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合格体験記 USMLE版の「ビリギャル」

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合格体験記 USMLE版の「ビリギャル」
合格体験記
★前書き:なぜ僕はマニュアルを書くのか
ここでは僕が USMLE STEP2 CS に合格するまでの軌跡を赤裸々にさらけ出します。STEP1 のマニュ
アルにも体験記は載せましたのでそれと重複する部分はあるかもしれませんがご了承ください。ここに体験
記を載せる理由は、ただ合格したことを自慢したいわけではなく、皆さんに凡人でもアメリカの医師国家試
験に合格できるということを知って頂き、自分の無限の可能性を少しでも信じてもらい、それにより皆さんの
行動に少しでも良い様な変化を与えることができたらと思っているからです。最近、巷では「ビリギャル」なる
ものが流行っています。これは高校で成績ビリだった女子高校生がある先生との出会いにより生まれ変わ
り 1 年で偏差値を 40 上げて慶応大学に合格するという話を描いた本です。このような類のストーリーはな
んら特別なものではありません。皆さんの身近で起きていることです。僕自身のストーリーを敢えて「ビリギャ
ル」に例えて紹介するなら、高校時代成績 300 番台で特に英語が苦手で、受験科目に英語が無い大
学に入った男子高校生が、大学である教授に出会い勉強の楽しみを知り 7 年かけてアメリカの医師国家
試験に合格する話になります。ここで強調したいことが、みなさんにも同様の可能性が秘めているということ
です。僕は「人間やる気になれば何でもできる!」とか「努力が必ず報われる!」なんて言葉が言いたいわ
けではありません。むしろこれらの言葉に対しては懐疑的です。人間にはどう考えても各個人に適正という
ものがありますし、例えば僕が「今からプロ野球選手になる!」と言っても無理です。また努力したからと言
っても全員が目標を達成できるわけでもないです。このような言葉はその時代の成功者たちが盲目的に発
信しているまたは世間が間違えて解釈しているものだと思っています。その成功者達は偶然その努力が報
われたかもしれない。でも、その陰にはその成功者の数以上に夢が叶わなかった人たちがいます。そしてそ
の人たちが成功者よりも努力をしなかったということを誰がいったい証明できるのか。それは誰もできないで
しょう。成功には努力が必要です。しかし努力は、「自分の適性を知り」「正しい方向性で」「十分な量の
努力をした場合に限り」「何らかの形で」報われるものだと思うのです。これから CS を受験する人達のため
にこのマニュアルを作りました。もちろんこのマニュアルを使う人全員が合格してほしいと思っています。でも現
実的には残念ながら不合格になってしまう人もいるでしょう。また STEP1 のマニュアルを使っても落ちてしま
う人達もいたことでしょう。果たしてその不合格は失敗でしょうか。いえ、僕はそれを決して失敗だとは思い
ません。その受験の過程で、間違いなく英語は上達し、医学知識も増えたと思いますし、そして恐らくそれ
以外の何らかの気づきを得ているものと思います。僕がこの受験で得たものはただの資格だけではありませ
ん。自分にとって効率の良い勉強方法に気づきました。良い仲間たちに出会えました。自分の能力を客
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観的にみることができるようになりました。人に教えるこ
とが好きであることに気が付きました。そして、自分が
心から好きと思えることをして、それが世間も求めるこ
とと一致した時に、それが自分の使命なのだと思える
ようになりました。そう、マニュアル作りです。僕は
USMLE 受験の中で自分の使命を見つけました。み
なさんは「働く」という言葉の語源をご存じでしょうか。
この言葉は「傍を楽にする」という意味に語源を持つ
そうです。つまり僕たちが働くことの目的は他の人を少
しでも楽にしてあげるためとも言えそうです。少なくとも
現時点では僕が世間様にできる最大の奉仕がマニュ
アルを作ることであり、皆さんがこのマニュアルがあって
良かったと思ってもらえることが自分にとっての最大の
幸せなのです。だから僕はマニュアルを作ります。このマニュアル制作も数か月に及びました。皆さんも CS
合格に向けて、または他の目標に向けて努力されていることだと思います。その夢が叶うことを僕も全力で
応援します。でももし叶わなくてもそれが失敗だったなんて思わないでください。そこで何か大きなものを得
たはずです。今は叶わないほうが結果的に良かったのかもしれません。何かに向かって努力するということが、
あなたをとんでもないところに連れて行ってくれるはずです。それがどこかはまだ誰にもわかりません。
★大学入学まで
中学高校時代は某中高一貫校で過ごしました。学校としては進学校でありましたが、僕はその中でも
完全に落第生でした。留年する程の勇気はありませんし、それほど遊ぶようなこともありませんでしたが、た
だ勉強には一切の興味がありませんでした。中学受験を経て中学に入った僕は小学校時代に勉強以外
に頑張った記憶もなく、中学に入ると自分より成績の良い人たちばかりで勉強ですら歯が立ちませんでし
た。勉強できる自分というアイデンティティを失った僕は中学校の勉強にどんどん乗り遅れていきました。理
系科目は比較的得意ではありましたが、特に継続的な努力が必要な科目である英語は散々なものでし
た。学内偏差値は常に 40 を下回っていました。高校時代も一切の努力をすることなく過ごし、高校 3 年
生の最後の実力試験ではいよいよ学年全体 360 人の内 300 番まで全科目の成績が下がりました。中
でも英語は悲惨で殆ど最下位でした。四択のテストで 100 点満点中 19 点という期待値以下の点を取
ったのです。同じテストでクラスメイトの一人が全問題で選択肢の①を選んで 26 点を取り、適当に選んだ
奴に負けたということで、クラス内で有名になった程英語が苦手でした。確かに真剣に勉強はしてこなかっ
たものの、期待値以下の点数を取り、さすがに「6 年間で学んだものは何一つ無かったのか」と絶望したも
のでした。幸か不幸か高校時代は部活に打ち込むことができ、高校 3 年生の 12 月までは部活中心の
生活でした。部活がいよいよ終わり、大学受験を意識するようになりました。色々あり医学部を目指すこと
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になりますが、ここでその理由を話し出すと本来の趣旨から逸れるので今回は割愛します。現役時代に受
けたセンター試験は合計 538/900 で英語は 116/200 でした。全国平均すら下回っているという見るも
無残な結果でした。これではどうあがいても医学部には合格できないため自分なり様々な参考書を使って
勉強し、なんとか 2 浪時のセンター試験で合計点 799/900、英語で 190/200 まで上げることができま
した。しかし、センター試験より難しい英語には歯が立たず模試でも他の科目に比べて偏差値が 10 以上
も低い状態でした。さらに国語で 133/200 というとんでもないミスを犯し(全体の失点の内 2/3 が国
語)、受験できる大学が絞られてしまいました。既に私立の医学部にはいくつか合格していましたが、金
銭的な問題で、できるだけ国立大学に行きたいと思い苦渋の決断で山形大学を受験することにしました。
当時の山形大学医学部は、センター国語は 200 点が 100 点に圧縮される上に、二次試験では数学と
理科 2 科目だけで、英語がなく、自分にとっては最高の条件でした。実家から遠く踏み入れたことのない
東北の地に行くことは正直抵抗がありましたが、背に腹は代えられず山形大学を受験することにし、無事
に合格しました。受験をしに山形に行ったときに、「またここにくるだろうな」という不思議な感覚があったこと
を覚えています。大学入学までをまとめると、つまり僕は英語が苦手だから山形大学を受験したことになり
ます。
★USMLE STEP1 を受験するまで
山形大学に入学した僕は一般的な学生生活を送っていました。部活に励み、テスト前だけ勉強すると
いう日々です。成績は中の上で特に良くもなく、悪くもなくといった感じでした。それなりに勉強すればまぁま
ぁ良い点数が取れると驕っていた部分があったことは否めません。しかし、大学 2 年の秋に転機が訪れます。
ウイルス学の試験で 48/120 という点を取ってしまったのです。確かに授業はあまり聞いていませんでしたが、
