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基地の島・沖縄と憲法 蝕まれる人権と平和への志

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基地の島・沖縄と憲法 蝕まれる人権と平和への志
特集:「反テロ戦争」 の中の子ども・非戦・沖縄
基地の島・沖縄と憲法
松
蝕まれる人権と平和への志
元
剛
(琉球新報記者)
ぎ、 突然、 外務省から米軍の綱紀粛正に関する
1、 はじめに
ニュースリリースが出たとの知らせが入った。 も
う日付が変わっているにもかかわらず、 その日午
2008年 2 月12日付、 休刊日明けの琉球新報夕刊
前 7 時半からすべての在沖米兵の外出禁止措置
は、 1 面トップで 「米兵が女子中学生暴行」 と報
(後に深夜外出禁止に緩和) を再発防止措置の一
じた。 それ以来、 沖縄の新聞はほぼ連日、 1 面と
環として実施すると発表したのだ。 これまでに、
社会面をトップで書き分けて、 県民の反響、 抗議
米軍が打ち出した中では、 厳しい再発防止策であ
の県民大会を計画する市民団体の動きなどを詳し
り、 本来であればもっと早い時間に発表して周知
く報じた。
するはずだ。 その方がPR効果も高い。 日付が変
私は今、 整理部に籍を置き、 硬派面の一面を担
わった時間帯での発表となると、 全国的には朝刊
当している。 整理記者は、 ニュースの価値判断を
の早番に入らない新聞もかなりある。 私は、 ニュー
して、 見出しを決め、 紙面をレイアウトする。 総
スが十分に行き渡らない時間帯に禁足令 (深夜外
合デスクと話し合いながら、 その日の紙面の顔に
出禁止措置) を発表したことが、 どうしても腑に
なるニュースを細心の注意を払って取捨選択して
落ちなかった。 あわただしく紙面を組み替えて、
いく。 2 月20日の朝刊では、 全国のほとんどの新
このニュースを突っ込んだ後、 同僚に 「こんなド
聞が前日に東京湾内で起きたイージス艦と千葉の
タバタした発表はおかしい。 きっと何かあるはず
漁船の衝突事故の原因に関する記事を、 トップに
だ」 と話した。
したが、 琉球新報はそれを二番手とし、 前記の女
案の定、 翌日になると、 その 4 日前の17日に、
子中学生暴行事件に対して約30団体の女性350人
在沖米陸軍の兵士が、 フィリピン人女性を暴行す
が集まって抗議集会を開いた記事をトップにし、
る事件を起こしていたことが明らかになり、 大き
「海兵隊撤退を要求」 が主見出しに躍った。 イー
く報じられた。 外務省や在日米軍は、 米兵による
ジス艦と漁船衝突事故は衝撃度の大きなニュース
女性暴行事件の連続発生が、 沖縄社会の反発をさ
だったが、 琉球新報は、 米兵暴行事件への女性抗
らに高めると判断し、 「何か手を打たなければい
議集会をトップから外さなかった。 女性たちが立
けない」 という焦燥感に駆られた形で、 外出禁止
ち上がり、 事件に対する怒りが沸き上がっている
措置を前倒しで実施し、 急遽夜中に発表したので
沖縄の状況を映し出す大会というニュース判断が、
はないかとみている。
1995年 9 月、 沖縄本島北部で小学生6年生の女
イージス艦事故のニュース価値を上回ったのだ。
その朝刊早版の降版時間が近づいた午前零時す
子児童が、 3 人の屈強な米兵に暴行される事件が
―7―
基地の島・沖縄と憲法 蝕まれる人権と平和への志
起き、 戦後半世紀も続く在沖米軍基地の過重負担
後だけでも、 米軍関係者を容疑者とする女性レイ
に対する県民の怒りが、 日米安保体制を揺るがす
プ事件は 7 件発生し、 2007年以降では、 4 件と多
事態となった。 米国政府や在日米軍は、 女性を被
発傾向にある。 最も弱い立場にある女性が米兵の
害者とする米兵事件の根絶に向け、 最大限の努力
性のはけ口として襲われる事件が続く。 人を殺す
をするとしてきたが、 95年の少女乱暴事件以降、
「暴力装置」 である軍隊の兵士が起こす事件は、
沖縄県内では、 米軍人・軍属など米軍関係者によ
もはや統計学的になくせないと言っていい。 過去
るレイプ事件が16件発生し、 年 1 人以上の女性が
の事件の連鎖がそれを証明している。 事件の度に
人権と尊厳を踏みにじられている。
日米が殊勝な態度で打ち出す 「綱紀粛正・再発防
止策の徹底」 は、 県民世論の反発の一時的な鎮静
2、 沖縄サミットから8 年
化を図る 「対症療法」 でしかない。
米軍の 「足跡」 は減らず 「傷跡」 に
米兵事件をなくす特効薬は、 撤退か大幅な兵力
削減にしか見いだせない。 そこに踏み込まない限
り、 米軍の 「足跡」 は沖縄県民の 「傷跡」 を深め、
今年7月に北海道洞爺湖サミットが開かれた。
日本での前回開催は、 2000年の沖縄サミットだっ
痛みを増す悪循環を断ち切れないだろう。
た。 当時のクリントン米大統領は、 沖縄戦の激戦
3、 基地重圧の象徴的数字と
地だった糸満市摩文仁の 「平和の礎 (いしじ)」
優良地を組み敷いた米軍
で県民向けに演説した。 「平和の礎」 は、 国籍を
問わず戦没者、 沖縄戦、 太平洋戦争で亡くなった
24万人余を刻銘している。 敵味方、 国籍を超えて
戦後63年がたつ今でも、 沖縄の基地問題を象徴
非戦を誓い合い、 国際社会に平和構築に向けた努
する数字に0.6%と75%がある。 沖縄県土は国土
力を強く促す類例のない 「鎮魂碑」 である。 その
