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20 フィヒテの教育論(Ⅰ)

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20 フィヒテの教育論(Ⅰ)
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Title
フィヒテの教育論(Ⅰ)−『ドイツ国民に告ぐ』
Author(s)
小澤, 幸夫 ; Ozawa, Yukio
Citation
国際経営論集, 39: 235-248
Date
2010-03-31
Type
Departmental Bulletin Paper
Rights
publisher
KANAGAWA University Repository
研 究論文
フィヒテの教育論 (Ⅰ)- 『ドイツ国民に告 ぐ』
小
揮
幸
夫
要旨
ナポ レオ ン支配下のベル リンで フィヒテが 1
8
0
7
年1
2月か ら1
8
0
8
年3
月 にかけて行 った連
続講演 『ドイツ国民に告 ぐ』 は、高校 の世界史の教科書な どにも しば しば登場す る。 この
ため、 ともすれば政治的な文章 と思われがちだが、実際に読 んでみ るとそのほ とん どが教
育 に関す る内容であ り、相前後 して書かれた彼 の大学論 『学術 アカデ ミー との適切 な連携
をもったベル リンに創設予定の高等教育施設の演樺的計画』 と表裏一体 となって、 フィヒ
テの教育論の重要な部分 を形作 っている。 これはフィヒテが ドイツの再生は 「
新 しい教育」
の導入 な くしては不可能であると考えていたことによる。本稿 では、時代背景はもとよ り、
『全知識学 の基礎』や 『現代の根本特徴』 といった彼 の他 の著作、 さらにペ スタ ロツチの
教育論 な どとの関係 に留意 しつつ、主 として国民教育論 として 『ドイ ツ国民 に告 ぐ』 を読
み解 いたと
は じめに
て きた。 フィヒテは妻子 をベル リンに残 し、プ
ロイセ ン政府 の移 ったケ一二 ヒスベル クに避難
今年 (
201
0
年)は近代大学の模範 とされたベ
した。ナポ レオ ン支配下のベル リンに留ま るの
ル リン大学関学 2
0
0
周年 にあた る。 筆者 は先 に
を嫌 ったためである。 フィヒテは翌年 6月まで、
ベル リン大学 の基本理念 に影響 を与 えたカ ン ト
以前カ ン トも教 えていたケ-ニ ヒスベル ク大学
の大学論 につ いて述べたが 1、今 回はベル リン
で講義 を していたが、 ここにもフランス軍が進
大学設立に直接 関与 した フィヒテの大学論 な ら
行す ると聞 くと、 コペ ンハーゲ ンに逃れ る。 し
びにそれ と密接に関連す る 『ドイツ国民に告 ぐ』
か し 8月にはナポ レオ ン軍が駐留す るベル リン
について考察 したい。紙幅の関係 で、本稿 では
にまた戻 る。
『ドイ ツ国民に告 ぐ』 を中心に扱 う。
翌 9月にプ ロイセ ン国王 フ リー ドリヒ ・ヴィ
ル-ル ム 3世の枢密顧 問官であったカール ・フ
1.二 つ の教育論 が書 かれ た歴 史 的背景
リー ドリヒ ・バイメの要請 を受 け一 ケ月ほ どで
書かれた ものが、フィヒテの大学論 『学術 アカ
1
8
0
6
年ナポ レオンによ りライ ン同盟 が結成 さ
れ、神聖 ローマ帝国は崩壊 した。1
0
月1
4日には
デ ミー との適切 な連携 をもったベル リンに創設
ナポ レオ ン軍はイ ェナ とア ウア-シュテ ッ トの
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予定の高等教育施設 の演樺的計画 』 (
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小滞幸夫 「
カ ン トの大学論- 『学部の争い』」神奈川大学経営学部 『国際経営論集』第35号、63-71
頁。
フ ィ ヒテ の教育論 (
Ⅰ)
- 『ドイツ国民に告ぐ』 235
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る。
4 この よ うに この講演 はま さに生命 を賭 し
る。
ての行動だったのである。
この大学論 を書 き上げた直後、彼 は 12月 13日
さて、彼 がそ こまで して行 った 『ドイ ツ国民
か ら翌年 3月 20日まで毎 日曜 日にベル リンの学
に告 ぐ』 とはいったい どのよ うなものであった
術アカデ ミーで 1
4回にわたって連続講演 を行 っ
のだろ う。世界史の教科書にも登場す るこの講
た。これが 『ドイツ国民に告 ぐ』 (
Reden an di
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演 は政治的な文章 と思 われ が ちだが 5、実際 に
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on) で あ る。 この講 演 の最 中の
読む と、そのほ とん どが教育論 であ り、同 じ時
1808年 1月 2日、彼 はバイ メに宛 て次の よ うな
期 に前後 して書かれた彼 の大学論 を理解す る上
手紙 を送 ってい るが、そ こにはフィヒテの切羽
で不可欠の資料であることが分 かる。書かれた
詰 った よ うな気持 ちが表れている。
順序 とは逆 になるが、後者 を理解す るのには前
者 の理解 が必要 と思われ るので、まず これか ら
ドイ ツ人の考 え方 を改革 し、形成す るた
考察す る6。
めには、一刻の猶予 もあ りませ ん。 この講
演は一つ一つが行われた ら即座 に印刷 され、
2. ドイツ国民に告 ぐ
広 く読 まれ るよ うに したい と思 います。
(
中略)私 は危 険 を冒す とい うこ とを十分
承知 しています。パル ム と同 じよ うに一発
1
4回の講演 には次の よ うなタイ トル がつ け ら
れてい る。
の弾丸が私 を殺す可能性 があることも承知
しています。 けれ どもこのよ うなことは私
1.緒論 と全体 の概観
の恐れ るところではあ りません。私の抱 く
2,新 しい教育一般 の本質 について
目的のためには喜 んで死 をも辞 さないつ も
3.新 しい教育に関す る説 明の続 き
りです 。3
4. ドイツ人 とその他 のゲルマ ン民族 との主な
相違
この手紙 に登場す るパル ム とはニュル ンベル
5.前述 の相違 による結果
クの書店の経営者で 、 1806年 に匿名 で書かれた
6.歴史 にお ける ドイ ツ的特性 の解 明
パ ンフ レッ ト 『屈辱 の ドイツ』 を出版 した。 そ
7. ドイツ民族 の根源性 と気質の さらに深 い理
の内容 はナポ レオンとその軍隊を攻撃 した もの
であったのだが、著者 の名 を明か さなかったの
でナ ポ レオ ンの命 に よって銃殺 され た ので あ
解
8.本 当の意味での民族 とは何 か、祖 国愛 とは
何か
2 バ イ メか らフ ィ ヒテ に宛 てた 1
807年 9月 5 日付 の書簡 に この件 に言 及 して い る箇所 が見 られ る。 ∫.G.Fi
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以下GAと略記),
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なお フィヒテの大学論の訳者 である教育学者 、梅根悟 は 「
解説」の中でバイ メか ら要請 を受 けた 日付 を11
月 5日
としてい るが、その根拠 は示 していない。バイ メか らフィヒテ に宛 てた 1
807年 11
月 5日付 の書簡 とい うのは上記 の
全集 に もHa
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zが編集 した書簡集 にも収録 され てい ない。 フィヒテ他 『大学 の理念 と構想』梅根悟訳 、明治
図書 、1
970年 (
以下梅根 と略記)、2
46頁参照。
3
GA,
Ⅲ,
6,S.
