 大 学 校 舎 正 面 の鉄 製 枠 に和 風 の花 模 様 や 家 紋
(
紅 茶 ) ・ シ ョ ップ 前 で 通
﹁紅 茶 文 化 ﹂ で あ っ た 。 こ の 紅 茶 愛 飲 の 習 慣 は 、 一八
七 五 年 に ク ラ ン スト ン嬢 が 自 ら の テ ィー
象 徴 し た のが
こ の ヴ ィ ク ト リ ア時 代 の 近 代 的 な モ ダ ン都 市 グ ラ ス ゴ ウ の繁 栄 を
(49 )
ヨー ロ ッパ伝 統 の優 美 な 芸 術 主 義 と ス コ ット ラ ソド 固 有 の直 線 的 ・
簡 素 な様 式 と の合 体 が 考 え ら れ 、 異 文 化 の日 本 の様 式 も 取 り 入 れ ら
れ て、 最 新 式 に し て懐 古 的 な マ ッキ ソト ッシ ュの芸 術 ・建 築 を生 ん
(46 )
だ の であ る。 そ こ に は ス コッ ト ラ ンド 出 身 で、 日 本 の工 芸 美 術 の研
行 客 に サ ー ヴ ィ ス で 振 る 舞 っ た こ と か ら 始 ま った が 、 一八 八 八 年 の
や訪 日経 験 の
究 で 著 名 で あ った ド レ ッ サ ー (
0訂 醇 09 臼 Uお ω
ω9
グ ラ ス ゴ ウ 万 国 博 で オ ラ ン ダ の コ コ ア ・ ハ ウ ス ﹁ヴ ァ ン ・ホ ー テ
(47 )
あ る 多 く の ス コ ット ラ ンド 人 技 師 ・商 人 の 貢 献 も 大 き か っ た 。
に 限 定 さ れ 、 ま た 芸 術 面 で の学 術 主 義 を 掲 げ る エデ ィ ン バ ラ の 王 立
﹀ヰ Ω 9 ) が 設 立 さ れ て い た が 絵 画 ・彫 刻 中 心 の 伝 統 的 な 純 粋 芸 術
ー イ ズ の中 心 人 物 の 一人 で 万 博 会 場 の ド ー ム壁 画 制 作 に 参 加 し 、 三
煢 鋤ぎ 昌) に 設 計 を 依 頼 し た 。 彼 の 兄 エド ワ ー ド は グ ラ ス ゴ ウ ・ボ
で ク ラ ソ ス ト ソ 嬢 は 二 一歳 の青 年 ジ ョ ー ジ ・ ウ ォ ル ト ン (
ΩΦ。蹟 Φ
﹁紅 茶 ハウ ス﹂ 建 設 を 企 画 し た 。 そ こ
(
幻畠 巴 ω8 葺 ωげ ︾。巴 Φ日蜜) の 傘 下 に あ っ た 。 そ し て エ
ン﹂ の人 気 を 見 た彼 女 は 早 速
アカデ ミー
人 の姉 妹 も 工 芸 家 と し て活 躍 し て いた 。 ジ ョー ジ ・ウ ォ ル ト ン は昼
(
O鼠ωひQ。零
デ ィ ソバ ラ芸 術 家 の保 守 主 義 への反 発 か ら 、 グ ラ スゴ ウ の富 裕 な 市
は 銀 行 で働 き 、 夜 は グ ラ ス ゴ ウ美 術 学 校 でデ ザ イ ナ ー の修 業 を し て
グ ラ ス ゴ ウ に は 一八 六 七 年 か ら グ ラ ス ゴ ウ 芸 術 ク ラ ブ
民 社 会 に 支 え ら れ グ ラ ス ゴ ウ ・ボ ー イ ズ が 結 成 さ れ た 。 マ ッ キ ン ト
い たが 、 未 だ 作 品 は無 名 に近 か った 。 ク ラ ソ ス ト ン嬢 と グ ラ ス ゴ ウ
一八 八 五 年 に、 未 だ 無 名 で あ った マ ッキ ン ト ッ シ ュにグ ラ スゴ ウ
街 全 体 の シ ソボ ルと し て賞 賛 さ れ た 。 し か し ウ ォ ル ト ンを真 に有 名
有 孔 原画 を重 ね絵 の具 を刷 り込 む) の野 ば ら 壁 面 装 飾 は大 好 評 を と り
の改 築 を ウ ォ ルト ンに 依 頼 し た 。 彼 が 設 計 し た ス テ ン シ ル (
壁画 に
先 ず 一八 六 七 年 建 造 の ア ー ガ イ ル (
﹀お 旨 )街 の ﹁紅 茶 ル ー ム﹂
(50 )
ッ シ ュは 、 一八 八 二 年 に 結 成 さ れ た こ の 運 動 に 同 調 し た 女 性 活 動 家
社 会 女 性 芸 術 ク ラブ で つき 合 い のあ った彼 の姉 を 介 し て話 を 受 け た。
(
Ω訂 ω
ひ
qo芝 ω09Φ蔓 oh雷 9Φω>a ω房 Ω ⊆げ) と も 親 交 を 保 ち 、
クラ ンスト ン (
ωけ
G[
鋤﹁け ∩
)
同P]
Pω
けOb[
) 嬢 の率 い る グ ラ ス ゴ ウ 社 会 女 性 芸
術 ク ラブ
(48 )
美 術 学 校 新 校 舎 設 計 が 依 頼 さ れ た 。 彼 に は 日 本 訪 問 経 験 はな か った
にし た のは、 一八 九 六 年 に ウ ォ ルト ンが そ の昔 の タバ コ貴 族 の名 前
グ ラ ス ゴ ウ芸 術 運 動 を リ ー ド し た。
が 多 く の友 人 の影 響 を 受 け 、 同 美 術 館 の各 所 に和 風 建 築 ・美 術 の様
53
(
団U
α≦一
昌 ︾け
評一
づωO昌 団 O目昌Φ一
)
ホ ー ネ ル は 、 一八 六 四 年 に ス コ ッ ト ラ ン ド 南 部 の カ ー ク ブ リ ィ
ホー ネル
時 であ る 。 何 故 な ら施 主 ク ラ ン ス ト ソ嬢 の依 頼 で新 進 気 鋭 の建 築 家
(
H
(一
居閃O⊆創び同一
ひqげ梓) か ら オ ー ス ト ラ リ ア の バ ッ カ ス ・ マ ル シ ュ (
bd僧9
2
マッキ ソ ト ッ シ ュと の共 同 制 作 の形 を と った から であ る 。 ク ラ ソ ス
。げ二ω 髯 霞 ωげ) へ出 稼 ぎ 中 の 技 師 の息 子 と し て 生 ま れ 、 ま も な く 親 の
を冠 したブ キ ャナ ン (
しd⊆Oげ9昌蝉口)街 に ﹁紅 茶 ル ー ム﹂ を 設 計 し た