の0.6%しかないが、 米軍専用基地の約75%が集
前で、 クリントン大統領は、 「沖縄における米軍
中していることを示す。 米軍専用基地とは、 日米
の足跡を少しでも減らすため、 できる限りの努力
地位協定3条3項によって、 「排他的管理権」 を
をする」 と演説した。 沖縄の人たちの苦しみを和
与えられた基地だ。 どのような訓練をするのか、
らげたいというこの演説は、 全国に生中継された。
どのような建物を造るのかなど、 日本の法律の規
同じ演説の中で大統領は 「沖縄は日米同盟維持の
制が及ばずに運用できる基地のことを指す。 日本
ために、 死活的に重要な役割を担ってきた」 とも
の国土に置かれた基地を、 治外法権的な形で思い
述べ、 在沖基地の重要性を強調し、 駐留する自国
のままに使えるのが米軍専用基地である。
0.6%の沖縄の島に約75%の基地 (2008年 1 月 1
兵士の士気を鼓舞することも忘れなかった。
二律背反に近い言葉を発する舞台に 「平和の礎」
日現在の最新データでは74.23%) をずっと抱え
を選んだ狙いには、 米軍の綱紀粛正や基地整理縮
続けていることで、 県民の人権侵害の頻度や割合
小に取り組む姿勢を見せて沖縄社会の不満を和ら
もそれだけ高くなる。 海兵隊員の兵士が起こす事
げつつ、 米国の世界戦略にとって手放せない沖縄
件・事故は群を抜いて多い。 海兵隊は、 米国が有
の重要性を県民にも理解してほしい―という手前
事に突入すれば、 最初に派遣されて敵の目前に上
勝手な軍事大国の論理が宿っていたように思う。
陸して、 橋頭堡を築く任務を担う 「殴り込み部隊」
あれから8年がたつ。 果たして、 米軍の 「足跡」
だ。 高校を卒業したばかりの若い兵士が本国での
は沖縄の地でどれだけ減ったのか。 沖縄サミット
初歩的な兵員教育の後に沖縄に派遣され、 上官か
―8―
基地の島・沖縄と憲法 蝕まれる人権と平和への志
ら徹底的に鍛えられる。 若い彼らは本国から離れ
平たんで人が住みやすく、 農業にも向き、 工場も
た生活と厳しい訓練でストレスをため込み、 週末
建てやすい優良地をことごとく基地に奪われた。
ごとに飲酒絡みの事件・事故を引き起こす。 在沖
沖縄経済の脆弱さは米軍基地の形成課程と背中合
米兵 2 万3,000人∼8,000人のうち 1 万8,000人を海
わせなのである。
兵隊員が占めている。 海兵隊の大規模駐留は県民
を被害者とする事件を多くする要因となっており、
4、 基地の危険性と 「軍事優先の牙」 を
照らし出した 「沖縄国際大米軍ヘリ墜落事故」
沖縄社会の悩みの種となっている。
沖縄県内で起きた米軍機の墜落事故は1972年の
沖縄の施政権返還以来、 42件も発生している。 市
沖縄国際大学に米軍のヘリコプターが墜落した
街地の基地で離着陸し、 沖縄本島の陸域を飛び回っ
ときの映像がある。 これは地元の琉球朝日放送
ているヘリコプターだけでも16機が墜落している。
(テレビ朝日系列) の取材クルーが事故直後の現
米軍基地の沖縄への集中に対し、 沖縄経済が脆
場の映像を記録したものだが、 特に米軍が封鎖し
弱であるから致し方ないと主張する人がいる。 基
た大学構内、 ヘリが激突した本館内部に果敢にカ
地経済にどっぷり浸った沖縄は、 基地を手放せな
メラを入れて取材をした貴重な映像だ。
いという見立てであろう。 だが、 沖縄県民はけっ
(シンポジウムで上映した映像内容)
して望んで基地を受け入れてきたわけではない。
★米兵は、 一時的に記者とカメラマンの2人を拘
沖縄戦後史を振り返る時、 忘れてならないのは、
束し、 カメラがとらえた映像テープを没収しよう
日本軍が接収した基地を沖縄戦後にそのまま米軍
とした。 現場を離れたカメラマンに追いすがる米
が引き継いだことだ。 それでも基地が足りなくな
兵の一群を市民や大学生らが取り囲んで、 一触即
り、 米軍は1950年代に銃剣とブルドーザーによっ
発の押し問答の末に米兵を追いやった。 傍若無人
て豊かな農村の集落を押しつぶして基地を拡張し
な米軍による 「報道の自由」 侵害を市民が防ぎ、
た。 その大半は海兵隊基地で、 朝鮮戦争後に日本
重大事故の生々しい映像を守ったのである。 ★
本土に駐留した海兵隊の第 3 海兵師団が、 各地の
反基地闘争で本土に駐留しづらくなり、 日米両政
2004年 8 月13日午後 2 時18分、 沖縄本島中部に
府は、 日本から切り離されていた沖縄に押し込め
ある宜野湾市の米海兵隊普天間基地に隣接する沖
た。 「銃剣とブルドーザー」 による基地接収では、
縄国際大学に、 米海兵隊のCH53D大型輸送ヘリ
お年寄りや女性、 子どもたちまで強制的に排除し
コプターが墜落した。 気温が32度を超える猛暑の
た。 家人を力づくで担ぎ上げて外に出し、 目の前
中、 制御不能に陥ったヘリは、 学長室がある本館
でブルドーザーを使って人が住んでいる住宅を家
1 号館の屋上にのしかかるように激突。 そのまま、
財道具もろとも押しつぶして基地として組み敷い
ずりおち、 校舎の外壁をローター (主回転翼) で
たケースは枚挙にいとまがない。
削り取りながら落下、 地面にたたきつけられて爆
発・炎上した。
沖縄戦後史の中で、 軍用地の強制接収問題は、
憲法の財産権、 平和的生存権を侵す人権問題とし
現場に駆け付けると、 黒焦げになったヘリの残
て長く位置づけられ、 今に続いている。 その延長
骸が無惨に横たわり、 航空燃料や部品が焼けた強