21
3.
4
上記書簡 の註 な らびに福吉勝男 『フィヒテ』清水書院 、2
1
998
(
以下福吉 と略記)
、7
8頁以下参照。
5
フィヒテの子息1
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eがジャンル別 に編集 した全集 では この講演 は 「
政治、道徳、歴 史哲学」の
巻 に収め られてお り、哲書房か ら刊行 中の邦訳の全集 で も 「
政治論集」 とともに1
巻 をなす予定である。
6
この問題 を 日本で最初 に喚起 したのは前述 の梅根 であると思われ る (
梅根 、25
3頁以下参照)。 その後の研 究は多か
れ少なかれ、この連 関について指摘をしているが、 どちらかの論に重点が置かれ両者 を同等に扱っているものは少ない。
236 国際経 営論集
No.
39 201
0
9. ドイツ人の新 しい国民教育は現に存在す る
国民に残 された、確実に して唯一の手段であ り
どのよ うな点に結びつけ られねばな らない
ま しょ う。 (
中略)従来の教育制度 の抜本的改
か
革、 これ こそ、 ドイツ国民を破滅か ら救 う唯一
1
0. ドイツ国民教育の さらに詳 しい規定
の手段 として、私が提案するものであ ります」8
。
l
l.この教育案 は誰の責任で実施 され るべ きか
「
精神的な 目を持った人間」 とは 「
外国製 の眼
1
2. 主要な 目的を達成す るまで我々が とるべ き
鏡 をこっそ りかけて、 この問題 を見たほ うが気
手段
楽だ とす る人 」9 ではな く 「自分の 目で現状 を
1
3.前回の考察 の続 き
見 よ うとす る人 」-Oである。利 己心を克服 して、
1
4.結び
道徳的世界秩序の概念 を生 きたものにまで高め
よ うとす るこの教育 は、 「
ある特定の階層 の教
これ を見ただけでも内容が教育問題 を中心に
育ではなく、お よそ ドイツ人であるすべての者
扱ったものであることが窺 えるであろ う。以下
に例外な くもた らされなければな らない新 しい
順 を追いなが ら教育 との関連 を中心に重要な箇
教育 」11 である。 つま りフィヒテが 目指 してい
所を見ていこ う。
るのは単なる庶 民教育 (
vol
kser
zi
ehung)12 では
onal
er
zi
eな く、 ドイツ国民教育 (deutsche Nati
第 1回の講演でフィヒテはまず 「ドイツ人全
hung)13 なのである。
体」を強調す る。周知のごとく、当時 ドイツは
まだ統一 されてお らず、数多 くの領邦に分かれ
ていた。 ここで言われている 「ドイツ人」 とは
第 2回の講演では 「
新 しい教育」の中身につ
いて論 じられ る。
分裂 した諸邦の差異 を超 え、 ドイツ国民 として
フィヒテは生徒の 自由意志 を認 める態度 を従
「ドイ ツ精神 」 (Deutschhei
t
)7 とい う根本特徴
来の教育の誤 りだ とし、意志の 自由を徹底的に
を共有す るすべての人々のことを指 しているの
否 定す るこ とか ら始 めなけれ ばな らない とす
である。 「
精神的な 目を持 った人間にまで 自分
る。 14 その上で 「もはや動揺 しない確 固 とした
自身 を作 り上げてい くこと、 これが 自国の独立
意志 を、確実で例外 な く有効 な規則 にも基づい
を失い、それ とともに公的な影響力 をも失った
て もた らす 」15 ことが新 しい教育の課題 だ とす
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66.(
以下フィヒテ
の作品か らの引用は原則 としてこの全集 か ら行い、巻数 とペー ジ数 のみ を示す。
)
なお フィヒテの句読点の使用法は当時 として も通常のもの とは異なってい るが、 これ は講演 とい う形態 を意識 し、
強調 した り、息継 ぎを しよ うとしてい る箇所で、本来な ら不要な句読点 をあえて補 ってい るため と考 え られ る。
訳 は フィ ヒテ 『ドイ ツ国民教育論』椎名 寓吉訳、明治図書 、1
970年 (
以下椎名 と略記)、 な らびにフィ ヒテ 『ド
イ ツ国民に告 ぐ』石原達二訳、玉川大学 出版部 、1
999年 を参考 に した。椎名訳 は非常にこなれ た訳 であるが、惜 し
む らくは抜粋である。句読点の箇所 をどのよ うに解釈す るかで、両者 の訳 に若干の違いが見 られ る。椎名訳 は J
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9を底本 として用 い、石原訳 は前記 のt
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e編集 の全集 を底本 に してい る。 不
明な箇所 はGA,Ⅰ
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1
0を参照 した。
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82.
フィヒテの教育論(Ⅰ)
- 『ドイツ国民に告ぐ』 237
る。その核 をなすのは愛であるが、それは 「
我々
③ 自我は 自己 とその対立物 とを定立す る。
の利益 のために役立っ愛ではな く、善その もの
われわれ はこれ らの根本命題 か ら存在 と意
を 目的 とす る愛 」16 であ る。 これ を ドイ ツ人す
識 の関係 を、つ ぎの よ うに理解す ることが
べての者 の心に しっか り植 えつ けるのが この教
できるであろ う。す なわち、世界 (
存在)
育の 目的である。す なわち、道徳的な考 え方 を
は私 (自我) の感得 した ものであって、そ
育て るのが教育の根幹であると主張す る。
の限 り非 自我 (
存在 ) はわれ われ の 自我
それ ではそのよ うな教育は どのよ うに行 われ
(
意識) に よって創造 され た ものにす ぎな
るのであろ うか。それにはまず生徒 の認識能力
い。 なぜ な ら、存在 がわれ われ に作用す る
を発達 させ なけれ ばな らない。 しか もその認識
とい うことは、われわれ がわれ われ に作用
とは 「
事物 のあるがままの状態 に関す る歴史的
す る存在 を思惟 (
意識)す ることにほかな
な認識 ではな く、事物 を必然的にそのよ うに さ
らないか らである。 したがって、フィヒテ
せ てい る法則 に関す る、 よ り高 い哲学 的 な認
においては、外界の事物 、お よび現象 はす
識」1
7
、つま り 「
あ らゆる経験 を真 に超越 し、超
べて、専 ら、われわれの意識 の創造 した も
感覚的で、必然的かつ普遍的な認識 、それ ゆえ
のである とい うことにな る。 (
中略) フィ
に将来起 こ りうるであろ う経験 をすでに予見 し
ヒテの教育思想 を理解す るにあたって、ま
てい る認識 」18 なのであ る。 ここには明 らかに
ず ここで知 っておかなけれ ばな らない重要
カン トの批判哲学の影響 が見て取れ る。カ ン ト
なことは、フィ ヒテの直観 の概念 は意識 と
が認識できないものとした物 自体 (
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独立に存在す る外界 との関係 で成立 してい
をフィヒテは先見的 自我 の実在の思想 によって
るのではな く、専 ら自己の感覚による自覚
克服 した と言 われてい る。
的理解 と関係 している とい うことである。
ここで少 し脇道 にそれ るが、フィヒテの根本
フィヒテの この よ うな認識論的思考は、
思想 を理解す る上で不可欠な 『
全知識学の基礎』
なるほ ど今 日の科学的思考 とは異質 のもの
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にちがいない。 しか し、われわれ は、 この
(
1
794年) を見てお こ う。 これ は フィヒテの代
非科学的な思考、学説 のなかに含 まれてい
表作 として知 られ、彼 自身その後改訂 している。
る積極的な側面 に注 目しなければな らない
哲学の専門家でない者 に とっては大変難解 な書
であろ う。 それ は何 か。 それ は、人間のあ
であるが、『ドイ ツ国民 に告 ぐ』 の訳者 であ る
り方 の改善 と改造 にむ け られたフィヒテの
教育学者椎名 寓吉は、同書の 「
解説」 中で次の
倫理学的側面である。 この点、 自我がその
よ うに簡潔 に要点をま とめてい る。
世界 を創造 (
定立)す るとい うことは、 自
我その ものが この創造の過程 においてのみ
カン ト哲学の克月
削こよって到達 したフィ
実在す るもの として証明 されてい ることを
ヒテの立場 は、主観 的観念論 の立場であっ
意味 していたのである。 なぜ な ら、 フィ ヒ
た。そ して、この立場か らかれ は三つの根
テにあっては、かの先験的 自我の存在 は決
本命題 をみ ちび き出 した。す なわち、① 自
して所与の事実ではな く、 自由な活動 の所
我 は根源 的に 自己 自身の存在 を定立す る、
産であるか らである。 19
② 自我 は非 自我 (
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h) を定立す る、
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9
椎名 、209頁以下。
238 国際経営論集
No.