ト ン嬢 は 一九 〇 〇 年 に マ ッキ ソ ト ッ シ ュの妻 と な る マクド ナ ルド嬢
故 郷 カ ー ク ブ リ ィ に 戻 った 。 彼 は 農 業 を 志 し 再 び オ ー ス ト ラ リ ア へ
並 木 ﹂ を 意 味 す る と さ れ る が 、 一九 〇 三 年 創 設 の ソ ウ キ ホ ー ル街 に
興 味 深 い の は 、 ﹁ソ ウ キ ホ ー ル ﹂ は ス コ ッ ト ラ ン ド 古 語 で ﹁緑 の 柳
り 、 ブ キ ャ ナ ン、 イ ン グ ラ ム 、 ソ ウ キ ホ ー ル 各 街 店 へと 伸 展 し た 。
ク ラ ソ ス ト ン嬢 の ﹁紅 茶 ル ー ム ﹂ 事 業 は 、 ア ー ガ イ ル 街 店 に 始 ま
の修 業 を し て 帰 国 、 故 郷 を 中 心 に ス コ ッ ト ラ ソ ド の 美 し い 風 景 画 を
ラ ット (
(
∪一
ρ①﹃一
Φω ノ
丶Φ﹃一
餌叶) の ア ト リ エ で 二 年 間 、 大 陸 伝 統 の絵 画 法
修 業 後 ヨー ロ ッパ大 陸 に渡 り 、 ア ン ト ワ ープ で著 名 な 美 術 教 授 の ベ
ラ の 芸 術 ア カ デ ミ ー で 絵 画 を 学 び 始 め た 。 エデ ィ ソ バ ラ で 三 年 間 の
あ っ た こ と か ら 一八 八 ○ 年 に ス コ ッ ト ラ ンド の文 芸 の 都 エデ ィ ン バ
戻 る気 持 ち で あ ったが 父親 の死 去 によ り 断 念 し、 ま た美 術 が 好 き で
とも 懇 意 であ り、 彼 女 の才 能 が 結 婚 を 通 じ てさ ら に開 花 す る こ と を
(51 )
(
柳 )・テ ィ ー ・ ル ー ム﹂ (
訌 ぎ 妻 8p
。 8 。ヨ ) は
期 待 し て い た。
作 られた
書 き 、 名 声 を 高 め て い った 。
ホ ー ネ ル は 、 カ ー ク ブ リ ィを 訪 問 し た ス コ ッ ト ラ ン ド の 風 景 画 を
﹁ウ ィ ロウ
日 本 の茶 文 化 を も 取 り 入 れ た エキ ゾ チ ッ ク な 喫 茶 店 と し て 名 声 を 博
し、 紫 色 と 銀 色 を 基 調 と し た新 色 彩 感 覚 は グ ラ スゴ ウ 発 の新 流 行 と
﹃
東 天 の 星 ﹄ (搴 鴨 のミ\ §
専 門 と し て 著 名 な グ ラ ス ゴ ウ ・ボ ー イ ズ の ジ ョ ー ジ ・ ヘ ン リ ー と 出
﹃ド ル イ ッド ﹄ (
搴 Q bミ 軌
贄 )や
し て世 界 に発 信 さ れ た。 そ れ は 同 時 に、 建 築 家 マ ッキ ソ ト ッ シ ュの
九年 の
会 っ た 。 二 人 は 意 気 投 合 し て 共 作 も 試 み 、 著 名 な 絵 画 と し て 一八 八
肉⊆甲
名 声 を さ ら に高 め た 。
マ ッ キ ソ ト ッ シ ュは ス コ ッ ト ラ ソ ド 人 哲 学 者 ラ ス キ ソ (
旨
一八 九 〇 i 一八 九 一年 、 グ ラ ス ゴ ウ 協 会 の展 覧 会 が あ り 、 ホ ー ネ
ミ鳴黥 。
・
味
) が あ る。
竃 。ヨ ω) と 同 じ く 大 き な 感 化 ・影 響 を 受 け 、 華 麗 な 装 飾 の み を 追 求
ル に と って は 絵 画 を 発 表 す る 好 機 会 で あ っ た 。 彼 は ﹃蝶 々 1 野 生 の
匹 昌) の ﹃ヴ ェ ニ ス の 石 ﹄ に 、 著 名 な 美 術 装 飾 家 モ リ ス (
鬢 自 鋤ヨ
す る の で は な く 建 築 構 造 自 体 と 装 飾 の有 機 的 な 結 合 を 目 指 し 、 装 飾
ミ鳴§ N
織 ♂ 自ら
嘶
ミ諜 )、 ﹃
小 川﹄
ヒ ヤ シ ン ス の間 に﹄ (
窒 、
討ミ 措勲 ト ミO誌
(52 )
芸 術 と 機 能 主 義 が 相 反 さ な い こと を 主 張 し た 。
(搴 鳴 し
∪こ 簿 ) を 発 表 し た が 、 作 品 に は 多 彩 な 伝 統 的 衣 服 を 着 て 遊 ぶ
54
日本 ・ス コ ッ トラ ン ド文 化 交 流 史
そ の絵 は展 示 会 の後 ウ ォ ー カ ー美 術 画 廊 (
芝 巴帋 ﹃﹀詳 Ω巴δ亳 ) で
牛 を面 倒 見 な が ら友 達 を 見 守 って い る ﹃
夏﹄(
留 §ミミ) を 発 表 し た 。
田舎 の風 景 を 背 景 に 一人 の少 女 が 蝶 々 を追 い か け他 の 一人 の少 女 が
子供 達 が 描 か れ た 。 翌 一八 九 二 年 に彼 は よ り 野 心 的 な 作 品 、 青 空 と
ー遊 び ﹄ (搴 鳴⑦馬鳴-肄 ミ) を 発 表 し た。
日 本 画 を 描 き 、 ま た 一八 九 七 年 に グ ラ スゴ ウ協 会 展 覧 会 に ﹃シー ソ
た 。 一八九 六年 に ホ ーネ ル は ア メリ カ の セ ン ト ・ル イ ス博 覧 会 用 に
デ ザ イ ンなが ら 人 間 と自 然 の調 和 感 を 豊 か な色 彩 で描 き 名 声 を 博 し
と ﹃銀 と サ ンザ シ﹄ (黷ミミ § 織 ミ ミ ぎ ミ ) を 発 表 し、 風 変 わ り な
) と ﹃風 景 ﹄
自 の多 彩 な色 彩 と デ ザ イ ンが 賞 賛 さ れ た。 そ の年 に発 表 さ れ た三 作
多 く は小 川 や 垣 根 近 く で遊 ぶ生 き 生 き と し た 子 供 達 が 選 ば れ 、 彼 独
一八九 二年 に ホ ー ネ ル は数 多 く の興 味 深 い絵 を 描 いた が 、 主 題 の
樹 園 で桃 を も ぐ シ ー ン﹄ は、 日 本 画 の影 響 を 受 け た ア ー ル ・ヌ ーボ