それでも試験までにそれなりに勉強したにも関わらず下位 10 番の成績でした。これは非常にショックでした。
何故なら自分には大した才能はないということが改めて分かったためです。少しだけ勉強して他の人より良
い点数を取る。誰もが一度は夢見ることかもしれません。ですが、僕にそんな才能は無いということがはっき
りわかったのです。人と同じくらいの成績を取るためには人より努力しないといけないのではないか。改めてそ
う思いました。その時より地道な努力を始め、少しずつ成績も上がっていきました。ここで言えることは、自
分は他の人より賢くはないかもしれない、しかし他の人より努力をすることでそれなりの結果が得られるもの
なのだと。その時期に腫瘍分子医科学の教授と知り合いました。非常に教育熱心な先生で、新 3 年生
になるときに医学英語の大切さというものを教えてくれました。大学受験では英語を常に避けてきたが今
後医師として活躍していく上で英語は死活的に大事ということを教えて頂き、当時丁度勉強に身が入っ
ていた僕は教授に勧められるままに、医学英語の勉強を始めることにしました。同級生で自分より賢い友
達を勉強会に誘い、Robbins という全 1300 問程度の問題で構成されている問題を勉強会で始めるこ
とにしました。医学を英語で勉強しちゃう自分かっこいいなんて悦に入りながらも、とにかく英語が苦手な僕
はたった 1 問を解いて解説を理解するまでに 1 時間も 2 時間もかかりました。最初の頃は問題を全訳す
るという愚行までしていました。今思い返すと笑えてきます。牛歩ながらも少しずつ問題を解き進め 2 年間
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かけて問題集を終えました。成績もまた少しずつ伸びていき、大学 3 年生の時の病理のテストで初めて学
年 1 位を取りました。偶然ではありますが、病理を勉強していたら病理で結果が出たという成功体験が自
分の背中を押してくれました。小さな成功体験を積み重ねていくと少しずつ自分に自信が出て、さらなる
野望を持つものです。医学部の 4 年時には CBT という全国共通の試験があります。先ほどの教授は僕に
対し「CBT で 1 位を取ってくれ」とはっぱをかけてきていました。昔の自分なら端から無理と挑戦すらしなか
ったでしょうが、少しだけ自分に自信を取り戻していたあの頃の僕は CBT で学年 1 位を取ることを目標に
しました。恐らく学年の誰よりも準備を重ねたと思います。しかし、その結果は 5 位でした。もちろん悪くない
成績です。しかし誰よりも勉強したのに、自分よりもいい成績の人が 4 人もいるということは自分の素の頭
の良さに問題があるのではと思わざるを得ませんでした。その旨を教授にメールすると次のようなメールが返
ってきました。「Congratulations!山形大学で 5 位なら大したものです。今回 1 位を取ってしまうとまだ
驕ってしまったかもしれないので、むしろ取れなくて良かったかもしれません。その悔しさを USMLE STEP1
の高得点ゲットに向けてみてはどうでしょうか。」という内容でした。大変感動し、この先生の好意に報いる
ためにはどうするできかということを考え、「USMLE STEP1 で 99 を取る」という目標を立てました。当時、
全国でも 99 を取る人は 5 本指で数えることができる程度であり、英語が苦手な一地方医学生が 99 を
取るなんて誰も思わなかったでしょう。でもそんな意外性がまた面白いものだと思い勉強を開始しました。
99 を取ることを決意してから実際に合格するまでの軌跡は STEP1 のマニュアルをご参照ください。
★医学部卒業まで
教授から前々より「99 を取った経験をマニュアルにして、後輩たちの為に役立ててください。」と言われて
おり、受験後にはすぐにマニュアルつくりに取り掛かりました。学校に 2 週間こもりマニュアルを書き上げまし
たが、当時はここまで反響があるものとは思ってもいませんでした。元々学生時代に国家試験対策委員を
やっていたということもあり、医療系の会社いくつかと連絡を取り合う関係にありましたが、マニュアルをネット
上に公開する機会に恵まれ、そこからはマニュアルが自分で意志を持ったように一人で全国に飛びだってい
きました。あれから全国から数々の合格の報告があり、行く先々でマニュアルを読んだ人に出会いました。
また卒業時には山形大学学長賞という自分なんかには過分な賞を頂き今まで自分がしてきたことは間違
いなかったと改めて確信しました。ご覧になられている読者様はもうお気づきだと思いますが、僕が USMLE
を受験したのはアメリカで臨床留学がしたかったからではありません。ただ STEP1 が終わると自然に
STEP2 に目が向くのが人間というものです。ご存じの通り STEP 2 は CBT 形式の CK と、実技の CS に
分かれています。正直 STEP1 を経験した人なら STEP 2CK は何も怖くありません。アメリカに臨床留学
する時に重視されるのは STEP1 の点数ですし、何より難易度も STEP 1 よりは低いです。そして STEP1
で問題形式に慣れていれば普通に合格できます。留学するかどうかまだわからないが、今取らないと後悔
すると思い学生時代に STEP 2CK の受験を決意しました。上にも書きましたが当時の英語力は本当に
散々で TOEIC で 600 点程度しか取れませんでした。600 点という点数は、英語をしっかり勉強している
人からすると英語力ゼロと言っても良い点数です。正直 900 点でやっとスタートを切ったと言えるくらいです。
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その程度の英語力だった僕にとって CS の合格はどんな奇跡が起きても無理としか思えないものでした。取
りあえず CS は気にせずに CK を合格することを目指しました。合格を目指すとは言うものの思い立ったは
既に 6 年生の 11 月で、2 月に国家試験も控えているためそんなに多くの時間を割くことができません。ど
うしても留学をしたいと思っていたわけではないので、今回は高得点ではなく、合格することを目標にしまし
た。具体的には 11 月に学校の試験勉強と並行して FIRST AID の Q&A(1000 問)を取り切りまし
た。その後模試を受けると予想点数が 202 と出ました。当時の合格最低点が 189 だったので、取りあえ
ず合格は可能だと分かりほっとしたものです。12 月末より USMLE WORLD(2300 問)を開始し、国
家試験勉強と並行して解き進めました。正答率が 70%で予想点数が 240 程度でした。解くスピードも
かなり速くなり最高で一日 180 問くらい解いていました。山形にできたばかりのスターバックスで日々勉強
するのが習慣となっていましたが、当時のスターバックスの店員さんたちも僕のただならぬ雰囲気を察したせ
いか、非常に良くしていただき、試験直前にはメッセージ付きのタンブラーまで頂きました。人は人に支えら
れて生きているものだと思ったものです。国家試験は 2 月中旬に終わり、本番は 2012 年 3 月 9 日にな
りました。基本的に遊びに誘われたら断らない主義であり、試験の為に卒業旅行を諦めるなんか考えは
毛頭に無く、試験後は普通にイタリア・スペインの旅をしてきました。イタリアのジェラードとスペインのパエリア
ってなんであんなにうまいのでしょ。帰国したのが試験の約 2 週間前で、USMLE WORLD をやっと 1 周
解き終えたので、2 度目の模試に挑戦することにしました。2 です。何か 2 だと思いますか。そう上がった点
数です。なんと 2300 問解いて上がった点数は 2 点でした。友達の「1000 問で 1 点だね。」という言葉
が脳天を直撃したことを鮮明に覚えています。CK は臨床的な知識を多く求められるため、臨床経験の乏
しい学生にはやや慣れない部分もあり、STEP1 のような細かい知識を問う問題も少なく、点数が伸ばし
にくい印象を受けました。210 点くらい取れたらいいやという気持ちになり、逆に気が楽になったのを覚えて
います。そこからはひたすら復習を繰り返し、結局 USMLE WORLD を 1 周半した時点で本番をむかえま
した。STEP1 の時と同様に茅場町で受験しました。CK 受験の際は非常にリラックスした気持ちでいること
ができ、逆にあまりにもリラックスしすぎたせいか問題解きながら楽しくなってしまいにやにやしだす始末でした。
