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銭 蕊 即時
都
一応内務作ゆいと数綴の関山織すザ効
率制刊の鍛錬で人
団結の破壊は教師を無権利にし教育を荒廃させる
えられる。国防教育、国家意識高揚教育 や選別人づくり教育にたいし平和と民主主義教育をまもるための教育運動
も、この団結によって担われている。教師たちの団結が破壊されるとき、個々の教師は完全な無権利状態におちい
﹂れまでそれにたちはだかって対決する教師
るとともに教育が破壊される。だからこそ、政府・自民党も、教育の国家統制と軍国主義化をすすめるために、
た産業界(巨大独占) の要請する人づくりをおしすすめるためにも、
ま
々の教師の自主的・創造的な教育実践や教育研究の自由も、学校の民主的運営も、この教師たちの団結によって支
るための基本的な保障は教師たちの広範で強固な団結である。教師と教育現場にたいする権力的統制に反対し、個
教師が労働者としての、教育者としての、あるいは市民としてのもろもろの権利や労働条件をまもり、発展させ
える。
の制限などなど。しかし、これらのなかでも教師の団結にむけられた権利侵害は、もっとも重要なものであるとい
体制による低賃金の強制。それから膨大な数に上る刑事弾圧や懲戒処分。そして公務員法による不当な労働基本権
いい勤務時間、そして超勤手当の不支給。膨大な雑務のしわょせ。年次休暇や産前産後の休暇に対する制約。人勧
今日、教育行政当局による教師に対する権利侵害は、きわめて多様な形ですすめられている。無制約といっても
I
たちの団結とその力を破壊することに大きな精力をそそいできたのである。 I L Oやドライヤー委員会に手きびL
301
「教育の正常化」と教師の団結する権利の侵害・介入
第五章
ぐ叱られるほど組織破壊のためめあめ手この手の不当労働行為をくり返してきたし、国際的にみて当然すぎるほど
当然なことだと勧告されたにもかかわらず文部大臣が日教組代表と会うことをかたくななまでに拒否し、 日教組は
教育の破壊者だなどと敵視する態度を堅持しているのもそのためである。
そこで、ここで は、教師に対する権利侵害と、団結破壊の実態を中心にす与えて明らかにしながら 、そ れがわが国
の教育にいかに大きな害悪を及ぼしているかを究明していきたいと思う。あわせてそのような権利侵害と団結破壊
とのたたかいのなかで きたえられた、教師たちとその団結が 、今日の平和と民主教育を守り 教師の社会的拍位を向
上させるため、どのような決意と課題をも っているかにつ いてもふれておきたいと考える。
勤評にはじまる団結破壊の攻撃
脱退したことだけからみても、勤評にはじまる団結破壊の攻撃が、いかに苛烈なものであったかがうかがえるだろう。
五年にかけて 富山市を中心に一、七OO人がそれぞれ組合を脱退させられた c短期間の聞にこれだけ大量の組合員が
。人、岐阜では一九六O年から一九六四年にかけて一万二、000人中八、九OO名、富山では一九六三年から一九六
の組合員中約四、七O O人が脱退させられた。 栃木では 二九六一年から一九六三年の聞に一万人の組合員中九、00
六三年五月には約七OO人に減少した。香川では、文部省全国一せい学力テスト 実施の前後の時期に約六 、
000人
愛媛をはじめ全国各地で大規模にくりひろげられたむこの結果、愛媛では、勤評前に約一万人を擁した組合員が二九
一九五六年の愛媛での 勤評実施、一九五八年の勤評の全国実施を契機に 、
教 員組合に対する当局の組合脱退工作が 、
1
302
それ では教員組合に対するこのような団結破壊あるいは団結 φ弱体化が 、 なにをねらってすすめられどゅ ような
各地での弾圧に反対してたたかった
一九六四年四月、愛媛県が文部省学力テストで
結果を も たらしているという のか。それは 、愛媛県教育委員会義務教育課長の高須賀義男氏の次の 一文のなか に端
的にしめされていると思う。
高須賀氏は、
﹁飛 躍的な成果﹂を収め たことについ て、 ﹁教育者の教育に対す
る正常な姿勢﹂を﹁学力向上﹂の第一の原因にあげ、次のように
述べている 。
﹁現在の日本の義務教育は 、文部省で定められた教育課程に
よってその目的、内容、方向等が、指向されており、この教育
課程をまともに受けとめて 、こ れらの全面的実施によって 、そ
の理解徹底を 図らなければ 、学力 調査の成 績 が向上するもので
ないことは明白であります。この教育課程をまともに受けとめ
て、これの 実 現に最善をつくすことが、日本の教育者の正 しい
姿勢であり 、こ の教育が日本教育の正常な姿であると信じます。
しかるにこ の教育課程に批判的な態度をもって臨み、教育課
程の自主編成などと称 し て、文部省の教育課程に反対したり、
いやいやながら曲げて実施したりして、どうして教育課程に基
303
「教育の正常化Jと教師の団結する権利の侵害 ・介入
第五章
づく学カが向上しましょうか
0
・::愛媛の教育者は、文部省の教育課程を正しく受けとめて、これに基づく教育
r
﹁
1、両県(愛媛・香川)における大多数の、
の充実徹底に情熱を燃やして精進しております。:;:この学力向上の根本は教育の正常化にありということが、
木県では明白に実証されているのであります﹂
しかし、高須賀氏が自賛する教育の正常化と学力の向上の実態が、