が あ る 。 ま た グ ラ ス ゴ ウ商 工会 議 所 に も 彼 の油 絵 ﹃四 人 の女 性 が 果
は、 一九 七 九 年 に同 大 学 マカ フ ィ名 誉 教 授 から 寄 贈 さ れ た ﹃小 川 ﹄
議 会 画廊 に飾 ら れ て い る。 グ ラ スゴ ウ 大 学 の ハン テ リ ア ン美 術 館 に
を運 ぶ ﹄ は彼 ら が 東 洋 の叡 智 に憧 れ た 時 代 を 象 徴 し 、 グ ラ スゴ ウ 市
ヘン リ ー と の交 友 物 語 であ る。 両 人 の合 作 ﹃ド ルイ ッド "ヤ ド リギ
興味 深 い のは 、 一緒 に 日本 へ行 った が 帰 国 後 に日 本 嫌 いと な った
展 示 さ れ 、 リバ プ ー ル の ラ ズ ボ ー ン (
勺︼
p一
一
一
口 菊餌什
びびO昌Φ)氏 の勧 め で
(53 )
(
ト§ 駐 ら愚 鳴) は 、 一八 九 三 年 の グ ラ ス ゴ ウ 協 会 展 で 紹 介 さ れ た 。 同
品 のう ち 二作 品 ﹃遊 戯 す る子 供 達 ﹄ (
Oミミミ§ ミ §
﹃ヒ ヤ シ ン ス
買 い取 ら れ 、 リバ プ ー ル市 美 術 館 の所 蔵 と な った。
年 に ホ ー ネ ルが 描 い た
ー時 代 のジ ャポ ニズ ム の傑 作 と し て、 ま た 知 識 の木 の下 の イブ 像 を
﹃女 羊 使 い ﹄ (
紹 魯譜§ 芻) と
の花 の 中 で ﹄ (
ト ミミ蠹 ミ鳴ミ 黛ら
帖
§ミ防) は ウ ォ ー カ ー 画 廊 に 飾 ら れ た 。
思 わ せ好 評 を 博 し た 。 ま た彼 は マ ッキ ン ト ッ シ ュに大 き な 影 響 を与
ホ ー ネ ル は 一九 三 三 年 に独 身 のま ま逝 去 す るま で 一族 の故 郷 力 ー
え た人 物 と さ れ る。
﹃ア ー ト ・ レ ビ ュ ー ﹄ (
トミ
一八 九 三 年 に 日 本 と の 関 係 が 深 か っ た
﹃
魚 の 池 ﹄ (暴 鴨
さ ミ§ ) の メ イ ヴ ァ (
旨・竃 毟 o﹃) 編 集 長 の 勧 め で 友 人 の ヘ ン リ ー と
共 に 日 本 を 訪 問 し た。 そ し て ホ ー ネ ル は帰 国 後 に
クブ リ ィ で過 ご し、 日 本 贔 屓 の ホ ー ネ ルは自 宅 に日 本 美 術 館 や 日本
(55 )
謾 客 き ミ )、 ﹃日 本 の 庭 園 ﹄ (寒 鳴 9 ミ § ) を 発 表 し た 。 こ れ ら は 現
(
Ω①oお Φ↓・=Φ昌煢 )
一八 五 八 年 に エ ア シ ァ の ア ー バ イ ン (
一
﹃<3Φ) の 醸 造 業 者 の息 子
ヘン リ ー
庭 園 を 作 り 一般 に公 開 す る程 、 日本 文 化 を愛 好 し た。
(
54 )
3
在 、 大 学 横 のケ ルヴ ィ ン美 術 館 に展 示 さ れ て いる。
一八 九 五 年 に ホ ーネ ルは色 彩 の調 和 を 強 調 し た小 さ な キ ャ ンバ ス
ミ鳴寒 ミ籔§ )
画 ﹃
森 の中 の 子供 達 ﹄ (Oミミミ§ ミ 黛 ミqミ ) を グ ラ ス ゴ ウ協 会 で発
表 、 翌 一八 九 六 年 に は同 展 覧 会 で ﹃堤 横 に て﹄ (
導
55
O§ い
ミ ) を グ ラ スゴ ウ協 会 展 で 発 表 し た 。 翌 年 に は
﹃
台 所 用 の庭 、
牧歌的 ﹄ (
卜
に 生 ま れ た 。 彼 は 一八 八 一年 頃 に 白 と 黒 の み の デ ッ サ ン画 を 試 み た
が 、 面 白 半 分 で絵 の具 を 使 い始 め た 。 何 故 な ら 当 初 、 彼 の仕 事 は エ
§ ミミ) や ﹃
茸 庭 師 ﹄ (§ Q§ G
・
隷こ。§9 ミ § ミ) を 発 表 ・展 示 し た 。
ま た友 人 の ホ ー ネ ルと の合 作 で日 本 絵 画 ・東 洋 世 界 に憧 れ 勉 強 す
(56 )
ソ ジ ニ ア助 手 と し て 木 材 の 上 に 図 を 描 く こ と で あ り 、 時 と し て 製 造
一八 八 八年 に は ﹃黄 昏 ﹄ (ON
ミミ 鑓 )、 ﹃
牧 歌的﹄ (
壽 ミ§N
) の他 に、
﹃日 没 ﹄ (
⑦§ -
品 のデ ザ イ ン を 描 く こ と で あ った 。 ヘ ソ リ ー は 機 械 仕 事 で 働 き な が
﹃ア ラ ソ河 の土 手 ﹄ (§ Q窪 §謝 旦 毎N
ミミ 蕁 鷺δ) を 発 表 し た 。 特 に
OQ
ミ § b 霾 ざミ N) と 小 さ な 絵
ら 一八 八 ニ ー 一八 八 三 年 の問 グ ラ ス ゴ ウ 美 術 学 校 で 絵 画 法 を 学 び 、
後 者 は ﹁王 立 水 彩 画 協 会 ﹂ 展 示 会 で絶 賛 を浴 び た 。
映誉 壽§
ガ ス リ ィ、 ク ロ ウ ホ ー ル (
9 0蠢 妻げg。ε 、 ウ ォ ル ト ン 等 の グ ラ ス ゴ
ウ ・ボ ー イ ズ と 知 己 に な り 溜 り 場 マク レ ガ ー 画 塾 で絵 を 描 き 、 ス コ
る 一方 、 一八 八九 年 に は両 人 の合 作 で最 大 の キ ャ ンバ ス画 ﹃ギ ャ ロ
﹃
ブ リ ッグ ・オ ・ ツ ル ク ﹄ (
し
口蕣
o、寒 碁 ) を
ッ ト ラ ンド 高 地 の風 景
9 き 骨 卜象討) を公 表 し た。 一八 八 三 年 には ス コット ラ ソド 高 地 の
人 物 と動 物 を 描 き 好 評 を 博 し た。 さ ら に ﹃聖 な る湖 の先 頭 ﹄ (蓐 ミ
き ミ§9\婁
(
O§ ミ 蠹
b
u譜
§
。、 § ミ ) を 発 表 し 、 ス コ ッ ト ラ ソ ド の 地 形 .
