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彫刻表現様相に於ける寡黙性と鏡舌性の構造

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彫刻表現様相に於ける寡黙性と鏡舌性の構造
弘前大学教育学部紀要
第 42
号 :55-6
4(
1
9
7
9年 9月)
Bul
l
.Fac
.Educ
.Hi
r
o
s
akiUni
z
J
.42:55-64(Se
p.1
9
79)
彫刻表現様相に於ける寡黙性 と鏡舌性の構造
一
若 林 膏 の作 品 を 通 して-
岡
田
敬
司*
序
現代彫刻に於いて展開 されている様 々な表現様相は, まさに混沌を極めているが, この事ほ とりも直 さず,
現代 とい う時代の反影である事は言 うを待たない。 しか しなが ら,現代の彫刻が抱えている諸問題を一つの
局面か ら限定的に見据えて見 る事は,あながち無意味 とは考え られない。む しろ,表層的な現象の底流をな
している思想の骨格の一部が顕在化 され るのではないだろ うか とい う期待か ら,本稿を論述 してみ ようと思
う次第である. ここで言 う表現様相 とは,単に形式 とい う意味に とどまらず,広 く一般的意味あいに於ける
彫刻作品が観者に与える心理的精神的効果の及ぼ し方に, より重点を置いていることを前以 ってお断 りしな
ければな らない.
1. 彫 刻 芸 術 の全 感 覚 的鑑 賞 性
(
1
)
彫刻芸術を鑑賞す ることは,料理を食 し味わ う事に似ているとい う論拠がある。その類似関係 とは,例え
ば料理を味わ う時に,人間の持 っている様 々な感覚,味覚,喚覚,視覚,触覚などを総同員 して,総合的に
味わ うものであ り,又,生理的欲求 (食欲)の高まった時や野山や,海辺で食する時 (
環境)一層美味 しく
感 じられ るとい うことがあ る。他方,彫刻芸術を味わ う (
鑑賞す る)時 も,視覚,触覚 (
皮膚感覚を含む),
聴覚などを通 して,全感覚的に味わ うべ きものである。優れた秘仏を鑑賞す る時に,百貨店の陳列場 などの
ような様 々な雑音の入 る場所で行 うよ りは,深山幽谷の奥 まった伽藍の静寂の中の薄暗い光に照 らし出され
た中で行 う場合では,その印象は全 く異 って来 る。主たる感覚器官の相違 こそあれ,又,個体維持の本能に
基づ く生理的欲求か ら生ず る料理 と,精神的必要か ら生ず る美的鑑賞の欲求に基づいて行なわれ る彫刻鑑賞
とでは,その享受の仕方に,質のちがいこそあれ,環境の重要 さと,全感覚的に味わ うべ きものである点で
非常に良 く似ていると思われ るのである。又,美味 しい料理を作 るためには,材料の吟味 とその加工の仕方,
盛 りつけの仕方な どの大切 さは,彫刻制作の場合で も全 く同様に適合す る。つ ま り制作者の意図に従 って材
料は厳選 され,切 り刻んだ り,付けた りす る技法は もとより,盛 りつけに相当す る構成及び配置の仕方な ど,
その頬似点を上げると際限が無い.か くして,料理 を味わ う如 く,彫刻芸術を味わ うには,人間本来個有の
諸感覚を総 同員 して,全身的に味わ う,換言すれば,全身的に体験すべ きものであるとい う前提が導 き出さ
れ る。
2. 物 質 の存 在 と その 表 情
彫刻は物質,素材を通 して<何か>を表現す るのであるが,その<何か> とは時代に より,作者に よ り様
々に変化 し,それ故,無限の多様性を内包 した ものである。時に私たちを取 り巻 く自然の一部を再現 した も
のであ った り,作者の心の世界 (
観念,思想な ど)を表現 したものであ った りする。 自然界の中に存在す る
物質,例えば石,木,土,あるいは金属その他の物質がその場合の表現媒体になる訳であるが,それ らの物
質は固有の表情を持 っている。それは人間の意志 と関係な く存在す る。その固有の表情な り,内包された材
質の力な りが一つの発言形式を獲得 した時に より強 く鮮明に輝 き出すべ く,制作者は手助けを行 うのである。
(
2
)
y ト リン
宮沢賢治が鉱物の名前を雲に托す如 く,例えば 「黄水晶のそ らに」, 「亜鉛の雲-」などの隠境を用いて表
現す る如 く,彫刻を制作せんと欲す る者は,等 しく詩人の魂を有 さねばな らない。想像力によって,物質固
*弘前大学教育学部美術科教室
5
6
岡 田 敬 司
有の声を聞き,物質の内に秘め られた表情 を読み.物質が新たな世界- と開示 され るべ く働 きかけねばな ら
ないoその方法は色 々あ って,単に一つの フ ォルムをそ こに当て朕め る事で終 ってはな らない。場合に よっ
ては,ほ とんど手付けずに,他の物質 と組合わせ て配置す るだけで,一つの精神的世界, 世界観, 自然観な
どが現 出 され る事 もあ る。例えは.龍安寺の石庭 の よ うに。
自然界の物質は無限の表 情を持ち,人間の意志 と関係な く存在 してい るが,人間の感 情移入に よって.あ
るいは,或 る種 の所有関係が両者の間に成立すべ く.仕掛け られた時 ,その存在の有意義性が生れ る。石は
黙 して語 らないが,実は無限 の吉葉で,際限な く語 り続けているとも言え るのであ る。ただ聞 く耳を持たぬ