線上に、 約75%の米軍専用基地の集中があるので
烈な異臭が漂っていた。 「死者はいない」 との知
ある。 沖縄本島中部では、 面積の 83%を嘉手納
らせが届いてもしばらくは信じることができなかっ
基地が占めている嘉手納町に象徴されるように、
た。 飛行中に異常が生じ、 機体が制御できなくなっ
―9―
基地の島・沖縄と憲法 蝕まれる人権と平和への志
たヘリは、 沖国大から道路を隔てて建っている 8
地の整備兵士は、 間断なく飛来するイラク派遣ヘ
階建てマンションの屋上部分のわずか数十センチ
リの整備に追われ、 一日17時間もの過酷な勤務を
上をかすめ、 大学に突っ込んだ。 わずか数秒、 墜
強いられていた。 その過労から、 ボルトを閉め忘
落が早まっていたら、 住宅密集地に落ちていたの
れ、 ヘリの非行姿勢を制御する尾翼ローターが、
は確実だ。 夏休み中の大学構内には学生が少なかっ
飛行中に完全脱落するという、 信じ難い事故原因
たため、 民間人の死傷者が出なかった。 まさに奇
が米軍側の調査によって判明した。 沖国大ヘリ墜
跡であった。
落事故は、 市街地に接して使用され、 国際情勢と
墜落現場から約500メートル離れた普天間基地
では、 迎撃用のスティンガーミサイルを操る部隊
連動して酷使される基地の危険性と、 対米従属の
断面を浮かび上がらせた。
が行軍訓練中だった。 爆発音と真っ黒な煙が上がっ
沖国大での事故に先立つ2001年 9 月11日の同時
た瞬間、 約100人の兵士が基地のフェンスを飛び
多発テロの約 2 時間後、 私は普天間基地のゲート
越えて沖国大構内になだれ込んだ。 機体周辺に出
前で、 警備の憲兵と写真撮影を認めるか否かで対
入りを禁ずるテープを張り巡らし、 大学職員、 学
峙した経験がある。 「出て行け」 と怒鳴り散らす
生、 市民、 報道陣を強引に排除した。 現場確認に
憲兵に食い下がったところ、 私を不審者と見なし
臨もうとした沖縄県警の捜査員や宜野湾市消防本
た憲兵は、 私の額の少し上ぐらいの頭部にライフ
部の隊員でさえ、 墜落地点に近づけなかった。 事
ルの銃口を向け、 威嚇した。 相棒のカメラマンは、
故から 2 日後、 現場を視察した外務省ナンバー 3
屈強な憲兵にデジタルカメラを奪われ、 記録媒体
の政務官が 「ここはイラクじゃない。 日本の主権
のカードを抜かれてしまった。
在沖米軍は、 1995年の少女乱暴事件後、 沖縄の
はどうなったのだ」 と憤りをあらわにするほど、
地元社会との友好・親善関係を築きたいと、 「良
米軍の強権が際立っていた。
沖縄県警が、 航空機の墜落事故の 「最大の物証」
き隣人」 政策を盛んにアピールしている。 兵士ら
である機体に指一本触れることができないまま、
の綱紀粛正を促しつつ、 沖縄の近現代史や米軍に
米軍は機体を米本国に運び去った。 だが、 外務省
対する複雑な県民感情を教えたり、 ボランティア
は 1 週間とたたず、 日米地位協定上も明確な規定
活動や地域の祭りへの組織参加などを通し、 沖縄
がない米軍による 「現場封鎖」 を追認。 「ヘリの
社会に米軍への親近感を抱いてもらうことを目指
機体や墜落原因、 積載物などは軍事機密で、 米軍
している。
の財産に当たる。 現場検証は、 日本側との緊密な
だが、 日頃どんなに 「良き隣人」 を装っても、
協力の下で実施され、 問題は一切ない」 との公式
米国が有事に突入したり、 守るべき財産や軍事機
見解を示し、 米軍の強制的な市民・報道陣の排除
密につながる情報が外部の手に渡りかけた時、 一
を正当化してしまった。 米軍の不当な行為がなさ
瞬にして軍隊の本質が姿を現し、 基地や現場に近
れても、 その尻ぬぐいに回る日本政府が、 基地被
づく県民を不審者扱いして排除する 「軍事優先の
害の改善の厚い壁となって立ちはだかる。 この墜
牙」 がむき出しになる。 沖国大のヘリ墜落事故と
落事故はあらためてそれを見せつけた。
9・11同時多発テロの厳戒態勢は、 住民の平穏な
事故を起こしたCH53D型ヘリは、 イラクに派
生活が軍事情勢の荒波によって揺さぶられる沖縄
遣されるため、 ハワイのカネオへベイ基地から岩
の現実と、 県民と米軍、 そして日本政府との埋め
国基地 (山口県) を経由して飛来。 普天間基地と
がたい溝を鮮明に照らし出すものだった。
強襲揚陸艦との間を調整飛行していた。 普天間基
― 10 ―
基地の島・沖縄と憲法 蝕まれる人権と平和への志
5、 怖い怖いと泣く幼児 基地取材の原点
家族との会話が全く成り立たず、 テレビや電話の
音も聞こえない。 砂辺では、 そんな生活寸断が、
今回のシンポジウムには、 「沖縄・戦争・子ど
1 日に80回、 90回、 100回、 多い日には120回以上
も」 という副題が付いている。 沖縄の基地被害の
ある。 遮る術もなく、 予測不能なまま、 不定期に
象徴である嘉手納飛行場の爆音問題を、 いかに子
押し寄せる爆音のため、 いらだちだけが募ってい
供に悪影響を与えるかという視点を軸に報告した
く。
学校現場での学習妨害も深刻だ。 1 機の離着陸
い。
1991年から1995年まで社会部の司法を担当して
によって、 全く音が聞こえない時間が 5 秒間ある
いた。 94年 2 月には那覇地裁沖縄支部で言い渡さ
とすると、 児童・生徒が落ち着き、 先生の声が教
れた嘉手納基地爆音訴訟の一審判決を取材した。
室の隅々まで響くようになるまで約1分はかかる