39 201
0
ここか ら行動す る哲学者 フィヒテが生まれて
くるのである。
での生活 の中でのみ学び取 られ るか らである。
これ は後 に述べ る大学論 のなかで も繰 り返 し登
場す るフィヒテの教育に関す る根本理念 の一つ
話 を戻そ う。 自身が優れた教師でもあったフィ
である。
ヒテは次の よ うな具体例 を示 し 「
新 しい教育 」
の 目指す ところについて分か りやす く説明 して
第 3回の講演ではフィヒテの時代認識 が明 ら
かに され る。
いる
。
従来の教育は通例、事実のあるがままの
人類 が 自分 白身で 自分 自身 をつ くりあげ
状態 をただ信 じ、ただおぼえこむ ことを 目
てい くこと、 しか も、一般 的にいって、分
的 としただけで、その理 由な どは どうで も
別 と規則 に基づいて これ を行 うことは、い
よかったのです。つま り、 もっぱ ら事物 中
つか どこかで始め られなければな りません。
心の暗記力 による、単なる受動的な理解 だ
そ うすれ ば 自由のないままに発展 してきた
けを 目的 としていたのです。 (
中略)記憶
これ までの時代 に代わって、 自由 と分別 を
とい うものは、それが他 の精神 的な 目的の
持 って人類 が発展 してい く次の時代 がや っ
ために役 立つのではな く、それ 自身が 自己
て くるで しょう 時期 について言 えば、今
目的化 して しまった場合 は、人間に とって
こそその時であ り、人類 が現実生活 の真 っ
は精神 的活動 とい うよ り、む しろ苦痛 を意
只 中でその転換期 に直面 してい るとい うの
味 します。20
が、我 々の意見です。 また場所 について言
。
えば、他 の国民の先駆 とな り模範 となって
それゆえ学んだ ことを実践 を通 じて訓練 して
この新 しい時代 を切 り拓いてい くとい う使
い くことが肝要なのである。だが、それ とてフィ
命 は、誰 よ りもまず ドイツ人に課せ られて
ヒテに とっては副次的なことで しない。 さらに
い ると我 々は信 じています。23
重要なのは、 「
愛 の力で生徒の 自我が高 め られ、
生徒 自身、思慮 と規則 に基づ き、神 の恩恵 を受
我 々 とい うのはフィヒテ と聴衆、そ して この
けたほんの少数 の者 だけが偶然 に知 りえた、事
問題 に関心 を持つすべての ドイ ツ人であろ う。
物の新 しい秩序 をはっき り自覚す るよ うになる
ま さに 『ドイ ツ国民に告 ぐ』 とい うタイ トルそ
こと」
2
1なのである。
の ものの、繰 り返 し引用 され る有名 な箇所であ
この 目的 を実現す るためには、 自らが正 しい
る。 そ こにはもちろん戦争 に敗れた ドイツ人 を
理想像 を有 している教師が必要なのは言 うまで
鼓舞 しよ うとい う意図があるが、それ は単なる
もないが、 さらに生徒たちを一般社会 か ら隔絶
アジテーシ ョンではな く、明確 な歴史観 に基づ
す ることが必要 とされ る。 「
理想 にまで高 め ら
くものなのである。
れた秩序愛 をもとに個人 と全体 との関係 を生徒
フィヒテ 自身が 『ドイツ国民に告 ぐ』 の前書
自身 に納得 させ るこ と」22 は、利 己的で善悪 を
きの中で、 この講演 はその続編 であると断って
転倒 させてい る一般社会か ら隔離 された共同体
い る、1
80
4年 か ら1
805
年 にか けて行 われた講演
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306.
