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要旨 本稿は、 宇治十帖の大君の 「結婚拒否」 における、 「八の宮の 遺言

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要旨 本稿は、 宇治十帖の大君の 「結婚拒否」 における、 「八の宮の 遺言
 −八の宮の遺言の遵守をめぐってー
大君の結婚拒否における儒教的形象
言を守ろうとした強い意志とともに、父親への孝心、妹の中の君へ
本稿の要点は、大君の結婚拒否の生き方の根底には、八の宮の遺
が窺えた。
八の宮の遺言 結婚拒否 考 仁愛 儒教
一八の宮の遺言
はじめに
目次
キーワード
の仁愛という儒教的な精神が内在されていると考えられた。
臼908津。す口ま円ヨ厳09匹目一、°・同①蜜゜・巴8日霞越
⋮Oo琴①毎ぎσqoげω霞く⇔暮Φ亀げ鉾ヨo目好9、ω曽鼠=
李 興淑
い国国国①⊆昌σqωoo犀
要旨本稿は、宇治十帖の大君の﹁結婚拒否﹂における、﹁八の宮の
遺言﹂と﹁中の君﹂との関係について考察した。大君は、薫の熱心
二大君の性格
三八の宮の遺言と大君の孝
四大君の結婚拒否と妹への仁愛
まとめ
はじめに
宇治十帖の大君をめぐって最も問題とされるのが、彼女の結婚拒
否であり、その要因の一つとして主に八の宮の遺言が指摘されてい
る。八の宮の遺言の核心は﹁皇族としての誇りとその精神の継承﹂
であると思われる。大君は八の宮のそのような遺言の精神を守り通
して死んでいくが、そのような姿勢からは男性を髪髭とさせるよう
な並々ならぬ強い意志が読み取れる。そのような大君の精神世界の
(37)
な結婚の申し出を拒み通して死んで行くのであるが、その原因の一
つが八の宮の遺言と関係があると考えられ、その問題について桐壺
院の遺言に対する朱雀帝の孝の問題を媒介に検討した。八の宮の遺
言の核心は、 ﹁皇族としての誇りとその精神の継承﹂であり、大君
はそれを臨終の際まで守り通したのである。このように父親の遺言
を全うしようとした大君の精神の底辺には、父親に対する強い孝心
が内在されていると思われた。
また、大君は、妹の中の君のために、薫の求婚を拒み続け、中の
君が匂宮と結婚することになった後は、婿として匂宮を受け入れ、
より一層妹のために尽力し、死ぬ直前には薫に妹のことを頼んで死
んでいくのであるが、このような大君の並々ならぬ中の君への愛か
らは、姉が妹を精神的にも社会的にも見守るという﹁仁愛﹂の精神
一22−
れる。本稿は、大君の結婚拒否について、八の宮の遺言に対する彼
その意識には父親に対する﹁孝﹂の観念が内在化されていると思わ
底辺には、八の宮から受けついだ﹁皇族の誇り﹂が据えられており、
遺したその遺言の全容は次のようである。
のは、唯一父親が残した遺言の訓えであった。八の宮が姫君たちに
大君が、父親もいない厳しいこの世を生きぬくすべとして頼れるも
八の宮に養育され、世間の荒波からも守られて穏やかに生きてきた
世のこととして、つひの別れをのがれぬわざなめれど、思ひ慰
女の儒教的な孝の観点から、桐壺院の遺言に対する朱雀帝の孝の問
題を媒介に検討する。また、大君の中の君に対する親代りの役割に
ついて、仁愛という儒教的な徳目の観点から考察する。
まん方ありてこそ、悲しさをもさますものなめれ。また見ゆつ
みじきこと。されども、さばかりのことに妨げられて、長き夜
る人もなく、心細げなる御ありさまどもをうち捨ててむがしい
宇治十帖の大君は、薫の熱心な結婚の申し出を拒み通して死んで
の闇にさへまどはむが益なさを。かつ見たてまつるほどだに思
一八の宮の遺言
行く。なぜ大君は薫の求婚を拒否せざるを得なかったのであろうか。
