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感じる力

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感じる力
2005予防時報220
感じる力
す み だ こういち
住田 功一
NHK大阪放送局アナウンサー
毎年1月17日、三宮の東遊園地にろうそく
で浮かびあがる「1.17」の文字は、テレビや
新聞を通じて全国に知られています。
そして、この公園には、全国の人々からも
らったやさしさを灯りに託した「1・17希望
の灯り」がともっている。これも、多くの人
に知られている…と思っていたのに。
大学生の通うキャンパスも激震地にありま
す。震災で学生にも多くの犠牲者がでて、学
内には慰霊碑もあります。
彼自身、阪神・淡路大震災の時は中学1年
生で、神戸郊外の自宅にいました。
「その時揺
れで怖かったことは覚えています」と反省文
にはあります。しかし「その後、震災のこと
は考えることもありませんでした」と告白し
ています。
○ ○
阪神・淡路大震災のモニュメント「希望の
震災をテーマにした中高生向けのブックレ
灯り」を壊してしまったのは、神戸出身の、
ットを書いた縁から、学校に呼ばれて若い人
神戸にある私立大学の学生でした。
たちと話をする機会があります。私達には、
2003年5月3日、神戸三宮の市役所南側の
わずか10年前のできごとでも、彼らにとって
公園にある、ガラス張りのモニュメントは、
は幼いころの遠い記憶。阪神・淡路大震災の
その天板が砕かれていました。コンパで酔っ
ことはまだまだ伝わってない、と感じます。
た勢いで、誤って割ってしまったというので
す。
どうしたら、あの神戸での体験を伝えられ
るのでしょうか。発災が1995年1月17日午前
学生が名乗り出た後、関係者が重ねてショ
5時46分で、亡くなった方が6,433人…、と震
ックを受けたのは、彼が「希望の灯り」を全
災の全体像をいくら話しても、彼らにはピン
く知らなかったことです。
とこないのです。
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2005予防時報220
ずいひつ
大切なのは、むごいようですが、
「死」の現
てた姿で船に引きあげられる遺体。水害に見
場を伝えていかなければならない、というこ
舞われた町。皆が見ている前で、屋根につか
とです。
まった人が流されていく光景。
被災した語り部の方たちとともに、高校で
人の命がどのように奪われていったか。私
話す機会がありました。午後の教室は、けだ
達の国は、これまで数多くの災害を体験して
るい雰囲気に包まれていました。でも、あの
きました。でも、わたしたちは、すっかり想
朝の体験を語り始めると、茶髪の生徒達は顔
像力が乏しくなっていました。
多くの子供達は、感じる心は持っているの
を上げました。
倒れてきた隣家に寝室が押しつぶされ、な
かなか救出できない息子。自衛隊は、反応が
ないからあと回しだという。まだ手は暖かい
です。ただ、その心の「引き出し」を一度も
開けたことがないのです。
できれば、感受性の強い小学生のころから、
災害を直接体験した人の言葉に耳を傾ける機
のに。
倒壊家屋から救い出された娘。やっと病院
にたどり着いたが次第に衰弱。クラッシュシ
ンドロームに気づかなかった。
会があれば、と思います。
幼い子にはショックが大きいのではない
か、という方もいますが、私は小学校3、4
あなたたちと同じ年頃の子供を亡くした。
年生になると、受け止める心はあると思いま
生きていればあなたたちと同じ年齢なのに、
す。中学、高校生でも十分ピュアな感性があ
と淡々と語ることばに、生徒達は聞き入って
ります。(ただ、これまでに被災した体験や、
いました。
家族を亡くした悲しみを抱えた子には、配慮
が必要だという指摘があります。)神戸を修
○ ○
津波警報が出ているのに沿岸の人々が避難
行動をとらないことが、私達の職場でも問題
学旅行で訪れる学校が増えていることに、私
は少なからず期待を寄せています。
一人一人に、生きてきた道のりがあった。
になっています。昨年9月の紀伊半島沖地震、
それが、無念にも終わる。そうした「死」の
東海道沖地震でもそうでした。台風23号で水
現場を知るということは、人の命が奪われる
害に見舞われた、兵庫県北部の豊岡市では、
シーンを思い起こすことにつながります。次
避難勧告から避難指示に変わっても、多くの
の災害のときに、いやその前に、「これはや
市民は動きませんでした。
ばい」といち早く感じる力を養うことが、防
津波で尊い命がさらわれたこと。変わり果
災・減災の行動の原点になると思うのです。
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