者には聞 こえて来ないだけなのであ る。
3. 若林 膏 の彫 刻
彫刻 とい う手段 を用いて作者が<何か>を表現 しよ うとす るのほ,言葉で説明て きない<何か>を物質に
托 して,物質の持 っている固有の言葉で<何か> を語 らせ よ うとす る訳であるが.従 って, これか ら試み よ
うとす る論述は既に矛盾を含 んでいる事 を承知の上で,完全に論説す る事は不可能であ るとい う事を承知の
s
a
muWa
k
a
b
a
y
a
s
hi1
9
3
6-)の彫刻は
上で.敢えてそれ を試み よ うとしてみ るだけの魅力を作者 (
若林奮 I
持 ってい る。
オ1 5
]ェポエ ⊥
若林菅は私たちの身近に存在す る材W.例えば ,秩,紘.木,鉛,針金な どを用 いて.一つの物体詩を構
成す るOそれ らのイメージの源泉は恐 らく.少年期の体験,又は 日常生活の中で感 じた様 々な体験なのであ
ケイi
)ヲン
ろ うか,彼独特 の感 じ方に よる予見の全貌は,元 よ り私たちに全的に伝わ りよ う筈がないo私たち(
観 る老)
にで きる事は,彼の造 り出 した作品を通 して,想像力に よって追体験 してみ ることで.その造形の魅力の核
心に迫 まるべ く努力 してみ ることく
・らいてあろ う。
(
3)
① 「遊具」鉄
1
5
0×1
0
0×90C
7
n 1
9
6
3(図 1)
この作品は彼に とって比較的初期の もの (
2
7
才頃の もの)で,後の作品 と
比較す ると,心象の不明確 さが残存 していて, まだ彼独特 の骨格が出来上 っ
(
4
)
ていない。試行錯誤的作品である。 「鉄の錬金術師」又は 「鉄火の妖術師」
(
加藤郁乎) と言われ るよ うに彼 の鉄 とい う素材に対す る傾斜は既に現れて
いるが.その面 目は次の作品で よ り明確にな る。
(
5)
(
さ 「熱変へ L
」鉄
6
5×4
0×65C
仇 1
9
6
4(図 2)
「
歴史的には第二次大戦後,<鉄彫刻> の先駆者のひ と りとして高 く評価
6
)
(
7
)
(
され るジ.
1 リオ ・ゴソザ レス (
図 3- 1巻末),パブ p ・ガルガ リヨ (
図3
1 2巻末)の作例にみ られ るよ うに,鉄の使用 は ミケランジ ェロ式彫刻の概
念を一新 させた。鉄は物質文明の原動力のひ とつ とな り,現代社会の眼 には
見えない力を最 もは っき りと象徴す る物質であ る。 コソザ レスか鉄に文明化
された物質 としての力 よ りほ, 自然の荒 々しいプ
Jの象徴 をみた よ うに,反文
(
8
)
明的な もの, 自然 との結託 としての物質 としてみた」 よ うに,若林 の作品に
自然 との結びつ きを観 る事 も一部の作品では可能であ る。 例えば 「<中に
t
畑
(
9
)
7.
2
8
-8.
2
3クロ/、-上の変更」 (後 出) の よ う
犬> とび方」 (
後出), 「
に。 しか しなが ら, この 「熱変へ l
」の仕事では′鉄 とい う材質 を専 ら手な
づけ, 自己の薬嚢中の もの とす るための実験的意味合いが強 く, こ こ で は
< 何か>を意味す るとい う事 よ り.鉄が熱変に依 ってどの よ うな表情 を持つ
事が可能であるか とい う点に興味が集中 してい るよ うに思われ る。不安定 な
ひ とが た
階星の蔀戸を跳ね上げてみ ると, 逃げ るよ うに中の人形は,足根を突 き破 り,
ビツ ク リ
屋上か ら顔を出す。その様は吃驚箱を連想 させ,ユーモ アさえ感 じさせ るも
のである。
5
7
彫刻表現様相 に於ける寡黙性 と鏡舌性の構造
,
㈹
③ 「残 り元素 T D,Ⅲ」鉄
1
9
6
5 (図 4)
鉄 とい う素材 の持つ冷た さ,硬 さ,裁 きが愈 々不思議 な情念 と 結 び つ
ミイI
r
,
き,縛 る木乃伊 と結託 されたその金属 装置は,呪術的で,攻 撃的であ り,
神聖で もあ る。三つの部分か ら成 るこの作品は,秘儀を執 り行 う祭 司であ
ろ うかC
I
.
i
:
I
(
む 「北方金属」鉄
1
2
0×5
0×1
2
0c
m 1
9
6
6(図5)
寒風に吹 き咽 され た荒地 の中にか ろ うじて,原形 を とどめ る廃艦 とい った
風情 であ るO作者に依 ると,その尖塔 の突起物 が 5統況多 くて も少な くて も駄
2世紀 の ゴシ ック
目だ とい う。北方 を守 る無人の砦であろ うか。 あ るいは ,1
建 築にその想 の源が あ るのだ ろ うか。 いずれ に して も厳 しさの造形 とで も言
え よ うO
I
l
°
G)「自動車の中の人喰」鉄
:
1
、
65×1
0
0×1
3
0C
仇 1
9
6
6(図6).(図 7)
鉄 を熔か し,付けた り,削 った
りしなが ら, 自動車 と現代 人 とい
う 関係が, ソ リッ トな ボ デ ィー
に守 られ てい るよ うで,実は常に
危険に咽 され てい るむ き出 しの状
図 7
態で,ひ とが たの頭部 が 存 在 す
るo ここでは死 と直面 してい る ド
ライ- ーの状況 とい う寓意でで もあろ うか。それ に して も何 とい う堅 固 さで
鮒 ○
-
あ ることか.