ミ qミ )、 ﹃一 一月 の ブ リ ッ グ .オ . ツ ル ク ﹄ (
ト
(
§
b§ 譜 § 蕊 )、 ﹃春 の 季 節 ﹄ (
憩 蕊鑓 職鼕 )、 翌 年 に は
ヘ ソ リ ー は 、 ﹃ジ ェ ニ ィ﹄ 畚 §§ ・
)、 ﹃吹 か れ る 蒲 公 英 ﹄ (
切ミ§ 鑓
両 人 は 一八 九 〇 年 に 巨 大 な 合 作
た豊 か な 色 彩 を使 った
二 作 品 、 彼 の童 話 か ら 想 像 し て の ﹃シ ン デ レ ラ﹄ (Oミ§ ミ ミ)、 ま
ウ ェイ 風 景 画 ﹄ (
卜 9 § ミ鏈 卜§ 勢ら
§ Q) を 描 き 、 一八 九 〇 年 に他 の
風 景 画 、 ﹃アイ マウ ス村 の街 路 ﹄ (⑦ミ 恥こ 謡♂ Qミミ § 、 ﹃ア イ マウ ス
光景 ﹄ (
黜 のミミ 、)、 ﹃エ ア シ ァ地 形 ﹄ (
卜變δミ ミ ト§ 駐 ら
愚 鳴) を 発 表 し
﹃森 の中 の 黄 昏 ﹄
村﹄ (
導鳴
§ミ ミ)、 ﹃農 園 の回 り で﹄ (
﹄こ§ 駄 ミ鳴隷 譱 ) を 発 表 し た。
た 。 ま た 一八 九 二 年 に 王 立 ス コ ッ ト ラ ン ド ・ア カ デ 、
・
・1 で 展 示 さ れ
処 女 作 と し て 発 表 、 注 目 を 集 め た。 続 い て 二作 品
一八 八 四 年 の ﹃
遊 び友達 ﹄ (
㌔§ ミ§ 的) を 別 に し て、 次 第 に 彼 の絵
た
﹃森 の中 を 通 っ て ﹄ (§ こ 、ミ 鳴 ミ & 譜 )
﹃お 嬢 さ ん ﹄
(
ミ § ミO蹄QN
隷) を 出 品 し た 。 彼 は 自 ら の 画 法 を 求 め て チ ェ ル シ ー
(
Oげ一
〇) 嬢 を 繊 細 な 筆 致 で 描 い た
﹃ジ プ シ ー ﹄ (
卜 O§塁 ) と
§ )、 ﹃
麦 藁 帽 子 ﹄ (搴 鳴G
り§ ミ § 、
) と 二 つ の風 景 画 ﹃牧 歌 的
﹃芥 子 の 花 ﹄
﹃東 方 の 星 ﹄ を 発 表 し た 。 こ の 年 に
﹃
秋﹄ (
ト ミミミ §) と 一緒 に 発 表 し た 。 さ ら に
(57 )
画 に 風 景 画 よ り も 装 飾 的 な 色 彩 観 が 強 く な り 、 一八 八 五 年 の ﹃正
を 発 表 し た 。 一八 九 三 年 の グ ラ ス ゴ ウ 協 会 展 に は 、 等 身 大 サ イ ズ の
ミ
午﹄(
≧︾
§ )、 ﹃日 没 ﹄ (
⑦§ § ミミ)、 ﹃
泉 と 女 性 ﹄ (ミqミ§ ミ ミミ )、
若 き シピ ック
寒 爵 恥6 ミ尉8
﹃
柳 ﹄ (ミミ§ 仂) で は色 彩 や 線 が 強 調 さ れ 、 感 情 が 強 く 挿 入 .表 現
卜
さ れ た絵 と な った。 一八 八 六年 に田 舎 に戻 り 、 人 物 と鵞 鳥 を 描 いた
﹃オ ウ ド リ ィ 、 垣 根 を 切 る 人 、 一〇 月 ﹄ (
トミ 羣
56
日本 ・ス コ ッ トラ ン ド文 化 交 流 史
ア ソズ ﹄ (
肉oミ匙蕊 )等 を 発 表 し た。 特 に後 者 の絵 は 一八 九 六 年 の王
子 供 達 の遊 ぶ ﹃
白 蓮﹄ (
自 § )、 森 の中 で 赤 い 野 苺 を 集 め る ﹃ロ ヴ
し か し 一八 九 二年 後 半 に ヘン リ ー は病 気 にな り 一八 九 三 年 二月 ま
立 水 彩 画 協 会 展 示 会 で絶 賛 さ れ 、 海 外 植 民 地 の儀 典 室 用 の絵 と し て
(
OプΦ一
ω①9
。) 芸 術 ク ラブ を 創 始 し た 。
で休 業 し た が 、 そ の時 に 日本 訪 問 の話 が あ り 、 ホ ー ネ ルと 一緒 に 一
購 入さ れた。
ヘソリ ー は 、 そ の後 、 特 に人 物 肖 像 画 に力 を 入 れ 、 若 き 女 性 を 中
八 ヵ 月 間 滞 日 、 日本 美 術 ・文 化 を 学 んだ 。 日 本 で の生 活 は詳 し く は
記 録 さ れ て いな いが 、 ヘソリ ー は特 に男 達 の祭 り ・茶 会 .芸 者 達 の
心 に多 く の人 物 を 描 い た。 晩 年 には 有 名 な ﹃キ ャ ソベ ル ・ブ ラ ック
(58 )
文 化 等 に興 味 を持 った と さ れ る。 二人 し て来 日 し各 地 を 訪 問 し 日 本
博士﹄ (
b8 9 § 9N
N切ミ簿 )肖 像 画 、 ﹃ア ー サ i氏 の子 供 達 ﹄ (
Oミト
グ ラ スゴ ウ市 や 同 大 学 美 術 館 の他 、 アバ デ ィ ー ソ、 エデ ィ ンバ ラ、
ット ラ ンド の風 景 画 と 人 物 画 に専 心 し て名 声 を 高 め た。 彼 の作 品 は
ーは 、 日 本 画 と 決 別 し た 後 は主 と し て パ リ と ロソド ン を中 心 に ス コ
じ 顔 で描 か れ る な ど 日本 文 化 の影 響 が 残 続 し た と 言 わ れ る。 ヘン リ
の大 広 間 に飾 ら れ る大 絵 画 ﹃桜 の木 の下 の女 性 達 ﹄ にも 全 女 性 が 同
し か し な が ら彼 自 身 の絵 には 、 例 えぽ グ ラ スゴ ウ 商 工 会 議 所 三 階
し た。
や若 い女 性 の ピ ア ノを 弾 く 姿 を 描 いた ﹃交 響 楽 ﹄ (
硲§ ぎ塁 )を残
鉱ミ§ ミ ミ 8 S 9 卜§ ミ ) の他 、 彼 が 愛 好 し た ﹃金 魚 ﹄ (O。§ ⑭
ミ)
の絵 画 ・文 化 と 接 し た が 、 ヘン リ ー は デ ザ イ ソ以 外 にも 、 油 .水
彩 ・パ ステ ル絵 の旦ハを 用 い て、 さ ら に美 し く 洗 練 さ れ た微 妙 な 色 合
いを 出 し て ゆ く こ と を 日 本 から 学 ん だ 。
と 一八 九 六 年 の セ ン ト ・ルイ ス展 覧 会 に出 品 さ
帰 英 後 の 一八 九 四 年 の水 彩 画 協 会 展 に出 品 さ れ た ﹃日 本 の鈴 ﹄
(
冨蠧 §§ 靉 N
§
れた ﹃
茶 色 の着 物 ﹄ (憲 鳴し
層こミミ内§ § 。)が 日 本 で得 た 経 験 を 強 く
§ ミ3 エア シ ァのウ ィ
ぎ 譜羮 留N
N
§ グ ラ スゴ ウ大 学 マカ フ ィ教
O受登 エデ ィ ン バ ラ の ゴ ウ ド ウ 氏 所 蔵 )、
表 現 し て い た 。 そ の 他 に ﹃果 樹 商 ﹄ (寒 軸 ぎ
ア伯 所 蔵 )、 ﹃芸 者 達 ﹄ (
O駐 ぎ
﹃日 本 の壷 売 り ﹄ (