フィヒテの教育論(Ⅰ)
- 『ドイツ国民に告ぐ』 239
確 立 とい うことである。ナポ レオ ンー フラ
『現 代 の 根 本 特 徴 』 (Di
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s) で 、彼 は人類 の歴 史
ンスによる ドイ ツ支配 の貫徹が明確 な事実
の発展 を 5段階に分 けて捉 えていた。す なわち
になったが故 に、かえって ドイツ国民 ・民
族 (
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on) か ら見れ ば、解放 と統一の課
次の よ うである。
題 が鮮 明になった と言 える。 ここに、人類
史の第 4期- 「
理性お よびその法則 が明瞭
(1)本能 によって理性が無条件 に支配す る時
な意識 を もって理解 され る時期」、す なわ
期。人類 の無垢 の状態。
ち 「
是正の芽生 えの状態」が到来 した、 と
(2) 理性本能が外的に強制す る権威- と変貌
す る時期。究極根拠 にまでは遡及せず、 し
フィヒテは確信 したわけである。 フィヒテ
たがって確信 できず、か といってその一方
に よる 「
現代」の こ うした位置づ けにお け
では強制 され ることを望み、盲 目的な信仰
る違いの ところに、わず かに 2- 3年 の間
と無条件的な忠誠 を求める積極的な教説体
の大 きな時代の進展 と、それ を鮮 明に 自覚
系 と生活体系の時代。罪が芽生 える状態。
したフィヒテの時代 ・歴史認識 の鋭 さをみ
て とることができる。25
(3)直接 的には命令的な権威 か らの、間接 的
には理性本能 と個 々の形態 を とる理性一般
の支配 か らの、解放 の時期。 あ らゆる真理
しか しこの よ うな転換 は一朝一夕に行 われ る
にたいす る絶対的な無関心 と、何 の手がか
ものでない。そのためには最初 に力説 された よ
りもない完全 に非拘束の時代。完全 に堕罪
うに、利 己心 を克服 して道徳 的世界秩序 の概念
の状態。
を生 きた ものにまで高めよ うとす る新 しい教育
(4)理性知識 の時期。真理が最高の もの とし
て認 め られ、最 も愛好 され る時代。義認 が
の導入 が必要 とされ るのである。
新 しい教育の第一の前提 としてフィヒテは次
のよ うに述べ る。
始まる状態。
(5)理性技術 の時期。人類が確実で誤 りのな
い手で 自分 自身 を理性の適切 な模写 とす る
時代。完全 な義認 と浄化 の状態 。24
人間の根底 には、善に対す る純粋 な快 の
感情があ り、 この快の感情が十分 に発達す
ると、人間は善 と認 め られた ことを しない
『現代の根本特徴』では 「
現代」は第 3期 に
で、悪 と認 め られた ことだけをす るといっ
当た るが、『ドイ ツ国民に告 ぐ』 では第 4期 -
た ことは絶対 にで きな くな ります。 これ に
の転換期 に当たるとされ る。 この違いに着 目し、
反 して、従来 の教育は、人間には神 の錠 に
福吉勝男は次の よ うに考察す る。
背 く性質が生まれ なが らにあるとか、神 の
按 を実行す るのはそ もそ も不可能だ とか決
2
4
この現代の位置づ けの違いは何 を意味す
めかかっていただけでな く、それ を子供 の
るのだ ろ うか。 フィヒテ は何故、 これほ ど
頃か ら教 え込んでいたのです。 もしこの よ
意識的に1807年 を画期点に したのだろ うか。
うな教 えが真面 目に受 け取 られ、信 じられ
それ は、現代そのものの歴史的進展 としか
ていた とした らど うなるで しょ うか。その
考 え られ ないのである。その歴史的進展 と
場合、生徒 は誰 で も、 自分 の本性 は決 して
は、 1807年の 「
テ イル ジ ッ トの和議」 にお
変 え られ ない と信 じ込み、いったん不可能
ける、ナポ レオ ンによる ドイ ツ支配体制 の
だ と思い込んだ ことに対 しては、二度 とし
VI
I
,
S.
ll
f
.訳 は 『現代 の根本特徴』柴 田隆行訳 、『フ ィヒテ全集
02頁以下。
2
5福 吉 、1
240 国際経営論集
No.
39 201
0
第1
5
巻』、哲書房 、2
005
年 、1
9頁 に よった。
てみ よ うとは思わないで しょ う。生徒 は誰
ついてい ること、そ して この道徳的行為 は神 が
もが、 自分 自身や他 のすべての者 がおかれ
統治 してい ることに対す る我 々の信仰 と結びつ
てい る現状以上に向上 を欲す ることもな く
いていることを主張 した。 この場合の信仰 とは、
なるで しょう。それ ばか りか、生徒 は誰 で
感性界 の根底 に、それ を超 え、そ して規定す る
も、思い込ま された とお り、 自分 の恥ずべ
「
道徳 的世界秩序」 が ある、 とい うこ とに対す
き状態 に甘ん じ、 自分が生来罪深 い人間で
る信仰 である。そ して、 この道徳的世界秩序 こ
あ り、卑劣な人間であることを認 めて しま
そ 「
神」 と呼ばれ るものに他 な らない とす る。
うで しょう。 なぜ な ら、神の前で 自分 自身
彼 は、神 をこの道徳的世界秩序か ら切 り離 して、
が恥ずべ き人間であるのを認 めることが、
ある特殊 な実体 と考 えることは不可能だ とした。
神 と妥協す る唯一の手段である と考 えるよ
と同時に、道徳的世界秩序 としての神 に対す る
うになるか らです 。26
信仰 を我 々が捨て ることは、道徳的行為 をめ ざ
す限 り、けっ して許 され ない とした。
ここで彼 はいわば一種の性善説 に立っている。
「
子供 を導 く」 とい う意 味のギ リシャ語起源 の
この論文 は 「
無神論」 と誹誘 され、 この論文
を掲載 した 『
哲学雑誌』 (
Phi
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phi
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he
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)
P左
da
g
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ik"とは違 い、 「
教育 」 にあた
外来語 、 "
は ドレスデ ンの宗教局に没収 された。 フィヒテ
る ドイ ツ語 の "Er
z
i
e
hung"には本来 「(
人 間の 中
が神 を実体 として考 えることができない として
にあるものを)引き出す」 とい う意味があるが、
い る点に、無神論者 とされた理 由があった よ う
人間の中にもともと善なるものがなければ、そ
である。 フィヒテはこれ を学問の 自由に対す る
もそ もそれ を引き出す ことな どできないであろ
重大な冒麿 として懸命 に弁明を試みたが、かえっ
う。 この考 えは、一見す ると先に述べた意志の
て火 に油を注 ぐ形 にな り、結局イ ェナ大学 を辞
自由を徹底的に否定す るとい う考 え と矛盾す る
職す ることとなった。 これがフィヒテがベル リ
よ うに見 える。 しか しフィヒテは、生徒 はまだ
ンに赴 くきっかけ となったのであ る。27 カ ン ト
善悪の判断の規準が定まっていないため、有害
Di
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が 『単 なる理性 の限界 内の宗教 』 (
な社会 の影響 を受 けるとその生来の善に対す る
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感情 を十分発達 させ ることができないので、教
(
1
793年) に よって、宗教 に関す る講義や著作
育によってその規準 を教 えなけれ ばな らない と
を禁 じられ た ことを思い起 こさせ る事件 である
主張 してい るのであ り、人間は生まれ なが らに
が、プ ロイセ ン国王 フ リー ドリヒ ・ヴィル-ル
して悪であると決 めつけてい るのではない。生
ム 2世 (
在位 1
786
年- 97年)が治 めたカ ン トの
徒たちを一般社会か ら隔絶す ることの必要性 も
時代 と違い、その後を襲ったフ リー ドリヒ ・ヴィ
そ こか ら生 じるのである。
ル-ル ム 3世 (
在位 1797年- 1
840年)が思想 的
後半の部分は、読み よ うによっては原罪 を基
に寛大だったのは幸いであった。
礎 にお くキ リス ト教 に基づいた宗教教育の否定
とも受 け取れ る。 フィヒテは 1
798年 に 「
神的世
第 4回か ら第 8回までの講演では ドイ ツ民族
界支配 に対す る我 々の信 仰 の根 拠 につ いて」
お よびその特性 の解 明が主要なテーマ となる。
(
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まず、第 4回では言語 の問題 が取 り上げ られ
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r
ung) を発表 した。 この論文
る。 フィヒテは、 ドイ ツ人が民族 の最初の言語
で フィヒテは宗教が本質的に道徳的行為 と結び
を持 ち続 けたのに対 し、その他 のゲルマ ン系諸
2
6 vI
I
,3
07
f
.