(
描
(
6
)「残 り元素 Ⅳ」鉄 1
2
0×5
0×5
0
c
m 1
9
6
6(図 8)
ひ とがたを持つ鉄 の塊 は張 り合わ され た後,切 りさいな まれ,削 り取 ら
れ,坐- の執着を示すかの よ うに多数 の小突起物 が存在す るこの作品は,
その硬 い材質感 と削 るとい う技法 に依 って,実に強固な意志を 感 じ さ せ
る。 人間像 とい うよ り鉄 の固 ま りに定着 され た,作者 の人間挽歌 とで も言
え るだ ろ う。
(
帽
⑦ 「残 り元素 V」鉄
1
2
0×60×4
0
C
仇 1
9
6
6(図 9)
シ'
)ソダ-状 の物 体に溶接 されたひ とが たは宇宙 を招け る操縦士 であろ
うか。誤 解を恐れず に敢 えて言 うな らば, この作品や前に触れた作品にあ
る突起物 は ア ンテナな のだo未知 の世 界に対す る触角なのだ とい う事に気
付か され るO
5
8
岡
田 敬
司
u
T
)
⑧「
<中に犬> とび方」鉄
1
9
6
7(図 1
0
)
u
功
この作品は 「犬か ら出 る水蒸気」鉄 9
0×9
2×73C
耽 1
9
6
8(図 1
1
)とな っ
て, よ り昇華 され る。前者では犬の形態が残存 しているが,後者にな ると犬
は消えて泡だけの構成 とな っている。土方定一 に依れば , 「この犬のシ リー
ズの泡の フ ォルムの笑わ しさは,われわれに,なん と快 い感情 の フォルムを
定
形成 していることであろ うかOあ るとき,ぼ くは この泡形 の フォルムについ
て質問 したとき,犬を見 てい る うちに犬か ら水蒸気の泡のよ うな ものが見え
て きた, とい うことであ った。おそ ら く, これは犬の存在が 占めてい る空間
のア トモスフェアの この作家の白昼夢 の よ うな 77
・ソタジーであ ると同時に,
犬 の彫刻的空間 としての この作家の フォルムであるにちがいない。 こんな と
ころに,作家 のフ ァンタジーと,彫刻的空間の構成 とが,いつ も,直結 して
8
9
5
しまっているところに, この作家の秘密のひ とつがあ るよ うだ。」 とい う。
この 「犬か ら出る水蒸気」 とい う作品の中に,作者のいわゆ る 「鉄 の錬金
術師_
」と しての技法 と感覚のひ とつの頂点を観 ることがで きる.鉄 を熱 く
O
)
して軟か くして, 自己の心象を完望な までに定着 したその 「手わ ざ」に驚
ケオr
Jイ ヤ y
嘆す ると同時に,物 の背後にただ よ う幻想を視 る事がで きる人 (
幻想老)
としての才能に驚嘆せ ざるを得ない。象徴派の詩人 といわれ る ラ ン ボ ウ
T
y
'
+ ワイ ヤ ノ
(
班
(
1
8
5
4
-1
8
91)が 「詩人は幻視者でな くてはな らぬ。」 と言 った よ うに,
彫刻家は詩人でなければな らぬ。幻視著でな くてほな らないのである0
田
O
O「
2.
5mの犬」鉄 2
4
0×9
0×80c
m 1
9
6
8(図1
2
)
この作品について, 酒井忠康は≪方形の鉄の棒が, 同寸法の集合体 と
2.
5mの犬」は,最後の段階で ,一本一本の鉄 の 棒
して装置 されている 「
がはずれ て,中か ら無数の 「
犬 」が ところ狭 Lとはね まわ るとい う, まさ
に 「終末観的想像力」 (
大江健三郎)に根 ざした,かれ の人類にむけて投
田
げた爆弾である。 ・・
-〔そ して,それは〕名状 Lがたい怖 い印象を もつ。
≫
と評 してい る。 ロケ ッ トエ ンジンを思わせ る左の部分 とその排煙 とも言 う
べ き右の部分 との関連性 を筆者はかつて感得で きなか った ものだが.その
形態 と質感は,強靭な意志の力 と快的 な リスム感 と内部に向か う強 い凝集
力を持 っていた。表 現方法はオー ソ ドックスであ るが,凝集力 とか,密度 とか,充実感 とかは この ような も
のであ ると思われた し,彫刻の本質 の一部に触れ得 た思 いが した ものであ る。
(
1
t
)「港に対す る攻撃
伽
1」鉄 1
3×4
7×1
2
C
7
n1
9
6
9(図 1
3
)
犬 の後半身は見事な写実的表現 とな っているが,驚 くべ き事に,犬の前半
身は先端 を曲面状に した大 きな方形状の塊に接続 され てい る。 この結び付 き
の不思議 さは何であろ うか。 巨大な物 質文明に否応な く頭 を突 っ込んで しま
った故 々文明人の寓意か.それ とも,頭で っかちにな り過 ぎて作 る事 ので き
ぬ人に対す る邦輪か,行動す ることの出来な くな った文明人に対す る非難の
刃であろ うか,いずれに しろその本意は不明であ るが,その造形の妙に 目を
陛 った ものであ る。
図 1
3
的
㊨ 「
7.
