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自身の絶頂
神戸と人工島 校長 田中 準三 先月の23日(日)から2泊3日で6年生が冬季野外活動(スキーキャンプ)に出かけ ました。現地では大きなけがなどもなく、子供たちは心ゆくまでスキーを楽しんだようで す。滞在中の3日間は晴天が続き、絶好のスキー日和だったとのこと。残念ながら私は所 用のため、今回の野活には参加できず、ちょっとくやしい思いをしています。 今年度の学校だよりもこれが最終号となります。時の過ぎ行く早さに何となく戸惑いを 感じる私ですが、皆様はいかがでしょうか。1年間本当にありがとうございました。 2月26日付の「あの日の神戸新聞」の特集に昭和56年3月19日に開幕した「ポー トピア‘81」が、当時の記事とともに紹介されており、なつかしい気持ちでいっぱいになり ました。それは、15年の歳月をかけて神戸沖に完成したポートアイランドを舞台にした 博覧会で、今から33年前のことです。保護者の皆様はその頃おいくつだったのでしょう か?(ひょっとしてまだお生まれでない方も・・・。)当時私は26歳、新卒4年目で西区 (その頃はまだ垂水区でしたが)の神出小学校に勤めていました。その年は5年生の担任 で、子供たちを引率して博覧会を見学する予定でしたが、はずかしいことに私自身が風疹 にかかってしまい引率できなかった苦い思い出があります。ポートアイランドはご存知の 通り、須磨区の横尾山や高倉山から削った土砂を神戸港の沖まで運んで埋め立てることに よって造られた人工島です。そして削られたあとに横尾団地と高倉団地ができました。 「山、 海へ行く」の合言葉は当時の神戸市を象徴するもので、それは宮崎辰雄市長のもと「株式 会社 神戸市」といわれた神戸の絶頂期でした。 「ポートピア‘81」の会場に設置された遊園 地は閉幕後も「ポートピアランド」として営業を続け、平成3年には入園者数が163万 人を記録したそうです。実は若い頃私はジェットコースターが大好きで、いろいろな遊園 地で一緒に行った家族を省みず、ひとりでよく乗ったもので、 「ポートピアランド」もその うちのひとつでした。しかし、残念ながら阪神・淡路大震災の影響などで、やがて入園者 数が激減し、平成18年には閉園されることになってしまいました。ポートアイランドは その後、第2期工事も行われ、 「京コンピュータ」や今話題の「STAP細胞」で知られる 理化学研究所が誘致されるなどして現在に至っています。また、ポートアイランド沖にあ る神戸空港はポートライナーで行くことのできる便利な空港で、私も何回か利用しました。 神戸市の人工島はポートアイランドのほか、六甲アイランドもあり、この2つは神戸市に とって大きな存在になっています。ポートアイランドの第2期は土地の売却が思うように 進んでいないとの話も耳にしますが、神戸市の活性化には欠くことのできないものである ことも事実です。 「ポートピア‘81」が開かれた33年前、新進気鋭の青年教師(?) だった私もあと1年でいよいよ定年を迎えます。