嘉手納飛行場には、 3,700メートルの滑走路が 2
という。 これが 1 時間の授業の中に 5 回から10回
本ある。 判決を前にした連載取材で、 離着陸コー
ある。 沖縄県教職員組合の調べでは、 義務教育の
スの真下に位置する北谷町 (ちゃたんちょう) の
9 年間のうち、 1 年から 2 年分の授業が寸断され、
砂辺 (すなべ) 集落に入った。 砂辺は爆音禍が最
学習時間にカウントできないという。 沖縄県は、
もひどく、 国が指定する騒音区域の第 2 種、 第 3
大田県政時代の95年から98年までの 3 カ年間、 大
種に入る住宅が大半を占める。 その中でも第 3 種
規模な疫学調査を実施し、 嘉手納基地周辺住民の
区域は、 うるささ指数が90以上で、 環境基準値の
騒音被害の実態を本格的に把握した。 多くの住民
70を大きく超え、 本来であれば、 人が住んではい
が、 睡眠妨害、 不眠にさいなまれると訴え、 生活
けない地域だ。 基地被害の実態を覆い隠したい国
寸断のストレスが耐え難いほど高まっている人が
は、 砂辺の民家買い取りを進め、 「緩衝地帯」 化
多いことが分かった。 それに加え、 日常生活の中
に腐心している。 砂辺では、 既に約220世帯が生
で爆音にさらされ砂辺を中心に12人の人たちが聴
まれ育った愛着のある故郷を後にしており、 地域
力を損失しているという明白な健康被害が生まれ
のコミュニティにも崩壊の影が忍び寄っている。
ていることが明らかになっている。
沖縄では、 米軍機の騒音を爆音と表現する。 嘉手
1974年から93年までの20年間に県内で生まれた
納基地、 普天間基地の両騒音訴訟は、 「爆音訴訟」
子どもたちの統計を調べてみると、 沖縄本島全体
と呼ばれている。 沖縄戦で激しい空襲を受け、 生
で2,500グラムから2,000グラム未満 (2,000グラム
死の淵をさまよった経験をもつ住民は、 米軍機の
から2,500グラム未満) の低出生体重児の割合が
騒音によって沖縄戦の記憶を呼び起こされる人が
全体で7.3%だったが、 基地に接する嘉手納地区
多い。 ぬぐい難い心身の傷を負った戦争体験を下
では1.6%高い8.9%となっていた。 3,000人以上の
に、 米軍機の騒音を 「爆音」 と呼ぶのである。
住民を綿密に聞き取り、 診察した大規模な疫学調
日々降り注ぐ爆音は、 最高で120デシベルに及
査の中で 1.6%という数値の差は統計的にも大き
ぶ。 110デシベルの音とは、 車から 1 メートル離
い。 子どもたちに前の日に読んでもらった文章を
れて、 耳をすませて警笛を聞くのと同じレベルの
翌日思い出して確認する調査でも、 基地周辺の子
猛烈な音である。 120 デシベルの音は、 もはや想
どもたちには記憶力の低下がはっきりと結果に出
像を絶する 「激痛音」 だ。 主力の F15戦闘機の頻
ている。
繁なタッチアンドゴーでまき散らされる爆音は特
嘉手納基地周辺の爆音の激しい周辺地域の学校
にひどい。 部屋の中で 1、 2 メートル離れている
に赴任した先生たちを取材すると、 「声を荒らげ
― 11 ―
基地の島・沖縄と憲法 蝕まれる人権と平和への志
たり、 不必要に大声を上げる。 普通の声で会話が
機が降りて来るという予兆を感じ取り、 一日に何
できる距離なのに、 大きな声を上げて会話をする
度もパニックに陥って、 泣き出すのだという。 事
生徒たちが目立つ」 という話をよく聞く。
態がのみこめた私は、 ただ、 呆然とするしかなかっ
嘉手納基地爆音訴訟一審判決を前に、 私たち取
た。 F15の爆音が鎮まった後、 Aさんが 「この子
材班は原告住民の思いに肉薄しようと、 砂辺を集
が最初に覚えた言葉は何だと思いますか」 と私に
中取材した。 私が訪ねたのは、 基地従業員を定年
尋ねた。
私が答えあぐねていると、 Aさんは 「パパでも
退職したばかりのAさんだった。
Aさんの長男は、 高校卒業後、 就職して家を出
ママでも、 父さん、 母さん、 じいじぃ、 ばぁばぁ
た。 二十三歳になって、 職場で知り合った女性と
でもないんです。 この子が最初に覚えたのは、 嫁
結婚。 Aさんは息子の結婚を喜び、 退職金を充て
が戦闘機が降りてくる度に口にしていた 怖い、
て自宅の敷地内に長男夫婦のために家を建ててあ
怖い という言葉なんですよ」 と言った。 わずか
げる。 砂辺の新居に落ち着いた息子夫婦は男の子
だが、 その口調に怒りを帯びたのが分かった。
基地と接して暮らすことの重さ、 基地被害の深
を授かり、 二世帯で団らんの日々が始まった。
だが、 ほどなくして、 嘉手納基地の爆音がその
刻さに言葉を失い、 私は衝撃を受けた。 愛着のあ
生活を壊してしまう。 長男の嫁の出身地である沖
る生まれ育った地域で育つ子供たちの心身に、 爆
縄本島南部では、 ほとんど米軍機や民間航空機の
音がどれほど悪影響を及ぼしているかを考えた時、
騒音は聞こえない静かな地域だった。 砂辺に引っ
暗然とした思いがわいた。
越してきてから、 嫁は経験したことのない爆音に
沖縄の新聞で、 基地関連の取材に携わる記者は、
毎日、 何十回から百回以上もさらされ、 心身とも
基地被害に向き合う住民の話を聞き、 強い怒りを
に変調を来していった。 「眠れない」 と訴え、 や
覚える時がある。 その憤りの矛先は、 米軍のみな
せ衰えていく妻を見かね、 新居で一年も暮らさな
らず、 異民族統治時代から連綿と続く基地被害に