トミ §§
授 所蔵 )等 は、 日 本 芸 術 の影 響 を 受 け た 傑 作 と 評 さ れ た。
(59 )
ダ ンデ ィ、 カ ー カ ルデ ィ、 ペ イ ズ リ ー、 ス タ ー リ ソ グ等 の地 方 美 術
館 の多 く に収 蔵 さ れ て い る。 ヘソ リ ー は数 多 く の勲 章 と 栄 誉 を 受 け、
し か し ヘンリ ー は、 彼 が 夢 想 し た ほ ど の成 果 は な く 失 望 し て帰 国
し た と 言 わ れ 、 そ れ は同 時 に日 本 贔 屓 の ホ ー ネ ルと の友 情 の破 綻 と
一九 四 三 年 一二 月 に ロ ンド ソ で逝 去 し た が 墓 は グ ラ ス ゴ ウ に あ る 。
(60 )
な った。 帰 国 後 の彼 の作 品 と し て ﹃羽 の襟 巻 ﹄ (寒 Q詮 ミ譜ミ b
uミ )、
黥 魯、
﹃ネ ル﹄ (
﹀ミ N)、
黛 さ ミ鑓
ミ ミ 丶)、 若 い 女 性 の 窓 際 に も た れ た 姿 を 描 い た
﹃若 い 女 性 、 果 樹 商 の 肖 像 画 ﹄ (
ざ ミ§ 、 ミ
ぎ
57
4
ウ ィ ツス ラ ー
(
一。\
r●髯 ・ノ
くげ一
ωげ
一
Φ﹁)
寄 付 さ れ 、 続 い て マカ ラ ン (
一.﹀.竃 00巴一
⊆B) の 尽 力 で エ ッ チ ン グ
や リ ト グ ラ フが 付 加 さ れ た 。 そ し て 一九 五 五 年 に は 彼 の従 兄 弟 ジ ョ
セ ブ (
冒 ωΦ9
ウ ィ ッ ス ラ ー は 一八 三 四 年 七 月 、 ア メ リ カ の マ サ チ ュセ ッ ッ 州 の
ロウ エ ル (
ぴo≦Φε
ン と な っ た 。 さ ら に 一九 五 八 年 に 大 学 自 ら 、 ウ ィ ッ ス ラ ー 制 作 の
﹃黄 色 と 金 色 の 調 和 ﹄
寄 § ミ § 駄 9 ミ ) を 入 手 し て、 ハン テ リ ア ン美 術 館
9 竪ミ ミ ) や
鬢 ぼ巴 臼 幻Φ<=一
。昌) か ら の寄 贈 を 加 え 一大 コ レ ク シ ョ
れ た 。 彼 の 父 は 一八 四 二 年 に ロ シ ア の ツ ア ー 大 帝 の招 き で ロ シ ア に
﹃蝶 々 様 式 の 家 具 ﹄ (
罍 譜さ
に ス コ ット ラ ンド 人 鉄 道 技 師 の息 子 と し て生 ま
渡 り モ ス ク ワ ー セ ン ト ・ピ ー タ ス バ ラ 問 の鉄 道 を 完 成 さ せ た 。 彼 の
(
ミ ミ ミ§ ・ミ
は ウ ィ ッ ス ラ ー の 油 絵 、 一〇 〇 点 の パ ス テ ル画 、 一六 冊 の ス ケ ッ チ
(61 )
母 方 は 一七 四 五 年 の ジ ャ コパ イ ト 乱 に 破 れ ス カ イ 島 か ら ア メ リ カ の
北 カ ロ ラ イ ナ へ囚 送 移 民 さ れ た マ ク ネ イ ル (
髯 碧 ZΦ邑
ブ ッ ク 、 三 五 〇 点 の エ ッ チ ン グ 、 一五 〇 点 の リ ト グ ラ フを も つ 世 界
一族 で あ り 、
ウ ィ ッ ス ラ ー 自 身 も 、 そ れ を 誇 り と し た 。 一八 四 九 年 に 彼 の 父 が モ
ウ ィ ッ ス ラ ー は 、 グ ラ ス ゴ ウ ・ボ ー イ ズ の 仲 間 と の交 流 の 中 で 日
的 な コレ ク シ ョ ンと な った。
中 に科 学 ア カ デ 、
・
・1 で 絵 画 を 習 っ て い た こ と か ら 、 帰 国 後 は 陸 軍 士
本 画 に 憧 れ 、 一八 七 四 年 に 彼 自 身 の パ ト ロ ン で 著 名 な リ バ プ ー ル の
ス ク ワ で 逝 去 す る と 家 族 は ア メ リ カ へ戻 っ た が 、 彼 は モ ス ク ワ 滞 在
官 学 校 を 終 え る と 、 一八 五 一年 に パ リ で 画 家 と し て 自 立 、 そ の後 ヨ
﹃青
(
聞●幻●ぴΦ︽一
蝉口α) 夫 妻 の た め に 、 ﹃
桃 の花 ﹄
(一八 六 七 年 八 月 の オ ザ ワ ・ ナ ンポ の署 名 ) の 裏 に 日 本 風 な
書 館 横 の 特 別 室 に掲 げ ら れ て い る 。
(63 )
と 銀 "古 いバ ク ー 海 の橋 ﹄ を 描 い た が 、 そ れ は 、 グ ラ ス ゴ ウ 大 学 図
屏 風
海 運 船 舶 業 者 レ イ ラ ンド
(
旨 bd.寄 霞 o) の 娘 ビ ア ト レ ス と
ー ロ ッ パ 各 地 を 旅 し な が ら 画 家 と し て 活 躍 し 一八 八 八 年 に 著 名 な ス
(
62 )
コ ッ ト ラ ン ド 人 彫 刻 家 フ ィ リ ップ
結 婚 し た。
ウ ィ ッ ス ラ ー の 二大 コ レク シ ョン は、 ワ シ ン ト ン美 術 館 の フ レ ア
(
口琶 け①ユき ﹀昌 Ω曁 Φ曙 ) と さ れ る が 、 特 に 後 者 は 一九 三 四 年 に 夫 人
ス コ ット ラ ンド ・ ア カ デ ミ ー 会 長 で グ ラ ス ゴ ウ ・ボ ー イ ズ の ガ ス リ
スゴ ウ 大 学 が 名 誉 学 位 を 決 め た こと が 大 き いが 、 彼 の推 薦 者 は 王 立
ウ ィ ッ ス ラ ー の絵 の 評 価 が 高 ま っ た の は 、 一九 〇 三 年 四 月 に グ ラ
(
ゆ一
﹁昌一
Φ ℃び凶
財弓) 嬢 の 遺 言 に 基 づ
0。。濠 煢 ) と グ ラ ス ゴ ウ 大 学 ハ ン テ リ ア ン 美 術 画 廊
の遺 産 相 続 人 ビ ル ニ ・フ ィ リ ップ
ィ卿 と 同 じ く グ ラ ス ゴ ウ ・ボ ー イ ズ の メ ン バ ー で 同 大 学 英 文 学 教 授
(
写 Φ9
く 寄 贈 で あ る 。 一九 三 五 年 に ウ ィ ッ ス ラ ー の チ ェ ル シ ー (
9 Φ巨 ①)
の ラ レイ
画廊
の隣 宅 に 住 ん で い た グ ラ ス ゴ ウ ・ボ ー イ ズ の ウ ォ ル ト ン の 息 子 で グ
式 典 を 待 つこ と な く 、 そ の年 の七 月 に逝 去 し た 。 ウ ィ ッス ラ ー は 死
(
︿﹃.幻鋤一
Φ一
ひqげ) で あ った 。 し か し ウ ィ ッ ス ラ ー は 秋 の 授 与
ラ ス ゴ ウ 大 学 生 物 学 教 授 ジ ョ ン ・ウ ォ ル ト ン (
}
.ぐぐ
鋤一
ひ
O昌) の 尽 力 で
58
日本 ・ス コ ッ トラ ソ ド文 化 交 流 史
