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山形大学時代の恩師である北中教授から貴重なお言葉をいただいてい

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山形大学時代の恩師である北中教授から貴重なお言葉をいただいてい
★思い出①:北中
医科学講座
千史(山形大学医学部
腫瘍分子
教授)
瀬崎君から思い出話を、とのリクエストがあり、大変光栄に思っています。本当のことを書いていいということ
なので、以下、本当のことを書きます。
瀬崎君と授業以外で出会った最初の日のことは昨日のことのように覚えています。7年ちょっと前になり
ますが、死んだ魚のような虚ろな目をして私の部屋の前を文字通り彷徨っている2年生がいました。いか
にも声をかけて欲しそうにしていたので、声をかけてみることにしました。それが瀬崎君でした。授業では目
立っていませんでしたし、私が担当する科目の成績もパッとせず、その時点では特に印象に残る学生では
ありませんでした。聞いてみると、2年次の基礎医学を終えたところで、自分の勉強のできなさがふがいなく
て、でもどうしてよいかわからなくて、「藁」にもすがる思いで私を尋ねてくれたとのこと。その時「藁」は思いま
した、「来た!」と。実はその「藁」こと私も遡る事30数年前、中学1年のときに似たような経験をしてい
ました。その時尊敬する英語の先生からもらったたった14文字の一言で人生が3780度、つまり1
0回転半ほど展開し、お蔭で中学入学時の私からは誰も決して想像できないような充実したキャリアを
歩ませてもらいました。そんなわけで私も恩返しを兼ねて誰かに魔法の一言をかけたいと思っていたわけで
す。そしてそこにまんまと(笑)飛び込んで来たのが瀬崎君だったわけです。残念ながら14文字以上を
費やしてしまいましたが、私と話をした後の瀬崎君の目にはかすかながらしっかりとした灯りがともっていまし
た。
そしてここからが瀬崎君の本領発揮です。一旦やる気スイッチが入りさえすれば、たまりまくったマグマはと
どまるところを知らぬ勢いで解放され、とてつもないエネルギーを生み出しました。そこからの彼の具体的な
アクションは是非瀬崎君のマニュアルを読んでいただきたいのですが、一つだけ言っておきたいのが、「私は
何も教えていない」ということです。(山形大関係者の)中には北中先生に教えてもらったんじゃ?と思っ
ておられる方もおられるかも知れませんが、私は授業以外で瀬崎君に医学、英語とも1ミリも教えていま
せん。勉強会も含めすべて彼が自分でオーガナイズし、勉強したのです。30数年前に魔法にかかった私
のモチベーションも当時ハンパなかったですが、7年以上持続し、いまなお高まりを見せる瀬崎君のモチベ
ーションには、正直元祖も顔色なしです。私がその後したのは、ただ単に瀬崎君の進捗報告を聞いて、コ
メントするだけ。壁打ちの壁みたいなものです。でも、その壁打ちは彼のモチベーションを保つのに必要十分
なことでした。私は自身の経験から、人間に才能があるなら、それは努力できる才能だと思っていましたが、
私自身という症例をもとに立てた仮説が、瀬崎君という症例によって実証されたと考えています。人間の
基本能力なんて、大差ありません。ウサインボルトだって、ちょっと足の速い小学生の2倍以上のスピード
では走れないのです。桁違いの差ではないんですね。一方、「頑張れば、出来る」と誰もが言いますが、や
ってみればおわかりの通り、やりたくないことなんて絶対に頑張れません。少なくとも頑張り続けることはでき
ません。頑張れなければどんな基本的才能があっても、物事を成し遂げられません。だから、やらなければ
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ならないことをやれる、やり続けるモチベーションを持てることこそが、最も才能を要することだというのが私の
持論です。瀬崎君はそれを見事に証明してくれました。瀬崎君の周りにいる人なら感じたことあると思いま
すが、「不可能を可能にしてしまうその底力のそら恐ろしさ」を最近よく感じさせてくれます。
ところで私は、瀬崎君のそんなスーパーモチベーション維持能力に感心はするものの、それのみであえて
手放しで賞賛する気にはなれません。瀬崎君のもっとも素晴らしい才能は常に自分の才能をコミュニティ
