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ミニ開発から垣間見る〈住まい選び〉

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ミニ開発から垣間見る〈住まい選び〉
住まいのこから
21世紀の住宅地
ミニ開発から垣間見る《住まい選び》
東京都立大学大学院工学研究科教授
高見沢邦郎
まちなみをデザインする」ことも、この頃から少しずつ
市民権を得た。
毎年2度の刊行で50号だからちょうど四半世紀が過ぎ
つまりこの時期以降、都市計画は計画強化から規制緩
たということか。これからも面白い誌面を提供して下さ
和へ、住宅は量の確保から質の多様化へと流れが変わっ
ればありがたい。
たといえよう。財団が目指す良好な戸建て住宅・住宅地
さて創刊時の1980年は、都市計画法等の改正で地区計
は、質の多様化へは十分に対応するものだが、マンショ
画制度が誕生した年だ。今、全国で約3,500の地区計画
ンなどと違い規制緩和の「恩恵」は殆ど受けていない世
があると聞くが、そのなかには計画的な戸建て住宅群の
界ではあるが……。いずれにせよいわゆる“住宅双六”
まちなみ形成を支えているケースも多いだろう。
の世界(郷里や親元を離れ大都市で狭い民間アパートを
都市計画にかかわっている立場からすると、1980年頃
借りるところがら始まり、公営・公団等も経て、郊外の
はひとつの転換期と位置づけられる。すなわち、1968年
戸建て住宅で「上がり」とする)は崩れ始めた。
のスプロール防止を狙いとした新都市計画法の制定から
そして今日は、都心での超高層住宅から農村での田園
始まって、1970年の建築基準法改正による一専(第一種
住宅まで、住宅の選択肢は広がり、他方、少子高齢化の
住居専用地域)など8用途地域への細分化、1976年の同
中で世帯の多様化が進み、不安定化する就業状態とも相
法改正による日影規制の導入などを経て地区計画に至る
侯って、「住まいの選択」に供給側も需要側も知恵を絞る
「計画強化の十年余」の終焉が1980年頃だったのだ。80
べき時代になってきている。
年代に入ると内需拡大を意図した規制緩和へと政策の舵
取りが変わってゆく。
視点を変えて住宅づくりについて見ると、これまた1980
年前後は転換期だった。経済の高度成長期には宅地や住
地区計画にかかわる法改正がさほど難渋せずに成立し
宅が足りない、ともかく量をであったが、2次にわたる
たのには、1970年代に既成市街地や郊外で多数の「ミニ
オイルショックを経て低成長経済が定着するころには量
開発」がっくられる中で、「それを防ぐのには地区計画」
は一応満たされ、質が問われる時代になってきた。とく
とする新聞報道のおかげもあった。世田谷の「お屋敷」
に思い出されるのは戸建てと集合住宅の狭間を狙ったタ
の敷地が突然に20坪、30坪の建売住宅に変わって周辺も
ウンハウスの出現である。行徳ファミリオ(1978年、京
自治体も困っているとの記事である。当時のミニ開発は
急/一色建築設計事務所)など民間だけでなく、公的セ
「良くないもの」だった。今は力を失ってきているがミニ
クターによるタウンハウス諏訪(1979年、公団/山設計
開発に対処する指導要綱を制定する自治体も多かった。
工房)、会神原団地(1977年、茨城県/現代計画研究所)
既成市街地のミニ開発は、比較的便利で環境の良いとこ
などが思い浮かぶ。また亡くなった建築家・宮脇檀さん
ろに、マンションよりちょっと高いにしても普通の戸建
が提唱・実践し、財団も支援してきた「戸建て住宅地の
てよりは安い値付けで人気を博した。つまりは戸建てやマ
6
家とまちなみ50〈2004.9>
まち住まいのこ
から
21世紀の住宅地
詮
