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2015/10/11
Little
ShoeMarks
大江健三郎補助資料レジメ
第 7 回読書会 大江健三郎 参考資料
ウィリアム・バトラー・イェイツ William
Butler Yeats
大江健三郎氏の著作『治療塔』の中で、しばしばウィリアム・バトラー・イェイツの詩が
登場します。この存在が読み解く中に大きな意味があると探るうちにイェイツと大江健三
郎氏に、興味深い共通点を見出すことができました。
アイルランド生まれ。1歳半でダブリンからロンドンへ移り住み、16歳でロンドンに戻る。
画家を志すが諦め、20歳で文学に傾倒、詩作を始める。当時流行していたオカルティズム、
心霊研究、アイルランド神話にのめり込む。初期の作品にはケルト神話をモチーフしたもの
が多い。58歳でノーベル文学賞受賞。
イェイツ
William Butler Yeats
アイルランド詩人(劇作家)
をめぐる二人の女性・モード・ゴン(1866∼1953)
英軍大尉の娘として生まれた。4歳で母を亡くす。
父が言った
「どんなことも恐れてはいけない。
たとえ死であっても」
「恐怖心がなければ、危害を受けることはない。勇気と意思は不屈であり、何事も成し遂げる
ことができる」との言葉を人生の支えとした。
身長(183㎝)ハシバミ色の瞳、
ブロンズに輝く髪、魅惑的な低音の声色。当時、
ヨーロッパ
随一の美貌と謳われた。
イェイツは「実在する女性にこれほど美しい女がいるとは思いもしな
かった」と目を奪われ、恋に墜ちる。
イェイツは、何度も求婚しては拒まれるが、諦めきれず52
歳まで独身を通した。終生、友人として付き合い、支援を続けた。
イェイツと出会ったその時
すでに、お腹には妻子あるフランス人革命家の子を宿していた。
アイルランドを祖国と決め、大英帝国からの独立を目指す美しき女性革命家として活動、「アイル
ランドのジャンヌ・ダルク」と呼ばれるが、最愛の父と第一子を亡くす、離婚裁判など、私生活は苦
悩に満ちていた。投獄の過酷な環境も加わり、老いが足早に訪れることとなる。晩年のモード・ゴ
ンをイェイツは「墓にとり憑いた闇の女」と表現した。彼女は「どれほどあなたが老いを憎んでいる
ことでしょう。私も同じ。
でも不可避を受け入れ、従います」
と延べたが、彼の死後、15年、その大半
をベッドに横たわって過ごした。
イェイツのモード・ゴンへ送る称賛という作品がある。
若者たちは彼女を褒め称え、老人たちは非難した、
だが、貧しい人々は、老いも若きも、彼女を褒め称えた。
イェイツがモード・ゴーンを想って詠ったといわれる詞はTHE ARROWです。
イェイツについては日本においても研究者が多く、解釈についても奥深いものがあります。
"The Arrow"
I thought of your beauty, and this arrow,
Made out of a wild thought, is in my marrow,
There's no man may look upon her, no man,
As when newly grown to be a woman,
Tall and noble but with face and bosom
Delicate in colour as apple blossom.
This beauty's kinder, yet for a reason
I could weep that the old is out of season.
Ⅱ
ウィリアム・バトラー・イェイツ William
Butler Yeats
アイルランド詩人(劇作家)
をめぐる二人の女性 レディ・グレゴリィ
(1852∼1932)
イザベラ・オーガスタ・グレゴリィ「クール荘園」という広大な敷地を所有する
グレゴリー家、35歳上のサー・グレゴリィの後妻となる。40歳の誕生日を迎え
る直前に未亡人となった。敬意を込めて「グレゴリィ夫人」と呼ばれた。
クール
家に一夏滞在した13歳年下の詩人、
イェイツに影響を受け、民衆文化に開眼
する。
四十代半ばにして地元の民話を収集、伝説から劇作を開始、
アイルランド演劇
運動の支援者として才腕をふるう。
グレゴリィ夫人
二十世紀初頭の一時期、
クール荘園は芸術家たちのサロンとなった。
イェイツ
は姉のように慕い、たびたび荘園を訪れた。夫人は良き理解者で、パトロンでも
あった。
イェイツがノーベル賞の受賞講演で、彼女の共同作業がなければこの
栄誉はなかったと語る。
イェイツはクール荘園の美しい庭園で失恋の痛みを癒
やし、数々の詩を残している。
「クール湖の野性の白鳥」 『治療塔』にも登場する
『羊飼と山羊飼』は詩集『クール湖の野性の白
鳥』の中の一編。題名だけ登場する詩『アイルランドの飛行士 死を
予見する』はグレゴリィ夫人の一人息子、
イェイツの年下の友人でも
あったロバート・グレゴリィの死を悼んで作られた。第一次世界大戦
に戦闘機乗りとして出陣、味方のイタリア軍に誤爆されて命を落とした。
アイルランド独立戦争最中、支配階級層は荘園を売却しイングランド
に脱出していく。不安を抱えながらも、荘園を愛していた夫人は留まり
美しい森林と素晴らしい蔵書を残した屋敷が廃墟と化してしまうことを
恐れ、祈り続けた。
自由国が成立した5年後、体調を崩した夫人は政府
に売り渡すことに同意、管理人として屋敷のとどまることが認められた。 現在は庭園と森、湖が美しい自然公園となっている。
革命家モード・ゴン、荘園の女主グレゴリィ夫人。
イェイツは相反する立場の女性を愛し敬った。
『羊飼と山羊飼』は海の向こうの戦争で死んだ敬愛する
人物を悼み、羊飼と山羊飼が対話する形式。
若い羊飼は年老いた山羊飼に
「歌ってほしい。おそらくあんたは思念によって
みんなの悲しみを和らげてくれる何か薬草を 摘んだだろうから」
と呼びかける。すると、山羊飼は歌う。
「彼はいま刻一刻と若返る
彼が現世で送った一生を顧みれば 荘厳の城を超えてみえてこよう
彼が夢に描いていたことがら 彼が従った抱負の数々を思うと
荘厳の域越えあまりにも控え目
馬車に揺られて長旅を続け 彼はおのがいのちの源へ戻りつつ
現世の苦楽のうちに学んだすべて なしあげたすべてからなる 重い糸巻きの糸をほどいていく
(中略)
ついに彼は揺りかごの中にはいって 母の誇りであった我が身を夢みる
すてきな無知の状態に陶然とし 知識はことごとく消え果てる。
アイルランドの飛行士は死を予知する
どこかの空の雲のなかで
自分の運命に出会うのは分かっている。
わたしは戦う相手を憎んではいない。
守る者たちを愛してはいない。
わたしの国はキルタータン・クロス、
同胞はキルタータンの貧民だ。
わたしはいずれ死ぬがこの者たちは困りはしない。
とりわけ幸せになるのでもない。
法律も、義務も、政治家も、歓呼する群衆も、
わたしに戦えとは命じなかった。
孤独な歓喜の衝動が、
この雲の騒乱にわたしを駆り立てた。
すべてを比較し、すべてを考察したが、
いまこの生、
この死に比べれば、
来るべき年月は空しい生だ。
過ぎ去った歳月も空しい生だ。
FIN
大江健三郎氏に見られる女性への崇拝の気持ちと同一線上にあるものを、
このイェイツに垣間見ることができました。
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