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マグレブのアル=カーイダとその射程—「アラブの春」とサヘルをめぐって

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マグレブのアル=カーイダとその射程—「アラブの春」とサヘルをめぐって
特 集
を背景に一九九二年に選挙プロセ
生を危惧する﹁国際社会﹂の支持
恐れた軍が、イスラーム国家の誕
おさめた事に始まる。政権交代を
︵ Front de libération nationale
FLN︶を降し、電撃的な勝利を
主であり、サヘル地域においては
闘や政府機関を標的としたテロが
の活動も、アルジェリア軍との戦
した集団である。AQIMの現在
く、一九九八年にGIAから分離
軍との戦闘を活動の中心とするべ
るタクフィールに反対し、政府や
タニアなどのサヘル諸国に進出し
とし、マリやニジェール、モーリ
ているが、一部はマリ北部を拠点
部の山岳地帯を中心に活動を続け
である。首脳部はアルジェリア北
入して成立したジハード主義集団
のアル=カーイダ・グループに加
選挙︵一次投票︶において、イス
九九〇年の地方選挙、翌年の国政
アルジェリア内戦は、独立後初
の複数政党制による選挙である一
て生き残りを図った形である。
ル=カーイダの﹁地方支部﹂となっ
国外の資金支援を失わぬよう、ア
に倦み疲れた国内の人々の支持と
般市民に対する無差別テロを行う
﹁タクフィール﹂と呼ばれる︶、一
ムスリムを背教者とみなす行為は
体を背教者とみなし︵このように、
力が衝突を繰り返すうち、社会全
選択する。軍と武装イスラーム勢
の人々は武器を取って戦うことを
団から穏健派が排除され、急進派
FISその他のイスラーム主義集
る。 か つ て ア ル ジ ェ リ ア の イ ス
者にみられた傾向の延長線上にあ
のアルジェリアのイスラーム主義
スラームの強調という、内戦以前
AQIMの言説は、反植民地主
義とアイデンティティとしてのイ
から、多くの正当性を引き出した。
10
アジ研ワールド・トレンド No.205(2012. 10)
にGIA指導者となったアンタ
ル・ズワービリーは、アルジェ近
郊の複数の町の住民五〇〇人以上
が虐殺された一九九七年夏の凄惨
なテロ事件の後、市民の無差別殺
戮を正当化して、国内ばかりか海
外のイスラーム主義者の支持をも
﹁ イ ス ラ ー ム・ マ グ レ ブ の ア ル AQIM誕生の背景には、九〇
=カーイダ﹂
︵
年代に一〇万人の犠牲者を出した
al-Qaida
in
Islamとされるアルジェリア内戦が二〇
スを中断して政権を掌握、FIS
渡邊 祥子
失った。
〇〇年代に収束に向かい、戦闘が
は非合法化され、イスラーム主義
外国権益︵在外公館や企業︶の攻
AQIMの母体となったGSP
Cは、このような一般市民に対す
ic MaghribAQIM︶は、アル
ジェリアのイスラーム主義武装組
局地化したことがある。ジハード
者は苛烈な弾圧を受けた。政府お
撃と外国人誘拐である︵表 ︶。
●孤立からの脱出
フ ィ ー 主 義 集 団 ﹂
︵ Group 主義集団は、かつてのように市民
を標的にする方針を放棄し、アル
織﹁ 宣 教 と 戦 闘 の た め の サ ラ
ジェリア当局と外国権益にター
よ び 軍 と の 対 立 の 激 化 の な か で、
ている。アルジェリアの一武装集
ラーム政党﹁イスラーム救済戦線﹂
islamique armé G I A ︶ の よ
うな組織が出現した。一九九六年
ラーム主義者は、FLN体制の腐
﹁ 武 装 イ ス ラ ー ム 集 団 ﹂︵
Groupe
敗、権威主義に対する人々の怒り
●
﹁フランスの子供たち﹂か
ら﹁キリスト教十字軍﹂へ
団から国際ジハード団体への転換
を 敷 い て き た﹁ 民 族 解 放 戦 線 ﹂
は、どのようにして起こったか。
1
︵ Front islamique du salutFI
S︶がそれまで実質的な一党独裁