身 の絵 の遺 贈 を 依 頼 し て い た。 そ れ が グ ラ ス ゴ ウ大 学 に世 界 最 大 の
決 定 し た こ と に最 大 に感 謝 し て、 友 人 ・知 人 親 戚 に同 大 学 への彼 自
が ﹁彼 の絵 画 の時 代 を 先 駆 す る手 法 と 思 考 ﹂ を 評 価 し て名 誉 学 位 を
の直 前 に、 彼 の絵 画 が 世 界 的 に評 価 さ れ な い時 代 に グ ラ ス ゴ ウ大 学
末 期 の薩 摩 ・長 州 藩 士 の密 航 に始 ま る 邦 人 青 年 の ス コ ット ラ ソド へ
産 を 運 んだ 。 ま た ス コ ット ラ ソ ド商 人 の ネ ット ワ ー クを 介 し て の幕
達 を 介 し て 日本 への人 的 交 流 が 生 ま れ 、 ヨー ロ ッパ各 地 に 日本 の物
こ に は例 えば グ ラバ ー、 ダ イ ア ー、 ブ ラ ウ ン等 の ス コ ット ラ ンド 人
代 工 業 の諸 機 械 は、 日 本 の工 業 化 ・近 代 化 に著 し い貢 献 を な す 。 そ
(64 )
ウ 衣 ッ ス ラ ー絵 画 コレ ク シ ョンが あ る所 以 であ る。
の留 学 、 さ ら に工 部 大 学 校 卒 業 生 のグ ラ スゴ ウ大 学 へ の留 学 から 日
本 の海 軍 ・海 事 ビ ジ ネ ス関 係 者 の留 学 ブ ー ムが お こり 、 彼 ら を 通 じ
て日 本 の芸 術 ・美 術 品 が 運 ば れ た のも 当 然 の理 であ る。 そ の動 き を
び
ヨー ロ ッパ で幕 末 ・明 治 のジ ャポ ニズ ムが 評 価 さ れ た 背 景 に は 、
象 徴 し た のが 一八 八 八年 と 一九 〇 一年 の グ ラ スゴ ウ で開 催 さ れ た国
㎜ 結
そ の ﹁媒 介 ﹂ 役 と し て の 一九 世 紀 後 半 に 世 界 に張 り め ぐ ら さ れ た ス
これ らが 明 治 時 代 の ヨー ロ ッパ のジ ャポ ニズ ム の背 景 に存 在 し、
際 産 業 博 覧 会 であ った。
ま り イ ギ リ ス の産 業 革 命 は、 あ る意 味 で は ﹁エ ソジ ニア の思 想 と 哲
そ し て ス コ ット ラ ンド にも マ ッキ ン ト ッ シ ュ、 ホ ー ネ ル、 ヘン リ ー、
コ ット ラ ンド 人 ネ ット ワ ー クが 存 在 ・機 能 し て いた か ら であ る。 つ
学 ﹂ を 実 践 し た ス コ ット ラ ソド 人 技 師 の手 に よ り遂 行 さ れ 、 そ の成
ウ ィ ッ ス ラ ー等 が 登 場 し 活 躍 し た の であ る。
注
一九 八 六 年 ) 二 二 頁 。 金 井 圓 編 訳
﹃
描 か
(
1 ) 日 野 永 一 ﹁万 国 博 覧 会 と 日 本 の ﹃美 術 工 芸 ﹄﹂ (
吉 田光 邦 編
一八 五 =丁
(
2) 拙論
一九 〇 二 ﹄ (
雄松 堂書 店
一九 七 三年 ) 一八 八 頁 。
﹁
近 代 技 術 の 伝 播 者 ① ∼ ⑦ ﹂ (﹃
自 然﹄ 中 央 公 論社
三 年 九 月 ∼ 一九 八 四 年 三 月 ) 参 照 。
一九 八
れ た 幕 末 明 治 、 イ ラ ス ト レイ テ ッド ・ ロ ン ド ソ ・ ニ ュー ス日 本 通 信
国 博 覧 会 の研 究 ﹄ 思 文 閣
﹃
万
果 は イ ギ リ ス の枠 を 越 え て ヨ ー ロ ッパ大 陸 から 、 南 北 ア メ リ カ 、 ア
ジ ア ・ア フリ カ ま で運 ば れ て行 く 。 陸 上 で は蒸 気 ⋮
機関 車 、 海 上 で は
蒸 気 船 に よ って イ ギ リ スを中 心 に世 界 各 国 は連 結 さ れ た。 人 の面 で
は近 代 技 術 の伝 播 者 の ス コ ット ラ ンド 人 技 師 が 同 郷 出 身 の外 交 官 ・
(65 )
科 学 者 ・ジ ャー ナ リ スト ・商 業 者 と結 び あ って情 報 を 伝 ・
兄、 ス コ ッ
ト ラ ンド か ら の出 移 民 運 動 を 生 んだ 。 彼 ら は新 天 地 に同 化 し てゆ く
と 同 時 に異 国 の文 化 ・技 術 を 本 国 に紹 介 し 、 そ れが グ ラ スゴ ウ ・ロ
ソド ソを 経 由 し て ヨー ロ ッパ各 地 に伝 え ら れ た の であ る。 特 に幕 末
時 代 の琉 球 藩 の精 糖 ⋮
機械 輸 入 に始 ま る グ ラ スゴ ウ か ら 輸 入 さ れ た近
59
旦
ミ鳴し
∪適駐 隷 肉§ 賊
黍
一九 九
9 Φ 煢 Φω叶 oh o
Doo自p
。づα"
出⊆ヨ ρ ミq薄 G・
譜魯
き 伍 ω霞 9 三 一
α一
コσq ぎ
(
3 ) 竃 ・竃 oωω 卿 旨.即
国昌ひ
qヨΦ興 言ひq
﹃
近 代 ス コ ッ ト ラ ソド 移 民 史 研 究 ﹄ (
御 茶 の水 圭旦房
=Φヨ Φヨ 穹 P い8 良8 俸 国9 筈 二お 互 一㊤ミ ●P ω●
(
4) 拙著
八年 )参 照。
﹃ザ ・ヤ
ミ らな蕊§
⑦8 妹
・
江8 0h︾8 ぼくΦω畧 内巴く一
昌ひqδ <Φ]
≦ ⊆ω2 ヨ 譽 創}耳 Ω鋤一
一
臼 ざ Z o︿Φヨ ー
げ奠 一
㊤お .b﹄ 一・
(11 ) 煢 .出●冨 霞 惹 o貫 肉8 ミ §"
ら bミ 乳愚 §§ 冴 §
(
小 泉 和 子 訳 ) ﹃イ ギ リ ス の家 旦ハ
﹄ (
西村書店
ミミ鼻 諺二σqqωε ω幹 内Φ ざ Ω 一
津oP ﹃8 冒 H雪 ω.bP Φ㊤山 O一﹄ 卜。ら幽 b。。
。●
(12 ) ジ ョ ソ ・ フ ラ イ 著
一九 九 三 年 ) 二 〇 五 - 二 〇 七 頁 。
(13 ) 例 え ば 一八 八 一年 に グ ラ ス ゴ ウ 市 で ﹃
東 洋 美術 展 - 日本 1﹄ が
開 催 さ れ 、 五 〇 〇 点 近 く の陶 磁 器 が 六 五 名 の 協 力 者 か ら 出 展 さ れ た
一九 八 七 年 ) 三 一〇 1 三 一 一頁 。
﹁工 部 大 学 校 都 検 ヘ ン リ ー ・ダ イ ア ー﹂ (
梅渓 昇編
﹃国 際 日 本 を 拓 い た 人 々 1 日 本 と ス コ ット ラ ソ ド の 絆 1 ﹄
が 、 多 く は セ ン ト ・ア ン ド リ ュー ズ 、 ダ ンデ ィ の造 船 ・海 運 業 者 が
トイ﹄思 文閣
(
5) 拙論
(
6) 拙著
一九 八 四 年 ) 三 九 - 四 三 、 六 八 、 八 O l 八 一、 一二 一
