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大倉喜七郎とホテルオークラ - 週刊ホテルレストラン HOTERES WEB
大成建設 山内隆司の 世界の風に吹かれて⑯ 大倉喜七郎とホテルオークラ 戦後の財閥解体によって、大倉財閥の2代目大倉喜七郎は、父・喜八郎から受 け継いだほとんどの事業を手放し、帝国ホテルの会長職からも退くこととな った。しかし、ホテル経営に生涯を捧げた喜七郎は、公職追放を解かれた後、 しかし、戦後、GHQによる財閥解体と 公職追放により、喜七郎は帝国ホテルの 最後の仕事としてホテルオークラを設立。その開業までを聞いた。 会長職など民間企業の要職に就くことを 禁じられ、父から受け継いだ事業のほと んどを手放します。失意の底にあった喜 本における都市型ホテルの近代化 七郎ですが、昭和26(1951)年に公職追 をけん引してきたのが、ホテル御三 放を解かれると、ホテル建設に向け動き 家と呼ばれる、帝国ホテル、ホテルオー 出します。常々「首都に一流のホテルがあ クラ、ホテルニューオータニの三つのホ ることが、その国の文化の尺度を測る物 テル。当社は、この日本を代表する三つ 差し」だと語っていたという喜七郎の悲願 のホテル設立や建設に携わってきました。 であったのは、世界に誇れる国際的ホテ 今回は、帝国ホテルに続き、ホテルオー ルの設立でした。折しも、戦後の復興に クラの設立と当社のかかわりについてお 伴い日本を訪れる外国人が急増していた 話しします。 時期でした。そして喜七郎の “日本の伝統 喜七郎の理念の結晶となったホテルオークラ 当社の前身である大倉土木をはじめ帝 美によって諸外国からの貴賓を迎える” と 国ホテルなどの企業を次々と設立し、一 するホテル理念に賛同する人々が喜七郎 代で財閥を築いた実業家、大倉喜八郎。 の下に集まってきました。昭和21(1946) その長男である大倉喜七郎は、美術や音 年に、大倉土木から大成建設へと改名し、 楽、スポーツにも造詣が深く、イギリス・ケ 近代的建設会社として新たな道を歩み始 ンブリッジ大学への留学中には、自動車 めていた当社も、喜七郎が理想とするホ の運転を覚え、明治40(1907)年にロンド テル設立への協力を申し出て、ほかの出 ン近郊で行なわれたカーレースで2位に 資者とともに、昭和33( 1958)年に大成観 入賞。日本人初のレーサーとなりました。 光株式会社を設立。ホテルオークラ建設 昭和5(1930)年には、イタリア・ローマで のプロジェクトがスタートし、当社はホテル 「日本美術展覧会」を開催し、横山大観を オークラ本館の設計と施工を担当しまし はじめ多くの日本画家たちをヨーロッパに た。 “日本の伝統と近代的なホテルの調和” 紹介しています。さらに喜七郎は私財を という理念を具現化するために、建築家 投じ、昭和6(1931)年に当社の施工によ の谷口吉郎を委員長とする設計委員会を り完成させた札幌の大倉山ジャンプ競技 設け、日本の美術界を代表する芸術家に 場を札幌市に寄贈しました。その後、同 も意見を聞きながら、伝統的な美しさを 競技場は皆さんもご存じの通り、昭和47 表現させた空間を作り上げていきました。 (1972)年に開催された冬季オリンピック また、建設技術者を海外に派遣しホテル 札幌大会においてジャンプ競技の舞台と 設計の研究に当たらせ、その成果をホテ なりました。 ルオークラの建設へ反映させていきまし そして、大倉家2代目当主として喜八郎 た。昭和37(1962)年、喜七郎の夢を託し から数多くの事業を受け継ぐのですが、 たホテルオークラ本館が遂に開業。ホテ その中で喜七郎が人一倍のこだわりを持 ル経営者として奇跡の復活を遂げた喜七 (やまうち・たかし) 氏プロフィール 蘆山内隆司 っていたのがホテル事業の経営でした。 郎は、その時、齢80歳でした。 1946年6月12日、岡山県・邑久町 (現瀬戸内市) に 喜八郎に代わり帝国ホテルの会長を務め そして、このホテルオークラ建設で培 生まれる。府立天王寺高、東京大学工学部建築学 科を経て、69年6月大成建設㈱入社。建築畑を歩 る傍ら、川奈ホテル、上高地帝国ホテル、 った最先端の技術やノウハウを生かす機 き、ヒルトン東京ホテル、そごう川口店、センシティ タワーなどを手掛ける。99年6月執行役員関東支 赤倉観光ホテルなど数多くのホテルの設 会が、時を経ず当社に訪れます。それが、 店長、2002年4月常務役員建築本部長、05年6 月取締役専務役員建築本部長、06年4月取締役専 立や運営に携わり、近代的ホテル経営に 昭和39(1964)年に完成した、ホテルニュ 務役員社長室長などを経て、07年4月代表取締役 先駆的な役割を果たしました。 ーオータニの建設工事でした。 社長、現在に至る。 日 ‐2011.10.28‐ 51