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中 国 の 玉里 想 郷 - 国際日本文化研究センター学術リポジトリ

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中 国 の 玉里 想 郷 - 国際日本文化研究センター学術リポジトリ
中
国
井
の
理
波
律
想
郷
子
国 際 日本 文 化 研 究 セ ソ タ ー
中 国 に お い て は、 不 老 不 死 の仙 人 が 住 む 仙 界 や 、 あ る いは 山 奥 の 隠 れ 里 た る桃 源 郷 な ど、 さ
ま ざ まな理 想 郷 の イ メー ジが 、 多 様 な ヴ ァ リエ ー シ ョ ソを 生 み だ しな が ら、 時代 を越 え て脈 々
と受 け つ がれ 生 きつづ け て きた 。
理 想 郷 の イ メ ー ジ を具 体 的 に描 い た 、 と りわ け早 い 例 は 、 『列 子 』 の 「湯 問 篇 」 に 見 え る。
ち な み に列 子 は、先 秦 時代(紀 元 前 六世 紀 末 ∼ 五 世 紀 初 、春 秋 時 代 の末 か 戦 国 時 代 の初 め ごろ)
の 道 家 的 思 想 家 の一 人 で、 風 に乗 る仙 人 と して知 られ る人物 。 『列 子 』 は、 そ の 列 子 が 著 した
と され る 書物 だ が、 じっ さい に は 、 そ の後 数 百 年 に わ た って 、 お りお りの人 が 「列 子 」 的 だ と
考 え た言 葉 や 説 話 をそ のな か に 盛 り込 み 、 現 在 み られ る よ うな か た ち に な った。 む ろん この な
か に は 、 「原 列 子 」 と もい うべ き、 も と も との 列 子 の 言 説 も含 まれ る。 この 『列 子 』 に は 、 お
び た だ しい数 に のぼ る説 話 が 収 録 され て お り、 そ の 意 味 で は 、説 話 集 あ る い は奇 想 小 説 集 と も
い うべ き性 質 を もつ 。
『列 子 』 「湯 問 篇 』 に み え る二 つ の理 想 郷 、 「終 北 の 国 」 と 「東 海 の神 山」 も、 そ うした説 話
の ス タ イ ル に よ って記 され た もの で あ る。 これ に よれ ぽ 、終 北 の 国は 、世 界 の北 の果 て(終 北)
に あ り、 周 囲 を高 い山 に 取 り囲 まれ て い る 。 こ うして 極 北 に位 置 す る に もか か わ らず 、気 候 は
温 暖 で住 み や す く、 住 民 は 、 国 の 中央 に あ る 「壷 領 」 の 山 か ら沸 き 出 る神 秘 な水 を 飲 む だ け で
無 病 息 災 、 誰 も彼 も百 まで 長 生 きす る。 支 配 者 は い な い し、 労働 の必 要 も ない 。 人 々は み な気
立 てが よ くて、 もめ ご とを お こ さず 、 た だ の ん び りと遊 ん で暮 ら し、 生 活 を エ ン ジ ョイす る と
され る。
この終 北 の 国 は 、 明 らか に 山 の彼 方 に設 定 され る理 想 郷 、 「山 の ユ ー トピア」 で あ る。 支 配
・被 支 配 の関 係 の撤 廃 、 労 働 の 否 定、 長 生 願 望 の 実 現。 現 実 の世 界 で、 人 は 、 権 力者 に泣 か さ
れ 働 きづ め に働 き、 過 労 で 頓 死 す る の が オ チ だ 。終 北 の理 想 郷 は、 そ う した不 本意 な現 実 を く
る りと逆 転 させ た もの に ほ か な らな い。 ま さに 見 果 て ぬ夢 の結 晶 で あ る。
か た や 「東 海 の 神 山 」の ほ うは終 北 の 国 に比 べ 、は るか に ゴ ー ジ ャス で あ る。東 海 の か な た 、
えん き ょ う