出ごたえは STEP1 の時と同じくらいでしたが、模試の成績が悪かったために全く結果には期待していませ
んでした。4 月になり結果が届きました。236 という予想よりも断然いいスコアが取れました。もちろん平均
点程度でしかありませんが、自分にとっては非常に嬉しい結果となりました。近年ではアメリカ臨床留学を
目指す際に USMLE で取っておきたいスコアとして、STEP1 で 230、2CK で 230、2CS を 1 発合格と
いうものです。狙わずして 230 以上のスコアが取れたのは完全に幸運でした。今目の前のことを楽しめるか、
これが結局最高のパフォーマンスを発揮する最大の秘訣なのでしょうね。
★初期研修医時代
初期研修は都内の某病院で行いました。1 年目は非常に多忙であったため継続的な英語の勉強はで
きませんでした。頭の中には常に CS のことがあり、どうやって英語力を向上させていくかと常に考えては、色
んな参考書に手をだし、結局 3 日坊主に終わってしまうという日々を繰り返していました。本当に色々と
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手を出しました。「○○日間で完成」系の参考書はあらゆるものに手を出しては継続できずにいました。自
分なりに努力はしてみたものの目に見えた結果は一切なく、研修医 1 年目に初めて受けた TOEFL では
なんと 55 点という悲惨な点数でした。こんな状態で CS を目指そうなんて誰が見ても無謀な挑戦だったで
しょう。しかし転機が訪れます。研修医 2 年目になり偶然にも比較的時間に余裕がある科を回ることにな
りました。そしてまた偶然にも、その時期(2013 年 2 月)に非常にお世話になっていた上級医が最近英
語の塾に通いだしたということを聞き、その日の内に入塾申請の電話をしました。それが NCC です。この塾
は新宿と大阪にしかなく、その一つがたまたま家から通うことができる距離にあり、ここでも何か見えない力
に応援されているような気がしました。NCC ほど熱心で丁寧で真剣みのある英語塾を僕は他に知りません。
上にも書きましたが、中学英語から勉強を始めました。長い道のりになることは分かっていましたが、付け焼
刃な医学英語を学ぶくらいなら最初はとにかく基礎を固めようと思いそうすることにしました。診療の合間を
ぬって英語の勉強を継続するという日々でした。徐々に結果も出始め、秋頃には TOEIC でやっと 800
点弱の点数がとれるようになりました。点数が取れるようになってきても、そもそも外国人との会話の絶対
量が欠如している僕にとって英語への苦手意識はぬぐえませんでした。進路に関する詳しい経緯はここに
は書けませんが、色々な事情のため初期研修を終えた後の 1 年間は定職につかず勉強期間に充てるこ
とができることになりました。
★出国まで
この貴重な 1 年間をどのように利用しようかと考え、
海外で生活した経験のない人が CS に合格するよ
うな気もせず、短期間で語学留学をすることを決
め、2014 年 4 月から 5 月のかけての 4 週間をカ
ナダのトロントで過ごしました。
人生初めてのホームステイを、初期研修を終えて
から経験できるという自分の幸運さに改めて感謝し
ました。語学学校では医師ではなく、ただ一人の
生徒として授業を受けることができ非常に新鮮でした。余談ではありますが、正直日本人の英語力の無さ
にはショックを受けたものです。語学学校には世界各地から生徒が集まっていました。生徒のレベルは様々
ですが、下位のクラスの大半が日本人で占められていたことが大変印象的でした。他国の人達の言語は
英語との共通点を多く持つということもあり、日本人はそれらの人達と比べると不利であることは否定しませ
んが、それでも外国の言語学校にいる日本人達の英語に対する姿勢には共感できませんでした。彼らは
進んで文法の勉強などをせず、「自分は実践派だから。」と言って真摯に勉強に取り組もうとはしないので
す。実際にカフェでこういう会話を何度も聞きました。日本人は日本人同士で固まる傾向にあり、かつ固
まったうえで英語ができないことに対する不満を言い合うのです。正直これは非生産的です。ここで言いた
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いことは、英語の環境に飛び込むだけでは英語力は伸びないということです。成人してから英語を学ぼうと
する人はその英語のルール、つまり文法と真剣に向き合う必要があるのです。また今回の留学で学んだこ
とは、机上の勉強だけでも不十分だと言うことです。勉強をしばらくして結果が出だすと、「自分の英語は
結構いけているんじゃない。」なんて勘違いをしだします。ですが、覚えたことをそのまま使っても以外に相手
に伝わらないことが多いのです。実は喋っている英語の文法が複雑過ぎたり、また正しく話しているはずな
のに発音のせいで何を言っているのか全く理解されないということがあります。僕はこの留学で初めて自分
の発音に大きな問題があることに気が付きました。4 週間という期間はあまりにも短く、帰国後は東京在
住の外国人を探し英語を話すことができる場を自ら作ることにしました。上に紹介したようなメトロポリスで
日本語を学んでいる外国人を探し、数人と友達になりました。トロントでの語学留学で海外での生活を
体験できましたが、まだ僕には海外の病院での臨床体験がありません。海外留学に興味のある多くの
方々は学生時代に既に海外の病院での実習経験がありますが、僕は学生時代に海外の病院に行くな
んて考えは毛頭に無く、今思い返すと少し無理をしてでも経験しておけば良かったと思っています。この 1
年を有効活用すべく、何とかして海外での自習経験を積もうと考えましたが、医学生と違い医師になって
しまうと意外と門戸が狭くなり、公に受け入れをしているプログラムや病院が少なく、また受け入れをしてい
ても実習費用が非常に高額な場合が殆どでした。その中で目についたのが、野口医学研究所のエクスタ
ーン制度とオブザベーション制度です。希望者はこれらのプログラムを通じて 3 週間程度、ハワイ大学やト
ーマスジェファーソン大学で臨床現場を見学することができます。しかし、エクスターンの場合は年 1 回の選
考会で合格する必要があり、合格すると 3 週間の実習費用を奨学金として研究所から補助してもらうこ
とができます。オブザベーション制度との大きな違いはこの奨学金の有無のみで、またオブザベーションでは
医師以外の医療関係者も応募することができます。選考会は年に 1 回冬に行われますが、その合格率
は年ごとに大きくことなり、その合格率は研究所が販売している商品の売り上げに関係していると言います。
年によっては合格率が 50%程度あるときもあれば、ある年は 20%くらいの時もあります。僕は色々と事
情があり(色々と事情が複雑で説明できずに申し訳ありません。)、エクスターン制度でトーマスジェファー
ソン大学病院の精神科に 3 週間実習にいけることが決まりました。9 月後半から 10 月後半にかけての 3
週間を東海岸、アメリカ独立宣言の町フィラデルフィアで過ごしました。
自分なりに準備をして実習に臨みましたが、はっ
きり言って実力不足でした。他科とは異なり、精
神科ではその全てが言葉です。毎朝 7 時半の始
まるカンファレンスは地獄でした。20%程度しか理
解できないのです。一対一で話すと大方の会話
は成立しますが、カンファレンスではネイティブのナ
チュラルな会話が展開され、かつ画像所見や検
査所見などの共通言語もそこには存在せず、全く
ついていけませんでした。言語では非常に苦しん
だものの、そこでしか得られないような経験ができ、また友人もできました。そして何より、野口医学研究所
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のご厚意で幾人もの日本人医師やアメリカ人医師を紹介していただきました。このエクスターン制度で得ら
れるものはただの 3 週間という実習経験ではなく、掛け替えのないご縁だと思います。そのご縁がつながり、
2015 年 1 月にはアイオワ大学病院精神科で常勤として働く日本人の先生とも出会うことができました。
興味がある方は是非応募されてみるのが良いと思います。もし僕は選考に選ばれた理由を後付けすれば、
海外研修を希望する理由を自分の人生経験をもって説明することができたこと、そして STEP1 で 99 を
取っていたことでしょう。エクスターンの選考基準の 1 つに TOEFL で 79 以上の英語力とありますが、正直
