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東京教区ニュース第4号 - カトリック東京大司教区

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東京教区ニュース第4号 - カトリック東京大司教区
東京教区ニュース第4号
共同体意識高める教会報-「広報の日」座談会 宣教活動の推
進役 親ぼく、意志疎通はかる
教区の共通問題も掲載
6月3日は「広報の日」。あすの東京教区を築いていくにも、まず私
たちはおたがいの意志の疎通をよくしなければならない。相手を十
分理解していなかったために、つまらぬ誤解をしていることがある。
教会内の信者同志が親ぼくを深め、教区という共同体の意識を高め、
宣教活動を広げていくためにも、ぜひおたがいのコミュニケーショ
ンをよくする必要があろう。そこで本誌編集部はこのほど、各小教
区で活躍している教会報担当者に集まっていただき、教会報の現状
や日頃の苦労についてきたんなく話し合ってもらった。ほとんど月1
回定期的に出しているところばかり。教会報は信者の親ぼくに大い
に役立っているが、実際の仕事は1人ないし2人とごく限られた人の
努力に支えられていることから、もっと多くの人々の協力がほしい
こと、などが明らかになった。以下はその要点である。
内部の広報が主眼
−まず編集方針とか目的についておうかがいしたいと思います。
A.目的は二つあります。一つは教会内部のコミニュケーション。つま
り信者の交流のためです。まあ共同体意識を高める手段といいましょ
うか。もう一つは信者に典礼を徹底させるためで「今月の典礼」と
いう欄をもち、典礼の神学的な意味を理解してもらっています。一
般にお知らせ記事と過去のことより2ヶ月ぐらい先のことを予告する
というかたちを取っています。
B.うちの教会の機関誌は月2回ですが、やはり教会全体のお知らせと
か婦人会などの各会の動きをのせるのが中心ですから、信者同士の
意志疎通が目的といえましょう。
C.創刊が1941年とかなり古いのですが、第2号の創刊のことばに伝言
など「信者の便宜」と「布教の一助」のためということが記されて
います。
D.やはり信者が必ず知っておいて欲しいことをのせていますから内
部への広報というのが目的でしょうね。
E.一応は教会内の親ぼくですけど「おたくの教会はどんなところです
か」と外の人から聞かれた時、さし上げられる内容という目的でつ
くっています。
-広報には信者同志という内部へ向けたものと、外へ向けたものの
二通りあると思いますが、その点はどうお考えでしょうか。
F.外への広報には「教会報」を使っていません。別のメディアを使っ
ているんです。つまり土曜学校には未信者のこどもがたくさん来て
いるわけですが、その父兄向けに月に2回お便りを出しているんです。
−なるほど。
G.教会報はあくまでも内部のものですね。外への呼びかけとしては、
ビアパーティのさい、ご近所の未信者の父兄を無料でお招きしてい
ます。
H.教会報を外へ向けるのはやはり無理じゃないですか。カトリック
の雑誌の中には外へ向けて編集しているものがありますが。
青年会担当の八王子
−それでは次にみなさん方の教会報の内容とか体裁などについて紹
介して下さい。
B.「みことば」を一番最初にもってきて、つぎに神父さんか信者が書
くトップ記事。教会全体や各会のお知らせ、随筆、俳句、新刊書案
内、信者の動静、教会会計報告などで4∼12ページ。月1回発行
で800部刷っていますが費用はだいたい一ページあたり4000円くら
いだと思います。
C.私たちのところは伝統的に青年会が教会報の編集を担当していま
す。神父さんの巻頭言のほか2,3の信者の生の声をのせています。
そのほか小、中学生にも個人的にあたって原稿を書いてもらってい
るんです。しかしまだ教会報がみんなのディスカッションの場になっ
ていないので、将来はそういう方向へ進みたいですね。
−ある教会の機関誌では、その教会のお知らせ記事だけでなく教区
全体が現在かかえている問題をその教会として具体的にどのように
受けとめていくかという観点の記事も掲載しているところがあるの
ですが、みなさん方はいかがでしょうか。
G.昨年からブロック会議の問題がいろいろでてきましたね。教会、
教区の経済的自立の問題も一度原稿にしてのせました。
F.「教区ニュース」3号にのった財政問題を小教区向けにやわらかく
書きました。
B.正直いって一般信者にとっては「教区ニュース」より自分の教会の
教会報のほうに親しみがもてるわけで、「教区ニュース」に出た教
区全体の共通の問題を、具体的に自分の小教区の場におろして考え
