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救援要請 私は16歳で売られた①

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救援要請 私は16歳で売られた①
北朝鮮難民救援基金 NEWS May 2012 № 075
私は 16 歳で黒龍江省の田舎に売られた
① 漢族の村で孤立しています、自由を下さい
姜 玉順(仮名・30 歳)
正月明けの 1 月 5 日、延辺を故郷とする 40 歳の男性から当基金に救援依頼のメールが
届きました。
「中国黒龍江省に隠れ住んでいる脱北女性を救援してください。中国の田舎に
売られてきて身寄りのないかわいそうな女です。監視がきつくて外部との連絡も非常に難
しいです。助けて下さい。お願いします。
」文面からは深刻で切羽詰まった様子が窺われま
した。この要請を受けて断続的に救援依頼者と連絡を取っています。
中国では人身売買は犯罪です。しかし、人物が特定されれば、彼女は公安に摘発され、
北朝鮮に強制送還され、厳罰に処せられます。人道と人命尊重の立場から人名、地名など
仮名にしました。都合により、ここに彼女の手記を 2 回に分けて公表します。 (編集部)
私は、16 歳(満年齢では 15 歳)の時、
飢餓が最も激しかった 1999 年に咸鏡北道
S 郡から豆満江を密かにわたり脱北しまし
た。当時、食糧難で村の子どもたちの何人
かは、食糧を得るために中国に行ったり来
たりしていました。私もそれを見て軽い気
持ちで、豆満江を渡りました。川を渡る手
伝いをしてくれたのは同じ中学校の男たち
でした。
後で知ったのでしたが、この男たちが私
を騙して、琿春の朝鮮族のブローカーに
500 人民元(1 元=14 円)で売ったので
した。
その朝鮮族の男は、村の漢族が経営する
食堂で私たちに腹いっぱいご飯を食べさせ
ました。あまりに油が多く口に合いません
でしたが、気がつくと食事中に一緒に来た
友達も消えてしまいました。私よりも先に
売られていったのでした。琿春で 20 日間
暮らした後に私は黒龍江省のこの農村に売
られました。
抗もできず一人で泣くしかありませんでし
た。家の外に出ればどちらの方向に行けば
家に帰れるか、夜空を見上げては、母さん
は今頃何をしているだろうか、私と同じ星
を見ているだろうか、何か食べものはある
だろうか、などと取りとめもなく思いを巡
らすのです。
半身丌随の母・病気の父・行方丌明の姉
故郷には、中風で半身丌随になったお母
さんと病気のお父さん、12 歳にしかなら
ない弟はどうしているか。姉さんは家を助
けるために商売に出かけたまま行方丌明で
生死も分からないし、思い出すと涙しか出
ません。
未成年で結婚を強要され、2 年後に子ど
もを産み、その家で 14 年間生きて来るし
かありませんでした。私が売られてきたの
は漢族の村で常に監視があり、逃げようと
しても容易ではありません。ですから私は
外界のことに大変疎いのです。
恋しくて北朝鮮の故郷を思うんです。故
郷の家にいた時は、母さんと一緒に山へ芝
刈りに行き、それが何日かぶりに一回売れ
ると、草を刈ってトウモロコシと一緒に煮
てお粥を作って食べたものでした。数日か
けて柴を刈っても買う人がいなく、お粥を
食べるのも難しいことがしばしばでした。
そのため、夏には草ばかり採って食べて
いました。それでも足りず、農場のトウモ
ロコシを盗んで食べ、生きて来たのです。
未成年で結婚を強要され、子どもを産む
たった 16 歳で男女の関係も知らないの
に、10 歳も年上の男と暮らさなければな
らなくなりました。
中国の子どもの場合は、この年だと大人
並みに成熟していますが、北朝鮮から来た
私は本当に子どもで男女の関係に気を遣う
ことなどはありませんでした。何も知らず
に結婚というのは話になりません。何の抵
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