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開発秘話:低消費電力SHシリーズマイコン
Innovation Stories 開発秘話:低消費電力SHシリーズマイコン 株式会社日立超LSIシステムズ 取締役社長 馬場 志朗 ■ 開発の背景1975年-90年 Intel社が世界初のマイコン4004を開発したのは、1971年であ る。筆者が、日立製作所の半導体事業部に入社した1975年は、マ イコン事業への参入の検討が行われていた時期であった。入社 ーができつつあった。しかしながら、当時はこれらの新しい RISCCPUはMPUタイプを目指した製品であり、組込みシステ ム向けのMCUタイプの製品ではなかった。 このような背景の中で、独自の16/32ビットアーキテクチャを 前に、インターフェース誌の創刊号に紹介されていた4004の記 開発するにあたっては、以下を目指した。 事を読んで強い感銘を受けていた私は、配属面接でマイコンを 1)得意とするMCU分野に最適となるCPUアーキテクチャを 希望したところ、即座にマイコン開発の部署に配属となった。日 新たに作り、MCUとしての飛躍的な性能向上を目指す。具体 立は、1976年、Motorola社と提携し6800系の技術導入を行い、マ 的には 「MIPS (性能) /チップサイズ、MIPS/Watt (消費電力) 、 イコン事業への参入を果たした。その後、電卓で培ったCMOS コード効率」 というMCUとしてキーとなる三つの性能指標 低消費電力技術を活用し、Motorola社のマイコンと命令セットコ を定義して、その指標でダントツ世界一となること。 ンパチブルで、より低消費電力の6301シリーズを開発し、大きな 2)実現手法としては、RISC技術を含む最新の命令セットアーキ 成功を収めた。特に、世界に先駆けて開発したOTP (One Time テクチャ技術や、先端のプロセス技術、設計技術を採用。 Programmable ROM)内蔵で低消費電力の63701シリーズは、 そもそもCPUの命令セットアーキテクチャは、その上に膨大 「ZTAT (Zero Turn Around Time) 」 というコンセプトを旗印に なソフト資産が形成されるが故に、一種の文化圏を形成してお 掲げ、業界の流れを変えるヒット商品となった。6301/63701シリ り、Intel社の86系キャンプ、Motorola社の68000キャンプなどが ーズは、 「ソフト互換、ハード差別化」 の戦略の成功であった。し できて、熾烈なシェア競争を繰り広げていた。このような状況下 かしながら、この成功が、技術導入元のMotorola社との間で軋轢 で32ビットクラスの新しいCPUアーキテクチャを開発するこ を呼ぶ結果となった。Motorola社の主張は、命令セットアーキテ とは、それまで進めてきた8/16ビットクラスの開発とはまった クチャこそが価値であり、それにただ乗りしているというもの く違った次元の困難が予想された。特に、Cコンパイラを含むソ であった。紛争を避けるため、モトローラアーキテクチャから フトの開発環境の整備に多額の開発投資が必要であった。それ の脱却を図って、日立独自アーキテクチャのH8、H16シリーズ が故に、社内でも新しい32ビットアーキテクチャの開発には懐 のマイコンを開発したが、軋轢は収まらず、ついに、1989年に双 疑的な見方も多かった。しかしながら、組込みシステム向けの 方が相手を特許侵害で訴える訴訟合戦に発展した。この紛争 MCUこそが日立のマイコンの生き残る道であること、さらには、 は1990年に和解で終結するが、その過程で、H16マイコンの撤 Motorola社との係争の苦い経験もあり、会社幹部の理解を得て開 退を余儀なくされ、その代わりとなる16/32ビットクラスのマイ 発のGOサインを得ることができた。 コン開発が必要となった。その結果生まれたのが、後にSH1 三つの性能指標で世界一となるという技術目標については、16 と呼ばれるようになるマイコンである。 