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本文全文 - 北里大学

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本文全文 - 北里大学
北里大学海洋生命科学部企画
『もっと知りたい「海の不思議」その2
なぜ胎子は母親の免疫系に拒絶されないのか
免疫と胎生をめぐる起源を追って』
二万∼三万種と言われる魚類の中で、子供を産む魚、すなわち胎生魚はサメ・エイ類を
含めると一千種以上にのぼる。意外と多いのである。大船渡ではよく店頭で見かけるウミ
タナゴも代表的な胎生魚の一つであり、七月の終わり頃に数尾から三十尾くらいの子供を
産む。ちなみに川にいるタナゴとは親戚関係はない。スズキ目の魚である。
胎生魚はなぜ胎生なのか
子供を産む動物といえば当然哺乳類はその代表格だが、胎生の動物は広い動物界のあち
らこちらにいる。無脊椎動物の中ではイソギンチャクの仲間にもいるし、クモの仲間とか、
ゴカイの仲間にもいる。脊椎動物では哺乳類に加えて魚類、両生類、爬虫類。つまり鳥類
以外のすべてのグループに胎生種が存在する。
胎生でも胎盤を作らないものは蕫卵胎生﨟と呼ばれて、胎盤を作る蕫真の胎生﨟とは区
別されることもあるが、胎生魚の研究者はあまりこの言葉を使わない。胎仔が母親から栄
養をもらうやり方は様々であって、胎盤はそのバリエーションの一つにすぎないからだ。
ウミタナゴ科の場合、胎仔魚は卵巣の壁から分泌される液体、卵巣腔液を口から飲み込
み、体から突出するほど大きく膨らんだ腸で活発に吸収して成長する。よく伸びた鰭は呼
吸に使われる。
なぜ胎生魚は胎生という方法を選んだのか。これに答えるのは難しい。我々は人間中心
に物事を見がちなので、胎生の方が繁殖方法として優れているように見えるかも知れない。
しかし哺乳類の中で繁栄していると言えるのは、ヒトとネズミくらいだ。地球上で最も種
の数と個体数が多い動物群である節足動物(昆虫や多くの動物プランクトン)をはじめ、
ほとんどの動物は卵生なのだから、胎生が卵生より優れているとは言い難い。
実際、胎生は母親に大きな負担を強いる。妊娠中のメスに気を遣って、オスの方まで大
変である。しかも、「こっちも大変だ」などとうっかり口に出そうものなら、「私の苦労
の何がわかるというの」と怒りに満ちた答えが倍加して返ってくるので言ってはいけない
のである。胎生の道はまことにキビシイと言わねばならない。結局、卵生との比較におい
ては、条件によっては胎生の方が有利なこともある、としか言えない。ではウミタナゴに
とってはどう有利なのか。その答えは残念ながら漠としている。
胎仔という異物はなぜ
母体内で生存できるのか
胎生魚の妊娠のしくみについてはわかっていないことが多いが、妊娠を巡る最大の謎は
免疫学と深く関係している。唐突だが、母と子の間で臓器移植は可能だろうか。実際に親
子間の移植は行われているのだから、可能と答えて間違いではない。ただし免疫抑制剤が
あれば、である。我々の免疫系は、他人の細胞と自分の細胞を厳密に見分ける。そして非
自己細胞は白血球によって攻撃され、排除される。拒絶反応である。親と子は遺伝子を半
分共有しているが、半分は異なっている。半分違っていても、白血球はやはり蕫自己では
ない﨟と見なして攻撃する。免疫抑制剤を使わない限り、親子でも移植は成り立たないの
だ。ただし赤血球は例外で、蕫自己・非自己の目印﨟がついていないため、輸血はできる
のである。
胎仔も母親の免疫系にとっては蕫半非自己﨟の移植片と変わるところはない。なのにな
ぜ、胎仔は拒絶されないのか。さらに精子となるとまったくの蕫非自己﨟なのに、どうし
てこれがヌケヌケと卵にたどり着けるのか。これらは免疫学者を悩ませてきた難問なので
ある。実際、精子や胎仔に対して雌の側に免疫応答が起きると、不妊や流産の原因になる。
長年の研究から、ヒトやマウスではこの問いに対する答えが徐々にわかってきた。しか
し哺乳類以外ではほとんど謎のままである。自己と非自己を厳密に見分ける免疫系は無脊
椎動物にはなく、進化上、魚類で初めて出現した。つまり胎生と免疫系の対立は魚類に始
