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画﹁ 晩 秋 の ブ ナ林 ﹂ 石井 教昌 目 次 氏 名 岩 城 正 大 太 田 英 子 大 橋 繁 善 佐 藤 紀 子 中 村 亀 雄 藤 本 あさ 子 古 荘 光 子 石 川 正 樹 高等 科に 学 んで 紅葉 の涸 沢 へ チヌ ︵茅 渟 ︶の ダン ゴ 釣り 彼岸 花 村の 鎮守 の 神様 ぼた 餅の あ じ 宇宙 アサ ガ オ 八 木 大 吉 彌 島 ヤス コ 山 邉 明 美 一班 イ ン プ リ 前 夜 ︵ 万 博 自 然 教 室︶ 世界 一大 き い豆 ﹁ モ ダマ ﹂ 奄美 大島 編 ∼今 昔伝 承 ∼ ﹁数 独﹂ を 知っ てい ま すか ? しま なみ 海 道を サイ ク リン グ 世に も不 思 議な ・・ ・ 初秋 の赤 沢 休養 林を 訪 ねて 大 庭 健 黒 岡 隆 樋 口 晴 子 藤 井 悦 子 増田 修平 諸 岡 正 行 山 田 勝 己 石 井 教 昌 太 田 知恵 子 大 地 祥 子 二班 三木 博士 宇治 ム ジ ナモ ツバ メの 塒 入り 丹後 定 置 網漁 業体 験 に参 加し て 藍染 体験 去年 の重 曹 野鳥 の巣 づ くり 物語 ︵ Pa rt Ⅱ ︶ ヒガ ンバ ナ ︵彼 岸花 ︶ 渡 甫 自然 観察 の 感動 の数 々 ! 2 季 委 員 邉 写真と編集 後記 頁 1 6 5 5 4 4 3 3 2 2 1 12 11 11 10 10 9 9 8 8 7 7 6 NO.38 cosmos (第 10 期) シニア自然大学校高等科機関紙 平成 23 年 11 月 22 日発行 . コスモスの「語源」 「宇宙」を意味する英語の cosmos(コスモス)に由来。もとはギリシャ語の 「秩序」を意味する kosmos に至る。宇宙の意味は「秩序→整然たる組織→調 和→宇宙」というような変化から生じ、コスモスの花は「秩序→装飾→美し い花」という変化から生じた。メキシコ原産のキク科の一年草で秋に一重又 は八重の花を咲かせる。品種改良により春から花の咲くものもある。 別名、 「秋桜」。 語源辞典「吉田金彦」編著 より。 万博公園・花の丘 秋桜(コスモス) 作詩/作曲 10 月 11 日撮影 さだまさし 薄紅の秋桜が秋の日の何気ない陽溜まりに揺れている♪♪♪ この頃涙もろくなった母が庭先で一つ咳をする こんな小春日和の穏やかな日は貴方の優しさが浸みてくる 明日嫁ぐ私に苦労はしても笑い話に時が変えるよ 心配いらないと笑った♪♪♪ 「こすもす」38 号の編集は 2季委員(8 月〜11 月) 担当の 渡邉 甫、大庭 健、樋口晴子、古荘 光子、彌島 ヤスコが 担当しました。 インプリ前夜(万博自然教室) 高等科に学んで 1 班 石川 正樹 万博自然教室(10 月 15 日)のインプリ担当に 決まった。まさか 1 人でするとは。府老連のリー ダー対象のインプリをこの万博公園で実施するの 1班 岩城 正大 本科を修了すればごく自然に高等科へと進学し たが、皆さんは色々な植物をよくご存知で、かな りのカルチャーショックを受けた。高等科は社会 で、それをベースにやったらどうでしょうかとの アドバイスをいただいた。 私にはインプリ以前の話がある。まずコースが 分からない、そして木の名前が分からないことだ。 クスノキも、ようやく今年になって覚えたぐらい だ。最初の案内では、メモしながら全て写真に撮 った。次はそれをたよりに私1人で回った。道に 迷ったが、樹木はかなりのところで特定できた。 貢献事業などで外部へ発信しなければならず、そ のプレッシャーから先生に相談すると「最初から 知っている人は誰もいないよ、回数だよ、慣れだ よ!!」と一蹴。直ぐに理解できる特効薬はなく、 今では愛犬と散歩中に葉の形を観たり触ったり匂 ったり、また公園では樹木を連呼してその木の名 札を確認して歩くのが日課となった。いつの間に か散歩のコースも広範囲になり、自分の居住する 次に案内してもらった時には、コースも樹木もほ ぼ特定できるようになった。 これでようやく入口にたどり着いた。次は中身 だ。対象者は講座生。植物の知識は間違いなく私 より上。ありきたりの話はやめよう。聞いて興味 のわくこと、目新しいことを中心にしよう。方針 は決まった。まずは案内の中で、興味深いことを 大通りの街路樹が約400∼500m ごとにイチ ョウ、クスノキ、ケヤキ、エノキ、ナンキンハゼ などの並木があることを知った。ある日、妻と散 歩中、街の中央にあるプロムナードの大きな葉の 木を指さして「これ何の木?」と聞かれ「これは プラタナスや」と即答したが・・・後日万博でイ ンプリの下見に行ったとき、樹皮の様子や葉の形 拾いだした。次にインプリ科で使っている「ほん との植物観察」、そこには講座生も知らないことが 書かれていた。クズの昼寝もその一つ。高等科で の講座も使える。メタセコイア誕生物語を取り入 れた。ネタを探しているうちに日本植物生理学会 のホームページにたどり着いた。紅葉・黄葉の話 はここの解説をまとめた。また「早春に黄色い花 が多い理由」を尋ねたら、すぐに返事が返ってき が異なることから、あれはユリノキであることが 解った。妻へ知ったふりをして答えてしまい、自 分の知識の曖昧さに落ち込んでしまった。 その後は植物観察会に参加するときは、先生の説 明を記録し、帰宅後にその関連事項を図鑑やパソ コンで調べて、少なくとも1本は確実に自分のも のにするようにした。クスノキはくすりの木、エ ノキはエサのなる木と言った語源や、クスノキに た。これも使える。ここでプログラムは完成した はずであった。 ところが 3 日前児玉講師から、キリの花が来年 咲くかどうかの見分け方を伝授された。これも面 白い。コスモス園で見たカラタチも印象的で、歌 のいわれを知りたくなった。一度出来上がったプ ログラム、また修正してしまった。なぜそこまで はアオスジアゲハ、エノキにはオオムラサキなど 食性の関連などから、昆虫の世界にも少し関心が 深まってきたように思う。 