監麟舞 疇 碍
後者、すなわち「賢い買い手・賢い住み手」の問題は、
じつはこれからの住宅を考える上でとても大事なことな
のだがそれはそれとして、都市計画側の対応について見
ておこう。それはとりもなおさず「最低敷地規模問題」
となる。じつはついこの間(2004.6.24告示)、東京都の
かなりの地域でこれが決められた。目黒区・世田谷区・
中野区・杉並区という西部の4区および東部の江戸川区、
また市部では武蔵野市・三鷹市・青梅市・町田市などで
ある。規制値は区部では60㎡∼100㎡、市部では100㎡
か120㎡であり、これらの区市では市街化区域面積の少
ンションとは別の選択肢として表舞台に登場したのである。
なくとも3割(青梅市)、多いところでは8割以上(杉並
その後は行政指導と地価の高騰で供給が減ったが、地
区・三鷹市)で将来的な敷地分割やミニ開発に制約がか
価下落以後、再び増えている。そして今はミニ開発必ず
かった。
しも悪貨とは捉えられていない。いや、積極的に選択さ
これは、1992年の建築基準法改正で、一種・二種の低
れている面もある。それこそ世田谷辺りでは20坪、30坪
層住居専用地域において200㎡を超えない範囲での敷地
の敷地の建売住宅(ぼくらから見ればどうかと思うデザ
規模規制が可能となり、さらに2002年の改正ではどの用
インの)から小さい子どもを連れた奥さんがブルーの
途地域でもそれが可能となったことを受けている。当初
BMWに乗り込むといった風景も珍しくない。われわれ
の法改正の時には横浜市などごく僅かの自治体しかこれ
でさえも、“ミニ開発”と呼ばずに“ミニ戸建て”と呼
を採用しなかったが、今回は東京の落蓋がかなり採用し
んで「まあ、これも有りかな」と思う時代である(写真1)。
たのである。その理由は、21世紀のストックの時代を迎
これらの開発業者は「パワービルダー」と呼ばれるの
えて市街地の質を高める(換言すれば、これ以上低くし
だそうだ。なぜなのかは知らないが。地場の、才覚のあ
ない)という辺りにあろう。東京では、敷地規模規制が
る小規模デベロッパーである。地元密着で狭い地域の需
他の区市にも広がりそうで、規制している区市と、して
要に応えているわけで、開発行為であっても公園までは
いない区市との差別化が進むかもしれない。
提供しなくていい規模の素地を見つけては建てている。
この規制は都市計画分野では長年のテーマだったとも
数年前に、財団の会員会社などにも入ってもらった勉強
いえる。たとえば伊部貞吉は土地区画整理に関連して画
会で「密集した市街地などのこういった開発に参入し、
地規模を論じ(『建築雑誌』1929年8月号∼11月号)、小
少しでもましなものの供給ができないものか」と意見交
栗忠七は都市計画法・市街地建築物法(いずれも1919年
換したが、いろんな理由で大手が直接には無理との結論
制定)の改正に関係して論じている(『都市公論』1939
だった。
年5月号)。また欧米の都市計画において敷地規模規制が
それはそれとして、ミニ開発でもミニ戸建てでも、需
普遍的に採用されていることも夙に紹介されてきた(た
給市場が成立している以上、その存在を否定することは
とえばニューヨーク市で一戸建てをつくろうとすると、
できない。まちなみとしてはタウンハウスの方がいいか
約380∼950㎡以上の敷地が要求される。同市の郊外の
らそちらへ誘導していくことが大事だが、さまざまな理
環境が豊かなわけだ)。
由でそれへの需要は低いのが現実だ。となると、あまり
ひどいミニ戸建てはコントロールするとしても、ユーザ
ーの選択眼に任せる部分があるのもしょうがあるまい。つ
まりは都市計画として最低限なすべきことは何かと、ど
とは言え、この程度の敷地面積の戸建て住宅が良好な
うずれば買い手・住み手の眼力が上がるかが主題となる。