79 では全く足りません。向こうでの実習をより実りのあるものにするのであれば、最低でも 90 を目指しまし
ょう。まぁ、僕は帰国後に受けた TOEFL ですら 87 しか取れませんでしたが。この海外での実習経験は僕
にとって本当に大きな転機となりました。この実習を通じて、「この英語力ではいきなり海外の精神科で働
くのは不可能。もし本気で目指すのであれば、日本でさらに英語力を磨きながら働き、数年後に海軍病
院のエクスターンを経てマッチングを目指すしかない。」と悟りました。自分がこの実習で推薦書をもらい、翌
年にマッチングに応募するなど烏滸がましいのだと。さらにもう 1 つ大事なこととして、自分の英語力に現を
ぬかし徐々に英語勉強に対する真剣味が減りつつあった時期ではありましたが、フィラデルフィアでコテンパ
ンに打ちのめされ再びやる気がふつふつと湧いてきました。
帰国後に CS の受験を申し込み、2015 年
2 月 24 日に LA で受験することにしました。CS
受験を本格的に開始しようとしましたが、またこ
こで色んな障壁にぶち当たります。そもそも練
習相手がいないのです。練習相手の最低条
件として日常会話レベルの英語が喋れること、
理想的な条件としてはその人も CS 受験を考
えていることです。CS に興味があり英語が話せ
る人は何人かいましたが、みな仕事が忙しく真
剣に CS の準備をしようとしている人は皆無でした。千葉から神奈川まで、都合がつく人の元へ飛び回り、
そこで 1-2 時間程度練習相手をしてもらいました。またここでさらなる幸運が訪れます。山形大学の後輩
を通じて、同年の 3 月に CS 受験予定の医学部 6 年生を紹介してもらえることになりました。彼は英語が
非常に堪能で、Kaplan をして「ここ半年で、日本人の中で一番の英語力を持っている」と言わしめた程
です。また頭脳明晰で特に短期記憶力には括目すべきものがありました。彼ほどの記憶力を持った人はそ
うはいないでしょう。また彼は海外の病院での実習経験があり、カルテの書き方も慣れており、彼から教わ
ったことは数えきれません。さらに、同時期にまた違う山形大学の後輩からその後輩の母親(アメリカ人)
を紹介していただき、患者役になってもらう機会を得ました。彼女も本当に教育熱心で、僕の発音の誤り
などを細かく修正してもらいました。いよいよ場は整いました。11 月頃より毎日のように彼と練習を重ねて
いきました。練習開始当初は、そもそも十分な問診すらできず、ましてカルテを 10 分以内に書くなんてこと
は夢物語でした。もっと効率的な練習方法はないかということを常に模索し、問診すべき項目は全て語呂
にして覚える方針にしました。そしていずれはこの経験をマニュアルに書き落とす予定であったので、役に立
ちそうな語呂をネット上から探しだしマニュアル作成も同時に開始しました。彼との練習は様々な場所で行
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いました。お互い色々と予定が入っていたため、お互いに都合がいい場所で練習しました。新宿のように人
が多く集まる場所では理想的な練習の場を見つけることが非常に難しく難渋しましたが、結論としてルノワ
ールが至高の練習の場だと結論付けました。ルノワールは客層も中年から高齢の方が多く店内が比較的
静かであり、電源が数多く配置され、そして少し高価なせいか常に席が空いているという理想な練習場と
なりました。FIRST AID をどんどんやり進め 2 周を終えた頃には問診も一般的なものは殆どできるようにな
り、カルテも時間内に書き切るようになってきました。しかしまだまだ変化球への対応は難しく、
challenging question に対しては完全に例文を暗記する方針となりました。覚えるべき量は膨大であ
り、全部覚えようとすると気が狂うレベルまで膨れ上がり、結局僕はある程度のところでキリを付けましたが、
練習相手の彼はそれら全て(つまりこのマニュアルの全て)を本番前に覚えきるという人間離れしたことを
やってのけました。知り合いの外国人に練習相手になってもらい、殆どケースでスムーズな問診ができるよう
になりましたが、CS では自分の実力を客観的に測る指標が全く存在せず、そのことが僕にとって常に不安
な材料でした。日本に在住のカナダ人医師にも太鼓判を押してもらいいよいよ 2 月 14 日聖なる日にロサ
ンゼルスに飛び立ちました。Kaplan の講習の 2 日前にホテル入りし勉強をしながらその日を待ちました。
当時は FIRST AID を 2 周、Kaplan core case を 1 周しており、既に基本的な症例は把握してい
たため、語呂や challenging question の解答の暗記に努めていました。そしていよいよ緊張の Kaplan
の直前講座が始まります。
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★Kaplan 講習を受けるまで
Kaplan の講習はホテル内で行われます。僕は 5 階の部屋に泊まっていましたが、講習は 1 階で行わ
れました。初日に初めて講習の部屋に行くとそこには世界各地から 24 人の受講者が集まっていました。
全員に出身国を聞いたわけではありませんが、知る限りでは日本から僕を含めて 6 人、インド、トルコ、メ
キシコ、アメリカ、スウェーデン、サウジアラビア、そしてシリアからはるばるこの講座に参加しに来ていました。
日本人以外の人達は少なくとも言語の壁に苦しんでいる様子はありませんでした。彼らは特に耳が良いの
でしょう。僕以外の日本人も英語で苦しんでいる様子は特になく、僕はひそかにリスニングの壁に苦しんで
いたのでした。講師の言っていることすら時折理解できず、「こんなで本当に CS に合格できるんかい」と思
ったものです。上にも書いたように初日、2 日目は殆ど講義で終わります。僕がびっくりしたことは、この講義
さえ受ければもう十分と本気で思っている人がいることです。確かにそういう人がいることは認めます。しかし、
極めて少数です。決して過信をしてはいけません。もちろん準備の仕方は個人の自由ですが、こんなに時
間と労力、そして人生と言っても過言ではないものをかけてまで受ける試験です。やはり最大限努力をし
たほうがいいに決まっています。昔は講習を受けるだけで十分だったかもしれません。でも今は違います。ア
メリカが全力で IMG の流入に制限をかけてきているところです。ろくに準備もせずに受けて、「あんまり準備
をしなかったから落ちた。」と言いたいでしょうか。落ちて留学の道を閉ざされたいとは誰も思わないでしょう。
ですから、特に言語面でハンディキャップを持つ日本人は最大限努力して準備すべきなのです。Kaplan
の講習を受けることで準備を始めるのではなく、Kaplan で最終調整をしてください。僕は実際に Kaplan
を受ける時にはやるべきことは殆ど終えていましたし、自分が誰よりも準備をしたという自負がありました。で
すから、Kaplan に何を言われても自分自身を信じてその言葉を取捨選択して信じることができたのです。
もし完璧に準備をしていれば初日と 2 日目のレクチャーは非常に退屈に感じるはずです。もし新鮮味があ
るとしたらそれは準備不足と言えるでしょう。Kaplan をこれから受ける皆さんに再度忠告しなければなりま
せん。Kaplan はあなたに非常に厳しい評価をし、辛辣な言葉を与え、恐らく受験の時期をずられとアド
バイスするでしょう。しかし、その言葉を真に受けてはいけません。それはただのビジネストークなのです。事
実そこで受験時期をずらせと言われた多くの人が合格しています。ただし、それは自分のしてきたことに自
信がある場合においてのみです。このマニュアルに書いてあることを完璧にすれば合格はほぼ間違いないで
しょう。しかし、ここに書いてあることと Kaplan の言うことは違います。留意しておいてください。初日と 2 日
目の夜にはグループレクチャーがあります。小グループに分かれて、挨拶や問診、身体診察の練習をします。
ここで多くの日本人が自分の英語力の無さに愕然とします。ここでも自暴自棄にならないでください。それ
は殆どの人が感じるものなのです。発音が悪くて通じないことを初めて経験するかもしれません。大丈夫で
す。それも本番までにある程度修正が可能です。僕はそのグループレクチャーではうまくやれたと思っていま
した。今まで練習したことをそのまま発揮するだけだったからです。発音がやや悪くて聞き取りづらかったとは
言われましたが、それ以外はうまくいったと思っていました。しかし 3 日目に地獄に突き落とされました。3 日
