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「海難1890」上映会 - ノースアジア大学総合研究センター

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「海難1890」上映会 - ノースアジア大学総合研究センター
岡田 裕介氏 講演会 映画よもやま話Ⅲ
「海難1890」
上映会
開催日時 11月4日㈬ 午後1時∼4時30分(開場 12時30分)
会 場 秋田県児童会館 けやきシアター
◆プロフィール◆
現 職 東映株式会社 代表取締役グループ会長
株式会社テレビ朝日 取締役
東映アニメーション株式会社 取締役
ノースアジア大学 教育諮問会議委員
ノースアジア大学 総合研究センター 客員教授 岡田裕介氏講演会 「映画よもやま話Ⅲ」
毎年恒例となりました「映画よもやま話」の第三弾です。
みなさまが普段ご覧になっている映画は、監督や俳優、様々な役割を担ったスタッフたちの技術や
想像力、そして熱意の結晶です。たくさんの感動をもたらす映画の、実際の製作現場には、数多くの
エピソードがあふれています。そんな映画の裏側を皆様に少しだけお見せ致します。
12月5日(土) 全国公開
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【INTORODUCTION】
オザル首相の英断により、救援機がテヘラン空港へと向かった。こ
アジアとヨーロッパにまたがるトルコ共和国。かつてオスマン帝
のとき空港に集まっていた日本人は攻撃の 2 時間前にテヘランを
国として歴史に名を刻んだこの国と日本は、長きにわたって交流を
脱出することに成功。その陰には自国機が到着したのにもかかわら
深めてきた。日本トルコ友好 125 周年を迎えた今年。両国の絆の
ず苦境に立つ日本人の搭乗を優先させてくれた、トルコ人たちの真
深さを映し出す、史実を基にした二つの物語が映画となって誕生す
心があった。
る。
困難な状況の中にあって名誉や見返りも求めず、ただ目前の人を
1890 年9月、オスマン帝国の親善訪日使節団を乗せた軍艦「エ
救おうと行動を起こした 125 年前の日本人たちと 30 年前のトル
ルトゥールル号」は帰国の途中、和歌山県樫野崎(現:串本町)沖
コ人たち。その勇気と誠意を映し出した真実のドラマが、日本の外
で台風に遭遇し、船が大破して沈没。乗組員 600 名以上が嵐の海
務省後援、トルコ政府全面協力という両国の国家的支援を得て、壮
に投げ出され、500 名を超える死者を出す当時としては世界的に
大なスケールの合作映画として描かれる。
も類を見ない、未曾有の大惨事となった。このとき荒れ狂う海で一
映画は「エルトゥールル号海難事故 ( 以下、
エルトゥールル号編 )」
刻を争う生命の危機にさらされたトルコ人を目の当たりにした地元
と「テヘランでの日本人救出 ( 以下、テヘラン救出編 )」、二つのエ
住民たちは、漂着した人々を海岸の険しい岩場から担ぎ上げ、台風
ピソードで構成されている。
「エルトゥールル号編」には、内野聖
の影響が残る高波の中に身を投じて漂流者を助け上げて、献身的な
陽が海難事故に遭遇した医師・田村役で主演。グローバルな視点も
救助活動を行った。これによって乗組員 69 名の命が奇跡的に救わ
持つ、豪胆で心優しい明治の日本人を体当たりで演じている。他に
れたのである。見ず知らずの外国人を、危険も顧みず不休で助けた
も海難事故で生き残ったエルトゥールル号の乗組員で、樫野の人々
彼らの行動はトルコの国民に感銘を与え、その歴史的事実は教科書
の温かさに触れていくトルコ人・ムスタファにケナン・エジェ、心
にも取り上げられて後世まで伝えられている。そしてこの救命活動
に傷を負いながらも田村の助手として人命救助のため健気に働くヒ
こそが、トルコと日本が友情で結ばれる原点となったのだ。
ロインのハルを忽那汐里が演じる。またケナン・エジェと忽那汐里
それから時を経た 1985 年3月。イラン・イラク戦争が勃発し、
は「テヘラン救出編」にも出演し、二役に扮しているのも見どころだ。
サダム・フセインはイラン上空を飛行する航空機に対して無差別攻
さらに「エルトゥールル号編」には夏川結衣、小澤征悦、大東駿介、
撃の開始を宣言。各国が救援機を飛ばして自国民を脱出させる中、
竹中直人、笹野高史らが、トルコからはアリジャン・ユジェソイが
その頃日本ではイランへの定期便を持っていなかったこともあっ
出演。「テヘラン救出編」には永島敏行、宅間孝行らが出演するなど、
て、日本政府は救援機の派遣を即断できない状況にあった。テヘラ
国際色豊かで芸達者なキャストが顔を揃えている。