2
7
福吉 、56頁参照。なお福吉は、これ以外 にフィヒテの言動 に対す る反感や嫉妬があ り、こち らが主な原 因ではなかっ
たか と述べてい る。
フィヒテの教育論(Ⅰ)
- 『ドイツ国民に告ぐ』 2
41
民族 が外 国語 を取 り入れたのが、民族大移動 に
の とは考 えていない」32 のである。
よる居住地の変化以上に重要なことだ と述べ、
フィヒテの真意は もちろん、身分や階層 の違
その理 由として 「
人間 とい うものは、言語 を作
いを越 えて新 しい国民教育 を 目指そ うとい うこ
るとい うことよ りも、言語 によって作 られ ると
とであるが、このよ うな箇所 を字面だけ読む と、
い う場合 のほ うがは るかに多い」
2
8こ とをあげ
優秀 な国民は ドイ ツ人だけで、他 の国民は教育
てい る。感情や思考 をつか さどるのは言語であ
す るに値 しない とい う、尊大な態度 と受 け取れ
り、両者 は分かちがた く結びついてい るとい う
ない ことはない。 この よ うな、曲解すれ ば国粋
点では 「
血 につなが るふ るさと、心につなが る
的 とも受 け取 られかねない言説 は、後 にフィヒ
ふ る さと、言葉 につ なが るふ るさと」 (
島崎藤
テ を悪用す る者たちに格好の材料 を提供 した こ
村)
2
9 を思わせ るものがある3
0
。だが、 フィヒテ
とは想像 に難 くない。33 だが、 この よ うな人 々
はそ こに とどま らず、 さらに踏み込んで 「
生き
はフィヒテが第 7回の講演で次の よ うに言 って
た言語 を持 った民族」 (
- ドイ ツ人) と 「
死ん
いるのを看過 してい るに違 いない。
だ言語 を持 った民族」 (
-他 のゲル マ ン系の民
族) を区別 し、次の よ うに結論づ ける。 「
生き
創造的で新 しい ものを産み出 しなが ら自
た言語 を持 った民族は、あ らゆることが らにお
ら生 きる人々、あるいは こ うした生にはあ
いて実に勤勉かつ真剣 であるばか りでな く、つ
ずかれ な くとも、少 な くとも無価値 な もの
ねに努力家であるが、反対に、死んだ言語 を持っ
を断固 として捨て去 り、 どこかで根源 的生
た民族 は、彼 らの幸運 な 自然の本性 に任せ て努
命 の流れが 自分 を とらえるか どうかに注意
力 しよ うとしない」
3
1
。 それ ゆえ、 「
生 きた言語
を払 ってい る人 々、あるいはそ こまでいか
を持 った国民は、偉大な国民大衆 として陶冶 さ
ない として も、少 な くとも自由を予感 し、
れ る可能性 を持 ってい る。 したがって、 この よ
自由を憎んだ り恐れた りせずに愛す る人々-
うな国民の教育 にあた る人々は、そのために、
すべてこのよ うな人々は根源的人間であ り、
自分たちの発見 した教育方法 を国民に試行 し、
民族 として観 られ るな らば原民族 (
Ur
vol
k)、
国民を教育 しよ うとしている。 これ に対 し、死
民族 そ の もので あ り、 ドイ ツ人 で あ りま
んだ言語 を持 った国民においては、教養 ある階
中略)精神性 とこの精神 の 自由を信
す 。34 (
層 は、国民大衆か ら逃避 し、国民大衆 を 自分た
じ、 この精神性 の 自由による無限の形成 を
ちの計画 を遂行す るための単なる道具以上の も
欲す る者 は、 どこで生まれ、 どんな国語 を
2
8vI
I
,S.
31
4.
2
gこの言葉 は故郷馬龍 の小学校 での講演の中で、藤村 が即興で語 ったの聴 いていた小学校 の教員 が書 き とめた もので
あ り、そのため全集 には収 め られてはいない。
30 「
言語 と民族」 とい うテーマで誰 もが思い浮かべ るのは、アル フオンス ・ド-デの 『最後の授業』であろ う.普仏
戦争 に敗れ たフランスのアルザス地方の村 で、明 日か らも うフランス語 の授業ができな くなる とい う事件 を扱 った
この作品は、 日本の小学校教科書にも採用 され、フランス人でな くとも愛 国心を鼓舞 され るものであるが、実はこ
の地方本来の言語は ドイツ語 の方言であった ことは意外 と知 られていない。
3
1 vI
I
,S,
327.
3
2E
bd.
3
3これ について-ル ムー ト・ザイデル (
1
929年生)は、 自身の学校 時代の経験 に基づ き 『ドイ ツ国民に告 ぐ』がナチ
の教育のコンセプ トに転用 された ことを述懐 してい る。
Vgl
.He
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997,S.
1
39.
3
1 ドイ ツ人が 自らを原 民族 である と呼ぶ権利 がある理 由 として フィ ヒテ は、 「ドイツ」(
de
ut
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h)とい う語 が本来 「
民
族の」 とい う意味を持 っていた とい うことをあげているが、 これは語源的に観 て正 しい と認 め られてい る説である。
ge
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)とい う語 が、 ローマ帝国の人々が この民族 に対 して外部か ら与 えた名称 であるの
す なわち 「
ゲルマン」(
に対 し、彼 らは 自分たちを 「ドイ ツ」人 と呼んだのである。Vgl
.
VI
I
,
S.
359.
242 国際経営論集
No.
39 2010
話そ うとも、我 々の種族 であ り、我々に属
ることもないで しょ う。逆 にまた、哲学な
してお り、我々に加 わることで しょう。 35
しでは教育技術 はけっ してそれ 自体完全 な
明瞭性に到達す ることができないで しょう。
この言葉 は 、 「自由を愛す る人々は、 どこに
このように両者 は絡み合 ってい るのであ り、
住んでい よ うとベル リン市民だ。その意味で私
一方 は他方 な しでは不完全で役 に立ちませ
もベル リン人だ」 とい う、東西冷戦の時代、ベ
ん。37
ル リン封鎖が行 われてい る最 中にベル リンを訪
れたケネデ ィが市民の前で行 った演説 を思い起
先 に見た とお り知識学が このフィヒテの考 え
こさせ る。 フィヒテに とっては国籍や言語以上
の根底にあ り、教育はその実践のひ とつである。
に 自由を愛す る態度 が重要 なのであ る。 「フィ
この理念が哲学部 を主体 とした彼 の大学構想 の
ヒテ の愛 国心 (
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ona
l
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mus) は 国 を越 えた
根底 にもあると思われ る。
(
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be
na
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i
ona
l)理性 の 目標 に取 って代 わ ること
はない」
3
6とい うロースの指摘 は正 当であ り、
第 7回の講演では古代 ギ リシャ と ドイツの政
この講演がな された当時の時代背景や フィヒテ
治 を比較 し、 「ドイ ツの政治は教育 にあたって、
の根本思想 の理解 を抜 きに して、 この よ うな言
外国のよ うに最頂点の君主に向か うのではな く、
葉だけを取 り上げて一人歩 き させ、 フィヒテ を
もっ と広 い分野の国民に向か う。 なに しろ君主
偏狭な愛国者 と評価す るのはやは り一面的な誤っ
に して も国民の一人であることには違 いないの
た解釈 とい えるであろ う。
だか ら」
3
8と主張す る。 ここにはル ソー とフラ
ンス革命 の影響 を受 けたフィヒテの若 き 日の思
第 6回の講演では国家 と教育の問題 に言及 し、
想 が、今 なお脈打ってい るのが見て取れ る。
さらに哲学 との関連 について も指摘す る。
国民教育 とい う観 点か ら、第 9回の講演では
理性的国家 とい うものは、現 にある材料
具体的な教育 に言及 し、ペスタロツチの教育方
をかき集 め、人工的に細工す ることによっ
法が推奨 され る。 フィヒテはす でに 1793年 にペ
て作 られ るのではあ りませ ん。 国民がその
スタロツチ と会い、教育問題 について論 じ合 っ
よ うなもの- とまず育成 され、引き上げ ら
てい る。 「ドイ ツ国民 に告 ぐ」 の講演 を行 う半
れ なけれ ばな らないのです。完全 な人間を
年前頃には彼 の著作 を集 中的に研究 してお り、
教育す るとい う課題 を、実際に最初 に解決
1
807年 6月 3目付 けの妻 に宛てた手紙の中で、
した国民のみが、その後で完全 な国家 とい
彼 の本 を薦 める とともに、 こ う述べてい る。
う課題 も解決す るで しょ う。 (
中略)永遠
の時の流れ の中で、 目下 日常的に見 られ る
目下 この人の教育体系を研究 しています
傾 向は、国民を人間- と完全 に教育す るこ
が、 ここには現在 の病的な人類 を救 うため
とです。 このことな しには、哲学のいかな
の真の方法が見出せ ます。 それ は同時に人
る成果 も広範な理解を得ることはないで しょ
類 に知識学 を理解 させ るのに役立つ唯一の
うし、ま してや生活 において広 く応用 され
手段で もあ ります。39
3
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1
21.