目の前半はカルテの書き方についてです。再度言います。ここでカルテの書き方がマスターできるなんて思
わないでください。正直殆ど役に立ちません。事前に自分のスタイルを完璧に作り上げておいてください。3
日目の後半はいよいよ実戦です。みなさんにとって役に立つのはここからです。ここでは 2 ケースを本番同
300
様に体験することができます。今マニュアルを書きながら思いだしましたが、それだけで苦々しい感情が湧き
あがってきます。初めて白衣をきて聴診器をもって本番と同じスタイルでケースに挑みます。かなり緊張しま
した。最初のケースの患者は入室するとめちゃめちゃ怒っていました。「きた。これは待たされて怒っているパ
ターンや。」心の中でそうつぶやきました。外人が目の前で怒っています。外人に怒られることなんて中々な
いので、演技だと分かっていても焦ります。「落ち着け。覚えたとおりのことを言うだけだ。」自分に言い聞か
せました。そして、覚えたとおりの言葉を発します。「I can see you are very angry. Could you tell
me what’s going on so that I can help you?」こんなことを言ったと思います。案の定、待たされて
怒っていました。SP はワンパターンです。ここで「僕は今あなたのためにここにいます。全ての注意を注いで
います。」みたいな類の臭いセリフを並べ立てます。「I’m sorry for having kept you wating so
long. But, I’m here to help you. Now you have my full attention.」と言うと、相手は
「Perfect!」と言い返してきたと思います。「何が完璧やねん。」とか思いながら、その後は普通の問診を続
けることができました。特別リスニングで苦しんだということはありませんでした。そのケースを何とか終えて、
「我ながらよくできた。覚えたことが役に立った。これはいい点に違いない。」なんて悦に入っていましたが、そ
の後再度 SP からフィードバックをもらうために入室すると、「英語がそんなに悪いわけではないけど、7 点くら
いかな。たまに何を言っているのか分からなかったよ。」みたいなことを言われショックを受けました。「これで 7
点?完璧に覚えたはずだぞ。これ以上どう改善しろと言うのだ。しかも CIS も全然だめだ。よし次のケース
で巻き返すぞ。」と思い、次にケースに挑みました。入室するとベッドの上に患者が横たわっていました。朦
朧とした振りをしており、皮疹も認めたので「なんだ髄膜炎か。神経診察して終了じゃ。」と思い、いつも通
り挨拶をし、問診を始めようとしました。すると患者は腕で顔を覆い話しかけても反応してくれません。「そう
だ!光がまぶしいに違いない!」と思って部屋の明かりを消しましたが、反応がありません。完全に手詰ま
りです。しょうがないので、大きな声で話しかけますが、めちゃめちゃ小さな声で話すので何を言っているのか
さっぱりわからず、耳を近づけるをえませんでした。それでも問診がうまく進まないので焦っていると、「もしか
してこの人、僕がライト消したことに気づいてないのでは?」ということを思い付きさらに 2 個のライトを消しま
した。するとやっと顔から腕をのけましたが、やはりろくに喋ってくれません。「こいつはあかん。展開を理解で
きとらん。」と判断し、身体診察にうつり、適当にクロージングをして終えました。完全に意気消沈し、再入
室しフィードバックを受けることになりました。そこで若いおねーちゃん SP の発言が僕の心を串刺しにします。
「あなたの英語は何言っていたのか全然わからなかったわ。だから 4 点。あと耳の近くて話されて本当に不
快だった。あと口が臭い。」こんなに穴があったら入りたい気持ちになったことはありません。これはもはやただ
の悪口です。他にも口が臭いと指摘されている人は何人かいました。また帰国子女なのに 4 点という点を
つけられている人。極めつけは、アメリカ人なのに英語で 7 点を付けられている人もいました。お前は国語
の教師か。と言ってやりたかったです。合格には 8 点、9 点必要なのに 4 点じゃ合格できるわけないやん、
とめちゃくちゃ凹みましたが、そこで立ち止まっているわけにはいきません。翌日に 12 ケースの模擬試験があ
るので今回の反省を踏まえて必ずや良い成績をとってやろうと思いました。模擬試験は前半組と後半組に
分かれます。前半組は 6 時半くらいから試験が開始されます。僕は前半組でした。本番と同じように 12
ケースを 1 日で行います。さすがに他の受験生も緊張した面持ちでした。総じて感触は良かったと思いま
す。患者は隠していた DV も覚えていたフレーズを使って暴露させることができたし、それ以外でも練習の
301
成果が出たような気がしていました。その模擬試験の後はそこで仲良くなった日本人達やスウェーデン人と
日本食居酒屋に行きました。ホテルのすぐ近くには OTOOTO という日本食居酒屋があります。これは日
本のチェーン店で、常にシェフが日本から定期的に派遣されてきているので味は保証されています。
Kaplan を受ける方は、その際にストレスフルな生活になることが予想されますので、そこに行ってストレス
発散してみてください。
日本人と日本語で話さないほうがよいと思われる方もいると思いますが、この環境は予想以上に過酷で
す。僕としてはそんな英語漬けの生活にして自分に負荷をかけるよりも、同じ日本人同士で悩みを打ち
明け合ったほうがいいのではないかと思いました。翌日に試験の結果を受け取ります。結果は悲惨なもの
でした。結果発表の前にその結果の解釈方法について説明があります。CIS,SEP,ICE がそれぞれ評価
され、また ICE はさらに身体診察とカルテに分かれて評価されます。そしてその結果に応じてそれぞれ違っ
た色のマーカーが引かれ、緑なら「合格間違いナシ。
すぐに受けても合格するでしょう。」、黄色は「悪く
ないけど、受けるならさらに数週間練習をつんだ後
に受けたほうがいいよ。」、赤は「受けんな。(とい
うか、Kaplan もう一回受けろ。)」という意味を
持ちます。果たして僕の結果はいかなるものに。
CIS は黄色でした。黄色のやや下ほう。ICE の身
体診察は緑でした。カルテは黄色の真ん中。そし
て英語はなんと赤色でした。しかもおしくない赤。も
うすぐ黄色でもない。具体的には 68%以上で黄
色ですが、60%でした。でも隣に座っていた TOEIC990,TOEFL103 の方も赤でした。結果に赤がある
ということは、Kaplan 的には合格率は極めて低いということになります。そして他の日本人も同じような結
果でしたが、英語に関しては僕が一番低かったです。日本人の合格率がかなり低い(一説によると 20~
50%)と言われる中、6 人中 1 番英語の成績が悪いのに果たして合格できるのか、と考えざるを得ませ
んでした。この日の夜はさすがに弱気になりました。他の日本人も同じようにショックを受けているようでした。
ある人は、母親と 1 時間も国際電話をしたようです。「どうする?延期する?」という言葉がホテル内を飛
び交っていました。僕とは違う時期の講習では日本人 5 人の内 4 人がオール赤で皆試験を延期したとい
う話も聞きます。中には既にアメリカで研究されており十分に対策をしてきたにもかかわらずオール赤であっ
たため、大変なショックを受け途中で帰ってしまったということもあるそうです。ここでもう一度大事なことを言
わせていただきますが、Kaplan の結果を決して真に受けてはいけません。もし Kaplan の結果に信憑性
があるなら僕たちは殆ど落ちていたはずです。でも多くは合格しました。僕の場合でもそうです。SEP はボー
ダーにすらかかりませんでしたが、緑だった ICE は合格ギリギリでした。もちろん自分の中で微調整をした結
果ではありますが、はっきり言って Kaplan とはまるっきり反対の結果になりました。講習を受ける前に十分
な準備をしてきたと胸を張って言えるのであればそのまま本番まで猪突猛進すればいいのです。もし準備
不足ならその言葉を疑うこともできないでしょう。しかし、僕は日本で一番準備をしてきたという自負があり
302
ました。だから延期をするなんてことは一切考えませんでした。金曜日に最終講義があり、5 日間の講習
は終了となりますが、続けて 1 日の模擬試験が土曜日にさらに控えています。これは 5 日間の講習内で
行った模擬試験と一緒のものでケースの内容だけ異なります。その日の内に結果が返ってきますが、紙面