いうちに長男は妻子をつれて砂辺から他の地域に
目を背け、 抜本的な解決策に踏み込まない日本政
移っていった。 自ら、 定年まで基地従業員として
府に向いていく。 いや、 とげとげしい気持ちは日
勤めていた嘉手納基地の米軍機から発生する爆音
本政府に対しての方が強いだろう。
が、 嫁の健康を損ない、 かわいい孫も一緒に砂辺
基地に接して暮らす住民の苦しみを共有しなが
を去っていかざるを得なくなった切なさを、 Aさ
ら、 住民の目線で基地問題をとらえ、 時には肩肘
んは誠実に語ってくれた。
を張ってでも米軍や政府に対して、 基地の弊害を
話を聞いているそばで、 転居して妻の体調が回
突いていく―。 これが、 沖縄の基地報道の軸足だ
復し、 共働きに出ている長男夫婦から預かってい
と思う。 「怖い、 怖い」 と泣いた男の子の恐怖に
る孫の男の子が遊んでいた。 1 歳になったばかり
ゆがんだ顔は、 私の基地取材の原点として今も胸
で、 よちよち歩きの危うさがかわいらしかった。
に刻まれている。
ちょうど、 お昼すぎの午後 1 時前、 その男の子が
突然、 Aさんにたたたと駆け寄り、 ひざに抱きつ
6、 沖縄から見た憲法
いて泣き出した。 何が起きたのかと思っていると、
「憲法 9 条と沖縄・米軍駐留」 について、 沖縄
10秒から15秒ほどして、 F15戦闘機の編隊が 2 機
ずつ、 計 6 機が 「キーン」 という轟音をまき散ら
から問題提起をしたい。
しながら、 着陸していった。 Aさんの孫は、 戦闘
― 12 ―
東西冷戦の中で、 日本の 「盾」 は自衛隊だった。
基地の島・沖縄と憲法 蝕まれる人権と平和への志
憲法の制約の中で、 専守防衛というたががはめら
地の過重負担に変化はない。
れていた。 日本を拠点にして、 日本以外の領域に
憲法と安保・日米同盟の力学変化の節目には、
飛び出して日本を守るという抑止力の 「矛」 とな
沖縄の姿が現れる。 その事実の重さをしっかりと
るのは在日米軍だった。 自衛隊と米軍の分離、 役
見据えておきたい。 有事法制整備の発端は、 1996
割の分担が冷戦下にはあった。 国際紛争を解決す
年の橋本首相とモンデール駐日大使による普天間
る手段として武力行使を排除することを宣言しな
飛行場返還と同時になされた 「日米有事研究開始」
がら、 世界最大の軍事力を持つ米国の軍隊に際限
の表明だった。 直後の橋本首相とクリントン大統
なき権限を与えるような駐留を許す日本の矛盾が
領の首脳会談は、 日米安保共同宣言を繰り出し、
積み重なる中で、 日米安保条約と憲法9条の矛盾
「地球的規模」 での協力を明言した。 日米安保は、
が指摘を受けるようになってきた。 その中で、 戦
95年の少女乱暴事件以後にうねりを見せた沖縄基
後27年間、 沖縄が米軍統治という形で日本から切
地問題を転機に、 「軍事同盟」 の色合いを鮮明に
り離されたことを土台に、 米軍は沖縄の基地を自
する方向へ舵を切ったのだった。 その延長線には、
由使用した。 本土復帰後も米軍基地の負担が軽減
97年の 「日米防衛協力の指針」 (新ガイドライン)
されずに、 沖縄に偏在し続けている状況がある。
があり、 周辺事態法から有事法制整備が一体となっ
現在の憲法論議、 特に 9 条改正をめぐる論議を
た流れがある。 日米同盟の質的転換が、 自衛隊の
沖縄戦後史から俯瞰すると、 焦点は一つの像に結
役割を高め、 日本政府自らが自衛隊増強を望み、
ばれていく。 端的に言えば、 憲法という国の基本
米国との 「軍事融合」 を強める構図が続いている。
法が、 日米同盟にがんじがらめにされ、 改悪の対
軍事的な日米同盟のかつてない強化が、 憲法を凌
象にされていくという危うさだ。 憲法と日米安保
駕しかけている。 こうした状況は 「憲法の安保
体制のどちらが上位に位置するのか、 ますます混
(条約) 化」、 もしくは 「全国の沖縄化」 の布石で
沌としてきたように思う。
はないのか。
沖縄在住で、 元津田塾大学教授の政治学者であ
だが、 護憲運動の中にもこうした危うい状況を
るダグラス・ラミスさんは、 アメリカの公文書の
どう受け止め、 9条堅持を主張する中で運動にど
中で 「平和憲法を起草したマッカーサー米司令官
のような息吹を吹き込み、 解決していくのかとい
は、 沖縄の基地化で、 本土に軍を配置することな
う動きが見えづらい。 法の下の平等を確立する視
く日本の安全を保証できると主張した」 とする内
点に立ち、 本土と沖縄の基地負担の大きな差をど
容を見つけた。 ラミスさんは 「9 条の存在を保障
う解消していくのかという重要な論点も護憲運動
したのは護憲運動のみならず、 沖縄の軍事基地化
に突き付けられた課題ではなかろうか。
であった」 と指摘する。 沖縄に基地を集中するこ
9 条を標的に、 改憲を声高に叫ぶ勢力がいる中、
とによって日本は戦後の経済的な繁栄を担保した。
憲法改悪は絶対に阻止しなければならない。 その
経済に集中して軍備に金をかけずに国の基盤をつ
危険から逃れる方法は、 憲法の平和条項を維持し、
くった。 治外法権に近い状況での人権侵害が相次
具現化していく国家・外交戦略を明確にし、 特に
ぎ、 その苦しみから解消されることを期待した沖
アジアの多国間安保を醸成していく中で、 軍事大
縄の人たちが希求したのが平和憲法の下への復帰
国化の道を消していく営みしかないのではないか。
だった。 だが、 沖縄返還では、 米軍基地の自由使
沖縄が基地の島から脱け出すには、 現憲法の平和