ひ捨つる世を、去りなん後のこと知るべきことにはあらねど、
焦点として論じられる。
られる場合、﹁家﹂の問題︵5v、﹁薫への恋情︵6v﹂の問題などが、その
ると思われる。大君の結婚拒否が﹁八の宮の遺言﹂の観点から捉え
宮の遺言を守り貫くという彼女の強い覚悟が大きな比重を占めてい
などが指摘されている。しかし、大君の結婚拒否の根底には、八の
どのたまふ。
いとほしげなるよそのもどきを負はざらむなんよかるべきな
りたまへ。ひたぶるに思ひしなせば、事にもあらず過ぎぬる年
皿
月なりけり。まして、女は、さる方に絶え籠りて、いちじるく
契りことなる身と思しなして、ここに世を尽くしてんと思ひと
びき、この山里をあくがれたまふな。ただ、かう人に違ひたる
わが身ひとつにあらず、過ぎたま にし後面伏に、軽々しき心
口
ども使ひたまふな。おぼろけのよすがならで、人の言にうちな
(38)
その理由として、大まかに﹁八の宮の遺言︵←﹂、﹁後見の不在と薫へ
八の宮の死後、大君に残されたのは、父親が残した遺言と妹の中
︵﹁椎本﹂⑤一八四頁︶
の劣等感︵2︶﹂、﹁男の愛への不信感︵3︶﹂、﹁自身の容姿への衰え︵4︶﹂
の君であった。大君は八の宮の身代りとなり中の君を見守り、﹁宮
右に挙げた八の宮の遺言の内容は、姫君たちの結婚における戒め
家﹂を守っていかなければいけないという家父長的な立場に立たさ
れたのである。大君は八の宮の死後﹁親の代り︵7v﹂として宮家と妹
を守っていかなければならなかったのであるが、世俗とは断絶した
︵H︶、親の面目をつぶさないこと︵1︶、世間から非難されるよう
一21−
残している。
に遺した戒めにも表れている。八の宮は女房たちに次のように言い
る。人の宮のこのような心配は、姫君たちの結婚に関して女房たち
しての八の宮家の精神が失われるのを最も心配していることが分か
の死後、姫君たちが皇族の誇りと品格を失うのではないかと皇族と
姫君たちの生き方を規制していることが読み取れる。八の宮は自分
戒である。この三点の八の宮の遺言からは、いずれも皇族としての
な行動はしないこと︵皿︶、以上のように大まかに三点についての訓
以上のように八の宮が姫君たちと女房たちに遺した遺言の大きな
ま女房たちに遺した戒めにも継承されているのである。
るという戒めである。姫君たちに遺したこのような戒めは、そのま
あれば、結婚は勿論のこと、この山里を離れないで一生ここで終え
も強調されているのは、結婚相手が皇族の身分に相応しくないので
視していたことが分かる。八の宮が姫君たちに遺した遺言の中で最
たちの結婚においてなによりも皇族としての家の誇りと品位を重要
と説いている。このような八の宮の女房たちへの戒めからも、姫君
特徴は、同じ内容がそれぞれに繰り返して語られている点である。
のたまひおきしは﹂︵﹁総角﹂⑤三〇〇頁Vと、繰り返して戒めてい
八の宮は生前姫君たちに﹁かへすがへす、さる心して世を過ぐせと
こえあるまじき際の人は、 末の衰へも常のことにて、紛れぬべ
た。繰り返して強調されていたのは、八の宮の遺志の強さの表出で
(39)
何ごとも、もとよりかやすく世に聞
かめり。かかる際になりぬれば、人は何と思はざらめど、口階
あり、繰り返して強調しなければならなかったのは、遺言が守られ
一20−
うしろやすく仕うまつれ。
しうてさすらへむ、契りかたじけなく、いとほしきことなむ多
ない可能性もまた高いことという意味を内在していたと思われる。
W
かるべき。ものさびしく心細き世を経るは例のことなり。生れ
解できるのである。
右の故大納言の遺言について、浅尾広良氏は次のように述べている
かれはべりしかば
ヒ壺﹂①三〇頁︶
りぬとて、口惜しう思ひくづほるな﹂と、かへすがへす諫めお
﹁この人の宮仕の本意、かならず遂げさせたてまつれ。我亡くな
