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変わるもの・変わらないもの・ 変えてはならないもの

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変わるもの・変わらないもの・ 変えてはならないもの
高校を卒業し、昭和 六 〇 年 よ り 数
た平秀明です。昭和 五 四 年 に 麻 布
この四月から麻布 中 学 校 ・ 麻 布
高等学校の校長に就 任 い た し ま し
な、本質に関わ
蝶になるよう
さらに羽化して
虫が蛹となり、
せん。それは青
変化ではありま
ような生易しい
しくなるという
るとか、大人ら
身体が大きくな
る」といっても
さて、学校という所、それは生
徒 が 変 わ る 場 で あ り ま す。「 変 わ
げます。
る大変化です。
た。どうぞよろしくお願い申し上
時代は五年間校務主任を務めまし
務主任を、氷上信廣先生が校長の
隆尾先生が校長の時代は四年間教
大賀毅先生でした。その後、根岸
た偏差が生じることは確かです。
替わり、年月が経つと時代に応じ
て生徒は一年ごとに少しずつ入れ
徒一人ひとりは日々成長し、そし
においては変化していません。生
化したように見えても、その本質
り、あるいは政治化したり、退廃
服装や髪型など見た目が変わった
げると、麻布生は時代に応じて、
いう質問でした。結論から申し上
と今とで麻布生は変わったか」と
の中で特によく聞かれたのは、「昔
トであったろうと思われます。そ
人となりを知りたいとのリクエス
ました。新しい校長の教育方針や
いろいろな場にご招待をいただき
校長となって半年、この間、卒
業生の同期会、部のOB会など、
いえるでしょう。
という営みに携わっているのだと
化を期待し、楽しみとして、教育
たち教員は生徒のこのような大変
人生における礎ともなります。私
時代の成長・変化はその後の長い
もいえる時代です。そして、この
受ける、人間として第二の誕生と
あるいは社会からも多大な影響を
輩・後輩との出会いがあり、教師
躍 的 に 広 が り、 多 く の 友 人 や 先
る状況が格段に増えてきていま
保護者については、やはり少子
化の影響でしょうか、学校に関わ
てしまいました。
比寿に出来た高層ビルの陰に隠れ
越しに望めた「富士の白雪」も恵
ことはありません。遙か西、丹沢
波の緑」は私が在学中から見えた
ビルだらけです。校歌一番の「筑
います。屋上に立つと周辺は高層
北には六本木ヒルズが聳え立って
善福寺裏に出来た元麻布ヒルズ、
唯一の点景でしたが、今や南には
に東京タワーが屹立しているのが
す。グランドに立てば、以前は東
の変化は激変とも言えるもので
しかし、これまでの学校の変化
に比べれば、学校を取り巻く環境
景観が大きく変わります。
が考えられています。学校自体の
む新館をも視野に入れた建て替え
技術・芸術棟や理科棟、講堂を含
さらに将来的には、
現体育館跡地、
なった現体育館は解体されます。
に五〇年余にわたってお世話に
た。二〇一五年春に竣工し、同時
に新体育館の建築が始まりまし
この一〇月から創立一二〇周年
記念事業の一環として、グランド
たり、
教員集団であったりします。
であったり、保護者の意識であっ
であったり、学校を取り巻く環境
月で大きく変わったものは、学校
わっていません。むしろ、長い年
てゆく生徒という主体自体は変
きたくお願い申し上げます。
布の教育の営みを見守っていただ
きに続けていくことです。ぜひこ
体力・人間力を磨く努力をひたむ
師が、愛と誠を基いとし、学力・
来」の精神を心に刻み、生徒と教
原 素 六 先 生 が 掲 げ た「 青 年 即 未
はならないもの、それは創立者江
は厳然と存在しています。変えて
てはならないものが麻布の教育に
状況がどんなに変わっても、変え
激に変わってきています。
しかし、
は時にゆっくりと、そして時に急
このように、生徒の本質は変わ
らぬものの、生徒を取り巻く状況
大きな課題となるでしょう。
な先生方にいかに麻布の良きDN
ません。今後は、新任の若く優秀
ことにより失うものは少なくあり
えてきた先生方が一斉に退職する
学園紛争以来、麻布の屋台骨を支
を超す入れ替わりとなりました。
ま し た が、 こ の 四、五 年 で 三 〇 人
ら、人員が徐々に入れ替わってき
教員集団については、一〇数年
前に六五歳定年制が敷かれてか
本人の成長を阻んでいるように見
身の思いを先回りして、かえって
面、子どもへの思いが、子ども自
す。大切にされているなと思う反
過剰になっている気もいたしま
す。子どもにかける期待や思いが
卒業した時、着任し た 時 の 校 長 は
校長 平 秀明
れからも、これまでと同じく、麻