用はほぼ引き継がれ、 「基地のない平和な島」 と
主義と国際協調主義を再び 「国の基本形」 として
いう望みはかなわず、 復帰から38年たった今も基
取り戻し、 「軍縮」 への誓いと行動を国の在り方
― 13 ―
基地の島・沖縄と憲法 蝕まれる人権と平和への志
の根幹に据える努力が不可欠だ。 その土台として、
高めた。 しかし、 結局、 日本側は対米交渉で押し
対米一辺倒の外交姿勢を変革していくことが必要
切られて、 またもや辺野古に普天間基地の代替施
であることは論を待たない。
設を置くという決着に至った。
米軍再編のキャッチフレーズは、 「基地を抱え
7、 米軍再編 基地負担軽減の虚飾と
る地域の負担軽減」 と 「抑止力維持」 だった。 国
密約外交の闇
民には、 抑止力と負担軽減が両立していて、 5 対
5 ぐらいで進めているというイメージがあったは
日米同盟が軍事色に染められていく流れを決定
ずだ。 しかし、 米軍再編の交渉過程を振り返り、
日米合意文書 「日米同盟
的にしたのが、 在日米軍再編だ。
未来のための変革」 を
2001年9月の同時多発テロ事件、 アフガン、 イ
読むと、 「抑止力維持」 を重視する米側に日本が
ラク戦争を通して、 米ブッシュ政権は、 国土防衛
押し込まれる構図が見える。 一方で、 日本側には
のためには先制攻撃も辞さないとする 「単独主義」
自ら望んで自衛隊と米軍の融合を目指し、 自衛隊
に傾き、 軍事優先に拍車を掛けた。 在沖米軍基地
を 「戦える軍隊」 に変貌させようという意図が働い
は、 北朝鮮から中東までの 「不安定の弧」 をにら
ていたことも明らかだ。 アジア・太平洋地域を中
み、 国家とは異なる非対称の脅威であるテロリズ
心に、 世界を見据えた米陸軍の紛争を指揮する中
ムとの戦いの拠点と位置づけられ、 機能強化が進
央軍の司令部がキャンプ座間に移る計画を日本側
んでいる。
が積極的に受け入れたことがそれを証明している。
沖縄の地から見ていると、 自衛隊の増強、 米軍
世界的に情報通信、 輸送手段、 すべての軍事技
術が革命的に進歩している中で、 米軍再編は、 全
基地の共同使用に名を借りた日米の 「軍事融合」
世界に展開している兵力を固定的にとらえず、 もっ
の最先端に沖縄が位置づけられたことが分かる。
と柔軟で効率的な配置をして、 米国の予算を有効
沖縄の陸上自衛隊は訓練射撃場をもたないため、
に使いつつ、 軍事機能は向上させるという戦略の
実弾射撃演習は九州の演習場に出かけていた。 米
練り直しの中から出てきた概念だ。
軍基地が多く、 自衛隊が自前の射撃場を持つこと
1998年、 沖縄に初めて基地の県内移設を容認す
を県民が許さないという状況があった。 しかし、
る県政ができた。 大田昌秀氏を破り、 知事に当選
陸自は嘉手納弾薬庫内の旧東恩納弾薬庫地区とい
した稲嶺恵一氏は、 普天間飛行場の県内移設先に
う場所に、 専用の実弾射撃訓練場を建設している
名護市辺野古沖を選択した。 結局、 当初の辺野古
陸自は、 今回の米軍再編によって、 さらに沖縄本
移設案は、 反対派市民の体を張った粘り強い反対
島北部の 5,000 ヘクタールの広大な米軍演習場・
運動で作業が停滞。 そのうちに、 在日米軍再編で
キャンプ・ハンセンの共同使用を獲得。 3 月から
従来の移設案は頓挫するに至った。 基地新設反対
陸上自衛隊部隊と米軍の共同使用が始まり、 偵察、
の闘いが米軍再編での移設見直しを迫る形で、 従
爆破、 謀略、 情報工作まで、 イラクに派遣された
来案を撤回させる成果を上げたのだ。
米軍の特殊部隊のノウハウを自衛隊が直に学ぶ実
当時の小泉純一郎首相は、 普天間基地の本土移
設も選択肢であるという発言を何度か行い、 ほと
戦を想定したきな臭い演習が行われるようになっ
ている。
んどの世論調査で、 県内移設反対が 7 割以上を占
最大懸案である普天間飛行場の返還問題は、 代
め続ける沖縄県民は、 本土への移設、 米領グアム
替新基地の形態が、 「V字滑走路案」 に修正され
への撤収もあり得るのではないかという期待感を
ただけで、 名護市辺野古のキャンプ・シュワブと
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基地の島・沖縄と憲法 蝕まれる人権と平和への志
周辺海域に押し込める構図は温存された。 約
体の調査で暴かれている。 さらに、 V字滑走路は、
1,800メートルの滑走 2 本を据え、 離着陸で使い
住民地域に拡散する騒音への懸念に配慮し、 離着
分けるという奇手を放った 「V字案」 の総面積は
陸で使い分けるとされているが、 有事には住宅地
210ヘクタール。 キャンプ・シュワブ内の辺野古
上空を飛行することを合意したにもかかわらず、
岬を貫き、 辺野古湾から北方の大浦湾に至る約160
日本政府が合意した事実を公表しないよう米側に
ヘクタールの海域を埋め立てる計画で、 特別天然
求めていたことも明らかになった。 新基地周辺住
記念物ジュゴンの保護にも暗雲が立ちこめてい
民が 「基地機能強化」 と反発することを見込み、
る。
新基地建設にマイナスとなる情報については、 徹
「再編の果実」 「沖縄の抜本的な負担軽減」 と盛
底して封印しようとした日本政府。 その姿勢は、
んに宣伝された、 嘉手納基地より南に位置する六
米国が支払うべき 3 億 2 千万ドルに上る巨費を裏
つの海兵隊基地の返還は、 在沖海兵隊員8,000人