フィヒテの教育論(Ⅰ)
- 『ドイツ国民に告ぐ』 243
講演では、ペスタロツチの根底 にあった もの
うことよ りも、言語 によって作 られ るとい う場
は ドイツ的特性の一つ 「
寄 る辺のない貧 しい庶
合のほ うがは るかに多い 」44 と言 っていたでは
氏-の愛 」40 であった ことが確認 され る。ペス
ないか。そ してまた- レン ・ケラー も 「
言語 を
タロツチのは じめの願 いは、ただ大衆 を助 けた
理解 した とき私はは じめて人間になった」 とい
い とい うことだけであったが、結果 として、民
う趣 旨のことを言っているではないか。
衆を向上 させ、庶民 と教養 ある階層の一切の垣
まず考えなければな らないのは、言語教育を
根 を取 り除き、 自身が求めていた民衆のための
行 う以前に直観教育を充分に行わなければな ら
教育 (
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hung) の代 わ りに、 国民教育
ないとい うことであろう。さらに、言語 (
Spr
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hung) をもた らしたのである。
4
1
と読み書き (
Les
e
nundSc
hr
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i
be
n) とい う二つ
フィヒテはペスタロツチの直観教授 を評価 して
を分 けて考 える必要があろ う。 フィヒテが主に
次のよ うに述べ る。
批判 しているのは後者だか らである。
彼 はペスタロツチが 「
温かな愛の心か ら、貧
生徒 を じかに直観 の世界に導 き入れ よ、
しい子供たちを一 日で も早 く学業か ら解放 し、
とい う方法は、我々が提案 している方法、
職 に就かせてあげたい、 しか もその中途半端な
すなわち、生徒の精神的活動 を刺激 して、
教育 を、職 に就いてか らで も、取 り戻す手段だ
いろいろな表象 を自由に描 き出させ、生徒
けは与 えてあげたい 」45 と考 え、そのために文
が学習す るいっさいのものを、この表象の
字の学習を重ん じているのは十分理解 している。
自由な働 きを通 して習得 させ よ、 とい う方
だが文字 (
Buc
hs
t
a
be) の学習は、 「
直観 の世界
法 と同 じ意味のものであ ります。42
に生徒 を じかに導きいれ る代わ りに、単なる記
号だけを覚 え込ませ、生徒の注意力 を集 中させ
だが一方、ペ スタロツチの犯 した 「
誤 り」 も
指摘す る。
る代わ りに、彼 らを放心状態に陥 らせて しま う
とい う危険 を伴 っている。直観 とい うものは、
その場で把握 しなければ何 も把握できないが、
ペスタロツチの教育方法では、文字の読
それには集 中力が必要である。筆記 しておけば
み書 きが過大に重ん じられ、この二つが民
これで安心 と考 え、生徒はまたの機会にこの筆
衆教育のほとん ど最高の 目標 として掲げ ら
記 をもとに勉強す るつ もりであるが、そのよ う
れています。 (
中略) あいまいな直観 か ら
な機会はおそ らくけっ して来ないのである。 ま
明瞭な概念- と人類 を引き上げるための一
た文字の学習は、 これまで も見 られたよ うに、
つの手段は言語であるとい う、言語に対す
一般 に文字だけを相手に してい る場合 しば しば
る明 らかに誤った見解が認 め られます。43
起 こ りがちな観念の遊戯 に、生徒 をお としいれ
これは どうい うことだろ うか。第 4回の講演
は 「
直観 の完成 が文字 (
wo
r
t
z
e
i
c
he
n) の知識
では 自ら 「
人間 とい うものは、言語 を作 るとい
に先行 しなければな らない と確信 している。反
る危険性 を持 っている」
4
6
。 であるか らフィヒテ
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402.
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4
244 国際経営論集
No.