高等科では座学よりフィールドでの講座が多く、 近場でも知らない所を多く発見することができた。 9 月の残暑が厳しいある日、我が家に近い交野市 の大阪市立大学附属植物園での講座に参加したと こだわるのと云われそう。でもそれは、私が一番 知りたかったことなのだから。 気になるのは明日の天気。前から雨模様の予報 が出ている。傘をさす気はないが、資料が滲んで 見えなくなってしまったらどうしよう。みんなの ように空で言えるわけがないのだから。コンビニ のコピーなら滲む心配が少ないと聞いた。しかし 結局最も安全な方法、手持ち資料をすべてラミネ き、植物学者の三木茂先生ゆかりのメタセコイア の日本最初の導入木がこんな身近な所に植栽され ていることを知り大変驚いたものだ。 高等科で学んで一番嬉しかったことは、名前を 知ることでその生き物への親しみと愛着が湧き、 自然への理解が一層深まってきたこと。校友との 情報交換や資料づくりの頻度が増し、苦手であっ たパソコン操作が少し上達したことである。また、 ート加工し臨むことにした。やるべきことはやっ た。どんな反応が返ってくるか、不安でもあり、 楽しみでもある。せっかく来ていただくのだから、 満足して帰ってほしい。今日はインプリ前夜。明 日はいよいよ本番だ。 リュックサックを背に 1 日 1万歩以上歩くことから知 らず知らずに脚力が鍛えら れ、好きなテニスが軽快に できる喜びをひとしお感じ 入る今日この頃である。 ∼1∼ 紅葉の涸沢へ(2011/10/14∼16) チヌ(茅渟)のダンゴ釣り 1 班 太田 英子 昔、私は今でいう山ガールだった。初めての本 格的な登山が北アルプスの穂高だ。涸沢からザイ ティングラードを登り穂高山荘へ。奥穂高・前穂 1班 大橋 繁善 チヌの正式名称は黒鯛(クロダイ)で、スズキ 目タイ科ヘダイ亜科に属し、体色は銀灰色に近い 高と縦走し岳沢・上高地へと下るコースである。 しんどくて「あ∼また来てしまった」と思いなが らも、頂上に着いた時の達成感、刻々と変わる美 しい山の景色に魅せられて山歩きを楽しんでいた。 子育て中は、山歩きも一時休止。今回、何年ぶ りかで紅葉を見に涸沢に行く事になった。若い頃 見た紅・黄葉の景色が甦り期待に胸を躍らせた。 上高地の河童橋から梓川沿いに歩くと対岸には 島から台 湾まで の東アジ ア沿岸 域に分 布して います。釣り人の間では、30cm を超えたものを カラマツが、まっ黄色に並んで立っていた。河原 の白い石にカラマツのやさしい黄色が、ゆったり とした景色をつくりあげている。こちらの岸を歩 いていくとケショウヤナギ・ハルニレ・ダケカン バが黄色く色づいている。 1 日目の宿、徳沢園に着くと遠くにピンクの、 こんもりとした木が1本。何だろうと近づくとマ とも言います。)は夜明けとともに湾内に固定した 筏(屋形)に渡船します。筏に乗って最初にするこ とは「土」、「集魚剤」や「オカラ」などをタライ で均等に混ぜ、海水を加えて「ダンゴ」を作りま す(写真参照)。それを終えてから、1.5m 位のチ ヌ竿に小型リールを取付け、糸を竿のガイドに通 し、針を結ぶ。 ユミの実と紅葉だった。紅や桃色の実がどっさり とぶらさがり木全体をピンクに染めていて愛らし かった。次の日は横尾から涸沢へ。途中ブナ林の 黄葉が美しく写真 をパチリ。 標高が 高く な るにつれ紅葉も変 わってくる。ダケ これでチヌ釣り の準備が完了。 ダンゴ釣りで は餌に「オキア ミ」 「練り餌」な どを主に使いま すが、季節に応じて「生きたミナミヌマエビ」、 「蚕 の蛹」、「トウモロコシの粒」なども使います。 カンバの黄葉は落 ち、幹の白さがめ だつ。ナナカマド は実だけがまっ赤に付いている。山全体が緑・黄・ 紅・白で彩られ青空ならもっと美しいのにと思い つつ2日目の山小屋に着く。夜中はどしゃぶりの 雨。なんと朝は雨 なぜ、餌をダンゴで包むことが必要なのかと言 えば、一つが餌をチヌ以外の魚に食べられるのを 防ぐこと。二つがダンゴに入っている集魚剤でチ ヌを集めること。です。 餌を包んだダンゴが着底し、ダンゴが割れて魚 が居れば餌を食べるので、竿先が動く「アタリ」 が出ます。このアタリを見極め、竿を頭の上まで が上がり穂高が顔 をみせた。晴天の 光の中また違った 紅葉の景色を楽し みながら下った。 最後は平湯温泉で 乾杯! 色です。北は 北海道の南部 、日本列島 、朝鮮半 「チヌ」、30∼25cmの青年魚を「カイズ」、そ れ以下を「チンチン」などと呼びます。 食性は貝、エビ、小魚、海草と何でも食べる雑 食性で、地域によってはスイカやミカンなども食 べます。 私がやっているチヌのダンゴ釣り(「紀州釣り」 振り上げます。これを「合わせ」と言います。 「合わせ」で魚が掛かると振り上げた竿が肩よ りも低い高さで止まります。その瞬間を楽しむた め、今は徳島県鳴門市瀬戸町堂の浦に通っていま す。 また、チヌ以外にヒラメやマダイが釣れること もあり、季節によっては小アジやサヨリを釣った りして楽しんでいます。 「チヌ」 ∼2∼ 「ヒラメ」 彼岸花 村の鎮守の神様 1 班 佐藤 紀子 秋の到来を告げるかのように、田んぼの畦や川 沿いの土手が一斉に真っ赤な彼岸花で彩られ、幼 少の頃が瞼に浮かぶこの時節を毎年心待ちにして 1班 中村 亀雄 私の住んでいる地域に、2000 年の歴史を持つ神 社があります。溝咋神社と言います。五十鈴媛命 (いすずのひめみこ)を主神としています。由緒に います。亀岡から越畑に行く道中にたくさん咲い ているということを教えて貰い、出かけてみまし た。 9 号線沿いに亀岡市街地を抜け、八木から山手 に向かうこと 10 分、眼前に田園風景が広がる中、 緑の山を背に黄金色の稲穂の波間に、真っ赤な宝 石を散りばめたような彼岸花が至るところに密生 していました。 よると、五十鈴媛命は神武天皇の皇后で、平安時 代延喜式内社であり、第10代崇神天皇のころ祭 神のゆかり深き当地に創建された古社です。