世 界 中 の 水 が 注 ぎ込 まれ る帰 墟 の深 海 に、 岱 輿 ・員 嬌 ・方 壺 ・瀛 州 ・蓬 莢 と呼 ば れ る五 つ の
神 山が 浮 か ん で い る。 これ らの 山 に は壮 麗 な 金殿 玉楼 が立 ち並 び 、 美 しい珠 玉 の樹 が群 生 して
い る。 住 民 はみ な玉 樹 の 実 を食 べ て不 老 不 死 とな った仙 人 で あ り、 空 を 飛 び 、五 つ の 山 を往 来
しなが ら楽 し く暮 ら して い る。 つ ま りこの 東 海 の 神 山 は、 先 の 「終 北 の国 」 が 山 の ユ ー トピア
で あ るの に対 して、 海 の 彼 方 に設 定 され る理 想 郷 、 「海 の ユ ー トピア」 な の で あ る。
た だ し、 東 海 の神 山 は 、 永遠 の楽 園 た る終 北 の 国 と異 な り、 こ の 「海 の ユ ー トピア」 東 海 の
理 想 郷 に は ア クシ デ ン トが お こ る。 す なわ ち先 に あ げ た五 つ の神 山 の うち 岱輿 と員 嬌 が 流 失 、
沈 没 して しま うのだ 。
す で に 明 らか な よ うに 、 この事 故 の あ と、残 った 三 つ の 山、す なわ ち方 壺 ・瀛 州 ・蓬莢 こそ、
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井波 律子
不 死 願 望 に と りつ か れ た 秦 の 始 皇 帝 が大 枚 投 じて、 方 士 の徐 福 を 団長 とす る大 船 団 を 派 遣 し、
そ の所 在 を探 索 させ た 、 か の 「東 海 の三 神 山」 で あ る。
こ うしてr列 子 』 描 くと ころ の 山 と海 、 二 種 の理 想 郷 の うち 、海 の理 想 郷 「東 海 の三 神 山」
の ほ うは、 探 索 に費 用 が か か りす ぎ るせ いか 、 以 後 の理 想 郷 探 検 史 に お い て廃 れ て しま った。
始 皇 帝 以後 の皇 帝 た ちは 、 ミニチ ュア の理 想 郷 た る豪 華 な庭 園 を造 営 し、 大 き な池 に三 つ の築
山 を浮 か ぽせ て三 神 山に 見 立 て た の だ 。漢 の武 帝 しか り、 隋 の煬 帝 しか りであ る。 自 ら の庭 園
それ じた い を理 想 郷 、 す な わ ち 不 老不 死 の仙 人 の住 む 仙 界 に 見立 て よ う とす る庭 園 幻 想 は、 ず
っ と時代 が下 った 、 か の 清 の 西 太 后 まで受 け継 が れ る。 西 太 后 が、 巨費 を 投 じて修 築 した離 宮
頤 和 園 の中 心 部 分 に 位 置 す る の は 、 「昆 明湖 」 と呼 ば れ る湖 で あ る。 この 「昆 明 湖 」 は 堤 に よ
って三 つ の部 分 に分 割 され 、 そ れ ぞ れ 中央 に は人 工 の 島 が築 か れ て い る。 これ ぞ ま さ し く、 古
代 の 皇 帝 以 来 の伝 統 的 な庭 園構 想 の パ タ ー ンを踏 まえ た 、 「東 海 の三 神 山」 の ミニチ ュ ア に ほ
か な らな い。
この よ うに海 の彼 方 の理 想 郷 が 、 皇 帝 た ち の庭 園構 想 も し くは庭 園幻 想 の なか に組 み 込 まれ
て い った の に対 し、 山 の彼 方 の 理 想 郷 の ほ うは、 現 世 的 な 身 分 や 階層 を問 わ ず 、 肉体 を 不 老 不
死 の もの と化 す こ とに成 功 し、 仙 人 とな った人 々 の住 む 「仙 境 」 と して想 定 され 、 中 国 的理 想
郷 の 主 流 とな ってゆ く。 も っ とも この 場 合 も、 トポ ス と して の 仙境 に対 す る関 心 よ りも 、仙 境
の住 人 つ ま り仙 人 とな る資 格 を 、い か に して獲 得 す る か が 、主 要 な関 心 事 とな る ケ ース が 多 い 。
た とえ ぽ、 前 漢 の 鬘倩(前