小・中学校とも学カテストのため準備教育を行政指導のもとにやられていて、しかもそれが常識の域を越えるも
のだということ。 2、学校全体、 いわばテスト教育体制になっていて、。×テストでよい成績をとることが教育
の目的のようになり、子どもの創造力、責任感、協力などないがしろにされている。 3、以上のことが教育行政
当局の指導であるため、現場教師は批判できない状態になっている。4、学力テストが教師の勤評とむすびつい
て教育を荒廃させる原因になっている。勤務評定をよくするには、学力テストの成績をあげなければならない。
そのためには、不正な手段すらとられている。したがって、教師の人権の剥奪、教師の権威の喪失、子どもの正
義感の破壊となってあらわれている。 5、さらに恐ろしいのは、政党の教育介入がロコツでほとんど手段を選ば
ない状況である﹂
と、これを学術調査した宗像誠也、梅根悟、太田実など二O名の学者らによって構成された学術調査団によって
手きびしく批判されたものであることは今日よく知られていることである。
その愛媛では、すでに述べたように一九五六年全国にさきがけて勤評が実施されて以来、教委当局ゃいち早く組
合から脱退した校長・教頭らが、組合員に対する常識はずれの利益誘導や苛酷きわまる差別待遇などによって、は
げしい組合脱退工作をくりひろげ一万人を擁した県教組が、現在では一千人以下に減少させられたのである。だか
304
ら愛媛では、それが教育現場に教育の国家統制をもちこみ、人材開発のための選別テストが第一で教育が不在にな
ることが明らかであった学力テストに対しても、教師たちの強力な抵抗を組織することができなかった。教組から
脱退した大多数の教師たちは、当局の意のままに動くものいわぬ教師にかえられていた。教育現場にはテストとつ
めこみ授業があるが教育がなくなっていった。高須賀氏のいう﹁教育の正常化﹂はこうした事態を指しているわけ
である。
勤評であれ、学テであれ、学習指導要領の改定であれ、神話の復活や天皇への敬愛、国家意識と国防教育の徹底
l それがどのように子どもたちの教育にとって有害な
であれ、学校管理体制の強化と﹁職務命令教育﹂であれ、ー
ものであり、教員の権利や利益を害するものであっても、政府・自民党の行なう教育政策に対して、 不満もいわず、
批判も反対もしない教師。教委や校長・教頭の指示に黙々としたがう教師。とりわけ文部省がしめす学習指導要 領
﹁教育正常化﹂の実態にほかならない。
を金科玉条として受けとめ、これを忠実に子どもたちの頭にたたきこむことに専心する教師。教師をこのようなも
のにかえていくことが、
自民党の日教組破壊工作の基本方針と愛媛・香川などの組織破壊の実態
文書を自民党各県連、全国の教育委員会に流した。
t
勤評闘争の激化した一九五七年、自民党の文教対策委員会は﹁日教組対策の具体的方針 一として、 つぎのような
2
一、文部省の措置すべき事項
.
305
「教育の正常化Jと教師の団結する権利の侵害・介入
第五章
①新教委法に規定された文部大臣の﹁措置要求﹂を適正に実施し、文部省の指導性を高める。
②都道府県教育長をよく握って、各種の措置を通じて服務の厳正をはかり、状況によって文部大臣は教育長の進
退について事実上の措置をとる。
③文部省の地方課を強化拡充し、教育委員会を完全に握るとともに、教組運動を主管する機構を整備する。
④視学官制度を拡充し、その態勢を整えて視学の査察、復命を厳正にする。
⑤教育研修会などの教育研究会を文部省主催ないし、教委との共催で活発に行なう。
二、教育委員会の措置すべき事項
①県教組との勤務条件以外の事項について話 しあいさせず、また事 業の共催など行なわない。
②学校管理規則を速やかに 、 かつ的確に制定し、学校管理を厳正にする。
③教職員の服務監督の強化をはかり 、勤務 評定を実施する。
④校長、教頭の管理的立場を明確にし 、その 給与体系その他必要最少限度にとどめる。
このように、公的な教育行政機関を通じ自民党は日教組対策の強化を指示したのである。
﹁教組の指導分子は教育の破壊者である﹂、﹁集団脱退を目途に:::郡市単位に目標地域を
安保の年の一九六O年、自民党文教対策委員会はさらに露骨な﹁自民党の日教組破壊指針﹂なるものを各県連を
通じて流した。それは、
設定する﹂、﹁教職員を日教組から解放することこそ、真にわが国教育の正しい発展をはかる唯一の途である﹂など
﹁日教組を脱退しない者は教育の敵﹂といった明らかに異端者狩りの発想があった。実際に、愛媛で
と﹁教育正常化﹂のために教員組合を破壊する旨堂々と明言していた。
ここには、
306
も、香川でも、岐阜でも、栃木でも、 教組 に対する組織破壊工作は、
﹁教育の正常化﹂の名のも と に、異端者狩り
の形で行なわれ 、教師の思想改造を、 つまりは転向を求める苛酷さをもってすすめられた。し たがって 、愛 媛 、香
川 、岐阜、栃木、 富 山などの教組に対する組織破壊工作は 、 いうまでもなく各県教委の独自の判断 によってなされ
たものではない。その背後には 、自民党と文部省の日教組破壊の基本方針にもと づく督励があっ てなされた。自民
党の﹁基本方針﹂は 、組織破壊のための次のようなきわめて具体的で周密な方法をしめ し ている。すなわち 、﹁一、
)0
、 確 実 に信
