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12 知識ベース企業理論

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12 知識ベース企業理論
12
知識ベース企業理論
ナレッジ・スクールの構想
これまでの経営学および経済学では、企業の優位性を物的な経営資源、つまり「モノ」に求めるのが主
流だった。しかし今、企業や人間のダイナミズムを把握するために必要なのは、世界を「コト」として捉え
る見方である。これまで展開してきた、組織的知識創造理論を「コト」から発想する、ダイナミックな知
識ベース企業理論への展開について考える。
が、他企業に模倣困難な内部資源
客観的分析が容易なモノであるとい
をもてというリソース・ベースド・
う前提に立っている。
ビューである。
『エコノミスト』
が 2007 年 12 月に、
いま、われわれが新たに考えてい
これらはいずれも完全競争の市場
日本企業の特集で「アングロサクソ
ることは知識ベース企業のプロセス
均衡理論に基づいた企業の戦略論で
ンは、企業を株主への報酬を最大化
理論である。これまで経済学には古
あって、参入障壁とか模倣困難な資
するために、自由に売買、合併、解
典派や新古典派が存在したが、われ
源を活用して、不完全競争を意図的
体できる金儲け装置と見なす」と述
われは大それたことをいえば、企業
につくり出し、ゼロ・サム戦略によ
べているが、その背後にあるのは、
理論の知識学派、つまりナレッジ・
る利潤の最大化を図るというのが基
企業は自由に売買合併、解体できる
スクールをつくりたいと思い、これ
本となっている。これらの理論は、
所与の「モノ」であるという考えだ。
までやってきたことをその方向に向
市場経済の本質を「完全競争」とい
そうした企業観は、新古典派の背後
かって総合したいと試行錯誤を続け
う理想郷(イデア)で規定して、そ
にある基本的な企業観なのである。
ている。
こからの差異で現実を理解するとい
経営学におけるさまざまな理論
う形而上的思考の伝統を引き継いで
は、その各時代の社会環境や経営研
いる。
このような静態的均衡論では、
究者の信念を反映し、多様な理論モ
均衡をどういうプロセスで不均衡に
ところがもう一方で、実は市場の
デルが提起されてきた。これまでの
するのかは事後的にしか説明できな
基本的機能は、新しい知識の獲得
ところその主流は、経済学を基盤と
い。たとえば、リソース・ベースド・
という「過程」であるという見方も
した企業理論ということになる。
ビューでいうコア・コンピタンスは、
ある。つまり市場というのは、部分
代表的な例を挙げれば、
マイケル・
利益の最大化に貢献したからそうな
的な知識しかもっていない多くの人
ポーターのポジショニング理論が
のであって、どうやってコンピタン
たちとの間の相互作用の場であっ
ある。ポジショニング理論は、経済
スをつくっていくのかはわからない
て、個人が試行錯誤するなかで誤
学的な産業組織論に基礎を置き、市
のである。極論すれば、コンピタン
りを修正するダイナミック・プロセ
場の構造分析から最適な事業分野に
スは所与の資源なのだ。
スの場だという市場観である。これ
自社を位置づけることが競争優位性
これらの理論は、経済学を科学的
は、フリードリヒ・ハイエクで知ら
を確保するという考え方だ。これに
に体系化しようという方法論で装備
れるオーストリア学派などの考え方
対して反ポーター派が主導するの
されているので、基本的には企業は
で、そこから新しい自主的な秩序が
静態的企業理論からの脱却
20
200901 野中郁次郎 私と経営学
知識創造のプロセスはイノ
ベーションそのものである
のなか いくじろう●一橋大学 名誉教授
早稲田大学政治経済学部卒業。カリフォルニア大学経営大学院(バークレー
校)にて博士号(Ph.D.)を取得。南山大学経営学部教授、防衛大学校教授、
一橋大学商学部産業経営研究所長、北陸先端科学技術大学院大学知識
科学研究科長、一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授を経て現職。
生まれてくるというダイナミックな
とができると思う。まず、知識は主
マン・リソースという概念からは生
発想だ。
観的である。だからこそ、われわれ
きた人間像は見えてこない。要する
さらに、市場に成立した均衡とい
は暗黙知を強調している。次に、知
に人間も戦略実現にフィットする
うよりは、均衡に到達するプロセス
識はプロセスすなわち関係性から生
「人材」
「労働力」にすぎないと見な
が重要で、それを先導するのが企業
み出されるものである。要するに「コ
すのだ。これに対し、われわれは人
家だというイズリアル・カーズナー
ト」
(event)といえる。第三に、知識
間を、その人独自の他の何びとにも
の考え方もある。これは、企業人の
は真・善・美を追求する。そして第
代えがたい経験の連なりというプロ
行う不断のイノベーションが経済を
四に、知識は実践を通じて創造され
セスだと考えている。人間は、単に