Aを受け継いでいってもらうかが
受けられることもあります。
学科の専任教諭とし て 本 校 に 二 八
中学・高校時代
しかし、少年から青年へと変わっ
変わるもの・変わらないもの・
年間勤めてまいりま し た 。 私 が 入
は、勉学や読書
変えてはならないもの
学した時の校長は海 野 昌 平 先 生 、
により世界が飛
第16号
麻布の丘に
(1) 2013(平成25)年10月15日
広報誌
2013年10月15日
発行
第 16 号
〒106-0046
東京都港区元麻布
2-3-29
Tel03-3446-6541
Fax 03-3444-2337
麻布学園
HP:URL
http://www.azabu-jh.ed.jp/
三は選択です。以下、小教科の内
漢文は中三から高二まで必修、高
文と込みで選択となっています。
中二から高二まで必修、高三は漢
現行のカリキュラムは、現代文
は中一から高三まで必修。古文は
ています。
女、バランスのとれた布陣となっ
員も三人という、まさしく老若男
です。六〇代から二〇代、女性教
古文二人の講師、合計十五人体制
教員構成は、現代文七人、古文
四人、漢文二人の計十三人の専任、
能力を引き出すために様々な工夫
『夢十夜』
)
、 な ど、 生 徒 の 興 味 と
書き出しで創作させる(夏目漱石
い』
)
、さらには、有名作品と同じ
さ せ る( 星 新 一『 お ー い 出 て こ
末をブランクにして、自由に作文
伝』
)
、または、意図的に作品の結
ビ デ オ 鑑 賞( 例・ 中 島 敦『 名 人
いうことではなく、音読、聴解、
ろん、これらの作品をただ読むと
の作品に触れさせています。もち
家や外国文学など幅広いジャンル
力の集大成であるとともに、本文
中学国語の語彙力、読解力、表現
論文を提出させています。
これは、
二 〇 枚 を ノ ル マ と し て、 平 均 一〇〇枚(二〇〇ページ)程度の
分析、討論を重ね、原稿用紙一人
六名の班員で、一年かけて読解、
が自由に作品を選択し、三名から
や、外国文学のリストから生徒達
担当教員が作成した日本近代文学
卒業共同論文」です。年度ごとに
これらの中学校の「国語」の集
大成が、中三に課している「中学
間」とは何か、ということに関し
るとともに「自分」とは何か、「人
ています。格調高い日本語に触れ
し、じっくり読み込む授業を行っ
書にあるようなダイジェストや一
ころ』に関しては、一般的な教科
であり、
森鷗外『舞姫』です。
『こ
みます。
それが夏目漱石
『こころ』
代文の集大成として長編小説に挑
う時間をフルに活用し、麻布の現
に高二においては、週三時間とい
論理的に他人に伝え る と い う 訓 練
沿って深く思考し、 自 分 の 考 え を
トを正確に読み込み 、 問 題 意 識 に
い、品詞分類、用言の活用、助詞、
中一でオリジナルのテキストを用
ます。特に、口語文法に関しては、
思考を必要とする教材も扱ってい
また、文章読解のみならず、詩
歌や口語文法など、感性や論理的
を重ねています。
もあると位置づけています。
書写(麻布では芸術)の集大成で
筆で作成させることを必須とし、
はペンによる手書きで、表紙は毛
高三は基本的には大学入試に向
けた入試問題演習が中心となるこ
す。
ら「自分」や「人間」を見つめ直
や国家における個人という観点か
よって、文語文を味わいつつ時代
て深く考察し、さらに『舞姫』に
部の読解ではなく、文庫本を使用
語力の涵養を目指しています。特
国語という教科に お い て は 、 言
葉の持つ「伝達機能」
「認識機能」
容を紹介いたします。
が中心となります。 麻 布 の 国 語 科
助動詞の意味や働き、といった具
澤賢治、太宰治などから、現代作
「抽象機能」をバランスよく生徒
では、既成の教科書 類 で は な く 、
体的な内容を徹底させることに
る、真の国語力を身 に つ け さ せ た
い人生における人間形成に資す
いうレベルではなく 、 そ の 後 の 長
ます。単に大学入試 を 突 破 す る と
激しようという意図 も 含 ま れ て い
背伸びをさせて、知 的 好 奇 心 を 刺
することもしばしば で す が 、 少 し
学レベルの内容まで 踏 み 込 ん だ り
高校の教材を扱った り 、 高 校 で 大
制定しています。結 果 的 に 中 学 で
近代作家、例えば、夏目漱石、森
眼に置き、主として古典的な日本
楽しさを味わってもらうことを主
段階では、まずは本を読むことの
です。具体的には、中一・中二の
感性と論理的思考力を育むこと」
幅広い人間理解とともに、豊かな
ルの文章に触れることによって、
中学三年間のカリキュラムの基
本 コ ン セ プ ト は、「 様 々 な ジ ャ ン
〈現代文〉
ます。