今も 松並木の面影が残 る参道が、地域の 氏神としての信仰 の篤さを物語って います。 彼岸花はリコリンを含む毒草で、墓地に咲いて いる事があり、死人花(シビトバナ)や墓花(ハ カバナ)など不吉な名前でよばれ、日本では歓迎 されない事も多いようですが、飢饉時の救荒植物 として植えられたという事もあるようです。 また花の盛りには葉が全くなく、花が終わって から葉が出て春になるとその葉も枯れ、秋になっ 春と秋には祭礼 があります。秋は 10 月 14 日で、今年の祭りはまたまた雨でした。 なに しろ 雨乞 い に霊 験あ らた かな る 神社 です か ら・・・。昔から溝咋神社は雨祭りと言われてき ました。 数年前から氏子総代として、神社の維持管理と て葉が全くなくなってから、花茎が伸びてきて花 が咲くという不思議な植物です。つまり花と葉が 出会う事がないのですね。 更に、対向車を心配しながら細い山道を走るこ と 30 分、他に人家もない山の中にもかかわらず、 立派な建物のそば屋さんがあり大盛況でした。店 の回りは一面のそば畑、丁度真っ白なそばの花が 満開で、窓越しに白い花を眺めながら打ち立ての 祭礼に関わるようになりました。文部省唱歌「村 祭り」の《ドンドンヒャララ、ドンヒャララ・・・ 朝から聞こえる笛太鼓》は、今も同じですが、年々 神社の維持が難しくなってきています。破損修理、 器物の更新、防火・防災・防犯対策にはお金がい ります。「落ち葉が散る、木の枝が通行にじゃま」 等、近所の苦情もあります。新しい居住者との意 識の違いも感じます。祭りの活性化のために、店 十割蕎麦を頂きました。 道路を隔てて棚田が広がり、棚田の畦道を上が って行くと、銀色のススキや黄色いオミナエシが 群がり、心地良さそうに秋の陽を浴びていました。 日帰りの短い旅でしたが、たくさんの秋の花々 に出会えた素敵な旅でした。 自然大学に入らせていただいて二年目、まだま を復活し、ふれ太鼓を巡回し、巫女の神楽舞を行 います。広告入りのちらしを地域に配布します。 鎮守の樹木は茨木市指定の保存樹林です。クス、 クロマツ、アカマツ、ヤブツバキ、エノキ、ムク ノキ、タブノキ、ユズリハ、サカキ、モチノキ、 クロガネモチ、スギ、ヒノキ、ケヤキ、ウメ、タ ケ、イチョウ、キンモクセイ、アキニレ、アラカ だわからない事ばかりです。植物の名前も中々覚 えられないのですが、日々目に付く鳥や草花等、 興味を持って向き合えるようになったと感じてい ます。これからの更なる出会いを楽しみに、感動 の旅を続けて行きたいと思っています。 シ等が見られます。 子どもの頃の遊び場 で、自然が残ってい るこの場所を大事に していきたいです。 皆が集い親しめる神 社をと考えています。 クス↑ 雨中の本殿↓ 嵯峨越畑への道中、 畦に密生して咲く彼 岸花 蕎麦屋さんから窓越 しに見える蕎麦畑 巫女の湯立て神楽↑ ∼3∼ ぼた餅のあじ 宇宙アサガオ 1 班 藤本 あさ子 私市植物園からの、帰り道、洞ヶ峠茶屋に立ち 寄った。茶屋の名物は、手打ち蕎麦とぼた餅。 洞ヶ峠は高さ 60m前後で大阪と京都の境にある。 1班 古荘 光子 7月に姉が「宇宙アサガオ」の苗を持ってきた。 よく聞くとアサガオの種に理研仁科センターのサ イクロンで発生する「重イオンビーム」をあてた 淀川をへだてて天王山をのぞむ交通上重要な地点 かっては、東高山街道の要衝の地であった。 今も店前に国道 1 号線が通り、両側に大型店舗 が立ち並んでいる。茶屋は茅葺きで昇り旗を立て、 時代にとり残された姿で建っている。入口には枚 方教育委員会の看板があり、そこには、「天正 10 年(1582 年)山崎の戦いの時、秀吉と光秀の戦い を大和郡山城主の筒井順慶がここから遠望し、い ものの 2 代目の種からの苗。だから、運がよけれ ば新しい色や形のアサガオができるらしい。 ( 毛利 さんが宇宙に持って行ったのと同じ理屈らしいの で宇宙アサガオ・・・?)貰った苗を植え替えた。 アサガオは別に変わった様子もなく育っていた。 姉がお盆に来た時こんな花が咲いたと写真を見せ てくれた。花冠が切れたり、一部無かったりする ものがある。やっぱり変。我が家のアサガオにも ずれに味方するのかを判断した有名な峠。『洞ヶ 峠を決めこむ』という日和見主義の代用語は、こ こより生まれた」と記されていた。 明智光秀は信長をうってから、自分に助勢して くれるであろうと思っていた武将からことごとく 裏切られている。まずは親友で親戚筋の細川藤孝 ・忠興父子。本能寺の変を聞くや否や、藤孝は髪 葉の形が変わったものがあった。(写真) 説明の文にはこう書かれている。 「 RIビームフ ァクトリー(世界最強の加速器)は理研の世界で 最もバラエティーに富んだ放射性同位元素(ラジ オアイソトープ)をビームとして発生させる施設。 そこで、人工的に突然変異を起こさせて新しい品 種を作る。」 をおとし、名も幽斎玄旨と改め謹慎する。忠興の 妻は光秀の娘、お玉である。忠興は妻と離縁して 身重な妻を丹波に幽閉した。信長の一族でも無い のに、この細川父子の態度は光秀には理解できな かった。筒井順慶と光秀との結びつきも深かった。 順慶は信長より大和を与えられていたが、光秀の 力添えがあったからである。本能寺の変を知った 順慶は城に閉じこもって、光秀からの書状にも返 先日京都の賀茂川の河原に枝が広がらない品種 のケヤキがあることを聞いた。道路に枝が張り出 さない為だそうだ。 おいしいお米、甘くて大きい果物。私たちは毎 日の食卓を豊かな食材で暮らしている。それらは、 自然界の中で突然変異をおこしたものや、いろい ろな品種をそれこそ何代も育てるなかで品種改良 された成果の賜物。先人がその一生や二生?をか 事をしなかった。戦いの三日前、光秀はここ洞ヶ 峠まで出向き順慶の参戦を待ったが得られず、下 鳥羽まで戻った。近畿地方の組下であった高山右 近、中川清秀、池田信輝も光秀に加勢しなかった。 光秀にとっては現実に協力してくれなかった軍勢 の数よりも、味方することを拒まれた心理的ショ ックの方が大きかった けて努力したもの。