ビット固定長命令のRISCアーキテクチャという世界初のアイ ■ SHの着想とSH1の開発 1990年-92年 デア (後に特許が成立した) と、先端プロセス技術/最新設計技術 1990年当時、マイコンのCPUは、Intel社の8086系に代表され の相乗効果で克服した。従来のRISCアーキテクチャは32ビッ るPCに使われる32ビットの製品 (MPU=Microprocessorと呼ば ト固定長命令であり、性能は出るが、コード効率や消費電力効率 れる) と、8/16ビット以下で組込みシステムに使われる製品 が悪くて、MCU分野には不向きであった。絶対性能の向上では (MCU=Microcontrollerと呼ばれる) の二つに分化して発展して なく、コストパフォーマンスの向上(三つの性能指標向上) を目 いた。MPUに傾注して業績を飛躍的に伸ばしたIntel社に対抗し 標としたことで、思いきった割り切りをすることができ、結果的 て、日本メーカーはMCUに注力していった。H8シリーズに代 には斬新なアーキテクチャの開発ができたものと思う。 表されるMCU製品は、日本の得意とする民生機器、産業機器、 技術開発と平行して、新しいアーキテクチャを受け入れても 自動車などに広く使われ、これらの製品のインテリジェント化、 らうための販売活動の強化も行った。Motorola社との係争で傷つ 高機能化に貢献し、日本のエレクトロニクス産業の発展に寄与 いた日立のマイコンのイメージ挽回のために、社内コード名で した。 MGO (Micon Grand Operation) と呼ばれたプロジェクト活動は、 一方、技術面のトレンドでは、8086系に代表されるようにどん 特に大きな成果を上げた。MGOは設計/営業技術/営業から選抜 どん高度化複雑化するCPUの命令体系に対する反省から、RISC したマイコンの売込み専任チームである。MGOのモデルとなっ (Reduced Instruction Set Computer) のコンセプトが発表され、大 たのは、Intel社がMotorola社の68000系の攻勢に対して、8086系 きな話題となっていた。RISCの製品化を目指して、MIPS社や のシェア防衛のために組織した活動だった。製品は「製品単体 ARM社などのベンチャー企業が設立され、新しい製品カテゴリ ではなく、 トータルのサービスで売れ」 と言うのが基本コンセプ 18 SEMI News • 2012, No.3 Innovation Stories トである。この考えを元に、LSI開発と平行して、Cコンパイラや SHシリーズはその後も展開製品を次々と開発して、応用分野 開発環境の整備、アプリケーション開発サポート、サポートのパ を拡大していった。例えば、MCUの分野では、フラッシュメモリ ートナーづくりなど、 トータルサービスの充実を図った。特に効 内蔵のFZTATシリーズを展開した。また、デジタル信号処理用 果的だったのは、お客様の要望を即座にフィードバックして、開 のDSP機能を内蔵したSHDSPシリーズは、マイコンとは別のマ 発中の製品に使い易さを向上するためのきめ細かな機能の追加 ーケットを確立していたDSP分野へ、マイコンの使い易さを融 を図ったことである。 合した製品を提案した大変ユニークな製品であった。上位機種 全く新しいアーキテクチャのCPUを成功させるためには、ま への発展では、セガサターンの次の家庭用ゲーム機ドリームキ ずはターゲットマーケットの選定がキーとなる。マーケットと ャスト向けにSH4が開発された。SH4は、2命令同時実行のスー しては、当時日本が世界をリードしていた分野、具体的には、TV パースカラ機能の採用に加えて、3次元グラフィック計算向けの やAV機器、電子手帳などのハンドヘルド情報機器、モータ制御 ベクトル乗算器を内蔵した製品である。SH4は後に、カーナビゲ などの産業応用、さらには自動車などをターゲットとして、上記 ーション向けにも広く使われるようになった。