39 201
0
対の経路 をた どると、その結果 はあいまいな影
現代 の政治家たちにも是非一読 して もらいたい
と霧 の世界 にた どりつ き、 口先だけが達者 な人
箇所である。
間を作 り上げて しま うことになるが、ま さにこ
れ こそペスタロツチが当然の ことなが ら嫌 って
0回の講演では公 民教育 と宗教教育の重要
第1
いた こ となのである」 。47 「
人 間を教育 し、 あい
性 が述べ られ る。その基 を形作 るのは、認識す
まい と混乱の状態か ら、はっき りした状態 と確
る対象 に対す る愛 と、人 と人 とを結び付 ける愛
固 とした状態- と人間を高めて くれ るのは、言
である。 この教育 を行 う際注意すべ き点は、男
語記 号(
Sr
achzei
chen)で は な く、 話 す こ とそれ
女 ともに、同 じ教育 を、同 じ方法で受 けるとい
自体 (das Reden sel
bs
t) と、 自分 の考 えを他
うことである。
の人々に伝 えよ うとす る欲求」
4
8なのである。
これは、ま さに我 々が ともすれ ば陥 りがちな
男子 と女子 をそれぞれ別個 の学校 に入れ
過 ちに対す る鋭 い指摘であ り、 ここにもフィヒ
て別々の教育 を行 うことは、教育 の 目的に
テの長年 の教師 としての経験 と教師 としての優
反 します し、完全 な人間を作 り上げるため
れた資質 を見 ることができる。
だが、そ もそ も文字 の学習云々以前 に、フィ
の教育上欠 くことのできない多 くの重要 な
部分を無意味なもの として しま うで しょう。
ヒテ に とってはできるだけ早 く教育 を終わ らせ
(
中略) 男女 の生徒 が人 間 とな るための教
よ うとい う考 え方 自体が誤 りなのである。
育 を受 けるこの小 さな社会 は、やがて これ
らの生徒が一人前の人 間 となって足 を踏み
いっの 日か、この新 しい教育 を実現 させ
入れ るべ き大 きな社会 と同様、男女両性 の
よ うとす るのな ら、なるべ く早 く教育を終
協力によって成 り立っていなけれ ばな りま
わ らせ、生徒たちをなるべ く早 く職 に就 か
せ ん。男子 と女子 は性 の相違 を意識 し、夫
せ たい、な どとい う惨 めな考 え方 は、 この
とな り妻 となる前 に、まず互いに相手 をよ
際、絶対 にな くさなければな りませ ん し、
く知 り、互いに共通 な人 間であることを認
いや しくも教育の問題 を論ず る場合、か り
め合い愛 し合 うこ とを知 って、互いによき
そめに も口に してはな らない ものであ りま
友人 とな らなけれ ばな りません。51
す。 このよ うな国民教育はけっ して莫大な
費用のかかるものではない よ うに思われ ま
す 。49
当時まだ支配的であった女性 には学 問は不要
といった見解 に対 し、フィ ヒテの考 えがいかに
革新的なものであったか分か るであろ う。
行動す る哲学者 フィヒテの面 目躍如た る胸 の
それ とともに強調 され るのは、学習 (
Ler
nen)
す くよ うな正論 である。 フィヒテの講演 にはバ
と労働 (
Arbei
t
en) の統一で ある。 労働 が重要
イメの他に現職の国務大臣フォン ・シュレッター、
視 され るのは、一般的な国民教育のみ を受 けて
後の文部大臣アルテ ンシュタイ ンな どのベル リ
社会 に送 りだ され る人々は勤労者階級 に属す る
ンの有力政治家が集 まった と言われてい るが50、
か らであるが、それ以上 に大切 な理 由は 「
人間
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40
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5
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.
-ルムー ト・シェルスキー 『
大学の孤独と自由』田中昭徳、阿部謹也、中川勇治訳、
Re
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963,S.
51
未 来社 、1
97
0
年 、5
7頁参照。
51
vl
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,S.
42
2.
フィヒテの教育論(Ⅰ
)
- 『ドイツ国民に告ぐ』 245
とい うものはいつ も自分 自身の力で 自分 自身の
第 11回では教育を国家の手で行 う必要性 が述
道 を切 り開いてい くことができる、 したがって、
べ られ る。 フィヒテが言 うよ うに、元来教育は
自分 自身が生きてい くためには他人の恵みをけっ
国家ではな く教会の手 によって行 われていたの
して必要 としない とい う、確 固た る信念 を持つ
であるが、そ こでは言 うまで もな く神学が中心
ことは、人間が一個 の独 立 した人間になるため
となっていた。だか ら大学で もその他 の学部 は
には欠かす ことのできない ものであるばか りで
神学部の付属的な機 関に過 ぎなかったのである。
な く、それはまた、 これ までお よそ人々が信 じ
教会が来世での浄福 を願 うのに対 し、国家は地
てきた よ りもはるかに決定的に、人間の道徳的
上での幸福 を実現 させ なけれ ばな らない。その
独 立心の基礎 になってい る」52 とい うこ とで あ
ためには国民教育を行 うことが必要なのである。
る。 これ を彼 は 経 済 教 育
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これ まで見て きた よ うにフィヒテの言 う国民
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hung) と呼んでい るが、 これ は、幼 い頃
教育 とは現代 の義務教育 と考 えていい と思われ
家の手伝いで害鳥番 を していたフィヒテ 自身の
るが、 この費用 を国家が負担できるか とい う問
経験か ら出た言葉であろ う。すなわち、労働す
題がある。 これについて彼は次のよ うに述べ る。
ることを学び、労働 をい とわない者 だけがお も
ねた り追従 した りす るこ とな く、 「
名.
誉 を受 け
なが ら生活す ることができる」
5
3のである。
国民教育の経費 を支 出す ることこそ他 の
ほ とん ど大部分 の経費の支出を経済的に解
この上に来るのが学者教育 (
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)
決す る唯一 の方法であ り、 したがって、 こ
である。 ここで フィ ヒテ が 「
学者 」 (
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の経費 を引き受 け さえすれば、遠 か らず、
と呼ぶ ものの中には、狭い意味での学者 、す な
国家に とって他 に重大な支 出はな くなるで
わち研 究者 だけでな く、いわゆる官僚 な ど国家
あろ うとい う確信 を、国家 に持たせ ること
の中枢 を担 うエ リー トたちが含まれてい ること
が必要で しょう。 これまで、国家収入の大
に注意 しなけれ ばな らない。学者教育 を受 ける
部分は常備軍の維持に充て られてきま した。
のは選 ばれ た男子 のみで ある。54だが出身階層
この出費 の結果が どうい うことになったか
の違いによる差別 はない。才能 を持 った人間は
は、すでに見てきま した。 これで も う十分
国民全体の貴重 な財産だか らである。学者 にな
で しょう。56
る者 もまず国民教育を受けなければな らないが、
特 に要求 され るのは 「
他人の指導 を一切必要 と
フィヒテの考 える国民教育では体育 も重要な
しない精神 的独立 と孤独 な思索 」55 で ある。 こ
位置 を占めてお り、愛国心 とともに屈強な体 を
れ については稿 を改め、彼 の大学論で詳 しく考
持 った国民を作 ることが国防に も役立つ と考 え
察す る。
られていた。
5
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54
ここで女子 を差別 してい るではないか とい う意見 もあろ うが、それ は現代の視点か ら見た批判 で、む しろ国民教育
を男女 ともに受 けるべ き とした彼 の先見の明を評価すべ きであろ う。 ちなみにフィヒテがベル リンの主だ った2つ
の新聞に掲載 した この講演の広告でも、わ ざわ ざ 「
両性 が混在 した聴衆のために」 と断 り書 きを入れてい る。 GA,I
,
9,S.
289.
椎名 は、 フィヒテ と対比 させ 、 「
女子 の教育 は知識 の習得 に よって よ りは、生活 を通 して行 われ る方 が一層望 ま
しい。女子 とい うものは高等の学問のためにつ くられてい るのではない」 とい う--ゲル の言葉 を引用 してい る。
椎名 、2
1
5
頁。
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2
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6 国際経営論集 No.