2
8
-8.
2
3 クロバ-上の変更」鉄,ポ リエステル 1
8
0×1
0
OXI
O
O
c
l
n1
9
6
9(図 1
4
)
ここでは土方氏のい う 「カフカ的思考」の造形化をみ ることがで きる。 フランツ ・カフカ の 有 名 な小説
5
9
彫刻表現様相に於ける寡黙性と鏡舌性の構造
「変身」の冒頭にあ る 「あ る朝, グレゴール ・ザ ムザが不安な夢か らふ と
覚めてみ ると,ベ ッ ドのなかで 自分の姿が一匹の, とてつ もな く大 きな毒
5
泊
」を直ちに連想 させ るそ
虫に変わ って しまっているのに気がついた。--・
の 2m近い作品は,幻想性,怪奇性に満 ち,不条理の世界, 「謎めいた部
分」の表現 とな っていて,平 らな鉄板がむ くむ くと変形 し,盛 り上が り.
ぷl
)ユー シ ヨ ン
公 害 の隠噴 とで も言 うべ きであろ うか。
e7
)
鉄 800×5
00×1
0
0c
m 1
9
69 (
図1
5)
:
I
.
1
、
作品を地下に埋 めて 「か くして しま う本能Jに依 り,かろ うじて私たちが
⑬ 「3.
25mの クロ,:ェの羽」部分
み ることがで きるのは, クロバェの羽の輪郭 と,中を覗いて見たい気を起 さ
せ るその蝶番 と止め金のみであ る。筆者 の不確かな記憶に依れば, この作品
には鍵が付けてあ って.開けて中を見 る事がで きるのほ (合鍵を持 っている
のは)大阪市長 と作者のみだ とい うC (ちなみに この作品は 日本万国博覧会
に展示 された ものであ る。)
軸
⑩ 「不透 明低空」鉄,班,木,鉛
1
7
0×70×30C
7
n 1
9
69 (
図1
6)
孤
「少年時代の戦争下の 日本の現実の経験」を色濃 く反影 してい るとみ るこ
とができるこの作品は,潜水艦 と炎上中の沈没寸前の船か ら出 る煙,あ るい
は南海の孤島か ら発信 され る救助信号な どと読め るフ ォル ムと,封印 された
二冊の アルバ ムはいかな る寓意を持つ とい うのだろ う。戦争 体験は映画や写
真で しか知 らない私たちに とって,戦争 とい う事実を歴史の中の- コマとし
て封 印すべ く,過去の もの として整理 され た事を意味す るのか,又,封印す
るとい う事は過去を見てはな らないとい う寓意なのだろ うか。戦争を実感 と
して知 らない私たちに とってこの作品は妙にな まな ましい実感 となって迫 る
のであ る。それは映像表現 よ りも更に具体的な表現である彫刻表現に. よ り
適切だ とい うことなのだ ろ うかo暗いイメージであ る筈の戦争体験が.不可
思議な造形表現 とな った この作品はむ しろ, ファンタステ ィックな魅力を湛
えてい るのであ る。
糾
⑮ 「多す ぎるのか,少なす ぎるのか ?(8)」鉛,鉄
1
5×5
9×
1
4C
7
n 1
970 (
図1
7)
この作品は,救命装置の よ うて もあ り,爆発寸前の時限爆弾 の
よ うで もあ り,何故か無気味であ るC
b2
!
⑬ 「而」鉄,鉛,紙
30×90×1
80C
7
n 1
971(図 1
8)
雨は地表の総 てを均一に覆 って しま う。雨が鉛 と結びついて, よ り一層重
く表面に-は りつ く。所 々に設け られたジ ッパーは,中に何かを隠す とい う
意味を持 ち,隠そ うとす る作者の意図を感ず るOその隠そ うとす る仕掛は逆
に,見 る人に何を隠 してい るのだろ うとよ り興味,関心をそそ らせ るのであ
る。中を開けて覗いてみて も何もないか も知れないが,そ うい う仕掛 をす る
事に依 って.観者を してイ リティ トさせ るのであ る。 作品の表面を覆 った鉛
は よ り一 層静寂 さを強調 しているよ うに も見え る。
6
0
岡
田 敬
司
包顎
⑰ 「斜面について」鉄
4
0×6
0×3
5
c
m 1
9
7
3(図1
9
)
如
⑬ 「不明確性について V」鉄,鉛
8
0×7
2×4
0C
珊 1
9
73 (図2
0
)
この二つの作品に共通す る通気孔状
の形態は何 を意味す るのか。風洞実験
装置の よ うに内部空間に突起物は無い。
題名 との関連性を特 に重視す る訳では
ないが,実に この装置は不明確である。
又,それ故に遊戯性 を超えた存在 とな
図 1
9
ってい るよ うであ る。
図 2
0
残 り元素 シ リーズにみ られ る<ひ と
がた>,あ るいは<犬>,< クロ/ミ
ニ> とい った具象的連想を誘 うフォル ムは次掛 こ消えて,特異 な抽象的
フ ォル ム- と移行 してい くのを見 ることがで きるO
的
⑲ 「百粒の雨滴 1」銅.秩,裏鉄
C
泊
⑳ 「百粒 の雨滴 2」銅,秩,裏鉄
帥
1
2×1
0
0×1
0
0C
珊 1
9
7
7 (図2
1
)
1
7×1
0
0×1
0
0
c
m 1
9
7
7(図2
2
-部分)
⑳ 「百粒 の雨滴 3」銅,秩,真鏡 4.