それが簡単に突然変異を起こ せるなんて、すばらしい技術である。しかし、本 当に許されるものなのだろうか?今、放射線の恐 怖に日本中が慄いている。自然界で起こる以上の 人為、遺伝子組み換えと共に放射線となると・・・。 食の安全、大丈夫なの? と思う。 様に思う。 ぼた餅の大きさは、 にぎりこぶし程あり、 あんもたっぷり。 ぼた 餅 一口ほおばると少し 塩っぱい。たった 11 日間の天下とり、露の如く消 えた光秀の涙の味がした。遠い昔に想いを馳せな がら、ぼた餅をほおばった。 ∼4∼ 世界一大きい豆「モダマ」 奄美大島編∼今昔伝承∼ 1班 八木 大吉 私が「モダマ」と出会ったのは「大阪湾の自然」 の講座で淡路島の「成ヶ島・生石公園の植物観察」 を終えて帰阪するバスの車中で、村瀬りい子講師 1 班 彌島 ヤスコ 人に故郷あり、故郷あって先祖あり、先祖あっ て子々孫々、現在あり。高等科で「大阪の気象」 を学んだ数日後、私のノート記録で「郷土の自然 から説明があり知る事が出来た。成ヶ島の自然保 護の為の活動資金として1ヶ 500 円で販売してい ると聞き1ヶ購入した。 「モダマ」の事が気になり 早速ネットで検索してみた。 「モダマ」とは、あまり知られていないがマメ 科の中で最大の莢と実をつける。マメ科は、およ そ2万種あると言われ、さらに大きく3つに分か れマメ亜科、ネムノキ亜科、ジャケツイバラ亜科 気象に関すること」を列記しているのを見つけた。 正確な情報を得るのに困難の時代、長い年月の間 に生活の中から生まれた知恵を子孫のために残し ている。昭和38年∼40年古老達の話を聞いて 書いた記録は、それはある朝突然に出来たもので もなく本を開いて学びとったものでもなく郷土を 見つめて暮らしてきた素朴な体験の結晶で、ノー ト記録を手にし、それは昔から語り継がれてきた からなる。それらの中で「モダマ」はネムノキ亜 科に属し、蔓植物で幹の太さも直径 40 ㎝近くまで なる。世界には約 30 種あるといい、主に熱帯・亜 熱帯に広く分布している。ある箇所に(ブロック 的)に分布することが多い。 日本では南西諸島に自生するが、屋久島がその 分布の北限である。漢字表記ではモダマは「藻玉」 祖先の遺産だと今改めて感じます。 デン木(デイゴ)の花がたくさん咲くときは よく台風の来る年で花が少ないときは台風も 少ない。 サトウキビの葉に節が出来る年は台風が吹く。 (風が強いことを吹くと表現。方言。) 蜂が高い木に巣を造るとき台風は吹かない。 と記すが、海流に乗って日本の海岸に漂着した種 子を海藻の塊とみなされたために、この様な名称 になった。 葉は互生し、2回羽状複葉。花期は初夏で枝先 に細長い穂状花序を出し、帯黄緑色の小さな花を 密生する。果実は木質で堅い大形の平たい莢で、 巾 10 ㎝にもなり、長さ 1mを超えることがある。 種子は平たく光沢があり直径 5 ㎝程度で焦げ茶色 をしている。 過日(8 月)、 「モダマ」の文化講座が服部緑地都 市緑化植物園で開催され受講した。講師は以前あ った服部植物園サボテン公園の館長、原野耕三氏 で現在は奄美大島の住用町で奄美文化財団の管理 をされておられる。 初めて本物のナタ豆状の果実及び種子を観る事 が出来た。種子から発芽する様子や種子で作った 装飾品なども観る事が出来よい講座であった。 また原野氏にお願いし奄美産のモダマの種子を 頂いたことも受講して良かった。 ら情報を得て災害を小さく食い止めるための早々 の対策をしていたのだと窺い知るところです。地 球環境は変化しているものの、観察することの大 切さは今も昔も変わらないのだと50 年前を振り 返ってのノート記録には万感の思いです。 莢と種子 東の方に入道雲ができると梅雨あがり。 山の方から雷鳴が響くときにはハブが多い。 雷鳴が東の方から聞こえると海の幸がある。 赤トンボが低空で飛来するときは台風の年。 ソテツとデイゴの花咲くときは梅雨あがり。 10 月ノー朽ちた。(ノーとは釣糸のこと。旧 10 月は 海が凪 ぎ続き で釣り 糸も朽 ちるほ ど 魚が釣れる。早々と保存食確保。) 10 月台風はヤークラ倒す。 (ヤークラとは家、 倉のこと。対策強化。) 冬雷は夏世果報。 (冬雷は翌年の夏は豊年の前 兆。) 毎年夏から秋にかけて日本は台風に襲われ、奄 美大島を含む南西諸島は進路にあたるところから 「台風銀座」とよばれ、私たちの先祖は植物等か 珊瑚の垣根 モダマの装飾品 ∼5∼ デイゴの木とアダンの実 「数独」を知っていますか? しまなみ海道をサイクリング 1 班 山邉 明美 私は今「数独」にはまってい ます。偶然書店 で見つけ面白そうなので買ったのがきっかけです。 ルールはかんたんでツイツイ夢中になってしまい 2 班 石井 教昌 6年ほど前の 4 月に家内と「しまなみ海道」を サイクリングした。 「しまなみ海道」は、広島県尾 道市と愛媛県今治市を結ぶ自動車道。美しい瀬戸 ます。最初は毎月書店で買っていたのですが、す ぐに終わってしまいます。そんな時、パソコンで 「数独の問題」がヒットしました。沢山ある中で 私のお気に入りはレベルが 7 段階、Vol.52 そして 各 60 問の問題があるものです。したがってこの HP の全問は計 21840 問です。 パソコンの問題は 2 年前から始め、現在レベル 3、Vol.33 までクリアしました。まだ全体の 9%で 内海に浮かぶ島々を結び、個性的な橋が架けられ ており、サイクリングやウォーキングを楽しむこ とも出来る。 尾道側から尾道大橋(この橋は自転車・徒歩で は渡れない。)、因島大橋、生口橋、多々羅大橋、 大三島橋、伯方大島大橋、最後が来島海峡大橋と 架けられておりサイクリングロードの総延長は約 80km。第 1 回目のサイクリングは因島大橋、生 す。やっているうちに実力も少しずつ上がってき ました。最初は単に表面上の入る、入らないでし たが、今は三段論法式になってきました。 