てみないとならないでしょうね。たしかにそれを望む声があるんで
す。
きつい編集の日程
-具体的にお仕事をやってらっしゃってご苦労な点がいろいろある
と思いますが。
D.私ともう一人お手伝いしてくださっている人がいるのですが毎月
一回定期的に発行するとなると、編集、割りつけなどを一週間のう
ちにやりきってしまわなければなりませんので、念入りに検討して
いる余裕がありません。
B.一番困るのは原稿が集まらないことですね。集まった原稿の分量を
みてからようやくページ数が決まる始末です。一行何字の原稿用紙
で書いてほしいとお願いしても、バラバラの原稿用紙で書いてこら
れるし、もう少し皆さん方の協力がほしいものです。
C.いままでこそ原稿がなくて困るということはありませんが、やは
り以前はこまめにいろんな人にあたってお願いしなければなりませ
んでした。なかなか書いてくれないのがむしろふつうなんじゃない
でしょうか。もし自分の立場で考えてみれば。例えばもともと文章
を書くことが不得手だとすればやはり書きにくいにくいものですよ。
なるべく広い層の人々にたえず声をかけて実績をつくっておくこと
が大切でしょうね。
E.うちの教会でも、いまでは原稿集めにほとんど苦労しませんね。神
父さんのほかに信者でレギュラーの執筆者が1,2名おりますが、あ
とはできるだけいろんな人々に書いてもらっております。やはり読
んでもらえるような編集のしかたが大切なんじゃないでしょうか。
こどもたちの作品をたくさんのせていますが、やはり親がとても喜
びましてね。自分たちの教会報という親しみを感じてもらえます。
「自由におとり下さい」とはり紙をだしているんですがお金を入れ
ていく方が多く,そのお金で一年分の印刷費が全部まかなえるので
す。
A.原稿が多くてカットするので、なぜ自分の原稿を切ったと文句がで
るくらいです。
C.書きたがり屋さんがいましてね(笑い)。署名入り原稿は一人一
年に一回と決めてるんです。一人でも多くの人に書いてもらった方
がいいでしょ。
ほしいみんなの協力 後継者づくりに一苦労
-原稿以外で何かご苦労な点はありますか。
B.後継者が問題ですね。若い人々に「やってみたら」とたまに声をか
けてみるんですが、責任感とか地味な仕事に耐えるという点ではむ
ずかしいですね。
G.主任司祭はもっとページをふやしてもいいとおっしゃるが、私た
ち忙しくて十二ページでかんべんしてもらっています。日曜日は昼
間がつぶれるだけでなく。夜もおそくまで仕事をしなければならな
いことがあります。
I.たしかにスタッフ不足を大いに感じますね。後継者を育成しなけれ
ばならないのです。
A.編集の仕事はただ頭かずだけ多ければいいというわけではありませ
ん。二人でやるにしても一人ははっきり責任者にならないとまずい
です。
J.でも、原稿集めの段階ではやはり一人でも多い方がいいですね。
教会への声も掲載へ
−みなさん方の教会報への反響はいかがですか。
B.それがなかなかわからないのですよ。どれだけの人が読んでくれて
いるのか。
D.どれだけの人に読まれているのか近くアンケートを取ろうと思っ
ています。
-今後の抱負についてどうぞ。
A.こどものために役立つページをもちたいことと、一方的に教会から
信者へのものを言うだけでなく、教会に対する信者の意見、要求の
声も反映させたい。
I.教会で活動している人はいつも決まった顔ぶれですが、教会報を使っ
て、新しい人々がどんどん活動に参加してもらうよう努力したいと
思います。
−どうもありがとうございました。こんごともみなさま方のご活躍
を期待致します。
献金、昨年は35万円
毎年「広報の日」に献金が行われているが、ここ数年の東京教区の
献金額はおおよそ次の通り。
1969年、38万円/1970年、41万円/1971年、42万円/1972年、35万円。
ひろば 教区の広報活動
第二バチカン公会議に当たって、教会はまっさきに広報に関する問
題を取り上げて、「広報に関する勅令」を公にしたことは周知の通
りであるが、一昨年の広報の日を期して、この教令に関する司牧指
針が、教皇庁の広報委員会から公にされた。
「広報に関する教令」の司牧指針は、教令を補則し、キリスト教的
な立場から、社会的コミュニケーションの本質を説き、マスメディ
アが人類の進歩発展にどのように貢献することができるかを論じ、
カトリック信徒のマスメディアに対する責任を強調している。その
全文が、上智大学のキリスト教文化研究所の「教会とコミュニケー
ション」に関する演習に参加した、聖職者、修道女、神学生たちに
よって翻訳された。その訳文は目下、日本カトリックジャーナリス
トクラブのメンバーによって点検されているが、間もなく出版され