変動させるという理論を構築した
ていく。単なる分析だけでは知識は
モノとして「在る」
(being)のでは
ヨーゼフ・シュンペーターと結びつ
形にならず、究極は実践で結晶化さ
なく、絶 え ず「成 る」
(becoming)存
いていく。
れていくということである。
在 で あ る。「成 る」と い う こ と は、
人間の本性にしても、ホモ・エコ
その 4 点を中心に、これまでわれ
常に生成し、未来に向かって開かれ
ノミクスのように外界へのひたすら
われが考えてきたことをもう一度捉
ているということだ。
な適応ではなく、むしろ外界への飽
え直して、企業理論にまで高めよう
くなき働きかけにある。企業にとっ
と、そのプロセス観に基づくナレッ
ても、その存在は能動的な「顧客を
ジ・ベースド・セオリーについて書い
創造すること」
(ドラッカー)にあ
たのが『マネージング・フロー』で
ヘラクレイトスなど初期のギリシ
ると見るほうが現実に近い。
ある。知の流れをマネージする「知
ャ哲学、インドの仏教哲学、そして
このように考えていくと、戦略と
流経営」の理論と言ってもよい。
ホワイトヘッドの哲学にも通底して
いうのは人間が現実を解釈し、新し
以前より繰り返し、ホワイトヘッ
いるのは万物流転という考え方だ。
い現実を社会的に生み出していく未
ドの哲学を踏襲しながら述べてきた
それが日本では諸行無常といった無
来創造の知力そのものである。知識
ことだが、世界は「コト」からなっ
常観になりがちだ。これに対して、
創造とは、個人の思い、信念を真理
ている。世界というのは「モノ」で
松下幸之助は「宇宙に存在するすべ
に向かって社会的に正当化していく
はない。その都度の最も具体的な「コ
てのものはつねに生成し、絶えず発
ダイナミック・プロセスと捉えるこ
ト」が連続的に生成消滅する世界、
展する。万物は日に新たであり、生
とができ、イノベーションの本質は
すなわち「プロセス」こそが実在な
成発展は自然の理法である。人間に
知識創造プロセスなのである。した
のである。
は、この宇宙の動きに順応しつつ万
がって、知識ベース企業は SECI エ
新古典派ベースの企業論は、基本
ンジンを不断に回し続ける企業体と
的にはすべては「モノ」と考える。
いうことになる。
つまりリソース(資源)に帰着する。
「モノ」から脱却し
「コト」から発想する
プロセスとして
経営を考える
リソース・ベースド・ビューという
理論は、物的資源から、企業文化、
人的資源等々何でも入れ込んでしま
知識の特質として 4 点を挙げるこ
う。しかし、もっとも重要なヒュー
野中郁次郎 私と経営学
200901 21
物を支配する力が、その本性として
すべて暗黙的であるか、あるいは暗
(sensitivity)な の で あ る。そ れ で、
与えられている」、つまり生成発展
黙知に根ざしているかのいずれかで
これまで繰り返し「賢慮型リーダー
と見たほうが人間にとって幸せだと
ある。完全な形式知は考えられな
シップの 6 つの条件」というものを
言うのである(
『人間を考える』
)。
い」と言っている。われわれは、ポ
挙げてきたわけだ。
パナソニックで 2000 年に社長に
ランニーの理論をヒントに、暗黙知
就任した中村邦夫氏
(現会長)
は、
「松
と形式知のスパイラルアップによっ
下幸之助の理念・哲学以外はすべて
て「知識創造」という考え方を生み
否定する」と言って米国型の合理的
出 し、知 識 創 造 理 論 の プ ロ セ ス
戦略とは未来創造であると言った
な構造改革を推進した。しかし、そ
「SECIモデル」を発想した。そして、
が、それを展開するとすれば、結局、
のときに中村氏が使った旗印は「万
人的資源に固有の知識創造を活性化
戦略というのは、未来をつくる「物
物は日に新た」だった。
する「ビジョン」
「対話」
「実践」
「場」
語」といえる。われわれは人間存在
そして、2006 年に中村氏に代わ
のメカニズムを駆動する企業が、知
の意味を単なるモノ的に「在る」の
って社長に就任した大坪文雄氏は、
識創造企業のプロセスモデルになる
ではなく、コト的に「成る」と捉え
松下幸之助の言う「衆知の経営」を
と考えてきた。
たが、生成そのものにかかわる世界
前面に出して、関係会社も含めてグ
さらに、それらをすべて総合して
制作のモードが物語なのである。
ループ・トータルとして「混ざり合
市場と共鳴していくリーダーシップ
物語モードにはいくつかの特色が
い」を推進し、異質な人間同士が混
こそが「フロネシス」なんだと述べ
ある。第一は、個別具体性の数字で
ざり合うことが大切なんだと強調し
てきた。フロネシス型リーダーの最
抽象化するのではなく、
複雑なまま、
た。こうした中村氏や大坪氏の言動
も重要な要素は、絶えずコンテクス
丸ごと一般化することである。日常
のベースには、まさに松下幸之助の
トが変化している動きのなかで、正
の細部の本質の見える化ができる。
プロセス志向の世界観・人間観が
しく判断(judgement)する動く知
第二は、分析的に唯一最善の真理で
(動態知)である。結局、マネジメ
はなく、多様な筋立て(emplotting)