また、数独をやり始めて気が付いたことがあり ます。昨日出来なかった問題が今日やるとスラス ラできるのです。要因はいろいろあるでしょうが、 発揮される能力は日々変動するということです。 口橋、多々羅大橋の三つを渡ることが目標、距離 にして約 50km。 尾道駅近くのレンタルサイクルターミナルで自 転車を借り、渡船で駅前から向島に渡る。少しの 緊張と期待を持って1番目の目標因島大橋(向島 と因島を結ぶ橋)へ向かって 9 時に出発。島内は 一般道路でのサイクリングとなるがほとんど歩道 何事に対しても行き詰まったら少し時を置くこと も大事な事のようです。 数独の歴史を紐解いてみますと、アメリカ人建 築家ハワード・ガーンズが考案したのがはじまり です。世界的には 1997 年にニュージーランド人の ウエイン・グールドが日本の書店で数独の本を手 に取ったのが始まりで、以降世界的に流行してお り「sudoku」の呼称で 2006 年からは世界選 がありまた案内標識が分かりやすく整備され迷わ ず進める。 前方に因島大橋が初めて見えた時は感動もの。 幾何学的構造物の橋が思ったより周りの風景にマ ッチして美しい。海面から 50mと高い所に橋があ り、橋入口までの上りがキツイ。橋入口の無人料 金所で 50 円を箱に入れ、橋の建設に携わった人々 の思いを胸に橋を渡り始める。 手権も開催されています。勿論日本勢は上位をし めています。 当初、全然興味を示さなかった夫も「脳の活性 化、維持」を意識したのか年初頃から急に取り組 みはじめました。時々手詰まりになると次の一手 (一個?)を私にきいてきます。そこは一日の長 の実力発揮で教えています。問題はまだ 90%残っ 延々と真っ直ぐ続く橋の存在感に圧倒される。 自然を破壊し莫大な建設費用を費やした往復4車 線の道路にしては、車が少ない。無駄なことをし たような気もする。ただ人間の偉大な能力には素 直に感嘆する。そんなことを考えながら、橋を渡 り先に進む。 ムリせずのんびりと春の海岸、山道の風景を楽 ています。老化防止のために今後も続け、出来る だけ沢山クリアしたいと思っています。 興味ある方、挑戦したい方はHPのアドレス http://www10.plala.or.jp/t_itokin/choicejs.h tml で ! しみながら走りまた時には歩き、因島と生口島を 結ぶ生口橋、生口島と大三島を結ぶ多々羅大橋と 計三つの橋を渡り、目的地の道の駅「多々羅しま なみ公園」に到着。達成感に満足し休憩。生口島 へ戻り、港近くのターミナルへ自転車を返し、サ イクリングは無事終了。 その日は三原市の「みはらし温泉」に泊まりサ イクリングの疲れを癒した。残り半分の大三島橋、 伯方大島大橋、来島海峡大橋を通って今治までの サイクリングは次の機会に。 ∼6∼ 世にも不思議な・・・ 初秋の赤沢休養林を訪ねて 2 班 太田 知恵子 この夏何とも不思議な光を見た。 静かな夏の果てでの出来事だった。鞆の浦の向か いの小さな島、仙酔島に出かけた私は、壁に掛る 2班 大地 祥子 大阪からバスに揺られ吹田 IC から名神中央道 へ入り中津川 IC で降り、R19号線を走り、一度 は訪れたいとの思いを募らせていた赤沢自然休養 海ホタルナイトツアーに興味をそそられ、早速申 し込み、友人二人と食後の暗い浜に出向いた。 一体どんな物か見当が付かぬまま、暗い浜に出 てみるとすでに7∼8人が集まっていた。1人の 指導員から紐の付いたビンを海に向かって投げ、 海水をくみ上げ、決められた場所に流すよう指示 された。すると砂の上に青く点々と何かが光を放 っている。驚くのはそれだけはなかった。 林に着く。もうそこは別天地で、山の匂いのする 空気に包まれ疲れが吹き飛んだ。この国有林一帯 は、水源かん養保安林および保険保安林に指定さ れているところで、森林は水をはぐくみ、災害を 防ぎ、安らぎを与える大切な働きをしている。 歩を進めると、谷川には美しい水が流れ、その 周辺には屈指の木曽ヒノキの美林で、千本立天然 林(標高1160m)と言い、数えきれないほどの 指導員自ら別枠で用意していた海水をばら撒く と、砂一面が光を発した。そして砂を叩き始める と、ひときわ青い光が一面を覆い、まさに青色発 光ダイオードに劣らぬ強い光の銀河に驚愕、砂と 海ホタルは交じり合い、我々の手の中で青く発光 していた。 海ホタルとは何なのか、調べてみると、ウミホ ヒノキが立っている。 さらに登って行くと、奥千本天然林(標高12 40m)で、この付近は何本もの大樹があったとこ ろである。さすがに木曽ヒノキの美林と言われる だけあり、しばしその静謐で神々しいまでに美し い姿に心を打たれその場に佇み、待望の木曽ヒノ キに会えた喜びを噛み締めたことでした。 タル科ウミホタル属、甲殻類で米粒のような姿を し、透 明な2 枚の 殻で楕 円球 状に 覆って いる 3~3.5 ㎜の生き物であった。昼間は海底の砂中で 生活し、夜間に遊泳して捕食や交配を行う。春か ら秋にかけて青色発光、目的は外敵に対する威嚇、 一時乾燥粉を行動中の足元に撒き僅かな光を軍事 に利用していたとも言う。実に綺麗な宵の浜だっ た。 木曽五木であるヒノキ、サワラ、ネズコ、アス ナロ、コウヤマキ、にもそれぞれ触れ、これらが 豊臣秀吉時代から江戸幕府初期にかけ築城や、武 家屋敷、寺院等の建築資材として大量に伐採され、 減少したことから1665年以降から留山等によ り、森林の保護政策がとられた。更に1708年 以降木曽五木の特定樹種の伐採禁止制度を設け、 許可なく伐れない木に指定した。また、木曽の住 それにしても今年は光り物に縁がある様で、つ い最近も奥大山きのこ観察会で初めて、夜光性の ツキヨタケに出会う事が出来た。宿で電気を消し 暗闇の中、ツキヨタケの発光を見て会員一同感激 の嵐。暗闇にボーと浮かぶツキヨタケの妖しさも さることながら、暗闇の中で歓喜の声を上げてい る我々も又何とも妖しい軍団と映った事だろう。 民には「木一本首一つ」という厳しい伐採禁止の 措置を取った。 