ニー 一
§ 鉱 壽 δミ
﹃日 本 燈 台 史 ﹄ (
社団法人燈光会
一九 六
貸§ 一。。㎝。。-H。。。。ρ 竃 8 8 皀 蝉P いo昌αo昌レ ㊤①㊤●
﹃
国際
Ooぢ o蠢 口o旨 oq巴一
曽﹃
凶
Φρ
赱 ミ 骨ミ骨
(
同 文舘
ρ 国o×"b
u識 ミ § 郎 ミ
ミ
Goミ 殊 亀
§ ミ鳴誘昌
ミ"一。。お 帥
一九 七 八
ミ Oミ鴣 o§ HOg
﹁グ ラ ス ゴ ウ 大 学 と 日 本 人 留 学 生 ﹂ (
拙 著 ﹃国 際 日 本 ﹄ 前
九 年 ) 一六 頁 。
歹 奠 H・海 上 保 安 庁 燈 台 部
(15 )
日 本 ﹄ 前 掲 ) 九 六 1 一〇 〇 頁 。
(14 ) 拙 論 ﹁工 部 大 学 校 と お雇 い ス コ ッ ト ラ ソド 人 教 師 ﹂ (
拙著
臼 鋤ωひqoヨ UΦ8 ヨぴ9 一。。。。一亠≦昌 一。。。。P
ミ鳴 b鳴
8ミミ 鳴トミ 9 ミ §
ト ミ トo§ 黯 ミミ職§ 、 Oo§ 轟9鑓
多 か った。 Oミ§ ミ
﹃
世
一九 八 五
﹁ヴ ィク ト リ ア期 後 期 の社 会 と 文 化 ﹂ (
出 口保 夫 編
三 一、 二 一七 i 二 四 七 頁 参 照 。
(
7) 出 口保夫
一九 九 六 年 ) 一五 、 一六 頁 。
﹃
近 代 ス コットラ ソド社会 経済 史研 究﹄ (
同文 舘
紀 末 の イ ギ リ ス﹄ 研 究 社 出 版
(
8) 拙著
ス コ ット ラ ソ ド 人 知 識 家 に は 伝 統 的 に グ ラ ンド ・ ツ ア ー の 伝 統
年 ) 三七 -五四頁 参照 。
(9)
一九 六 八 年 )
が あ り、 ア ダ ム ・ス ミ スも フ ラ ン ス で啓 蒙 主 義 者 と 交 流 し た こ と は
有 名 で あ る 。 水 田 洋 ﹃ア ダ ム ・ ス ミ ス研 究 ﹄ (
未来 社
(16 ) 拙 論
掲 ) 一八 二 頁 。 ミ § ミ駐
(ヨ ー ロ ッパ )
(ア メ リ カ ) と の交 流 が あ り 極 め て 普 遍 的 で あ った こ と は 、
一二 四 1 一四 〇 頁 。 ま た ス コ ット ラ ソ ド 思 想 が 旧 大 陸
や新大 陸
Oo8 びΦぴ 一。
。胡 ・
聴 bミ § 註8 ミ O奮
(
18 ) ダ イ ア ー の 意 向 に も か か わ ら ず 、 当 時 の 日 本 で は 高 等 教 育 教 科
一。。㊤ω.グ ラ スゴ ウ大 学 ペイ リ ィ図 書 館 蔵 。
年 ) 第 二 巻 一九 九 頁 。 ざ 無 §
(
17 ) 田 中 彰 ﹃岩 倉 使 節 団 と ﹁
米 欧 回 覧 実 記 ﹂﹄ (
岩 波 文庫
﹃文 明 社 会 と 公 共 精 神 ー ス コ ッ ト ラ ソ ド 啓 蒙 の地 層 1 ﹄ (
昭
一九 九 六 年 ) 参 照 。
田中秀夫
和堂
(10 ) 著 名 な ス コ ット ラ ンド 人 建 設 技 師 マカ ダ ム (
9 竃 o>匹曽ヨ ) が ガ
リ バ ルデ ィ の 親 密 な 友 人 で 、 彼 の応 援 下 に グ ラ ス ゴ ウ 市 民 は イ タ リ
ア独 立 支 援 運 動 を 展 開 し た 。 O骨§ § ミ 旦 ミ鳴 ミ曾 ミ ︾昌 国×ぼび聴
60
日本 ・ス コ ッ トラ ン ド文 化 交 流 史
一九 九 二年 ) 六〇 二 ー六〇 八
に美術 を 入 れ る発想 はな く断念 し た。 当時 の様 子 は、 三好 信浩 ﹃
近
代 日本産 業啓 蒙書 の研 究﹄ (
風 間圭旦房
頁。
(19) 拙 稿 ﹁工部 大 学校 とグ ラ スゴウ大 学- 日 蘇関 係 史 の 一視点 1 ﹂
一九 八 一年 )七 - 一四頁。
国oびΦ耳 団巴 ρ
(
﹃社会 経済史 学 ﹄第 四六 巻第 五号
(20 ) = .閏8 註 o貫 曾 ミミ§駄げ 募 ミ適qミ 黯 篤
§ 蠱
H㊤置 .戸 器 ○。・
○①oお Φ しd巴 卿
い o昌住oP
oミ ⑦らぎ ミ ミ 寄 ミ 職萎
(21 ) U'竃 胃 菖戸 § 鳴 O露
一九 九 九 年 ) 三
(ス コ ット ラ ソ ド ) と 日 本 ・世 界 ー ボ ウ モ ア .
(ア ザ ミ) の文 化 1 ﹄ (
近 代文 芸社
﹃
蘇 格蘭 土
ω8 ρ いo昌αoP 一
。
。㊤S ロO・×H
H㌻ ×日 .
(22 ) 拙 著
ウ イズ キ ー と 薊
三頁 。
一九 八 六 年 )
一九 九 八 年 ) 五 〇 ー 五
﹃万 国 博 覧 会 の研 究 ﹄ (
思 文閣 出版
(
23 ) 石 田 潤 一郎 他 編 ﹃近 代 建 築 史 ﹄ (
昭和 堂
四頁 。
ー 一四 頁 。
(24 ) 吉 田 光 邦 編 著
=
o鳶
= 算 o亳
oh >
肆 ミ ぴミ § 勲 一。
。。。。。.
↓冨
一ΦQ
。。。・O娼﹄ O幽 一.
ミ げ Oミ ミ
も ち橋 ﹂ 案 を 採 用 し て完 成 さ れ た 。 拙 著 ﹃国 際 日 本 ﹄ (
前 掲 ) 一七 八 、
℃・囚 ぎ 〇三 旨 卸 一・囚 ぎ oぼ 戸 O 鼕
一九 一、 二 〇 二 、 二 六 〇 頁 。
(29 )
0 00パ 鋤αρ
= g日 Φ 帥 ]
≦ ・ ω.冨 oωρ 切§ §
一8 一・H㊤ω。。・一㊤Q。。。植 煢 ぼ 8
旨 即
ω8 ε ωげぎ 巳 ω民 巴 9 鋤耳 "出Φ言Φ日 9。昌P いo昌αoP 一⑩お も づ・ω。。博罐 b ①一・
(30 )
中央 公 論社
﹃近 代 ス コ ッ ト ラ
一九 八 四 年 三 月 ) 九 〇 ー 九
(31) 勺.囚冒 〇三づ 卿 旨 内ぎ 〇三P 愚 9計 P 逡 .拙 稿 ﹁東 洋 の イ ギ リ ス の
誕 生 ﹂ (﹃
自 然﹄ 四 五 八号
ス コ ット ラ ン ド 系 海 運 業 者 に つ い て は、 拙 著
二頁。
(32 )
一九 九 九 年 ) = 二五 、 二 三 五 頁 。
ンド 鉄 道 ・海 運 業 史 ー 大 英 帝 国 の⋮機 械 の都 グ ラ ス ゴ ウ ー ﹄ (
御 茶 の水
書房
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一九 八 一年 ) 四 五 - 八 二頁 。
(一九 〇 一年 ) を 中 心 と し てー ﹂ (
﹃創 価 経 済 論 集 ﹄
﹁ス コ ット ラ ン ド騰 械 工 業 史 l H ・ダ イ ア ー の グ ラ ス ゴ ウ
O一
鋤ωσqoヨ 一㊤鍾 .bP ホ ム Q。.