だけのフィードバックで、講義はありません。1 日の模擬試験は 1 日の定員が 12 名で、5 日間の講習とメ
ンバーが異なります。アメリカの医学生も念のためにこの模擬試験だけは受けておこうと思う人が多いらしく、
アメリカ人の姿も散見されます。つまり、僕たち日本人の相対評価が確実に下がると言えます。そのため、
この模擬試験の結果はよりシビアなものになると言われています。実際の僕の結果は、CIS が黄色の上、
ICE は身体診察が赤(そもそもトリッキーなケースが多く診断自体間違えていました。)、カルテが黄色の
真ん中、SEP がまたもや赤でした。しかし今回は 64%と改善傾向ではありました。SP によると僕は流暢
な英語を喋ろうとして早口になる傾向があるため、その時に発音のせいで何を言っているのか理解に苦し
むことがあると言われていました。そのため、最後の模擬試験ではできるだけゆっくりはっきり話すことだけをこ
ころがけ、他のことは一切気にしませんでした。そのせいで ICE が悪かったのでしょう。結果としてあるケース
で初めて英語で 9 点をもらいました。しかしなんとあるケースでは 2 点でした。2 点の内訳は、医師は患者
の言っていることを理解しているという項目が 2 点中 2 点で、あとは 0 点でした。「2 点ってなんじゃい。こっ
ちの言っていることが本当に分からないのなら、何で僕が患者の言っていることを理解できたことが分かった
んじゃい。」なーんて汚い言葉は決して口にはしませんが、やり場のない怒りが込み上げてきたのは事実で
す。しかし、SP の中には「君の英語はこの 3 日間でかなり上達している。このままがんばれ。」というメッセー
ジをくれる人もいれ、この言葉は本当に励みになりました。6 日間にも渡る長い Kaplan 生活も終わり、い
よいよ試験会場の近くのホテルに移動する夜がやってきました。会場近くのホテルに移動する前に、意気
消沈した日本人達が Pasadena のホテルのロビーに集まっていました。みな口々に不安を漏らしました。
しかし、ここまで来て逃げるわけにもいきません。今までの色々と厳しい評価を受けてきており、みな何が本
当に大事なのかが分からなくなっていました。本当に点取るためだけに色々なことを機械的にすべきなのか。
そこに疑問が集中しました。そして我々が出した結論は「否」。「果たして SP は本当に機械的に振るまい
点数だけを取りに行くような受験生をアメリカの医師にしたいと考えるろうか。いや、それはないだろう。確か
に英語で最低限のコミュニケーションを取れることは必須だろうが、何よりも SP がこの受験生に医師になっ
てもらって自分も診察してもらいたいと思えるような振る舞いをすることが何よりも重要なのだろう。つまり、
相手に好印象を与えるような振る舞いが大事であり、笑顔を忘れず、アイコンタクトを意識し、患者の気
持ちに共感するように意識しよう。さらに簡単にいえば、その SP を本当の患者だと思って診察することが大
事なんだ。」こんな結論に至りました。くさい結論であることは承知しております。しかし、点数をつけるのい
は SP です。多少診察に不備があろうとも、印象の良い人に良い点数をつけたくなるのが人間です。どんな
に緊張しても笑顔だけは忘れてはならない。笑顔が一番大事だ。そう悟ると不安も徐々に薄れていきまし
た。答えを出しあった仲間たちとの楽しい時間も終わりの時が訪れ、試験会場近くのホテルに行くためにタ
クシーに乗り込みました。色んな感情を体験することができた Pasadena のホテルを背に決戦の舞台へ近
づいていきました。
303
★本番まで
Kaplan で知り合った日本人と一緒にタクシーで各ホテルまで向かいました。試験会場はエルセグンドと
言う地域にあり、空港から歩いても行ける距離です。Pasadena のホテルからはタクシーで 1 時間以上か
かります。僕は試験会場から徒歩 15 分程の Court yard というホテルに泊まりました。ホテルは非常に
綺麗で快適でした。おすすめです。土曜日の夜にホテルについて、試験日は火曜日でしたので時間はま
だ 2 日間あります。タクシーに同乗した方はさらに試験会場に近いホテルに泊まり、月曜日に受験を控え
ていました。2 日間をどのように費やすか考えましたが、今更全体を抜本的に変えることは現実的ではあり
ません。そこで再三注意された発音を少しでも改善すべく対策することにしました。最初に自分の覚えた挨
拶のテンプレートを見直しました。言い回しが難しい部分は省略し、とにかく単純化することに心がけました。
また日本でお世話になった外国人英語教師に連絡し、自分の英語を録音してそのファイルを送り、一つ
一つ発音を確認してもらいました。さらに Language exchange で知り合ったプエルトリコ人に連絡し、ス
カイプでまた発音の矯正をしてもらいました。もうここまで来たらやれることだけのことをやろうと思い、ホテル
の近くのスタバに行き LA の住人に話しかけることにしました。本番の SP も多くは LA の住人のはずです。
「もし話しかけた人が僕の英語を理解してくれるなら、本番の SP も僕の英語を理解してくれるに違いな
い。」と思い、思い切って左横で映画を見ている初老男性に話しかけました。「こんにちは。今時間はありま
すか?僕は日本から来た医師です。火曜日にアメリカ医師免許試験があります。実は今自分の英語力
のことで悩んでいます。よかったら患者役をやってもらい、英語のことでもし何か気付いた点があれば何でも
教えてくれませんか?」とお願いしました。最初はかなりびっくりした様子でしたが、すぐに快くお願いを聞いて
もらえることになりました。1 ケース分患者役をやってもらいましたが、その後のフィードバックでは「君の英語
の殆どは理解できた。理解できなかったのは 3 単語だけ。Problem、full、blood だけだ。」と言っていただ
き非常に安心しました。皆さんにもこの手段は非常におすすめできます。自分の英語が通じるかどうかは、
街ゆく人で確認すればいいのです。もちろんみんなが快諾してくれるわけではありません。それでもこういう
小さな勇気が合格に導いてくれたのだなと思います。さていよいよ試験当日がやってきました。朝 6 時半頃
に起き、着慣れないスーツに着替え持ち物を確認して試験会場まで徒歩で向かいます。非常に気持ちの
いい朝でした。8 時までに会場集合とのことでしたが、早めに行ってもやることないし、外人と話すのも面倒
くさいなと思い 10 分前くらいに到着するようにしました。ロサンゼルスの会場は同じような建物が並んで建っ
ているため少し迷いやすいです。念のためにいっておくと南側の建物が試験会場です。エレベーターで 13
階に上がると受付があります。受付でパスポートや書類を提出します。すると受験番号の書いたワッペンを
2 つ渡されますので、それを両腕に各自で取り付けます。8 時からオリエンテーションが始まりますが、それま
で控室で待つことになります。自分の番号のついた椅子に座り待ちます。僕は受験番号 10 でしたが、偶
然にも 11 番が Kaplan で知り合った日本人だったので少し気が和みました。周りを見渡すと 24 人の受
験生がいました。恐らく 1 日定員 24 人で、12 ケース毎に分けて実施しているのでしょう。印象としては半
分くらいがアメリカ人で、もう半分が IMG だと感じました。その内、僕を含めてアジア系が 6 人くらいだったよ
うな気がします。12 番の方は多分イラン出身でした。恐らく 2-3 月は IMG が多い時期なのでしょう。ねら
い目だと思います。9 時になると試験の待合室に誘導されます。そこでは最初にオリエンテーションのビデオ
304
を見させられます。そのビデオは USMLE のホームページで見られるビデオと一緒です。皆さんも受ける前に
何度か見ておいたほうがいいです。僕はそのビデオをみて「本当にカルテに PFs って書いちゃいけないんだ。」
なんて改めて気が付くことがありました。事前に 2 度は見ておいてください。上にも書きましたが、試験官が
色々説明してくれましたが、その 3 割くらいが理解できませんでした。心の中で「試験官の言っていることが
分からないような人が果たして合格できるのか。」と思ったものでした。その後、持ち物をロッカーにしまうよう
に指示されます。持っていていいものは、聴診器、飲み物、食べ物、クレジットカード、歯ブラシくらいでしょ
うか。その後に器具の使い方の説明を受けます。10 分くらい時間を与えられ各自使い方をチェックします。
みなさんも日本で練習される際には是非器具を使って練習されるといいでしょう。学生さんであれば学校