七 九 ∼ 前 八)の 作 とされ るr列 仙 伝 』 に は 、松 の実 や 換 零 な どの
植 物 性 の仙 薬 を、 長 期 間 服 用 した 結 果 、 肉体 を不 老 不 死 の もの へ と純 化 す る こ とに成 功 した、
七 十 余人 の仙 人 の伝 記 が 収 め られ て い る。 これ らの仙 人 の な か に は 、 む ろ ん伝 説 上 また は歴 史
上 の 有名 人 もい るけ れ ども、 そ の 大 部 分 は 、名 も な き庶 民 の 出 で あ る。 彼 らの現 実 社 会 の身 分
は い た って低 く、 馬 医 者 、 薬 売 り、 鏡 磨 き、草 履 売 り、産 婆 な どを業 と し、 なか に は乞 食 ま で
い る。
修 業 の結 果 、 仙 人 とな った これ らの 人 々 は、 永 遠 の若 さを 保 って何 百 年 も の 間、 地 上 の世 界
を彷 徨 した あ げ く、 最 終 的 に この 世 とは 次元 を異 にす る仙 界 に 到達 す る とされ る。 だ が 、 この
場 合 で も、彼 らが 到 達 した 仙 界 の イ メ ージ が具 体 的 に描 か れ る例 は 、 ほ とん ど な い。
かん し
全 然 な い とい うわ け では な く、 た とえ ば 『列 仙 伝 』 の な か に 、仙 人 な らぬ 凡 人 の邪 子 とい う
人 物 が 、偶 然 、山 の洞 窟 を く ぐ りぬ け 、宮 殿 の そ び え た つ 仙 界 にた ど りつ い た とい う話 が あ る。
これ は 、仙 境 が 山 の彼 方 の理 想 郷 で あ る こ とを、 端 的 に示 す 例 だ とい え よ う。 しか しな が ら、
奇 妙 な こ とに、 こ こで邪 子 が 偶 然 、 訪 れ た仙 界 に お い て 、 と っ くに 死 ん だ彼 の女 房 が、 魚 を洗
う仕 事 に つ い て いた とされ る。 だ とす れ ば 、 この仙 界 は 、 死 者 を 収 容す る冥 界(冥 土)と
ほと
ん ど区別 がつ か な い こ とに な る。
ち な み に、 も う少 し時 代 が 下 った 六朝 時代 に な る と、 山 東 省 の泰 山 の奥 に 「泰 山地 獄 」 と呼
ばれ る冥 界 が あ る とされ 、 さ らに 時 代 が下 った南 宋 以 降 は 、 これ が そ っ く り南 に移 っ て、 四川
省 の 郵都 郊 外 の 山奥 の 「鄂 都 地 獄 」 とな る。 いず れ に せ よ、冥 界 もま た 山 の彼 方 に設 定 され る
点 で は、 仙 界 と変 わ りは な い。 異 界 とい う異 界 は、 中 国 で は す べ て 山 の彼 方 に イ メ ー ジ され る
の だ。 先 に あげ た 『列 仙 伝 』 の 邪 子 の ケー ス は、 い ま だ仙 界 と冥 界 の境 界 が は っ き りせ ず 、 異
界 と して混 同 され てい た 時 期 の 痕 跡 を示 す もの で あ ろ う。
それ は さて お き、 道 家 的 神 仙 思 想 が 大流 行 した六 朝 時 代 に な る と、仙 人 に な るた め の実 践 理
論 を説 く葛 洪 著r抱 朴 子 』が 書 か れ るな ど、仙 人 修 業 へ の 関心 は ます ます 高 ま りを 見 せ る。r抱
朴 子 』 の著 者 葛 洪(二 八 三 ∼ 三 四 三)は 、 仙 人 修 業 の メ ニ ュー を こな し、 首 尾 よ く仙 人 に な っ
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中国 の理想郷
た 実 例 と して、 九 十 余 人 の仙 人 の伝 記 集 『神 仙 伝 』 を著 して い る。
先 の 『列仙 伝 』 に お い て、 仙 人 は 誰 で も な ろ う と思 えば なれ る身 近 な存 在 と して描 か れ て い