これは例えば、桐壺更衣に関する故父大納言の遺言の場面からも理
たる家のほど、 おきてのままにもてなしたらむなむ、 聞き耳に
V
も、わが心地にも、過ちなくはおぼゆべき。にぎははしく人数
めカむと思うとも、その心にもかなふまじき世とならば、ゆめ
ゆめ軽々しくよカら 方にもてなしきこゆななどのたばふ。
︵﹁椎本﹂⑤一八六頁︶
八の宮は、女房たちに、姫君たちの元へ軽々しく男の手引きなどを
しないように︵V︶、と戒めている。八の宮は、女房たちに戒めをす
るに当たっても、皇族としての家の位と格式などについて︵W︶延々
(「
と大君は感じている。八の宮が、姫君たちと女房たちに繰り返して
遺言したのは、自分の戒めが守られ難いということへの自覚であっ
︵8︶。故大納言は﹁自分が死ねば入内は困難になる、そうなる可能性
が高いからこそ、自分が死んでも娘を宮仕えさせる本意を遂げよと、
たかも知れない
宮は、姫君たちを連れて宇治に移り住んだ。八の宮にとって京は、
らなる悲運に見舞われた。京の邸宅が火事に遭ったのである。八の
側でひっそりと生きるほかなかった。そのような状況で八の宮はさ
れ、その失敗によって宮廷社会から見捨てられ、光源氏の栄華の裏
八の宮は、弘徽殿大后の東宮冷泉の廃太子の画策と陰謀に利用さ
二大君の性格 −
死に際になるまで繰り返して遺言したのである。﹂﹁遺言として﹁か
へすがへす﹂伝えおくのは﹂、果たされない可能性が高いという﹁そ
ういう物語状況であると確認できる﹂と指摘し、また、氏は﹁死に
際に桐壺帝が朱雀帝と光源氏の両名に東宮のことを﹁かへすがへす﹂
遺言するのは、逆にそれの達成が如何に困難かを表している﹂と指
摘している。大君は八の宮の遺言の並々ならぬ強い遺志を理解し、
﹁親の諌めし言の葉も、かへすがへす思ひ出でられたまひて﹂︵﹁総
角﹂⑤三一〇頁︶と、繰り返して反鯛していた。
政治的な画策と陰謀、背信などに満ちた二度と戻りたくない世界で
あったはずである。宇治に移り住んだ八の宮は、京とは決別し、姫
君たちと宇治の山里でひっそりと暮らして生を終えたいと強く決意
したに違いない。そのような八の宮の決心は、姫君たちと女房たち
に遺した遺言からも窺うことができる。
八の宮は、自分が政争に利用され、利用価値がなくなると、後は
見捨てられるだけという惨めな思いをしたことを痛切に受け止めて
いた。八の宮は自分の京での過去の苦い経験を元に、姫君たちだけ
には、自分のような辛い経験をさせたくないという強い、心があった。
八の宮は、自分の死後、もし姫君たちが結婚により京に戻り、結局
は夫に見捨てられるのではないかという心配をしていたのであろう。
もし姫君たちにそのような事態が起こったら、間違いなく世間から
(40)
実際八の宮の遺言は、段々破れていき、ついに守られ難い状況に
まで至る。大君は、
中納言の、とざまかうざまに言ひ歩きたまふも、人の心を見む
となりけり、心ひとつにもて離れて思ふとも、こしらへやる限
りこそあれ、ある人のこりずまに、かかる筋のことをのみ、︵中
略︶これこそはかへすがへす、さる心して世を過ぐせとのたま
ひおきしは、かかることもやあるむの諌めなりけり。
︵﹁総角﹂⑤三〇〇頁︶
と嘆くが、匂宮の中の君への冷淡な態度、薫の強引な行動とそれに
賛同する女房たちの背信的な行動などから、八の宮の遺言の真意が、
取り返しのつかない今の絶望的な事態になってはじめて納得される
一19−
そのまま受け継いでいたのである。
で厳しく制止していたのである。大君は八の宮のそのような心配を
である。そのような心配から八の宮は、姫君たちの山里離れを遺言
噂され、皇族としての八の宮家の面目は丸つぶれになると思ったの
の山里を離れず生を終えようと考えていたのである。しかし、大君
族としての宮家の格式を守りながら、父親がそうしたように一生こ