念を身につけさせたいと考えてい
ながる基礎力を養うとともに、「言
とは否めません。ただ、実際の入
試問題をこなすだけでなく、可能
な限り麻布のオリジナル問題に
よって様々なジャンルの優れた文
章を読ませるように心がけていま
す。週二時間の授業で、解答した
上で提出させ、担当教員が採点、
を扱い、視野を広げ、教養を深め
て、主に様々なジャンルの論説文
高校では、中学時代に培った語
彙力、読解力、表現力を基盤とし
演習には真剣に取り組んでいま
なかった生徒達も、さすがにこの
まで現代文の授業はあまり熱心で
で問題演習を行っています。それ
添削し、次の授業で返却して全体
るとともに、常に問題意識を持っ
す。
(杉山雅彦)
授業で解説をするというスタイル
て、論理的に思考できるような国
中学3年・卒業共同論文
に身につけさせるた め に 、 テ キ ス
オリジナル教材や、 文 庫 、 プ リ ン
い、それが麻布の国 語 科 教 員 の 共
鷗外、芥川龍之介、志賀直哉、宮
葉」とは何か、という抽象的な概
通の思いです。
中学1年・文法テキスト
すことが可能となると考えていま
ト教材を用いた、各 学 年 に お け る
よって、中二からの古典文法につ
麻布の
国語授業
発達段階に応じたカ リ キ ュ ラ ム を
第16号 (2)
麻布の丘に
2013(平成25)年10月15日
授業担当者や年度によって若干
異なることもありますが、基本的
には、中三は、返り点、置き字、
再読文字といった、基礎中の基礎
から始めます。
それが終わったら、
中二から高二まで は 必 修 で す 。
高三は選択制ですが 、 毎 年 二 五 〇
〈古文〉
試験対策を行い、二学期から受験
夏期講習で高三担当者がセンター
ます。受験指導としては、他にも
ます。二学期後半は国立大学の過
また、教養総合では毎年一名以
上の教員が担当し、くずし字を読
行っています。
過去問題を用いて入試問題演習を
「 絵 仏 師 良 秀 」 や「 猫 ま た 」 等 の
既成の教科書には必ずしもとら
われず、授業担当者の判断で、幅
〈漢文〉
思想や長恨歌を学びます。高二で
は、老荘思想や唐宋以降の散文な
どを学びます。高三では、主にセ
ンター試験や東京大学前期日程の
(鈴木弘一郎)
杉山(現代文)
松田(現代文)
伊佐治(現代文)
後藤(現代文)
安野(古文)
坂倉(古文)
廣瀬(古文)
中島(現代文)
青木(漢文)
中西(古文)
鈴木(漢文)
大石(現代文)
高一では一学期に「平家物語」
を 扱 い、 二 学 期 に は 和 歌(「 万 葉
集 」「 古 今 集 」「 新 古 今 集 」) を 鑑
賞します。年度によってはレポー
ト課題を課すこともあります。三
学期は「徒然草」を読んでいます。
高二では一学期に「伊勢物語」
で恋の世界に触れ、二学期に「枕
草 子 」「 大 鏡 」 で 平 安 中 期 の 世 界
を複数の角度から眺めます。三学
期には「方丈記」で思想に触れ、「奥
の細道」で俳諧の世界を堪能しま
す。
まず短い散文を読み、漢詩や論語
名ほどが選択してい ま す 。 い ず れ
んだり、通常授業で扱えない古典
を学びます。高一では、史記など
の学年も週二時間の 授 業 を 行 っ て
直前期まで、有志を対象に過去問
作品を少人数で精読したりしてい
高三は今までの学習の集大成と
して「源氏物語」を精読していき
います。
の添削指導を行っています。
ます。古典文法の復習講座も開講
短い文章にも触れる よ う に し て い
広い範囲の文献を教材として用
の長編の歴史物語と、諸子百家の
中二の古文では文 法 が 主 で 、 一
学 期 に 用 言、 二・三 学 期 に 助 動 詞
ます。また、三学期 は 百 人 一 首 を
い、生徒に教養を深め、視野を広
去問を用いた受験対策演習を行い
を勉強しています。 近 年 は 小 テ ス
十数首ほど扱い、試 験 で は 暗 記 を
大学入試にも対応できる能力を身
(中西翔)
課しています。
につけてもらうことを目指してい
高校1年・漢文テキスト
しています。
中三では一・二学期を通して(途
中 省 略 し な が ら も )「 竹 取 物 語 」
ます。
げてもらうとともに、最終的には
を通読します。三学 期 は 「 土 佐 日
するように心がけています。一方、
トや補習・追試等き め 細 か く 指 導
中学3年 高校1年・古文授業プリント
記」を扱います。
国語科専人教員
第16号
麻布の丘に
(3) 2013(平成25)年10月15日
小檜山(現代文)
聞き手 廣瀬・彦坂
︱岡本太郎記念現代芸術大賞特別
賞を受賞されたと聞きました
が、それは音の分野でですか、
それとも造形の分野でですか。
私達の生きた時代は、東京オリ
ンピックからバブル崩壊までの大