ンに残された邦人、215 名。成す術もなく、
攻撃までのタイムリミッ
監督は「利休にたずねよ」でモントリオール世界映画祭最優秀芸
トが迫る。日本大使館では多くの人命がかかる緊迫した事態を打開
術貢献賞を受賞した田中光敏。今回も小松江里子の脚本を得て、撮
するため、官民一体となってトルコへ日本人救出を依頼。トルコの
影監督に「エディット・ピアフ∼愛の讃歌∼」でセザール賞撮影賞
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内野聖陽 ケナン・エジェ 忽那汐里 アリジャン・ユジェソイ
小澤征悦 宅間孝行 大東駿介 渡部豪太 徳井優 小林綾子 螢雪次朗 かたせ梨乃
夏川結衣 永島敏行 竹中直人 笹野高史
監督:田中光敏 脚本:小松江里子
公式サイト http://www.kainan1890.jp
を受賞するなど国際的に活躍する永田鉄男を迎え、伝統に裏打ちさ
発音を聞いた住民たちは、岸壁で漂着した膨大な数の死体と船の残
れた高い技術を持つ東映京都撮影所のスタッフ、トルコで映画・T
骸を発見する。住民は総出で救出活動を行い、田村とハルは救護所
V作品を手掛ける制作プロダクション、ボジェッキ・ヤプムのスタッ
でけが人の手当てに追われる。救護所に運び込まれた海軍機関大尉
フと共に雄大で美しい映像を作り上げている。
のムスタファ ( ケナン・エジェ ) は呼吸が止まっていたが、ハルの
撮影は昨年 12 月に京都から始まり、淡路島、そして 125 年前
懸命な心臓マッサージで息を吹き返した。翌日、生き残った乗組員
に海難事故が起こった和歌山県串本町に建てられた当時の漁村を再
は 69 名と判明。実に 500 名以上が犠牲になった大惨事だった。
現したオープンセットなどで、約2か月行われた。その後、撮影の
自分が生き残ったことに罪悪感を覚えて苦悩するムスタファは、や
舞台をトルコに移し、イスタンブールでトプカプ宮殿敷地内のアヤ・
り場のない怒りを田村にぶつけた。田村は漂着物を綺麗に磨いて、
イレニ、15 世紀から東西交易で栄えたマーケットのグランド・バ
母国の遺族に返そうとする村人たちの姿をムスタファに見せる。ム
ザールなど、撮影許可が滅多に下りない歴史的建造物でのロケも敢
スタファの胸には、人を想う日本人の深い真心が刻まれた。
行。また港町のアンタルヤには全長 300 mの「エルトゥールル号」
1985 年のイラン・テヘラン。空爆が続く地下避難壕でトルコ
の甲板セットを作って、沈んでいく船を懸命に守ろうとする船員た
大使館の職員ムラト ( ケナン・エジェ ) と日本人学校の教師・春海 ( 忽
ちの姿をリアルに描くなど、時にはエキストラを併せて約 1000
那汐里 ) は出会った。やがてサダム・フセインが 48 時間後にイラ
人を使った大掛かりな撮影を約2か月行った。
ン上空を飛行するすべての飛行機を無差別攻撃すると宣言。日本大
日本とトルコ、9000km はなれた両国の人々が育んできた友情
使・野村 ( 永島敏行 ) は救援機を要請するが、日本では迅速な対応
と絆。政治、経済、宗教に対する考えの違いから、他国に対する疑
が難しい状況にあった。その間にも他の国々では救援機が到着し、
心暗鬼の心が膨れ上がりつつあるすべての現代人に観てほしい、人
徐々に日本国民だけが取り残されていく。日本から来た技術者・木
が人を想う気持ちが叶えた奇跡と希望を映し出す大作である。
村 ( 宅間孝行 ) は、イラクからの砲撃が続く状況に危機を感じなが
らも、すでに家族と脱出を諦めていた。だが春海は子供たちを救う
ために奔走し、野村にトルコに救援機を頼むように進言。野村の要
【STORY】
1890 年の和歌山県紀伊大島樫野(現:串本町)
。この地に暮ら
請を受けたトルコのオザル首相は、救援機を飛ばすことを承諾する。
す医師・田村 ( 内野聖陽 ) は、貧しい者を親身になって診察するこ
ところがテヘランの国際空港には日本人の他に、救援機を待つトル
とから村民の信頼を集めていた。彼の傍には許婚を海難事故で亡く
コ人たちで溢れていた。その状況を見た木村たち日本人は、飛行機
したショックから口がきけなくなったハル ( 忽那汐里 ) が、いつも
に乗ることを諦めかける。そのときムラトはトルコ人に対して、か
助手として就き従っている。同年9月、日本への親善使節団として
つて日本人から自分たちが受けた真心の歴史を語り始めた……。
の使命を終え、帰路についたトルコのエルトゥールル号は台風に遭
遇した。暴風雨の中、船は樫野崎沖で沈没。島中に響き渡る船の爆
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