た 。 これ に対 して 、約 四百 年 後 に書 か れ たr神 仙 伝 』 に な る と、 仙 人 の エ リー ト化 と もい うべ
き傾 向 が つ よ くな る。 エ リー ト化 とい っ て も、 現 世 的 な 出身 階 層 が 高 くな った とい う こ とで は
な い 。 『神 仙 伝 』 に 登 場 す る仙 人 も また 、 小 役 人や 召使 い な ど、 現 世 的 な身 分 の 低 い 者 が 多 い 。
も とも と著 者 の葛 洪 は 、 「しか るべ き人 で な いか ぎ り、 高 い 身 分 や豊 か な 富 は 仙 人 修 業 の邪 魔
に な る」 と し、 仙 人 に な るた め の 機 会 そ の もの は 、 万 人 に 共 通 だ と明言 して い る。 た だ、r神
仙 伝 』 に と りあ げ られ た仙 人 は、 複 雑 な手 続 き とき び しい試 練 を 経 て は じめ て、 仙 人 に な る こ
とが で きた 選 ば れ た 人hと
して描 かれ て お り、 それ がす なわ ち仙 人 のエ リー ト化 とい う こ とな
ので あ る。
葛 洪 は 、 神 仙 思 想 の 実践 理 論 を説 くr抱 朴 子 』 に お い て、 仙 人 に な るた め に は 、 まず 第 一 に
鉱 物 性 の仙 薬 「金 丹 」 の 服 用 が 必 須 の条 件 だ と して い る。 『列 仙 伝 』 に しば しば 見 られ る よ う
な、 植 物 性 の仙 薬 を 服 用 して い るだ け で は 、 不 老長 生 は得 られ て も不 死 の 段 階 に到 達 す る こ と
は で きな い 、 とい うの で あ る。 葛 洪 は ま た 、 「金 丹 」 の 作 り方 を マス タ ーす るた め に は、 す ぐ
れ た 師 匠 につ き、 試 練 に 耐>z..て
修 業 を積 ま ね ば な らな い と述 べ る。 さ らに また 、 葛洪 は 、 こ う
して修 業 を積 ん で も、 誰 もが 「金 丹 」 を 得 て 昇 天 、 仙 界 に到 達 で き るわ け で は な い と し、仙 人
を三 つ の ラ ソ クに 分 け た りして い る。 す な わ ち、 み ご とに 昇天 す る 「天 仙 」、 昇 天 は で きな い
が数 百 年 も地 上 に 留 ま り生 き続 け る 「地 仙 」、 い った ん 仮 死 状 態 とな った の ち再 生 す る 「尸 解
仙 」 が 、 これ に あた る。
こ う した仙 人 理 論 を 踏 ま えて 、 著 され た 『神 仙 伝 』 に は 、 い か に して登 場 人 物 た ち が 、仙 人
に な る た め の修 業 の過 程 を ク リア した か に 、 焦 点 を 絞 った 話 が 多 い。 そ の委 曲 を 尽 くした叙 述
方 法 は、 先 行 す るr列 仙 伝 』 と比 べ 、 は るか に 巧 妙 だ が 、 こ こで もや は り仙 界 そ れ 自体 の位 相
に つ い て の言 及 は、 きわ め て乏 しい と言 わ ざ るを え な い 。
この な か で注 目に値 す る のは 、か の 「壺 中天 」 の話 だ。小 役 人 の費 長 房 が、薬 売 りに伴 わ れ 、
薬 売 りの 壺 公(実 は仙 人)が 、 商 い を す る場 所 の軒 下 に ぶ ら さげ て い る小 さな 壺 の なか に 入 っ
た と ころ 、 そ こに宮 殿 楼 閣 がそ び えた つ 仙 界 が 広 が って い た とい うもの で あ る。
この 壷 中 天 の話 と、 先 に あ げた 『列 仙 伝 』 の邪 子 の話 に は 、 二 つ の共 通 点 が あ る。 第 一 に あ
げ られ の は 、 費長 房 は 小 さな壺 の 口を通 過 して壺 中 の仙 界 に 到 達 し、邪 子 はせ ま い洞 窟 を通 過