負担しながら、 国会や国民にうそを突き通した
のグアム移転が完了しないと実現しない。 その逆
「沖縄返還密約」 と重なる。 「密約外交」 の闇は今
に、 米側は、 グアムの新基地建設費用 (約一兆
も深く、 沖縄の基地負担の裏面に横たわっている。
2,000億円) のうち、 60% (約7,000億円) を日本
政府から得る。 普天間移設が実現しない間も日本
8、 基地被害の源流
「日米地位協定」 と機密解釈書
政府の資金で、 グアムの新基地の整備は着々と進
む。 こうした 「パッケージ」 はあまりにも米側優
沖縄の基地負担が改善されない原因の一つに、
位な構図となっており、 米国の 「独り勝ち」 の様
「日米地位協定」 があると指摘される。
相を呈しているといっても過言ではあるまい。
逆に、 沖縄の 「基地負担の軽減」 は完全な後回
2004年 1 月 1 日、 琉球新報は外務省の無期限機
しとなっている。 2007年には、 嘉手納基地に最新
密文書 「日米地位協定の考え方」 の全容を特ダネ
鋭のF22ステルス戦闘機が一時配備され、 嘉手納
として報じ、 同時に基地被害の根幹である日米地
基地では地元が猛反発するパラシュート降下訓練
位協定の改定キャンペーン 「検証 地位協定 不
が07年、 08年と実施されている。 米軍再編で合意
平等の源流」 を展開した。 「―考え方」 は、 沖縄
した 「パトリオットミサイル」 は2006年秋に配備
の施政権返還前の1973年 4 月に、 外務省条約局と
を完了している。
アメリカ局 (現北米局) が作成した。 在日米軍の
米軍再編の普天間飛行場移設をめぐる 「V字案」
法的地位や基地運用に関する決まり事を定めた
の日米合意を通して、 浮き彫りになったことの一
「日米地位協定」 の逐条解説書だが、 日米の力関
つに、 日本政府による情報の恣意的な取り扱いが
係の前に、 法解釈を曲げてまで在日米軍の組織、
ある。 普天間基地のヘリ部隊が使用しているCH
兵士の擁護に回る日本政府側の姿勢が随所に出て
53、 CH46の後継機について、 米海兵隊幹部が最
くる。 日本の主権さえ損なう対米追従の解釈は、
新鋭の垂直離着陸機MV22オスプレイだと何度も
国会などでの答弁作成の裏マニュアルとして活用
確認しているのに対し、 日本政府は 「正式には聞
され、 国民の権利を侵害してまでも、 米軍基地の
いていない」 と言い張るばかりだ。 また、 米軍側
使い勝手を優先する日本の外交の恥部が凝縮され
が、 現在の普天間基地にはない機体に弾薬を積み
た箱のような文書だ。
込む 「装弾場」 の新設や、 214メートルの岸壁が
「―考え方」 の特報後も、 外務省は 「文書は存
設置されることも米情報公開法を駆使した市民団
在しない」 という姿勢に終始、 与野党を超えた県
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基地の島・沖縄と憲法 蝕まれる人権と平和への志
選出・出身国会議員が国政調査権を基に追及して
となっていた。 琉球新報は増補版入手の特ダネを
も、 だんまりを決め込んだ。 事態を動かすため、
放ち、 再び連載企画で、 基地被害に苦しむ住民に
琉球新報は 2 週間後の 1 月13日朝刊で、 全部で13
背を向けて米軍優位の解釈を積み重ねる様子を詳
面を使って 「地位協定の考え方」 の全文を一挙に
しく報じた。 さらに、 9 日間連続で 1 日 2 ページ
掲載した。 編集局員総掛かりの記事入力作業でこ
を使い、 「増補版」 の全文を掲載した。
ぎ着けた全文掲載の後、 私たち取材班は、 作成当
私たちは、 「地位協定の考え方」 の 2 度の特報
時のアメリカ局の事務官で、 文書を執筆した有力
によって、 全国メディアも報道に参戦し、 協定改
大使経験者を突き止めた。 取材すると、 彼は省内
定の世論と政治の動きが高まることを期待した。
の解説書だったことと自ら執筆したことを認め、
本土メディアの那覇支局や旧知の外務省や防衛省
「増補版」 が存在することも明らかにした。
担当記者から電話があり、 「しつこく、 迫力があ
これも 1 面トップで報じ、 外務省はようやく、
るキャンペーンだ」 などの感想も聞いた。 しかし、
「―考え方」 の存在と 「増補版」 が存在すること
後追いする報道機関は県内のライバル紙だけで、
を認めた。 情報開示請求を行い、 多くの国会議員
外務省が最も恐れていた対米追従をただす動きは、
も開示を迫ったが、 外務省は 「米国との信頼関係
メディアでも政治の場でも広がりが一部にとどまっ
を損なう」 として開示を拒んだ。 現在の基地運用
てしまった。 私たちの力不足であり、 反省するし
の中で用いられている 「増補版」 をどうしても報
かない。
じる必要があった。 外務省のガードは堅く、 半年
一方で、 米国との関係に論を立てない、 長い日
が過ぎた夏、 私たち取材班は、 ようやく 「増補版」
米同盟の継続性を当然視するあまり、 対米従属の
全文を手に入れた。 それは、 当初の 「―考え方」
連鎖を断ち切れない日本政府の外交姿勢の弊害を
(159ページ) から10年後の1983年12月に作成され、
突き、 問題視して改めさせる 「論」 を立てる姿勢
ページ数は259に増え、 主要条文や日米間で問題
が希薄になっている日本のメディアの問題点もくっ
化した米軍関連の事件・事故事例や解釈、 解説な
きりと浮かび上がったように思う。
