Comments
Description
Transcript
2012年3月12日(9号)
2012年3月12日(9号) 小樽と言えば何を思い出すでしょうか。まずは有名な小樽運河、ガラス工芸 (北一ガラス)、お寿司(寿司屋通りの地名もあります。小樽は回転寿司も本物、旨くて安い)、そして最近 ではスイーツの街としても人を集めています。昔、北海道支社に勤務していた時、職場の仲間が、今の小 樽は自分が知っている小樽と変わってしまった、違う街にいるようで寂しい。その話を聞いてから20年、小 樽は古き良き物を残しながら、更に進化していたのです。野口雨情、石川啄木が暮らし、石原裕次郎が幼 少期を過ごした小樽は、北のウォール街として、日本銀行や旧日本郵船の小樽支店などの観光名所が数 多くあります。今昔を合わせたミニ観光案内と、童謡「赤い靴」と小樽について紹介したいと思います。 ① 重要文化財旧日本郵船小樽支店 明治39年に建てられた近世ヨーロ ッパ復興様式の建物、ロシアと国境策定会議がここで行われました。 ② 流氷凍れ館 マイナス15度前後に保たれた氷の世界を体験できます。 ③ 北一ヴェネチィア美術館 ヴェネツィアに現存する宮殿がモデルです。 ④ 新日本海フェリーターミナル 2万トン級 のフェリーが2隻同時に着岸できます。 フェリーは動くホテルです。ターミナルビ ルにはレストランや温泉施設もあります。 ⑤ 小樽運河ターミナル 大正11年築、旧三菱銀行小樽支店。欧風の建 物を再利用した商業施設。土産店やレストランがあります。 ⑥ 出抜き小路 荷物を積んだ馬車が倉庫から出る通路だったことに由来。 軟石木骨造りの倉庫が小路を挟み、小樽運河 の歴史を語る看板が架かっています。今は飲食店街の路地になっています。 ⑦ 小樽運河 大正時代に沖合いを埋めて造 られた全長約1140m、幅40mの運河で、 周辺倉庫の内部はレストラン「俺の小樽」 や土産店などの商業施設となっています。 運河の南側は幅20mで、散策路が設けら れており、北側のみ当初の40m幅が残さ れていて、小型漁船などが係留、昔の小 樽運河のイメージがうかがえます。 ⑧ 日本銀行旧小樽支店金融資料館 明治45年に完成、「北のウォール街」と呼ばれた当時の小樽の面 影を残す歴史的な建物です。今は資料館で金融の仕組みや大金 庫内を見学。1億円のお札の重さ(結構重い)を体験できます。 ⑨ 旧三井住友銀行小樽支店 昭和2年築の小樽の代表的な歴史的 建物のひとつです。小樽で最初に鉄骨鉄筋コンクリートで建てられ た建物で、外壁には、北米産の花崗岩が使用されています。 小樽には明治~昭和初期の建物が多く残されていて、観光 MAP を手に歴史的建物巡りをするのも楽しいと思います。 ⑩ にしん御殿小樽貴賓館 祝津三大網元のひとり、青山政吉と娘、政 恵が建てた豪邸で有形文化財。今は高級お食事処、美術館です。 ⑪ 北一ガラス花園店 ガラスの表面に切り抜きシールを張り、砂を吹き つけ絵付けするサンドブラスト体験が出来た上、土産になります。 ⑫ 石原裕次郎記念館 1991年開館。幼少の一時期を小樽で過ごした 事が縁で記念館が建てられた。愛車、衣装、ポスター等が展示され、 部屋や別荘も再現。また、1階には TV ドラマ「西部警察」で使われた 機関銃付きのスポーツカー、オートバイ等が展示されています。 ⑬ 北海道ワインおたるワインギャラリー 道内産ブドウだけを使うことに こだわり、濃縮果汁を一滴も混ぜないワインや各種チーズ・スモーク等を販売しています。 ⑭ おたる水族館 北の海や川の生き物を中心に250種5000点を飼育、展示しています。 ⑮ 運河プラザ 旧小樽倉庫は明治26年築の歴史的建物。最新の観光情報は、ここでキャッチできます。 ⑯ 小樽天狗山ロープウェイ 山麓駅と山頂レストハウス を約4分で結んでいます。山頂には4つの展望台が あります。函館山、札幌の藻岩山、小樽の天狗山が 北海道の3大夜景ポイントです。 ⑰ 小樽海上観光船 おたる水族館や鰊御殿などの祝 津航路2コース、断崖絶壁が続くオタモイ航路3コー スの周遊が楽しめます。 ⑱ 小樽市総合博物館 市の歴史と自然、北海道の交 通史、科学技術をテーマにしています。旧・小樽市 博物館は運河館と改称されています。 ⑲ ウイングベイ小樽 旧マイカル小樽は、1999年3月11日 にオープンしました。JR小樽築港駅に直結した国内最大 級の複合施設で、アウトレットタウン、モールや映画館、冬 期間も運行可能な大観覧車や多彩なイベント等が楽しめ ます。石原裕次郎記念館は、このウイングベイの隣です。 小樽観光MAPを添付しました。小樽名所は、1日では回りき れません。1泊して運河と天狗山の夜景を見て、2日がかりの 散策をお勧めします。 文章、写真撮影、片桐信和。写真⑯、 ⑲は、インターネットの各ホームページから引用しました。 ◆小樽のスイーツの新名所ルタオ 小樽に新しいスイーツの名所ができまし た。LeTAO(ルタオ)です。小樽(オタル) を単に逆さ読みしてルタオになったので はありません。フランス語で「小樽の親愛 なる塔」=Le Tour Amitie Otaru の頭文字 から名付けられました。塔の最上階は展 望室となっています。ルタオは小樽に2店 舗(本店、ルタオプラス)があり散策に疲 れた時、スイーツが体と心を癒します。 ◆童謡「赤い靴」と小樽 (運河公園に赤い靴の親子像、女の子は横浜の港から船に乗っていなかった) 野口雨情・本居長世のコンビによる名作。小さな女の子が外国人に連 れられて行ったというミステリアスな童謡は、発表以来、さまざまな憶測が 飛び交いましたが、雨情の不遇時代、ある北海道開拓民と知り合ったこと が作詞の発端です。雨情は童謡作家として名をなす前は北海道にいたこ とがありました。同地の北鳴新報に勤めていた時、雨情は鈴木志郎なる 人物と声をかわすようになりました。鈴木は、北海道の開墾地へ働きに来 たものの失敗、そののち北鳴新報に職を得た人でした。鈴木には妻がい て、その妻(岩崎かよ)は再婚で、鈴木と結婚する時、前夫との間に生ま れた子ども「岩崎きみ」(明治34年静岡で誕生)を留寿都村入植する際、 アメリカ人宣教師チャールズ・ヒューエット夫妻の養女にしました。きみは この時3歳でした。我が子を手放さなければならないほど開墾地での生活 は苦しかったのです。開墾をあきらめた鈴木志郎夫妻が札幌に出たのは 明治40年のことでした。この時、夫妻と出会ったのが野口雨情でした(鈴木は41年には小樽日報で石川啄木とも出会っ ています)。生きるためとはいえ娘を手放した夫妻の事情は、生後7日で娘を失うことになる雨情自身の悲しみと絡み合い、 「赤い靴」が、そして「シャボン玉」が生まれました。 しかし、きみちゃんは、歌にあるように外国人に連れられて海を渡った わけではありませんでした。親たちは宣教師と一緒にアメリカへ旅立ったとばかり思っていたようですが、彼女は結核を患 い、東京は麻布にあった鳥居坂教会の孤児院で一人、闘病生活を送っていたのです。それは彼女が6歳から9歳のひっ そりと息を引き取るまでの間のことでした。(赤い靴の話:インターネットから転用 http://jin3.jp/kimi/otaru.htm)