量消費の時代、軽薄に国中が躍っ
た時代からバブルが弾けたデフレ
の時代までを狂ったように走り抜
術界にもデザイン界にも音楽界に
も容易には理解してもらえなかっ
た。しかし西洋人の友人達にはす
ぐに私の意図していることが解っ
てもらえたようでした。その後、
ジューサーミキサー等のモーター
を使った家電とエレキギターの技
術を組み合わせたサウンドスカル
プチュアなどを制作するようにな
りました。岡本太郎賞の特別賞は
二〇〇二年に造形分野で貰いまし
た。私は、自分を「日本で自分が
生きてきた時代をバックグラウン
ドにやっている日本の表現者のど
真ん中だ」と思っているけれど、
どうも日本のコードが見えていな
い違和を感じていました。日本で
は私の仕事はなかなか理解しても
らえない。と言うより、近代史を
再構築して新しい物を作る作業は
日本ではまだ馴染みがない、と言
うべきでしょうか。
アートの才能は
根拠のない自信に裏打ちされているのだ
けた時代だったのです。消費社会
にコントロールされていた反省か
ら私はこの大量生産・大量消費の
物質文明を戯画化しようという意
図があったのです。ロックから始
まった私のアート、例えばロック
の文脈を背景に、オートバイのハ
ンドルで電子音を操作する「装着
する」彫刻作品「ラヴ・アーム」
( 図 版 ) な ど は、 最 初 は 日 本 の 美
10
今 回 は、 コ ン テ ン ポ ラ リ ー
アートの分野で、 こ つ こ つ と 自
分の世界を築きつ つ あ る 卒 業 生
を紹介します。十 四 号 、 十 五 号
で掲載した御二人 は 、 五 〇 代 も
半ばの貫禄を見せ て 下 さ い ま し
た。今回は、先の 御 二 人 よ り も
少しお若いのです が 、 同 様 に 貫
禄があり、社会的 に 十 分 認 め ら
れている芸術家で す 。 昨 年 ご 退
職された吉本義人 先 生 の 強 い 御
推薦もあって登場 を お 願 い し ま
した。自動車にカ ラ ー コ ー ン を
取り付け、ドラゴ ン の 口 に 見 立
て た り、 自 動 車 の ワ イ パ ー を
使った音楽とのコ ラ ボ を 企 て た
りと、楽しく面白 い 作 品 群 は 、
圧巻です。
うじの むねてる さん
昭和 年生。
昭和 年麻布高校卒。
昭和 年東京藝術大学美術学部工芸科卒。
平成 年第六回岡本太郎記念現代芸術大賞
特別賞受賞。
それまで活動はほとんど東京を中心に行っ
てきたが、平成 年のオーストラリアをか
わぎりに、ドイツ、イギリス、カナダ、ス
ウェーデン、ニュージーランド、イタリア、
アメリカ、オーストラリア、インドネシア、
中国、韓国、バングラディッシュ、台湾、
ウクライナと活動の場所を海外に広げ、約
都市で展示されるなど幅広く活躍してい
る。今年の春は箱根の森美術館にて個展を
開催、夏にはニューヨークで展示された。
30
15 63 57 39
インタビュー
麻布
さん
宇治野 宗輝
第16号 (4)
麻布の丘に
2013(平成25)年10月15日
撮影:M.KUROKAWA
︱麻布に入って良かったことは何
ですか。
周りが殆ど東大受験を狙ってい
た事です。私は勉強はほとんどせ
ずに授業中寝てばかりでした。バ
ンドを組んで、私はベースを受け
持ち文化祭でも演奏していまし
た。勉強では中学の時から落ちこ
ぼれでした。勉強の仕方が分かっ
ていなかったという事は大人に
なってから分かりました。その挙
句、勉強の出来なかった自分なの
に、プライドだけは人一倍強かっ
たので、競争心から、東大に匹敵
するのは東京藝大しかないと思
い、
「ゲイダイを受験する」と周
りに表明してかろうじてプライド
を保ち、一浪して工芸科に入学し
ました。次に、本当によかったと
思えるのは、麻布は教師が生徒を
管理しなかった点です。多くの麻
布生の親も、教師と同様子供を管
理しようという意識が少なかった
ように思います。生徒は一様に、
自分で自分を管理していました。
これが良かったのです。
︱麻布生に言っておきたいこ
とは何ですか。
話
今 し た よ う に、「 親 や 教 師
に任せないで、自己管理せよ」
ということです。自分のやり方
で物事に取り組み、その結果と
しての試行錯誤を繰り返すこと
で成長すると思います。
︱何を契機としてコンテンポラ
リーアートに入り込んだので
すか。
物質文明のリサーチを通し
て、大量生産の果ての消費社会
に踊らされていた馬鹿な自分を
再確認したからです。言い換え
れば、経済が感性も欲望もコン
トロールをしていた社会に不満
だった、ということです。アー
トの世界で何か出来るという自
分に対する自信がありました。
この根拠のない自信は、両親の
精神面物質面に渡る豊かな教育
の賜物と思って感謝していま
す。自分の仕事は、大正生まれ
