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ー8 愛用のピアノ 児童生徒用書の説明

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ー8 愛用のピアノ 児童生徒用書の説明
18 愛用のピアノ
l児童生徒用吾の説明
この教材では、坊田幕真の業績と彼の目標に向かっての苦労と努力を考えさせることができます。彼の
生計は楽ではなかったと推測できます。学費や寮費が無料であった師範学校に行っていること、ピアノも
新しいものではなく、中古を買ったものと思われることからです。ふるさとに繋がる人から援助もあった
ようです。
大正デモクラシーという大衆に開かれた時代とはいえ、それは受け手にとってであり、東京での作曲や
音楽教育の世界は、学歴がものをいう時代でした。東京音楽学校や東京高等師範学校の出身でなかった彼
にとっては、才能、情熱そしてかける時間だけが彼らに対抗できる武器であったと考えられます。強い味
方は再度の東京行きを決心させ、彼の創作や研究活動を支えた妻のぶ子の協力でした。彼の人生の前半は、
時代が支えとなりましたが、後半はむしろ時代や病気との闘いだったともいえます。最後まで初志を貫い
ているのは、敬服に値することだったといえます。
】l道徳内容項目との関係(例)
1(2)より高い目標を立て、希望と勇気をもってくじけないで努力をする。
3(3)美しいものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ。
川 補足資料
1坊田毒真の生涯
明治35年(1902)
本庄相川角に生まれる
明治42年(1909)
本庄北尋常小学校入学
大正2年(1913)
熊野尋常高等小学校入学
大正6年(1917)
同校卒業 広島県師範学校入学
大正9年(1920)
同校卒業 小屋浦尋常小学校就職
大正10年(1921)
畑賀尋常小学校に転職
「赤い鳥」に投稿、「推奨曲譜」として掲載される
大正11年(1922)
大正12年(1923)
大正13年(1924)
音楽専科に免状を得る。最初の上京 「赤い鳥」に掲載される
(関東大震災)呉に帰る
二河尋常小学校に就職 「赤い鳥」に掲載される
三宅のぶ子と結婚
昭和4年(1929)
昭和7年(1932)
再び上京 麻布三河台尋常小学校に就職のぶ子は江東尋常小学校に就職
「やさしい独唱と輪唱集」厚生閣
坊田編「日本郷土童謡名曲集」東京岡田日柴堂
昭和9年(1934)
「心理化・作業化・唱歌総合教育」
昭和10年(1935)
「坊田毒真作曲集」詩と歌謡の社
昭和13年(1938)
「日本子守唄集」
昭和14年(1939)
「やさしい初等合唱と輪唱曲」東京新音楽出版社
帰郷(呉市)土肥高等女学校に就職
ー60一
昭和15年(1940) 「やさしく唄える国民合唱曲集」「日本旋律と和声」を執筆
昭和16年(1941) 同上(復刻出版は昭和41年、音楽之友社)
昭和17年(1942) 没する
2 坊田鳶真による主な作曲 ()は作詞者
乳母車・赤い絵日傘(富原薫)
雪こんこお馬(権藤はな子)
はだかん坊(大野加牛) はぐれ島(野口雨情) くれがた(竹下夢二)
水がめ(林柳波) 兎の手(渡田虞介) 子雀・おや雀(相馬御風)
3 坊田轟真の先生・交友
(1)高野辰之 明治5年(1872)長野県下水内郡豊田村に生まれる。農家の息子だったが、農業を選ばず
に国文学者になった。彼は長野師範学校を卒業後、東京音楽学校の教授を務めながら、日本の歌曲や演劇
の研究をした。明治後期から大正前期にかけて、文部省「尋常小学唱歌」の編集委員として活躍した。文
学博士でもあった。代表作に「ふるさと」「もみじ」「春が来た」がある。
(2)葛原しげる 明治19年(1886)広島県深安郡神辺町に生まれる。明治41年に東京高等師範学校を卒業
後、学校で講師を務めつつ、児童雑誌「小学生」の編集や作詞に打ち込んだ。「とんび」「キューピーさ
「夕日」「村祭り」など文部省唱歌の作詞をしている。
戦後は芦品郡新市町に創設された至誠高等女学校の校長を14年間務め、退職後は東京に住所を移した。
昭和36年、75歳で没した。
(3)小松耕輔・草川信 葛原しげるを通して、この両名を知る。東洋音楽学校で二人に師事して作曲の道
を大きく踏み出すことになる。両者はともに東京音楽学校の卒業だが耕輔は器楽科、信は師範科卒である
この時期は芸術音楽の第2期で民族的・伝統的な音楽表現への要求が表面に現れている。小松耕輔、簗田
貞、藤井清水、坊田幕真、中山晋平、葛原しげる等、国民音楽を創造しようとしたメンバーである。
参考資料
乗 道人
野口雨情 詩と民謡の旅
踏青社
1995年10月31日発行
淵 真書 楽聖 山田耕作を囲む人々 赤とんぼの会 平成8年6月9日発行
飛鳥寛粟
それは仏教唱歌から始まった 樹心社
1999年12月28日発行
lV 道徳学習指導案
主題名「愛用のピアノ」
1 内容項目
1−(2)よりよい高い目標を立て、希望と勇気をもってくじけないで努力する。
3−(3)美しいものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ。
2 資料名
①ビデオ「坊田かずまの世界」熊野町教育委員会所蔵
(参「坊田幕真の生涯」(補足資料1)
③「愛用のピアノ」(児童生徒用書)
④「坊田裏真による主な作曲」(補足資料2)
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3 ねらい
郷土の生んだ童謡作曲家坊田かずまは、どんな童謡の作曲をしているか、どんな生き方をしているか
を知り、病魔におかされながらも自分の仕事をやり遂げたその行いを学んでいく。
4 学習過程
支援と指導上の留意点
学 習 活 動
・補足資料で読み物から話し合いにする方
導 1「坊田かずまの世界」のビデオを見て感
入
勤したことを話し合う。
法もある。
2坊田かずまは、どういう思いで作曲した
・補足資料の「坊田かずまの世界」をプリ
かをグループごとに話し合い発表する。
展
3坊田かずまの作曲した童謡をビデオに合
開
ントして児童の話し合いの参考にさせる
方法もある。
・事前に、坊田かずまの童謡を録音して、
わせて合唱してみる。
テープによる試聴も可能である。
・「愛用のピアノ」を読ませ、「主な作曲」
4坊田かずまは子どもの遊びの中でいっで
も楽しく歌える童謡を作りたかったこと (補足資料2)で補う。
終
末
が分かる。
・・−…一
熊野町郷土館 −・・−・・−・・−・・−・−−・・−・・一・・−・・−・・−=−・・−・・−・・−・・−・・
l 熊野町郷土館は、大正時代の初期、呵の中心街で栄えた造り酒屋を譲り受け、昭和52年
(19ワ7)に開館しました。「筆の都」を誇りとし、都市化により昔の面影が失われる中で、
祖先の生活、産業、文化を伝える用品、筆と書道文化に関する用品等を保存展示し、後世
に伝えていく施設です。
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