(
34 ) 拙 稿
機 械 工業 調 査 報 告
(25 ) グ ラ ス ゴ ウ ・ボ ー イ ズ と 呼 ば れ る 画 家 は 代 表 的 な 二 〇 名 を 入 れ
第 二
巻 第 二号
て 三 〇 名 近 く い る が 、 こ こ で は 日 本 と の関 係 の強 い四 名 を 取 り 上 げ
一九 九 八
ス コ ッ ト ラ ソド 人 技 術 移 民 が 最 も 成 功 し た のも ア メ リ カ で あ る 。
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﹃
近 代 ス コ ット ラ ンド 移 民 史 研 究 ﹄ (
御 茶 の水 書 房
拙著
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年 ) 一四 七 - 一五 三 頁 。 両 国 の関 係 の深 さ は 、 ﹀ ・ 缶 ooぎ
(35 )
る 。 U﹂≦ 四﹁鉱P 愚 9計 OO・×一
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口●
﹃
改 定 版 万 国 博 覧 会 ー 技 術 文 明 的 にー ﹄ (
日本放 送出 版
一九 八 五 年 ) 四 五 1 五 三 頁 。
(26 ) 吉 田 光 邦
協会
(
27 ) 0・﹀・Op。評器 ざ 寒 Q⑦ミ § 駄 Q § じU冨o匹ρ 9 器 ひqo≦ 俸 いo民 oP
フ ォ ー ス橋 は 、 グ ラ ス ゴ ウ 大 学 へ の邦 人 留 学 生 渡 辺 嘉 一 の ﹁
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(28 )
61
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(36 ) 拙 著
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近 代 ス コ ット ラ ンド 社 会 経 済 史 ﹄ (
前 掲 ) 一八 四 、 一九 〇
頁 。 9 出 ooα Φ皇
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(37 ) buお ヨ 器 が 憲 鳴 ミ § 。・
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(38 ) ケ ル ヴ ィ ソ卿 が 日 本 の伊 藤 や 教 え 子 の志 田 等 と 交 わ し た 数 多 く
の書 簡 が そ れ を 物 語 る 。 ケ ンブ リ ッジ 大 学 所 蔵 の ﹃ケ ルヴ ィ ン卿 書
﹃国
簡 集﹄ (
Oミ§ 職§ 恥9 0ミ 蕊魯 § § §ミ 旦 卜oミ き N
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﹁日 本 人 留 学 生 ー グ ラ スゴ ウ大 学 と 日 本 語 入 試 ﹂ (
拙著
一㊤謹 ) 参 照 。
(
39 ) 拙 論
ミ ミ鳴 § 軌
竃 δ魯 O§ ミ 駄 O鼕
ミ 刈夢 司Φび≡ 鋤煢 し 8 H
際 日 本 ﹄ 前 掲 ) 二 〇 六 、 二 = 二頁 。 グ ラ ス ゴ ウ 大 学 教 授 会 記 録
(ミ ミミ§
卿 d窪 Zo<①ヨσ興 一㊤OH) の 二 回 の記 録 が 残 さ れ る。
一九
(
40 ) 拙 論 コ 九 世 紀 の 日 本 ・グ ラ ス ゴ ウ 交 流 史 ー グ ラ ス ゴ ウ 領 事
A ・R ・ブ ラ ウ ソ と 日 本 ﹂ (﹃
創価 経 済 論集 ﹄第 二二巻 第 三号
八 二年) 参照 。
(
41 ) 例 え ぽ グ ラ ス ゴ ウ の光 学 器 械 会 社 バ ア& ス ト ラ ウ ド 社 に 、 一八
拙 稿
﹃近 代 ス コ ッ ト ラ ソ ド 移
一九 九 九 年 ) が 参 考 と な る 。
﹁ス コ ッ ト ラ ン ド 出 移 民 ﹂ (拙 著
国くo一葺 δ 戸 実 業 の 日 本 社 、
(43 )
文真 堂
一九
一四 七 - 一五 五 頁 。 ま た カ ー ネ ギ ー に つ い て は 、 正 木 久
俸
幻・ = ● ω●,殉 oげΦ昌 ωOP
﹁日 本 人 留 学 生 の 変 容 ﹂ (﹃自 然 ﹄
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一九 八 四 年 二 月 号 ) 九 七
﹃ア メ リ カ 企 業 二 〇 〇 年 ﹄ (T ・C ・ コ ク ラ ン 著
民 ﹄前 掲)
司 訳
﹀ .ρ
拙稿
八九年) 九 六、 三四 六頁。
(44 )
頁。
(45 )
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(46 )
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﹃視 覚 の 一九 世 紀 - 人 間
・技 術 ・文 明 1 ﹄ (思 文 閣
﹁ク リ ス
一九 九
ド レ ッ サ ー は メ ル ボ ル ン 博 覧 会 後 の 一八 七 七 年 に 来 日 し た 。 横
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(47 )
山俊夫 編
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﹃万 国 博 覧 会 の 研 究 ﹄ 前 掲 )
二 年 ) 一八 九 頁 。 ド レ ッ サ ー と 日 本 に つ い て は 、 鈴 木 博 之
ト フ ァ i ・ド レ ッ サ ー と 日 本 ﹂ (
吉 田編
﹁日 蘇 交
九 八 ー 一九 三 〇 年 間 に、 二 三 九 名 の邦 人 が 訪 問 し た 。 拙 稿
四五 ー八 六頁。
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流 史 の 一考 察 ー バ ア& ス ト ラ ウ ド 社 の ﹃
訪 問 者 録 ﹄ (一八 九 八 ー 一九
(48 )
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三〇 年 ) に表 れ る日本 人 達1 ﹂ (
﹃大 阪 大 学 経 済 学 ﹄ 第 三 五 巻 第 一号
(49 )
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一九 八 五 年 ) 二 九 七 - 三 一七 頁 。
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(42 ) 平 野 勇 夫 訳 ﹃大 日 本 ・東 洋 の イ ギ リ ス ー 国 民 進 化 の 研 究 ﹄ (
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日本 ・ス コ ッ トラ ン ド文 化 交 流 史
﹃テ ィ ー ル ー ム の 誕 生 、 ︿美 覚 の デ ザ イ ナ ー た ち ﹀﹄ (
平
一九 九 八 年 ) = 三 一- 一四 四 頁 。
(50 ) ⋮
横川善 正
凡社 選書
(51 ) bdユ匡の
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一 二 月 か ら 七 九 年 六 月 に か け て グ ラ ス ゴ ウ 、 エデ ィ
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世 紀 末 の生 活 技 術 ﹂ (
出 口 保 夫 編 ﹃世 紀 末 のイ ギ リ ス﹄
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前 掲) 四 二頁。
(52 ) 松 村 赳
(53 )
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一九 七 八 年
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ウ ィ ッ ス ラ ーが 葛 飾 北 斎 を 英 国 ・グ ラ ス ゴ ウ に紹 介 し だ と 言 わ
れ 、 彼 の描 い た 蝶 々 夫 人 と 北 斎 の結 婚 の絵 が 一八 八 九 年 =
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・哲 学 ﹂ (拙 著
ス コ ット ラ ソド 移 民 史 研 究 ﹄ 前 掲 ) 三 三 - 六 〇 頁 。
﹁近 代 ス コ ッ ト ラ ソ ド 移 民 活 動 の 思 想
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(64 )
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拙論
ソバ ラ、 エア 、 エデ ィ ンバ ラ、 ロ ンド ン の巡 回 展 で
(55 )
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(65 )
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ン リ ー の 日 本 旅 行 ﹂ の テ ー マ で 九 〇 点 近 く が 展 示 さ れ た 。 鬢 . bd亭
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(58 )
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道 ・造 船 業 の 技 術 移 転 の 関 係 は 深 い 。 ︼
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61 ) 自⊆σqげ 岡﹁餌ω臼 閃o口昌α四鉱oP 丶国襃
63
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