管理体制の確立﹂として 、 ﹁教育長・事務局職員・教育出張所長等 、管理機構から日教組分子を一掃 し
頼出来る人物を登用する﹂(﹁管理機構の強化﹂
﹁人事に関する教組の意思は一切拒否し 、 且つ教組の指導分子は教育の破壊者である故 、校 長 教 頭 に 任 用 し な
い﹂。
﹁信頼出
﹁脱退教職員、教委への協力者は教育の正常な発展の ための協力者であるから これを優遇する。 川脱 退 に 協力し
)0
た校長の退職年限を延長する。間脱退教職員も校長教頭に抜擢する等その栄進をはかる ﹂。
﹁
人事権の確立﹂
﹁勤務評定は今後とも慎重に実施し 、評定結果はこれを活用する ﹂ (
さらに 、 ﹁二、脱退促進の具体的方策 ﹂とし て、教育委員 、教育長の協力 、県議会関係者の支援体制、
来る学者 、文 化人﹂の講師団としての動員のほか﹁公安当局と緊密な連絡を とり :::﹂ (﹁関係機関 との協力体制の整
。
備﹂)を挙げて いる
なるべく組合活動困難な地域に異動させる ﹂、 ﹁脱 退 者 が 出 る た び に 新 聞 が 大 々 的 に 宣 伝 す る よ
﹁脱退 促 進工作の障害となる教組尖鋭分子を目標地域(先に引用の集団脱退をさせる目標地域の こと)から
このほか 、
締めだすため、
307
「
教育の正常化」と教師の団結する権利の侵害 ・介入
第五章
う工作する﹂、﹁脱退教職員を支持し、更に脱退を促進するため脱退教職員の後援会組織をつくる﹂、﹁脱退促進を
容易ならしめるため、脱退者が少いか或は教組活動の活発な府県においては専従者に対する規制措置を講ずる﹂な
ど、まさに至れりつくせりの方策が指示されている。平和・民主憲法と教育基本法のもとでかかるおどろくべき、
異常ともいうべき教師の団結破壊と否認が 、政府与 党である自民党の基本方針と して打ちだされ、文部省と各 県教
委がこれに即して教組破壊攻撃にとりかかったところに、今日の日本の教育の基本問題があるといわなければなら
内民、 0
4 J 3U
実際に、香川、愛媛その他の各地で行なわれた組織破壊の攻撃は、右の自民党の基本方針通りのものであった。
、
日
たとえば、愛媛では、勤評が実施された一九五六年以来、組合員であって校長・教頭に任用されたものは一名も
いないし、逆に、組合脱退工作に功績のあった教師たちは校長・教頭にとりたてられたか、あるいは特別の昇給を
うけている。組合員であって特別昇給をうけたものは一人もいない。愛媛では勤評闘争、教育課程闘争で多数の教
師たちが懲戒処分をうけ、昇給を延伸されたが、これらのうち当局のいうことをきいて組合から脱退した教師たち
はただちに昇給復元の措置がとられたが、組合から脱退しない教師たちは、このような措置がとられることは絶対
になかった。勤勉手当についても、組合員は常に下位に、脱退者は常に上位にランクされた。
このように日教組の組合員はある面で差別待遇をうけたが、とりわけ苛酷をきわめたのは人事異動であった。組
合員や組合活動家は、通勤困難なあるいは通勤不可能な他の郡市、とりわけ山間部や島興部のへき地に配転され、
夫婦別居、家族との別居を強いられ、組合から脱退しないかぎり、何年たってもへき地から帰してもらえない、あ
るいはへき地をたらいまわしにされる。
308
たとえば、 A中の M教諭は、地域の活動家だが、学テ闘争のさなかにへき地四級の無医の離れ島ヘ配転された。
しかし 、子どもが病弱であるため 、子ど もを無医の任地につれていく ことはできない。そのために本人 は島に 、奥
警官隊・右翼一体の暴力
さんと子どもは対岸の町に、そして父母は生活本拠地の N町に、と家族三分して生活をしなければならなかった。
同じく組合活動家の H教諭は、生活の本拠地が松山で、奥さん
もそこ で教師を勤めているの だが、 本人は 一九五九年四月に N小
に配転。 N小は松山から約四二キロ離れている。このため H教 諭
は、朝四時五O分に起床、午後六時帰宅、学校の用務で一汽車お
くれると八時帰宅という形で、夏冬通して三年間通勤した。その
無理が たたって 難聴症 になった 。 ところ が、そのあと松山からさ
00キロ 。も ちろん
らに離れ たI小に 配転。 ここ は松 山か ら約 一
通勤不可能なので夫婦別居 となった が 、別居により生活費、がかさ
み、七、 000円から一万円の実質的な減俸になった。組合員、
組合活動家 に対す る非人道的な人事異動の例は 、この他にも枚 挙
にいとまがない。こうした苛酷な差別待遇を背景に、教育委員、
教育長 、管理主事 、校長 、教頭が直接に 、あるいは家族や親族の
つな がりを利用して 、組合員に対する脱退工作をすすめたのであ
る。脱退工作がいかにはげしいものであったかは 、脱退届に記さ
309
「教育の正常化」と教師の団結する権利の侵害・介入
第五章
れ た 脱 退 者 の 苦 悩 の 跡 に よ く し め さ れ て い る 。 以 下 は 脱 退 屈 の ほ ん の 一、二 の例である。
書記長さん、各執行委員の皆様 に 言 う べ き 言 葉 も 知 り ま せ ん 。 本 当 にお世話に なりました。今こ
﹁組 合長さん 、
横 着 な ようです が 、心のふれ 合 い だ け は 、 今 後 と も 持 ち
一九日に義父が来て説得され、ここにすべて終りを告げようと思いつめました﹂。