に器具はそろっているはずですし、既に卒業されていても働いている病院に器具はそろっていることが殆どで
しょう。そしていよいよ試験が始まります。試験が始まる前に出来ればトイレに行っておいたほうがいいと思
いますが、LA の会場ではトイレは 4 つしかありません。皆が器具を触っている間に用を済ましてしまうほうが
いいかもしれません。9 時前になると待合室から試験をする部屋に誘導されますが受験番号順に並ばさ
れます。そして 1 列になり軍隊の様に歩き各部屋の前に立たされます。12 枚の青い紙とボード、そしてボ
ールペンが配られ開始時間まで待たされます。SP please prepare.というアナウンスがありその 30 秒後
に試験が開始されます。僕の場合は右に日本人、左にめちゃめちゃでかいアメリカ人医学生が立っていま
した。アメリカ人のほうは試験開始とともに部屋に入っていきましたが、それにつられるわけにはいきません。
最初に Doorway information をしっかり読み、主訴に応じた語呂をメモ用紙に書き、鑑別を考え、ど
んな診察をすべきかを事前にしっかり考えてから入室しました。右の日本人も同様に入室前に十分に時
間をかけていました。試験日はめちゃめちゃ緊張するかと思いきや、意外とリラックスした気持ちでした。とは
言っても試験開始と同時に他の受験生が入室すると多少の焦りも出てきます。でもここで焦ってはいけま
せん。ホテルで皆と結論を出したあの言葉を思い出しました。そう、笑顔を忘れてはならないと。改めて笑
顔を意識し、もうむしろ気持ち悪いかもしれない程にこにこし、いやもしかしてにやにやしていたのかもしれま
せん。そして最初の部屋に入っていきました。試験の内容を書くと厳しく罰せられる可能性はあるのでここで
は詳しくは書けませんが、試験の具体的な内容に触れないように試験での出来事を書いていきます。最
初のケースから大変でした。SP の英語の癖がめちゃくちゃ強かったのです。最初英語かどうかもわかりません
でした。「あれー変な言葉話すおばちゃんいるぞ。」と思いながら、仕方なく一方的に挨拶と質問を続けまし
た。会話をしている振りを続ける中で断片的に「yesterday」などという英語が聞こえてきて、彼女が英語
を喋っていることがわかりました。どうしても問診に時間がかかってしまい最初のケースは closing の途中で
タイムアップになってしまいました。何とか最後まで言い切って部屋を出ようとしていたら、試験官が部屋に
入ってきたので、これはやばいと思いすぐに部屋を出ました。最初のケースは微妙でしたが、ここでくじけるわ
けにはいきません。その後のケースは全て時間内に終えることが出来ましたが、総じてリスニングで苦労しま
した。とにかく SP の話すスピードがナチュラルで早いのです。SP によっては 5 割くらい何を言っているのかわ
かりませんでしたが、分からない時の対処方こそ今までの練習の成果が出ました。患者が何を言っているの
か分からなくても(実際の臨床現場では分かるまで聞くべきですが。)I see. I understand. Oh,
that sounds hard. I can see you have a lot of stress. など同情を示す言葉を並べ立てます。
そして患者が言いたいことを言い終わると、理解できた部分だけをまとめて言ってあげます。心の中の言葉
305
と実際に声に出した言葉はこんな感じです。「(なに言っているか分からん。でもわかったふりをしないと。)
Ok, I understand. You have severe abdominal pain. It started yesterday. (誘因につい
て何か言っていたけど聞き取れなかったな。まぁそこは敢えて言うのはやめよう。) And, it’s getting
worse. It is 7 out of 10 in intensity. And, movement makes it worse. Nothing makes
it better. (他にも増悪因子について言っていたけど、聞き取れなかったからもう一回言ってくれ。)Is
that correct?」こんな感じで分かったふりをします。事前に間違っている場合は修正してくれと言っている
ので、間違った情報を正してくれる場合が多いです。このように大半の場合は分かったふりができます。いや、
もちろん本当に理解できるのが理想的ですが、あの完全にナチュラルな英語を完璧に理解できる非帰国
子女の日本人は殆どいないと思いますのでこういう誤魔化し方も非常に重要なテクニックです。非常に英
語が堪能な僕の知人ですら理解できないことが何度かあったそうです。ただし、適当に誤魔化すことが難し
い場合もあります、それは患者からの質問です。しかし、質問が分からない場合でも何とかして誤魔化す
方法はあります。僕も本番で二回質問が理解できませんでした。ある少年が「・・・・too young?」と聞い
てきました。「Sorry?」と聞き直しましたがやはりわかりません。何が too young なんだと焦りましたがここで
何も答えないわけにはいきません。ここで伝家の宝刀 I understand your concern.を投入します。「I
understand your concern. In order to answer your question correctly, we need to
run some tests. After that, I should be able to give you the more accurate answer.」
と答えました。どうでしょうか。決して彼の欲している答えは提供できていませんが、会話自体は成立してい
ます。CS の性質上、診察時に診断が確定していることは無いので、質問に対して正確に答えることは難
しいのです。上記の答え方は非常に多様な質問に対し使える万能な誤魔化し方です。切り札として覚え
ておきましょう。もう 1 つ理解できない質問がありました。「○△×?(恐らく、痛みを改善するために自分
でなにかできることはないのか的な質問)」と聞かれ、聞き返しましたがやはりよくわかりません。上記の答
え方だと若干違和感が出てしまうなと感じ、頭をフル回転させ何とか誤魔化そうとしました。若干リスキーで
はありましたが以下の様に答えました。「I understand your concern. But, don’t worry. We
have a lot of good treatment for you. You should be able to get the best diagnosis
and treatment. And also we are not sure what is cauing your problems. At first, we
need to figure out what is going on exactly. Is that Ok?」もうゴリ押しです。どう考えても多少
の無理がありますが、こう言うと Ok と言って相手は引き下がりました。まぁこれでいいです。ちなみにその症
例が最後の 12 ケース目であったため、やっと終わるという感慨深い気持ちがこみ上げてきました。そして目
の前の SP に対して「おっさんよ(失礼)。本当にお願いだからこの僕に良い点数をください。ほんと頼
む。」なんて思っていたら、退室の際に思わず SP の手を握り締め深々と礼をしてしまいました。これが日本
人のおじぎや!なんて言わんばかりの深いを礼をしてしまいました。みなさんはしなくていいですからね。でも
多分のこの人が僕におまけの 1 点をくれたんや、何てポジティブにとらえています。本番ではカルテも時間内
に書き終わりました。まぁ実際リスニングできなくて十分な現病歴が書けなかったことも早く書き終わった理
由になってしまいますが。最後のカルテを書きあげ、アンケートに答えると、ついに英語の勉強の対策を始め
てから 2 年にもわたる、Robbins を始めてから 7 年にもわたる長い闘いが終わりました。試験が終わるとペ
ンや紙は全て回収されます。その場で待つように言われて待っていると、試験を無事終えましたよって書い
306
てある紙を渡されます。この紙をもらうのにどんだけの労力をかけたことでしょうか。待合室に戻ると自由解
散です。受験番号が隣だった日本人と一緒に帰ることになり、今まで我慢していた日本語で話しまくりまし
た。お互い大変だったと労い合い、そして試験会場を後にしました。ロサンゼルスの空は晴れ渡り、僕らの
戦いの終わりを祝ってくれているようでした。