して 山 の か な た の仙 界 に到 達 す る とい う具 合 に 、両 者 と も、 人 間 世 界 と仙 界 の境 界 に位 置 す る
装 置(洞 窟 や 壺 の 口)を 通 過 して い る点 で あ る。
付 言 す れ ば 、 こ うして せ まい壺 の 口や 洞 窟 を く ぐ りぬ け た 向 こ う側 に 、仙 界 のみ な らず 、 異
界 を 設 定 す る発 想 の ヴ ァ リエ ー シ ョンは、 そ の後 、 しば しば 中 国古 典 小説 に 出現 す る。 た とえ
ば 、 「邯 鄲 の夢 」 の成 語 の も と とな った 唐 代 伝 奇 小 説 の 「枕 中 記 」(沈 既 済 作)に お い て 、主 人
公 の盧 生 は仙 人 の 呂道 賓 に 導 か れ て 、青 磁 の 枕 の穴 の 中 に広 が る世 界 に 入 り、 すべ て の願 望 が
充 足 す る 経 験 を した と され る し、 や は り唐 代 伝 奇 の 「南 柯 記 」(李 公 佐 作)に お い て、 主 人 公
の淳 于 芬 は 、 庭 の 槐 の木 の穴 の奥 に広 が る 「槐 安 国」(実 は ア リの世 界)な
る 国 で、 や は り人
生 の転 変 を つぶ さ に味 わ った と され る のは 、 そ の顕 著 な 例 で あ ろ う。
さ らに また 、 「壺 中 天 」 と の関 連 で い え ば 、 宋 代 話 本 小 説(も
の ひ とつ 「西 山一 窟 鬼 」
と も とは 講 釈 師 の語 った話)
これ は 登 場 人 物 のほ とん どが 幽霊 とい う奇 怪 な 話 で あ る
は、
最 後 に ハ ゲ頭 の道 士(道 教 の僧 侶)が 登 場 し、 術 を 使 って 幽 霊 ど もを小 さな瓢 箪 の 口か ら中 へ
吸 い込 ん で しま う とい う結 末 に な っ て い る。 こ の瓢 箪 は ふ つ うの人 間 に とって は 単 な る瓢箪 に
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井波律子
過 ぎな い が 、 幽霊 に と って は 「s゚都の 地 獄 」 に な る とい うの だ 。 「鄂都 」 とは 先 に あ げ た あ の
冥 界 の地 獄 装 置 で あ る。 こ うしてみ る と、 壺 の 中 の 世 界 は 、 反 転 して理 想 郷 の仙 界 と もつ なが
る し、 これ とは逆 に地 獄 ともつ な が る こ とに な る。い ず れ にせ よ、先 に も少 し くふ れ た よ うに 、
中 国 の二 つ の 異 界 す なわ ち仙 界(天 国)と 地獄 は文 字 どお り紙一 重 、 トポ ス的 にみ た 場 合 、 ほ
とん ど区 別 が つ か な い こ とに な る ので あ る。
話 が わ き道 にそ れ た。 『列 仙 伝 』 の邪 子 の話 と 『神 仙 伝 』 に見 え る壷 中天 の共 通 性 に 話 を も
どそ う。 この 両者 と も、 人 間 世 界 との境 界 に設 け られ た 装 置(洞 窟 や 壺 の 口)を 通 過 し、 仙 界
に到 達 した と され る に続 き、 今 ひ とつ の 目立 った共 通 点 は 、邪 子 も費 長 房 も仙 界 の住 人 つ ま り
仙 人 で は な く、俗 界 か ら の偶 然 の訪 問者 だ とい うこ とで あ る。当 然 とい え ぽ 当然 の こ とな が ら、
現 実 と次 元 を異 にす る仙 界 は 、 仙 人 な らぬ 俗 人 の視 線 に さ ら され た ときに 始 め て 、 そ の 貌 を か
い ま見 せ る の だ。
以 後 、 仙 界 を テ ー マ と した 物 語 の ほ とん どは 、 上 記 の二 点 を踏 ま え、 「仙 界 訪 問 譚 」 の ス タ
イ ル で 作 られ てゆ く。 そ の 意 味 で は、 葛 洪 よ りほぼ 九 十 年 後 に生 を 受 け た 、 陶 淵 明(三 七 六?