まると言うことができる。進化の過程で初めてこの難問に直面した彼らがどうやってこれ
を解決したのか。我々の興味はそこにある。
今日もどこかでタナゴ釣り
我々が研究材料にしているのはウミタナゴの近縁種のオキタナゴだ。ウミタナゴではな
くオキタナゴになったのは、三陸の防波堤からはオキタナゴの方がよく釣れたからだ。オ
キタナゴにしろウミタナゴにしろ、生きたまま売られてたりはしないので(誰か売ってく
れたら嬉しい)、自分たちで釣るしかない。これが毎年大変な作業なのだが、わがタナゴ
チームの学生諸君は労苦を厭わず(と思いたい)、釣っては大学に持ち帰り、飼育してい
る。六∼七月にかけて、崎浜や泊の防波堤で、昼日中にオキタナゴばかり釣っている数名
の学生グループを見かけたら、それが我がタナゴチームである。オキタナゴはちょっとし
たショックで腹立たしいくらいにすぐ死ぬので、輸送にも気を遣う。二十尾釣れたと喜ん
でいると、次の日には半分が死んでたりする。出産はちょうど夏休みの時期だが、私が盆
休みを決め込んでいる間も、彼らはブラインシュリンプをスジコ乳化油で栄養強化したス
ペシャルフードを毎日作って子供の世話をする。この時だけはわが学生がエラく見える。
学生に私がどう見えるかは、あまり考えないようにしている。
釣らなければならないことに加え、繁殖時期が限られていることも研究材料としては難
点だ。グッピーなら水温を調節すれば、繰り返し出産する。それならグッピーで研究した
方が良さそうだが、グッピーの場合は自分が最初から持っていた卵黄に依存して成長する
ので、母仔間の結びつきはあまり強くない。サイズも問題である。免疫系の働きを見るに
は白血球を取り出して調べる必要があるが、グッピーでは小さすぎて細胞を充分集められ
ない。卵巣も小さい。我々は去年、オキタナゴの卵巣腔液を一〇〇羡ほど集めた。かなり
の労力を(学生が)費やしたが、グッピーでやろうとしたら気が遠く(学生が)なってし
まう。
この卵巣腔液の中にいろんな宝物― 免疫を調節する物質―が入っているのだろうとい
うのが我々の予測である。実際、この液体には白血球の働きを弱める作用のあることがわ
かり、その作用を持つ物質も一つは明らかになった。が、まだまだ秘密が眠っているに違
いない。三陸に来てオキタナゴに巡り合えたのは幸運だった。その秘密を突き止めて、胎
生と免疫系がどうやって両立し得たのか、謎を解き明かしたいと思っている。
免疫応答の鍵を握る卵巣腔内の白血球
卵巣腔内には、母親の白血球がうようよしていることがわかった。彼らは生殖孔からの
微生物の侵入に備えているようだ。しかし、精子や胎仔魚とも接触する。なのにどうして
拒絶反応を起こさないのか。
正確に言うと、精子に対しては何もしないわけではない。オキタナゴの交尾期は九月か
ら十二月くらいまで続く。メスの卵巣内に到達した精子は、受精の時期(十二月∼一月)
までそこにとどまる。ところが、卵巣腔内の白血球はこの精子を食べてしまうのだ。受精
が終わって要らなくなった精子を食べるのならわかるが、まだ受精が済んでいないうちか
ら食べ始めているので(無論、全部食べるわけではないが)話は複雑だ。なぜなのかはよ
くわからない。敢えて食べてしまうことで精子に対する免疫応答を調節しているのかもし
れない。
オキタナゴの卵巣(横断面)
オキタナゴの卵巣は、左右の卵巣が癒合して1個の袋状の器官になっており、内部は6
枚のヒダ(卵巣薄板)で仕切られている。写真は交尾期の卵巣で、卵巣薄板の間に黒く見
えているのは精子。十二∼一月頃に受精が起こり、受精後の胚は薄板で仕切られた空間に
保持されて、薄板から分泌される液体を吸収しながら成長する。
オキタナゴの胎仔魚
妊娠5カ月目の胎仔魚。鰓は未発達で、長く伸びた背鰭・尻鰭・尾鰭でガス交換を行う。
お腹から突き出ているように見えるのは肥大した腸。卵巣腔液に含まれている多様な物質
を、あまり消化しないで丸ごと吸収する。出産直前の卵巣と胎仔魚。卵巣は大きく膨張し、
卵巣腔液の量も一段と増えている。産まれ出る時までに鰭や腸は普通の形態になり、鱗を
備えた一人前の姿になる。
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