の両親の思考や生活習慣と私の
育った時代とのギャップに因る
ものが大きいと思います。
︱今日はどうもありがとうござ
(廣瀬)
いました。
撮影:松蔭浩之
にのみ現役活躍中ですので(週末、
不動産の管理下に倶楽部会員向け
す。東の桜田通りからは、綱が手
に四方から坂を上ることができま
アプローチを学園側から紹介い
たしましたが、独立小丘陵のため
庭園の隣に残っています。
部南側のルネッサンス風幾何学式
つかったという伝説の井戸が倶楽
つな)に由来します。綱が産湯を
天王の一人、渡辺綱(わたなべの
の鬼退治で知られる、源頼光の四
曲「羅生門」や「酒呑童子」など
治期の香りを残す旧町名です。謡
盛岡町と同じく、綱町も江戸・明
が、前回紹介いたしました西町や
現・ 地 所 表 記 は 三 田 二 丁 目 で す
礎を築き、日本の西洋建築の創成
国人で、現・東京大学建築科の基
多数招聘された、いわゆる御雇外
建築設計は、洋式庭園を含め、
ロ
ジ ョ サ イ ヤ・ コ ン ド ル(
1852
来 日、 1920
東京
ン ド ン 生、 1877
没)です。コンドルは明治初期に
ます。
設計の広大な和風庭園になってい
占め、南側は京都の茶匠薮内節庵
側を今回紹介の建物と洋式庭園が
藩保科家の敷地だったもので、北
敷地、南側約六千坪は、もと会津
敷 地 総 計、 約 一 万 坪。 北 側 約
四千坪は、もと佐土原藩島津家の
が垣間見られます。
でしょう。無名坂からは日本庭園
名坂を上がって正門に回るとよい
オーストラリア大使館との間の無
町パークマンションを迂回して、
館を左に見て綱坂を下り、三田綱
おり、ロダンの彫刻、ターナーの
調度品も豪華ながらも落ち着いて
基調にしています。家具、什器、
調高い佇まいで、ルネサンス風を
す。色々な様式が融合調和した格
ドグラスのドームが輝いていま
見上げれば対照的な円形のステン
入ると楕円形の吹き抜けがあり、
スに彩られた玄関扉からホールに
二八七六㎡。正面のステンドグラ
に 建 造 さ れ て い ま す。 延 べ 面 積
て。他の邸宅と比べ、やや大ぶり
レート葺き、地下一階付き二階建
た の が 特 徴 で す。 煉 瓦 石 混 造 ス
の接客専用迎賓館として建てられ
倶楽部は住邸宅ではなく、三井家
宅群は皆よく似ていますが、三井
現・
岩 崎 彌 之 助 高 輪 邸( 1908
三菱開東閣)を含め、これらの邸
館)です。
助 邸( 現・ 旧 古 河 庭 園 大 谷 美 術
やや異色な一九一七年の古河虎之
ました。
大変お世話になりました。
で、隅々まで見学させていただき
今回は、三井倶楽部、予約部部
長の太田章博氏の特別なお計らい
人の偉業が偲ばれます。
合っていたことがわかり、その先
外国人や欧化近代化と深く連なり
その人なのです。麻布学園も御雇
橋柳太郎、旧教室棟を設計した、
計)に勤務していた、麻布卒の古
の慶応義塾三田キャンパスを設
達蔵の建築事務所(関東大震災後
生の辰野金吾と同期であった曾禰
た建築家こそが、コンドル第一期
成した」とあります。この大成し
~この少年は後に建築家として大
る少年を引き取って養育し~中略
来 日、 1956
東京没)が
生、 1890
紹介されています。その中に「あ
ウェールズ
ガ ン ト レ ッ ト( 1868
時より関わっていたエドワード・
巻」Ⅶ補遺〈歴史〉に、学園創立
麻布風土記
建物編 (第三回) 結婚式会場としては一般使用可)
、
に貢献しました。近年、東京駅大
中之橋からは神明坂。現在も三井
引 坂( つ な が て び き さ か )。 北 の
残念ながら内部は一般公開されて
綱町三井倶楽部
いません。敷地全体像を窺うには、
ています。目立たないところで純
前回は、武蔵野台 地 東 端 に 位 置
する高輪台の二本榎 消 防 署 を 紹 介
日本風の意匠が施され、見逃せま
ここに感謝いたします。 (
増永)
は、
その第一期の弟子になります。
せん。例えば、暖炉の大理石の構
絵画などもさりげなく館内を飾っ
数多く手掛けられた近代建築物群
えに雅楽や能を題材にした見事な
改修で脚光を浴びている辰野金吾
を大雑把に三期に分けますと、欧
綱が手引坂から南にイタリア大使
化政策の象徴となった鹿鳴館
いたしました。今回 も 、 そ の 北 方
向に延長した台地にある建物で
す。三井倶楽部は三 田 台 地 群 の 一
つ、小丘陵の上に建 っ て い ま す 。
浮彫が見られます。コンドルが画
こ の 後 期 末 期 に な り、 竣 工 は
庫十五「汝の馬車を星に繋げ―下
ます。前校長氷上信廣著、麻布文
最後に、学園の現・旧教室棟と
のささやかな繋がりを記しておき
う。
傾倒したことにも由るのでしょ
う号を与えられたほど日本文化に
家 河 鍋 暁 斎 に 学 び、