∼ 四二 七)が 顕 した 「桃 花 源記 」 は、 ま ぎれ も な く こ う した仙 界 訪 問 譚 の ヴ ァ リエ ー シ ョンだ
とい え よ う。 一 人 の漁 師 が舟 で谷 川 を さか のぼ って ゆ く うち、 桃 の 花 が 咲 き乱 れ る林 に 行 き当
た る。 林 は川 の水 源 で終 わ り、 そ こに一 つ の山 が あ っ た。 山 には 小 さな洞 窟 が あ り、 そ こか ら
ほ のか に光 が 射 して い る よ うに見 えた ので 、 す ぐさ ま舟 を乗 り捨 て 、 洞窟 の 口か ら中へ 入 って
い っ た。 洞 窟 の 中 は初 め は とて もせ まか った が 、 どん どん奥 へ 進 ん で行 く と、突 然 目の前 がか
ら りと開 け 、 の どか な 田 園風 景 が あ らわ れ た 。 こ こは 五 百 年 も前 か ら代 々、 外 界 と没 交 渉 です
ご して来 た 人hの 住 む 隠れ 里 、 別 世 界 だ った の だ 。 こ う した 物 語 的 な展 開 か らは 明 らか に、 仙
界 訪 問 者 の 役 割 を振 り当 て られ た 漁 師 が 、 境 界 の せ まい 洞 窟 を くぐ って、 仙 界 に相 当す る桃 花
源 に 到 達 した とい う コ ンセ プ トを 、 よみ と る こ とが で き る。
こ の 「桃 花 源 」 の物 語 こそ、 『列 子 』 の 「終 北 」 以 来 、 中 国人 の意 識 の深 層 で 生 き続 け る、
山 の 彼 方 の理 想 郷 へ の憧 憬 を 、 練 り上 げ られ た仙 界 訪 問 譚 の ス タ イ ル を応 用 しつ つ 、 み ご とに
具 象 化 した もの とい え よ う。
以上 の よ うに、 仙 界 と陶 淵 明 描 くと ころ の桃 源 郷 に は 、 トポ ス的 な 同質 性 が み られ るが 、 実
は、 この二 つ の世 界 は 、 そ の 時 間構 造 に お い て も、 明 らか に共 通 性 が あ る。 ふ つ う仙 界 の 時 間
の流 れ は人 間 世 界 と比 べ て 、 は るか に波 長 が長 くゆ る や か だ とされ る。 そ うした 仙 界 の 時 間構
造 を、 端 的 にあ らわ す 例 と して あ げ られ る の は、 六 朝 の梁 の時 代 に任 肪(四 六 〇 ∼ 五 〇 八)に
よ って編 纂 され た 、 志 怪 小 説 集r述 異 記 』 を は じめ とす る諸 書 に見 え る、 「爛 柯 説 話(腐
った
斧 の話)」 で あ る。 ち な み に任 肪は 、陶 淵 明 よ り約 百 年 後 に生 を うけ て い る。 「爛 柯 」 の話 に は 、
さ ま ざ まな ヴ ァ リエ ー シ ョンが あ るが 、 ほ ぼ 共 通 して次 の よ うに 展 開 され る。
王 質 とい う樵 が道 に迷 い、 石 室 山(浙 江 省)の
る二 人 の 童 子(仙 人)に
ア ー チ型 を した 洞 窟 の 中 で 、棊(碁)に
興じ
出会 った 。 王 質 は す す め られ る ま ま、 棗 の 核 の よ うな もの を食 べ た と
ころ 、 空 腹 感 は す っか り消 え て しま った 。 そ こで 手 に も って い た 斧 を地 面 に お い て、 しぼ ら く
彼 らの 勝 負を観 戦 した。 や が て、 童 子 た ち に うな が され 、 ふ と我 に か え る と、 傍 らの斧 の柄 が
す っか り朽 ち果 て て い る。 か く して 山 を 下 り村 に 帰 って み る と、 もはや 知 る人 も い な い。 王 質
が 山 の な か で仙 人 の碁 の勝 負 を 見 て い る間 に 、 な ん と下 界 で は 何十 年 もの歳 月 が 流 れ てい た の