﹂
で 裏切る ことについて、 一三一口いわけはあ り ません。
続けたいと念願しております。
﹁結果的に は、圧力に屈し、権力にぬかずいたことになり、残念のきわみです。 家 庭 的 と 言いますか 、
)0
一貫した型による反組
当 局 向 体 が 従 来 の 反 労 働 組 合 的 政 策 を 抜 本 的 に 改 め る こ と を つ よ く 勧 告 したのは国際的常 識 か ら い っ て 当 然 の こ と
合的差別待遇が主として地方当局によって:::教職員に対し幅広くかっ繰返し行なわれた﹂と断言し、政府や地方
委員会が ﹁木 委 員 会 の 認 定 によれば、上級当局の 承認ま たは黙認を暗に意味する程度まで、
自 民 党 ・ 文 部 省 ・ 教 育 委 員 会 に よ る こ の よ う な 団 結 侵 害 に 対 す る 不 当 労 働 行 為 の 提 訴 を う け た I L Oドライヤー
になりな がら 、 心の底から声を立てて泣いて歩いているのです﹂。
もろくも負けた意気地なさが歯ぎしりする程口惜しくてなりません。:::この二、三日は抜けがらのような人間
い教師ではあるけれど、正しきことを教えるよろこびとプライドを持っていたのに、教育正常化ということばに
その結び 合っ た手から、 た った 一 人 無 理 に 脱 退 と い う こ と ば を 境 に 離 れなければならぬこと の悲 しさよ 。っ たな
﹁唯々今の 気持は 、 正 し い と 思 う こ と を 信 じ つ ら ぬ き 通 そ う と し て き の う ま で 固 く 手 を と り 歩 ん で 来 た のに 、
同じような組織攻撃が行なわれた岐阜の脱退届から一女教師の例をとりあげてみよう。
から山間部へ配転されていた
の問題であります。山の者であればこのようなこともないと思います。ご賢察下さい﹂(この教員は、当時平坦地
身
上
310
であったといえる。
団結破壊と教育破壊
学力テストとそれがひきおこしたテスト準備教育の弊害は、文字通り全国各地にあらわれたわけであるが、その
た香川、愛媛での学力テスト向上をめぐっておこされた教育の荒廃である。
ひきおこしているという事実である。そのもっとも典型的なあらわれが学力テスト成績で日本一位と二位といわれ
このように、団結破壊は、教員の無権利状態を生みだす。しかしそれだけでなく 重大なことは、教育の荒廃をも
督が悪いのでこのような署名をする教員がでてくるのだと校長が 叱 責 さ れ る と い う 。
取下げの働きかけを指示している。また署名運動をやると、県の方でその署名簿をコピーにとって学校へ送り、監
員の提訴取下げについて﹂と題する通達を発し、各学校の提訴者名簿と取下げ書の書式を添えて各提訴者への提訴
は校長・教頭を通じて提訴者一人ひとりに訴訟の取下げを強要した。愛媛では、地教委の教育長が、各学校長に﹁教
る。愛媛や栃木では、教員が当局を相手に懲戒処分の取消しゃ宿日直手当の請求の訴訟を起こしたのに対し、当局
運動を行なうといった教員、労働者としての当然の権利行使まで、当局の不当な介入をうけ、抑えられるようにな
などの労基法上の諸権利も奪われていく。当局を相手に訴訟を提起することや、賃金、労働条件改善を求める署名
団結破壊がすすむと、教委はそれを基礎にして教師のすべての権利を否認し始める。年次休暇、産前産後の休暇
3
弊害がとりわけ甚だしいのは 、愛媛 、香川、栃木など教組 の団結が破壊されたところであった。また同じ香川県を
311
「教育の正常化」と教師の団結する権利の侵害・介入
第五章
とってみても、教組組織が壊滅した綾部郡飯山地区と組織が残っている三豊地区とを比べてみると、もちろん前者
の方に学 力テストの 弊害がより顕著にあらわれ た。団結が破壊され、組織的抵抗がないことから、 いわばパイ菌の
純粋培養みたいに、学力テストが文部省や教委の意図通りに実施、運用された。そしてその結果どういう事態を現
出するかを、もっともまぎれのない形で明らかにすることとなったといえる。すでにその点については官頭の高須
賀発言や宗像教授や学術調 査団の批判的見解で私たちはその一端をみてきたわけであるが、愛媛、香川などは、学
力テストの 調査結果を学習指導改善の資料として役立てる という文部省の 実施目的を 、も っとも忠実 に、もっと も
熱 心に追求させられた 。
たとえば、 愛媛では 、 一九六三年四月に、県教委の出先機関である教育事務所が、各学校長から﹁学力調査の経
﹁一、時間数の 確保﹂として、
﹁農
果の分析と学力向上対策 ﹂に ついて報告書を提出させ 、点検を加え るとと もに 、 ﹁昭和三八年度郡内各学校の学力
向上具体案﹂を示して、具体的に指導を加え、督励している。それによると、
繁休業その他授業を削減する行事を少くする
﹂
、 ﹁夏休みに二週間の繰替授業をする﹂、
﹁
部 落出張懇談会の廃 止
、
﹂
﹁冬期を除き、五、六年は毎日七時 間授業(終りの 一時間 は課外と して復習 に当てる と、﹁二、諸計画﹂として﹁学力向
上年間計画表の作製﹂、﹁週案日案の立案励行、細案も立てる﹂、﹁四、学習指導﹂として、﹁一学期は前学年の復習
にカを入れ る(カリキュラムに組む と、﹁ 基本教材の復習徹底﹂
﹁ 家庭学習カ lドの利用、勉強し
、
﹁ 家庭学習の充実﹂ 、