のか、まちなみをつくれるのかと問われれば自信はない。
家とまちなみ50〈2004.9>
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せめて40坪か50坪は欲しい。でも最低を150㎡としたの
では反対の声が大きいだろう。しかし60㎡では、“ミニ”
にお墨付きを与えてしまうとの指摘もあろう。現実には
やむを得ないとしても。計画論的には、100㎡辺りを下
回るならば、長屋建ての現代版を考えるべきと思う。郊
外のタウンハウスの下町版と言ってもいい。イメージと
しては、隣り合った数敷地が協定を結び、いちどきに建
替えるのではなく将来の姿を描いて合意し、順次個別に、
長屋的に建替えていく。当然、壁は二重壁で敷地は個別
の所有・賃借のままで。接道のわるいところでも長屋で
建築確認を取れば、すべての敷地が幅員4mの接道を確
写真230年余りを経て建て替えも
保する必要はない。従来は「零細敷地での建替えは共同
化で」と言ってきたので少しは実現しているが、共同化
が万能薬ではないわけで、上記のような「協調化」も大
古びた家、維持補修をしっかりやっている家、増築(違
事と思う。
反かもしれない)した家、建替え中の家などいろいろで
このような「建築の時間差を認めた建築確認」も今や
ある。行き止まりの位置指定道路に6軒とか8軒とかが建
可能だろう(よくは理解できていないが、建築基準法86
ち並び、敷地の中に入りきれない自転車が並んでいるの
条2項、連担建築物設計制度を使う)。とは言え、たとえ
も典型的な風景だ。見て回った277戸について簡単な観
ば東京都荒川区ではこれを進めるべく法をベースに独自
察調査を行って、「建替え」と「住替え」の状況を推測
の制度(まちづくりルールPart2)を用意したが、まだ
してみた。建替え(一部更地化も含む)は目視で判断、
適用事例はないようだ。問題は、よく言われるところの
住替えは表札調査(昔の住宅地図と対比して、変わって
権利関係の錯綜であり、また、個々の地権者の思惑の違
いたら住替えたとする)だから完全な正確さはないが、
いだろう。何とかそれを乗り越えるには、隣の家がどう
凡そは捉えられよう。その結果を示せば図のようになる。
なるかも(特に防災上危険な密集地などでは)、我が家の
すなわち、建替えは4分の1ほど(26.3%)で、4分の3
幸せにかかわる相互補完性を持つのだ、との認識を広め
ほど(73.7%)は元のままだった(修繕や多少の増築を
ること、関係者の利害を勘案して皆の利益に結びつくよ
したものも含む)。居住者は半分強(55.2%)が元のまま
うな調整者、調整者だけに留まらず当該地に投資する事
で、残り(44.8%)は入れ替わっている。また外の円グ
業者をも介入させることが必要だ。公平性を原則とする
ラフ(建替え)と内側のそれ(住替え)を組み合わせて
行政では介入に限度があろう。
、見てもらえば相互の関係も読み取れよう(図1)。
印象としては「こんなものか」に尽きる。ある程度は
建替わっているが、現在の木造住宅の平均寿命は35年前
後だろうから、建替えられたのがやや少ないかもしれな
もう一度、昔のミニ開発のことに話を戻そう。と言う
い。と言って、狭小敷地だから建替えが進まないとまで
のも、部屋の資料を片付けていたら、たまたま30余年前
は断定できまい。居住者の移動については一般的な戸建
(正確に言えば1970年前後)に世田谷区などで行ったミ
て住宅地に比べれば少し多い印象もあるが、分譲マンシ
ニ開発調査の際のプロット地図が出てきた。「う一ん、若
ョンほどではないようにも思え、これも何とも言えない。
い頃は真面目にフィールド調査をしてたんだな」との感
すなわち「まあこんなものか」だ。話しをしてくれた居