で あ る。
これ は基 本 的 に、 竜 宮 城 に 行 った浦 島 太郎 の話 と、 同 じ構造 を もつ話 だ と いえ よ う。 も っ と
も、 王 質 は 山奥 で 仙 人 た ち と出 会 い 、浦 島太 郎 は海 の 底 の 竜宮 城 に連 れ て 行 か れ た の だ か ら、
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中国の理想郷
そ の トポ ス(位 置)は 、 か たや 山か た や 海 と、 明確 に異 な っ ては い るけ れ ど も。
この 「爛 柯 説 話 」 か ら見 て とれ る よ うに 、仙 人 た ち の住 む 世 界(仙 界)は 、人 の一 生 をほ ん
の一 瞬 とみ な す よ うな 、お お い な る天 地 運 行 の宇 宙 的 リズ ムに 乗 って 、ゆ った りと流 れ て い る。
仙 界 の 一一瞬 は 、人 間 世 界 の 何 十 年 、何 百 年 に も相 当す る ので あ る。 この説 話 の主 人 公 の 王質 は 、
仙 界 の食 物 を 食 べ た た め に 、人 間世 界 の時 間 の流 れ か らはみ だ し、 知 らず 知 らず の うち に㍉ ゆ
るや か な仙 界 的 時 間 の 流 れ の な か に迷 い こん で しま った とい え る。
また 王 質 もや は り洞 窟 の な か で 、二 人 の 仙人 に 出会 った とされ て お り、 こ こで も、 明 らか に
洞 窟 が 人 間 世 界 と仙 界 の境 界 を なす 装 置 と して 作用 して い る。 こ う して見 る と、境 界 装 置 の洞
窟 や 穴 は 、 人 間 世 界 と仙 界 に 時 間速 度 を切 り替 え る ポ イ ソ トと もな っ てい る こ とが、 わ か る。
付 言 す れ ば 、 こ う して 洞 窟 や穴 が、 時 間 速 度 切 り替 え の ポ イ ン トに な る とい う点 で は、 先 に
あ げた 唐 代 伝 奇 小 説 の 、 枕 の穴 か ら異 界 に 入 った 「枕 中記 」 や 、 槐 の木 の穴 か ら別 世 界 に到 達
した 「南 柯 太 守 伝 」 の ケ ース は 、 い っそ うは っ き りして い る。 た だ し、 これ らの 作 品 に あ らわ
され て い る異 界 の時 間 の 流 れ は 、 ゆ るや か な 仙 界 的 時 間 の流 れ とは反 対 に、 お そ ろ し くテ ソポ
が はや い。 た とえば 「枕 中 記 」 の 主 人 公盧 生 が 、枕 の 中 の世 界 で五 十 年 以 上 も活 躍 し、 栄 光 の
生涯 を送 った に もか か わ らず 、 ふ と 目が醒 め る と、 眠 りこむ前 に、 茶 店 の主 人 が 炊 きは じめた
キ ビ飯 す ら炊 きあが って い な か った と され る。 枕 の 中 に広 が る異 界 の数 十 年 は 、 現 実 の人 間世
界 の一 瞬 に す ぎ な い の で あ る。 「南 柯 太 守 」 に 描 か れ る木 の 穴 の中 に広 が る異 界 の時 間 構 造 も
これ に等 しい。
「枕 中記 」 や 「南 柯 太 守 伝 」 に 出 現 す る異 界 は 、 ミニチ ュア の世 界 に ほか な らず 、 こ こで は
時 間 の 流 れ も また 急 テ ンポ に な る の だ 。 だ か ら、 「爛 柯 説 話 」 的 な仙 界 訪 問譚 で は、 人 間 世 界
と仙 界 の境 界 に あ る洞 窟 や 穴 が 、 時 間 の 速 度 を お とす た め の 切 り替 え の ポ イ ン トと して設 定 さ
れ るの に 対 して、 「枕 中 記 」 や 「南 柯 太 守 伝 」 の よ うな異 界 遍 歴 譚 で は、 逆 に時 間速 度 を あ げ