代りとなって中の君を幸せにし、自分は父親の遺志を受けついて皇
めていた薫と中の君を結婚させるために必死であった。大君は、親
の思ひに沈まず、罪などいと深からぬさきに、いかで亡くなり
影をさ 悩ましたてまつらむがいみじさ、なほ我だに、さるも
うのものと、人笑へなることをそふるありさまにて、亡き御
性格を超えた男性的で家父長的な強い意志とも言えるものが感じ取
を固めるのである。このような大君の強い意志は、女性の柔らかな
な中で大君は、自分だけでもしつかり父の遺志を守り通そうと決意
間のもの笑い﹂に転落していくように思われたのである。そのよう
の計画とは裏腹に中の君は匂宮と結婚し、八の宮が心配していた﹁世
なむ、と思し沈むに、
(41)
れる。大君の性格は次のように描写されている。
心ばせ静かによしある方にて、見る目もてなしも、気高く心に
くきさまそしたまへる、いたはしくやむごとなき筋はまさりて
︵﹁橋姫﹂⑤=九頁︶
らうらうじく、深く重りかに見えたまふ。
︵﹁橋姫﹂⑤一二二頁︶
いま少し重りかによしづきたり。
︵﹁橋姫﹂⑤一四〇頁︶
姫君は、かやうのこと戯れにももて離れたまへる御心深さなり。
①は、﹁橋姫﹂巻で、始めて大君について語られる時の描写である。
︵﹁椎本﹂⑤一七六頁︶
大君は、人の宮家の長女として、八の宮の強い遺志をしっかり理
大君の落ち着いた教養のある人柄に対して、中の君は﹁容貌なむま
一18−
︵﹁総角﹂⑤三〇〇頁︶
匂宮は中の君と結婚したが、なかなか宇治に通うことができなか
ったので、薫は紅葉狩りを口実に匂宮を宇治に連れ出した。しかし、
匂宮は多くの供人たちの手前、中の君を訪ねることができずに京に
帰るほかなかった。右の一文はその時の大君の嘆きである。大君は、
匂宮がすぐ近くまで来ながら中の君を訪れないまま帰ったの見て、
親代りとして大いに心痛め、中の君が夫に見捨てられ、世間の笑い
ものになると考え、もし自分も結婚したら中の君のように夫に見捨
てられ世間の笑いものになるだろうと思うのである︵1︶。もしその
ようなことになったら、親の面目と人の宮家の格式をつぶすことに
解し受けついていると思われる。大君は、唯一八の宮が婿として認
なるだろう︵H︶と、一層結婚拒否に傾いていくのである。
①
②
③
④
の可愛らしさが強調されていた。②は、人の宮の目に映った大君の
ことにいとうつくしう、ゆゆしきまでものしたまひける﹂と、彼女
らむ
③何か、これは世の人の言ふめる恐ろしき神そつきたてまつりた
︵﹁総角﹂⑤二五五頁︶
濠p﹂⑤二五四頁︶
性格であり、ここでは慎重で思慮深い人柄とされるが、中の君につ
いては、﹁おほどかにらうたげなるさまして、ものつつみしたるけは
性格は特に強調されている︵,︶。﹂大君の性格は、可愛くて女性らし
性格は、﹁思慮深く、軽はずみでないという点である。この思慮深い
彼女の落ち着いた性格が表れている箇所である。このように大君の
れるままに手紙を出すのに対して、大君は思慮深くしているという
語られている。④は、匂宮の手紙に対して、中の君が八の宮に言わ
いみじくらうたげににほひやかなるべし﹂と、彼女の可愛らしさが
こでも大君の思慮深い性格に比べて中の君は﹁さしのぞきたる顔、
薫が姫君たちを垣間見た時の大君の印象を語った場面であるが、こ
重んじる人柄であると言えよう。
うとする強い意志と忠誠心があり、宮家の人としては気品と名誉を
しては親代わりの配慮をめぐらし、父の遺言に対してはそれに従お
考えると、基本的には聡明で、知性的、理性的であり、中の君に対
を引きながら陰口を言っている場面である。大君の性格を綜合的に
悪な神がつくというが、そのような神が慧いたのだろうと、引き歌
女房たちが、薫の求婚を拒む大君に対して、実のならない木には邪