ーのためにどう活かすかを考えているところです。その端的な発露が、このマニュアルを含む、様々な
USMLE 関連の著作です。書き物だけでなく、本当に多くの後輩たちの学習相談に乗ったり、講演会をや
ったりと、骨身を惜しまない献身です。それも、「やらなきゃいけない」じゃなくて「そうすることが自分の幸せ」
と言い切れてしまう。もう、呆れるぐらいの才能です。遺伝的な才能なのか、後天的に獲得した才能なの
かは定かではありませんが、これについては、どうやったらこうなるのか、まったくノーアイデアです。是非この先、
「瀬崎智之の育て方」を書いて欲しいと思います。それはさておき、私は STEP1 合格後自発的に後輩た
ちのためにマニュアル作成を申し出てくれた瀬崎君たちに感激し、山形大学の学長賞に推薦をさせてもら
いました。もちろん、当然のごとく受賞が決定しました。(山形大関係者の)中には、この賞は「USMLE
最高スコア賞」だと思っている方もおられるかと思いますが、そうではなく、最高スコアに至る過程に関する
情報を惜しみなく後進のみなさんと共有しようとする、その崇高な献身に対する賞なのです。
というわけで、結局褒めてばっかりになってしまいましたが、本当にこの7年間、最初の一瞬を除けば、私
の目に瀬崎君が輝いて見えなかった時はありませんし、常に私の誇りであり、喜びでありました。でも、ここ
からはわかりません。瀬崎君のマグマは「ねじれ」によってエネルギーを溜めていたはずですが、今回の
ECFMG 取得で一旦そのねじれは解消したものと思われます。問題はここからです。これから瀬崎君は何
に向かってつき進むのでしょう??これが今の私の最大の関心と心配ごとです。多くの人たちが、瀬崎君の
一挙手一投足を見つめています。彼らをガッカリさせないよう、これからも走り続けて下さい、大変だけど。
それから、もう一つ、最後に一言贈ります。以前「人間万事塞翁が馬」を贈りました。次は「実るほど、頭を
垂れる稲穂かな」です。いずれも私の座右の銘です。今まで同様、驕ることなく前進して下さい。
教室で初めて話した日、STEP1 最高スコア合格の祝賀会、学長表彰とその祝賀会、そして今回の
ECFMG 取得祝賀会、どれも脳裏に焼き付いています。一生忘れません。素晴らしい思い出をありがとう
ございました!
山形大学医学部 腫瘍分子医科学講座 教授
北中 千史
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筆者からのコメント
北中先生との出会いは今でも鮮明に覚えています。基礎腫瘍学のテストが終わった後、自分の頑張り
を誰かに肯定してほしく思っていた僕は北中先生の部屋を訪ねました。そこからこんな大きなストーリーが
始まるとは思ってもいませんでした。北中先生ほど学生思いの先生にあったことはありません。本当に優秀
で凄い方なのに、一切自分を驕ることなく生徒目線で僕たちの求めるものを目の前に提示してくれるので
す。山形大学に入った理由も北中先生に会うように運命付られていたからなのかもしれないと思っていま
す。凄い人はたくさんいます。成績優秀な人、手先が器用な人、プレゼンテーション能力に優れる人。学
生目線で話せる人もたくさんいます。いつも面白くて学生を飲みに連れていってくれるような先生。でもこの
2 つの能力を兼ね揃えた人は極めて少ないように思います。北中先生はそれをスペースシャトル理論だと
仰っていました。本当は天高いとこにいるはずなのに、スペースシャトルで地上に降りてきて僕たちを迎えに
きて、そして高みへ導いてくれる。そんな人になりなさいと。人生を謳歌する上で、メンターとなる人を見つけ
出すことは死活的に大事です。そんなメンターの一人に会えたのは非常に幸運でした。僕はセンター試験
に失敗したから山形大学に来たのです。でも決してそこで腐ることはなく、山形大学で光るものを探した。
まさに「人間万事塞翁が馬」を体現したのです。みなさんも今自分が置かれている状況に満足していない
かもしれません。しかし、その中で何かいいものが無いかと探せる視点を持つことが大事なのだと思います。
これからもこの言葉を胸に次なるステップに向かって邁進していきたいと思っています。北中先生、本当に
今まで有難うございました。今後ともよろしくお願い致します。
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