私たちが今見ている木曽ヒノキは大量に伐採さ れた以降に自然に育ったものなのです。今回、こ の様な歴史を重ねた木曽ヒノキの天然林の美しい 姿を見、その中で森林浴ができた幸せを感じる旅 となった。 世の中2度ある事は3度あると言うが、目から 火花なんて痛い光は遠慮したいが、又いつか世に も不思議な光に出会う事に期待したいと思ってい る。 樹木につく 海ホタル ツキヨタケ このようにして、日本の針葉樹の美しさに魅せ られ私は、更に機会を得て、今度は世界一の巨樹 であるセンペルセコイアとジャイアントセコイア を訪ねたいとの思いを強くするこの頃である。 ツキヨタケ ∼7∼ 三木博士 宇治 ムジナモ ツバメの塒入り 2 班 大庭 健 先日高等科で行った大阪市大理学部付属植物園 で念願のムジナモを見ることができた。 ムジ ナモはモウ センゴケ科 の水生食 虫植物で 、 2班 黒岡 隆 「ツバメの塒入り」って初めて聞いた言葉だっ た。巣立ったツバメが、何処に居るのか考えた事 もなかった。山根先生から、お聞きした時、一度 南・北米を除くヨーロッパ、アフリカ、アジアに分 布し、日本では 1890 年に牧野博士が東京・江戸川 の用水池で最初に発見、和名「ムジナモ」と命名 された。(詳しくは植 物整理カード を見てくださ い。) その 後各地でも 発見された が、関西 では唯一 、 宇治の巨椋池で 1925 年に「生きている化石メタセ コイア」で有名な三木博士がまだ京大の学生時代 は見たいと思った。先生に案内して頂いた宇治川 に、みんなで押し掛けたが、残念ながら塒入りの 少し前から雨が強く降り出した。それでも、数千 羽のツバメの乱舞が見られたが、思っていたより も少ない感じだった。その折、松田専任講師から、 豊中でも塒入りが見られる所があるとのお話を聞 き資料を送って頂いた。 そこは、農業用のため池で、土砂の堆積で浅く に発見された。三木博士は「植物遺体」 (塚腰先生 に教えていただいた圧縮化石のこと)研究の前は 水生植物の研究をされており、巨椋池や京都の深 泥池の調査の中でムジナモも発見されたのだった。 その後 1933 年からの巨椋池干拓の際に、深泥池 などにも移植されたが、いずれも絶滅してしまっ た。日本全体でも、1967 年埼玉県宝蔵寺沼の絶滅 なっている池だった。近年は浅かったので、芦が 一面に生えていた。確認の為、少し明るい時に行 ってみると、池の中の芦は除去されており、道路 側(北側)の法面に数メートル分が残っている状 況だった。 すでに、東側の堤防側の電線には、明るいうち (午後 6 時半)からツバメが集まっていた。夕暮 を最後に自生地はなくなってしまった。最初の発 見からわずか 77 年目の事で、それは日本の近代化、 工業化で自然が大きく変貌していった時代と重な っています。 ところが深泥池に移植されたムジナモを個人的 に栽培されていた方がおられ 1951 年に三木博士 が園長になられた市大植物園に寄贈され現在に至 ったのです。さらに 1977 年には市大植物園から れ(午後 6 時 45 分)になってくると、池の水面上 を低空飛行するツバメ、上空から集まってくるツ バメの乱舞がみられるようになった。 そのうち、道路側の芦に止まり始めるツバメが 増えてきた。午後 7 時前にはほとんどのツバメが、 芦に止まり寝る体制になっていった。午後 7 時を 過ぎると飛んでいるツバメは居なくなった。豊中 では、5 千羽とも言われているが、殆どのツバメ 宇治の愛好家が譲り受け、40 数年ぶりに里帰りを し、これが宇治植物園でも栽培されています。 メタセコイアに関心を持ちいろいろ調べていく うちに、私の住んでいる宇治と三木博士の意外な つながりを発見できた。そしていろいろな方の努 力で野生絶滅したムジナモが何とか生きながらえ ていることを知り、再び自生できるような日本の が居たように感じた。まさに乱舞であった。 三回目に見る機会が、シニアの奈良のクラブの 例会が平城京であった時だった。 平城京でも、午後 6 時半頃から、ツバメが集まっ てきて大極殿を通過して西側の池周辺を飛び交っ ていた。次から次へ集団が現れ、芦原へ降りてい く様子は、圧巻であった。この日は、6∼7 千羽の 自然 が復 活で き ない かと 願う 今日 こ の頃 です 。 ツバメと言われていましたが、今夏に見た三回で 最高に素晴らしいツバメの塒入りであった。 ←大阪市大植物園の 平城京のツバメ ムジナモ 名札は掛かっていません。場 所を知りたい方は大庭まで。 「ナ ンバンギセ ル」 スス キの根に寄 生。 ∼8∼ 丹後 定置網漁業体験に参加して 藍染体験 2班 樋口 晴子 8 月の最終週の日曜日、丹後自然塾の養老漁協 の定置網漁業体験に参加して来ました。早朝 3 時 50 分に宿泊先の地球デ ザインスクー ルの車で出 2班 藤井 悦子 8 月に知人から「藍染教室があるけれど参加し ませんか」と声を掛けていただき、以前から関心 を持っていたので「参加したい」と即答した。 発。眠い目をこすりながら、ドキドキワクワク。 静かに寝静まった人里を過ぎると一気に活気づ いた漁港に到着。夏休み最終の日曜日とあって親 子連れの参加者の多いこと、オリエンテーション を受けライフジャケットを着ていよいよ乗船し漁 場へ。 水深40∼70m、陸地から2∼4kmのとこ ろに網は張られ、垣網(魚を網まで誘導する、500 藍染には、かめの中で発酵させる方法と、生葉 で作る染液を使う2つの方法がある。 今回、体験したのは生葉を使う方法で、生葉を 収穫する時期でないとできないとのことである。 教えて頂いた講師から、自分で栽培され、採取し たタデアイを提供していただいた。 はじめに、スカーフの生地(絹)に荷造りひも や輪ゴムで染めたくない箇所を絞るように指導が ∼1,000m 程度)は魚が最初に網に入る所から、囲 い網(直径 150m)主網(おもあみ 100m)へと誘 いこんで行きます。機械で網を揚げるにつれて魚 のウロコが光る中、 「漁師には海の中が見える」漁 師の真剣勝負に、森と海との深いつながりを感じ ずにはいられませんでした。 