た時間の記録﹂等々、文字通り学力向上の﹁具体案﹂が、ことこまかに並べたてられている。
一九六二年以降毎年六月下旬に行なわれたが、それまでの聞は、たとえば小学校六年生には、
ここで﹁復習﹂に大きな力点、がおかれているのは、学力テストの出題が前学年の学習範囲からなされるからであ
る。学力テス トは
、
312
五年生のときの教科書を使って復習が行なわれる。それも正規の授業時間をさいて行なわれるから、本来の六学年
の授業はほとんど停止したままである。さらにその上にテスト対象教科の学習のための補習が組まれる。そのまた
上に、子どもたちには家庭学習として、練成テスト、 ワークブックなどがドッサリと課される。教師も子どもも、
復習、補習、テストの洪水に追いまわされる。学力テストの成績は、すぐに校長の勤評にはねかえってくるから、
校長も必死になって教師を督励する。思いあまった教師は、 ついにテストの成績を人為的につり上げるための不正
行為にまで走る。
﹁学テの当日だけ子どもの座席を変更させた。すなわち、成績優秀児の左側へ成 績不振児を坐らせる と い う 方
法である。右側、犯と、文字を書く時、手のかげになって充分のぞきにくいと、実に細かい所まで気を配ってい
る
﹂
。
﹁某小学校Y先生の学級は、理科の学級平均が九十何点かだ ったという。ところが、そのクラスの一女児の言、
﹃わたしらの先生はテストの時グルグル回ってきて、 まちがっていたら、黙って指で押えて教えてくれた。あれ
で本当の力がわかるのであろうかと。
(日教組、﹁学
d で、少年非行が著しく増
M中学校の某教師は成績の悪い子どもに﹃お前は明日 (学力テスト当日﹀は休め﹄と指示した﹂
﹁
力テストは教育をこんなに歪める﹂一 t 四頁 )0
一
一
一
こうした教育の荒廃のなかから、学力テストの成績が全国一、二位を占めるグ優秀県
大し 、重大な社会問題となっている。
旭川学力テスト事件における佐伯嘉三証人(愛媛県教組委員長)の証言を聞いてみよう。
313
「教育の正常化 Jと教師の団結する 権利の侵害 ・介入
第五章
﹁全教師が協力をして、そういった遅れた子供 ゃ、あるいは非行の子供たちの対策を考え、そして親たちとも
相談をし、矯正につとめていくということがなければならないわけでありますが、どうしても学力テストでいい
成績をあげようと思えば、そういうふうな子供に目をかけて、矯正をしようという努力ができなくなります。い
きおいそういった子供たちは放置されてしまいますし、また非常に安易に、ちょっと悪ければすぐに警察へ引き
渡してしまう﹂。
o その子供たちに聞きますと、ぼくらお
﹁昨年(一九六四年)度、今治のある中学校で、先生が子供からナイフで刺されるという事件が起きました。:・
-:授業時間中に近くの公園なんかで、その学校の子供たちが遊んでおる
らんほうが、先生喜んでおるんだ、そういう言い方をしておる。またある場合なんかは、先生が堂々と子供たち
一番憎いのが先生になってし
の前で、今度の時間はだれやらがおらんから、静かに勉強ができる、こういうようなことを言ったりしたという
ことも聞きました。:::それを聞いた子供は、先生と生徒という関係ではなしに、
c
まうわけです。何かおりがあったらやってやろう、こういう気持になります。:::極端にいうならば、非行少年
を救うのが学校ではなしに、非行少年の度合を強くしたり、あるいは数を増していくのが学校である:::﹂
まさに宗像教授らの学術調査団のいう﹁教育行政当局の指導の下に学テ準備教育が強度におこなわれ、学校教育
全体がテスト教育体制になっている﹂ことからくる教育の荒廃が進行していったのであった。
ところが香川県教師会などは、この事 実にも とづいた調査報告を﹁学者にあるまじきかっ軽卒かつ不当な 言動﹂
﹁指導要領をよく読んでその意図することを実践すること﹂などの報告集約にみられ
であるといい、彼らの﹁中立公正な愛国心の高度化﹂ ﹁世界的視野にたって国民的 立場を考える こと﹂ ﹁国民的 意
識 :::国民的な思想や感動﹂
314
るように、自主的団結に支えられてない多くの愛媛、香川などの教師たちは、 いまなお教師であるための抵抗や矛
盾を感じながらも、上から強制されてくる﹁期待される人間像﹂教育の具体化の道具にさせられているのである。
団結破壊と対決するI L O八 七 号 条 約 批 准 の た た か い
起訴者二九名におよんだ。そしてこれとかかわって大規模な家宅捜査や任意出頭が多数の組合員にかけられた。
また、行政処分は、勤評闘争では、免職四二名、停職二三九名、減給五九三名、戒告一、 四四七名など三、
その他 賃金カット等をふくめるとこれらの闘争に参 加した大 多数の教師に弾圧が下った といっても過 言ではない。
七名、学テ闘争では免職二三名、停職一五四名、減給八O 九名、戒告二、二六一名など三、二O 五名にのぼった。
四
圧では、逮捕された者の総数二七O 名、起訴されたものの総数八五名。学力テスト反対闘争でも、逮捕者六一名、
をおこして闘ったが、これにたいして、検察庁や教育委員会は、大量の弾圧、処分を加えた。勤評闘争での刑事弾
岡、佐賀、山口、鹿児島各県教組など勤評闘争一五県、学テ闘争一九県に上り、他の県教組もそれぞれ大衆的行動
てたたかった都道府県教組は、東京都教組、大阪、京都教組、北海道教組、岩手、群馬、和歌山、高知、愛媛、福