「暁英」とい
)は初期であり、ニコライ
( 1883
)の実施設計に関わっ
堂( 1891
た中期を挟み、後期は岩崎久彌茅
現・ 旧 岩 崎 邸 ) か
町 本 邸( 1896
一 九 一 三 年、 奇 し く も 今 年 丁 度
現・ 清 泉 女
ら 島 津 忠 重 邸( 1915
子大学本館)です。三井倶楽部は
一〇〇周年です。最後のものは、
南面様式庭園側
麻布学園から韓国大 使 館 方 面 に 仙
台坂を下り切ると、 麻 布 十 番 、 大
通りに交差し、古川 橋 か ら 北 に 曲
がり流れる古川に架 か る 二 の 橋 を
渡り、さらに直進し て 日 向 坂 を 、
右に共用会議所、オ ー ス ト ラ リ ア
大使館を見ながら登 る と 同 じ 並 び
に、立派な塀門の向 こ う か ら 荘 重
優美な建築物が眼に 飛 び 込 ん で き
ます。これが綱町三井倶楽部です。
楕円形吹き抜けとステンドグラス製ドーム
第16号
麻布の丘に
(5) 2013(平成25)年10月15日
は東京湾カントリークラブで4月
代・ 鈴 木・ 山 田・ 龍 崎 )。 春 合 宿
関東中学校選手権研修会(中1初
サークル連合に加 盟 し て い る ク
ラブの、昨年秋から 今 年 夏 休 み ま
3日~6日、夏合宿は東京湾カン
での活動状況をお知 ら せ し ま す 。
トリークラブで7月 日~8月2
年東京都高等学校選手権秋季大
月
日~
日(下級
日
(北岳)
)
。全
瀬ペア。
[軟式野球部]
年都私立中学校野球大会準優勝。
盤5位、高3馬鳥。
[オセロ部]
年名人戦中学生の部準優勝中3
本間、無差別の部5位高1木村。
年全日本選手権大会フリークラ
1位、決勝トーナメント5位。港
ル大会予選リーグ全勝でブロック
[音楽部]
本間。
ープン全勝優勝(四段昇格)高1
ス部門準優勝校2田坂。神奈川オ
年1月ニューイヤーコンサート。
区中学校新人戦準優勝、中学十一
、
港区中学校春季大会準優勝、
、港区中学校選
年4月文化祭にて
『麻布音屋』。
7月サマーコンサート。
[化学部]
年高3久保田、化学グランプリ
夏、国際交流の一環でガーナの高
で大賞受賞。文化祭で展示大賞。
会ともに都大会に出場。
校生と交流。
[管弦楽部部]
年9月第 回定期演奏会(於、
、3000m8位中
年私学大会中学200m4位中
布 区 民 セ ン タ ー)
。3月春期合宿
他。 月引退コンサート(於、麻
トーヴェン交響曲第7番イ長調
大田区民プラザ大ホール)
、ベー
秒 、中学4×40
[陸上競技部]
ール大会準優勝。
年都私立中学高等学校ハンドボ
[ハンドボール部]
年新人大会・春期大会・夏期大
[バレーボール部]
手権大会3位。
春季大会ベスト
第1ブロック春季大会準優勝、都
ト
区新人戦優勝、中学新人大会ベス
年都私立中学校バスケットボー
[バスケットボール部]
12
[ゴルフ部]
日~
日(下級
会予選(高1中塚出場)
。関東中
月
年高校総体都大会出場
[サッカー部]
年冬合宿
[山岳部]
年春合宿
生瑞牆山、上級生鳳凰三山)
。
日~7月
生赤岩ノ頭、上級生硫黄岳)
。
夏合宿7月
以後上級生のみ~8月2日(間ノ
岳、農鳥岳、塩見岳)
。
年全国高等学校総合体育大会高
秒
mバタフライ2分4秒
mバタフライ
3今村(
、
m
国中学生水泳競技大会中3網野・
)
。
新人戦第一ブロック大会シングル
秒
山本、中2野村、中1網野(
12
夏休みは午前中に校内で活動、6
日、
5泊6日。通常練習は放課後、
泊6日、夏合宿は校内にて4泊5
0m4位
3田口9分
3岩政 秒
春合宿は、茨城県常陸大宮市で5
フリーリレー3分
優勝中2河村。ダブルス優勝中3。
年中学(都大会団体戦ベスト8。
[硬式テニス部]
ALTA杯優勝高2小林・北。
年7月、軽井沢町で夏合宿実施。 [水泳部]
実施、ALTA杯優勝高1池田。
年3月、千葉県白子町で春合宿
[硬式テニス同好会]
日。
なお、学園ホームペ ー ジ の ク ラ ブ
(佐久間)
関連サイトもご覧く だ さ い 。
《運動部系》
年9月東京都中学 生 オ ー プ ン 大
[アーチェリー部]
会SH2位中3石塚 、 3 位 福 山 、
5位池田。 mW2 位 中 2 桃 北 、
4位斉藤。 mW6 位 中 1 田 中 、
8位鈴木。
2月東京インドアオ ー プ ン ジ ュ
ニア男子1位中2桃 北 、 6 位 中 3
横田、8位野田。
年5月関東地区中 学 生 大 会 キ ャ
月以外は校外のプールか校内
60
秒 。
[ワンダーフォーゲル部]
年冬、瀬戸内大久野島、大崎上
島。春、大阪金剛山地。
年荒島岳、白山。
《文化部系》
年小中学校囲碁全国大会団体戦
[囲碁部]
5位
(中3後藤・石川、
中1赤星)
。
高校囲碁全国大会男子個人戦9路