5×1
0
0×1
0
0
c
m 1
9
77 (図2
3
)
これ らの雨滴 シ 1
)- ズ で.作 者 は,
「『
労働の時 間』を表現 してみたか った」
0
9
と語 ったそ うであ るが. アルバ ム状 に重
ね られた銅板は凹凸があ って.交互に組
合わ され るよ うにな っている。三つの作
品に現われ る大 きな相違点はその厚 さに
あ る。積み重ね るとい う行為 を通 して,
堆積 された膨 しい時間を暗示 してい る.
ちなみに作者は,かつ てエジプ トを旅行
した時,膨 しい時間の経過が地形 を変え,
物 の形 を崩 してい った事に,非常 な関心
を寄せ てい る。経験 と記憶 と空想のか ら
図 2
2
み合いを繰 り返 した後に,一つの作品が
結晶す る。そのい となみは,本来,長 い時間をかけて作 り上げ る鍾乳洞の
景観に似て際限が無いo崩壊 と堆積を繰 り返す地形 の変化,消去す ること
図 2
3
と補充す ることの行為 ,その狭間に彼がいるとした ら,生み出され る作品
は永遠を希求 していると同時 に, 「労働 している時間」の中に過去の総 ての経験を刻印 し封 印 しよ うとす る
証 しの よ うに も思えるのであ る。
彫刻に とって表面の重要性 は言 うまで も無いが, この作品の表に鋲打ち された薄片は装飾的役割以上に,
r
.
I
)
「そ この ところに意識を集中 させ て調和を避け る一方法」なのであ る。彼は同 じ箇所で 「彫刻が置かれ て,
周囲 と うま く調和す るのは危険な事であ ると思 う- 0」 と述べているo この事は大変重要な意味を内包し
ているとい うべ きであろ う。
㈹
⑳ 「振動尺 ・試作 1」木,鉛
1
4
5×¢2
2
C
7
n1
9
77(図2
4
)
この円柱状 の物体は斜めに カッ トされ,所 々に虫が喰 った よ うに鉛が象
朕 され ているO両手を広げた時,計測で きる大 きさなのだそ うだが,電信
柱を断ち切った作品 と言えば それ までの,実に寡黙その ものと言 った表現
様相を持つO芸術作品だ と揖示 され ない限 り見過 ごして しま うよ うな風情
であ る。わずかに象供 された部分に,朽ちゆ く時 間 と,そのままの状態に
彫刻表現様相に於ける寡字
対生と能吉性の構造
61
止めてお こ うとす る保存修復の意図が感 じられ る。長 い時 間帯の中では恐 らく対症療法に過 ぎないであろ う
叫
が--.
。 この作品では作者の 「陰険な想像」や攻撃的な表情は無 く,ただ,ぼそ っと無雑 作に存在 している
だけであ る。
u
1
3
⑳ 「振動尺 ・試作 2」木,紘,鍋.亜鉛
1
5.
2×1
7.
2×1
3
4.