le combat G S P C ︶ が、 二 〇
〇七年にウサマ・ビン・ラディン
salafiste pour la prédication et
ゲットを絞るようになった。暴力
●GSPCからAQIMへ
︱ ﹁アラブの春﹂とサヘルをめぐって ︱
マグレブのアル=カーイダとその射程
不安定化する
「サヘル・アフリカ」
マグレブのアル=カーイダとその射程 ―「アラブの春」とサヘルをめぐって ―
表1 AQIM周辺の主な事件
彼らは、
独立後のアルジェリアが、
2009年6月
モーリタニア・ヌアクショットにてアメリカ人人道活動
家殺害
ブルカ(ニカーブ)に関するサルコジ仏大統領の発言を
非難する声明
る。
2008年12月 ニジェールでカナダ人外交官2名誘拐(解放)
ニジェール・マリ国境にてヨーロッパ人観光客4人誘拐、
イギリス人1名殺害
2009年8月
モーリタニア・ヌアクショットのフランス大使館に対す
る自爆攻撃
2009年
11-12月
マリ、モーリタニアで3件計6名のヨーロッパ人を誘拐(解
放)(スペイン人3名、フランス人1名、イタリア人2名)
アルジェの首相府などに3件の自爆テロ、死者33名
2009年12月 ニジェールのティラベリ州でサウジ人4人が武装グループ
に襲われ死亡
2010年4月
ニジェールでフランス人人道活動家ミシェル・ジェルマ
ノ氏誘拐
2010年7月
ジェルマノ氏「殺害」声明
2011年1月
ニジェール・ニアメでフランス人2名を誘拐、殺害
2011年2月
アルジェリア南東部タドラルト地方でイタリア人旅行客
誘拐(解放)
2011年11月 マリ北部にてヨーロッパ人など2件5名を誘拐(フランス人
2名、オランダ人、スウェーデン人、イギリス/南アフリカ人)
ハードを標榜する戦闘的イスラー
失業者層が、堕落した政府とのジ
会問題となっていた都市部の若年
た。とりわけ、八〇年代までに社
不満を持つ幅広い層の支持を集め
ち﹂と呼んで、国家とエリートに
家エリートを﹁フランスの子供た
支配されているとし、こうした国
軍事的・政治的エリートによって
と 結 び つ い た︵ と 彼 ら が み な す ︶
教育を受けたり、フランスの利害
ラ ー ム 主 義 者 の イ デ オ ロ ギ ー を、
AQIMは、アルジェリアのイス
ム︵ = 我 々︶﹂ の 二 元 論 で あ る。
な欲望の犠牲となっているムスリ
彼 ら ︶﹂ 対﹁ 西 洋 の 植 民 地 主 義 的
結びついたアラブの国家体制︵=
的な西洋世界、およびその利害と
は、﹁ キ リ ス ト 教 的、 シ オ ニ ス ト
アル=カーイダの世界観の基本
衆 ﹂ と 広 域 的 に 捉 え ら れ て い る。
援する諸外国﹂対﹁マグレブの民
は、﹁ マ グ レ ブ 諸 政 権 と そ れ を 支
この﹁国家エリートとそれを支
援するフランス﹂対﹁敬虔な民衆﹂
2007年4月
ナショナリズム的な理念の下でア
GSPC、イスラーム・マグレブのアル=カーイダ(AQIM)
と改称
ラブ化・イスラーム化政策を推進
2007年1月
という対立が、AQIMにおいて
GSPC、アルジェリアの砂漠で32人のヨーロッパ人観光客
を誘拐(解放)
しながら、実際にはフランス風の
2008年2月
ニジェールのアーリットで7人のアレヴァ社員誘拐
(フランス人5名、トーゴ人1名、マダガスカル人1名)
2010年9月
モーリタニア・ヌアクショットのイスラエル大使館襲撃
チュニジア南部にてオーストリア人観光客2名誘拐(解放)
2009年1月
出来事
2003年2月
ム主義に惹きつけられたといわれ
築を通じて新たな勢力圏を獲得し
手法、地域有力者との協力関係構
た。標的に対する自爆テロという
のカダフィ大佐が挙げられてい
ロッコのムハンマド六世、リビア
リ ア の ブ ー テ フ リ カ 大 統 領、 モ
アのベン・アリ大統領、アルジェ
﹁ 傀 儡 統 治 者 ﹂ と し て、 チ ュ ニ ジ
は、﹁ 十 字 軍 と ユ ダ ヤ 教 徒 ﹂ の
一一年一月のAQIMの声明で
なす︶各国現地政権である。二〇