毎日これだけのカタクチイワシが取れるのかと あり、なんと身近なもので絞るのかと驚いた。次 に沢山のダデアイの枝をもらい、枝から葉をちぎ り取るように言われた。 枝から葉を取る作業は思って いるより時間がかかり疲れる。 摘み取った葉をボールに入れ、 つぎの手順で行った。 思われるほどの無数のイワシの群れに感動! 2ポ イント目、3ポイント目へと移動しながらの体験、 3ポイント目で引き上げていた網が破れているの を発見、作業を中止し、漁師さんの素早い網の補 修の後、作業再開したところ、大きなカジキ(マ グロと似ていることからカジキマグロという俗称 もあるが、マグロとはまた異なる分類群)が2匹 網に掛かっていた。3人がかりで引き上げその場 1.生葉 200∼300gに、塩 6g を混ぜ、なじます。 2.1に生地を入れて、10 分間、 しっかりもみ出す。黄緑色の 蟹のようなあわを出すまでも む。 3.取り出して空気にさらし、藍色に変色させる。 4.2 と 3 の作業を繰り返し、好みの色に着色させ で解体、エラ、内蔵、等を取り出し氷漬け、その 作業の素早さと躍動感に感動。 (このカジキが網を 破ったらしい) 漁業体験を終えたとき、きれいな朝日が昇り心 地よい疲れと空腹感と満足感で満たされていまし た。 る。 5.染め上げれば、絞った輪ゴムをはずす。 6.染め上った布をしっかり水洗いし、乾かす。 染めるという作業は、なんと大変な事だろう! 力と気力が必要である。絞った輪ゴムをとると想 像していたものとは違った模様が現れた。でもジ ンワリと良い! カモメがイワシを 食べに来た所 カタクチイワシの 藍染は、合成染料が日本に入ってくる 1900 年頃 までは、日本の多くの地域で生産されていたそう である。でも、現在ではごく限られた地域でしか 生産されなくなったと聞く。 今回、貴重な体験をさせていただいて感謝して いる。染めたスカーフは大切にしたい。 また機会があれば、藍染めに限らず体験したい。 群れ ∼9∼ 去年の重曹 野鳥の巣づくり物語( PartⅡ) 2班 増田 修平 先日、今年初めてのクリの渋皮煮をつくった。 福岡に住む息子の嫁から、保育園に通う孫の運動 会に来ないかと話があり、急遽、手土産にしよう 2班 諸岡 正行 PartⅠではヤマガラ2羽が 巣作り(巣 箱2号、 4号)を終えるところまで記載しました。ここで はその続きから始めます。 と思い立ったのだ。昨年のレシピをレヴューして 渋皮に傷を付けないように丁寧にクリの鬼皮を剥 いたが、これが意外に難しい。 次に三回のアク抜きをする。その時に添加物と して使うのが重曹である。昨年使って残ったもの を取り出して一回目のあく抜きをしたが、いつも のようにアクが浮かない。二回目にトライ。おか しい、どうも違う。ポリエチレンの袋の中で、去 順調に進んでいると思われた子作りですが、巣 箱2号のヤマガラはあまり見かけなくなりました。 各々の巣箱の距離が近すぎたせいで、縄張り争い に敗れたのでしょうか・・・。その後、巣箱2号に今 度は「シジュウカラ」が後釜で偵察行動を繰り返 し、頻繁に出入りする様になり、2種類の野鳥の 子育てが見れる!と楽しみにしていました・・・が、 あるとき事件が起こりました。 年の重曹の成分が変化したに違いないと考えて三 回目のあく抜きは台所の隅にあった工業用の重曹 を使ってみた。精製過程で滅菌してないだけで、 成分は食品用と変らない。あく抜きの鍋は熱湯に なるので必然的に滅菌されるから問題ない筈だと 考えた。糖蜜の中で一晩寝かせておいた出来上が りを一個味見したらとてもおいしい。大成功!! ヤマガラが巣箱2号の入り口に止まったまま周 りに来ているシジュウカラを巣箱に入れさせない 様に邪魔をしていたのです。暫くシジュウカラは 巣箱の周りを飛び はねていまし たが、(意を決し た?のか)ヤマガラに飛び掛り、足蹴り・口ばし 攻撃を繰り返し両者とも地面に激突するも再度飛 び上がって攻撃を続ける・・・。結果はどうなったで 出来上がったクリの渋皮煮を持ってイザ福岡へ 出発。孫の活躍を応援し、昼食後にとって置きの 手作りデザートを取り出し、重曹の裏話をした処、 皆から「大丈夫?」コールが起こったが、おいし さには敵わず舌鼓を打った次第であった。今回の 渋皮煮作る過程で、重曹は水分を吸収すると役に 立たなくなること。保管は壜もしくは金属缶に入 れておくのが良いこともわかった。 しょう?ヤマガラの勝ちでした!最初に縄張りを つくった方の執念が勝ったのでしょうか、シジュ ウカラの戦術が失敗だったのでしょうか、野鳥に 聞いて見て下さい(笑い)。 こうして巣箱4号のヤマガラは番で子作りの準 備を進めていました。朝早くに巣箱の中から雌が 雄をコールすると、数分後には雄が餌を咥えて巣 箱にダイビング。人間と同じで、男はつらいよ! 今は何でもお金を出せば手に入る世の中ではあ るが、時間が掛かっても、出来上がりの見栄えが 多少悪くても、なるべく手作りしている。 昨年はシニア講座生として自然との出会いを経 験し、今年は火曜日の高等科、金曜日の水生生物 科、団地自治会役員、現役時代の仕事仲間との交 流など忙しい毎日を送っている。60歳を過ぎて ですネ・・・。早く卵を生んで雛が育たないかなぁ∼。 ところが、問題が発生しました!第2の事件です。 空になった巣箱2号に何と「キイロスズメバチ」 が巣を作り始めました!! 巣箱4号のヤマガラの縄張り内に頻繁に出入り するキイロスズメバチに恐怖を感じたのか、とう とうヤマガラが巣作りを放棄して以後見かけなく から何度も入院手術を伴う病気を経験し、健康体 という言葉の意味も知った。 水分を吸った去年の重曹にはなりたくない。 この先少なくとも10年間はワイフと共に夏の登 山・冬のスキーを楽しめるようにスロージョグ& ウォークを続け、脳を活性化させ健康で文化的な 生活を送ろうと密かに思っている。 なりました。せっかく楽しみにしていた2種類の 野鳥の子育て観察も夢となりました・・・。