5
C
7
m 1
9
7
7(図2
5
)
この作品を白黒の写真で拝見 した時,その 「清列な フォルム の き び し
・
山
さ」に打たれた。厚紙 を沢山横に並べ て,木の万力で両側か ら締めつけて
いるよ うな形状をな してい るに過 ぎないが.斜めに カッ トされた部分 の方
形状小物掛 ま, よ り作品を引 き締め る事に役立 っている。その並べj
J
もー
見無雑作であ るが,彼独得の計算の上に成 り立 っているに違 いない.稜線
を ピッと鋭角的に出 して,鋭 い緊張感が十分感 じられ るもの とな ってい る。
巾 と長 さの プロポーシ ョソは申 し分な く,洗練 の極致に到達 している作品
5
図 2
と言え よ うo土方氏のい う 「トランスフォ_メ_シ ョソの きび し乱 では
ないが,紙 と木片で これだけの清列な緊張感を表現 し得た彼の才能に驚嘆せ ざるを得ない。ただ紙 を束ねて
両側か ら締めつけ るとい うこの行為 の中に無限の魅力を感ず るのであ る。 この表情 は寡黙であ り.単純な構
成 の中に無限の時間 とエネルギーの凝集 された力を再 び感ず る事がで きるのである。 この存在 との出会 いと
は何だろ うか。恐 らく,その物体は,観著に力強いエネルギ-を放射 していて私たちの絶 ての経験がそこに
集約 され ているのを再視 す る事がで きるか らであろ う。 この作品の中に,彼が到達 した別の頂点を観 ること
がで きるのである。
ここで作者 (
若林奮)自身の言葉を引用 してみ よ う。「僕が物 をつ くろ うとした最初は,所有欲の よ うな こ
とか らではないか と時 々思 うのですが,記憶がは っき りしているわけではないが,最初は,戦争中のことで,
たぶん.飛行機 とか刀だ とかなのですれ
本物のかわ りに 自分の手に入れて しま うのですoそれ も,本物で
は具合が悪 いのであ って, 自分でつ くりだ した.にせ もの とい うか, とにか く, 自分の体に うま くあ った大
きさ,形に もす る し,本物 と僕のつ くった物 との違いの大小の変化が,所有欲 とな って支えていたのではな
いか と思 うのですC -中略-所有欲 とい う裏には,劣等感 もあるし,非常に個人的な感情があ るo 自分で本
物 を相手 として作業 し,その世界 と制 作物をつ くっていなが ら,実はそ うではな くて,そのふたつの問の く
いちがいに安心感 もあ るし,逆に大 きな不安 もあるのです.それか ら.今 いった中のふたつの逆の もの,そ
れは安心感,不安感 とい うことにか ぎらず,あ らゆ るものにあ る二元的な見方なのだが,その間の うすいす
く
均
きまな り,接触面な りの ところに. 自分があ るよ うに思え る。」 これは作家の現在位置の 自覚 ともいえ るが,
この事は例えば, アメ リカのル イズ ・ニーグェルス ソ (図26-巻末)の姿勢 とよ く符合す るよ うに思われ る。
日く 「私が生活のなかに心 か ら兄いだ したいと思 ってい るのは,あた らしい光景,あた らしいイメージ,あ
ゆ )やみ
た らしい洞察です。 この探求は単に物体であれば い い とい うのでな く. 『
中間の場所』,た とえば夕闇 と夜
㈹
明け, この物質 世界 と天上の世界,陸地 と海の間-州 でなければな りません」。 となれば,若林氏 もニーグ
如)
ェルス ソ同様に, 「この物質 世界をこえた超越的な ものを志 向 している」 といえ るであろ う。 「鉄 を赤 くし
ておいて,そのやわ らか くな ってい るとき,何 1
0秒だか,その間につ くって しま う。だか らその時 の集中力
が, ものをつ くる時必要なんだ と思 ってい る。 -ヰ 略 -素材に対す る考え方。それは ど うして も,本物 ある
いは実物 と同 じに しないて.にせ もの としてやめてお くよ うな素材の使 い方の規定 です。僕 も,一時,彫刻
の範囲を,その造形方法,材料,モチーフ等でか まわず.ひろげ て見 ました。実際に形 のあ るものにな った
のは,ほんの一部で,ほ とん ど頭の中で考えただけで終 らせ て しまったのですが,今は逆に ご くせ まい枠の
中に置 いています。それは,一種類の素材をつか った,密度のある塊 りとい うよ うな条件です。つ ま り彫刻
的
であ るとい う規定の条件は,変化 して しま うのです。」 ここで彼が言 うよ うに,重要な事は, この世界の中
に存在す るあ らゆ る二元的な考え方,例えは,存在 と無,有限 と無限,生 と死,永遠 と現在 (
過去を含む)
労働 と休息,素材 と作者-な どの狭間に彼は位置 しているとい う自覚,それ らを総 てひ っ くるめた全経験 と
しての 自分を一・
つの材料 に帰属 させ,刻印 してい くこと.換言すれば,現在の 自己の持つ時代感覚を媒 介 と
6
2
岡 田 敬 司
して限 りのない制作を続けてい くしかない とい うシジフォスの神話 (アルベール ・カ ミニ)であるとい うこ
7-巻末)にみ られ る遠いかなたの もの-の非願 とも考え られ るの
と。 ニーヴェルスソや ブランクーシ (図2
であ るO彼によって作られ てい くアル/:ムは, 日常の 日記 としての意味を持つか も知れないが,その 日記は
常に永遠を希求 し続けてい るとも言え よ う。形 あ るものは滅び るとい う矛盾を敢えて承知の上で,滅び るが
故に,永遠に存在す るのだ とい うパ ラ ドックスの上に存在 しているとも言えるのであ る。
元来,彫刻表現 とい う手わ ざが, 目に見えない ものを現実に存在す る物質を用いて表現 しなければな らめ
吐
9
とい う, アラン ・カプロ-の 「形而上的 アイロニー」か ら脱す る事は不可能に しろ,生命の表現が, 曽ては