それに操られている︵と彼らがみ
の 欧 米︵ 特 に フ ラ ン ス ︶ 権 益 と、
れた。AQIMの攻撃対象は地域
ルワドゥードによって推し進めら
を握るアブー・ムスアブ・アブドゥ
国際ジハード路線は、二〇〇四
年以降GSPC/AQIMの実権
不正な欧米や現地政権とのジハー
うことによって、AQIM兵士は
れば、故郷と家族を捨てて山で戦
に引き継いでいる。AQIMによ
ド主義のこのような発想を基本的
フィールは避けるものの、ジハー
は、 一 般 ム ス リ ム に 対 す る タ ク
に見られる。GSPC/AQIM
∼六六年︶著﹃道標﹄
︵一九六四年︶
のサイイド・クトゥブ︵一九〇六
ているエジプトのムスリム同胞団
ハード主義者に大きな影響を与え
よ る ジ ハ ー ド と い う 主 題 は、 ジ
であるとされる。少数精鋭集団に
が外敵から社会を守る戦いの前線
場所で行われていても、それこそ
山岳地帯などの社会から隔絶した
ジハード主義のイデオロギーで
は、 戦 闘 が 少 数 の 集 団 に よ っ て、
しろ、サヘル諸国において危惧さ
ていく方法は、ビン・ラディンと
ドの前衛に立つ。その他のムスリ
アル=カーイダの国際ジハード路
ザルカーウィーの指揮するアル=
ム た ち は、 A Q I M に 加 わ る か、
れている。なぜなのか。
カーイダ﹁本部﹂に倣ったとされ
彼 ら を 援 助 す べ き と さ れ る。
﹁ア
線に沿って発展させたといえる。
る。
は、アルジェリアやマグレブ諸国
国際展開にもかかわらず、いわ
ゆる﹁アラブの春﹂後のAQIM
● ﹁アラブの春﹂後のAQIM
のジハードと結び付けるべく、民
IMは、この抗議行動をAQIM
年一月に出した声明のなかでAQ
ジェリア、チュニジアにおける民
ラブの春﹂の先触れとなったアル
の体制の安定を脅かす存在ではな
衆に以下のように呼びかけた。
衆抗議行動に応答して、二〇一一
くなりつつあり、その影響力はむ
アジ研ワールド・トレンド No.205(2012. 10)
11
2007年12月 モーリタニア・アレグでフランス人観光客4名殺害。翌年
ダカール・ラリーのキャンセル
アルジェの国連事務所などに2件の自爆テロ、死者41名
時期
(出所)筆者作成。
方 の 同 胞 た ち の ジ ハ ー ド と 戦 闘、
である。山で従軍しているあなた
たちに反対することによってのみ
られたことを否定し、この圧制者
段を通じてジハードを行い、禁じ
シャリーアに合致したあらゆる手
かし、
これらがもたらされるのは、
し、真理と正義が戻るだろう。し
シャリーアによって、公正が支配
リ ー ア に よ る 統 治 が 必 要 で あ る。
支配者たちへの反逆と、神のシャ
める変化のためには、宗教に背く
ために他ならない。あなた方が求
宗教と、あなた方の現世の防衛の
財産を後にしたのは、あなた方の
従事している。我々が家と家族と
家々の向かいにある山々で戦いに
ハ ー ド 戦 士 た ち は、 あ な た 方 の
た ち の 戦 い そ の も の で あ る。 ジ
なた方の同胞であるジハード戦士
あなた方が現在、公正と権利回
復のために行っている戦いは、あ
る。
きからも脇に置かれてしまってい
﹁春﹂後のアラブ政治の大きな動
ク タ ー と な れ な か っ た ば か り か、
M は、﹁ ア ラ ブ の 春 ﹂ の 主 要 な ア
さすのは困難だった。事実AQI
者たちの緩やかな連帯の流れに掉
組合や職業組合、党派性のない若
ニジアやエジプトで起こった労働
闘争を志向するAQIMが、チュ
権益への攻撃や国家当局との武装
選挙参加などの手段を排し、外国
限界がある。アソシエーションや
に、AQIMの社会運動としての
衆運動たることを自ら拒否する点
ための組織的基盤も持たない。民
から組織する運動ではなく、その
衆のなかに分け入ってそれを内部
る。少数精鋭集団AQIMは、民
まで彼らを補助する存在なのであ
のはAQIMであり、民衆はあく
AQIMの世界観では、悪しき