弁が大君を驚くほどの意志の強い持ち主であると考える。③は、老
①は、女房たちが常に大君を強情な女として捉えていて、②は、
三八の宮の遺言と大君の孝
(42)
ひにいとうつくしう﹂と、また彼女の可愛い性格が語られた。③は、
い中の君の性格と比べて、﹁思慮分別の深い聡明型、知性型︵−o︶﹂で
また、大君は﹁思慮分別の深い聡明型、知性型﹂の性格の他に、
このような八の宮の遺言を守り通そうとしていた大君の精神を支
ある。
意志の強い性格の持ち主なのである。
えるものは、儒教的な徳目である孝であったと考えられる。孝とは、
構成する多様な精神要素から成り立っており、気品、意志、理性、
儒教の徳目の一つで、親によく仕えることを示す。徳とは人間性を
なけれ。
忠誠、名誉、誠実などを個々の徳目として位置づけることができる。
あやしく心ごはきものに憎むめるこそ、いとわり
︵﹁総角﹂⑤二四五頁︶
大君はこのような儒教的な精神要素を備えており、八の宮の遺言を
①この人々の、
②弁はあなたに参りて、あさましかりける御心強さを聞きあらは
して
一17−
(「
故宮の御遺言違へじと思しめす方はことわりなれど
守る精神的な孝の基盤には、儒教の思想があったと思われる。
源氏物語において遺言と関連して孝が指摘されているのは、桐壺
︵﹁総角﹂⑤二四九頁︶
大君も朱雀帝のように亡き父親の遺言を強く意識していた。ま
院の遺言に対する朱雀帝の孝である︵11︶。桐壺院の朱雀帝への遺言
は、朱雀帝に対して自分の死後政治を行うにあたって光源氏を後見
とせよということが主な内容である。光源氏の政界復帰は、亡き桐
壺院の遺言の働きが決定的な役割を果たしているが、それは﹁父院
の遺言を常に意識していた朱雀帝の孝心であった︵12ご。朱雀帝は
あはれに思したれど
亡き御影をさへ悩ましたてまつらむがいみじさ、なほ我だに、
さるもの思ひに沈まず、罪などいと深からぬさきに、
︵﹁総角﹂⑤三〇〇頁︶
る。
と、桐壺院の遺言に背いていることへの罪責感が強く意識されてい
心ゆえであったはずである。父に代わって宮家の家父長としての役
言を完壁に履行しようとしたのであり、その死は八の宮への強い孝
あったと思われる。同じく大君も周囲の厳しい状況の中で、父の遺
(43)
﹁亡き桐壺院の遺志と遺言を尊重しよう﹂とし、常に、
帝は、院の御遺言たがへず、
と、大君は、結婚のことで父親の遺言に背き、その霊を悩ませてさ
らに罪を重ねることになることを心配している。大君は朱雀帝と同
と遺志を受けつぎ、それを誠実に守ろうとした﹁孝心﹂である。朱
それゆえ光源氏の須磨下
︵﹁賢木﹂②一〇四頁︶
と、亡き父院の遺言を強く意識していた。
じく父宮の遺言に背くことへの強い罪責感を感じている。
﹁院の思しの給はせし御心をたがへつるかな。罪得らむかし﹂と
雀帝が厳しい政治的状況の中で、一旦は光源氏を須磨に下向させな
向については、
て涙ぐませ給ふに
がらも、母弘徽殿大后に背いて光源氏を召還したのは、桐壷院の遺
大君と朱雀帝のそれぞれの父の遺言に対する共通点は、親の遺言
︵﹁須磨﹂②一九七頁︶
大君の場合を見ると、朱雀帝と同じく﹁亡き八の宮の遺志と遺言
割を背負った大君は、一人の女性としてよりは、人の宮家の身分や
言を守ろうとした、父院に対する強い孝心があったからこそ可能で
を重んじよう﹂としていた。
一16−
たと
孝でもあった。大君の結婚拒否は、こうした父への﹁孝心﹂の観念
ものは、八の宮の遺言に背くことになりかねなく、それは父への不
山里を離れて生きていかなければならないかも知れない結婚という
ていかなければならなかったのである。そのような大君にとって、
格式を継承し、それを背負い、その責任を果たしながら一生を生き
宮の男児の母として、確固たる社会的地位を築いて行く中、﹁幸い人