(於、国立赤城青少年の家)
。
番ニ長調他。
年4月第 回定期演奏会、モー
年1月関東高校リーグ戦優勝。
[将棋部]
千葉県いすみ市岬町で夏合宿。
[軽音楽部]
年の家)。
8月夏期合宿(於、国立赤城青少
ツアルト交響曲第
61
デットシングル6位 桃 北 。 S H 3
~
での陸上トレーニング。
[ソフトテニス部]
年3月港区長杯優勝中3斉藤・
鈴木ペア、準優勝中3山田・加藤
年6月都大会港区予選団体優勝
ペア。
麻布A(鈴木・村瀬、村越・中野、
竹口・沢柿)
、
ペア準優勝中3鈴木・
麻
中3鈴木・村
村瀬。都大会7月団体ベスト
布A、ペアベスト
38
位中3栗原、4位中 2 田 中 。
[剣道部]
年春季ブロック大 会 ベ ス ト 8 都
会会出場権獲得。港 区 学 年 別 個 人
中3渡邉優勝、岡田 3 位 。 第 一 ブ
ロック夏季大会団体 8 位 、 中 3 渡
邉、ともに都大会出 場 権 獲 得 。
学生選手権春季大会 ( 中 3 各 務 ・
小池、中1吉田・龍 崎 )
年東京都高等学校 選 手 権 春 季 大
会(高2中塚、高1各務・小池)。
12
20
12
16
12
13
12
13
13
13 12
13
12
13
99
32
24
100
13
12
13
13
年4月全国高校将棋選手権都予
で春合宿。
3月関東中学団体戦3位。湯河原
12
13
46
44 67
400
64
37
11
19
13
13
23
26
30
55
30
12
3
28
200
12
13
23
55
64
18 30
13
06
10
12
RC
13
12
13
13
13
13
第16号 (6)
麻布の丘に
2013(平成25)年10月15日
選準優勝。6月全国 中 学 将 棋 団 体
戦都予選を勝ち抜き 、 東 日 本 大 会
出場権獲得。7月関 東 八 中 学 将 棋
リーグ戦。8月全国 中 学 将 棋 団 体
戦3位(中3江崎・ 秋 山 、 中 1 鈴
木 )。 全 国 高 校 竜 王 戦 ベ ス ト 8 高
1日高。湯河原にて 夏 合 宿 。
[書道部]
年文化祭に書道展 『 満 身 創 意 』
《注目の部活》
[オリエンテーリング部]
学園事務室から
募金ご協力の御礼
者の皆様を、左記のとおりご報告
平成二十四年十月以降、募金に
ご協力下さった卒業生と学園関係
ーサルスポーツでもあります。
ざいました。
(敬称略)
二〇点を展示した。
年では、髙1晝間が高校生選手権
日本代表として髙2濱宇津が出場
ロバキアでのジュニア世界選手権
市田 知子(卒業生ご親族)
改善の為の寄付金
○教育施設維持
年南伊豆にて春合 宿 実 施 。
しました。オリエンテーリングが
年夏は、チェコス
年文化祭で研究展 示 大 賞 受 賞 。
南アルプス甘利山白 鳳 荘 に て 夏 合
国民的スポーツにまで発展してい
は一人で道なき山野を地図のみを
う。しかし、オリエンテーリング
日に
宿実施。
文化祭では〈安全保 障 〉 を 中 心 に
は全国高校生選手権も控えてお
○麻布学園奨学金
(髙2濱宇津)
麻布PTA(行事部門)
幸子(元学園教員)
鹿島
内田
平成十五年卒麻布有栖川会
啓(元学園教員)
麻布ドルチェ
卒業準備委員会
(二〇一二年度)
員一同)
麻布学園PTA
(二〇一二年度高一クラス委
員一同)
麻布学園PTA
(二〇一二年度高三クラス委
麻布学園PTA
り、
それに向けて練習しています。
22
齋藤 祐治(昭 卒)
昭和 年卒同期会
きたようです。また、9月
途報告いたします。
展示や公開討論を行 っ た 。 8 月 湯
頼りに駆け巡り、タイムを競うス
自然体験等でグループになって
散策するのを思い浮かべるでしょ
る本場ヨーロッパの空気にふれて
年ジャパンリーグAクラス優勝。
[地歴部]
年石見・出雲・鳥 取 方 面 で 春 合
宿実施。
年文化祭に「日本 地 域 分 析 ~ 都
市とは何か、田舎と は 何 か ~ 」 で
参加。秋田・弘前方 面 で 夏 合 宿 実
施。
[討論部]
年「麻布論報」を 月 刊 で 発 行 。
田中温泉で合宿を行 っ た 。
リリングなスポーツなんです。野
なかで進むためのナビゲーション
山を走破する体力とともに、林の
[物理部無線班]
年7月河口湖にて 夏 合 宿 実 施 。
能力が問われ、子供から年長者ま
で同じフィールドで競えるユニバ
45
13
12
13
13
13
32
[チェス部]
なお、在校生保護者の皆様につ
きましては、PTA新聞折込で別
13
いたします。ご協力ありがとうご
麻布学園オリエンテーリング部
は現在 名で活動しています。
12
個人戦3位、
として参加し、臨書 ・ 創 作 な ど 約
13
13 12
[生物部]
オリエンテーリングを知ってい
ますか?