る予定である。
この司牧指針が、福音の伝え手として、カトリック信徒が社会的コ
ミュニケーションを積極的に行うように説いている点は、特に、注
目される。教会の広報活動を、それぞれの地域の実情に適した方法
で行うためには、それぞれの教区で、広報に関する委員会を組織す
るように論じている。東京教区では、一昨年来、教区大会が開かれ
ていたが、その第五部会では、広報問題が検討され、そこから教会
広報についての具体的な提案が出されている。「東京教区ニュース」
の発行も、その部会提案から生まれたささやかな実りである。この
教区の広報活動をより積極的なものとするためには司牧指針の説く
ように、聖職者や信徒を一丸とした、教区の広報委員会を早急に結
成する必要がある、と思う。
「広報の日」の行事はわが国では、他行事と重なるなどのために、
あまり積極的に行われていなかったが、この種の委員会が結成され
れば、第二バチカン公会議の精神をより効果的に生かす道を検討す
ることもできるだろう。
(川中康弘)
あした葉
特殊撮影の折りにも使われると思うが一種の拡大鏡を利用すると、
模型が実物のようにうつったり実物が実際より大きくうつったりす
る。とりようによっては灌木の間を歩く猫も密林の間をさまよう虎
のように見えるわけだ。こうなってくると虎と猫の見分けをつける
のがむづかしくなる。キリスト教についていろいろのことを知って
いる人は多いが実は信者の中にもこの虎と猫を判別出来る人は少な
い。
なにをいうのかといぶかるむきもあるだろうが、神(キリスト)の
教えを虎にたとえ、神学者や哲学者の学説を猫にたとえたまでの話
だ。猫を虎と見まちがう理由はいろいろあるが、それらが古くてい
かにももっともらしく、教会側もこれをしばしば虎のように説いた
ということが大きな理由のようだ。それにまた数の上でもこの猫は
大群である。これに比べれば虎は数匹にすぎない。私達は決して猫
を虎と思い込んではいけない。自分の信仰の中でこの虎と猫とがご
ちゃごちゃになっていたら大変なことなのだ。自分にとっても他人
にとっても損失が大きいと思う。
このごろではまたそれとは別に、猫を作ってそれを虎のようにいう
人がいる。逆にいえば虎を猫の格まで下げてどうでも良いように取
り扱っている人がいる。例えば、キリストは別に神であってもなく
ても私の信仰には変わりがないとか、キリストの復活が、別に歴史
的に事実であってもなくても、私はキリストの復活を信ずるとか、
又、私がキリスト信者として熱烈にキリストに従ってゆく限り、神
などいなくても私には関係ないことだ等々。
一般の信者の中にはいい出したひとが有名だったりするとそのまま
うのみにして猫を虎だと思いこみ、又反対に虎を猫並にあつかう。
これでは色々のキリスト教が出来るだろう。猫虎判別一覧表などと
いう便利なものはない。祈りつつ聖書を読めば聖霊が働いて、おの
ずから猫虎の判別がつくというが、得てして自分勝手な解釈になり
勝ち、おぼつかないものだ。
(S.A)
まず自分より他人をの精神【教区の経済自立】 苦しくても援
助 貧困はみんなで支え合う
東京教区の経済的な自立をめざそうという声が高まっている。本紙
でも前回3号で、教区の財政の現状について大まかながらも紹介した。
しかし、この問題はいままで、信徒にとっては、あまり聞かされて
いなかったことでもあり、大いに話し合ったこともない。そのため
問題の解決にはこんご相当につめて検討していかなければてらない
であろう。そこで今回は浜尾文郎司教と福川正三氏(麻布教会)に
財政の意味合いについて意見を求めた。
さる3月、東京教区の招きで来日して下さった西ドイツケルン大司教
ヘフナー枢機卿をお迎えし25日カテドラルで教区の公の歓迎会を催
した。その時、白柳大司教と信徒代表が、今までわれわれに示して
下さったケルン教区からの援助に感謝を申し上げた。ところがヘフ
ナー枢機卿は、むしろ感謝したいのはケルン教区であるとおっしゃっ
た。というのは、第二次世界大戦後、日本と同様に経済的に困窮し
ていたケルンの信者が、生活と教会の再建に努力していく姿勢の中
に、物質主義、金銭至上主義の精神がみえてきた。当時、ケルンの
大司教であったフリングス枢機卿が全く自発的に、同じように困っ
ている東京の教会を助けようと考え、当時の東京大司教、故土井枢
機卿に、ケルンが援助することを申し込んだ。その結果、精神的に
ケルンの教会が生き生きとし、キリストの精神を少しずつ身をもっ
て体験しはじめたというのである。
常識的に考えると、自分のところがまだ十分でないのに、他の人の
ことまで考えられないものだ。手を差しのべる余裕がないのがふつ
うであろう。このことは物質的にも精神的にも一般常識といえよう。