中の君は、大君の死後、京に移住して安定した生活をおくる。匂
のである。
るような場合などを、﹁家族愛﹂即ち﹁仁愛﹂と表現する場合が多い
いている。兄や姉が妹、弟を精神的にも社会的にも微笑ましく見守
︵14︶﹂とまで言われるようになる。中の君の幸せは、大君が生前中
想の﹁仁愛﹂とは、自分の身近な親や兄弟といった家族を愛する概
大君の妹に対する仁愛の精神にほかならなかったのである。儒教思
親代りとなり常に妹の幸せだけを願い、徹底して面倒をみたのは、
と努力したのである。
し大君は、そのような状況の中でも、なんとか二人を結婚させよう
結婚を望んでおり、中の君のことは眼中になかったのである。しか
た薫との結婚であると思われたのである。ところが、薫は大君との
い中の君を幸せにできるのは、八の宮が生前唯一婿として認めてい
に中の君の幸せを願っていた。大君にとって、両親も後見者もいな
代りとして妹の世話に徹していて、自分を犠牲にしながらも、第一
しては兄弟愛という﹁仁愛﹂の観念によると思われる。大君は、親
大君の八の宮への﹁孝心﹂に発した結婚拒否は、妹の中の君に対
四大君の結婚拒否と妹への仁愛
そして大君は八の宮家の家長の立場から、これからの心構えを中の
めの準備に心を配り、中の君をなだめて匂宮を迎えさせるのである。
同じ状況である。結婚二日目の夜には、大君は婿の匂宮を迎えるた
角﹂⑤二七〇頁﹂︶。かつて八の宮が中の君に匂宮へ返事させたのと
かにあるべきやうをいみじくせめて書かせたてまつりたまふ﹂︵﹁総
に迷う中の君に無理やり勧めて返事をさせるのである。ー﹁まめや
の結婚の世話を徹底して行うようになる。大君は、匂宮の後朝の歌
は、八の宮家の格式を守ることができるからである。大君は中の君
かと思われる彼を受け入れるようになる。皇族である匂宮との結婚
てからは、八の宮も生前ある程度は認めようとしていたのではない
大君は自分の望みとは違って中の君が匂宮と結婚することになっ
の君に対する親代りの役割は一層増していくのである。
として彼に頼るしかないと判断するほかなかった。以後、大君の中
たのである。大君は中の君が匂宮と結婚してしまった以上、後見者
によりまず導かれていたと考える。
念である。孔子は仁愛の根源を血縁愛であるとし、﹁仁愛﹂の実現困
君に説く。
(44)
の君のために果たした親代わりの世話や行き届いた配慮によってい
難性について、﹁仁人は身を殺して以て仁を成すことあり︵13v﹂と説
き、仁を実行しながら生きるならば生命を捧げる覚悟が必要だと説
一15−
ー
世の中に久しくもとおぼえはべらねは、明け暮れのながめにも
ロ
ただ御事をのみなん心苦しく思ひきこゆるに、この人々も、よ
皿
ばかしくもあらぬ心ひとつを立ててカくてのみ は見たてま
たこれまでの心境を打ち明けるのである。大君は、八の宮の遺言を
最後雫大君は、八の宮の遺言とそれに関連して中の君に抱いてい
守り、皇族としての誇りを保っていこうと強い意志を持ち、中の君
をどのように世話するのがよいか悩んでいたことを打ち明けた︵皿︶。
これは大君が自分の死後、中の君に対して、八の宮の遺志である皇
族としての誇りを失わないようにという遺言について、再三確認さ
との結婚の噂などから、中の君の不幸に胸を痛めていた。中の君の
つらむと思ひなる うもありしカど
せているのである
大君は自分の死が近づいていることを自覚しており︵IV、自分の死
幸福だけを願っていた大君は、臨終に際しても、苦しい息に耐えな
濠p﹂⑤二七一頁︶
後の中の君を心配して訓戒する。女房たちがいろいろ口やかましく
がら、最後の力をふりしぼり、薫に中の君を頼むのである。1﹁こ
意志を失わなかった。大君の死後、中の君は匂宮の若宮を産み、明
(45)