それにし ても、キイロスズメバチはずる賢いのか良い巣場 所を見つけたものです。スズメバチの巣としては、 小さいと思われますが、最初は“働きバチ”を産 み育てるそうです。その後、巨大な本格的な巣を 作るのでしょう。 結局、野鳥の為に作った巣箱 ですが、キイロスズメバチに いいようにやられてしまいまし た・・・。悔しい!! 来年は、何か対策を考えて、 再度チャレンジしたいと 思います。(完) ∼10∼ ヤマ ガラ ヒガンバナ(彼岸花) 自然観察の感動の数々! 2班 山田 勝己 9 月 22 日台風一過の秋晴れの一日、ヒガンバナ を観に行ってきました。 「 敵は本能寺にあり」の「明 智越え」や「唐櫃越え」の山々が間近に見える亀 2 班 渡邉 甫 自然に愛着があった為、3 年後に高等科 10 期生 に入学をしました。ところがクラスはスペシャリ ストの猛者ばかり、改めて高等科のレベルの高さ 岡郊外。昨年は猛暑で彼岸に彼岸花は咲いていま せんでした。今年は季節どおり見事に咲きました。 田畑の畦や堤に真赤に咲き誇っています。この花 は自然に増えたのではなく、かつて人の手で増殖 されてきたものです。 有毒な球根によるネズミや虫等の侵入を防ぎ、 飢饉の時には水にさらして毒抜きをして非常食に してきました。室町時代に持ち込まれたようです。 を思い知りました。 自然は「自然(じねん)だ!」自からが燃えなけ れば と自 分を 鼓 舞、 早速 学習 の七 つ 道具 のカ メ ラ・図鑑・ルーペ・パソコン・ICレコ−ダ、手 作りの画板と標本入れ等々を整備、近所の樹木を 対象に時間の許す限り 1 人で同定のトレ−ニング をし、忘れないうちに復習も習慣にした。 そのうち次第に学習が楽しくなり自然観察の日 ヒガンバナには別名が全国で 1000 以上あると 言われ、列記されている中から例記するとマンジ ュシャゲ(梵語で「赤い花」の意味)、ハミズハナ ミズ(葉見ず花見ず)、ヘイケバナ、シンダモンノ ハナ、オヤゴロシ(毒)、ジゴクバナ、ジュウゴヤ、 マツリバナ、ユウダチ、シロイモチ(食)、ハエト リバナ、ムクミトリ(薬)、ハッカケババー等々。 が待ち遠しく成りました。自然観察は図鑑にもな い講師の新鮮なインタープリテーション、観察樹 木の発見と喜び、そして驚きと感動、私には全て が目からウロコです。 講座生活は早くも折り返し点、お互いにクラス メイトの気心もわかるようになりました。 8月の講座で瀬戸内海国立公園「成ヶ島」に渡 こう見るとヒガンバナは先人達の生活の多くの場 面でとても身近な存在であったと想像されます。 この花墓場に植えてあることも多くて不吉と嫌う 人もいますが、最近は鉢や庭植えを楽しむ人が多 くなってきたようです。赤、白、黄、桃,橙色と。 ところで名前の由来ですが「彼岸(ひがん)」と はサンスクリット語で「波羅蜜多」の漢訳「到彼 岸」の略で先祖を敬う仏教行事。春分(秋分)の りました。島には絶滅危惧種に指定されている「ハ マボウ、ハマナツナ」等をは じめ多くの海岸植物が自生又、 干潟で無数のハクセンシオマ ネキに迎えられ感動しました。 由良に戻り由良要塞の生 石山(おいし)公園の山頂に 登りました。そこには斯式 日の前後 3 日間の前後 7 日間を彼岸という。煩悩 や悩みの多いこの世をこちら側の「比岸(しがん)」 というのに対して極楽浄土のあの世のことを、向 こう側の岸「彼岸」。あの世にいる先祖を供養する 仏教行事に発展した。極楽浄土は西方彼方にあり、 太陽がはっきり真西に沈むとわかる彼岸に法要さ れるようになった。この季節に咲くからの命名。 30 口 径加 農砲( カノ ン砲 ) の砲身がオブジェとして置 かれていました。 展望台から紀淡海峡を眺望しながら「坂の上の 雲」8 巻の読破を思い出し、二十八サンチ榴弾砲 で旅順港に碇泊中のロシア極東艦隊を撃沈し、日 本海戦でバルチック艦隊を撃滅した明治のしたた 所変われば北海道ではお盆明けに開花します。別 名の中にはボンバナ、ニシンノハナがありました。 人生も旅です。行きたい所まだ多々。でも最後 は「彼岸への旅」だよ。でしょ?もしものお招き あっても「まだまだ」「固くご辞退」「絶対に渡ら ぬぞ∼」。米寿や白寿なんかはなんのそので。でも 翌日御陵の 230 段の石段、シンドカッタなぁ。 かな外交政策と海戦術の兵理、精神の柱である武 士道、明治魂に想いを馳せ胸が熱くなりました。 展望台から下山途中、大きく成長したウバメガ シの樹林、巨木化したホルトノキ、根は板根、要 塞を守るかの様に連なっていました。 自然観察は常に驚きと感動の連続、何と素晴ら しい事だろう。高等科の講座生になって本当に「良 かったなぁ!」と思う日々です。 ウバメガシ 満開の彼岸花 ∼11∼ ホルトノキと板根 ∼impresson(8月―11月)∼ ウツ クシマツ タブノキ( なるかわ) ケヤ キ(白川村 ) (上 賀茂試験地 ) ラク ウショウの 呼吸根群 ( 上賀茂試験 地) free ? トチ ノキの巨木 サワ フタギ (芦 生演習林) (芦 生演習林) カツラの巨木 (樹高 38.5m芦生演習 林 ) 編集後記 光陰矢の如し、2 季委員の 5 名が編集担当になりました。 編集に携わるや否や、バンコク中心部の大洪水・トルコでM7.2 の地震・米国での雪被害とニュ− スが飛び込み、自然の驚異に畏敬の念を禁じ得ません。今回は原稿内容を半ページに改め、必死に 校正・編集に取り掛かり全員の力で成し遂げる事が出来ました。 各編集委員のコメント ・ 渡 邉 甫 全員の力で発行日までに漕ぎ着けたことは大変嬉しく思います。 ・ 大 庭 健 改めて皆さんがそれぞれ趣味、得意分野を持っておられることに感心! ・ 樋 口 晴 子 この編集に関わって 22 人の才能を垣間見る事が出来ました。 ・ 古 壮 光 子 火曜日と違った皆さんの色々な活躍や造詣の深さに感心しました。 ・ 彌島ヤスコ 寄稿者、メンバーの手際よいアドバイスにより編集完成。感謝!! ∼ 12 ∼ ∼