全国各都道府県に大がかりでしつようにすすめられた。勤評や学力テストの強行に反対して一斉実力行使を展開し
自民党と教育行政当局による日教組破壊攻撃は、もとより愛媛、香川、岐阜、栃木、富山の各県にとどまらず、
E
これらの刑事弾圧と行政処分に平行して、あらゆる利益誘導や差別扱い、威嚇と肩たたきによる組 合脱退 工作、
315
「教育の正常化」と教師の団結する権利の侵害・介入
第五章
﹁教育の正常化﹂という名によっておしすすめられた。もとより、大がかりな刑事弾圧や行政
分裂と弱体化工作
が
、
処分をうけずにすんだ各県教組にたいしても、この攻撃は同様にすすめられたことはいうまでもない。しかしこれ
にたいして、日教組を中心に各都道府県教組が、平和 ・民主教育を守るため、教師の生活と権利を守るための抵抗
闘争をたたかったことは正当である、刑事弾圧と懲戒処分は不当で教師の団結を破壊するために加えられたもので
あることを裁判所や人事委員会などに提訴してたたかうとともに、脱退工作や分裂工作にたいして職場の 一人ひと
りの組合員の組織固めを中心にその団結を守りぬいた。つまり、大量脱退は前記の愛媛 、香川、岐阜、栃木 、富山
の五県教組だけに止めることができたのである。
また、日教組は、総評や国鉄、全逓、自治労、国公の各組合とともに、労働者の団結権保護を目的とした I LO
八七号 条約の批准と 、 スト権の全面否認と不当弾圧、団交拒否、組織のきりくずしゃ運営干渉などの不当性につき、
また政府が I L O八七号条約批准との関係で、それに便乗してだしてきた圏内法改正の不当性について、 I L Oに
提訴を行なって、これを国際的にも問題提起した。
これにたいし、 I L Oは、日本政府にむけて通算二二回にわたって八七号条約を批准するように勧告を行なうと
ともに、結社の自由委員会やドライヤー対日調査委員会によって、公共部門の労使関係の基本の問題は、①スト権
剥奪が問題の根源であり、このことによって、②たえまない労使間の緊張が生じている。そして、政府、当局が権
利侵害を法令とその運用を通して、当局みずから政策として行なっているとして文部省や教育委員会が各地で行な
ってきた不当労働行為も明らかにされ、③過度の法律万能主義、厳格な法令の施行は誤りであることを指摘。④ま
た日教組の文部省にたいする中央交渉権 も当然である。さらに、⑤雇い主が、たとえ官公庁であろうとも、 八七号
316
条約、九八号条約の諸規定をすべて公共職員に即時完全に適用し、あわせて末端職制に両条約の徹底をはかれ、と
いうような具体的な勧告が提示された。
このような勧告を引出した力はいうまでもなく官公労働者の数年にわたるひるむことなくつづけられたたたかい
である。教師についていえば勤評闘争など平和・民主教育と教師の生活や権利、団結を守るたたかいの成果であっ
た。このたたかいは戦後官民を問わず確認され、事実として存在していた、働く者の当然の権利である﹁団結し、
団体行動をする権利﹂が、不当に立法の上でも奪われ、さらにその上に多くの権利侵害が加えられたことに対して、
すべての働く者に加えられている権利侵害をただちにやめよ、労働基本権を確立せよ、その国際常識を確認してい
るILO八七号条約を批准せよという権利闘争であった。そして、この権利のためのたたかいの中で、かくとくさ
れたものは、働くものの権利は誰も侵すことができないものであり、権利は、法律や紙の上に書かれたからあるの
ではなくて、日常の現場の実践を通して実現していくものだ、 みずからの権利を行使したたかいとっていく以外に
0 ・二一 t 一
一
0・
実現しないのだ、この力こそが不当な支配を排除して日本の教育を守り教師の生活や地位を向上させていく担保な
のだという権利意識が育ち、団結が強化されていったことであった。このことは周知のように、
二六の大闘争によっていっそう実証されていくのである。
317
「教育の正常化」と教師の団結する権利の侵害・介入
第五章
国内法改正による新しい装いをもった攻撃
一九六五年の富山市における組合
一応姿を消した。それは教師たちの権利闘争がもたらした成果であった。
一(疋の後退を余儀なくされながら、新しい事態に即応して従来の団結破壊の方
になった。人事局は早速、国 家公務員が ベトナム戦争、日韓条約反対デモや物価メーデー参加することは人事院規
三に人事院の権限が縮小し内閣人事局が公務員の人事管理の主要なものを掌握し、その支配体制が強化されること
定める場合﹂をいちじるしく限定する行政指導を行なって、これをテコに職場の組合活動を強く規制してきた。第
て慣行上かなりのていどまで認められていた時間内組合活動を﹁条例で定める場合﹂に限定し、かっこの﹁条例で
断の立法措置がとられ、校長・教頭などの日教組からの脱退が行なわれた。第二に、従来条例や規則の上で、そし
それは第一に、校長・教頭などの管理職員は一般教職員組合に加入できないという管理職員組合と一般組合の分
条約批准に便乗した国内法改正である。
法に手直しを加え、新しい装いのもとに、これを継続してきでいる。そのもっとも主要なあらわれの 一
つ が八七号
しかし、同時に政府・自民党は、
脱退工作を最後に、
な団結破壊の攻撃を継続することが困難となってきた。そしてこの種の攻撃は、