重要な主題であ ったに もかかわ らず,現代に生 きる私たちに とって, 自己が生 きてい くとい うその存在の証
しとして,作品を産み続けてい くしかない とい う事なのである。
4. 沈黙又は寡黙 の構 造
若林膏 の作品に寡黙性 の存在を認 め る事がで きるとすれば,その作品の魅力は沈黙あ るいは寡黙の構造に
依 ると言えるだろ う。本来彫刻 とい うものは沈黙又は寡黙的であ るものなのであ る。幾千年 もの間<何か>
を語 り続けて来た古代の数 々の遺品を持 ち出す まで もあ るまい。今 まで述べ て来た若林氏の作品について,
私は どれだけ語 り得た とい うのか,おそ らく,身勝手な想像に依 り,曲った見方を して来た り,舌足 らずの
所は十分残存 してい る筈であ る。謎は依然残 り, ます ます深 まるばか りであ る。謎が無 くな った時,作品の
魅力は半減す るだろ う。 しか しなが らブランクーシの言葉 「真の形態は無限を示唆す るものでなければな ら
ない と思 う。表面はあたか も永遠に持続 し,あたか も物質か ら生れ て,あ る完全で完壁な存在 とな った もの
榊
の よ うに見えなければな らない」を引用す るまで もな く,沈黙の構造 とは,十分に抑制 された構造であ り,
無駄 を極限 まで省いた構造 とな らねばな らない。そ して, ブランク-シの極度に単純化 された 7ォル ムと同
様に,若林氏の作品 も無限を示唆す るもの として,完壁な構造を獲得 した。それ故,観者を して無限の対応
の仕方を可能にす る。 ブランクーシが表面を鏡 の よ うに研磨 した事が物質性を超え よ うとした事であ るとい
うよ うな対応の仕方を彼 (
若林氏)は とってはいないが, 「振動尺 ・試作 2」にみ るよ うに,その印象は,
い まだに鮮烈である。その存在の イメージは,有無を言わ さぬ強烈な力を持 ってい ると言 う事がで きる。 曽
て, ロダンにみ られたその表現の簾舌性 と対比的に見 る時に,何 とい う隔た りを感ず る事であろ う。鏡舌性
の構造 とは,観 る者に単一の,あ るいは,非常に限定 された観方を強要 して来 るものであ る。その限定性は
作者U
)体臭 まで感 じさせ るものであ り,時 として犀易 させ る要因 ともな る。す ぐれた作品は,常に開かれた
存在 として,時代を超えて生 き続け,次代の人 々に も開かれた対応の仕方を準備 してい るものなのであ る。
結
石の魅力はその寡黙性 にあ る。その存在 自体が無限の ロマンをか き立てて くれ るのであ る。その様相は人
間の手にかか った ものであ るな しを問わず,無限の表情 を持 ち,観 る者の心理状態に左右 され るものであ る。
その声を よ りよ く聞 こえ るよ うに手助け してや るのが彫刻家に与え られた特権だ と言われ る。個 人 的 な 感
情 ・情緒 な どを石に盛 り込 もうとす るのは,一面,借越であ る。 ブランクーシが教えを乞いにや って来た若
者に向か って,庭先に転が っている石を指 さして, 「あの石は今で も十分力強 く美 しい。君があの石 を よ り
6
1
.
一層強 く美 しい ものにす ることがで きると思 うな ら彫 ってみな さい。」 と言 った とい う言葉を引き合いに出
す迄 もな く,石に限 らず,他の材料で も,既存の力,魅力を持 ってい るもので,その表情 は無限 と言える。
同時に,それ らの材料 に語 らせ る手わ ざは無限にあ り,その多様性が素材固有の特質で もあ る。それ ら自然
界に存在す る材料 に限 らず,第二の自然 と言われ る人工物です ら,生殺与奪の権 を握 っているのは私たちで
あ る。
的
6
分
ドナル ド・ジャッ ド (図28-巻末) とジ ョセフ ・コ-ネル (図29-巻末)を引 き合いに出す まで もな く,
沈黙あるいは寡黙 の鏡舌に対す る優位性は,若林氏の例に見 るよ うに, ここに明白 となる。付け加えて言 う
な らば, ジャ ッ ドの箱に観 られ るよ うな極度の単純性は より一 層明快で,爽やかな リリシズ ムを湛えてい る。
その作品は,無表情 と言え る程,人間の持つ様 々な情感 を消 し去 った ものであ り,無表情であ るが故に,蘇
限性,普遍性を備えていると言 う事は,無謀だろ うか。 これに対 しコーネルの箱は確かに個人的 な 宝 石 箱
彫刻表現様相に於ける寡黙性と鏡舌性の構造
63
(
幼少の頃,大切な物を蒐集 し,入れてお く箱) としての魅力を持 っている。その蒐集の仕方は偏執狂的 と
言える程,多様性に富み,観 る者を飽 きさせない。そのシュール的な出合いの妙は確かに魅惑的である。 し
か し,謎めいているとはいえ,そのイメージの特異性は逆に観 る者に限定的なイメージを与えないではおか
ないようだ。そのマニエ リステ ィックな構造は時代の感情を表現 しているのであろ うが,やは り,犀易させ
ずにはおかないよ うだ。 この事は, コ-ネルの箱の美術的価値を減少 させ るものでは決 してないが,敢えて
寡黙の鋲舌に対す る優位性を提言 してみた くなるのである。
979年 3月 11日NHK教育テレビ 「日曜美術館▽遺跡シ リーズ ・私 とマヤ遺跡」の中で,画家利根
<補記> 1
山光人氏がオル メカ文明の沈黙性 とマヤ文明の鏡舌性について論説 され,氏 もオルメカ文明の沈黙性をよ
り好 まれ る事を述べ られている。
<註>
(
1
)
山 口勝弘 『
不定形美術ろん』1
967.
1
0 学芸書林 p.
79
(
2
)
宇佐見英治 『石を聴 く』1
978.
1
2 朝 日新聞社 p.
35
酒井忠康 「若林奮論 」 『美術手帖』所収 1
974.1 美術出版社 p.