大君は、中の君の結婚後、匂宮の素通りや訪問の途絶え、六の君
言うのは、中の君の幸せのためであり、かれらの意見は、年の功を
のとまりたまはむ人を、同じことと思ひきこえたまへとほのめかし
角﹂⑤三二七頁︶。死の間際まで、姉としての妹に対する仁愛は、深
きこえしに、違へたまはざらましかば、うしろやすからましと﹂︵﹁総
積んだ人々だからこそ世間の道理をもわきまえていると言い聞かせ
るのである︵H︶。自分の死後、中の君が信頼できる相談相手もなく、
身の処置に窮することもあろうと思う大君は、身近な人として頼れ
たちの意見をよく聞くようにと、女房たちの重要性について中の君
石中宮からの見舞いもあり、安定した地位を築いたのである。中の
く絶対的なものであった。大君は最期まで、妹の幸福に込めた強い
に語っているのである。大君は、女房たちが匂宮に好感を持ってお
君のそのよう幸福は、大君の親代わりの世話や自己犠牲による仁愛
るのは、今まで側で仕えてきた女房たちであり、これから先も女房
り、結婚してからも匂宮の妻としての中の君の世話をよくするであ
によって実現したのだと思われる。
関係について見て来た。八の宮の遺言の核心は、﹁皇族としての誇り
大君の﹁結婚拒否﹂における、﹁八の宮の遺言﹂と﹁中の君﹂との
まとめ
ろうと考えていたのであろう。このような大君の戒めからは彼女が
如何に中の君のことを心配していたのかがよく読み取れる。大君に
とって中の君の幸福、即ち中の君が匂宮の妻として幸せになること
は、八の宮家の誇りともなることであり、死を意識する今となって
は、遺される妹の将来に心を砕くのである︵15∀。
一14−
(「
にも社会的にも見守るという﹁仁愛﹂の精神が窺える。
このような大君の並々ならぬ中の君への愛からは、姉が妹を精神的
に尽力し、死ぬ直前には薫に妹のことを頼んで死んでいくのである。
ることになった後は、婿として匂宮を受け入れ、より一層妹のため
妹の中の君のために、薫の求婚を拒み続け、中の君が匂宮と結婚す
父親に対する強い孝心が内在されていると思われる。また、大君は、
のである。父親の遺言を全うしようとした大君の精神の底辺には、
の遺言の本当の意味を理解していなかったとさえ思われるとし、
大学国語国文学会誌﹄十、一九六七年︶多田氏は、大君が八の宮
くのであると指摘する。多田惇子﹁宇治十帖女性論﹂︵﹃学習院
氏は、大君において八の宮の遺言が絶対的な行動指針となってゆ
氏物語﹄宇治の大君﹂︵﹃日本文学五八︵四、二〇〇九年γ櫻井
力を持つ﹂と述べ、櫻井清華﹁不婚の戦術ー父の娘としての﹃源
新書、 一九六九年︶清水氏は﹁故人の言葉であるから永遠の規制
つかどうかが問題となる。清水好子﹃源氏の女君﹄︵増補版、塙
︵1︶八の宮の遺言については、それが姫君たちの結婚に拘束力を持
八の宮の皇族としての誇りとその遺志は、大君によって守られ、
大君の結婚拒否において、八の宮の遺言を否定的に取る。
とその精神の継承﹂であり、大君はそれを臨終の際まで守り通した
中の君へと受け継がれたと思われる。大君は宇治の地において皇族
きた。そのような中の君の幸福の裏には、大君の妹中の君に対する
を汚すことなく、﹁幸い人﹂として安定した地位を確立することがで
絶望が、それに加わるといえよう。大君の男への不信感は、中
の劣等感、匂宮と中君の結婚を経験してからは愛の永続性への
の理由は、簡単に述べるならば、はじめは、後見の不在と薫へ
中人物論集﹄勉誠社、一九九三年︶池田氏は、﹁大君の結婚拒否
一13−
︵2︶吉田泰子﹁宇治十帖大君の世界﹂︵﹃平安文学研究﹄七一、一九
八四年︶吉田氏は、大君が﹁恥じらいから﹂薫を拒んだと述べ
る。
深い仁愛があったと思われる。
(46)
としての八の宮家の誇りを守ったのである。中の君と匂宮との結婚