もを守るたたかいの前進によって、 八七号条約の批准という事態に追いこまれた当局は、従来のようなあからさま
このように全労 働者ととも に教師たちの、 みずからの団結の力によってみずからの生活と権利を守り教育と子ど
直
318
則の禁止する﹁政治的行為﹂にてい触すると 警告を発したが、こ
れ ら の 基 本 方 向 が 地 方 公 務 員 である教職員にむけられてくること
はまちがいない。
しかもこの場合、政府・自民党が、たとえば勤務時間中の組合
活動を認めることは I L Oがいっている労使の相互不介入の原則
からすると組合活動を援助することになるとか 、 あ る い は 労 働 組
合は経済活動が本務であって、政党から独立すべきだし 、政治的
傾向に走った行動をしてはいけないとか 、 いろいろの理くつをつ
け加えてきているところに新しい特徴がある。
それらはさらに日教組のような労働組合と日本教師の会のよう
な職能団体との二種のものがあるが、後者に対しては 、当局が資
金援助を与えても労使相互不介入の原則に反しないといって
﹁職能団体﹂への資金援助、教育研究活動へのさまざまな便宜供
与を行ない、反日教組団体を育成強化するとともに教育行政への
一九六二年 一月 の向民党大会は 、 ﹁教組 運動の偏向
﹁労働組合﹂の関与については排除していくやり方にもあらわれ
てを﹂ている。
ところで、
319
「教育の正常化」と教師の団結する権利の侵害・介入
第五章
1
0
.
2
6闘争の処分をめぐる初の一括審議
が労働のみならず 、文教政策 、その 他各方面に重大なる影響を与えている現況にかんがみ、その偏向思想を基幹と
する過激な闘争主義の組合運動を排除し、真に教育者団体を目指す運動を支持する﹂との決定を行なっているが、
﹂の決定と関連させてこれをみる必要がある。
また、文部省、教育委員会や校長・教頭が、しきりに古めかしい特別権力関係理論や、逆に近代性を装った学校
重層構造論 とをおりまぜながらふりまいてい るこ とにも あらわれている。 それが、教員に対する支配と服従の体制
0 ・二六統一行動に対する従来に例をみないほどの大量な懲戒処分、賃金カッ
一
を学校現場のなかに作りあげ、組合活動規制にむけられたイデオロギー攻勢であることはすでに指摘されてきたと
)0
0 ・二一統一行動、
一
おりである(第三章参照
さらに、
賃金カット等の 不利益扱いをうけた者は二八八、九OO名の多
ト、昇給延伸、期末手当の減額という弾圧を加えてきていることも注目すべきことである。この弾圧によって、懲
戒処分をうけた者九一、六OO名(うち免職七名﹀、
数 に達している。しかも、これらの処分は、組 合幹部 に加えるとともに、あるいは組 合幹部には全く手をふれ ない
で、闘争に参加した一般組合員のほとんど全員に加えるという形がとられている。このために、たとえば鹿児島で
一二、 000の組合 員中実 に七、九O O名の組合員が懲戒処分をうけ た。このような方式もまた従来に例をみ
げ、たとえば共産党員とその向調者の氏名とその日常活動を明らかにした記録を秘密裡に作成するといったやり方
それから、教育委員会が、その出先機関や校長を使って、教員の 家族関係 、交友関係 やその行動を綿密に調べあ
はかられているとみるべきである。
なかったものである。ここでは、組合幹部と下部組合員との離問、下部組合員の動揺という形で、団結の切崩しが
は
320
で、教員の民主運動への参加を監視するとともに、それを教員の人事異動の資料に使っていることである。そのこ
とが北海道で一九六七年六月、教組の手によって 暴露されたが 、それは前 記のような新しい形のさまざまな団結侵
害の攻撃の根底に、軍国主義復活のドス 黒 い底流が渦まいていることを明瞭に示している 。
以上にみたところで明らかなように、教師に対する団結侵害は、従来のような頭ごなしの団結否認にかわって、
一応団結権を 承認するかの如く装いながら 、イデオロギー攻勢をともなった新しいやり方で 、教師の団結を弱 体化
し、あるいはこれを丸抱えにするという方向をとっている。より具体的にいえば、それは教師とその組織をベトナ
ム反戦、原潜阻止、原水禁などの平和運動、民主運動から切り離し、平和運動、民主運動を分断し、教員の賃金闘
一九七O年の安保再改定
争、教育 運動を切崩し 、このようにして教 員の団結を弱体 化した上で、教 員一人ひとりを文部省←教 委←校長←教
頭の支配と服従の系列にしっかりと結びつけようとするものである。そのことによって、
期に向けて改定作業を進めている新学習指導要領の実施にそなえるというのが、今日の教師に対する団結侵害のね
らいであるといえる。
教育労働者の闘いは新しい団結侵害の攻撃をのりこえて進む
政府・自民党のあの手この手の新しい装いをもった団結侵害に対しても、教師は、これをはねかえしながら団結
W
をまもり、教育闘争や賃金闘争などを発展させている。
321
「教育の正常化」と教師の団結する権利の侵害・介入
第五章
議
は ﹁教師の地位に関する勧告﹂を採択した。それは各国政
四一年秋に開催された、 ILO- ユネスコの合同会、
府も 参加 して 決定され たものであるが 、そ の内容は 、 日本政府の政策ではなく 、 日本の教育労働者が教育と子ども
。
を守り、運動のなかでぶつかりながら、戦後一 貫 し要求 しつづけていたも のを確認し たものでもあっ た