プロセスから獲得する「知」は何
ントというのは、その都度の具体的
を許容することである。プロットに
かというと、それこそ経験なのであ
なコンテクストにおける相互作用の
は、ロマンス、風刺、喜劇、悲劇な
る。動詞的「知」
、すなわち暗黙知
中で判断を下し、行動することなの
どがある。したがって、対話を通じ
(tacit knowing)ということになる。
で、意思決定の中心は、いろいろな
て自己をメタ化する衆知の結集プロ
形式知というのは動詞のプロセスを
人々の主観的な解釈が共存してい
セスなのである。第三に、いま生き
切り取って出来る名詞の「知」であ
る。したがって、そうした対話と実
ている自分との関係性のなかで、
「そ
り、モノ的性格をもつので見える化
践のなかで、何が真かということを
の意味は何か」を問い続けることで
が可能であり、分析しやすい。しか
推論し、正当化していくプロセスが
ある。物語を通じて「歴史をつくっ
しモノもプロセスの一側面として変
必要となる。だから現実の判断の基
ている」という自覚とコミットメン
化していく。
礎というのは抽象的、客観的理論
トを触発するのである。
(野中・紺
暗黙知を最初に提唱したマイケ
や統計、変数ではなく、その問題の
野「戦略への物語アプロー チ」一
ル・ポランニーは「すべての知識は、
実践的なコンテクストに対する感性
橋ビジネスレビュー、2008、秋号)
脈々と受け継がれている。
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200901 野中郁次郎 私と経営学
物語戦略の
重要性
Managing Flow:
A Process Theory of the Knowledge-Based Firm
Ikujiro Nonaka, Ryoko Toyama and Toru Hirata 著
Palgrave Macmillan 社 2008 年 9月発行
ライシュが主張しているのは、自
企業はそこまで信頼できないのであ
由貿易とか規制緩和とか民営化を加
ろうか。ライシュが述べているよう
速させたのがスーパー・キャピタリ
な政治と経済のアンバランスをバラ
ズムだということだ。そして興味深
ンスよく保つのは、個人だけではな
いのは、これを加速化させ、現在の
く企業の役割が大きい。経済におい
ような結果をもたらした責任が、わ
て資本主義の長所をとるかぎり、市
れわれ市民にもあるという指摘であ
場の効率的資源配分の中心にあるの
る。市民というのはみんな二面性を
は企業だろう。
もっている。たとえば、企業が金融
われわれが提唱する組織的フロネ
世 界を「コト」としてとらえる
や商品の多様化を進めるほど、市民
シスの能力を身につけることができ
ときの戦略論というのは、生き方
の投資家としての投資熱は高まり、
れば、
企業に参加している個人が
「善
( a way of life)そのものを問う戦略
消費者としても高品質・低価格の要
い」目的に向かって、その都度起こ
論なのだ。だから、
「共通善」に向
求を高めていく。ところが、われわ
る問題を適切に判断して、民主主義
かって、無限追求する実践を内在化
れは労働者や市民として、共同体の
と資本主義のダイナミックな均衡を
させることができるのだと思う。
善を追求する民主主義に参画する役
「よりよく」に向かって日々実践す
割をも担っている。資本主義の暴走
ることが可能なのではなかろうか。
は、これらの間のバランスが崩れて
日本のサムライ企業は、社会的に確
しまっていることに起因するので、
立された卓越性の基準を達成しよう
主流派のアングロサクソン型の戦
それをなんとかして回復しなければ
とする無限の実践という美徳を内在
略論はすべて分析、つまり科学を志
いけない。そして、それは究極的に
化させていると思うのである。そう
向しており、人間の生き方を問うて
は個人の役割にあると言っている。
いう理論をつくりたい。
はいない。だから、生きた人間の本
なぜ、個人なのかというと、米国の
質が見えてこないし、いくらやって
企業家や企業はもう当てにならな
も面白くない。
市場を分析する前に、
い。かつては、株主のみならず労
どう生きたいのかということこそが
働者も豊かになろうという企業ス
戦略の本質である。そういう思いが
テーツマンシップが機能した時代も
ナレッジ学派の戦略論にはある。
あった。しかし、それも崩壊して、
最近の問題意識に関係させて言え
企業に民主主義と資本主義のバラン
ば、ロバート・ライシュが『暴走す
スを回復させる力は期待できない。
る資本主義』
(東洋経済新報社)を書
個人が復権できるような制度をつく
いた。彼はクリントン政権の労働長
れ、法人格を廃止しろということ
官を務め、現在はカリフォルニア大
なのだ。
学バークレー校の政治学部の教授
しかし、それは非現実的でわれわ
である。
れの考えとは違う。果たして日本の
日本から発信する
新たな企業理論
野中郁次郎 私と経営学
200901 23
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