が決まった後も、大君が薫の求婚を拒み続けたのは、結婚により山
里を離れることが八の宮の遺志に背くことになると考えたからであ
以上、大君の結婚拒否の生き方の根底には、八の宮の遺言を守ろ
の君の結婚によって、大君自身が成長して導き出されてきたも
︵3︶池田節子﹁大君−結婚拒否の意味するものー﹂︵﹃源氏物語作
うとした強い意志とともに、父親への孝心、中の君への仁愛という
ので、拒否の理由として本質的な変化であった﹂と述べておら
ろうと思われる。また、中の君は匂宮と結婚後も、八の宮家の誇り
儒教的な精神が内在されていたと思われるのである
れる。
文論叢﹄一八九〇年︶中の君の新婚の三日目、婿の訪問を喜ぶ
︵4︶藤原克己﹁紫式部と漢文学−宇治の大君とく夫人苦>1﹂︵﹃国
︵明治大学文学研究科博士後期課程 日本文学専攻︶
注
老女房たちの醜い姿を見た大君が、自分の衰えている身に引き
付けて結婚拒否を新たにする揚面があるが、藤原氏は、大君の
容色の衰えを気にするところに、﹃漢書﹄外戚伝の李夫人に影
響を指摘しておられる。
︵5︶日向一雅﹁宇治十帖への一視点1﹁家﹂観念と﹁恥﹂の契機を
が、清水氏によってこれについて詳細に考察されている。
︵8︶浅尾広良﹁朱雀帝御代の権力構造﹂︵高橋亨編﹃源氏物語と帝﹄
森話社、二〇〇四年︶
︵9︶多田惇子﹁宇治十帖女性論﹂︵﹃学習院大学国語国文学会誌﹄
十、 一九六七年︶
︵10︶森一郎﹁宇治の大君と中君﹂︵﹃平安文学研究﹄五五、一九七
六年︶森一郎氏は、大君の性格を﹁思慮分別の深い聡明型、知
軸としてi﹂︵﹃東京女子大学紀要論集﹄二八−二、一九七八
年︶ 姫君たちにおける人の宮の遺言が、﹁家﹂の観念として考
性型﹂と位置づけ、中の君に対しては﹁可憐型﹂と位置づけて
いる。
察されている。
︵6︶山上義実﹁﹃源氏物語﹄宇治の大君像をめぐって﹂︵﹃文芸研究﹄
︵11V田中隆昭﹁光源氏における孝と不孝−﹃史記﹄とのかかわり
から︵﹃論集平安文学﹄二、一九九五年︶田中氏は、桐壺院の
(47)
一一七、一九人八年︶大君の結婚拒否を﹁薫への恋情﹂の問題
から考える時、大君が薫に心惹かれているかどうかが焦点とな
遺言において朱雀帝の孝について指摘しておられる。
︵12︶前掲の注一一に同じ
る。山上氏は﹁結婚を拒む大君の姿勢及び思念は繰り返し描か
れても、恋する彼女の確実な描写は見当たらない。大君には薫
︵13︶加地伸行﹃論語﹄︵講談社、二〇〇八年︶﹁衛霊公 第十五﹂︵子
日、心士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁︶
に対する共感と断絶が見られ、人間として融和、共感しつつも、
異性としての彼は徹底して拒み続ける﹂と指摘しておられる。
閣、一九八三年︶中の君における﹁幸い人﹂について、肯定的
︵14︶原岡文子﹁幸い人中の君﹂︵﹃講座源氏物語の世界﹄︵八︶︶有斐
﹁大君と薫の関係﹂から、﹁大君は常に現実と向き合いながら、
な側面のみではかく、否定的な側面からも指摘されながら、
平林優子﹃源氏物語女性論﹄︵笠間書院、二〇〇九年︶平林氏も
宮家の誇りを守ろうと七ており、そこに、﹁薫への恋情﹂は読
﹁幸い人﹂について詳しい。
語女性論﹄笠間書院、二〇〇九年︶
︵15︶平林優子﹁大君の﹁結婚拒否﹂と﹁死﹂について﹂︵﹃源氏物
み取れない。﹂と述べている。同じく、今井源衛﹁大君の死﹂︵﹃完
訳日本の古典 源氏物語︵人︶﹄︵小学館、一九八九年︶も、大君
は薫に対して恋情を抱いてないという立場である。
︵7︶清水好子﹃源氏の女君﹄︵増補版、塙新書、一九六九年︶大君に
おいて﹁親心﹂﹁人の親めきて﹂のような類似表現が多くする
一12−
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