、 教師と教育の自主性・自律性と教育政策全般にわ たる 教師の
勧告は 、教師とい う職業が専門職であると規定 し
発言権の保障 、そ のための教師の経済的 ・社会的・政治的地位を高めることを統一 してと らえ、教育労働者の ユト
ライキ行動を ふくむ団結権と政治活動の自由を確認 し てい た。
﹁教員の団結﹂を保障する ことに ある。その基礎は八七号条約、九八号条約の完全適用を基礎におく
、 教員の経済的・社会的 ・政治的地位を 高め
その 重要 なポイントは、① 教員団体の性格 ・任務・権限を明確に し
る原動 力は、
こと。また、 教員団体は 、労働団体の任務と同時に 、教育政策の改善・進歩に貢献する職能団体としての任務をも
つことを指摘し 、文部省が職能団体だけが教育政策に関与できるとして日本教師の会などの育成につとめてきて い
る ことを 否認 した 。②教育の専門家としての立場から、教員はその職業上の任務遂行にあ たり 学問上の自由が保障
されるべきこと、さらに 教育の制度・内容 ・方 法など教育政策全般への主要な発言権をもつ こと が確認され た。③
教育と教師の進歩・向上、自主性・専門性を保障するとともに、それと不可分一体の関係にある教師の賃金や労働
条 件 を 改 善 す る た め に 、 争 議 権 を ふ く む 団 結 権 、団交権を保障した。④教員の政治に対する発言権を確認し、教員
の社会的・公共的生活への参加は奨励され、市民が一般に享受するいっさいの自由を保障すべきことを確認した。
これら の教員の専門職としての自主性・自律性の確認 、そ の団結権の基本的性格の明確化、また、教育の進歩・向
上と教師の労 働条 件 などその地位の向上が一体であることの碓認等々の勧告の中身は 、 まさ に、日本 の教師たちが
322
その教育 闘争や権利闘争のなかで政府権力と対決して要求 して きたものであっ た。とりわけ、 教育労働者と しての
自覚、 つまり、教育と子どもを守り向上させていくこと、 また教師自らの生活と地位を向上させていくために 、教
師の団結がその基本担保になることを明確にさせたことは、それが憲法と教育基本法の立場からすれば当然なこと
ではあるが、文部省や教育委員会 がそれを否認し攻撃 しつづけてきていただけに、それが国際勧告 としてだされた
ことは意義のある ことであった。日教組はこの ILO- ユネスコ勧告を 職場のなか に定着させて いくためのたたか
いにいまとり組んでいる。
ILO- ユネスコ勧告が提起されてくるなかで日教組がその団結力を行使してその力をいとも鮮やかに示したの
一九六六年の一 0 ・二一統一行動の成功であり、六七年の一 0 ・二六統一行動の 成功であっ た。これらの統一
全国各地の一つ一つの職場、
一
0 ・一二 闘争で大規模な弾圧や処分をうけたにもかか
一人ひとりの組 合員が 、このたたかいに参加するためには 強 化されてきた 管理体制の
このたた かいを組織するなかで、 日教組は、全国的に組織の末端に至るまでの団結をきたえなおしに努力した。
。
わらず一 0 ・二六闘争に参加した都道府県教組は二九県で一 0 ・一二 闘争をさらに上まわってい た
や学 テ闘争を十分に上まわるたたかいであった。さらに、
0 ・一二 闘 争 に一 斉実力行使を組織してたたかった都道府県教組は二三県 、こ れは参加組合員においても勤評
一
。
どのたたかい が総評を中 心にたたかわれたこと も銘記 しておかなくて はならな い
にたいす る教師 たちの抵抗の 意思表示もふくまれて いた 。またこのた たかいと 結合 して全労 働者の ベトナム反戦な
行動は、 直接的には人事院勧告完全実施を要求し た賃金闘争であっ たが、当然に教育の 反動化と軍国主義化の進行
カ
三
監視と介入 、蝉庄の威嚇と対決 せざるをえなか った。そして広範な教育労働者が 、こ れを乗りこえて統一行動に参
323
「教育の正常化」と 教師の団結する権利の侵害 ・介入
第五章
加し、これを
成功させた。ある教師は、闘争に参加したその感慨を次のように語っている。
﹁十月二十一日。わたしの社会に対する眼が深くなったことと、職場の他の人たちとの結びつきがより深まっ
一九六七年、
一
0 ・二一ストに臨んだ五五O 万の人たちの盛り上がった気持ちを﹁苦しくな
た記念すべき日だ。そしてそれはまた一九六六年の労働界の一つの大切なできごとでもあったのだ。
新しい年を迎え多くの人たちは、
ったわたしたちの生活を、わたしたちの手で守るためには団結しなければならないのだ、そういった気持ちが原
動力なのだ﹄と口をそろえて評価している﹂。
またこの力は、 つづいて出されてきた教育三法案を、広範な国民と手を結んで廃案にもちこむ成果をあげた。
一九七O年に向けて
こうして今日、加えられてきている団結否認・権利侵害の攻撃、同時にこれと一体となった教育の反動化と軍国
主義化は、この団結力の存在するかぎり貫徹はしないし、今また教育労働者の団結した力は、
進められている学習指導要領の全面的改悪に対して、総学習・総抵抗のたたかいに向けて結集され前進をつづけて
いるのである。
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