一方、MCUの分 のMGO活動により、売込み、顧客ニーズ収集、製品へのフィード 野でも性能向上したSH2Aが開発された。SH2/SH2Aは、広温度 バックを進めた。大変有り難かったのは、SHマイコンのコンセ 範囲/高信頼度用途向けに開発された新フラッシュメモリ技術と プトに共鳴していただき、ベータサイトとしてお客様自身の製 組み合わせて、自動車エンジン制御やモータ制御などの分野で 品開発も、SH1の開発と平行して進めていただいたケースが複数 広く使われている。 あったことである。 SH1は90年夏から基礎検討を開始して、92年秋には製品発表、 サンプル出荷にこぎ着けることができた。幸いにして、発売当初 より好評で、順調に採用を拡大することができた。中でも嬉しか ったのは、例えばカシオ計算機社の世界初の小型デジタルカメ ラQV-10のように、お客様の画期的な商品の開発に寄与できた ことであった。 ■ シリーズ化と発展 1992年-2000年 SH1は順調に採用を拡大していたが、 しだいに、当初想定のア プリケーションとは異なる引合いも出てくるようになった。最 初の大きな転機は、92年秋のセガ・エンタープライゼス社からの 家庭用ゲーム機向け引合いであった。セガ・エンタープライゼス (年) 社との共同開発の結果、SH1を大幅に性能アップしたSH2が開発 され、94年秋に発売されたセガサターンという家庭用ゲーム機 ■ ARMとの戦いとSuperH Inc.の設立 へ搭載された。SH2の開発は、SH1の量産化の時期と重なり、設 SHシリーズは着実にビジネスを拡大していったが、一方で世 計部隊は超多忙となったが、SH1の設計経験を即座に次の開発 界的に見ると、ARM社がCPUライセンス専門会社として、複数 にフィードバックすることができて、結果的には非常に短期間で の半導体メーカーにライセンス供与するビジネスモデルでシェ 開発、量産化を達成するという好結果となった。SH2のセガサタ アを急速に拡大していた。特に、TI社と組んでNokia社の携帯電 ーンへの搭載により、SH1シリーズと併せて出荷数量は飛躍的に 話に採用されたことを契機に、携帯型の情報機器での標準CPU 拡大し、SHシリーズの知名度も格段に向上した。96年ごろには、 の地位を確立していった。日立でも、2001年にSTMicroelectronics RISCCPUの出荷量で世界第二位の地位までシェアを一気に向 社と協同でCPUコアの開発ライセンス会社(SuperH Inc.) を設 上させることができた。 立して巻き返しを図ったが、残念ながら遅きに失した。 次の大きな転機は、93年のMicrosoft社、Windows CE OS搭載 のPDA (携帯型パーソナル情報機器) 開発の引合いだった。日立 ■ おわりに 振り返ってみると、SHシリーズの成功は、技術面での差異化、 は、カシオ計算機社と組んでSH2をさらに改良したSH3を提案し 顧客とのパートナーシップ、展開製品で一歩ずつマーケットを 採用された。SH3は、OSのためにMMU (Memory Management 拡大する、などなど、新ビジネス開拓の基本を忠実に実行した成 Unit) を搭載した本格的MPU製品であるが、低消費電力を要求 果だと思う。一方、ビジネスの枠組みの急激な変化について行け される携帯機器搭載を目標としており、MIPS/Wattで世界一を ず、ARM社とのデファクト競争に敗れたことは大変残念であっ 目指す点では、従来のSHシリーズの開発戦略/マーケット戦略を た。ちなみに、自分たちが作り出した命令セットこそ財産だと主 とった製品だった。組込みシステム向けのSH1開発からスタート 張していたMotorola社は、その後、自社コアを捨てて、IBM社の して、わずか5年でWindows互換のOSを搭載する製品の発表に PowerPC、さらにはARMコアの採用に早期に方針転換している までこぎ着けたことは、大変感慨深いものがあった。 ことも、感慨深いものがある。 No.3, 2012 • SEMI News 19