その夜は Kaplan で知り合ったスウェーデン人の家に行き、飲みながら夜のサンタモニカを見学しました。
折角ロサンゼルスに来たのにこれが初めてのロサンゼルス観光になりました。
僕にとってのロサンゼルスの春の思い出は CS で全て埋め尽くされてしまいました。いつかそんな思い出を
また違った思い出に塗り替える日々を楽しみにしています。試験日の翌日には日本への帰路につきました。
空港で名物のウマミバーガーを食べ、行きと同じシンガポール航空の飛行機に乗り込みました。試験を受
けるまでの長い長い闘いの思い出を心の中で反芻し、その次の瞬間にはこの経験の全てをマニュアルに詰
め込む決意をしていました。
★試験を終えて
CS の合格発表は他の STEP1 や STEP2CK とは異なり発表日が事前に決まっています。一定の期間
内で受けた人は決まった期日に合格が発表されます。それはホームページで確認できます。僕の場合は
2015 年 4 月 29 日でした。マニュアルを作りながらその時を待ち続けました。合格するとも分からないのに。
307
マニュアルを作るという行為は合格するということを前提とした行為です。もし皆さんが何か願い事を持ち
日々努力しているのならば、皆さんも自分がその願い事が既に叶っているかのように行動をしてみてくださ
い。恐らくこれは真理ですが、口から出す言葉が、そしてあなたがする 1 つ 1 つの行動の全てが未来を引き
寄せるのだと思っています。僕は STEP1 を受ける前の一年間、人がいないところで「STEP1 で 99 取れま
した感謝します。」と言い続けそれを可能にし、STEP2CS の時も同じように合格を口にし、そして合格す
ることを前提にマニュアルを書き続けました。不合格ならそれを世に出すこともできないのに。最近になり幸
福なことに人から頼られることや、相談されることが多くなりました。部活の同窓会で会う山形大学の後輩
の一部に「神だ。」「天才だ。」なんて滅相もない言葉で形容されることがありますが自分が特別な人間だ
とはとても思えません。暗記しようとしてもすぐに忘れるし、CS もギリギリ合格だし、勉強しようと思っていたら
いつの間にか携帯ゲームに手が出てしまいますし。全然関係ない話ですが、僕は LINE ゲームの
TSUMTSUM が好きです。(このマニュアルを数年後に読み返した時に懐かしい気持ちになりそうです
ね。)現在の最高点は 1910 万です。全国大会では予選落ちしましたが、ライバル募集中なので CS 勉
強していてかつ TSUMTSUM に自信ある人は是非連絡を。話を戻しますと、つまり才能があったから合格
できたとは思えないのです。そんな天才はこんなに準備しませんし、試験官の言っていることが分からないな
んてことはありえません。でも、もし自分を成功者として、その成功の理由を後付けするのであれば、それは
「この世の摂理」みたいなものを少しだけ知っている(気になっている)からかもしれません。「あなた自分
が口にしたもの 1 つ 1 つに出会う」これはあるフランスの小説家の言葉です。これは真理だと思います。合
格したいのなら、「合格した」または「合格しました」と言い切ってください。「合格したい」ではいけません。そ
れを発すると、未来にまた「合格したい」と思ってしまうような事象を引き寄せるからです。だから「合格しま
した」と既に合格した気持ちになって言い切る必要があります。人の気持ちは簡単には変わりません。です
が、言葉は簡単に変えることができます。言葉に気持ちを込める必要はありません。ただ発しているうちに
気持ちに変化が出てくるのです。聖書にもこう書かれています。「はじめに言葉ありき、言葉は神とともにあ
り、言葉は神なりき。」別に僕はキリスト教徒でも何でもありませんが、やはり世界で一番読まれている本
にはそれなりの理由があるものだと思います。初めに変えるべきは気持ちではなく言葉なのだと、そう教えて
くれています。僕は基本的にとても素直です。何故なら失敗経験が多く、自分が完璧でないことを知って
いるからです。だから人に言われたことや、本に書いてあることは取りあえずバカになって試してみます。そん
な経験から色々な気づきを得ました。自分の過去を振り返って、その成功の理由を探してみてもそれくらい
しか思い当らないのです。みなさん知らず知らずの内にネガティブな言葉を発していませんか。学生の皆さ
ん、いつの間にか国家試験が不安になってそっちの勉強ばかりをしていませんか。皆さんが本当に心から望
んでいることを今あなたはしていますか。もう一度自分に問いかけてみてください。4 月には後期研修医とし
て新たな生活をスタートさせました。慣れない仕事に忙殺される中、いよいよ 4 月 29 日がやってきました。
その瞬間は突然訪れました。東京から家へ帰るバスに乗り携帯をみると、一緒の時期に受験した方からの
合格報告がありました。いよいよ来たかと思い、メールチェックをすると Your score report is now
available.と書いたメールがありました。一瞬躊躇しましたが、メールを開きすぐに OASIS(ホームペー
ジ)にアクセスしました。すると以下のように表示されました。
308
赤文字に注目してください。「あなたは ECFMG が求める必要
な条件を全てクリアしました。」と書いています。そうです。つまり
CS に合格しているということなのです。一気に気が抜けました。
そして確認のために PDF を開きました。
無事に合格していました。本当に有難うございました。そして、
各項目のスコアを確認してみます。
あれ、ICE やばくないか。これ落ちてないのか。まさか間違って
合格になっているのではないかと疑ってしまいました。今でも「ご
めん。実は間違って合格にしてしまいましたー。テヘペロ。」なん
てメールが来ないかびくびくしています。
309
合格通知が届いて、今までお世話になった皆に報告メールしました。特に学生時代からお世話になった教
授は、僕以上に喜んでくれました。本当に頑張ってきて良かったと思いました。こんなに人を喜ばすことがで
きたのはこれが初めてかもしれません。今自分にできる最大の社会奉仕は、稲森和夫さんの言葉を拝借
して「手が切れるような」マニュアルを作ることです。誰が使っても有益になるように、触ったら手が切れてしま
うような完璧なマニュアルのことを指します。マニュアル作成期間は数か月にも及びました。実質半年以上
でしょう。そんな中、いよいよ 6 月 5 日にこれが届きました。
そうです。これが ECFMG Certificate です。これを
手に入れるために 7 年という長い間闘い続けてきました。ついにアメリカでレジデントとして働く権利を得たの
です。ここで僕の USMLE 受験の物語は終わりです。これを読んでいる皆さんも進行形で USMLE 合格に
向けて努力されていることでしょう。CS の本番の試験はもうすぐでしょうか。そこでみなさんに僕からのメッセ
ージです。試験直前に読んでください。
★もうすぐ CS を受験するあなたへ
これから CS を受験するあなた、今まで本当にお疲れ様でした。これを読んでいるあなたは、まだ日本にい
ますか。それとも Kaplan の講習を受けているところでしょうか。もしくは、本番の前日でしょうか。英語が苦
手な人は特に大変な道のりだったでしょう。僕と同じように、最初は CS なんかとても合格できる気がしない
と思っていた方もたくさんいたのではないでしょうか。一生懸命に頑張ってきたにも関わらず Kaplan に厳し
い評価をされたのではないでしょうか。辛い気持ちはよくわかります。僕も同じでした。僕の好きな言葉に
「人間万事塞翁が馬」という言葉があります。これは起こった1つ1つに一喜一憂せず、今自分ができる
ことに集中すべきという意味だと解釈しています。幸福は不幸の顔をして現れることがあるからです。
USMLE で学んだことはどんなに辛いことであっても、いつかそれが幸福という形で返ってくる可能性があるの
です。であるからこそ、どんなに辛いことがあっても今できることだけに集中すべきなのです。CS 直前には誰
もが不安になるものです。不安だからって延期するなんてことは考えずとにかく今できることに集中してくださ
い。発音が苦手だと感じるなら残った時間を使って発音矯正をしてください。鑑別疾患が不安なら 1 つで
310
も多く語呂を覚えてください。そして本番は笑顔を忘れないようにしましょう。改めまして本当に今までお疲
れました。皆様の努力が実ることを遠い地から祈っております。Fin.
311
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