39
第16号
麻布の丘に
(7) 2013(平成25)年10月15日
〔麻布学園寄付金口座〕
○麻布学園教育施設維持
改善の為の寄付金口
ゆうちょ銀行
しております。)
(専用振込取扱票をご用意
00120-5-186313
三菱東京UFJ銀行
六本木支店
普通預金 0653228
○麻布学園奨学貸付金口
六本木支店
三菱東京UFJ銀行
普通預金 1522117
○麻布学園新校舎建築積立金
1476863
六本木支店
三菱東京UFJ銀行
普通預金
育館建設資金」に係わる寄付を
この他に「賛助制度」と「 新体
受付ております。詳しくは事務
室宛にお問合せ下さい。
す。
引き続き宜しくお願いいたしま
新体育館建設工事規模・概要
鉄筋コンクリート造
地下一階・地上四階
麻布学園は、二〇 一 五 年 に 創 立
一二〇周年を迎える に あ た り 、 新
延床面積
四六八一㎡(現体育
体育館を建設します 。 一 九 六 二 年
に建設された現体育 館 は 、 か ね て
より手狭さと老朽化 が 指 摘 さ れ て
いました。新体育館 は 二 〇 一 五 年
館の約 倍)
﹁麻布の丘に﹂広報委員会
彦 坂 昌 宏( 工 芸・ 理 事 )
・佐
久 間 道 則( 理 科 )・ 杉 山 雅 彦
鳥 越 泰 彦( 社 会 )・ 増 永 英 夫
(国語)
・ 廣 瀬 武 久( 国 語 )
・
宮崎健司(事務)
(英語)
・ 山 田 昭( 事 務 長 )
・
題字・星野新次郎(書道)
◇「麻布の丘に」第十六号を
すように、自主自立の建学精
お届けします。記事にありま
神を継承しつつ、学力を養う
また、新体育館完成 後 は グ ラ ウ ン
天井高
アリーナ(現体育館の約 倍、
返していくことにな リ ま す 。 新 校
レ、男子シャワー室、防災備蓄
運動部部室8、倉庫、男子トイ
なりますが、よろし く ご 理 解 を お
多くの方々に不便を 強 い る こ と に
ランニングコース、体育教員室
三階(地上3m、ピロティレベル)
願いいたします。二 年 後 の 春 、 都
四階・屋上(地上 m)
テニスコート×2、(ハンドボー
内屈指の規模で、最 新 設 備 を 備 え
た新体育館が竣工す る 日 を 楽 し み
ルコートSサイズ)、物置
(新体育館建設 委 員 会 ・ 彦 坂 )
にしていただけたら 幸 い で す 。
11.5
たいと思っています。(彦
坂)
学を希望する方々にお届けし
び保護者、そして麻布への入
充実させ、卒業生、在校生及
来の麻布を結ぶ」ことを更に
理念である「過去・現在・未
きく進むなか、広報誌発行の
控え、教職員の世代交代が大
後の創立一二〇周年を目前に
した。平新校長のもと、二年
布の丘に』第一号を発行しま
年三月に、今のかたちの『麻
事業広報誌、そして一九九九
集、次は創立一〇〇周年記念
初は創立一〇〇周年記念文
この『麻布の丘に』という
名称は、実は三代目です。最
でした。
されました。本当にご苦労様
ました氷上先生が三月に退任
理念を唱えて実践して来られ
育の、二兎を追うという教育
柔道場(現体育館の約 倍)
二〇一四年の運動会 は 、 工 事 中 の
ドが狭くなりますの で 、 学 内 運 動
子トイレ、女子トイレ、女子シャ
ため学外で行うこと に な り ま す 。
会の開催の可否も今 後 検 討 し な け
ワー室、ハンディキャップトイ
m )、 器 具 庫 4、 男
ればなりません。新 体 育 館 の 建 設
舎整備完了後は、グ ラ ウ ン ド の 広
予定です。工事中は 生 徒 を は じ め
庫、グラウンド用倉庫
二階(グラウンドレベル)
:
12.5
さも現状に近い面積 が 確 保 で き る
既存建物解体と新施 設 建 築 を 繰 り
の第一段となり、今 後 数 十 年 は 、
レ
2.5
は、その後に続く新 校 舎 建 築 構 想
一階(地下 m)
剣道場(現体育館の約 倍)
旧体育館跡地
中旬より着工します。工事に伴い、
トラック移動
二学期以降の体育授 業 ・ ク ラ ブ 活
体育教員室
ドライエリア・部室・倉庫
WC・シャワールームなど
教育と、人間形成に資する教
新体育館
ロッカー室、多目的教室3、給
地下一階(地下 m)
全館空調、エレベーター設置
2.5
動などに影響が出ま す た め 、 教 職
8.6
湯室、男子トイレ
三月末の完成を目指 し 、 本 年 十 月
:
2.8
員・生徒と協議に入 っ て い ま す 。
1.2 1.2
第16号 (8)
麻布の丘に
2013(平成25)年10月15日
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