われ われ の提案す る国民教育があまね く
公務 に就 くまでの間、国民教育 を行 う学校 で 自
実施 され るな ら、次の若 い世代がこの教育
ら教壇 に立つ ことが望ま しい とされている。教
を終了す るやいなや 、国家はこれ まで見た
育実習や医師のイ ンター ン制度 を先取 りした形
こともない よ うな見事 な軍隊を持つ ことに
であるが、 これ は生徒 に良い影響 を与 えるのみ
なるで しょう。 なぜ な らどの青年 も、我 々
でな く、大学 を卒業 した者たちにも、天真 欄漫
の新 しい教育によ り、 自分の体力 をあ らゆ
な生徒 と接す ることによ り、大学では得 られ な
る目的に使 えるよ う完全に訓練 されてお り、
い 「
真 の人 間智 と称す るに足 る宝物 」59 を得 る
機 に臨んで即座 に力 を発揮す ることができ、
機会 を与 えるのである。
いかなる緊張や苦労にも- こたれ ることが
この よ うにペスタロツチの学校 で養成 された
ないか らです。 また彼 らの精神 は直接 的な
教師 を中心に多 くの青年 たちが集 まって教育す
直観教育によって陶冶 されてい るので、常
ることによ り、財政上 もかな り軽減 され るとフィ
に沈着で、 自覚を忘れ ることもあ りません。
ヒテは考 える。 そ して この教育 を実現 しよ うと
その心には 自分が属 している全体、す なわ
する 「
善 き意志 」
6
0さえあれ ば、 「
克服できない
ち国家や祖 国に対す る愛が息づいてお り、
困難 はない 」61 と結ぶ。
利 己的な衝動 はすべて捨て去 られているの
です。57
2回以降の講演は これ まで述べてきた こと
第1
の総括であ り、 目新 しい ことは述べ られていな
椎名 は、 フィヒテが 「
当時の他 の国民教育思
想家- ヤー ン、フ リーゼ ン、ハルニ ッシュ、フ
い。62 まず フィ ヒテ は次 の よ うに聴衆 に呼びか
けて、講演全体 のテーマ を確認す る。
レーベル 、ア ッカーマ ンー と同様 に、体育 を通
して 『解放戦争』-の準備 を意図 していた」58
この講演 はまず聴衆であるあなた方 に訴
と述べているが、おそ らくその とお りであろ う。
えま した。 さらに印刷物 を通 じて、人々を
筆者 はこの箇所 を読み、数年前スイスで行わ
結集 し、固い決意 の もとに次の問題 につい
れた徴兵制 に対す る国民投票 を思い出 した。結
て意見が一致す るよ うに させ るな らば、そ
果は51
%対 49% とい う僅差で徴兵制 が存続す る
の限 りで全 ドイ ツ国民に訴 えることにな り
ことになった。冷戦終結後の今 日、スイスが軍
ま しょう。す なわち (1) ドイ ツ国民 とい
事的な脅威 に さらされ る危険性 は極 めて少 ない
うものが存在す るとい うこと、そ してその
と思われ るが、そ こには独立 を守 ろ うとす るス
固有の民族性 と独立 とが今危機 に瀕 してい
イスの長い歴史がある。 ヒ トラーはオース トリ
る とい うのは本 当か。 (2) この国民 を滅
アを併合 した後、スイス-の進出も目論んだが、
亡 させ ないために尽力す る価値 があるか。
最後 には平地 を捨て山の中に寵 もって も戦い続
(3)滅 亡 させ ないための確 実で有効 な手
けよ うとい う将軍の言葉 に共感 したスイス国民
段 とい うものがあるか、またその手段 とは
の前 に、多 くの犠牲 を払 ってまで戦 うのは割が
どんなものか、 とい う問題 です。 63
合わない と判断 し、諦 めたのであった。
この回では さらに、大学 を卒業 した者たちが
5
7
今 まで見てきた よ うに、フィヒテは教育 こそ
Ebd.
5
B椎名 、21
6頁。
5
9
60
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4
41.
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I
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4
4
4
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61 E
bd.
62
椎名訳 で も第5回か ら7回まで と第 1
2回以降は割愛 され てい る0
63
VIT
,S
.
4
4
8
.
フィヒテの教育論(Ⅰ)
- 『ドイツ国民に告ぐ』 247
がその手段であ り、それ以外 はない と確信 して
おわ りに
いた。そ して従来の教育 に対 し、ペ スタロツチ
の原則 に したがった新 たな教育計画 を構想 した
である。
フィヒテが野外 に集 まった人々に向かって身
を乗 り出 し、右手 を振 り上げなが ら熱弁 をふ る
う様子 を描いた一枚 の絵 がある。そ こにはま さ
結びにあた る第1
4回の講演ではフィヒテは聴
にあ らゆる階層 の人が集 ってお り、ある者 は草
衆をは じめ、すべての階層の人々に呼びかける。
の上に座 り、ある者 は木 の下に立ち、フィヒテ
まず青年 、そ して老人、次に実務家、 さらに思
の演説 に聴 き入 ってい る。 言 うまで もな く、
想家、学者 、著述家、そ して ドイツの諸侯、最
『ドイ ツ国民に告 ぐ』 の様子 を描 いた ものであ
後 に全 ドイ ツ国民に対 してである。 ドイ ツ民族
る。 この講演 は、実際にはベル リンの学術 アカ
の祖先 の 口を借 りるとい う形 で彼 は次 のよ うに
デ ミーで行 われたので、 この絵 はまった くの創
語 る。
作なのであるが、それがあたか も実際にあった
ことだったかの よ うに思わせ るエネル ギーが こ
事態が この よ うになった今、お前たちは
肉体的な武器 で彼 らに打ち勝つべ きではな
の講演 には満 ちてい る。 フィヒテの願 い もま さ
しくそ こにあった。
い。 ただお前たちの精神 を彼 らに向かって
現 代 の ドイ ツ で は い た る所 に 民 衆 大 学
毅然 と高 く保つべ きである。お前たちには
(
vol
ks
hoc
hs
c
hul
e) が見 られ る。 外 国語や趣 味
精神 と理性の王国を建設 し、世界支配 を 目
な どの教養科 目を主 として教 える、学歴 に関係
指す粗野な肉体的暴力 をすべて絶滅 させ る
な く、誰 もが安 い授業料で受講できる、公立の
とい う、 よ り偉大な使命 が与 え られてい る
学校である。 いわば公 民館 が行 う文化活動の よ
のである。そ してそれ を成 し遂 げれ ば、お
うなものであるが、それがきちん と組織立って
前たちは我 々の子孫の名 に値す る。64
恒常的に行 われてい る ところに特徴 がある。 こ
れはフィヒテの国民教育思想 の影響 を受 けてい
それぞれの人がそれぞれの立場で この王国の
る とい う こ とで あ る。 そ の 他 統 一 学 校
建設 に蓬進す ることを訴 え、 この連続講演は幕
(
Ei
nhe
i
t
s
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c
hul
e) や 作業学校 (
Ar
be
i
t
s
s
c
hul
e)
を閉 じる。
な どの教育運動の中にもフィヒテの影響が見 ら
れ る とい うこ とで ある。65 この よ うに彼 の国民
0
0
年 以上経 っ
教育の理想 は、根本 においては2
た今 日で もけっ して色 あせ てはいない。
『ドイ ツ国民に告 ぐ』の中でフィヒテは何度
もル ターに言及 してい るが、ル ターが翻訳 した
聖書がすべての家庭 で読まれ、今 日の ドイツ文
章語 の基礎 を作 った よ うに、フィヒテの この講
演 も、彼 が願 った とお り ドイ ツ国民教育の基礎
を形作 ったのである。
L
IVI
I
,S,
496.
6
6
5 椎名
、2
21
頁参 照。
2
4
8 国際経 営論集
No.
3
9 2
01
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