条文が多岐にわたり、 あまりにも多くの問題点
どが 「補加筆」 されていた。
「増補版」 作成時の1983年前後は、 ソ連機ミグ
を抱えている日米地位協定の弊害を詳述するには、
の亡命事件や、 米軍駐留経費の日本側負担 (思い
紙幅が限られているので、 「地位協定の考え方」
やり予算) の増大、 米兵犯罪の増加など、 沖縄な
を通して見えた対米追随の継続性と深化の問題点、
ど、 基地を抱える地域の負担は強まる状況の変化
メディアの課題に触れるにとどまったことをお許
があった。 しかし、 外務省は米側に地位協定の改
し願いたい。
定を求めるのではなく、 あらゆる解釈手法を駆使
9、 「落としどころ報道の落とし穴」 を超えて
して、 米軍の特権の維持、 拡大に動いていた。
地位協定が包含する多くの矛盾点を、 「改定」
沖縄の基地問題を中長期のスパンで振り返ると
ではなく、 「解釈」 で乗り切ろうとするあまり、
法的にも政治的にも無理が生じている点や、 国会
き、 一貫しているのは、 「基地のない平和な島」
で追及された場合には 「答弁に苦慮する」 と予測
を求める沖縄側に対し、 日本政府側が政治的妥協
している点などを赤裸々に記している。 「無期限
を迫る構図であろう。
秘」 の内部文書の性格から、 対米追随の理不尽な
政府の沖縄担当者や自民党の一部国会議員、 ま
協定解釈と日米の力関係、 外交の実態が一目瞭然
た一部の記者と話すと、 こういう趣旨の皮肉とも
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基地の島・沖縄と憲法 蝕まれる人権と平和への志
つかない物言いを聞くことがある。 防衛利権汚職
や自民党の国防族の有力者などの発言が前面に据
事件で、 収賄罪で起訴された守屋武昌前防衛事務
えられる東京発の報道が繰り返されるうちに、 沖
次官も何度か、 記者団の前で同じことを公言して
縄の妥協点を探り、 基地重圧の本質がかすんでい
いる。
く。 1995年の少女乱暴事件以来、 十数年間、 こう
「沖縄の皆さんは、 米軍の事件・事故が起きる
した悪循環が続いているように思えてならない。
と、 右手の拳を振り上げて抗議するが、 逆の手の
日米安保をめぐる 「受益」 と 「負担」 の著しい
平は上を向いて、 しっかり金を要求してるじゃな
アンバランスをどう是正していくかは、 日本のメ
いか」
ディアが追及し続けるべき課題だ。 このまま米軍
基地の重圧を主張し、 怒ったそぶりをしながら
との 「軍事融合」 を強めることの是非に関し、 国
振興策を要求し、 それが満たされれば妥協するの
民に判断材料を与える 「論」 を立て、 日米安保を
だろう―。 政府からの財政投入を尺度に、 沖縄側
絶対視せずに、 あるべき国の在り方について筆を
の出方を予測する姿勢は、 永田町の政治家や官僚
振るう記者がどれだけいるのか、 いたのか。 沖縄
だけでなく、 本土メディアの中にも存在している
の新聞で働く私たちを含め、 メディアは厳しく問
と感じざるを得ない。 沖縄県民の一人として、 残
われている。
念な思いを抱くが、 戦後初めて、 大規模な基地建
9・11同時テロ、 アフガニスタン戦争、 イラク
設を自ら認める県政を抱えている以上、 その現実
戦争と、 戦争が漂わせた暗雲が少しだけ晴れた今、
も直視しないといけない。
米国の先制攻撃によるイラク戦争を正当化し、 支
だが、 沖縄の基地問題が膠着状態になったり、
持したスペイン、 イタリアは総選挙で政権が倒れ、
政府がもくろむ方向に進展しない期間が長引いた
最強の同盟関係を結んでいたイギリスのブレア首
時、 特にメディアの報道姿勢の中に潜む前述の沖
相も退陣に追い込まれた。 米国を支持し続ける政
縄観は、 「落としどころ報道の落とし穴」 にはま
権の枠組みが維持されているのは日本だけである。
りこむ要因である気がしてならない。 日本の政治
私たちは、 国民が意見を形成する上で、 日米同盟
報道は総じて、 問題やもめ事の決着点を見通す
の内実にくさびを打つ深層に迫り、 国民の判断材
ニュースをつかむことが重視される点で、 「落と
料を提供できているだろうか。 政治との距離に基
しどころ模索報道」 と言えるだろう。 沖縄問題で
づく国民性の違いと片付けられる問題ではないだ
は、 最大懸案の普天間飛行場の県内移設問題で、
ろう。
沖縄県、 名護市などの地元市町村、 地元集落がど
日常生活を脅かす基地の弊害を定点観測しつつ、
のような条件なら受け入れるのかという決着点に
対米追従を繰り返すこの国の在り方を考えること
取材の焦点が向けられる。 それが、 もちろん重要
は、 憲法をどう守り育て、 具現化するのかという
なニュースであることは否定しない。 だが、 その
営みと結びつくはずである。
今ほど、 こうした報道姿勢が求められている時
伝え手たちに 「沖縄側が妥協するだろう」 という
期はないように思う。 日米安保を通して国の姿が
先入観が支配していないだろうか。
日本の国防政策は、 米国の世界戦略に取り込ま
れながら、 自衛隊と米軍の 「軍事融合」 をどんど
見える基地の島から、 腰を据えた取材を重ねてい
きたい。
ん進めている。 その危険性や、 基地周辺住民の日
常的な苦しみなど、 まだまだ掘り下げ不足の課題
は山積している。 それが取り残されたまま、 政府
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