るポ イ ン トと して設 定 され てい る ともい え よ う。
こ の よ うに、 あ らわ れ か た こそ 対 照 的 だ けれ ど も、 そ の 実 、 「爛 柯 説 話 」 と 「枕 中記 」 お よ
び 「南 柯 太 守 伝 」 の言 わ ん とす る こ とは 、 究 極 的 に一 致 して い る。 す な わ ち 、 「爛 柯 説 話 」 的
な仙 界 訪 問 譚 が 、 宇宙 的 な リズ ム で運 行 され る マ ク ロ コス モ ス の 時 間 感 覚 に よっ て、人 間的 時
間 を 相 対 化 し よ う とす る もの だ とす れ ば 、 「枕 中記 」 は、 マ ク ロ コス モ ス を反 転 させ た ミク ロ
コス モ ス の時 間 感 覚 に よ って、 栄 華 も一・
瞬 の夢 とい う具 合 に 、 人 間 的 時 間 を相 対 化 しよ うす る
ので あ る。
では 、 陶 淵 明 の描 く桃 源郷 の時 間構 造 は 、 ど うな ってい るの だ ろ うか 。 この桃 源 の隠 れ 里 で
は、 秦 末 の戦 乱 を 避 け 、 先祖 が住 み 着 い て 以 来 、住 民 た ちは 五 百 年 以 上 、 外 界 と没 交 渉 で 、 子
々孫 々、 変 化 の ない 穏 や か な生 活 を続 け て い る。代 はか わ って も、 同 じ リズ ムで 同質 の 生 活 が
反 復 され る だけ な のだ か ら、実 際 には 五 百 年 以 上 、時 間 は流 れ て い ない に 等 しい。だ とす れ ぽ 、
桃 源 郷 に 流 れ て い る時 問 も また 、 「爛 柯 説 話 」 に見 られ る よ うな 、 波 長 の長 くゆ るや か な仙 界
的 な時 間 の ヴ ァ リエ ー シ ョンの 一
一つ だ とい うこ とに な ろ う。
こ う して み る と、 陶 淵 明描 くと ころ の桃 源 の村 、桃 源郷 は、 山 のか なた の 理 想郷 とい う トポ
ス 的 な観 点 か らみ て も、 そ こに 流 れ る波 長 の長 い時 間構 造 の観 点 か らみ て も、 仙 人 た ち の住 む
世 界す な わ ち仙 界 と同工 異 曲、同 じ土 台 の 上 に 組 み立 て られ た 世 界 に、ほ か な らない の で あ る。
仙 界 に せ よ桃 源 郷 にせ よ、 こ う した か た ち で表 現 され る伝 統 的 な 中 国 の理 想 郷 は 、進 歩 も含
み 、 お よそ 変 化 とい うも のを 拒 絶 す る世 界 だ とい うこ とは 、 お お い に注 目に 値 す る。 考 えて み
れ ぽ 、 不 老 不 死(Immortal)と
は 、 年 老 い る こ と も死 ぬ こ と もな く、 永 遠 の若 さを 「保 持 」
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井波律子
しつ づ け る こ と だ 。 悠 久 の 自 然 、 悠 久 の 宇 宙 の リズ ム を 体 得 し、 不 変 の 生 命 を 保 っ た 者 の 住 む
楽 園 こ そ が 理 想 郷 だ とす る 、 中 国 的 理 想 郷 観 の 根 本 に あ る の が 、 道 家 老 莊 思 想 ひ い て 道 教 で あ
る こ と で あ る こ と は 、 い う ま で も な い 。 そ の 意 味 で 、 伝 統 中 国 の"IdealLand"は
"Taoistparadaise"な
のである
。
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、 まさ しく
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