しかし、キリストの教えはそれとは別である。自分のところの不十
分なことは十分承知しているうえで、なお他の困っている人を助け
るという精神である。なぜならそれは他人でなく兄弟であるからな
のだ。自分の力のあまった時あまった部分を他に与えるというのは
「よきサマリア人」の姿勢とは全く逆であろう。
このたびヘフナー枢機卿をお迎えして、いまさらながらケルン教区
がキリスト的精神の実践の力にあふれていることに感激するととも
に、東京の場合を顧みて、恥じ入ったしだいである。ケルンの教会
はいまなお東京ばかりでなく、日本全国の教会を助け、南米、アフ
リカをも助け続けている。
われわれ日本の教会が、まずわが小教区、教区を独立させ、あまり
ができた時に、他の教会や教区をはじめアジアの教会や社会を助け
るとしたら問題である。自分のところが困っていても、他を優先す
る精神、それこそキリストの心ではないだろうか。それこそキリス
トに従う者の心がまえではないだろうか。
財政そのものがもっとも重要なのでなく、それをいかに使っている
か、使おうとしているか。またそれによってわれわれが教会を自分
たちのものとして自覚しているかどうか。他を助ける兄弟として生
きているかどうかが問題だと思う。
他人の好意に甘え続ける限り、われわれは教会に対していつもお客
様でしかない。いまこそ、われわれの手でつくる教会として進みは
じめるのが、いままでわれわれに示して下さったすべての人々への
感謝の表われではないだろうか。
そしてさらに、自分のことを後回しにして、まず他の困っている人
を助けて来たこれらの恩人の姿勢にならって、われわれも他の兄弟
たちを助けていくことを優先し自分たちが困っても、それをみんな
で支え合っていくのが恩に報いる姿勢ではないかと思う。
他人のために損をすることを学び、キリストの十字架の意味を少し
でも理解していきたいと思う。
(浜尾文郎司教)
宣教の原点忘れるな
ブロック会議で、教区財政のことが議題に出て着た時、多くの信徒
と修道会の人びとは、やや戸惑いを感じたに違いない。それは私た
ちが教区財政にいままで直接にはほとんどかかわりがなかったから
である。小教区の信徒たちは自分の教会の維持には責任を感じてい
ても、その先のことはあまり考えていなかった。また知らされても
いなかった。このことは修道会の人びとも同様であろうと察する。
さて、この問題が持ち出されたあるブロック会議で、一司祭は、教
会の財政の問題は単に財政が問題であるのではなくて、その根は教
会そのものの問題ではなかろうか、と言われた。又ある信徒は、資
金は私たちが何をするかにかかわっている、働きのあるところにこ
そ資金は生み出されてくる、とも言われた。いずれももっともな面
を指摘している。
しかし、いま財政の問題が東京教区の中で持ち上がっていることは、
従来長年にわたって何の疑問もなく受けて来た外国からの援助をこ
れまで通り受けられるものかどうか、又受けられるとしても、この
日本の健在が急速に成長したこの時に、なお引き続いて受けて行っ
てよいものかどうか、と言う自己反省と、もう一つは、いままでの
教会財政がいかにも教会維持型であったが、これをもっと外向きの
活動型にすべきであるという教区大会の決議を尊重する立場とから
起こったことであろう。そのためには、教会の財政に十分な検討を
加え、一般信徒の協力を得る必要があるので、布教司牧協議会では
すでに報道されているように、この問題を取り上げ、その手続きを
着々と進めている。
ところで、私どもはこの問題を取り扱う時に、教会の財政というも
のが企業の財政と違う面をはっきりといつも肝に銘じておくべきで
あろう。それは私たちの教会の使命が福音の宣教であり、キリスト
の光を世に輝かして行くと言うそのことである。
私たちの教会が、もしわずか五万余の現在いる信徒だけのものであっ
たら、まさにじり貧であり、他からの援助もなくなるのは当然であ
ろう。だが、もし私たちが真に宣教の教会であって、しかも私たち
自身がその担うべきものをそれぞれが負っているならば、将来は明
るく期待出来よう。だから私たちは目先の財政的対策と共に、いつ
もこの根本を反省し祈ると共に、実行して行きたい。
(福川正三)
子にとって親とは?-Rちゃんのケース−
私たちの住む社会は、さまざまな問題をかかえています。その解決
は、誰かの力を頼ることではなく、私たち一人一人が自分の力を
各々の能力に従って提供し、連帯的意識を高めつつ具体的に解決の
糸口をみつけ、ほぐしてゆくことによって成就してゆきます。能力
の発掘とその活用こそが求められているのです。
具体的にあなたが自分の生活の場でタレントと時間を活用してゆく
方法を考えてみてはいかがでしょう?