政権との戦いにおいて前線にいる
諸国から呼び集めた傭兵と支給し
かった。カダフィがサハラ以南の
しかし、リビア内戦が引き起こ
した混乱を、AQIMは見逃さな
ある。
イダ的世界観の前提を崩したので
ム文明の衝突という、アル=カー
ブの春﹂は、西洋文明とイスラー
殺害されたが、より深層で﹁アラ
一一年五月にはビン・ラディンが
介入主義が見直されていた。二〇
され、九・一一以降のアメリカの
中にもたらした戦火と混乱が批判
の戦い﹂が民主化の代わりに世界
マ 時 代 の 到 来 と と も に、﹁ テ ロ と
因のひとつである。折しも、オバ
ハード主義が背景へと遠のいた要
の 政 治 変 革 を 望 ん だ こ と も、 ジ
フリカの人々が、非暴力的手段で
集団のインパクトは薄れた。北ア
ラーム勢力としてのジハード主義
したことで、政権と対峙するイス
スラーム政党が各国の選挙で躍進
SPCの第二の軍事拠点となっ
た。彼の活動により、サヘルはG
タールがマリ北部へ亡命を果たし
れたが、この際、GSPCの指導
一部は身代金と引き換えに解放さ
る。マリ北部に監禁された人質の
パ人観光客三二人拉致事件に遡
き起こした二〇〇三年のヨーロッ
GSPCがアルジェリア南部で引
いる。サヘルのAQIMの起源は、
勢力のひとつとされ、着目されて
リ北部を実効支配するイスラーム
二〇一二年のマリ危機におい
て、AQIMのサヘル部隊は、マ
● サヘルのAQIMの土着化?
せている。
ヘルのAQIMも根強い活動を見
六 ∼ 七 月 ︶。 こ れ と 平 行 し て、 サ
帯の掃討戦を行った︵二〇一二年
拠点であるカビール地方の山岳地
し、軍はこれに対し、AQIMの
しないことを通じて、神のお許し
こと、フランスの子供たちを信頼
圧制者たちに向かって立ち上がる
ゆる派閥のムスリムたちが罪深い
ロッコでも、穏健派イスラーム主
新 し い 状 況 が 生 ま れ て い る。 モ
戦に勝利し、政権参加するという
受けていたイスラーム政党が選挙
現在、政変後のチュニジア、エ
ジプトにおいて、これまで弾圧を
ジェリア国内のAQIMは、憲兵
事訓練の舞台となっている。アル
の輸送、イスラーム主義集団の軍
定化した国境地帯が、武器や麻薬
した。チュニジアやリビアの不安
ラ以南の諸地域の武装化をもたら
た武器は、カダフィの死後、サハ
スもあった。
れ、解放されたが、殺害されるケー
パガンダや取引のために利用さ
外国人人質は多くの場合対外プロ
外 国 人 誘 拐 が 問 題 視 さ れ て い た。
ほとんどなく、外国権益の攻撃と
Mとマリ当局との大規模な戦闘は
た。マリ危機の開始まで、AQI
者 の 一 人 ム フ タ ー ル・ ベ ル ム フ
彼らに対するあなた方の身体と富
により約束された勝利が実現する
義政党が組閣を果たした。このよ
や警察に対するテロ攻撃を繰り返
による助けと支援、そして、あら
だろう︵参考文献①︶
。
うに、合法的な手段で活動するイ
12
アジ研ワールド・トレンド No.205(2012. 10)
マグレブのアル=カーイダとその射程 ―「アラブの春」とサヘルをめぐって ―
の女性と婚姻関係を結んでいるほ
者ベルムフタールが現地の有力者
響力を行使している。また、指導
はマリ北部の地域社会に経済的影
ジネスの展開を通じて、AQIM
輸送や不法移民の手引きなど闇ビ
経済と人を通じてなされた。麻薬
て き た。 サ ヘ ル 地 域 へ の 浸 透 は、
ず、地域社会を取り込む努力をし
二〇〇三年来サヘルのAQIM
は、外来集団であることに甘んじ
う。
係を築いたものと見ていいだろ
二者が利害の一致によって協力関
後 者 の 傘 下 に あ る と い う よ り も、
ンとAQIMとの関係は、前者が
らす。アンサール・アッ=ディー
と軍事テクノロジーの恩恵をもた
ンに対し、AQIMは豊富な資金
ある。アンサール・アッ=ディー
になってくれる現地パートナーで
供し、都合のよい外交チャンネル
AQIMだといえる。
を い わ せ て 地 域 に 寄 生 し た の が、