慨はおくとして、それを資料に30年経ったミニ開発を調
住者に聞くと、「買ってから30年、60歳を越して今は二
べてみようと思い立ち、昨年、学生と一緒に見て回った
人暮らし。内装のリフォームも何回かしたし、このまま
(写真2)。
住み続けるつもり」、「通勤や子どもの学校に便利なので
写真ではよくわからないかもしれないが、昔のままで
3年前に借りた。持ち主についてはよく知らない。いず
「家とまちなみ50 〉
まち住まいのこ
から
21世紀の住宅地
だ土地に、「都心」「眺望」「ステイタス」を売り物に大
量につくられている。災害時に問題は起きないのか。1棟
500戸にもおよぶ巨大さは果たしてコミュニティと言え
るのか。超高層の足元に地域での生活を支える施設まで
考えて整備している例は少ない。
住み手も、住戸が気に入り焦慮のセキュリティに満足
ならばそれ以上の地域社会とのつながりを求めない。購
入動機も将来の暮らしを本気で見据えたものとは思えな
い。超高層住宅は、子どもが育つには余りにも人工的環
境に過ぎる。お年寄りも、一人でも暮らせる強い人なら
いいが近隣との支え合いで生きる人には住み辛かろう。
図130年余り経ったミニ開発の
建物の状態(外側)と居住者の状態(内側)
こんな建て方では、高度成長期に地域との関係性なしに
つくられて今や負の遺産的に語られる郊外団地と同じか、
れは引っ越すつもり」、「9年前に中古で買った。リフォ
むしろ悪いくらいだ。超高層住宅もワーッと開発してあ
ームもして親子4人にとってはまずまずの住まい。玄関
とに問題を残すわれわれの悪しき国民性を引きずってい
を増築したいのだが敷地が狭いのでうまくいくか…」、「3
る、とは言いすぎか。
年前に建替えた。子どもが出ていったら貸すか売るかし
住まいの多様化はこの四半世紀大いに進んだ。進んで
て老後の住まいは別に考えたい」、と、これまたいろい
ないのは「自らや家族の暮らし方を見据えて、多様な選
ろ。世田谷という恵まれた地域に、狭くても何とか住み、
択肢から適切な住まいと環境を選び取れる〈住み手の能
表面からはわからないにしてもそれなりに幸せに暮らし
力〉」なのかもしれない。はやり・廃りに左右されない、
ているということであろうか。
住まい・環境選びの知恵が今更ながら求められる。
少し距離を置いて考えてみれば、結局のところ、それ
ぞれの世帯や個人が自らの生き方を踏まえて、どんな住
まいを……という選択の問題だと気付かされる。つまり
は「買い時だから買う、といった単純な選択」ではない
住まい選びをしている人がどれほどいるのかの問題であ
る。気になるところ大だ。
「まちと住まいのこれから」とは程遠い「これまで」
を振り返る小論となってしまった。戦前から議論があっ
た敷地規模の規制が、今後のフローの水準確保とストッ
クの悪化防止のために採用される時代が来た。一方、ス
トックの時代との認識の中で、過去のミニ開発や低水準
のマンションなども都市の居住形態として捉え直す必要
があろう。
むしろ今、ぼくが最も危惧しているのは都心回帰の主
役である超高層マンションである。ウォーター・フロン
トを中心とした倉庫等の跡地の土地利用転換として、ポ
ストバブルの中、企業のリストラもからんで売買が進ん
高見沢邦郎(たかみざわ・くにお)
1942年東京生まれ。東京都立大学大学院
(建築学・修士課程)修了。同大学助手、
助教授を経て大学院工学研究科教授。都
市計画・まちづくりを専門とし、市民ま
ちづくりの支援活動も。最近の関心事は
〈都心and/or郊外〉。著書に「都市集合住
宅のデザイン」(共著、彰国社)など。建
築学会論文賞、都市計画学会石川賞など
を受賞。
撃
家とまちなみ50<20049>
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