カリタスの家は教区のものです。教区の福祉活動として、どのよう
にあるべきかをわたしたちは考えてまいりました。
生後1年のRちゃんは、スペイン人の男性と日本人の女性との間に生
まれた男の赤ちゃんです。母親がRちゃんを連れてカリタスの家に相
談に訪れたのは、今年の1月のことでした。母親にはその男との生活
を続ける意志はなく、しかし幼いRちゃんを抱えては働くことも困難
でした。早急に母親と子供の生活の保障が求められました。この場
合、利用しうる社会資源の中には、母子寮や託児院が考えられます。
しかし、この母子寮に入所した場合、かりに生活保護をうけて生活
できたとしても、働こうとする意志があり、又、働くことのできる
母親にとって、子供を抱えては思うにまかせません。やはり、そこ
で乳児を零歳児保育所にあずけねばならず、又幼妻ならぬ母がどこ
まで自分の生活とともに乳児の養育にまで十分手を伸ばせるのかを
考える時、母と子にとって、その処置が、本当に有用なサービスと
なりうるかははなはだ疑問に思えます。さらに、本ケースのように
緊急を要する場合乳児院への入所には困難な点が多く、又、施設サー
ビスが、どのような子供にとっても適切といえない面を含んでいる
ことも指摘しておかなければならないと思います。カリタスの家の
ケースワーカーは、妻と夫に対して、時には3人一緒に、あるいは個
別的に、今後の責任ある生活について、話し合いを続けました。現
在、両人は各々別々に住み込み、自分の生活を維持してゆくために
働いておりRちゃんは一時里親の家庭で養育されてきました。ワーカー
との話し合いを続ける間に、母親は将来自分の手でRちゃんを育てて
ゆくことの困難さを自覚しながらも、それを強く希望するような方
向に向かっています。
私たちは、Rちゃんが母親とともに生活できるようになるまでの2−3
年間、Rちゃんの養育を個人の家庭に依頼したいと思いました。もち
ろん、里親家庭に対しカリタスの家ではケースワーカー、医師、ボ
ランティアらが必要に応じて何時でも里親さんのよき相談者として
協力し、また、養育費についても責任をもちたいと考えています。
最近各新聞紙上で取り揚げられた「実子として赤ちゃんを斡旋する」
という事件は、違法行為として問われ、さらに国会にまで召喚され
て大きな反響をよびました。妊娠数ヶ月になっているにもかかわら
ず、種々の事情のために出産を断念しようとする女性に対し、その
生まれてくる子供の引き取り先をみつけ、実子として籍に入れ当の
女性は戸籍上生まなかったことにする。この考えには、実子ではな
い子供を実子として認めようとする−これは確かに ひと として
真実ではないことです。家族を大切にし、血のつながりを何よりも
重要視してきた日本社会の中では、子供は真実、一人の人間として
尊ばれ、自己に生きるよろこびを体験しうる存在者としてでなく
家”に従属し、親の所有物として、ある時は求められ、ある時は、
いとも簡単に殺されさえする現状を、私たちは身近なところで経験
しています。
子供を産んだという、その事のみが親としての資格なのでしょうか。
一体、子供にとって親とは何なのでしょうか。もし子供の生命にあ
ずかった人が、その責任を十分にとる事が不可能なとき社会を構成
している私達には、この子供に何の責任もないでしょうか。子供に
とって、今、真実に必要な人をこそ、私達は問い求めなければなら
ないのではないでしょうか。多くの里親家庭の開発が真実に子供の
側に立った養護を必要とする児童の福祉につながるものと考え、カ
リタスの家では、今、Rちゃんの里親さがしに皆様の協力を期待して
います。
ブロック便り
民選”の運営委員が誕生
布教の原点に帰る
【城西】城西ブロックでは第5回目の会合で、一つの転機を迎えた。
それは、まず第一に、ブロック会議の運営のために、従来の「世話
人」を改めて「運営委員会」をはっきり作り、出直したこと。もう