1
4
7
(
3
)
と同 じ。p.
1
63
(
4
)
(
3
)
(
5
)
(
3
)
と同じ。p.
1
51
--バー ト・リー ド 『近代彫刻史』1
965.8 紀伊国屋書店 p.
63
(
6
)
(
7
)
(
6
)
と同じ。p.
62
(
8
)
中原佑介 『現代彫刻』 1
965.7 角川書店 pp・
1
34-1
39
飯島耕一,若林奮 「デ ィアロー ダニ22 若林奮 」 『みづゑ』所収 1
(
9
)
971.
11 美術出版社
45
㈹(
9
)
と同 じ。p.
42
と同 じO p.
帥(
9
)
42
と同じ. p.
的(
9
)
1
46
個(
3
)
と同 じ。p.
44
掴(
9
)
と同 じ。 p.
1
50
89(
3
)
と同じ0 p.
1
50
8
6(
3
)
と同 じ. p.
的前掲(
9
)
と同 じ.p.
42
と同じop.
44
的(
9
)
土方定一著作集 1
2 近代彫刻 と現代彫刻』 1
9
77.3 平凡社 p.
36
2
89土方定一 『
と同 じop.
2
7
鍬8
)
ej
)
名取尭 『
現代芸術の系譜 』 1
96
5.3 冬樹社 p・
42
吻田中為芳編 「特集一彫刻の誘い」 『
美術手帖』所収 1
9
77.
11 美術出版社 p.
38
鰯(
3
)
と同じopp.
1
40- 1
6
3
と同 じ。p.
1
5
3
朗(
3
)
餌荊掲(
9
)
と同 じ。p・
45
餌 フランツ カフカ 『変身』 1
971.3 七版 角川書店 p・
6
47
節(
9
)
と同 じ. p.
365
幽89と同 じC p.
46
餌(
9
)
と同じ。 p.
35
8
朗89と同 じOp.
48
と同じ。 p.
¢B
(
9
)
1
49
と同 じO p.
的(
3
)
1
5
2
と同じ.p.
¢
3(
3
)
1
56
銅(
3
)
と同じ。 p.
p・
42
国酒井忠康 「若林奮彫刻展-夢想か らの脱出」 『
美術手帖』所収 1
977.
1
2 美術出版社 p.
202
1
99
B
縄 うと同 じop.
¢袖与と同じ.p.
202
的由 と同 じ.p・
1
97
¢
9若林奮 「エジプ ト-一消去 と不明の補充」 『
美術手帖』所収 1
9
74.1 美術出版社 p.
1
69
的餌 と同 じop・
201
如)
若林奮 「特集一現代彫刻の可能性-ある陰険な想像 」 『みづゑ』所収 1
9
69.
1
2 美術出版社 p.
1
0
6
4
岡
田 敬 司
20
0-201
的 89と同 じ. pp.
p.
360-361
的89と同 じO p
3
60
的89と同 じ。 p.
的中原佑介,若林奮,最上寿之,志水晴児一座談会- 「創造を支えるもの」『別冊みづゑ-世界の現代彫
刻 』所 収 1
9
64.8 美 術 出版社 p・
76
p.
11
4-11
5
㈱(
8
)
と同 じ。 p
1
1
5
め(
8
)
と同 じ。 p.
p.
7
3-83
的 的 と同 じ。 p
的(
8
)
と同 じ。p・
1
01
印 中原佑介 「空間の鳥一飛和 を求めて(
2
) 『美 術 手帖 』 所 収 1
97
7.
1
2 美 術 出版 社 p・
2
04
」
的 出典不詳
62
)
ウ ィ リアム ・C ・7ギ ー,中村敬 治 「沈黙 と鏡 舌 の構 図- ジ ャ ッ トの箱 と コ- ネル の箱
97
8.4 美術 出版社 pp.
45-8
4
所収 1
6湘 2
5
と同 じ.p
p・
8
5-11
1
図 3- 1
」『美 術 手帖 』
図 3- 2
亨
I
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I
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図 27
回 2
9
図 3- 1 ジ ュ '
)オ ・ゴ t
/ザ L
,ス (1
87
6- 1
94
2) 「頭 布 か ぶ りと呼 ば れ る頚」1
9
34 註 (
6
)
と同 じ。p
・
63
図 3- 2 /く71
:
ロ ・ガル ガ リョ (1
8
81
-1
93
4) 「ピカ ドール」1
9
28 註 (
6
)
と同 じop・
62
図2
6 ル イ ース ・ニー ヴ ェルス ン (1
9
00-) 「絶好調 VJ1
9
60 註 (
6
)
と同 じ。p.
265
図27 Cons
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975p.
1
32
図2
8 ドナル ド ・ジ ヤ ツ ド (1
92
8-) 「無題 」 ス テ ン レス 各 25×5
0×25C
7
n 1
9
77 註 6分と同 じ。p・
4
9
図2
9 ジ ョセ フ ・コ-ネ ル (1
90
3-1
9
72) 「無 題 <麗 人> ボ ックス ・コンス トラ クシ ョン (パル ミニオ ー
この ア ソテ ィアの複軌 木 片 ほか) 」47.
3×2
7.
0×1
0.
5c
m 1
95
6頃 註 5分と同 じ。pl
86
(
昭和54年 6月 1日受理)
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