...

『サレジオ会ゆかりの場所ガイド』("GUIDA ai luoghi SALESIANI elle

by user

on
Category: Documents
33

views

Report

Comments

Transcript

『サレジオ会ゆかりの場所ガイド』("GUIDA ai luoghi SALESIANI elle
№10
『サレジオ会ゆかりの場所ガイド』("GUIDA ai luoghi SALESIANI
elle dici 2000)より pp22-25
・p22-p23
若者の家「夢の少年」
コッレ・ドン・ボスコの
サレジオ会員が経営して
いた農産業会社から引き
抜かれた「夢の少年」と
いう若者の家がある。こ
の家には約 100 人の若
者が宿泊することができ、
すべて自主運営で外泊も
含めて若者のグループに
合った環境を整えている。
「いくつの年から子供たちに関
わり始めたのか、と私はよくた
ずねられます。そうですね、10
歳のときわたしは出来る範囲で
一種の「祝祭日オラトリオ」の
ようなものをやっていました。
みなわたしを仲裁人や仲間にし
たかったのです。わたしとしてはできるだけ友達の利益を図ってあげ、迷惑は誰にもかけませんでした。友達はけんかのときにわたしを味方に
つけようということで大変好意を寄せてくれていました。実際、背丈はみんなより低かったけれど、ずっと年上の仲間達さえ恐れさせるだけの
腕力と度胸をそなえていました。そのため、どんなもめごとや議論やいさかいの場合にもわたしは仲裁役としてかつぎだされ、みなわたしの判
定を期待していたのでした」。(聖ジョバンニ・ボスコ『オラトリオ回想録』より)
博物館
「宣教地の民族博物館」は、ドン・ボスコから 1875 年に最初の宣教師団派遣のリーダーとしてパタゴニア
に送られたカステルヌオボ出身のサレジオ会員、ジョバンニ・カリエロ枢機卿に捧げられた博物館である。今
日この博物館には世界中の多様な文化から来たものが展示されている。世界中の森林地帯や河川の地域、砂漠、
あるいは都市に住む人々が、自ら作って使用し、サレジオ会宣教師によって運ばれてきた道具を通して彼ら独
自の文化を語っている。
この博物館はサレジオ会宣教師が関わった人々の生活や歴史を裏付ける貴重なものとなっている。展示物は約
2500 におよび、サレジオ会やサレジアン・シスターズの宣教師、宣教女が 100 以上に渡って働いてきたラ
テン・アメリカ、インド、中国、日本、アフリカの諸国から来たものである。
46 のショー・ケースと視聴覚機材もまた、ドン・ボスコの子らが世界中で行った教育事業と福音宣教の働き
に光を当てている。
P23 写真:宣教地博物館の入り口には南米の若者の福者ラウラ・ビクーニャと福者ゼフェリーノ・ナムンクラに囲まれたカリエロ枢機卿の像
が置かれている(上)。博物館におかれているいくつかの貴重な展示物(右、下)。世界でここにしかない、民族的な価値の高いものもある。
「農業生活の博物館」は、1988 年、ドン・ボスコの死後 100 周年の機会に作られた。聖ジョバンニ・ボス
コが幼児期と思春期を過ごした 1800 年代の農家の生活を再現している。この博物館を訪れる人は歴史や文
化にたいする大きな興味を見いだすことができる。忠実に再現された田舎の家の中に、家族の生活用品や畜産
の仕事用具、そして麦やトウモロコシ、ブドウなどの栽培道具が展示されている。
・p24-p25
カプリリオ
ベッキから少し離れたところにあるカプリリオは、マンマ・マルゲリータが生まれた小さな村で、幼いジョバ
ンニは 1824 年と 25 年の冬にこの学校に通って読み書きや計算を習い、冬の季節以外は家の手伝いで働い
ていた。
「私が 4 歳だった時のこ
と、ある日兄のジュゼッ
ペと一緒に外から帰って
きて二人ともとてものど
が渇いていた。母は水を
汲みに行きまずジュゼッ
ペに飲ませた。私は後回
しにされたのが気に入ら
ず、次に母が私に水を差
しだした時、欲しくない
という素振りをした。母
は何も言わずに水を持っ
ていってしまった。私は
ちょっとその場にじっと
した後、恥ずかしながら
母に『母さん、僕にも水
を飲ませて』と言った。
『のどが渇いてないんじ
ゃなかったの』
『ごめんな
さい、母さん』
『それでい
いのよ』。そして母は私に
も水を飲ませてくれた」
P24 絵、写真:マンマ・マルゲリータ(左上絵)、カプリリオ(右上写真)、マルゲリータの生家(下写真)。
カステルヌオヴォ
ベッキに近い大きな町であるカルテルヌオヴォで、ようやくジョバンニはよりきちんとした形で勉強を始める
ことができた。1830 年の冬のことである。ベッキとカステルヌオヴォの間の道を徒歩で 1 日 2 往復しなけ
ればならなかった。一日約 20 キロの道のりを、靴をすり減らさないために裸足で歩いていたので、道が雪に
覆われたり凍ったりする冬は特に辛かった。そのためマンマ・マルゲリータはジョバンニのためにロベルトと
いう仕立屋のところに部屋を借りることにした。こうしてジョバンニは服の仕立てを覚え、オルガン伴奏を練
習し、鍛冶屋でハンマーを振るい、馬を御して草原を駆けることも学んだ。
小教区の教会
カステルヌオヴォの小教区は、ジョバンニが洗礼、初聖体を受け、カテキズム授業に通った教会である。
P25 写真:カステルヌオヴォ全景(上)。小教区の教会(右)。中央広場にあるドン・ボスコの記念像(下)。
Fly UP