一つは、ブロック内の一致と協力を実行していくのに、しっかりし
た土台を作ろうと言うことで、その第一歩を歩み出したことである。
まず3月18日には「布教の協力体制」ということを取り上げた。発題
者渋谷教会のペロー神父より、布教とは何か、教会とは何か、とい
う原点にまで立ち帰って、それに現代のいろいろな条件を加えての
徹底した話し合いの材料が提供された。私共はこれを次回にかけて、
十分に話し合うことになった。多くの実りが期待されている。
更にもう一つ、第5回会合で話し合われたことは、ブロック自体が真
に共同体としての一致を表すために、当ブロックに所属する全ての
者を一つにした「共同ミサ」を行ってはどうか、ということであっ
た。これは佐久間神父の発題であった。
【城北】布教司牧協議会協員の選出も終わり、この辺でブロック会
議成立当初からの
官選”世話係りから
民選”運営委員にとの話
が出、第5回会合(3/11)の際、2月27日付の原案を審議し、おりから
出席しておられた教区事務局の浜尾(財務)岡野(司教秘書)両師
を選管委に推して選挙を行った。
布教司牧協委員を除外してまず議長団2名を選ぶ。第1回投票で金沢
正雄氏(清瀬)が23で当選。「定員2の不足数1の2倍に当たる上位者」
で再投票。結局、長尾俊宏師(板橋)が当選。
自給自足の体制整う
つづいて、更に議長団をも除外して、運営委員五名を、松本紘一氏
(イエズス会修道院)20、国田淳一氏(北町)14、金井久師(北
町)13、マッケルウェイン師(豊島)12、土屋米吉氏(下井草)12で
埋め、ここに正規の手続きによるブロック会議(城北)運営委員会
が成立した。
また、ブロック会議の運営費=主として印刷、通信=は各母体一律
に月五百円案も可決され、
自給自足”の体制が整った。
あとは運営委員各自のチームワークによる腕の見せどころ待ち。
浜尾司教囲み研究会
【武蔵野東】日本司教団が昨年六月に出した「社会に福音を」の教
書を研究する会が開かれた。
これは武蔵野東ブロックが主催して、4月29日(日)午後2時より吉
祥寺教会の3つの会議室を使用して行われ、約110人の司祭、修道女、
信徒が集まった。出席者には他のブロックの方もみえた。
まず世話人を代表して、高円寺教会の杉田師が、これをブロックで
とりあげられた経過を説明。
このあと浜尾司教が約1時間この教書について、概要次のように語っ
た。
「社会に福音を」の教書に流れている精神は、次の3つのものからなっ
ている。
「神のすくい」
「教会の概念」
「キリスト者であるところの洗礼をうけること」
である。
「神のすくい」とは、私達がキリスト者として生きることは、他人
のささえになって生きるという積極的姿勢の中に、神のすくいを見
いだすということ。そして神が一つであるように、私達も人類の共
同体として一致することに、神のすくいを見い出す。
「教会の概念」とは、教会は私達のためばかりではなく、教会の存
在している社会に、キリストが浸透していくためであり、教会の教
会らしさは、日曜日のミサに私達が集まるだけのものではなく、月
曜日から土曜日までの間、私達が家庭、職場、学校などの各環境に
おいて、いかに神とともに他人のために生きるかにある。それがバ
ラバラにするのではなく、神とともに生きるため、神の出会いとし
て、日曜日に教会に来てミサにあずかり、また散るということ。
「キリスト者であるところの洗礼をうけること」については、キリ
ストの救いは、すべての人が罪を犯さないというのではなく、昨日
より今日、今日より明日へと生活の進歩にある。神とともに他人の
ために生きようと努力したかに神のすくいがあり、そこに洗礼をう
けた信者としての意義がある。これら三つの前提に立って、教書に
ある
1、みことばを伝える
2、キリスト教的あかし
3、キリストの共同体づくり
について語った。