富な活動資金と政治的影響力に物
いた。この脆弱性に付け込み、豊
よる内部からの不安定化を被って
と、党派対立や伝統権威の崩壊に
のいたことによる慢性的な貧困
政府や国際NGOからの支援が遠
開発に加え、度重なる武装蜂起で
る。マリ、ニジェール北部は、低
に根本的に起因すると考えられ
る現実が存在する。アル=カーイ
政府による搾取として体験されう
低開発の問題が、欧米とその傀儡
ら取り残された地域であり、この
地帯は各国内部でもともと開発か
ならない。しかし、サヘルの国境
グのあり方を慎重に再検討せねば
独立以来のステート・ビルディン
の主張の是非を知るには、各国の
アルジェリアやサヘルが依然と
して植民地同然だというAQIM
放に貢献したとされる人物であ
諸国政府の交渉を仲介し、人質解
において、GSPCとヨーロッパ
述のヨーロッパ人観光客拉致事件
リに進出するきっかけとなった前
アグ・ガリは、GSPCが北部マ
ガリであることは、
偶然ではない。
リのトゥアレグ人、イヤド・アグ・
年以来AQIMとの関係を持つマ
ディーン﹂の指導者が、二〇〇三
武 装 集 団﹁ ア ン サ ー ル・ ア ッ =
しているとされるイスラーム主義
つ現在マリ北部統治の実権を掌握
用している。AQIMと協調しつ
り、彼らの人的ネットワークを利
兵士や司令官として採用してお
が十分に応答してこなかったこと
いという住民たちの願望に、国家
福祉、産業政策︶の恩恵を受けた
発 の 問 題 ︱ 国 家 サ ー ビ ス︵ 教 育、
﹁ 宗 教 問 題 ﹂ と い う よ り も、 低 開
題 ﹂、 キ リ ス ト 教 対 イ ス ラ ー ム の
しこれは、トゥアレグの﹁民族問
時代に遡る古い問題である。しか
ル北部の不安定の問題は、植民地
︵参考文献②③︶。マリ、ニジェー
の武装蜂起が起こった地域である
〇〇年代に中央政府に対する住民
ジェール北部は、九〇年代、二〇
マ リ 北 部、 テ ロ 活 動 の 盛 ん な ニ
る。AQIMの軍事拠点とされる
的・社会的・経済的な脆弱性があ
AQIMのサヘルでの活動が長
期化した背景に、地域社会の政治
地NGOなどによって報告されて
よる環境汚染といった問題が、現
員への差別的な待遇や、放射線に
開発については、ニジェール人社
を正当化した。アーリットの鉱山
当な搾取を行っているとして拉致
際、アレヴァ社は地域社会から不
員七名を誘拐する事件を起こした
二〇一〇年九月にアレヴァ社の社
ア レ ヴ ァ 社 で あ る。 A Q I M は、
フランスの原子力エネルギー会社
開 発 を 独 占 的 に 担 っ て い る の が、
地域にウラン鉱山があるが、この
ル北部のアーリットを中心とする
リア以上に強い。例えば、ニジェー
ける対外依存は、産油国アルジェ
ヘル諸国の経済、軍事、外交にお
さらに、AQIMにはイデオロ
ギー的な動員力もある。貧しいサ
1999.
. Paris: Harmattan, 1997.
Pierre Boilley.
Paris: Karthala,
ならない。
合な環境があることを、忘れては
IMの進展にとってきわめて好都
持つ地域がある限り、そこにAQ
ダの二元論がいまだリアリティを
る。 A Q I M 側 か ら 見 れ ば ア ン
︱が、地域や共同体に対する差別
いる事実がある。
か、AQIMは地元のムスリムを
サール・アッ=ディーンは、AQ
の問題として認識されていること
︽参考文献︾
①
②
③
Abū Mus ab Abd al-Wadūd.
Nidā ilā ahli-nā al-thā irīn fī
al-Jazā ir. January 13, 2011.
Mohamed Tiessa-Farma Maïga.
︵わたなべ
しょうこ/アジア経
済研究所
中東研究グループ︶
IMに欠けている地域的基盤を提
アジ研ワールド・トレンド No.205(2012. 10)
13
4
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