司教も、出席者の人々にわかりやすいように、大変やさしく話した
ため、また出席者も、まじかに司教を囲んで長時間、勉強会を持つ
機会もめったにないためか、大変感銘をうけたようだった。
【武蔵野西】今まで世話人会と呼ばれていたブロック会議の準備会
を、発展的に解消して、人数も少し増やした運営委員会を作り、第
一回運営委員会を4月15日の枝の主日の日に豊田教会で開いた。出席
者には多摩教会の寺西神父、立川教会の新垣さん等十人が集まり、3
時から7時半頃まで、5月20日に開かれるブロック会議のために次の
ような事を話しあった。
中学生の錬成会検討
1、このブロックで主催し、3月31日から4月1日にかけて行われた夜
間錬成ハイクの報告について。
2、夏休みに中学生を対象にして行う予定の錬成会のよりくわしい説
明について。
3、今年の4月からブロックで月1000円づつ会費を集めることにした
ので、それに伴う会計規則の内容検討。
4、武蔵野西ブロックという名前が言いにくいとの意見がブロックの
母体にあるので、それを多摩ブロックにする案を提出することにつ
いて。しかし、まだ検討する余地があるので、臨時の運営委員会を
開く予定である。
交通費対策で検討
【千葉】回を重ねるごとに欠席者が多く、第4回会議は3割の欠席者
があった。このままの状態が続けられればブロック会議の存在も危
うくなりつつある。問題は会議員としての自覚もさることながら遠
距離からの出席と交通の不便さや時間経費においても負担が多いこ
とにもある。今まで通り経費が個人負担であれば回を重ねるにつれ
て足が 遠のいてしまうのではなかろうか。第4回会議ではこの交通費
の問題が真剣に討議され、各小教区負担とするか、あるいはブロッ
ク全体で負担するかで意見が分かれた。今後はブロック会議毎に各
小教区より運営費を徴収し会議費、通信費等の他に交通費も全額支
給することで意見が一致した。しかしこの案を一応小教区へ持ち帰
り、次回まで承認を得てくることで閉会になった。
テーマ別に作業班
教区典礼委員会は、このほど仕事の能率をはかるために「こどもの
ミサ」「典礼音楽」など四つの「作業チーム」を設ける方針をうち
出した。各チームで問題点のポイントを整理した上で委員会にかけ
て全員で討論し合う。
【布司協議事要旨】
・第四回 布司協の審議を円滑にするため、広報、布教、対社会、
青少年の各小委員会の設置が承認された。なお財政審議会のメンバー
は次のように決定された。
白柳誠一、浜尾文郎、今田健美、深水正勝、塚本伊和男、福川正三、
岡田啓一、志立託爾、友石進
・第五回 議題の整理、提出という教区運営委員会の任務の一つを
布司協に移したらとの意見もあったが、今までどおりということに
なった。正式の教区運営委、議長団の選挙は次回以後行われる見通
しである。なお広報小委員会はメンバーも出そろい、六月三日、発
足会を行う運びとなった。
お知らせ
◇人事異動(聖職者)
▽原町田教会助任・古川正弘師
▽本郷教会助任・デフレン師
▽小岩教会助任・大倉一美師
▽高円寺教会助任・マルシャン師
▽松原教会助任・関根英雄師
▽松江教会助任・大原猛師
▽同・ドワイエ師
▽関口教会助任・伊吹雄師
▽関町教会主任・岩橋淳一師
▽千葉寺教会助任・カレイ師
▽三軒茶屋教会助任・深田利宗師
▽徳田教会助任・小林敬三師
▽豊田教会主任・藤井泰定師
▽司教館付き・田中康晴師
▽神学生養成担当・井上洋治師
▽司牧学研究留学・市川裕師
▽サンモール修道会日本管区長・田中順子
◇広報小委員会メンバー
青木静男(事務局広報部)、鈴木宇市(カトリック放送センター)、
川中康弘(上智大学)、酒井新二(共同通信)、渡辺薫(NHK国際
局)、栗田昌枝(パウロ会)、永島洋三(テレビ西日本)、後藤正司
(早稲田大学)
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